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1/19日経ビジネスオンライン 御立尚資(ボストン コンサルティング グループ日本代表)『高まる2015年の地政学リスクの不安 日本企業は柔軟に戦略の見直しや変更を』について

 

ユーラシア・グループの本年のリスクについてですが、一読して欧米中心に見ている気がします。日本人にとっては中国問題を一番に挙げたいところです。アメリカが弱くなったと言われていますが、大統領がオバマだからです。中国の領土を巡る傲慢な振る舞い、イスラム国の恐怖統治の蔓延を許してきたからです。本来ロシアのウクライナ問題をうまく処理していれば、そちらにもっと力を入れることができたのではないかと考えます。日本が入っていませんが、中国の尖閣を巡って小競り合いがあるとは思ってないということでしょう。台湾回収の方が優先順位として高いと中国人は思っているハズです。台湾の総統選は来年なので今年は台湾側での動きがあるとは思えません。馬総統がひまわり学運を誘発したようなことをしなければ大丈夫でしょう。彼にそんな力はもう残っていないと思います。昨年11月の地方選挙の結果で国民党の党首を下りたくらいですから。

イスラム国の人質問題では「テロには屈しない」態度が重要です。彼らは宗教者でなく、単なるアウトロー、ギャングと一緒です。誘拐犯に屈して身代金を払うことはありません。でも日本人はどうして簡単に外国人を信じてしまうのか。貧しい国では簡単に裏切ります。政府の各国への働きかけ、特に部族の長への対応がポイントと思います。

記事

『「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか』(日本経済新聞出版社)で知られるイアン・ブレマー氏。彼が率いるユーラシア・グループから、毎年恒例の本年のトップリスクが発表された。ブレマー氏は「2015年は、地政学回帰の年」であるとした上で、冒頭で「1998年にユーラシア・グループを設立して以来初めて、はっきりとした地政学的『不安』を心の底に感じるようになっている」と述べている。

 トップ10のリスクリストを眺めると、従来同様、リスク要因は世界に広がっているが、その顕在化可能性の高さ、それにいざ顕在化した際のインパクトの大きさが、この不安の大きな要因なのだろう。

 発表された10のトップリスクのうち、私自身が最も気になるのは、1位と2位に挙げられたものだが、まず10のリスクすべてをご紹介しておこう。

1 欧州の政治状況
2 ロシア
3 中国の経済成長鈍化の影響(中国市場に依存する一次産品輸出国(ブラジル、オーストラリア、インドネシア、タイ)の政治・経済へのマイナスインパクト)
4 金融の武器化(米国が伝統的な軍事パワー活用を回避し、自国の資本市場・金融サービスへのアクセスを安全保障上の手段として活用する動き。そして、それへの対抗として、中国によるアジアインフラ銀行のような独自金融システムの拡充)
5 イスラム国のイラク・シリア以外への影響拡大(昨年のような驚異的な軍事的成功は見られなくなろうが、影響下にある組織のイエメン・ヨルダン・サウジアラビア・エジプト・リビアへの拡大)
6 脆弱な現職政権(ブラジル、南アフリカ、ナイジェリア、トルコ、コロンビアでの現政権の脆弱さが政治・経済の停滞や混乱を招く可能性)
7 戦略的経済領域の増大(ITCなど国が安全保障などの理由で影響を行使する領域が拡大。一方、中国でのグーグルの例にみられるように、対抗して相手国企業への制約を課すことも増大)
8 サウジ対イラン (スンニ派、シーア派それぞれの盟主が、自国に近い勢力にテコ入れをすることで、イスラム圏各地で代理戦争状態が激化。イエメン、イラク、シリア、レバノン、バーレーンが典型例)
9 台湾・中国問題 (2014年11月の台湾選挙での野党民進党の躍進を受け、対中強硬派が台頭。それを受けて、中国政府も強硬策を取る可能性)
10 トルコ (エルドアン大統領の政治的動きに起因する政治・経済の混乱リスク)

リスト上の順番にはいろいろ意見もあろうが、どれも「なるほど、今年はかなりこのリスクが高まるな」というものばかりだ。

 ちなみに、ざっとご紹介しただけでもお分かりいただけると思うが、地政学リスクと言っても、実際には、外交安全保障問題と各国の国内政治、そして経済が密接に絡み合う形で、リスクが顕在化し、その影響が拡大していく構図が明らかだ。

