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1/15産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】『「韓国はなぜ日本だけを標的にする?」歴史問題で欧米から疑いの目を向けられるようになった韓国妄執“自業自得” 』について

「韓国はなぜ日本だけを標的にする?」とありますが、何も反論しないで来たからです。いじめられっ子でずっと来たからです。戦後GHQに擦り寄り、その後中華・小中華の賄賂工作・ハニートラップにかかっている政治家・官僚・経済人は多いと思います。そうでなければ、日本人の名誉が傷つけられていて平気でいられるはずがありません。そんな人間はリーダーの名に値しません。今年は戦後70年、中華・小中華は日本を貶める宣伝戦をしてくるでしょう。アメリカは外形上は中立を保つはずです。日本と中華・小中華の問題ですから。でもペンタゴンは韓国に相当イラついていると思います。

今“マッサン”が人気です。竹鶴政孝が「いいものを作れば売れる」と言うのは一つの見識ですが、それは必要条件で「いいものを手に取って戴くための説明」が必要になります。国際政治でも同じで「正しいことをやってきたのだから分かって貰える」と言うのではダメで、国際世論に対し日本の正しさを主張しなければなりません。敵は改竄・捏造が得意な連中ですから今や武力行使の戦争の形態ではなく、如何に外交的に相手のイメージを下げ、国力を弱めようかという戦争の時代に入っていることを国民一人ひとりが自覚することが大切です。

1/14産経ニュースは「自民党は14日、国際情報検討委員会(原田義昭委員長)などの合同会議を党本部で開き、慰安婦問題や南京事件などで史実と異なる情報が海外で広まっている現状を踏まえ、日本の立場を正確に発信する新型「国際放送」の創設を検討する方針を確認した。中国や韓国などの情報戦略を分析、在外公館による情報発信の拡充についても議論し、今年の通常国会会期内に結論を出すことにしている。 会議で原田氏は「どういう形で相手国に情報が伝わるかにも目配りしながら、正しいことをきちんと発信していくことが大事だ」と述べ、「攻めの情報発信」の意義を訴えた。 英語による海外への国際放送は現在、「NHKワールドTV」がある。しかし、検討委は「従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため、今日の事態に十分対応できない」として、新型「国際放送」の創設を挙げた。 昨年11月に北京で開かれた日中首脳会談直前の日中両政府の合意文書に関し、中国側が「意訳」した英訳文を日本側より早く公表し、外国メディアに引用されたケースもあった。検討委は、外交文書や論文を外国語で迅速に発信するよう政府に求める方針だ」と報道しました。左翼に乗っ取られたNHKを当てにするのは馬鹿馬鹿しく、方向的には正しいと思います。

英・独・仏・露・中・スペイン・ポルトガル・アラビア語で報道するようにした方が良いと思います。しかし、宮崎正弘氏は「敵国に通じる第五列(=内通者)や代理人がまだいます。実現にはおおいなる距離があるのではと思います。」とのこと。こんな政治家を選んでいるのは国民です。多分旧田中派(野中に通じる)と古賀の子分や二階のことを言っているのでしょう。選ぶ責任或は選ばない(棄権)責任を感じなければ、民主主義は衆愚政治になります。

記事

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は12日の年頭記者会見で、日韓首脳会談について「日本側の姿勢の変化が重要だ」と曖昧な注文をつけ、慰安婦問題を早期に解決しなければ「韓日関係だけでなく、日本の歴史にも重荷になる」と言い募った。一方的でかたくなな態度には、ため息が出るばかりだ。

冷めた日本政府

 「ムービング(動く)・ゴールポストだ」

 韓国について政府関係者らと話すとき、何度この言葉を聞いたことか。慰安婦問題などで着地点を求めてそこを目指すと、いつの間にか韓国側がゴールをさらに先の方に動かしているという意味だ。

 それでいて韓国側は日本に対し、具体案を示さずに「誠意を見せろ」と要求し続けているのである。

 日本政府は現在、こうした韓国側の十年一日のようなあり方に冷めた視線を向けている。小紙の加藤達也前ソウル支局長の出国禁止のような現在進行形の人権侵害を除き、韓国に対しては「放置でいい」(政府高官)との基本姿勢だ。

何ともやるせない現状だが、予期せぬ効果もあった。韓国が日本だけを標的に歴史問題にこだわればこだわるほど、欧米で「なぜなのか」という疑問が高まり、客観的な事実関係を知ろうという新しい動きが出てきているのだ。

