『亡命から60年、懸念される偽ダライ・ラマの出現 チベット弾圧の中国政府、ダライ・ラマ後継者選びにも介入か』(11/5JBプレス 佐藤けんいち)について

11/5 the FEDRALIST<Real Talk: Impeachment Is Going Poorly For Democrats and The Media>

Chuck Toddは“Meet The Press”という番組で、下の写真を全国放送したとのこと。左翼リベラルは洋の東西を問わず嘘をつく。共和党議員は誰も大統領弾劾に投票しなかったのは日本でも報道されています。共和党議員1名が弾劾賛成に投じたというのは明らかな嘘なのに。メデイアと民主党は腐っています。

https://thefederalist.com/2019/11/05/real-talk-impeachment-is-going-poorly-for-democrats-and-the-media/

11/6希望之声<华府专家说弹劾(上):民主党精心策划 转移自家丑闻 转向贬低川普=ワシントンの専門家の弾劾への意見(上):民主党は念入りに計画し、彼ら自身のスキャンダルをトランプにかぶせて貶めようとしている>トランプ大統領への最近の民主党の弾劾について、ワシントンの古参外交専門家のアリシア・カンピ博士は、「これは民主党が2020年大統領選挙のために念入りに計画した選挙戦略である。 民主党候補がスキャンダルで注目されるのを、トランプを貶めることに転化させ、トランプに否定的な世論を作ろうとしている。 さらに、民主党が多数を占める下院は、弾劾表決に慣例に従わず、また、トランプ大統領への弁護する権利と“推定無罪”の原則の法的保護を無視している」と考えている。

大衆は法的手続きが分からないという前提で民主党が強引に弾劾手続きを進めていると思います。共和党は嘘つき民主党に負けないように左翼リベラルメデイアを叩き潰してほしい。日本にもFox Newsが必要です。

https://www.soundofhope.org/gb/2019/11/06/n3315234.html

11/6希望之声<多位白宫官员拒绝为众院总统弹劾调查作证 获司法部支持=WHの役人の多くは、司法省の支援の下、下院での弾劾調査の証言を拒否した>4人のWHの役人は月曜日、大統領弾劾への証言を要請する下院の召喚を受け入れることを拒否した。WHは、大統領は間違ったことはしていないので、既に多くのWHの役人は調査への協力を拒否した。 米国司法省は火曜日に、民主党は証人が弁護士を伴って証言することを許可しなければ、下院の召喚状は法的効力を持たないと述べた。

民主党の適正手続き無視は人権侵害です。刑事裁判同様、厳格な手続きが必要です。所詮、党利党略で動いているとしか思えません。

https://www.soundofhope.org/gb/2019/11/06/n3315582.html

11/6阿波羅新聞網<中共要求美撤关税 彭博作家:不自量力的险棋=中共は米国へ関税撤廃を要求 ブルームバーグのコラムニスト:身の程知らずの危険なゲーム>米中貿易に関する第一段階の合意が期待されているが、最近になって中共は先ず米国が関税を取り消すよう再協議が必要と要求したと噂されていた。これに対しブルームバーグのコラムニストDavid Ficklingは寄稿して、「これが本当なら、中共の要求は“身の程知らずの危険なゲーム”をしていることになる。トランプ大統領が自分自身で屈辱を受け入れない限り、現在の環境から見て、米国が中共へ関税を取り消す“小さな譲歩”をする理由は本当にないからである」と述べた。

Ficklinは、「関税の取り消しは貿易協定の最終目標であるが、中共は米国が合意に署名する前一部の関税を取り消しすることを望んでいる場合、トランプが自分で屈辱を受け入れない限り、2つの可能性がある。第一は中国が貿易に於いて、第一段階の合意よりも多くの変更が行われる、第二に、大きな環境変化により米国が中国との交渉を余儀なくされる場合である。

Ficklinは、中国は約束を守らない可能性を示唆していますが、「騙す方が賢く、騙される方がバカ」という民族なので当然約束不履行するでしょう。金融制裁の理由にすればよい。

https://www.aboluowang.com/2019/1106/1365572.html

11/6阿波羅新聞網<顾不上孟晚舟了?北京恢复加拿大猪肉牛肉进口=孟晩舟は顧みられず? 北京はカナダから豚肉・牛肉の輸入を再開する>11/5(火)、カナダサイドは、「北京はカナダから豚肉・牛肉の輸入を再開する」と発表したが、数ヶ月前、北京当局は偽輸出証を理由にカナダ産豚肉と牛肉の輸入を禁止し、カナダの肉類輸出商は損失を被った。

