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上橋泉氏講演録より「絶対者との出会い」について
上橋泉氏が柏市会議員の立場でなく『21世紀の浄土思想』を著しましたが、本年3/23にその出版記念講演会があり、『宗教新聞』9/20号に全内容が掲載されましたので、表題に関する部分を抜粋する形で紹介したいと思います。小生は絶対者との出会いはありません。でも神秘体験はあります。会社勤務の時、尊敬する先輩が癌で入院、手術前に励まそうと病室を訪ね、いろいろ話をしました。でも何故か部屋が暗いのです。実は小生が訪ねた時間にはもう手術室で手術が始まっていたとのこと。科学では説明できません。その後、先輩は亡くなりました。小林秀雄も終戦後の間もないころ、酔って一升瓶を抱えながら水道橋のプラットホームから転落した話があります。ちょうどコンクリートの塊りと鉄材の間にある一間ほどの石炭殻と雑草に覆われた間に落ちて、命拾いしたというのです。 小林は「一升瓶は、墜落中、握っていて、コンクリートの塊りに触れたらしく、微塵になって、私はその破片をかぶっていた。私は、黒い石炭殻の上で、外灯で光っている硝子を見ていて、母親が助けてくれた事がはっきりした」と書いてます。
<抜粋>
道元も晩年には、「読経などしなくてもいい、只管打坐でひたすら坐禅せよ」 と言った。絶対者は本の中にはいない、 日常生活の中にいる。日々出会う人の中に絶対者は生き、日々の出来事の中に絶対者の思いが秘められている。法華経の常不軽菩薩品は、釈迦の前世の姿である常不軽菩薩について書いてある。常不軽菩薩は出会う人ごとに手を合わせ、「あなたは仏となる生命だ」と言って拝んだ。 中には怒って石を投げつける入もいたが、常不軽菩薩は石が届かないところま で逃げて、そこからまた拝んだと言う。
大衆と同じ重荷を背負ったものでなければ、大衆を導くことはできない。絶対者によって与えられる人生の課題と格闘する中で、絶対者の思いを感じ、絶対者を恋い求めて、涙を流して祈った者でなければ、絶対者に出会うこともないし人を導くこともともできない。絶対者と出会うということは、必ずしも眼前に絶対者が姿を現すことを意味するものではない。常不軽菩薩のように、同胞一人ひとりに仏の姿を見いだせば、これ以上の絶対者との出会いはない。空海の『性霊集』は空海の詩、碑銘、上表文、啓、願文などを弟子の真済(しんぜい)が集成したもので、空海の言行録である。そこで空海は、「貴方の眼が明るく開かれていれば、出会うもの全て宝となる。正しい道は遠くにあるのではない。貴方の心一つで目の前が開かれる」と述べている。キリストも山上の垂訓で「目は体のあかりである」と説いている。その目は単数形で表現されている。だから、キリストは肉眼のことを言っていな い。心の目のことを言っている。つまり、心次第で人生は明るくなり、周りの世界が姿を変えると言っている。
宗教は理屈ではなく体験の世界である。学問や家柄、過去の罪なども一切関係がない。宗教ほど平等な世界はない。私は宗教知識では梅原猛や古田紹欽に及ばないが、絶対者の声を聞いた、絶対者から直接真理を伝えられたという絶対的自信がある。絶対者と出会う体験を持たない学者に負けるはずがないという自信がある。
10/12『やぶれざるもの-天壌無窮の「国体」』セミナーに参加して
表題セミナーは日本国体学会主催で靖国会館で行われました。講師は長谷川三千子・埼玉大名誉教授とロマノ・ヴルピッタ・京産大名誉教授です。
長谷川三千子講演『神やぶれたまはず』
