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チュニジア旅行について(9/22~29)-4

ISIS(イスラム国、イラク・シリアを母体)は3万人の兵士の内、1万人が外人部隊で、その中でチュニジア人が一番多いと大前研一のメルマガにありました。宗教的信念からというより、貧しさからリクルートされたのではという気がします。3日夕からケロアンに泊まりました。ホテルは“ラ・カスバ”で5つ星でしたが、外見は良いのですが、水の出が悪くトイレはごみ缶にスーパーの袋を敷いて水を貯め流しました。ケロアンはイスラム教にとって、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第四の聖地と言われています。アグラブ朝の貯水池は、9世紀アグラブ朝時代に造られた中世世界では最高技術のもの。現在4つ残されていますが、当時は14の貯水池があり、その頃深刻であった水不足を解消していたといいます。グランドモスクは礼拝堂の中には入れず、写真だけでした。シディ・サハブ霊廟はモハメッドの同志で聖者、アブ・ザマエル・ベラウィが眠る霊廟。7世紀に建立。その後ケルクアンへ行き、フェニキア人の遺跡がそのまま残っていることで有名。カルタゴの遺跡はローマ時代に再建されたものなので。

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ホテル“ラ・カスバ”外から            ホテル“ラ・カスバ”の部屋            スーク(市場)

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アグラブ朝の貯水池               グランドモスク中庭               グランドモスク礼拝堂

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シディ・サハブ霊廟                シディ・サハブ霊廟              ケルクアン遺跡

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ケルクアン遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュニジア旅行について(9/22~29)-3

チュニジアの地図(2デイナール=120円くらい)をハンデイスキャナーで取り込みました。都市名はこれで確認ください。2日夕からドウーズに入り、ホテルからの日の入りを見たら赤くならず白かった。3日目にはサハラ(現地語で砂漠の意味)砂漠からの日の出を撮影。また太陽が赤くならず白かったのが印象的。サハラ砂漠は砂砂漠より土砂漠が多いとのこと。2日夕に、中学を出て働いている男子と会話。2人の弟も一緒であったが。家族は祖父母も入れて9人とのこと。「アメリカは嫌いだ」というので理由を尋ねると「アメリカはモスリムを殺すから」との返事。ガイドさんも「欧米人はルールを守らない野蛮人、文化財も盗んでいく泥棒」との話もありました。イスラム教徒は欧米人を嫌っているのが良く分かりました。泊まったホテルの「エルムラデイドウーズ」ではJICAの会議が開かれていました。ガイドさんもJICAの支援で日本に来て、親日家になっています。反日国に支援するならもっと支援すべき国はあるだろうと思いました。その後、エルジェムの円形闘技場を見学。ここはローマのものより保存状況が良いとのこと。(勿論ローマ治世時代のもの)

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砂漠の日の出                  ホテルのJICAの会議の垂れ幕         円形闘技場外側

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円形闘技場内側

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュニジア旅行について(9/22~29)-2

今日は2日目になるスースの写真を掲載します。チュニスから南東に145Km走ったところです。やはり地中海に面しています。その後、スースから南に305Km走ったマトマタに行きました。昨日誤ってスースの市場を掲載しましたのでこちらに掲載しなおします。

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スーク(市場)でマグロ            スーク(市場)でタコ            スーク(市場)を出たところ

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スース市街                  グランドモスク               マトマタ(スターウオーズ撮影場所)

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マトマタ(スターウオーズ撮影場所)バー          マトマタ(スターウオーズ撮影場所)全景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュニジア旅行について(9/22~29)-1