業界は、2019年、中国ではアフリカ豚コレラのため3億5000万頭の豚を失う可能性があると予測している。 同時に、アフリカ豚コレラは東南アジア、ベトナム、韓国などのいくつかのアジア諸国でも損失を出している。 豚肉価格の高騰により、海外から中国に出荷された豚肉製品が急増し始めた。

先週、北京当局はブラジルから大量の豚の内臓を輸入したと指摘された。豚の内臓輸出はブラジルでは初めてである。

北京は、世界最大の豚肉輸出国である米国からの豚肉製品が輸入をまだ再開していないことに見るべき価値があると。 米国と中国は現在、第一段階の貿易協定を交渉中であり、北京当局は、両国間の協定と引き換えに農産物を大量に購入することを望んでいると述べた。

まあ嘘でしょう。本当ならとっくに米国から農産物を輸入しているはず。安全保障の面からいっても米国から農産物を倍以上に輸入できるはずもないことは分かるはず。遷延策にすぎません。まともに相手するなと言いたい。

https://www.aboluowang.com/2019/1106/1365484.html

11/6日経ビジネス<人事の発表がなかった中国・四中全会が意味するもの 宮本 雄二>「四中全会で、今回の「決定」に「科学的」「民主的」「法による」政治をすると書き込まれている。トップに権力が集中して好き勝手をやられては困るのだ。」と書いていますが、そんなきれいごとではないでしょう。そもそも嘘を言う民族を字面だけで信じるのは危険です。

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/110500106/?n_cid=nbpnb_mled_mpu

佐藤氏の記事に出てきます「伊東 俊太郎」は(麗澤大学名誉教授、東京大学名誉教授)です。何度か麗澤大学で会っています。

さて、今の日本人にチベット人に共感を持って支援しようとしても難しい気がします。何せ日本人が自分のことだけで精一杯、とても他民族のことまで構っていられないという人が多いように思います。でなければ、香港に対してあんなにも冷たい感じでいられるかということです。やはり日本人の劣化が進んでいるのだと思います。

日本政府も中共に対して腰を引くのではなく、キチンというべきことは言わないと。安倍首相はチベット族とウイグル族の現状に厳しくクレームつけるべきです。当然、習近平の国賓待遇はあり得ません。

記事

チベット自治区・ラサのポタラ宮

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 ダライ・ラマ14世が、1959年3月にチベットを脱出し、ヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命してから、すでに60年という月日が過ぎてしまった。

 言うまでもなくダライ・ラマ14世(以下「ダライ・ラマ」、敬称略)は、世界の仏教界の「スーパースター」である。観音菩薩の化身とされるダライ・ラマは、チベット仏教の最高指導者であるだけではない。日本をはじめとする東アジアの大乗仏教圏はもちろん、米国やフランスなど欧米先進国での精神的指導者(スピリチュアルリーダー)としての存在感は、「ロックスター教皇」(Rockstar Pope)の異名をもつローマ教皇フランシスコと同等、あるいはそれ以上のものがある。私も大ファンであり、もっとも尊敬する人物である。

ダライ・ラマ14世(2007年)(出所:Wikipediaロシア語版

 1989年にノーベル平和賞を受賞(この年に中国では「天安門事件」が起こっている)したこと、97年に公開された『セブン・イヤーズ・イン・チベット』と『クンドゥン』の2本のハリウッド映画によって、欧米先進国の一般人がもつダライ・ラマのイメージが確立したといっていいだろう。日本にはダライ・ラマはここのところ毎年のように来日されているし、とくに2011年の「3・11」後には、被災地に入って法要を営み、死者を悼むとともに被災者を勇気づけていただいたことは記憶に新しい。

 だが、チベット仏教を生み出した高原の国チベットは、現在も中国によって占領されたままであり、中国共産党による支配はすでに70年に近い。残念ながら、チベットという国は消滅したままであり、ダライ・ラマとともにインドに脱出した「チベット亡命政府」として存在しているだけだ。ダライ・ラマ自身も、祖国チベットには一度も戻ることができないままである。祖国を失って亡国の民となったチベット人は、イスラエル建国以前のユダヤ人のような存在になってしまった。

