『分娩直前に投身自殺、産婦に何が起こったのか 中国の因習に原因?飛び交う憶測、遺族と病院は一転和解』(9/22日経ビジネスオンライン 北村豊)について

9/23は「防人と歩む会」の講演会に出席しました。講師は産経新聞の田村秀男氏です。緊迫する朝鮮半島情勢について説明がありました。「国連制裁決議で石油輸出が200万バレル/年というのは尻抜け。今までも中国の最大輸出数量は200万バレル。中国が北への最大の輸出国であるので何も変わらない。また中国らしく足元を見て市場価格より2割も高く売って儲けている。石油代金の支払いは鉱物資源等」、「米軍情報将校に米中戦争について聞いて見た所、戦争はないだろうとのこと。マテイスは軍人だから兵士の命を奪う戦争を避けようとする」と。講演終了後の懇親会時に田村氏に「中国の北への経済支援のやり方はスリランカと同じ。阿片戦争で清国が列強から受けた仕打ちと同じことをしている」、「もし米国が北と戦争しなければ、中国は増長して(弱い北とも戦争できないのでは)東シナ海、南シナ海に出て来るでしょう」と意見を述べました。

9/23産経ニュース<「米は北の核保有認めない」 ペトレイアス元CIA長官インタビュー>

http://www.sankei.com/world/news/170923/wor1709230040-n2.html

9/24産経ニュース<【北朝鮮情勢】中国の対北輸出25%増 1~8月に石油関連拡大、制裁骨抜き>

http://www.sankei.com/world/photos/170924/wor1709240005-p1.html

9/23日経<米中、対北朝鮮の金融封鎖で足並み 制裁強化、過去には効果>

https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM22H2M_S7A920C1FF8000/

「戦争をしない」というのもカモフラージュかもしれません。勿論、その前に国際社会が結束して北に経済制裁を課し、武器に回る金を少なくする努力が大切です。でも、相手は国民を餓死させても平気な独裁者ですから。

9/20Newsweek日本版<「クラスで一番の美人は金正恩の性奴隷になった」>

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8489.php

大躍進・文革を通しての大虐殺者「毛沢東」と同じことをしています。李 志綏 著「毛沢東の私生活」を読むと分かります。

facebook記事<トランプの国連演説に中国ネットで称賛の嵐 20170921>

https://www.youtube.com/watch?v=D4ei0X3w0_Y&feature=share

新唐人电视台(=TV局)=New Tangren Dainshitaiは法輪功ですから江沢民派に厳しいので、どれだけ真実の声が上がっているかです。注意して見ませんと。共産党当局が許したかどうかは確認が取れません。

北村氏の記事で、病院と妊婦の遺族の主張は確かに『羅生門』の「藪の中」で真実はどこまで行っても分からないでしょう。何せ平気で嘘がつける民族で不信社会ですから。

でも、痛いからと言って5階から飛び降りることができる妊婦の気持ちは理解できません。日本では胎児を殺すことは殺人罪には該当しませんが、同等の重みがあると考えるべきでしょう。無理心中と同じです。

また夫が金のかかる帝王切開を嫌がったのだとしたら、妻が当てつけで飛び降りしたのかもしれません。でも中国人の発想では新しい妻を娶れば良いで終わりでしょう。ただ一人っ子政策で結婚適齢女性が少ない中国ではそんなに簡単に相手が見つかるかどうかです。

記事

陝西省の最北端に位置する“楡林市”は、省都の“西安市”から直線で445kmの距離に所在する。楡林市は隣接する内蒙古自治区と境を接し、“鬼城(ゴーストタウン)”で世界的に名高い同自治区の“鄂爾多斯(オルドス)市”までは“毛烏素(ムウス)砂漠”を跨いで直線で140kmしか離れていない。楡林市は石炭、石油、天然ガス、岩塩などの鉱物資源が豊富で、同市の経済発展は鉱物資源産業によって大きく支えられている。

自然分娩を断固要求

その楡林市を代表する“三甲医院(大型医院)”である“楡林市第一医院”の“綏徳院区”<注1>で、8月31日の20時過ぎに、出産間際の産婦が5階分娩室の窓から飛び降り、胎児を道連れに死亡する事件が発生した。子宮口が大きく開いて分娩直前の産婦が医院の分娩室から飛び降り自殺したという特異な事件は、中国メディアによって大きく報じられ、世論を沸騰させた。メディアが報じた事件の詳細を取りまとめると以下の通り。

