『メルケルを脅かすSPDの「シュルツ旋風」 ポピュリズム台頭に対抗するドイツ』(3/23日経ビジネスオンライン 熊谷徹)、『EUは危機打開の第1関門を通過したけれど 「極右ポピュリズム」のドミノ倒しは防げたか』(3/22日経ビジネスオンライン 岡部直明)について

欧州は米国と違い、日本国内ではあまり関心がないのではと思います。文化芸術の部分では米国より遙かに優れたものの蓄積があり、旅行へ行くのでしたら欧州へという日本人は多いと思いますが。

本記事を読みますと、ドイツでは欧州統一派のシュルツがドイツ優先主義(?)のメルケルを破るかも知れないという事のように思えます。メルケルはトランプのアメリカ・ファースト政策を批判していますが、彼女はEUの統一通貨ユーロのお蔭で、強いマルクの代わりに、ユーロ使用の欧州各国にドイツ製品を輸出して、経済的にドイツの独り勝ちの状況を作り出してきました。ギリシャ救済でも緊縮財政を要請して支援を渋る所なぞ、トランプを批判できないのでは。欧州全体の利益よりドイツ人の価値観を押し付けている形でしょう。それはそうです。各国話す言葉が違うし、伝統文化が違うものを無理やり、一つにしようとしても国民が受け入れないでしょう。欧州で反EU、反移民の嵐が吹いていますのは、グローバリズムというフィクションに国民が反旗を翻している構図です。

シュレーダーのアゲンダ2010は誤りだったというのは、端的に言えばグローバリズムが誤りだったという事でしょう。「雇用市場改革プログラム」は労働者の地位を低下させ、経営者のみが富む状況であれば、国民が犠牲になるだけです。ビル・クリントンの政策が会社の利益の90%を株主に還元することを始めてから、世界的に貧富の差が拡大したと思われます。日本の経営者は横並びが好きで、よそがやっているからウチもとなり、労働市場も自由化して、非正規労働者を増やしてきました。非正規労働者が増えれば生活が苦しくなり、結婚もできず、少子化に拍車をかけます。グローバリズムのやり方を真似したことが日本の社会に歪みを齎しました。今は労働力が足りなくなってきており、非正規労働者を正規に切り替える動きが出てきています。やっとまともになってきました。

大学でもグローバリズムの美名のもとに、中国人が爆留学してきているとのこと。3/26TV“バンキシャ”の中の「モクゲキシャ! (ニュース)」で紹介していました。概要が下記のように纏められています。世界の大学ランキングで北京大学とか清華大学とかが東大より上との解説がありましたが、週刊朝日の記事が事情をキチンと説明しています。『北京大を卒業し、東大大学院博士課程に在籍する朱偉(仮名・26歳)の回答はこうだ。「北京大が東大よりもランキング上位? そんなの中国人は誰も信じないですよ。そもそもイギリスの会社が発表したランキングで、評価基準は曖昧で欧米有利。教授の英語論文の数では日本が不利なのは当たり前だし、英語で学位が取れるコースも日本はもともと少ない。でも、少なくとも教授の質という点で東大はアジアでナンバーワンだと自分は思います。少なくとも北京大学を卒業し、アジアでの進学を考えるなら、香港大やシンガポール国立大よりも東大に行きたいと望むはずです」』と。自由のない国が学問の自由を認める訳がないのに、北京や清華大学を日本の大学より上のランクにするのはおかしいでしょう。ですから、日本の大学は外国人の入学枠を設け、制限しないと。長く税金を納めて来なかった外国人の子弟を試験だけで入学させるのは納得いきません。また中国人の研究は中国に帰れば、軍事目的に利用されます。日本学術会議の軍事研究はしないというのはおかしいでしょう。また、日本を侵略しようとする国にメリットを与えて放置するのは、愚かなことです。在日が東大や京大で研究したものが核ミサイル開発に利用されたのは有名な話です。日本人は自分以外のことにももっと関心を持つべきですし、メデイアのいう事をもっと疑ってかかるべきです。