 今年2019年3月から始まり、現在なお継続中の香港の民主化デモは、1997年の香港返還に際して中国共産党が約束した「一国二制度」がすでに実質的に破綻していることを全世界に示しているが、死を恐れぬ態度を示して平和で非暴力のデモに参加している香港人の姿に、中国共産党による圧制に苦しむチベット人やウイグル人の姿を重ね合わせて見る必要があるのではないだろうか。「米中経済戦争」の当事国である米国とは異なり、私には日本での報道の仕方には問題が多く、事なかれ主義の姿勢があるように感じてならない。

 インドに脱出したとき弱冠24歳の若者だったダライ・ラマも、60年後の現在はすでに84歳の高齢であり、後継者問題は喫緊の課題となっている。前回のコラム「天皇の『継承』制度、世界の中でいかに特殊なのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57967)で取り上げたように、チベット仏教においてダライ・ラマの継承は、天皇のような「世襲」でもローマ教皇のような「選挙」でもなく、「転生」という特異な制度によっている。転生とは生まれ変わりのことだ。

 次のダライ・ラマの選定がどうなるかは、ダライ・ラマ制度そのものと、チベット人あるいはチベット仏教徒に直接かかわるだけでなく、中国情勢、ひいては「米中経済戦争」の当事者である米国を通じて世界情勢にも間接的に大きな影響を与える問題である。だからこそ、日本人はもっと関心をもった方がいい。

チベット蜂起とダライ・ラマのインド亡命

 今年2019年は、「チベット蜂起」から60年目にあたる。1959年3月11日、中国共産党の人民解放軍が進駐していたチベットの首都ラサで発生した事件である。

チベット自治区・ラサの位置(Googleマップ)
 1949年に中国大陸をほぼ制圧した中国共産党政権は、10月1日の中華人民共和国の建国後、「チベットは中国の一部であり、外国が中国の領土であるチベットを侵略することは断じて許さない」と強硬な声明を発し、翌1950年には中国共産党の軍隊である人民解放軍を侵攻させてチベット全土を制圧した。このときの人民解放軍の侵攻は、映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で描かれている。この映画は、オーストリアの登山家ハインリヒ・ハーラーの自伝を原作にしたものだ。彼は、1946年から7年間ラサに滞在し、ダライ・ラマと親しく付き合っていた数少ない外国人であった。

 チベットは「共産主義中国による侵略」を国連に訴えたが取り上げられず、孤立無援のチベットは中国による占領を受け入れざるを得なくなった。その後、チベット各地でゲリラ的な反乱が起こるようになる。

「チベット蜂起」の発端は、人民解放軍の司令官がダライ・ラマを観劇に招待したという情報を聞きつけたチベットの一般民衆が、ダライ・ラマが誘拐されてしまうのではないかと恐れて宮殿を取り囲んだことにある。この日(1959年3月10日)から、反中国共産党の「チベット蜂起」が始まった。この動乱で総計8万6000人が殺されたとチベット亡命政府は主張しているが、中国共産党は頑なに認めていない。

「チベット蜂起」後に身の危険を感じたダライ・ラマは、ついにインド亡命を決断した。3月30日に少数のお供をつれて宮殿をひそかに脱出、ヒマラヤ山脈を陸路で越えてインドに亡命した。命からがらの逃避行については、『ダライ・ラマ自伝』で本人が詳しく記述しているだけでなく、先にも触れたスコセッシ監督による映画『クンドゥン』で描かれている。「クンドゥン」(Kundun)とは、チベット語でダライ・ラマの尊称である「猊下」(げいか)のことだ。

チベット亡命政府が主張する本来のチベット(黄色部分)(出所:Wikipedia)

 チベットを武力制圧した中国の主張は、「清朝時代においてこの地域が版図に入っており、中国に宗主権がある」ことを根拠にしている。

中国はいかに国境を書き換えてきたか』(平松茂雄、草思社文庫、2018)によれば、中国は同時期に朝鮮戦争に参戦していたが、毛沢東は二正面作戦を実行してまでもチベットを押さえなければならないと決意していた。中国を取り囲む辺疆(へんきょう)のもつ戦略的重要性を十分に認識していたからだとされる。

 チベットは、インドを中心とする南アジアへの影響力を行使する際に重要である。またパキスタンからアフガニスタン、イランなど西アジアに影響力を行使する際にも、ウイグル人の居住地帯である新疆とともに地政学的に重要である。「一帯一路」を推進するためには、絶対に手放すわけにはいかないのである。こういう認識が中国共産党にあることを知っておくべきだろう。