 まさに、「ジオエコノミクス(geoeconomics=地政学と経済学の融合領域)」的なモノの見方が必要な時代環境にあるということだし、企業経営の上でも、地政学的リスクへの感度アップが避けて通れないということでもあろう。

相互作用で増幅する欧州とロシアのリスク

 さて、第1のリスクである欧州の政治状況の不安定さと第2のロシアリスクとは、当然ながら密接に関わり合っている。

 先だってのギリシャの選挙結果に見られるように、左翼・右翼を問わず、厳しい経済状況に苦しむ国において、EU(欧州連合)に対する懐疑派の声が大きくなっている。

 ブレマー氏の見方に従えば、EUの中核たるべき独・仏・英もその状況を打ち破る状況にない。各国とも既存政党がEU懐疑派の影響を受けるし、ドイツは自国の財政健全化が最大のプライオリティー。フランスは発言権が大きく低下。英国はEUからの脱退を議論し続けている。

 このような不安定さの中、イスラム過激派によるテロの脅威は、欧州が最も大きい(このトップリスクの発表は、フランスでのテロ事件より前に行われた)。

 さらに、ここにロシアと欧州との衝突リスクが襲いかかる。まず、ウクライナ問題がエスカレートする可能性は極めて高いという見立てだ。NATO(北大西洋条約機構)の戦意と対応能力を試す意図で、ロシアのプーチン政権が示威行動を取る可能性は高く、さらにモルドバのEU接近が新たな危機を生むリスクもある。

 健全な欧州経済維持よりもロシアへの経済制裁を重要だと考える、米国のオバマ政権は、追加制裁を行うだろうし、ロシアはサイバー攻撃でこれに対応するかもしれない。

 ロシアと中国のさらなる接近も含めて、ブレマー氏はロシア(とEUおよび西側との関係悪化)が世界の大きなリスク要因となると見ているようだ。

日中関係悪化と反日リスクを考えて、多くの日本企業は、チャイナ+1戦略を取り、ASEAN(東南アジア諸国連合)を中心に中国以外の新興国に目を向けてきたが、昨年来、新興国全般に不安定さが広がってきている。

 この中で、何社もの日本企業が、「やはり事業ポートフォリオの中での先進国比率を高めておくことが重要」という考えに立って、折からの経済危機で出物が増えた欧州企業の買収を検討・実行してきている。このタイミングでの、欧州・ロシアリスクの高まりは、なかなか厳しい。

資本や会社形態におけるイノベーションの必要も

 そもそも世界的な大規模金融緩和、そして米国の量的緩和(QE)巻き戻しによって、資本・金融市場のボラティリティー(変動性)は拡大する方向にある。市場リスクが高まっている、ということだ。ここに、注力地域での地政学リスク増大が重なるということになると、中期的な事業ポートフォリオ戦略を大幅に見直したり、状況を読みながら、柔軟に戦略を変更したりしていくことが不可欠となる。

 市場リスクも地政学リスクも、通常の競争リスクとは大きく異なる。こういった種類のリスクへの対応を、経営戦略の中核事項に据え、結果的に競合よりも高いリターンを獲得する。そのためには、従来とは違う意思決定技術や情報収集・解釈の能力が必要だろう。

 さらに言えば、元来「株式会社」という形態は、海洋貿易のリスクヘッジの観点からイタリア都市国家で生まれた。そのことを考えると、資本政策、あるいは会社形態のイノベーションも必要となるかもしれない。

 年初から、随分と大風呂敷を広げた話になってしまったが、エキスパートが地政学的な「不安」を強く感じる時代。経営の側も、従来とは違った発想で、経営に当たっていってこそ、企業の永続的発展が可能になる、というようなことを感じさせられたトップリスクのリストだった。

 さて、読者のみなさんの考える「競争以外」の今年のトップリスクはどのようなものだろうか?