<昨年度、東京大学や早稲田大学では外国人入学生が過去最多を記録、そのおよそ半数を中国の入学生が占めていた。1月、成田空港の到着ロビーでは男性が日本の大学を目指す中国からの受験生31人を待っていた。3月10日に合格発表が行われ今年は3012人が難関を突破した。日本にやってくる外国人留学生は増え続けている。来日した受験生が通うのは中国人専用の名校志向塾であった。中国人女性は「競争もそんなに厳しくないので日本にきてよかった」などと話した。

朱光耀さんは一昨年日本へやってきた。月20万円の仕送りを受け寮で暮らしている。朱光耀さんは「北京大学とか定員数がかなり限られていて、なかなか入れない」などと話した。中国では大学のある地域に戸籍を持つ受験生が優遇されるなど、過酷な入試制度が敷かれている。北京大学の場合去年の新入生3425人で特別枠で2027人。一般入試の受け入れは1398人だった。この一般枠も地域ごとに何人合格できるか決まっている。

上海から来た蔡蘊多さん。取材した日は1か月半ぶりの外出。蔡蘊多さんは高校生のときに日本に1年間留学していた。その時に日本の高校生の英語力が酷くて驚いた、中国だと小学校で習う内容だという。蔡蘊多さんは地方出身のハンデがのしかかり、得意な日本語をいかし東大を目指そうと決意した。中国では学歴で人を見極める社会だという。

園田茂人は「江蘇省で北京大に落ちた子と北京市で受かった子では落ちたこの方が頭がいいかもしれない。そういう子たちが東京大学の研究・教育全体の水準をあげてくれればハッピーなこと」などと話した。

東京大学の合格発表の日。蔡蘊多さんは不合格だった。しかし蔡蘊多さんは早稲田、慶応、一橋に合格していた。蔡蘊多さん「中国にいると一橋大学レベルの中国の大学には絶対に入れない」などと話した。>(以上)

http://www.news24.jp/articles/2017/03/06/07355783.html

https://dot.asahi.com/wa/2016120700209.html

本記事で、ルッテが勝ったとありますが、議席数を減らしておいて勝ったというのはおかしいでしょう。印象操作の一つです。オランダ自由党は議席数を増やしたのですから、自由党勝利と言っても良い。ドイツの選挙の前に仏大統領選がありますのでそちらに注目したいと思います。ルペンとマクロンの争いと言われていますが、どちらに転ぶかは分かりません。

熊谷記事

SPDの党大会で挨拶するシュルツ氏(写真:ロイター/アフロ)

9月に連邦議会選挙が行われるドイツ。この国の政治のダイナミズムを象徴する現象が今起きている。左派勢力のカムバックは、欧米を覆いつつある右派ポピュリズムの暗雲に対するドイツの回答だ。

3月19日、社会民主党(SPD)はベルリンで臨時党大会を開催した。最も重要な議題は、党首の正式な選出である。最も有力な党首候補は、欧州議会の議長だったマルティン・シュルツ(61歳)。1月末にジグマー・ガブリエルが党首の座を退き、シュルツが事実上内定していた。

得票率100%で党首に

この党大会で、驚くべきことが起きた。有効票を投じた605人の代議員の全員が、シュルツを党首に選んだのだ。SPDの153年の歴史の中で、党首が100%の得票率で選ばれたのは、今回が初めて。

シュルツは満面の笑みをたたえて「この投票結果は、我々が連邦首相府を制覇するという堅い意志の表れだ」と獅子吼。党員たちは座席から立ち上がり、スタンディング・オベーションを送った。年配の女性党員は「全員が立ち上がって党首に拍手を送ったのは、ヴィリー・ブラントが1964年に党首に選ばれた時以来ではないかしら」と感慨深げに語った。

シュルツ登場でSPDの人気が急上昇

いまSPDは、熱い興奮に包まれている。10年以上にわたり低迷を続けた同党が、シュルツの登場以来、猛然たる巻き返しに転じたのだ。SPDによると、今年1月以降、約1万人の市民が新たにSPDの党員になった。この「シュルツ現象」の勢いにはドイツの政治ジャーナリストだけではなく、SPDの幹部たち自身も目を丸くしている。