チベット難民を受け入れたインド

 さて、インドはなぜダライ・ラマとチベット難民を受け入れたのか。

 ヒンドゥー教がマジョリティのインドであるが、じつは「政教分離」を旨とする世俗国家であり、基本的に宗教的に寛容である。はるか遠い昔の10世紀には、イスラーム化するペルシア(=イラン)から難民として移住してきたパルシー(=ゾロアスター教徒)を受け入れていることは、本コラム「Queenフレディも信者だったゾロアスター教の教え」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54819)でも触れたとおりだ。中国共産党による過酷な迫害を逃れ、1950年代後半から難民として脱出してきたチベットの仏教徒を受け入れているのは、そういう地盤があるからだと言っていいだろう。

 ダライ・ラマとチベット亡命政府は、最終的にインド政府が提供した北西部ヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラに落ち着くことになった。ちなみに、インド北西部ジャンム・カシミール州の高地ラダック地方にもチベット系の仏教徒が暮らしているが、彼らはチベットから脱出してきた難民ではない。

 チベット難民の最初の頃の苦労は、並大抵のものではなかったらしい。高原地帯で寒帯のチベットとは違って、インドの気候は亜熱帯に属しており、食文化も異なっていたからだ。インド政府から提供された土地に難民が入植しているが、かなりの苦労があったようだ。

 ダライ・ラマが亡命した当時のインドは、ネルー首相の時代であった。「第三世界」の盟主と任じていたネルー首相は、中国との関係が悪化することにつながりかねないチベット難民問題には消極的であったが、亡命を希望したダライ・ラマを受け入れ、教育を重視するようアドバイスしている。この点については、ダライ・ラマ自身も1990年に出版された『自伝』のなかで、そのアドバイスが的確なものであったことを評価している。インド亡命が一時的なものに終わらず、長期化することをネルーが見抜いていたからだ。

「民族浄化」を進める中国共産党

 チベット人にとって、切っても切れないのがチベット語とチベット仏教である。民族を民族たらしめているものが、まずなによりも母語であること、そしてチベット語によって伝えられてきたチベット仏教の伝統を、世代を通じて保持していくことの重要性については、少数民族として異民族に迫害されていない日本人にはなかなか想像つかないかもしれない。迫害を受ける少数民族が、厳しい環境のなかをサバイバルするためには、母語の維持と教育がなによりも大事なことをみずからが示しているのである。

 実際に中国統治下のチベットでは、チベット民族から母語を奪い、仏教によって培われた民族の独自性を奪う、中国共産党による「エスニッククレンジング」(=民族浄化)が現在なお進行中なのである。しかも、デジタル監視システムは、さらに高度化している。

 おなじ状況が新疆のウイグルでも進行中であることは、最近は日本でも報じられているとおりだ。ウイグル人もまた、母語であるウイグル語教育の機会を奪われ、イスラーム信仰も禁止された状態で、民族消滅の危機に瀕している。ただし、ウイグルの場合は、ダライ・ラマのような世界的に著名な指導者を持たないのが大きな弱みとなっている。

世界に広がったチベット文明

 先代のダライ・ラマ13世(1876~1933)は、遺言で次のように語っていたらしい。『ダライ・ラマの外交官ドルジーエフ-チベット仏教世界の20世紀』(棚瀬慈郎、岩波書店、2009)から引用しておこう。ソ連による外モンゴル(=北モンゴル)の社会主義化に言及しながら、チベットの将来を予言したものだ。ちなみにドルジーエフは、「英露グレートゲーム」の時代からソ連時代まで生き抜いた、モンゴル系のブリヤート族出身の僧侶である。

 赤い体制は最も勢力がある。ジェプツンダンパの転生の探索を許さず、僧院の品々を掠奪し、僧を兵にするなど、仏法が跡形なく破壊されたイフ・フレー(引用者注:現在のモンゴル国の首都ウランバートル)の有様がどのようなものであったか、聞いたことがあろう。
 そのようなことが、将来この政治と宗教の中心であるウ地方(ラサを中心とする地方)にも外部と内部から生じてくるのは確実である。そのときわが国を守ることができないならば、聖なる父子(ダライ・ラマとパンチェン・ラマ)、崇高なる護教者の伝統は跡形なく破壊され、転生ラマや僧院が持ち伝えてきた財産も奪い取られるであろう。

 チベット仏教が平和を説き、非暴力主義を旨としていたがゆえに、ソ連と並んでもう1つの「赤い体制」である中国共産党から国を守る事ができなかったのである。仏教はアイデンティティの源泉であるが、かえって足かせとなってしまった。予言は現実のものとなってしまったのだ。