<注1>楡林市第一医院は、楡林市内にある“楡林院区”と市に属する“綏徳県”にある“綏徳院区”から構成された「一院両区制」を採っている。なお、規模は“綏徳院区”の方が大きい。

【1】産婦の“馬茸茸(ばじょうじょう)”は綏徳院区が所在する綏徳県の“吉鎮鎮張家峰村”の村民で26歳。馬茸茸は夫の“延壮壮(えんそうそう)”と2年前に結婚し、最初の子供を出産しようとしていた。彼女は8月30日の15時半過ぎに綏徳院区を訪れ、「出産の目安となる妊娠41週を1週間過ぎたので入院して産気付くのを待ちたい」と表明して入院を希望した。初歩的な診断を行った結果、(1)初産の妊娠42週目であり、(2)胎児が巨大化していることが判明した。そこで入院前検査を行ったところ、胎児の頭部が大き過ぎて<注2>、自然分娩は危険性が高いと診断されたので、産婦と家族にその旨を説明し、“剖宮産(帝王切開)”を提案したが、産婦も家族も明確にこれを拒否した。

<注2>一般に臨月の胎児の頭の横幅は90mm前後だが、当該胎児は99mmであった。

【2】彼らは陣痛促進ホルモンで子宮収縮を促して自然分娩することを断固要求し、『産婦入院時のインフォームドコンセント』の書類に署名した後、同書類上に「自然分娩を要求する」と明記した。また、彼らは医院側の要求により委任者を馬茸茸、受任者を延壮壮とする“授権委托書(委任状)”に署名し、「治療に当たっては患者本人の同意書を優先し、患者が正常な判断ができない状況下では受任者が患者に代わり同意書に署名する」旨を確認した。

予備の出術室の窓から

【3】8月31日10時頃、馬茸茸は5階にある“婦産科(産婦人科)”の分娩待合室へ入った。分娩待合室で待機中に陣痛は始まったものの、刻一刻と時間が過ぎて行くだけで、一向に産気付かない。夕方になって陣痛が激しくなり、馬茸茸は痛みに耐えかねてじっとしていられない様子だった。5階の産婦人科のホールには監視カメラが設置されていたが、綏徳医区は事件後に当日の18時過ぎからの映像をメディアに公開した。そこに映っていたのは次のような映像だった。

18:05 馬茸茸が分娩待合室から苦しそうな様子でホールに出て来て、夫のいる方向へ歩いて画面から消える。
18:09 馬茸茸が夫に支えられて分娩待合室へ戻る。その直後に夫と姑(夫の母)と共に再びホールへ出て来た馬茸茸は、痛みに耐えかねて夫にすがって座り込む。
18:12 夫が馬茸茸を抱き起し、何かを言い聞かせてから、分娩待合室へ連れ戻す。
18:14 馬茸茸が夫と姑と一緒に分娩待合室からホールへ出てくる。数メートル歩いた所で激痛を感じたのか、馬茸茸は夫に支えられながら座り込む。これを見て数人の看護師が駆け寄るが、馬茸茸は涙を流して苦痛を訴える。
18:16 馬茸茸は看護師たちに支えられながら分娩待合室へ戻される。
19:19 馬茸茸は腹を抱えて痛みに耐えながら分娩待合室からホールへ出て来たが、医療スタッフに制止されて検査室へ連れて行かれる。
19:27 馬茸茸は夫と姑に伴われて分娩待合室へ戻る。

【4】一般に自然分娩の産婦は出産までの時間が長く、分娩待合室で待機する間にホールへ出て家族と話をしたり、歩き回って時間をつぶす。但し、馬茸茸の場合は上記からも分かるように陣痛の痛みを感じる度合が激しかったようで、短時間に何回も落ち着きなく分娩待機室を出たり入ったりして夫と姑に苦痛を訴えていた。これは馬茸茸が他の産婦と比べて痛みに対する忍耐力が不足していたということか。事件が発生した20時頃の分娩待機室には馬茸茸を含めて5人の産婦がいたし、当直の看護師および産婦の世話をする看護助手がそれぞれ1名いた。丁度この頃、産婦の1人が出血し、看護師が彼女を分娩室へ移動させたので、看護助手がこれを助けて動き回ったために、馬茸茸から目を離した。馬茸茸はその隙をついて密かに分娩待機室を抜け出し、廊下を隔てた向こう側にある予備の手術室へ入り込んだ。