シュルツ現象のダイナミズムは、ここ数カ月間の世論調査の結果にはっきり表れている。公共放送局ARDが3月9日に行った調査によると、SPDの支持率は1ヶ月前の調査に比べて3ポイント増えて31%となった。今年1月に比べるとほぼ10ポイントの上昇である。

SPDはメルケルが率いるキリスト教民主・社会同盟=CDU・CSU(32%)に肉迫している。もしもSPDが左翼党(リンケ)、緑の党と連立すれば47%になり、CDU・CSUを大幅に上回る。

メルケルは2015年に89万人のシリア難民を受け入れたことをめぐり、保守勢力から厳しく批判され、支持率が低下している。ARDが実施した世論調査によると、回答者の55%が「メルケル政権の仕事ぶりに不満だ」もしくは「やや不満だ」と答えている。

左派連立政権が誕生する可能性

保守派に属するドイツ人の間では、「メルケルの政策があまりにも左傾化している」として疎外感を抱く人が増えている。このためCDU・CSUは、反EUと反イスラムを旗印に掲げる右派ポピュリスト政党「AfD(ドイツのための選択肢)」に支持者を奪われつつある。メルケルにとって最大の脅威は、これまでAfDだと考えられてきた。

しかし今年1月に突如巻き起こったシュルツ旋風も、メルケルが無視することのできない重大な脅威となりつつある。つまり、シュルツを首班とするSPD+リンケ+緑の党の「赤・赤・緑連立政権」の誕生が、急激に現実味を帯びてきたのだ。

ARDが2月初めに行った世論調査によると、「もしも首相を直接選ぶとしたら、シュルツを選ぶ」と答えた回答者は50%に達し、メルケルへの支持率(34%)を上回った。

ドイツ政党支持率調査(2017年3月9日)

資料・ARD

「アゲンダ2010は誤りだった」

なぜシュルツの人気は高いのだろうか。彼はベルリンでの党大会で「社会的公正を実現するとともに教育と家庭を重視し、労働組合との結束を強める」と宣言したが、具体的な政策はまだ提示していない。詳細は今年6月の党大会で発表する予定だ。

だがすでにはっきりしていることは、彼が社会保障を重視するSPD左派に属することだ。つまりシュルツは、1998年以来SPDを支配してきた、シュレーダー、ガブリエルという財界寄りもしくは実務派の政治家とは、一線を画す人物なのである。ある意味では、SPDが「労働者と社会的弱者を守る」という伝統路線に戻ろうとしていることを示している。そのことが、多くの党員を熱狂させているのだ。

シュルツは今年2月に、かつてSPDの党首だったゲアハルト・シュレーダーが断行した雇用市場改革プログラムを修正し、富の再配分を強化する方針を明らかにしている。2003年に実施されたこの改革は、戦後ドイツの雇用市場・社会保障制度に最も深くメスを入れた。

「アゲンダ2010」と呼ばれるこの改革で、シュレーダーは失業者に対する国の給付金を切り詰め、長期失業者の数を大幅に削減することに成功した。さらに彼は社会保障サービスの切り詰めによる労働コストの削減、人材派遣業の規制緩和など、企業の利益を増大させる政策を次々に打ち出した。この政策は、財界だけではなくCDU・CSUからも高い評価を受けた。メルケルは、2005年に首相に就任した時に、アゲンダ2010について、シュレーダーに感謝の言葉を送ったほどだ。

2009年にユーロ危機が表面化した後も、ドイツ経済が絶好調であった理由の一つは、シュレーダー改革によって、労働コストの伸び率を他国に比べて低く抑えることに成功したからだ。

だがシュルツは、「ドイツでは所得格差が拡大する一方で、不安定な仕事しか持てない人が増えている。これは、社会の主流派が過去に犯した過ちがもたらした結果だ。我が党も過ちを犯した。だが我々はそのことに気づき、過ちを修正しつつある」と述べた。

つまり、彼は「アゲンダ2010」が過ちだったとして、この改革プログラムを批判したのだ。

社会保障の拡充による富の再配分を

特にシュルツは、中高年の失業者向け援助金の支給期間を延長する方針を打ち出した。なぜ彼は、この点を問題視しているのか。

シュレーダー改革以前のドイツには、Arbeitslosengeld (失業者給付金)とArbeitslosenhilfe(失業者援助金)という2つの援助金があった。前者は税引き前の年収(上限6万2000ユーロ)から社会保険料と税金を引いた額の60%~67%を、最長32カ月支給した。また後者は、失業者給付金の支給期間が過ぎた後に、手取り所得の53%~57%を支給。その期間は、無期限だった。