 今年に入り、韓国メディアは相次いで次のような米国の元政府高官の「妄言」を伝えている。

 「日本は過去、恐ろしいことをしたが、韓国もベトナム戦争の際は非常に冷酷だった。ベトナムではそれが非難を浴びている」(デニス・ブレア元国家情報長官・太平洋軍司令官)

 「日本は韓国人戦争犠牲者に8億ドルを支払ったが、当時の朴正煕政権が慰安婦と呼ばれる被害者たちに伝えていなかった。古傷が治癒しない理由がここにある。韓国は、ベトナムで韓国軍が民間人に犯した行為を脇へ置いて、韓国と国交を結んだことを考えるべきだ」(ロバート・シャピロ元商務省次官)

欧米も疑問視

 欧米メディアも昨年来、韓国側の負の歴史に注目するようになり、日本を執(しつ)拗(よう)に非難する韓国の外交姿勢に疑問の目を向け始めた。次のような報道がだんだん目立つようになってきた。

 「慰安婦問題は、政争の具として利用されるべきではない。結局、日本から支払われた何億ドルもの賠償金を、犠牲者のためにではなく、莫大(ばくだい)な公共事業のために使ったのは朴大統領の父親だ」(米フォックス・ニュース)

 「ライダイハンはベトナム戦争中、ベトナム人の母親と韓国人の父親の間にもうけられた子供を指す。多くは韓国人兵士によるベトナム人慰安婦への虐待から生まれた」(米CNN)

 「韓国には、米軍基地周辺に基地村と呼ばれる売春街が存在した。ここで働いていた元米軍慰安婦120人以上が、『韓国政府が米軍のために組織した』として、1人1千万ウォンの賠償を求めて韓国政府を提訴した」(英BBCニュース)

 元米軍慰安婦の訴訟に関しては昨年末、米軍準機関紙「星条旗新聞」も取り上げている。朴大統領が慰安婦問題を提起し続けた結果、韓国が触れてほしくない問題もまた、白日の下にさらされることになった。

日本は過去の経験から、韓国にいくら譲っても結局、ゴールポストを動かされるだけだと見切った。韓国側も、そろそろ歴史カードの乱用は控えないと「重荷」になるばかりではないか。(政治部編集委員)

岡倉天心『日本の覚醒』を読む-2

昨日は上橋柏市会議員と一緒に靖国に行き、初めて昇殿参拝しました。荘厳な中にも心が洗われるような静謐な時の流れを感じることができました。また梨本宮隆夫殿下と会い挨拶させて戴きました。3/8の上橋議員の新春パーテイで講演して戴くためです。

さて、本日は岡倉天心の『日本の覚醒』第二弾です。天心は書物だけで漢民族を判断していたのではと思えます。時代の制約です。それでも当時の西洋の阿漕さには比べようもないですが。また当時中国は満州族に統治されていました。アジアの民が団結して欧米列強に対抗するのは無理でした。天心の「アジアは一つ」式の考えが昭和の軍人に伝承されたとしたら、天心は大きな間違いを犯したことになります。中国人の本質を理解していなかったということです。

内容

In Japan the race of those fiery patriots who fifty years ago shouted, “Away with the Western barbarians!” with all the lusty enthusiasm of the Chinese Boxers, is entirely gone. The tremendous change which has since come over our political life, and the material advantages we have gained by foreign contact, have so completely revolutionized national sentiment in regard to the West that it has become almost impossible for us to conceive what it was that so aroused the antagonism of our grandfathers. On the contrary, we have become so eager to identify ourselves with European civilization instead of Asiatic that our continental neighbors regard us as renegades–nay, even as an embodiment of the White Disaster itself. But our mental standpoint of a few generations back was that of the conservative Chinese patriot of to-day, and we saw in Western advance but the probable encompassing of our ruin. To the down-trodden Oriental the glory of Europe is but the humiliation of Asia.

If we place ourselves in the position of a Chinese patriot shall be able to understand how the march of events appeared to our grandfathers. Their fears were not altogether without reason, for to the wounded of Orientals history will tell of the gradual advance of the White Disaster which was descending on Asia. The Italian Renaissance marks the time when, freed from its chains, the roving spirit of Western enterprise first began to seize upon any corner of the globe where was aught to be gained. When Marco Polo returned from the Chinese court, fee bore tidings of the untold treasures of the extreme Orient. America was merely an accidental discovery on the part of Spain in her attempt to reach the coveted wealth of India. We can recall those days of Portuguese cruelty and Dutch treachery, when the cow’s hide gained a colony and the concession for a factory resulted in the establishment of an empire.