吉田沙保里はレスリング世界選手権で12連覇した。このまま引退すれば「敗れざるもの」になる。今日の話はそのような話ではない。この世の最後の審判を受け、神より信仰が厚いと認められ「復活」する「敗者復活」の考えがキリスト教にはある。でもこの世の戦いに敗れても神は不敗ではないかと言うこともできる。しかしこの意味でもない。「敗れる」ことが悪いことという前提に立っている。ローマに滅ぼされたエトルリア。今我々は何も分からない。文化破壊が行われたから。これを考えると「敗れる」のは悪いこととなる。日本文化は違うように考える。「敗れ去る」のが日本文化である。文化が上質なものは敗れ去った者に寄り添う形でできている。「平家物語」は一大叙事詩であるが敗れたものを中心に書かれている。私は幼いときに「源氏物語」は勝者の源氏を書いたものと思っていた。でも「源氏物語」も敗れ去った物語である。源氏が年を取り、紫の上とかも亡くなり、自分の女性たちも離れていく話である。時の流れによって敗れたものである。しかし敗れたものの考え方には落とし穴もある。「センチメンタルな同情や虐げられた者が偉い」という考え、これは嫌いです。民衆革命論にも繋がるし、弱者の視点でウジウジ、メソメソするのは負けたものの精神的退行ではないか。精神的なものがない人には退行もないが。「平家物語」「源氏物語」は高い精神性を有する。文学は何を目指すのか。ウジウジ、メソメソではない。滅びの底にある何ものかに視線を向ける。私は「時間」ではないかと思っている。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」は仏教の受け売りに見えるがそうではない。道元(1200年生まれ)の『正法眼蔵』の有事の巻で、諸行無常が一般的な時代に「時間は単に過ぎ去っていくものではない」「この世を現出させるのは時の力」と言っている。主役は平家でも源氏でもない。時の現れ方が「勝ち」とか「負け」になって現れてくる。哲学的に見据える必要がある。そうすれば「敗れ去る」「敗れざるもの」もなくなる。日本文化は仏教と親和性が強い。「モノ」は「事物」の意味ではない。消え去っていくこと事態も「モノ」と表す。「世の中は虚しいモノだ」と言い、「世の中は虚しいコトだ」と言うと違和感を感じる。「祇園精舎の鐘の声~」は「モノ」、だから「モノガタリ」になる。失っていく後を追っていくのが日本文化である。「敗れざるコト」ではない。後姿を見るのが日本文化。古事記はモノガタリでもなく、天地の始まりの話。もう一つの時の話をすると古事記の中でコトアマツカミのウマシアシカビヒコジノカミが出て来るが、時の流れに発出している。生成現出、時が流れ消失していく。ここに日本人の世界観、時間観が出来上がっている。時の現出と後姿を見る日本人。大東亜戦争の敗北も生成流れ去るホンの一瞬の出来事。キリスト教のカイロス同様、それ自体が価値を持つ。それが終戦の瞬間。国体のジレンマは頂点に達していた。「国体」の核心とは「天皇と国民互いに総てを犠牲にして良い」と考え、行動すること。君民一体である。相互的なものであって丸山眞男の「国体」批判は的はずれ。皇祖皇宗からの遺訓である。それが血肉化したもの。戦争末期、降伏受諾は天皇が処刑される可能性もあったがポツダム宣言を受諾しなければ国民の命が失われる。8/9ソ連参戦時の御前会議で天皇が受諾を決めた。互いが互いを差し出すことが実現した一瞬。勝利していればそれは実現してなかった。「モノ」「コト」でも表現できない「敗れざるもの」の稀有な瞬間であった。
ロマノ・ヴルピッタ講演『偉大な敗北と神州不滅の理』
保田與重郎の考えていた偉大な敗北と神州不滅の理から話をする。日本は滅びることはないという宗教的確信を持っていた。「神は敗られ給わず」で日本は敗れることはできない。「日本」と「国体」は深く、広いので定義できない。「偉大なる敗北」はドイツ浪漫派から取った。保田は『セントヘレナ』でナポレオンを論じ、日本武尊、木曽義仲、後鳥羽上皇も論じた。英雄には負けたからなった。国民の英雄になるには敗北、不運な死が必要である。負けた人に対する「判官贔屓」である。薄命の英雄に対する同情である。英雄は個人的なドラマであって歴史解釈の問題。英雄の敗北と国家の敗北の意味は違う。英雄の敗北は国民の心に残るが国家の敗北はそれを超克して生きる、復活するということ。
- 日本の敗北は偉大かどうか 2.偉大だとすれば国民の記憶に残っているか。理解しているか。