【5】手術室に入った馬茸茸がその後の10分間程をどう過ごしたかは不明だが、最後には床から1.13mの高さにある窓を開けて飛び降りようとした。丁度その時、たまたま手術室に立ち寄った看護師が窓から身を乗り出している人影を発見して駆け寄ったが、一足遅く、その人は窓から墜落した。この時、時刻は20時13分だった。人が墜落するのを目撃して動転した彼女は頭の中が真っ白になり、手足がマヒして動けなかった。意識がはっきりしてから彼女は、「手術室の窓から人が落ちた」と叫び声を上げた。これを聞いた看護助手が分娩待機室の産婦を認した結果、馬茸茸がいないことが判明した。

【6】まさか出産直前の産婦が5階の窓から身を投げるとは誰も思わないから、産婦人科のスタッフと馬茸茸の家族は手分けをして馬茸茸を探し回ったが、どうしても見つからなかった。もしかすると窓から落ちたのは馬茸茸かもしれないという話になり、6名のスタッフが1階へ降りたのは20時30分頃、彼らは懐中電灯を手にして5階の予備手術室の下に到ると、駐輪中の三輪車の荷台に横たわっている馬茸茸を発見した。彼らが馬茸茸を発見したのは20時35分、そして呼ばれた救急車が馬茸茸を300m離れた救急センターへ運んだのは20時36分であった。救急センターで懸命の救命措置が施されたが、薬石効なく馬茸茸ならびに胎児の死亡が確認された。

馬茸茸の死亡は自殺と判断されたが、馬茸茸の家族は担当医師の対応が原因であると主張した。すなわち、馬茸茸が耐えがたい陣痛に苦しんでいたから帝王切開をしてくれるよう要請したのに、担当医師がこれを拒否したために、馬茸茸は苦痛に耐えられずに自殺したというのである。最初は自然分娩とするように要求したが、分娩待機室に入ってから長時間経っても分娩が始まらず、馬茸茸が陣痛で苦しむので医師に帝王切開に切り替えるよう依頼したが、医師はすでに子宮口が10cm開いているから間も無く分娩が始まるし、今から帝王切開を行うことはできないと拒否したのだという。

遺族と病院、互いに反論

これに対して綏徳医区は9月3日に発表した「状況説明書」の中で次のように反論した。

(1)入院時点で馬茸茸と夫の延壮壮が署名した『産婦入院時のインフォームドコンセント』には、産婦側が自然分娩を要求する旨が書かれていた。これは胎児の頭が大き過ぎるから危険性があるとして帝王切開を薦めたのに対して、産婦ならびに夫が拒否して自然分娩に固執したものである。

(2)監視カメラの映像には馬茸茸が夫にすがって座り込む場面が2回映っている。これは馬茸茸が痛みに耐えかねて帝王切開にして欲しいと要望していたものだが、夫はその都度自然分娩を主張して馬茸茸の依頼を拒否していた。この結果、産婦の診察結果を記入する「看護記録」には、馬茸茸から聴取した内容として3回にわたって家族が帝王切開を拒否した旨が明記されている。

(3)子宮口が10cm開けば、分娩は間もなく始まる。その時点で家族側から帝王切開に切り替えたいと言われても、対応は不可能である。さらに、委任状の受任者である夫からは書面による帝王切開への切り替え依頼は提出されなかった。

馬茸茸の夫と姑は取材に殺到したメディアの記者に、中国版のLINEである”微信(WeChat)”を通じた夫と馬茸茸の会話記録を公表して、夫が妻をいかに愛していたかを示すと同時に、綏徳医区が産婦側の意向を無視したと訴え続けた。さらに、馬茸茸が2回もひざまずいたのは、痛みに耐えかねただけで、帝王切開に切り替えるよう要求したものではないと言明した。

ネットには憶測が飛び交う

この陣痛の痛みに耐えかねた産婦が分娩直前に投身自殺したという前代未聞の事件がメディアによって報じられると、世論は沸騰して馬茸茸の自殺原因について論じ合った。それは次のような内容だった。

【1】夫と姑が帝王切開の費用を出し惜しんだ。  自然分娩と帝王切開の費用は地域や医院の等級によって異なるが、綏徳医区のような三甲医院では、前者が4000~5000元(約6万4000円~8万円)、後者が6000~7000元(約9万6000円~11万2000円)となっている。入院が長引けば費用はさらに増える。両者の差はたかが数千元の話だが、地元の農民と思われる延壮壮には帝王切開となった場合の出費増は大きな負担になる。