The beginning of the seventeenth century shows the rise of the East India companies of the French, Dutch, Danish, and English, the gratification of whose political ambitions, however, remained as yet unsatisfied owing to the struggles of mutual rivalry, the solidity of the Mussulman power of Delhi, and their awe of that great Turkish empire which still bravely bore the brunt of Western advance and often hurled it back to the walls of Vienna. But the brightness of the Crescent was fast waning before the combined persistence of the West, and soon the disastrous treaty of Kutchuk-Kai- narji inaugurated the imposition of Russian interference in the affairs of the Porte. In 1803 the last of the Grand Moguls became a British pensioner. In 1839, Abdul Medjid ascended the throne of Osmanli under the “protection” of European powers.

With the increase in credit and capital during the latter half of the eighteenth century, the inventive energy of European industrialism is set in motion. Coal takes the place of wood in smelting, and the flying shuttle, the spinning-jenny, the mule, the power-loom, and the steam-engine all spring up in formidable array. Commercialism makes the very life of the finding markets for her goods. Her role is now to sell, and that of the East to buy. War is her factories, and the protests of her more humane statesman are drowned in the noise of thundering mills. What chance has individualized Eastern trade against the sweeping batteries of organized commerce? Cheapness and competition, like the mitrailleuse, under whose cover they advance, now sweep away the crafts. The economic life of the Orient, founded on land and labor and deprived of a protective tariff through high-handed diplomatic action, succumbs to the army of the machine and capital.

What has become of India? It is to-day a country where die names of Asoka and Vikramaditya are even forgotten. It is a country of rajas whose breasts are starry with dishonor, and of national congresses that dare not protest. Burma was in existence but yesterday: in the rubies of Thebaw cries the innocent blood of Mandalay. The Kohinoor is even as a teardrop of Golconda. What need to mention the painful comedies enacted in Persia and Siam or to call attention to the “protectorate” established by France over Tonkin? Protectorate! Against whom?

In 1842 a Christian nation forces opium on China at the mouth of the cannon and extorts Hongkong. In 1860, on a slight pretext, the joint armies of France and England invade Pekin and sack the Summer Palace, whose treasures are now the pride of European museums, while the Russians always maintain a steady encroachment upon the hereditary domains of the Celestial Empire along the borders of the Amur and Ili. The kindly intervention of the Triple Coalition after the Japanese war was but a farce,for thereby Russia gained Port Arthur, Germany Kiauchau, and France a tighter grasp on Yunnan. It is true that the defilement of their sacred shrines goaded the Boxers to a passionate outburst of fury; but what could their old-fashioned arms avail against the combined armies of the allied powers? Their ill-judged efforts only resulted in the heaping of indignities upon China and the payment by her of exorbitant indemnities. In spite of repeated promises of evacuation, Russia has endeavored to establish herself permanently in Manchuria, and the persecuted inhabitants of that province behold the graveyards of their beloved forefathers turned into railway stations,while Cossack horses find stabling in the sacred Temple of Heaven. If Asia was old-fashioned, was Europe just? If China tried to lift her head, if the worm turned in its agony, did not Europe at once raise the cry of the Yellow Peril? Verily, the glory of the West is the humiliation of Asia.

日本では、熱烈な愛国者たちが中国の義和団のように熱狂的に「攘夷」を叫んだのは、五十年前のことであったが、今はそのかげさえない。以来わが国の政治生活におこった大変革 と、外国との接触によってえた物質的利益のために、西洋にたいするわが国民感情はまったく一変し、祖父たちが何であのように西洋人に敵意をいだいたのか、理解にくるしむほどになってしまった。それどころか、アジア文明のかわりにヨーロッバ文明と提携しようとするわれわれの熱心のあまり、大陸の隣人たちは、われわれを裏切者、いや、時には白禍そのものとさえ見るにいたった。

しかしながら、数代前の日本人の見地は、今日の中国の保守的愛国者のそれとおなじであり、西洋の進出のうちに日本の破滅の危険しか見ていなかった。ふみにじられた東洋にとって、ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱にほかならない。

われわれが今日の中国の愛国者の立場に身をおいてみるならばわれわれの祖父たちにその時代の動きがどのように映じたかを、理解できるであろう。祖父たちの憂慮は、けっして理由のないものではなかった。なぜなら、東洋人の傷ついた想像にたいして歴史は、せまりくる白禍の東漸を告げていたからである。