ダライ・ラマ13世(出所:Wikipedia

 その一方、チベットが中国に制圧され、ダライ・ラマを筆頭にチベット仏教僧たちがインドに脱出したため、チベット仏教を中心とするチベット文明が全世界に普及することになった。このことが、中国共産党にとっては「意図せざる結果」となっているのだ。

 文明史家の伊東俊太郎氏は、『十二世紀ルネサンス-西欧世界へのアラビア文明の影響』(岩波書店、1993)で、以下のように述べている。

 ダライ・ラマがチベットから追い出されて、インドに逃れましたが、この異邦の地へ追放されて、彼やその周囲のラマ僧たちは裸一貫でチベット仏教の布教者とならざるをえなかった。そのためにかえってチベット仏教が世界化したということがあります。(・・中略・・) このような「強制されたエクソダス」による文明移転という現象は、きわめて興味深いものがあります。

「強制されたエクソダス」としてのチベット難民の発生は不幸なできごとではあったが、「エクソダスによる文明移転」の事例として、ナチスによるユダヤ人科学者の米国への亡命などと並んで、文明史的にはきわめて大きな意味をもつものと評価できるのだ、と。

 この件にかんしては、8世紀にインドからヒマラヤを越えてチベットに仏教を伝え、チベット密教の祖となったパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の予言が実現したことになる。その予言とは次のようなものだ。

 鉄の鳥が空を飛び、馬が車輪で走るとき、チベット人は蟻のように世界中に散らばるであろう。そしてダルマ(=仏法)は、赤い顔をした人びとの国にももたらされるであろう。

チベット仏教徒となった西洋人たちは、「赤い顔をした人びとの国」とは欧米諸国のことを意味していると解釈しているようだ。西洋人の著名なチベット仏教徒には、ハリウッドスターのリチャード・ギアなど多い。かれらの存在を通じて、またチベット仏教とチベット文明は、さらに全世界に普及していくのである。

「転生」によるダライ・ラマの継承

 繰り返しになるが、ダライ・ラマはすでに84歳の高齢である。後継者についての議論が活発化しているのは当然だろう。ダライ・ラマの継承は「転生」によるため、生前に後継者を指名することも、誰が継承することになるのか事前に予想することもできないからだ。

 前述したとおり、ダライ・ラマに限らず、チベット仏教世界では、高僧のラマは転生によって、生まれ変わるとされてきた。チベット仏教における転生は、輪廻転生のことである。肉体が死を迎えたあと、肉体を離れた魂は中有(ちゅうう)、すなわち49日を過ぎたのち、新たな生命に宿って生まれ変わる。世界中で「前世を記憶する子どもたち」が数多く発見されていることから考えると、転生が非科学的だと言い切ってしまうのは、それこそ非科学的というべきであろう。

 輪廻(サンサーラ)は、古代インドで生まれ、現在でも生きている思想であるが、大乗仏教としてのチベット仏教にも継承されているのである。仏教は、本来は輪廻からの脱出を目指して修行するのものだが、高僧はあえて転生を繰り返すことで輪廻から脱出せず、衆生救済のために菩薩行を実践するのである。

ダライ・ラマと転生』(石濱裕美子、扶桑社新書、2016)によれば、チベットの僧院社会が壊滅的な打撃を受けた1959年以前には2000人近くいた転生僧の系譜の大半が消滅してしまったが、亡命先で僧院社会が再建されるにつれて、ふたたび盛んになってきているという。現在では200人ほどの転生僧が存在するそうだ。転生制度を維持するためには、探索するための体制が整っていることが大事なのだ。

 各地からの報告をもとに絞り込み、直接候補者を面談をした上で最終的に決定されることになるが、転生による生まれ変わりの児童を認定する具体的なプロセスは、こういうものだ。

 転生を見つけるための手がかりは、生まれ変わる前の先代の遺言を参照する、お告げ師やシャーマンに占ってもらい暗示を分析する、夢判断などで行う。対象となる幼児は、普通の子どもとは違った特徴をもっている幼児の情報を収集する、先代の癖や特徴を有しているか、先代の持ち物を正しく判別することができるか、などがテストされる。

 ダライ・ラマ14世が「発見」されたシーンは、映画『クンドゥン』の冒頭に登場する。ここでは、先代のダライ・ラマ13世の持ち物であった仏具を、幼児が正しく選び出したことで「転生」の確証が深まったことが示されている。

1939年、4歳の幼児がダライ・ラマ13世の「転生」であることが確認される(映画『クンドゥン』よりキャプチャ)