岡倉天心『日本の覚醒』を読む-3

「攘夷」というか悪にまみれた世界から隔絶した社会の中で暮らせたらという思いはあります。幕末から明治に生きた人はそう思っていたのでは。鎖国は北朝鮮やキューバのように経済的困窮を齎しますが魅力はあります。現実的には無理ですが。ペリー来航以来の百年を米国との「百年戦争」と林房雄は捉え『大東亜戦争肯定論』に書いております。外国人が入ってくるのを嫌うわけでなく、彼らの価値観をゴリ押しされるのが堪らないためです。Cultural imperialism です。「入郷随俗」できなければ来てもらう必要はありません。

大東亜戦争も昨日のルトワックのいうように勝ち目はありませんでした。ここにあるようにそうそう神風が吹くことはありません。猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』に陸軍は識者に戦争になった場合の結果を調査させ、「敗戦」となったのを握りつぶしました。国力が余りに違いすぎるからです。日本は戦争途中で講和をと考えていたようですが、日露戦争の時のアメリカの役割を演じてくれる国はありませんでした。あまつさえ参戦してくるロシアに仲介を頼もうと考えていました。国際情勢に疎いままで戦争に入ることほど愚かなことはありません。ABCD包囲網を敷かれた段階でアウトです。大戦略で同盟関係を作って戦う方が有利でした。せめて昭和天皇の「開戦の詔勅」

http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm を主要な外国語に翻訳して世界に流していれば、戦後アメリカ、GHQの検閲での日本国民への洗脳工作や侵略戦争の汚名をきせられることもなかったのではと思います。

内容

To Japan the armed embassy of the United States of America in 1853 seemed a dread image of that White Disaster whose advent had proved so fatal to other Eastern countries. Eleven years before that event the Opium War in China had exposed the unscrupulous nature of Western aggression. The Dutch, who kept us informed of the European encroachment on Asia, did not hesitate to enhance the value of their friendship by painting the deeds of other Western nations in the darkest colors. In fact, unfortunately, we had already had some experience of foreign rapacity in the Russian advance from the north.

It is a curious coincidence that the first European nation—and let us hope it may be the last—whom we have met in battle array is the power whose acts first warned us of the possibility of foreign complications. Russia, sweeping down from Siberia and Kamchatka, long ago laid her hands upon our territory of Sakhalin and the Kurile Islands. In the end of the eighteenth century the Russians committed ravages in Yezo itself, and in 1806 the Tokugawas had to place a military governor in Hakodate to guard against their further depredations. Alarming stories of Northern encroachments were poured into our excited ears, and many daimios offered by themselves to chase back the intruders. In 1830 Nariaki of Mito, a powerful prince of the Tokugawa family, proposed to settle in Yezo with all his retainers and the entire population of his daimiate. He melted all the bronze bells of the temples in his territory, casting a number of immense cannon, and drilled his samurai in preparation for an emergency. His zeal was, however, misconstrued by the Tokugawa government and he was obliged to abdicate in favor of his son and remain in retirement. Russophobes were imprisoned for spreading false alarms, and many died in confinement. It is interesting to find among some of their memoirs prophecies of Russian aggrandizement in Asia which have been but too truly fulfilled.

The appearance of American warships in the bay of Yedo was a mighty shock. Hitherto the alarms of foreign attack had meant but little to the country at large, for it was a long cry to Hakodate or Nagasaki; but now within a day’s march of the city of Yedo lay the black hulks of a formidable fleet whose admiral refused to retire until a treaty was signed. Recollection of the Tartar armada flashed through the minds of our grandfathers. Was the samurai to be intimidated in his own waters? Was not the divine land always prepared to repel an invasion? What right had a foreign nation to impose a commerce which we did not want, a friendship which we did not ask? To arms! Jhoi! Jhoi! Away with the barbarians! The alarm-bells clanged throughout the country. Foam-covered riders rushed through every castle gate, spreading the momentous news. Spears were torn from their racks and ancient armor was eagerly dragged from dust- covered caskets. Night and day could be heard the clanging of steel on anvils forging the accoutrements of war. The old prince of Mito was summoned from his hermitage to take command, and his cannon lined the principal points of defence. Buddhists wore away their rosaries invoking Kartikiya, the war-god, and Shinto priests fasted while they called on the sea and the tempest to destroy the invader.

The historic spirit that had been smoldering in our national consciousness only waited for this moment to burst forth in a fiery expression of unity. Custom and formalism were alike forgotten in this hour of common danger, and for the first time in two hundred years the daimios were asked by the Tokugawa government to deliberate over a matter of state. For the first time in seven centuries the Shogun sent a special envoy to the Mikado to consult about the policy of the empire, and for the first time in the history of our nation, the high and the low alike were invited to offer suggestions as to what steps should be taken for the protection of the ancestral land. We became one, and the Night of Asia fled forever before the rays of the Rising Sun.