イタリアのルネサンス以来、西洋の進取の気性は、その束縛から解放され利益をもとめて、地球上ののこされた一片の土地でもうばいとろうとしはじめた。中国の宮廷からもどったマルコ・ポーロは、極東の無限の富について語った。アメリカは、インドの富に到達しようとしたスペインが、たまたま発見したものであった。歴史は、牛の皮で植民地を獲得し、海外の一商館から帝国をきずきあげた、ポルトガルの残忍、オランダの狡滑を物語っている。

十七世紀のはじめには、フランス、オランダ、デンマーク、イギリスの東インド会社が出現する。 しかし、彼らの政治的野心は、相互の勢力争いと、デリーを都とする回教国の強固さ、そして大トルコ帝国の威力によって、一挙には達成されなかった。偉大なトルコは、西洋の進出を勇敢にくいとめ、しばしばこれをウイ-ンの城壁までおしかえした。しかしながら、新月旗の光輝は、西洋の結束した力のまえに急速にその光をうしなっていった。やがてロシアは、屈辱的なクチユク・カイナルジ条約をおしつけ、トルコにたいする内政干渉を開始した。一八〇三年には、ムガール帝国の最後の皇帝がイギリスの年金をうける身になった。 一八三九年には、アブドゥル・メジッドが、ヨーロッパ列強の「保護」のもとに、オスマン=トルコの王位にのぼった。

十八世紀後半になると、信用と資本の増加とともに、ヨーロッパ産業主義の発明エネルギ—が活動をはじめた。製錬業では、石炭が木炭にとってかわり、飛梭、紡機、ミユ一ル精紡機、動力織機、蒸気機関などが、つぎつぎにすさまじい勢いでとび出してきた。商業主義は、西洋の生活そのものを、商品販売市場の開発に依存させる。今や、西洋の役割は売ることであり、東洋の役割は買うことである。戦いは工場から宣言され、多少とも人道的な政治豕たちの抗議は、とどろきわたる工場の騒音のなかにかき消されてしまう。組織的な商業のはげしい攻勢のまえに、東洋の小さな手工業はひとたまりもない。安値と競争という機関銃の援護のもとに、彼らは同業組合を一掃する。土地と労力に基礎をおき、高圧的な外交によって保護関税をうばわれている東洋の経済生活は、機械と資本の軍隊のまえに屈服した。

インドはどうなったか?今やインドは、アソカ王やヴィクラマーディティヤ王の名前さえ忘れてしまった国である。胸に不名誉の勲章をかざった貴族の国、抗議する勇気もない国民会議派の国である。ビルマはすでに亡びた。テイボーの紅玉には、マンダレーの罪なき民の血の叫びがこもっている。コイヌールの金剛石はまさに、ゴルコンダの涙の一滴である。 ペルシアやシャムで演ぜられた、痛ましい喜劇や、フランスがトンキンを「保護国」とした一幕はあえていう必要もあるまい。「保護国」という。だがいったい、だれから保護するというのか?

一八四ニ年には、一キリスト教国が、中国に大砲をむけて阿片をおしつけ、香港を強奪した。一八六○年には、ささいな口実を設けて、英仏連合軍が北京に侵入し、「夏の宮殿」〔頤和園。西太后の避暑にもちいられた〕を略奪し、宮殿の財宝は今ではヨーロッパの博物館の誇りになっている。いっぽう、ロシアは、アムール、イリの辺境一帯の清国の領土をたえず侵食していた。日清戰争後の好意的な「三国干渉」は、まったくの茶番にすぎず、これによって、ロシアは旅順港、ドイツは膠州湾を得、フランスは雲南を確保したのであった。神聖な祖国が汚されたことをいきどおって、義和団の運動が勃発したが、彼らの旧式な武器では、列強の連合軍のまえにはひとたまりもなかった。思慮に欠けた彼らの行動は、中国にたいする侮蔑を倍加させ、法外な賠償金を支払わされる結果におわった。ロシアは、再三撤兵を約束しながら、永久に満州に腰をすえようとかかり、虐げられた満州の民は、先祖代々の墳墓が鉄道の停車場にかわり、神聖な天壇〔天子が天帝を祀った祭壇。瀋陽に遺跡がある〕 がコサックの馬小屋になるのを眺めていた。

アジアが旧式だったとしても、ヨーロッパは公明正大だったろうか?中国がその頭をもたげようとしたとき、ふみつけられた虫が苦しさのあまりのたうちまわったとき、ヨーロッパはただちに黄禍の叫びをあげたではないかまことに、東洋の栄光はアジアの屈辱にほかならなかった。