1.については偉大であったと思う。矢弾が尽きたので止む無く敗北した。戦闘継続の意思はあった。その観点で言えば8/15の敗北は偉大であった。疑う余地はない。
2.については9/2まで戦闘継続していたが外国軍の占領という屈辱的なことが始まる。講和条約締結まで主権を失う。昭和27年4月28日に締結したので占領終了して、4/29から主権国家になった。8/15の不名誉な敗北で総べての価値観が覆り、勝利者に媚びた。「マッカーサー通り」なんてとんでもないと思う。広島にも同じく「マッカーサー通り」がある。気持ちが分からない。占領の後遺症で国民の資質が変わってしまった。日本の歴史の中では例外的なこと。「一億総玉砕」から生き延びて「死に損なった(=不名誉なこと)」ためどうなっても良いと考えてしまった。「葉隠」には「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。偉大なる敗北かどうかは個人の問題。兵士の死は偉大であった。敗北の偉大さを戦後日本人は感じていたのか。日本の美点である薄運の英雄に対する同情がなくなった。日本人の歴史観は仏教の影響を受けている。負けたから戦争したのが悪い、犬死だ、東京裁判史観に立脚するのは結果論であって唐心(からごころ)である。
神州不滅というのは日本は永遠なることの意味である。日本は神により不滅と決められている。楽観的確信がある。保田は楽観的ではなかったが。宗教的確信に甘えるのは良くないと思っていた。国破れた後でも不滅・復活し、戦前日本の輝かしい未来を予言していた。それで大東亜戦争を称賛していたが戦況悪化してきて日本は敗けても不滅と言った。永遠の時は歴史の超克より上である。「国体」とは稲を養い、新嘗祭で神に報告、日本の暮らしを守ることである。一人の日本人になっても守れれば良い。今は大東亜戦争が継続されている。8/15当時より今は最も深刻な事態になっている。日本人の決意が試される時である。
10/11「士気の集い」・有本香講演会『常在戦場 私たちは常に武器を用いない戦いの中にある』を聞いて
保守派セミナーの「士気の集い」には創設近くからボランテイアとして関わってきました。昨年9月故あって辞めざるを得なくなり、ずっと疎遠のままでしたが代表交代もあり、10/10に新代表からメールで「10/11ボランテイアが少ないので手伝ってほしい」と連絡を受け、応援に行きました。受付と会計をした都合上、前半30分は香港の情勢でしたが、聞く余裕はありませんでしたのでそれ以降について紹介したいと思います。なお、講演終了後有本先生とロシア大使館付駐在武官(講演参加者)と飲みながら話をしました。
- CCTV(中央電視台、中国のNHK的なもの)は13ケ国語で報道している。アメリカではCNNと見まごうほどの放送の仕方をしている。翻ってアフリカでは徹底的にアフリカナイズして作る。情弱であるのでその国のNHKのように思われるような作りをしているということ。中国が簡単に情報操作できるようになる。
- NHkのWorld放送は単に日本の番組を英語に翻訳して放送しているだけ。(戦略の欠片もないということ)。中国は昔から戦闘に弱いので情報戦、宣伝戦で勝ってきた。Voice of Americaやラジオ自由アジアはアメリカのプロパガンダ機関である。Voice of AmericaはワシントンDCのキャピタルヒルズの一角にある。彼らの報道について正確かどうかは割り引いて聞く必要がある。アメリカの意図が働くし、そこで働く人々の考えが入るので。ラデイア・カーデルの側近と会ったことがある。学生運動のリーダーをしていた人物で、中国から出た瞬間イギリスが接触してきてカナダ国籍を簡単に取得できたとの話。
- 日本の情報戦への対応はおっとりし過ぎ。応戦しなければダメ。お金を政治的意図を持って使っているか。隣国にお金を使ってモンスターを育てただけでは。日露戦争時の情報戦(明石元二郎のこと)のようにしないと。オバマは「中東にはアメリカとして戦略はない」と言ったことに対しアメリカメデイアは報道しなかった。アメリカもリベラルが行き過ぎている。
