作者と考えているところが同じであるというのが読後の印象。問題意識が同じということです。第二次大戦敗戦後、GHQの政策に意識的か無意識的か分かりませんが、その指示通りに生きてきた日本人に「自分の頭で考えろ」と突きつけているのがこの本だと思います。詳しくは是非自分で手に取って読んで戴きたいと思います。本とは関係ありませんが「保守」とは何かと問われれば「変えてはいけないものを守るために変える」ということだと思います。
「ニーバーの祈り」が一番フィットすると思います。
「神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」と。
P.26には「問題は彼ら語る暴論が七十年にわたって浸透してきたことです。中学入試から大学受験、高級官僚になるための公務員試験や司法試験までありとあらゆる試験でこの手の暴論は出題されています。間違った価値観に染まった人たちを説得することは厄介な作業です。」とあります。難しい公務員試験や司法試験をパスするには、「アメリカが押し付けた憲法を守らなければいけない」と脳内に刷り込まなければ通らないということです。「ノーベル平和賞の候補として憲法9条を」と推薦した主婦がいると言ってましたがどうせ共産党員かそのシンパでしょう。日本を弱体化して極悪中国共産党に売り渡すのが彼らの目的ですから。
P.150~151は「敗戦直前「スターリンに米英との和平を仲介してもらおう」となりましたが、このときの日本政府は正気の沙汰ではありませんでした。案の定、スターリンにいいようにあしらわれ 满を持してソ連軍は中立条約を破って満洲になだれ込み、一説には現地にいた日本人女性の九割が中絶か自殺をしたともいわれる阿鼻叫喚の地獄絵図となりました。 外文上の失敗を反省しない日本人と、今のプーチンでは格が違いすぎます。ロシアと中国は毛沢東とスターリンのころから敵国のようにして苛烈な同盟関係を続けています。お互いが最大の仮想敵であるため、同盟を結んでいるようなものです。「同盟は続けるが、むかつくのでチャイナ夕ウンは焼き討ち」みたいなことを自前のヤクザを使ってやりかねないのがプーチンです。一方の中国も、プーチンの故郷、サンクトペテルブルクにチャィナ夕ウンをつくるだけでは飽き足らず、 シベリアにどんどん移民(棄民とも言います)を流入させています。それでも、上海協力機構の同盟国であり、「仮想敵は中央アジアのイスラム原理主義者だ!アメリカがアルカイダを討伐するなら我々も文明国として協力する」などとぬけぬけと言い張るのが彼らです。日本とロシア、それにアメリカが組み、中国包囲網を築くという意見もありますが、ロシアが中国との関係を簡単に切ることはありません。そもそもロシアからすれば、アメリ力はまだしも、日本はものの数に入っていません。なぜなら包囲網は組むだけでは勝てないからです。各個撃破されてしまえぱ、何の意味もない。米中日の三か国で、軍隊を持たない日本は圧倒的に劣っています。プーチンは日本のような弱い国と組んでまで中国の機嫌を損ねたいとは思わないでしょう。「敵国のような同盟国」という微妙なバランスを保っている相手に対し、わざわざ余計な波風を立てる必要はないからです。つまり、現実的にはロシアと協調して付き合う方法はありません。プーチンという人はリップサービスの名人です。」と言ってルトワックとは違った見方をします。勿論ロシアに全幅の信頼を置くのは無理です。(それを言えばアメリカも同じです。所詮別の国なので)でも戦略的に手を結ぶようにするのは可能と思います。
P.192~193ではイギリスは日本と違い司法判断より選挙の結果が重視されると述べています。間接民主主義の基本は代議制で統治者を選ぶ仕組みですが、選挙を経ずに試験に受かった人間の判断が選挙で選ばれた人の判断より低位に置かれるのはおかしくはないかということです。民主主義が正しいという前提なら当然で、日本は最高裁の判断を金科玉条のように有難がりますが良く考えるとおかしな話です。「第三節違憲か合憲かは総選挙が決める憲法習律について、別の例を挙げましょう。イギリスの首相には、日本のような首班指名選挙というものがありません。総選挙で第一党になれば、党首が自らバッキンガム宮般へと足を運びます。このときに乗っていくのは、私用車です。党首は国王の前へ赴き、総選挙の結果を報告します。すると、国王がその場で「あなたを総理大臣に任命します」と 告げ、党首は公用車に乗って帰ります。つまり、政権の空白が発生しない構造になっています。もし国王が、党首を任命するのが嫌ならば、宮殿の中に入れないとか、任命を拒否することもできます。ただし、代わりに革命が起こっても責任を取る覚悟があるのか、と国民から問われることになります。当然、そんな覚悟のある国王はいないので、憲法習律によって任命が行なわれます。しかし、政局が混乱しているときはこの範疇にありません。国王が自身で判断をすることもあります。だからイギリスでは、第一党が単独過半数を得ていない政局を「situation near the revolution (革命に近い状況)」と呼びます。前回のイギリス総選挙では、ブラウン元首相を党首とする労働党が保守党に敗北し、第ニ党に転落しました。しかし、第三党となった自民党と組めば、まだ過半数に届きます。 早速、政権維持工作を始めようとしたところ、幹部のなかから「そんなみっともないことはやめろ」という声が上がり、労働党は政権を諦め、保守党のキャメロンがバッキンガム宮殿へ報告に行きました。なぜ労働党の幹部は、「みっともない」と良識を発揮できたのでしょうか。もし多数派工作をして政権を維持したとしても、次の総選挙で国民から壊滅的なダメージを制裁として与えられることがわかっているからです。イギリスの場合、憲法違反かどうかは、総選挙の勝敗によって決まります。総選举にさえ勝てば、何をやっても許される、国民から合憲の推定を受ける、という運用なのです。 複雑な運用ですが、いったんできあがってしまえば、これが一番うまくいく方法だと思 います。イギリス憲法はまさにこの憲法習律で成り立っているのです。」