1/12産経ニュース【阿比留瑠比の視線】 「米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない」記事について

日本人が戦後アメリカから刷り込まれた侵略主義について、如何にいい加減だか分かる記事です。文芸春秋の堤堯だったと思いますが、「アメリカの3大原罪としてインデイアンの虐殺、黒人奴隷、原爆投下(1/12にローマ法王は「1945年8月6日、われわれは人類史上、最も恐ろしい惨事の一つを目撃した」と言っております)」と言っていた気がします。スペインとポルトガルによる世界2分割を目指した「トルデシャリス条約」、イギリス等による重商主義、ヨーロッパ諸国による殖民地争奪となった帝国主義等、日本を侵略者として非難するのであればまず「自らを顧みよ」と言いたい。サキ報道官が「河野談話や村山談話を引き継ぐように」なんて話すのは内政干渉も甚だしい。後で訂正しても遅すぎです。結局アメリカは過去自分たちがやってきたことを事実に基づき冷静に見られないということでしょう。歴史の見直しをしようとするとすぐ「歴史修正主義者」の烙印を押し、言論を封殺しようとします。国益が絡むからと思っているのかも知れませんが、アメリカの弁護士と同じく「勝てば官軍、正義の実現よりはどんな手段を使ってでも」という発想に近い。野心に忠実なのがアメリカ人なので。岡倉天心の『日本の覚醒』の中の『白禍』を取り上げていますのは、彼らの欺瞞を暴こうと思っているからです。しかし、日本はルメイに航空自衛隊創設のお礼として勲章まで与えるのですから何をか況やですが。戦後日本人が如何に誇りを失ったかの典型です。

記事

戦後70周年を迎える平成27年は、歴史認識をめぐる「歴史戦」の年になる。米紙ニューヨーク・タイムズなどは早速、日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらか-。

 そんなことをぼんやり思いながら昨年末の休暇中、高校書道部を舞台にした漫画「とめはねっ!」(河合克敏著)を読んでいて、思わず息をのんだ。

 作中、見開きで大きく紹介されていた昭和20年3月10日の東京大空襲を題材にした元教師の書家、井上有一氏の書「噫(ああ)横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)があまりに衝撃的だったからだ。

 「アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄」「親は愛児を庇(かば)い子は親に縋(すが)る」「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる」「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」

 書幅いっぱいに埋め尽くすように書かれた文字は、積み重なり、苦しみながら焼き殺された人々に見える。自身は一命を取り留めたものの教え子を失った井上氏が、血涙で書いたかのような印象を受けた。

約10万人が死亡した東京大空襲は、非戦闘員の殺傷を目的としており、もとより国際法違反である。米田建三・元内閣府副大臣の調査によると、東京大空襲の「作戦任務」(同年3月9日付)の目標は、軍事施設ではなく「東京市街地」と明記されている。最初から一般住民を標的にしていたことは明らかなのだ。

 また、東京大空襲・戦災資料センターが東京都から寄贈された被害者の名簿3万人分のうち、年齢が分かる人について調べた結果がこの空襲の性質を表している。

 それによると、被害者の年齢層で最も多いのは0~9歳の20%で、次いで10~19歳の18%だった。実に4割近くが未成年だったのである。これは通常の戦争遂行行為ではなく、米軍による子供の大量虐殺(ジェノサイド)にほかならない。

 しかも米国は戦後、こうした自らの罪を日本人の目から隠そうとした。明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪(ゆが)めたもの」(明成社)によると、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲で、例えば米軍の東京大空襲での国際法違反行為を指摘したこんな文章を削除した。

 「無辜の一般市民に対して行へる無差別的爆撃、都市村邑(そんゆう)の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌(しんしゃく)の破壊、病院船に対する砲爆撃等、計(かぞ)へ来らば例を挙ぐるの煩に堪へぬほど多々あつた」(信夫淳平氏「我国に於(お)ける国際法の前途」)

「米国は原子爆弾と中小都市焼爆で日本全土を荒廃し数百万人の非戦闘員を殺傷せしめた」(石原莞爾氏・宋徳和氏対談「満州事変の真相」)

 米国は、自分に都合の悪い歴史は堂々と修正し、歴史から抹殺しようとしてきたのである。当時、日本に対する空襲について「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」(ボナー・フェラーズ准将)と自覚していたのは間違いない。