- メデイアそのものが意思を持っている。媒体(触媒のイメージか?)であるがプロパガンダ戦争で重要な位置を占める。自由世界と言えど同じ。憑依(政権に?)されている。ロシア大使館やボイスオブロシアは欧米のメデイアとは違った見方をする。当然ウクライナ情勢も。
- 日本のメデイアは一方に偏って報道する。(左から右まで)もっと選択肢を増やす必要がある。ソフトパワーの武器、情報戦の武器なので。韓国のように低い次元でなくCCTVのように。朝日新聞はクオリテイペーパーと言われてきたが、詐話師の話を裏付けもなく簡単に信じて報道するとは何とお粗末なことか。(小生は謀略で報道したと信じてます。単純ミスではありません)。責任は免れない。フリーの仕事でも外に出す(記事等発表)ときは緊張する。でも体験談の時は100%の裏は取れない。チベットやウイグル人は過酷な体験をしてきているが、それでも人間記憶違いはある。でも朝日の慰安婦の場合、他所からいろんな証拠が出ていたのに。
- 朝日の記者二人と会った。申し訳なさそうに「中国・韓国に阿る報道だけではない」と。確かにチベットの報道をしていたのは産経でなく朝日。08年チベット騒乱も。ウイグルについても朝日の方が早かった。でも伝え方がおかしいのも多い。朝日は戦後体制を生き延びるため右から左に大きく振れた。昔は戦争を煽ったのに。GHQが来てから変わった。朝日社に入れば会社の方針に従って記事を書く。GHQのメデイアコントロールの影響である。戦争もアメリカの目を通した記述とならざるを得ない。日本人は薬が効きすぎる。あるメデイア関係の中国人が言ったのは「日本人は注射一本すれば後は全部日本人がやってくれる。こちらの意図通り報道する」と。真面目だから。(単なる馬鹿ではないか?)
- ニューヨークタイムズにはアメリカ人から見ても疑問に思われる報道がある。朝日は人民日報、NYタイムズと提携している。昔で言えばコミンテルンから人が送り込まれるようなもの。思想にかぶれる人がいる。集団となればそれが善になる。でも外国人が株を持って意図的に発言することもありうる。メデイアは当てにならないと思った方が良い。
- 日本のメデイアは言われているほど偏向報道はしていない。勝手に自主規制しているだけ。朝日の言ってることに合わせるだけ。それがカッコ良いと思っている。TV局がああせいこうせいとは言わない。事実でないことを裏を取らずに記事にするのはダメ。新聞は正確性は要請されるが、中立性は維持しなくても構わない。社論が右であれ左であれ消費者が売り上げの形で判断するので。TVは公共の電波を使うので中立性も要請される。左右の人を集めて議論するが底が浅い。TV離れが起きるのは当然。
- 企業広報していたときに3Fを心に留めて仕事をした。Friendly, First, Frequentlyである。
- 韓国は90年後半から日本で好感度高くなっていた。でもその裏で戦時徴用の委員会を立上げ着々準備していた。日本のメデイアは報道しなかった。フレンドリーな態度の裏で陰謀が進んでいた。(日本人は単なる馬鹿なだけです。世界から見れば)。日韓友好が良いと思ってしまう。騙し合いの世界でやられている。でも韓国はやり過ぎて嘘がばれてしまってきている。日本人はもう韓国人は勘弁してと思ってきている。その点英米はスマート。中韓と同じことをすることはない。
- 我々の言論を止めることはできない。ただリベラルがカッコイイと思っているだけ。10年前にはプロクレーマーがいてTV局に(右の発言をすると)クレームがついた。今それができない時代になった。メデイアは世論をリードするが、世論が変わればメデイアも変わらざるをえない。視聴率が上がればそれに類した番組が増えていく。
倉山満著『保守の心得』を読んで