チュニジアの写真を多目に何日かに亘り、チュニジアの説明をします。人口1000万人、その内首都チュニスが1/10の100万人住んでいるとのこと。イスラム教でありますが、トルコと同じ世俗国家です。女性のスカーフも自由、ただ砂漠で砂が巻き上がるためスカーフをしているとのこと。1夫1婦と法律で定められています。国防予算はGDPの5%、資源のない国だから攻めてくる国もなし。日本は国会で1%を超えるかどうかで揉めますが、脅威の存在しない国ですらこの程度は負担しています。日本はおかしいと感じました。チュニジアはGDPの25%を教育に注ぎ込んでいるとのこと。授業料はただ、大学に入ればお金も貰えるとのことです。ただ、道徳教育がうまく行ってないとガイドさんが言ってました。(チュニジア時間で適当な性格らしいです。農業国でオリ-ブ、アーモンド、棗が取れますのでノンビリ生きている感じです。地中海に面し、雨がそんなに降りませんのでどこの町も埃っぽいです。車の上にも埃がいっぱい。チュニジアは石油が殆ど取れないので車はチュニジアNo(黒地に白字)が圧倒的に多かったです。

初日はチュニスに到着。チュニスの写真を並べます。

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グランドモスク外側から             旧市街の病院                  モスクの放送塔

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ホテルでの夕景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長谷川慶太郎氏『中国崩壊前夜』を読んで

昨日チュニジア旅行(9/22~29)から帰ってきました。旅行譚は写真の整理をして、明日以降掲載したいと思います。旅行中読んだ表題の本の感想を述べます。長谷川は年単位でなく月単位で差し迫って中国が崩壊するのではと考えています。習の見境のない締め付け(高級幹部の宴会禁止、高級酒や高級菓子は売れず)は経済に悪影響を及ぼし、シャドーバンキングには良いものと悪いものとがあり良いものは銀行化、悪いものは放置との政策で出資者の軍人の怒りを買っているそうです。また本ではないですが、団派の地方幹部の逮捕や団派の出世の糸口となるMBAへの高級幹部の子弟の進学を禁止したりしています。王岐山が雲隠れして大物の逮捕が取り沙汰されています。習は敵を作り過ぎて、打倒されるかもしれません。共産党主席(国家主席より上)であった華国鋒は鄧小平に打倒されました。最高権力者と言えども安泰ではないのです。長谷川は北朝鮮の張成沢の銃殺は瀋陽軍区と北朝鮮の深い結びつきを北京に戻すためにやったと言っていますが、これはかなり怪しいと思います。確かに旧満州は朝鮮族が多いですが共産党も馬鹿ではないから、7軍区のトップは反乱ができないよう頻繁に異動させます。でも経済ガタガタ、締め付けだけが厳しくなれば軍の反乱はあるかもしれません。(民衆暴動は火力が違うためすぐ鎮圧されます)。彼は軍の内乱が起き、7大軍区に分かれ、連邦制を取るのではと書いていますが、見通しが甘いと思います。強欲な漢人が他の領土を侵さないわけがなく、各軍区に核が置いてあるかどうか不明ですが、内乱時の切り札となると思います。同じ民族と言えども容赦しないのが漢人の特徴です。近くでは反右派闘争、大躍進、文化大革命がそうです。下に各軍区別の連邦になった場合の地図を載せました。蘭州と成都軍区はウイグル族、チベット族を含みますので、そんなに簡単には行かないでしょう。また分裂すれば北朝鮮の面倒は見れないので韓国に押し付けるというのが彼の考えです。もしその場合には日本の経済支援が必至、アメリカがそれで朴大統領に圧力をかけているが、「日本の世論が韓国支援を受け入れるだろうか。恐らく反対するであろう。「あれだけ反日を叫び、海外でも日本に対する当てつけ(多分慰安婦像、告げ口外交のこと?)のような行動を繰り返しているのに、困ったときだけ日本に助けを求めて来るのか」という批判は必ず出てくる。」」と。97年小渕首相の金大中大統領の依頼による通貨支援(100億$)がなければ韓国はデフォルトしていたはずです。彼は「残念ながら、今回は、自分で播いた種は自分で刈って貰うということになるだろう」と見通していますが、そのとおりで今のままで支援したら政権は持たないでしょう。また彼は、環境問題で中国は日本の技術が必要になっているが、内乱が終息し落ち着いてからの支援をと考えているようです。しかし、新幹線技術と同じで、「技術は他国には出さない」という約束を簡単に反故にすると思います。いつも言っていますように中国・韓国とは敬して遠ざけておくことが日本にとっていいことです。彼らは日本人の人の良さを利用します。政治家に対する国民の監視が大事です。

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