日本にとっては、一八五三年のアメリカ合衆国の武装使節は、東方諸国にすでにかずかずの災厄をもたらしていた白禍のおそるべき姿と映った。それより十一年前には、中国の阿片戦争が、西洋の侵略の傍若無人ぶりを暴露していた。ヨーロツバのアジア侵食を日本に知らせていたオランダは、ただちに他の西洋諸国の行動についての情報を日本につたえ、その友情のほどを強調したのであった。不幸にして日本は、すでにロシアの北辺進出によって、外国の侵略性について多少の経験をもっていた。

奇妙な一致であるが、われわれが最初に—そしてこれが最後であってもらいたいのだが—戦場にまみえたヨーロツバの国は、その行動によって対外紛争の可能性をわれわれに最初に予告した国であった。シベリアとカムチヤツカから南下したロシアは、かなりまえから、わが領土である樺太、千島列島に手をつけていた。十八世紀末には、ロシア人は、蝦夷地にまできて乱暴をはたらき、徳川幕府は一八〇六年、函館に奉行をおいて彼らの略奪の警戒にあたらせねばならなかった。北方侵略の警報は、日本人を興奮させ、多くの大名が進んで外敵撃退の任にあたることを申し出た。

一八三○年には、徳川一門の有力な大名、水戸の斉昭が、全部の家臣と領民をつれて、蝦夷地へ移り住むことを申し出た。彼は、領内の寺院の鐘をとかして大砲をつくり、一朝事ある場合にそなえて家臣の練兵をおこなった。しかしながら、彼の熱心さは徳川幕府の誤解をまねき、斉昭は、領主の地位を息子にゆずって隠居せねばならなくなった。恐露主義者たちは、虚報をひろめたかどで投獄され、獄死したものも少なくなかった。彼らの手記のうちには、アジアにおけるロシアの拡張を予見したものも見いだされるが、それがあまりにも的確に的中したことは興味深い。

アメリカの軍艦が江戸湾にあらわれたことは、大きな衝撃であった。これまでは、外敵来襲の警報があげられたといっても、遠い函館や長崎のことであり、一般国民にとっては直接的なひびきをもたなかった。ところが今は、江戸からわずか一日でゆけるところに、おそるべき黒船の艦隊があらわれて、条約をむすぶまでは帰らないとがんばっているのだ。モンゴルの艦隊の記憶が、祖父たちの心にひらめいた。サムライが自国の水域でおどかされて、引きさがっておれるであろうか?神州はつねに外敵の侵入を擎退する用意をととのえていたのではなかったか?いったい外国に何の権利があって、望みもしない通商、たのみもしない友好をおしつけるのか?武器をとれ!攘夷!攘夷!夷狄をおいはらえ!

警鐘が、国中に鳴りひびいた。汗にまみれた騎馬のサムライが、城門という城門から駆け出してきて、一大事をつたえた。槍は槍かけから引きおろされ、先祖伝来の鎧が鎧櫃からとり出された。昼夜を分かたず、鉄敷の上で武具をきたえる音が聞こえた。水戸の老侯が隠居の身から呼びもどされて、指揮をとり、彼のつくらせた大砲が国防の要所にならべられ た。僧侶は、軍神カーテイキヤ〔インドの戦いの神。仏教では大元帥〕の加護を祈って数珠をすりへらし、神官は、海と暴風が侵略者を滅ぼすことを祈って断食した。

わが民族意識のうちにくすぶっていた歴史的精神は、今やその時をえて、焔のように燃えあがった。慣習や形式主義は、共通の危機のまえに忘れられ、幕府は二百年来はじめて諸大名に国事をはかった。七百年来はじめて将軍は、国の政策を相談するために特使をミカドに送り、有史以来はじめて一般人民は、先祖伝来のこの国をまもるための意見を問われた。日本人は一体となり、アジアの夜は、さしのぼる朝日のまえに、永遠に消えうせたのであった。

 

エドワード・ルトワック『戦略論』について

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日-)は、ウイキによると「アメリカ合衆国の歴史学者。専門は、軍事史、軍事戦略研究、安全保障論。ルーマニアで生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。」とあります。