シュレーダーは「失業者への援助が手厚すぎるので、賃金の低い仕事に就きたがらず、失業者でいる方が良いと考える人が多い」として、このシステムを廃止。これらに代えて、Arbeitslosengeld(第一次失業者給付金)とArbeitslosengeld II(第二次失業者給付金)という2つの給付金を導入した。

前者は、税引き前の年収から社会保険料と税金を引いた額の60~67%を支給するもの。この点は変わらないが、シュレーダーはその支給期間を18カ月に短縮した。以前のシステムに比べて14カ月も短い。

18カ月が過ぎると、失業者は第二次失業者給付金を受け取ることになる。その金額は当初西独で毎月345ユーロ(4万1400円・1ユーロ=120円換算)、東独では月331ユーロ(3万9720円)と定められた。これは、生活保護とほぼ同じ水準である。多くの年配の勤労者が、失業して1年半経つと生活保護並みに低い援助金しかもらえなくなったのである。これは多くの失業者にとって、屈辱だった。

2005年に誕生したメルケル政権は、シュレーダー改革はあまりにも厳しいと考え、58歳以上の失業者に対する第一次失業者給付金の支給期間を24カ月に延長した。さらに第二次失業者給付金の金額も若干引き上げた。

シュレーダー改革は、企業に長年勤めた後に解雇された失業者も、ほとんど働いていない若年失業者と同じく、生活保護と同水準の援助金しかもらえないシステムを生み出した。このことは、特に中高年労働者のSPDに対する怒りを増幅させた。彼らは長年にわたり失業保険制度に保険料を払い込んできた。それゆえ、若年労働者と同じ扱いを受けるのは不当だと感じたのだ。

シュルツは、これらの政策が社会の不公平感を強めていると主張している。

さらに、期限付き雇用契約についても彼は批判の目を向けている。ドイツの雇用契約は、原則として無期限だった。シュレーダーが規制を緩和し、期限付きの雇用契約を締結しやすいようにした。シュルツは、企業が期限付きの雇用契約を締結できる条件を、これまでに比べて厳しくする方針を打ち出している。

アゲンダ2010はSPDに深い傷を与えた

ドイツの雇用統計を見ると、失業者数は2005年には486万人だったが、2012年には290万人に減った。だがその一方でシュレーダー改革は、低賃金労働者を増加させた。たとえばシュレーダーは、ミニジョブという制度を作り、企業に対し社会保険料の支払いを免除した。仕事の内容はオフィスの掃除など、低賃金の職種である。

だがミニジョブだけでは、給料の額が低すぎて生活できない市民が多い。このために第二次失業者給付金を受け取っていた市民の数は、2011年の時点で286万人に達した。彼らは国から援助金をもらっているものの、一応仕事を持っているので、雇用統計上は失業者とはカウントされない。シュレーダーが失業者数を大幅に減らすことに成功した陰には、こうした統計上のトリックがあった。つまりシュレーダー改革は、米国や日本と同様のワーキング・プアー問題をドイツにもたらしたのだ。

シュレーダー改革に対して、旧東独を中心に抗議の声が上がった。SPDは州議会選挙で次々に惨敗。SPD地方支部からは、シュレーダーを批判する声が高まった。労働組合も、彼に背中を向けた。シュレーダーは2005年の連邦議会選挙で敗北して、首相を辞職し政界を去った。1998年の連邦議会選挙におけるSPDの得票率は約40%だったが、2009年には23%に落ち込んだ。史上最低の得票率を記録することになった。

シュレーダー政権で財務大臣を務めたオスカー・ラフォンテ―ヌら党内の左派勢力はSPDを去り、「リンケ」を創設した。1990年にSPDの党員数は約94万人だったが、2012年には約半分の47万人に減少した。アゲンダ2010はドイツに未曽有の好景気をもたらしたが、SPDは満身創痍となった。