【2】“吉時未到(吉日が到来していない)”からだ。  中国では“黄道吉日(大安吉日)”は万事が順調に行く日とされ、この日に出産することは「吉(きち)」とされる。特に農村地帯ではこの考え方が依然として深く信奉されている。このため、2017年3月にも湖北省で5回目の人工授精で妊娠に成功した女性が不規則な子宮収縮が始まったにもかかわらず、4月2日の黄道吉日の出産を希望して、3月28日に帝王切開を行うことに同意せず、医院に来ることを拒否する事件があった。最終的には医師が十数回電話を入れて説得した結果、予定通り3月28日に手術を行って母子ともに無事で出産を終えたが、来院しなければ母子の生命に関わる問題が発生した可能性が高い。一方、馬茸茸が入院した8月30日は黄道吉日だったが、当日に出産できなかったので、次の黄道吉日である9月2日まで出産を延ばそうとした疑いがあり、延壮壮と姑がこの因習にとらわれていたことが馬茸茸の自殺につながった可能性は否定できない。

【3】馬茸茸が自殺を図った原因は何だったのか。  陣痛がどれほど痛いものなのかは女性にしか分からないが、馬茸茸の子宮口はすでに10cm開いていていたのだから、分娩は時間の問題だった。これは個人差があるのだろうけれど、馬茸茸は1~2時間痛みを耐えれば分娩が始まり、出産が終われば苦痛は消え失せたはずである。馬茸茸がそれを我慢できなかったのはどうしてなのか。その答は馬茸茸に聞くしかないが、馬茸茸が落ち着かない様子で、再三にわたって分娩待機室からホールへ出て来て夫に苦痛を訴えていたことを考えると、馬茸茸は何度も帝王切開にしてくれるよう頼んでも拒否し続ける夫と姑に憤り、頭に血が上った結果、衝動的に自殺を図ったのではなかろうか。中国人は感情を抑えるのが苦手だから、衝動的な行動を取った可能性は十分考えられる。

和解合意、真相不明

9月7日、楡林市政府はこの事件に関する初歩的な調査結果を公表した。そこには「産婦入院時の診断は明確、インフォームドコンセントの手続きも完全、診療措置も合理的、救命措置も診療基準に適合と判断された。但し、今回の事件を通じて、綏徳医区のスタッフに突発事件防止の意識が乏しく、患者の看護が不十分であることが露見した」と書かれていて、完全に綏徳医区に軍配を上げた内容であった。なお、事件関係者によれば、9月9日の夜に綏徳医区と馬茸茸家族の間で行われていた和解協議が合意に達したという。補償金額を含む和解内容の詳細は不明だが、馬茸茸の家族がメディアのインタビューを受けない旨が条件に含まれていた。

話しは変わるが、中国は帝王切開の比率が高いことで知られている。世界保健機関(WHO)の2010年報告には、中国の帝王切開率は46%で、WHOが警戒ラインとする15%を大きく上回っているとあった。一方、2017年1月に発表された“北京大学”の“劉建蒙”教授の研究論文によれば、「中国の帝王切開率は、2008年に28.8%だったものが年々上昇を続け、2014年には34.9%になった。これは米国の32.2%よりも若干高いだけで、世界一のブラジル(56.0%)より遥かに低い」と述べている。このいずれが正しいかは不明だが、中国政府は帝王切開率の高さを認識し、“順産指標(自然分娩指標)”を各医院に指示して、帝王切開の件数を抑制しようとしていることは事実のようである。

馬茸茸事件では、綏徳医区が“順産指標”に対応するため馬茸茸に対する帝王切開を拒否したとの見方も一部の人々から出ているが、これは誤りと考えてよいだろう。

ところで、一部のメディアは馬茸茸事件を報じる記事の表題に「陝西省産婦飛び降り事件 “羅生門” 医院と家族が互いに非難」と書いた。“羅生門”と言えば芥川龍之介の小説の題名だが、中国でも1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した三船敏郎主演の映画『羅生門』を通じて多少は知られているようだ。この“羅生門”という言葉は、芥川の小説から転じて、現代の中国では「それぞれが自分に都合の良い話をして、真相不明で、何が何だか分からない」という意味で使われているという。馬茸茸事件は医院と家族の間で和解が成立して決着したが、医院も家族も自分に有利な主張を展開して相互に非難し合った。これこそ正に“羅生門”で、馬茸茸が自殺した真相は死んだ本人に聞かなければ分からない。

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