作者と考えているところが同じであるというのが読後の印象。問題意識が同じということです。第二次大戦敗戦後、GHQの政策に意識的か無意識的か分かりませんが、その指示通りに生きてきた日本人に「自分の頭で考えろ」と突きつけているのがこの本だと思います。詳しくは是非自分で手に取って読んで戴きたいと思います。本とは関係ありませんが「保守」とは何かと問われれば「変えてはいけないものを守るために変える」ということだと思います。
「ニーバーの祈り」が一番フィットすると思います。
「神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」と。
P.26には「問題は彼ら語る暴論が七十年にわたって浸透してきたことです。中学入試から大学受験、高級官僚になるための公務員試験や司法試験までありとあらゆる試験でこの手の暴論は出題されています。間違った価値観に染まった人たちを説得することは厄介な作業です。」とあります。難しい公務員試験や司法試験をパスするには、「アメリカが押し付けた憲法を守らなければいけない」と脳内に刷り込まなければ通らないということです。「ノーベル平和賞の候補として憲法9条を」と推薦した主婦がいると言ってましたがどうせ共産党員かそのシンパでしょう。日本を弱体化して極悪中国共産党に売り渡すのが彼らの目的ですから。
P.150~151は「敗戦直前「スターリンに米英との和平を仲介してもらおう」となりましたが、このときの日本政府は正気の沙汰ではありませんでした。案の定、スターリンにいいようにあしらわれ 满を持してソ連軍は中立条約を破って満洲になだれ込み、一説には現地にいた日本人女性の九割が中絶か自殺をしたともいわれる阿鼻叫喚の地獄絵図となりました。 外文上の失敗を反省しない日本人と、今のプーチンでは格が違いすぎます。ロシアと中国は毛沢東とスターリンのころから敵国のようにして苛烈な同盟関係を続けています。お互いが最大の仮想敵であるため、同盟を結んでいるようなものです。「同盟は続けるが、むかつくのでチャイナ夕ウンは焼き討ち」みたいなことを自前のヤクザを使ってやりかねないのがプーチンです。一方の中国も、プーチンの故郷、サンクトペテルブルクにチャィナ夕ウンをつくるだけでは飽き足らず、 シベリアにどんどん移民(棄民とも言います)を流入させています。それでも、上海協力機構の同盟国であり、「仮想敵は中央アジアのイスラム原理主義者だ!アメリカがアルカイダを討伐するなら我々も文明国として協力する」などとぬけぬけと言い張るのが彼らです。日本とロシア、それにアメリカが組み、中国包囲網を築くという意見もありますが、ロシアが中国との関係を簡単に切ることはありません。そもそもロシアからすれば、アメリ力はまだしも、日本はものの数に入っていません。なぜなら包囲網は組むだけでは勝てないからです。各個撃破されてしまえぱ、何の意味もない。米中日の三か国で、軍隊を持たない日本は圧倒的に劣っています。プーチンは日本のような弱い国と組んでまで中国の機嫌を損ねたいとは思わないでしょう。「敵国のような同盟国」という微妙なバランスを保っている相手に対し、わざわざ余計な波風を立てる必要はないからです。つまり、現実的にはロシアと協調して付き合う方法はありません。プーチンという人はリップサービスの名人です。」と言ってルトワックとは違った見方をします。勿論ロシアに全幅の信頼を置くのは無理です。(それを言えばアメリカも同じです。所詮別の国なので)でも戦略的に手を結ぶようにするのは可能と思います。
P.192~193ではイギリスは日本と違い司法判断より選挙の結果が重視されると述べています。間接民主主義の基本は代議制で統治者を選ぶ仕組みですが、選挙を経ずに試験に受かった人間の判断が選挙で選ばれた人の判断より低位に置かれるのはおかしくはないかということです。民主主義が正しいという前提なら当然で、日本は最高裁の判断を金科玉条のように有難がりますが良く考えるとおかしな話です。「第三節違憲か合憲かは総選挙が決める憲法習律について、別の例を挙げましょう。イギリスの首相には、日本のような首班指名選挙というものがありません。総選挙で第一党になれば、党首が自らバッキンガム宮般へと足を運びます。