庶民派首相候補・シュルツ

シュレーダーがアゲンダ2010を実施して以降、CDU・CSUとSPDの政策が似通ってしまい、両党とも独自性が見えなくなった。

つまり、SPDが「アゲンダ2010」をはじめとするネオリベラル的な政策を取り始め、労働者ではなく企業を利する党に変質したとして、市民たちは落胆した。彼らは今、シュルツが登場し「アゲンダ2010を見直すことによって、SPDが以前の姿を取り戻す」ことに強い希望を抱いているのだ。これに対してCDU・CSUと経済界は「シュルツの政策はドイツの経済成長にブレーキをかけ、再び失業率を高めるだろう」と警告している。

社会保障を拡大することで富の再配分をめざすシュルツの路線は、CDU・CSUとSPDの政策の違いを多くの市民に見えやすいものにした。

シュルツの経歴は異色だ。彼は1955年に、オランダ国境に近い、ノルトライン・ヴェストファーレン州のヴュルゼレンという人口4万人足らずの町で、警察官の家庭の五男として生まれた。1966年にアーヘンの近くのギムナジウム(大学へ進学する準備をするための高等中学校)に入ったが、1974年に中退。大学などの高等教育を受ける道は閉ざされた。

このため彼は本屋の店員になるための実務教育を受け、出版社や書店に勤務。1982年から1994年まではヴュルゼレンで書店を経営していた。彼は1970年代に一時アルコール依存症となったが、克服して1980年からは断酒している。

彼は19歳の時にSPDに入党し、1984年にヴュルゼレン市議会の議員、1986年にはヴュルゼレンの市長を務めた。1994年には欧州議会選挙で初当選し、欧州議会の社会民主党議員団の院内総務などを歴任。2012年から今年1月までは、欧州議会の議長を務めた。

つまり、シュルツは23年間欧州議会に所属し、ドイツの州レベル、連邦レベルでは議員として活動したことが全くない。ドイツ国内の政争にもまれず、シュレーダーが2003年にアゲンダ2010を断行した時にも、この国の政界から離れていたことが、シュルツにとって幸いした。前党首ガブリエルの人気が高まらなかった理由の1つは、彼がアゲンダ2010を支持したために、党内の左派から常に冷ややかな目で見られていたことである。

つまりSPDはシュルツというドイツ国内政治の門外漢を迎えることによって初めて、アゲンダ2010の呪縛から解放されることができた。髭面のシュルツは大学を出ていないせいもあり、エリート臭さがない。むしろ町工場の経営者か食料品店の店主のような、庶民的な印象を与える。

同じSPDに属しながら、イタリアの高級紳士服「ブリオーニ」をまとい、葉巻をくゆらすのを好んだシュレーダーとは、全く毛色が異なる政治家なのだ。CDUに属するヴォルガング・ショイブレ財務大臣は、シュルツについて「左のポピュリストだ」と警戒心をむき出しにしている。

首相レースは振り出しに?

ドイツの保守系日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の記者ヤスパー・フォン・アルテンボックムは、3月20日付の社説で「シュルツが登場し、連邦首相の座をめぐる競争は振り出しに戻った」と述べた。彼は、去年12月まではほぼ確実と見られていたメルケル4選が、覆されるかもしれないと主張しているのだ。

政治の世界ではモメンタム(勢い)が重要な役割を果たす。2003年以来右に振れていたSPDの振り子は、今大きく左へ戻ろうとしている。この勢いを利用したシュルツが、メルケルを破って首相の座に就く可能性も否定できない。

9月の連邦議会選挙の動向を占うカギとなるのは、3月から順次行われる州議会選挙の結果だ。まずは3月26日にザールラント州で、5月14日にはノルトライン・ヴェストファーレン州で行われる。ドイツの政治が、ますます面白くなってきた。(文中敬称略)

岡部記事

オランダ下院選(定数150)の投開票が3月15日行われ、現職のマルク・ルッテ首相率いる与党・自由民主党が33議席を獲得し、現有の40議席から大きく減らしたものの、第1党を維持した。(写真:新華社/アフロ)