この本は400ページもあり、固い文章なので読みやすいとはとても言えませんが、小生の感想をコンパクトに述べます。経営戦略論ではない戦争の戦略論です。あくまでも小生の解釈が入りますのでお含みおきください。

  1. 戦略の逆説的論理・・・攻撃でも防御でも、大勝するのはダメ。成功の復讐を受ける。成功は失敗の母。戦線が拡大すれば、兵站線が伸びきって、脆弱となる。攻撃ではヒットラーのポーランド、フランス、ソ連への電撃的侵攻、日本の真珠湾攻撃。防御の例では第一次大戦のフランス軍のドイツ軍に対するヴェルダン要塞の戦い。ベトナム戦での仏軍のデイエンビエンフーの戦い。逆説の論理で言えば古代ローマの諺に有名な「汝、平和を欲するなら、戦争に備えよ」というのがある。「すべてを守ろうとする者は、何も守れない。或いは、勝利は過剰となりうる」と言うこと。
  2. 技術の成功・・・武道で免許皆伝は口伝にするのと同じ。新しい技術が開発されるとそれに対抗する技術が開発される。第二次大戦で、英国のレーダー開発の成功に対してドイツは準備不足。ドイツの警戒レーダーが英の対抗措置「ウインドウ」で無能力化。「ウインドウ」とは航空機編隊を偽装して気流に束で放出される反射金属片のこと。これに対しドイツ空軍は効果的な対抗措置として、ジャミング(敵対的信号妨害)に殆ど影響されない夜間戦闘向けの高周波レーダー、昼間戦闘機の搭乗員による地上の炎の環境光を利用した新戦術、改良された警戒追跡レーダー、大幅に改善した地上からの「実況的な」迎撃機の完成などを採って対抗した。
  3. 人道支援が紛争を長引かせる・・・国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が典型例。最大・最長で今も継続している人道介入。難民キャンプでは自活の道を閉ざされ、年長者の管理下で復讐と再征服の義務を教え込まれるだけ。「難民状態を恒久化させ、人工的に怒りを温存させて終わりなき紛争の火に油を注ぐことは、十分に悪い、しかし、物質的援助を戦闘状況に投入することはもっと悪い。高潔さを漂わせて活動する多くのNGOは、日常的に戦争の兵站を供給する。無防備な彼らは、配給所、クリニック、シェルターから現役兵士を排除することはできない。難民はおそらく敗者であり、その中には退却した兵士もいるだろう。彼らを助けることによって、NGOは戦争を終わらせることができる決定的な勝利への敵の前進を体系的に妨げている。また極端な不偏的立場から、NGOは時に敵味方双方を助け、相互に消耗することで戦争が平和に転換するのを妨害することもある。」
  4. 人口動態の影響・・・「犠牲を恐れて(これこそ例外的であるが)戦争を思いとどまらせる社会的変化は、繁栄が齎す副次的効果であり、繁栄自体が平和の副次効果である」(人命重視の時代)。欧州一の少子化のイタリアのマンミズモ(母親の息子への溺愛の意味)の例。小生はその意味では中国の小皇帝もその例と思いますが、極端な男女比で男子が多すぎるので損耗を恐れないかも。兵士の損耗を考えればロボット化、無人化へ行くでしょう。
  5. 消耗と機動・・・「消耗は産業的手段によって行われる戦争であり、敵は目標の集合体以上のものとしては扱われず、その目的は優れた火力と全般的な物量の力による累積的な破壊を通じて勝利すること。機動は、その目標として敵の物理的存在そのものを破壊することではなく、システムに対する様々な形態の妨害を通じて相手を無力化すること。消耗を指向する側は目標を探すため敵の能力に着目するので相手の能力を過大評価するのに対し、機動を指向する側は敵の弱点に着目するので相手の実力を過小評価しやすい。機動は①物量で劣る側にも勝利の可能性②誤った情報によって予期せぬ力に遭遇する状況では完全に失敗する可能性がある。」
  6. 弾力的防衛・・・「敵の主攻撃を回避し、自在に機動して最大の力を結集した結果として得られる行動の自由によって防御側も攻撃側が持つあらゆる利点を得る。そのうえ、防御側は土地勘があり、友好的と考えられる環境で戦うという本来の優位を保持したままである。純粋に軍事的観点からは理想的に見えることがあるが、統治者の観点からは富・繁栄・支配面から好ましくない。」小生思いますに蒋介石、毛沢東の採った作戦ですが、単に命惜しさに逃げ回っただけと思います。
  7. 弾力的防衛<浅めの縦深防衛<排除的防衛<積極防衛(まったく防衛せず、直ちに反撃。例は第四次中東戦争のイスラエル)
  8. 過剰な兵器・・・「過剰な破壊力によって引き起こされた軍事的有用性の低下は、核兵器も完全に戦略の逆説的論理に左右されていることを、あからさまに示している。多数の大型核融合弾頭によって戦われる紛争は、確実にこれまでのあらゆる戦争と異なる特殊な状況となったであろう。結果として起こる破壊においては、戦時体制、戦争文学、戦時プロパガンダ、戦時法制など、あらゆる戦争に関するものが存在する余地はなかっただろう。しかし、そこで適用される独特な論理はない。これまで、技術、戦術、作戦、戦域レベルを通じて分析してきたのと同じ戦略の論理によって核戦争の自己否定が説明される。この点については大戦略のレベルに到達した際にも論じることになろう。」相互確証破壊の論理で、核保有国同士は核戦争によって得られる国益はないため戦争にはならない。
  9. 真珠湾攻撃の評価・・・そもそも米国との開戦を決意した時点で日本に勝ち目はなく、むしろ真珠湾攻撃で大敗していた方が米国の余計な怒りを招かず、戦後の寛大な条件を引き出せたかもしれないとのこと。これは、戦争が大戦略のレベル(同盟、国力等で)で決することを強調し、戦術や作戦レベルで勝てたとしても持続できないことを理解する必要がある。
  10. 結論・・・勝ちは負けに繋がり、負けは勝ちに繋がる。糾える縄の如し。