 焼夷(しょうい)弾を使用した夜間無差別爆撃に踏み切ったカーチス・ルメイ少将の下で、作戦計画作成に当たったロバート・マクナマラ元国防長官は記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」(2003年公開)の中でこう赤裸々に証言している。

 「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし、負けていればだ」

 だが、戦勝国は全部を正当化し、敗戦国はすべてを我慢するなどという状態が70年以上ももつわけがない。米国は傲慢になりすぎない方がいい。(政治部編集委員・あびる るい)

 

1/13奥山真司氏メルマガ【アメリカ通信】「私はシャルリー・エブドではない」より

地政学者で国際政治をリアリズムに基づいて見る奥山氏のメルマガが送られて来ましたので紹介したいと思います。今回のフランスで起きたテロ事件の論評ですが、小生が言ってきたことと同様、「表現の自由」にも節度があるということです。NYタイムズは大西哲光、田淵広子(在日と噂されていますが)両記者のようにリベラルを装って日本のデイスカウントをやる偏った記事をレポートするのが多いですが、ディヴィッド・ブルックスは違うようです。

テロを賞賛する人はいないと思います。ボコハラムのように少女を拉致誘拐し自爆テロさせる、またはレイプして性奴隷とすることは神も許さないと思います。イスラム教をわざと曲解した単なるテロリストでしょう。一般の敬虔なイスラム教徒とは区別して考えるべきです。他者の信仰する神や預言者を冒涜するのは許されません。フランスで300万人のデモがあったと言いますが本記事のようにテロのことだけでなく他者の痛みにも斟酌する人が現れてほしかったと思います。この件ではアメリカの方がバランスが取れています。小生の言ったように「ヘイトスピーチ」扱いにしますので。

記事

おくやまです。

NYタイムズ紙の保守派、ディヴィッド・ブルックスが、今回の一連のフランスのテロ事件についてかなりまともなことを書いておりましたので、その記事の要約を。

この記事は、今夜の生放送でもとりあげます。(http://live.nicovideo.jp/gate/lv205842882)

一般的な日本人の感覚として、「他の宗教の開祖を馬鹿にするのはやっぱまずいようねぇ」という感覚があるわけですから、どうも300万人以上でデモする感覚というのは理解しがたいのかと。ただし「発言の自由」というのも彼らが長年血を流して獲得してきた、ある一面では自分たちの宗教よりも大切な「世俗的な宗教」の原則(クリード)ですから、見方によれば両方とも思想・イデオロギーの対立という意味では一緒かと。

向こうの知識人は一様に否定してますが、ここではやはり「文明の衝突」という要因が大きいですね。

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「私はシャルリー・エブドではない」   by ディヴィッド・ブルックス