欧州連合(EU)の行方を左右すると見られていたオランダの下院選は、ウィルダース党首率いる極右ポピュリズム(大衆迎合主義)政党、自由党が伸び悩み、ルッテ首相率いる中道右派の自由民主党が第1党を維持した。英国のEU離脱、米国のトランプ大統領の登場で、世界にポピュリズムが蔓延するなかで、EUはともかく危機打開の第1関門は通過した。しかし、反EUの排外主義はEU全域に浸透しており、フランスの大統領選挙はなお予断を許さない。EUが危機打開できるかどうかは、EU自身が大胆な改革に踏み出せるかどうかにかかっている。

反面教師になったトランプ流排外主義

「オランダ国民は誤ったポピュリズムに待ったをかけた」。ルッテ首相はこう勝利宣言をした。自民党は議席を40から33に減らしたが、ともかく反イスラムを鮮明にする極右ポピュリズム政党・自由党の台頭に歯止めをかけたのは、勝利だったと言えるのだろう。英国のEU離脱、トランプ米大統領の誕生に連鎖する形で、オランダで極右ポピュリズム政党が第1党になれば、フランスの極右「国民戦線」を勢いづかせる恐れがあった。それはEUの今後に深刻な打撃を与えかねないところだった。投票率が80%を上回ったのをみても、オランダ国民の間に極右台頭への警戒感が強かったことを示している。

その背景にあったのは、トランプ米大統領が実践する排外主義をめぐる大混乱だろう。大統領令による移民排斥、難民受け入れ停止など保護主義を超えた排外主義は、米国の分裂を招いただけでなく、国際社会の批判にさらされた。そんななかで、「オランダのトランプ」と言われるウィルダース氏率いる自由党が第1党の座に就く危うさを、オランダ国民は感じていたのだろう。ウィルダース氏をはじめ欧州の極右勢力はトランプ大統領の登場を「次はわれわれの番だ」と大歓迎したが、トランプ流排外主義はオランダ国民にとって「反面教師」になったのである。

オランダの選択は時代の流れを変えるか

では、オランダ国民の選択はポピュリズムの世界的潮流を変えられるだろうか。小さな国ではあるが、先進国のオランダが時代の流れを変えたことはある。冷戦末期の1980年代はじめ、米ソ間の軍拡競争はピークに達していた。旧ソ連の中距離核ミサイルSS20配備に対抗して、米国の核ミサイルが西欧諸国に配備されるなかで、西欧には核危機への不安が高まっていた。西欧に反核運動が広がるなかで、オランダ政府は米核ミサイルの配備延期を決断する。

それは北大西洋条約機構(NATO)の一員として苦渋の決断だった。当時のルベルス・オランダ首相にインタビューしたが、狭い首相執務室で頭をかきむしる若き首相の姿をいまも思い浮かべる。

NATOの結束を乱す決断に西側で一時批判が高まったが、この小さな国の選択は世界を動かすことになる。米ソ緊張から米ソ・デタント(緊張緩和)へ、そして冷戦の終結へと時代は大きく転換することになる。

世界に蔓延するポピュリズムに対するオランダの選択もまた時代の流れを変えることになるだろうか。オランダ国民の選択がそれに続く仏独の国政選挙にどんな影響を及ぼすかにかかっている。

仏大統領選にどう響くか

オランダの選挙結果に、仏独を中心に欧州の首脳たちは祝意を表明した。メルケル独首相は「欧州人として協力を続けられるのが楽しみだ」と民主主義の勝利を素直に喜んだ。フランスのオランド大統領は「過激主義に対する明白な勝利だ」と述べた。国政選挙を控えて、極右ポピュリズムへの防波堤になってくれたことを歓迎した。

最大の焦点は、フランスの大統領選挙である。4月23日に第1回投票、5月7日に決選投票が実施されるが、いまのところ極右・国民戦線のルペン党首が先頭を走り、無所属でリベラル派のマクロン前経済相が追い上げる展開になっている。一方で、当初は有力とみられていた共和党のフィヨン元首相は、家族の不透明な給与問題で苦戦を強いられている。決戦投票では、ルペン氏とマクロン氏の対決が予想されるが、極右大統領の誕生を食い止めるため左派と右派が連携できるかどうかが注目点だ。