 

1/17日経『日本の対中直接投資、14年は38.8%減 最大の落ち込み』、産経『2013年度末の家計資産は2686兆円 株価上昇で2年連続増加』の記事について

中国の末期症状が進んでいます。いい傾向です。共産党の指導の下に反日デモ(あの国にはデモをする自由はないのですから)をやられ、略奪・放火何でもありのことまでやられてまだ投資する企業がある事自体不思議ですが。やがて自業自得の場面が出てくるでしょう。記事にあるように英韓以外は中国の投資を増やしていません。また中国の独禁法を使って用済みの外資or賄賂を取った企業のライバルの外資を追い出そうとしています。ルトワックが言っていますように、「韜光養晦」を止め、「有所作為」になって驕り高ぶれば、弱者連合が出来、中国の封じ込めに行くだろうと。でも、尖閣を取るために中国は着々と準備を進めています。浙江省の南キ列島に基地を造り、レーザー兵器を配備する可能性もあるとのこと。http://news.livedoor.com/article/detail/9663058/ このような国を富ませるために、投資・技術の提供をするのは愚かです。

産経の記事の基になりました内閣府の発表では「13年末の国民総資産は7.2%増(前年比)の9294.6兆円、負債は9.9%増の6245.9兆円、国民総資産―負債=国富2.1%増の3048.7兆円。国富は企業の純資産に相当する。(日経)」とのこと。財務省が国・地方の債務が1000兆円を超えたと騒ぎ、消費税増税しようとしていましたが、ストックで3000兆円もあるというのですから何をかいわんやです。産経の記事は株価上昇効果が家計に及んだことを強調しようとしたもので、マクロで見るときには日経の記事の方が分かり易いです。でも1/18日経に伊奈久喜が「(風見鶏)日経平均が選挙を決める」記事を書いていました。庶民にはマクロより自分の手元が増えるかどうかが景気がよくなっているかどうか実感できます。株価が上がればトリクルダウン効果はやがて現れます。(下のグラフは日経より)

japan national asset

『日本の対中直接投資、14年は38.8%減 最大の落ち込み』記事

【北京=阿部哲也】日本企業の中国離れが加速している。中国商務省によると、日本の対中直接投資額(実行ベース)は2014年に前年比38.8%減の43億3千万ドル(約5040億円)となり、統計が比較可能な1985年以降で最大の落ち込みを記録した。日中関係の悪化に人件費の高騰などが重なり、製造業を中心に投資を絞り込む動きが広がった。