  • シャルリー・エブド誌のジャーナリストたちは言論の自由の「殉教者」として祝福されるべき存在であることは間違いない。だが、この事実だけは言っておくべきだ。
  • もし彼らが過去20年間においてあのような風刺的な新聞をアメリカの大学のキャンパスで出版しようとしたら、即刻出版禁止であろう。学生や教官たちも、彼らをヘイトスピーチだとして非難するはずだ。大学は彼らの予算をカットして閉鎖に追い込むことになる。
  • パリでの事件にたいする大衆の反応を見てみると、多くの人々がフランスのイスラム系テロリストたちの考えを攻撃した人々のことを不相応に特別扱いして賞賛しているが、その彼らも自分たちの考えに攻撃してくるような発言をする人々にたいしては非寛容だといえる。
  • その一例が、ごく小さな規模で行われている大学のキャンパスでの攻撃にたいする反応だ。
  • たとえばイリノイ大学はローマ・カソリックのホモセクシャルについての見解を教えた教授を解雇している。カンザス大学は全米ライフル協会にたいしてツイッターに厳しい意見を書いた教授を停職にしている。ヴァンダービルト大学は「キリスト教徒がリーダーになるべきだ」と主張したキリスト教団体を不認可にしている。
  • アメリカは預言者モハンマドを馬鹿にした漫画を掲載したシャリル・エブド誌を勇気があるとして賞賛するかもしれないが、元イスラム教徒で無神論者のアヤーン・ヒルシ・アリのスピーチを拒否することが多い。
  • よって、今回の一件は教訓を得るチャンスかもしれない。パリで殺害された漫画家や編集者たちによってわれわれはショックを受けたが、同時にわれわれは、アメリカ国内の議論を呼ぶ人物や扇動家、そして風刺家たちへの対処の仕方について、もっと非偽善的なアプローチを考えるべきであろう。
  • まず最初に言うべきことは、われわれのほとんどが「私はシャルリー・エブドだ」と主張するのは誤りであるということだ。そもそもわれわれのほとんどは、あの雑誌が得意としていたような意図的に不快感を生むような類のユーモアを楽しむような人間ではない。
  • もちろんわれわれが13歳であったら、「ブルジョアを倒せ」といいながら権威に立ち向かって、他人の宗教的信条を馬鹿にすることは「大胆不敵だ」として賞賛されるかもしれない。
  • ところが年をとると、それは幼稚なことに思えてくる。われわれのほとんどは、現実がより複雑なものであるという見方をするようになるし、他者を許せるようになってくるものだ(とくに自分自身の馬鹿さ加減に気づくようになると、人を馬鹿にすることはそれほど楽しいものではなくなる)。
  • われわれは他者が信じている信仰や考えにはささやかな尊敬をしようと努力するようになるものであるし、それを侮辱するよりも相手の言うことを聞いてみようとするものだ。
  • ところが同時にわれわれのほとんどは、扇動者や目立った風変わりな人物が、実に有益な公的な役割を果たすことも知っている。
  • 風刺家や嘲笑家たちはわれわれが誇りを感じているときにもわれわれの弱さやうぬぼれを暴き出すものだ。彼らは成功者の慢心に釘を刺すのである。彼らは最底辺を持ち込むことによって、社会の不平等の凸凹をならしてくれるのだ。
  • うまく効果を発揮すれば、笑いはわれわれの共同体的な短所の問題を解決してくれることになる。笑いというのはわれわれが連帯感を感じることができる究極の経験だからだ。
  • さらにいえば、扇動家や嘲笑家たちは、原理主義者たちのバカらしさを暴くものだ。原理主義者というのはすべてを文字通りに受け取る人々のことであるが、多面的なものごとの見方をできない。彼らは自分たちの宗教が最も崇高だと考えつつも、ほとんどの宗教が一種奇妙なものであるということを理解できないのだ。
  • 嘲笑家たちは、自分たちのことを笑えないような人々の存在を暴き、その周囲のわれわれにたいしてそれを笑うべきものであると教えるのだ。
  • 端的にいって、扇動家や嘲笑家たちのことを念頭に考えると、われわれは最低限の礼節やリスペクトというものを維持したい。ところが、同時に良いマナーや嗜好というものに左右されない、クリエイティブで挑発的な人間たちが活動する場というものものつくっておきたい。
  • このような微妙なバランスを法律や放送コード、それに出演禁止などで崩そうとすると、それは結局あからさまな検閲や、何も言えないような空気を生むことになるだけだ。スピーチを規制したり、演説の内容を規定したり、演者を拒否したりするのは、常に誤りである。
  • 幸運なことに、社会マナーというのは法律や規定などよりははるかに柔軟なものであり、ほとんどの国は礼節や尊敬についての基準をうまく維持しつつ、面白くて下品で挑発的な人間が発言できる場を与えているものだ。
  • ほとんどの国の社会では、大人のテーブルと子供のテーブルがわけられている。ル・モンドのようなエスタブリッシュメントの新聞などを読む人は大人のテーブル、道化師や芸人、それにアン・クールターやビル・マーのような人々は子供のテーブルだ。
  • 彼らは完全な尊敬を勝ち得るわけではないが、それでも彼らの無鉄砲な姿勢からその発言を聞いてもらえるのだ。彼らは時として、誰も言わないが言う必要があることを言うのだ。
  • いいかえれば、健全な社会というのは、発言を抑制せずに、様々な人に様々なことを言わせることができる社会のことだ。
  • 懸命で思いやりのある学者は高い尊敬と共にその発言を聞き入れられる。嘲笑家たちは困惑したような半分の尊敬によってその発言を聞かれる。そしてレイシストや反ユダヤ主義の人間たちは、非難や憎悪というフィルターを通して聞かれることになる。
  • このようなフィルターがいやな人間は、彼ら自身の行為をあらためる必要があるのだ。
  • シャルリー・エブド社での虐殺事件は、スピーチの規制を終わらせるチャンスとしなければならない。そしてこの事件は、われわれに法律的には攻撃的な声には寛容ながら、社会的にはそれを許さないような姿勢が大切であることを思い起こさせるべきなのだ。