このときに乗っていくのは、私用車です。党首は国王の前へ赴き、総選挙の結果を報告します。すると、国王がその場で「あなたを総理大臣に任命します」と 告げ、党首は公用車に乗って帰ります。つまり、政権の空白が発生しない構造になっています。もし国王が、党首を任命するのが嫌ならば、宮殿の中に入れないとか、任命を拒否することもできます。ただし、代わりに革命が起こっても責任を取る覚悟があるのか、と国民から問われることになります。当然、そんな覚悟のある国王はいないので、憲法習律によって任命が行なわれます。しかし、政局が混乱しているときはこの範疇にありません。国王が自身で判断をすることもあります。だからイギリスでは、第一党が単独過半数を得ていない政局を「situation near the revolution (革命に近い状況)」と呼びます。前回のイギリス総選挙では、ブラウン元首相を党首とする労働党が保守党に敗北し、第ニ党に転落しました。しかし、第三党となった自民党と組めば、まだ過半数に届きます。 早速、政権維持工作を始めようとしたところ、幹部のなかから「そんなみっともないことはやめろ」という声が上がり、労働党は政権を諦め、保守党のキャメロンがバッキンガム宮殿へ報告に行きました。なぜ労働党の幹部は、「みっともない」と良識を発揮できたのでしょうか。もし多数派工作をして政権を維持したとしても、次の総選挙で国民から壊滅的なダメージを制裁として与えられることがわかっているからです。イギリスの場合、憲法違反かどうかは、総選挙の勝敗によって決まります。総選举にさえ勝てば、何をやっても許される、国民から合憲の推定を受ける、という運用なのです。 複雑な運用ですが、いったんできあがってしまえば、これが一番うまくいく方法だと思 います。イギリス憲法はまさにこの憲法習律で成り立っているのです。」
週刊新潮10/16号の藤巻健史の記事について
2012年1月に発売された藤巻健史の書いた本『なぜ日本は破綻寸前なのに円高なのか』を読んだ時にも感じたのですが、今回の週刊新潮の記事でも疑問は氷解しませんでした。何故日本で「ハイパーインフレ」が起きるのか論理的な説明がありません。1000兆円を超える国債残高にそれを求めているようですが、369兆円の借金の時から1000兆円になってもまだ全然インフレになっておらず、2%の物価目標も実現できるかどうか怪しいときに「ハイパーインフレ」と騒ぐのはためにする議論なのでは。10/9長期金利は0.485%で日本円は安全資産ということで金利が低くなっています。日銀の国債購入で低くなっている面もあると思われますが。高橋洋一に言わせれば、負債に見合った資産を持っているので心配することはないという意見もあります。また8月の経常収支も黒字で円安のため所得収支が増えます。メーカーが生産拠点を海外に移してきたため、貿易黒字を稼ぐのは難しくなってきていますが、その分所得収支が増えていきます。また原発を稼働させれば貿易赤字も減っていきます。また本日の日経はアメリカの金融緩和縮小の行方も分からないと言ったニュアンスの記事を載せています。藤巻の言うように$資産を持つことが正しいのかどうか。世界(特にロシアと中国)は$の基軸通貨を止めさせたいと願っているし、少なくとも$の占めるシエアを下げようとしているので。日本の株を持つ方が良いのでは。
<藤巻健史の週刊新潮10/16号の記事>
「これほど巨額の借金を抱えた日本は近い将来、財政破綻するか、ハイパーインフレに陷いる。そうなると、 株も円も大暴落する」。私は、日本の累積赤字が まだ369兆円だった1997年から、一貫してこう 言い続け、警鐘を鳴らしてきました。だから、この間、「保険のために、ドル資産など先進国の外貨を買って海外に資産を逃がし、自己防衛をはかるべきだ」と提唱し、自らも実践してきたのです。財政破綻した時には、国は助けてくれない。自分の身は自分で守るしかないのです。外貨シフトはまだ間に合う。では、 どうやって資産防衛を行うのか。それは、後で詳述したいと思います。