 また、ベルトリッチ監督の映画『リトル・ブッダ』(1993年)では、現代の米国で白人の少年が高僧の生まれ変わりとして発見され、認定される一連のプロセスが詳細に描かれている。転生は、かならずしもチベット人だけに出現するわけではないが、チベット人が圧倒的に多い。

懸念される「偽ダライ・ラマ」の出現

 チベットには、ダライ・ラマに次ぐナンバー2の存在であるパンチェン・ラマがいる。パンチェン・ラマもまた、継承は転生によって行われるのであるが、亡命を選択せずチベットに残ることを選択したパンチェン・ラマ10世は、中国共産党とチベット人の狭間で波乱に富んだ過酷な人生を強いられることになった。さらに、その死後もまた大きな問題となっているのだ。

チベット亡命政府は、独自に発見した児童(名前はゲンドゥン・チューキ・ニマ)を生まれ変わりとして選出し、1995年にパンチェン・ラマ11世とした。だが、中国政府はこれを拒否したうえで、まったく別の子ども(名前はギェンツェン・ノルブ)をパンチェン・ラマ11世として指名しただけでなく、チベット側が選び出した児童が消息不明のままとなっているのだ。チベット人社会だけでなく、国際社会も中国共産党が指名したパンチェン・ラマ11世の正統性は認めていない。

 こういう状況から考えると、次の「ダライ・ラマ15世」についても、同様の事態が発生するであろうことは十分に予想される。いや、すでに事態は進展していると考えたほうがよい。中国共産党が「偽ダライ・ラマ」指名を計画しているとして、チベット人指導者たちが全世界に警告を発している(参照:「中国共産党の偽ダライ・ラマ任命計画が発覚」Bitter Winter、2019年10月6日付)。

 こうした事態に対応するため、すでにダライ・ラマ自身、今年3月には後継者はチベットではなく、亡命先のインド生まれのチベット人のなかで発見される可能性があると示唆している(参照:「ダライ・ラマ、自身の後継者はインド生まれの可能性を中国に示唆」ロイター通信、2019年3月19日付)。

 いずれにせよ、今年2019年の11月の終わりにインドで開かれるチベット仏教徒会議では、この問題が討議され、中国共産党による介入を拒絶する表明がされることになるようだ。注視する必要がある。

一党独裁より優位に立つチベット仏教の高み

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる2011年3月11日には、ダライ・ラマは政治から引退する旨の意思表示を行っている。政治的実権は別の人間に譲り渡すことによって、「聖俗分離」の形態を事前に確立しているのである。すでに亡命チベット人社会の民主化は完成しているのである。この点は、一党独裁の中国共産党とは根本的に異なるところだ。

 宗教上の指導者である1人の人格に絶対的に帰依することは、真の意味での独立心の養成にはならないという判断もあるのだろう。ダライ・ラマ自身は、科学一般に開かれた自由な精神、健全な懐疑精神、ゆるぎない信念、そして知性を行動に結びつける情熱の持ち主であり、子どもの頃から「科学少年」であったダライ・ラマは、宇宙学、天文学、生物学、とくに量子物理学への強い関心をもち、西洋の第一級の科学者たちとの真剣な対話を過去数十年つづけてきた。

 チベット仏教の最高指導者としては、みずからの死生観については達観しているだろうが、チベット人の精神的指導者としては、チベットとチベット人の行く末については、心配事も多いはずだ。ダライ・ラマは、なによりもチベット民族への強い同胞意識の持ち主なのである。

 激動の現代史を一身に体現したダライ・ラマも、生身の人間である以上、「Xデー」は間違いなくやってくる。諸行無常。一切すべては、一瞬一瞬に変化し続けているのであり、時間を止めることは誰にもできないのである。これは仏教の教えそのものでもある。

 とはいえ、肉体が滅びて、魂が新たな生命に宿って転生することになるとしても、残された者たちの喪失感と精神的な空洞はなかなか癒えることはないし、しばらくは混乱が生じることも避けられないだろう。だが、それに耐えてこそ、未来は開けてくる。

 チベット仏教のもつ精神的、倫理的な高みは、すでに実現しているチベット亡命政府の民主化と両輪となって、宗教を一切否定する一党独裁の圧政に対して優位性をもっていることは誰の目にも明らかなはずだ。チベットとダライ・ラマ制度の行く末について注視していく必要があるのは、まもなく迎える2020年代の世界について考える上で、きわめて重要なことだからである。

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