 日本の対中投資が前年実績を下回るのは4.3%減った13年に続いて、2年連続だ。日中経済協会によると、下落率は天安門事件の影響で投資が急減した89年(35%減)を上回り「過去最大級」という。中国に進出する日本企業の間で、3つの悪材料が重なったためだ。

 第1が日中関係の悪化だ。12年秋に沖縄県尖閣諸島の領有権を巡る対立が激しくなると、中国全土で大規模な反日デモや日本製品の不買運動が広がった。昨年11月に日中首脳会談が実現するまで「中国リスク」への警戒感は強く、現地での事業拡大や新規進出を見送る日本企業が急増した。

 一般的に実行ベースの直接投資額は、企業が取締役会などで投資の可否を決めてから6カ月~1年かかって統計数字に表れる。12年秋以降に対中投資の縮小を決めた日本企業は多く、14年になって日中間の対立の悪影響が投資額の急減という形で表れた。

 第2が中国事業を取り巻く環境の激変だ。「世界の工場」として世界中の製造業の進出が相次いだ中国では、北京や上海など主要都市だけでも最低賃金が10年比で1.5倍以上に上昇した。土地の使用料など工場新設にかかるコストも上昇傾向にある。

 安価な労働力に引かれて進出した日本企業の間でも戦略の見直しが相次ぐ。すでに東芝が遼寧省大連市で手がけていた薄型テレビ生産から撤退し、機能をインドネシアに集約した。製造業を中心に中国の拠点を東南アジアなどに振り向ける「チャイナ・プラス・ワン」の動きが広がる。

 第3が中国政府の産業政策の変化だ。経済成長を優先した胡錦濤前政権時代までは、国内総生産(GDP)の押し上げ効果が大きい製造業の進出が歓迎され、地方政府などの外資優遇策も充実していた。

 しかし習近平指導部は「産業の高度化」を旗印に掲げ、優遇分野を先端技術業種に絞り始めている。「単純なモノ作りだけでは対中投資を増やしづらくなった」(電機大手)との声は多い。

 逆風は欧米やアジアの企業も同様だ。14年は全世界からの対中投資も1.7%増にとどまった。韓国や英国は2ケタ増となったが、米国からは20.6%減り、東南アジア諸国連合(ASEAN)からも23.8%減少した。

 外資を対象に独占禁止法違反を相次いで摘発する動きなどもあり「公正な競争環境を整備してほしい」(欧州連合の在中国商工会議所)との懸念は強い。

 日本企業による対中投資は契約件数ベースでも減少傾向にあり、投資実行額は15年も低迷するとの見方は多い。ただ足元では対中事業の強化に動く企業も増えつつある。

 日東電工は15日、山東省青島で中国初となる研究開発センターを開所した。環境や農業など中国が産業振興に力を入れる最先端分野を開拓するためだ。「中国は売上高の3割を占める最重要市場だ。経済の構造変化で商機は広がる」(高崎秀雄社長)という。イオンが昨年12月、湖北省武漢に内陸初の大型店を開くなど、消費関連企業の進出も活発になっている。

decrease of investment for china

『2013年度末の家計資産は2686兆円 株価上昇で2年連続増加』記事

内閣府が16日発表した2013年度の国民経済計算によると、13年末時点の家計資産残高は前年比4・0%増の2686兆9千億円となり、2年連続で増加した。資産から負債を差し引いた正味資産も4・4%増の2328兆3千億円と、2年連続の増加だった。

 株価上昇により、金融資産が6・5%増の高い伸びとなったことを反映した。土地などの非金融資産は、ほぼ横ばいの0・2%増だった。

 国全体の資産から負債を差し引いた国富は2・1%増の3048兆7千億円となり、6年ぶりに増加した。円安で海外資産の保有価値が上昇したことも後押しした。

 対外純資産の残高は9・7%増の325兆円と、比較可能な1980年以降で最高だった。3年連続の増加となった。

 国や地方自治体などを合わせた一般政府は、正味資産が4千億円のプラスとなり、3年ぶりに債務超過から脱した。

 

 

 

 

 

スマホ投稿テストです。

昨日はセカンドライフファクトリーのスマホサークルの集まりがありました。
ガラケーの電話帳をスマホに移管する事もできました。
スマホから小生のブログにデータを飛ばすこともやっとの事でできました。画像が難しかったです。
下の写真は1/11に開催しました林成蔚先生の講演会の写真です。

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