オランダ国民の選択がルペン陣営の足を引っ張るかどうかは別にして、ルペン陣営が隣国の極右政党の台頭という追い風を受けられなくなったのは間違いない。

もっとも、オランダ選挙でウィルダース氏率いる自由党は、第1党になれなかったとはいえ、議席を8から20に伸ばしている。当初の見積もりははずれたものの、議会で影響力を発揮できる地位を確保したともいえる。仏国民戦線のルペン党首は、この極右勢力の伸長に着目している。

少なくともEU諸国で極右ポピュリズムはなお影響力をもっているとみておくべきだろう。移民問題などでオランダのルッテ首相はウィルダース氏の主張を一部受け入れることによって、第1党の座を維持した面はある。そこに政権に影響を及ぼすポピュリズムの本質がある。

フランスの大統領選も英国のEU離脱とトランプ流排外主義の影響は大きいとみられる。トップを走るルペン候補が反EU、反ユーロを鮮明にしているだけに、英国のEU離脱交渉の展開は微妙な影響を及ぼすだろう。交渉の難航が避けられないうえに、スコットランドの独立機運など「英国の分裂」を招く事態になれば、仏国民も反EU、反ユーロの極右ポピュリズムを選択しにくくなるはずだ。

トランプ米政権が排外主義を強め、地球温暖化防止のためのパリ協定を離脱する事態になれば、トランプ大統領を歓迎してきたルペン候補の足を引っ張る可能性もある。

メルケル首相は4期目に入れるか

ドイツでも右派「ドイツのための選択肢」が勢力を拡大している。といっても、ドイツの場合、右派が政権の座に近づく可能性は皆無である。秋の総選挙でEUの盟主といえるメルケル首相が4期目を迎えられるかどうかが焦点である。

対抗馬と目されるのは連立を組む社会民主党の新党首、シュルツ前欧州議会議長である。ここにきて急速に支持率を高めている。メルケル、シュルツ氏ともに筋金入りのEU主義者だけに、EUを主導する姿勢には変わりはないだろう。シュルツ氏は内政経験がないのがアキレス腱だが、社民党が前に出れば、財政規律より成長戦略という現実路線が期待できるという見方もある。

しかし、英国のEU離脱とトランプ米大統領の排外主義のもとでEUを運営するには強力なリーダーシップが求められる。メルケル首相4選への期待は高まるだろう。

「2速度方式」でEUは再生できるか

EUは反EUのポピュリズムを乗り越えて統合を進化させられるかが問われている。ユンケルEU委員長は、英国のEU離脱を受けて2025年に向けての「欧州の将来に関する白書」を公表した。そこには統合をどう進化させるか5つのシナリオを提示している。第1は現状維持、第2は単一市場の完成、第3はEU域外の国境警備などに限定・集中、第4は2速度方式(統合を進めるのに熱心な加盟国はどんどん統合を進め、熱心でない国や現状では困難な国はゆっくりで構わないという方式)、第5は連邦主義的統合、である。

現状維持から「欧州合衆国」までかなり広い視野で統合を推進する姿勢である。EUの究極の目標であるはずの「欧州合衆国」構想を1つのシナリオと位置付けているのは、危機のなかで、EUも現実的選択を模索せざるをえなくなったことを示している。

この5つのシナリオのうち、ユンケルEU委員長やメルケル独首相はじめEU主要国の首脳が推しているのが2速度方式である。防衛、治安対策、税制などでの統合推進を念頭に置いている。

EUはもともと原加盟国と後発国、ユーロ加盟国と非加盟国、移動の自由を求めるシェンゲン協定加盟国と非加盟国など、2速度方式で運営されてきているが、これをさらに広げ徹底しようというものだ。

これは現実的選択にみえるが、この構想に後発組の旧東欧圏がはやくも強く反発している。27カ国の結束を維持しながら、統合を進化させられるかどうかが問われる。

とはいえ、EUが崩壊の危機にさらされているとみるのは悲観的すぎる。2度の世界大戦を経て創設され、冷戦終結で進化したこの平和の組織は簡単には崩壊しない。危機にあってこそEUの粘り強さに着目すべきだ。オランダ国民の選択は、そんなEU市民の粘り強さを示したといえる。

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