今現在、円が急落していますが、この円安ドル高はさらに進行すると思います。 世の一部からは“日銀の量的緩和の効果もあって、円安になり、藤巻の予言は当たった”“自分も預貯金をドルに換えておけば、儲かったのに”という声が聞こえてきます。『日本大沈没』などの書を著した私は、これまで、金融の実務経験のない多くの学者やエコノミストから、“業界のピエロだ”“大法螺吹きで、気が触れている”などと鼻で笑われてきました。しかし円安ドル高の進行は私が予言した通りです。ただし、今回の急激な円安は、日銀の量的緩和によるものではありません。2013年4月に黒田東彦・日銀総裁が“異次元の量的金融緩和”を打ち出した頃、 円は1$ =97円でした。その後の1年で、マネ夕リーべース(日銀の資金供給残高)が、約209兆円と74兆円も増えたのに、円は1ドル=102〜103円に留まり、為替はたった5円ほどしか動かなかったじゃないですか。むしろ、巨額負債を抱えた現下の円急落は、 日本経済の財政破綻やハイパーインフレの前兆であり、次節柄、不謹慎かもしれませんが、“火山性微振動”である可能性が高いと言わざるを得ないのです。
<10/8日経夕刊記事>
8月の経常収支
「単位は億円。カッコ内は前年同月比%、▲は赤字または減少」
2014年8 月
▽経常収支 2,871
(82.7)
貿易•サービス収支 ▲10,826
貿易収支 ▲8,318
輸出 56,492
(1.0)
輸入 64,809
(2. 3)
サービス収支 ▲2,508
第一次所得収支 15,199
第二次所得収支 ▲1,503
▽資本移転等収支 ▲114
▽金融収支 6, 790
▽誤差脱漏 4,034
<10/10日経記事>
円相場が一時1$=110円台をつけた1日、ニューヨークの投資銀行ブラウン•ブラザーズ•ハリマンのオフィスで顧客からの電話がひっきりなしに鳴り響いていた。「来年初め115円も射程に入る。久々の大相場だから休む暇もないよ」。 ロンドン出張から戻ったばかりの通貨戦略部門のヘッド、マーク•チャンドラー (53)は息を弾ませた。
チャンドラーはウオール街きってのドル強気派だ。景気や金利が日欧より先に上向くドルは上がるとみるシナリオは米連邦準備理事会(FRB)の緩和姿勢でお預けになっていた。来年の利上げが既定路線となり、ついにドル買いの号砲が鳴った。 「強いドルは米国にとって常に望ましく、それは今も変わらない」。9月17日、カリフオルニア大口サンゼルス校で学生らと対話した現財務長官のジャック・ルー(59)はドルについて聞かれ、言葉を選びながらも語った。「世界の関心事はどうすれば米国のように成長できるかだ」。1995年に民主党のクリントン政権下で財務長官 に就いたロバート•ルービン(76)は「強いドルは国益」と 掲げ、表向き20年近くも路線は引き継がれてきた。
現実は単純でない。公式見解を保つルーとは対照的に、FRB議長のジャネット•イエレン (68)の側近でニューヨーク連銀総裁のウイリアム・ダドリ—(62)は9月22日、米ブルームバーグ社主催の会合で懸念をロにした。「ドルが大幅に上がれば成長への影響を伴う。雇用と物価の2つのFRBの目標は達成が難しくなる」。直前の16〜 17日に開かれた米連邦公開市場委員会.(FOMC)でもドル高を危ぶむ声が相次いだ。
9月25日、サッカー・ワールドカップ(W杯)効果も追い風に好調のスポーツ用品大手ナイキの最高財務責任者(CFO)、 ドナルド・ブレア(56)は決算会見に臨み、国外での売り上げを目減りさせるドル高について沈んだ声で答えた。「今年度は 為替の要因を除けば10%台前半の増収を見込むが、ドル高で1 〜2%は落ちそうだ」。 ドル高に敏感な企業の肉声は 「開かれた連銀」を掲げるダドリーに刻々と伝わる。ニューヨーク連銀は7月、「円安が思いのほか日本の利益になっていない」とする報告もまとめた。どこまでが国益なのか。米当局は容認できないドル高の臨界点を 静かに探り始めた。(敬称略)