岡倉天心『日本の覚醒』を読む-1

本日から3回に亘り岡倉天心の『日本の覚醒』の中の『白禍』をお届けします。これがアメリカで出版されたのが1904年ですので日露戦争が勃発した年です。脱稿した時点ではまだ戦争の決着はついていませんでした。大国ロシアを相手に優勢に戦う日本への警戒、黄禍論が出てきた時代背景がありました。それに対し日本の立場と文化を西洋に理解してもらおうと流暢な英語で書かれた本です。天心の3部作は全部英語で書かれ、『日本の覚醒』の他に『東洋の理想』『茶の本』とありますが、どれも難解です。鈴木大拙や新渡戸稲造の英語の方がはるかに分かり易いです。文章が長いうえに難しい単語が使われているためです。福井藩が横浜に生糸を扱う貿易商店「石川屋」を作り、父覚右衛門を赴任させました。7歳の時から英語塾に入ったため英語はペラペラでしたが、漢籍の修養も積みました。東大卒業後、文部省の役人となり、フェノロサの通訳兼日本美術の調査をし、東京美術学校(現芸大)を設立、後に校長となるも内紛で追い出され、日本美術院を谷中に作って、大観、春草、観山達と行動を共にしました。その後、茨城県北茨城市に六角堂を建て、門下生の育成に励みました。朦朧体も天心の命を受け、大観、春草らが開発したものです。大観は天心を評して「あんな大きい人はいなかった。もうああいう人は生まれてこないだろう」とまで言っているのをTVで見ました。昔のエリートと今のエリートの違いです。

英語と日本語とを載せていますので、英語の苦手な方は英語は飛ばして日本語だけ読んでください。でも英語を訳し訳し読むと天心が何を考えていたか頭に残ります。今回はその一回目。西洋の宣教師が軍事侵攻の先兵として来、西洋は東洋を餌食と考えていたことを見抜いていました。「西洋の言う進歩とは何ぞや。私利私欲のためであるなら進歩を自慢することはできない。大きいだけでは真の偉大さとは言えない。」と。

THE WHITE DISASTER

To most Eastern nations the advent of the West has been by no means an unmixed blessing. Thinking to welcome the benefits of increased commerce, they have become the victims of foreign imperialism; believing in the philanthropic aims of Christian missionaries, they have bowed before the messengers of military aggression. For them the earth is no longer filled with that peace which pillowed their contentment. If the guilty conscience of some European nations has conjured up the specter of a Yellow Peril, may not the suffering soul of Asia wail over the realities of the White Disaster.

To the mind of the average Westerner it may seem but natural to regard with feelings of unmingled triumph that world of to-day in which organization has made of society a huge machine ministering to its own necessities. It is the rapid development of mechanical invention which has created the present era of locomotion and speculation,a development which is working itself out into various expressions, as commercialism and industrialism, accompanied by a tendency toward the universal occidentalization of etiquette and language. This movement, resulting in a rapid expansion of wealth and prestige, originated in a profound realization of the glory of manhood, of comradeship, and of mutual trust. The restlessness that constantly moves its home from the steamer to the hotel, from the railway station to the bathing resort, has brought about the possibility of a cosmopolitan culture. The nineteenth century has witnessed a wonderful spread in the blessings of scientific sanitation and surgery. Knowledge as well as finance has become organized, and large communities are made capable of collective action and the development of a single personal consciousness.

To the inhabitant of the West all this may well be food for satisfaction; to him it may seem inconceivable that others should think differently. Yet to the bland irony of China the machine appears as a toy, not an ideal. The venerable East still distinguishes between means and ends. The West is for progress, but progress toward what? When material efficiency is complete, what end, asks Asia, will have been accomplished? When the passion of fraternity has culminated in universal co-operation, what purpose is it to serve? If mere self-interest, where do we find the boasted advance?

The picture of Western glory unfortunately has a reverse. Size alone does not constitute true greatness, and the enjoyment of luxury does not always result in refinement. The individuals who go to the making up of the great machine of so-called modern civilization become the slaves of mechanical habit and are ruthlessly dominated by the monster they have created. In spite of the vaunted freedom of the West, true individuality is destroyed in the competition for wealth, and happiness and contentment are sacrificed to an incessant craving for more. The West takes pride in its emancipation from medieval superstition, but what of that idolatrous worship of wealth that has taken its place? What sufferings and discontent lie hidden behind the gorgeous mask of the present? The voice of socialism is a wail over the agonies of Western economics,—the tragedy of Capital and Labor.

But with a hunger unsatisfied by its myriad victims in its own broad lands, the West also seeks to prey upon the East. The advance of Europe in Asia means not merely the imposition of social ideals which the East holds to be crude if not barbarous, but also the subversion of all existing law and authority. The Western ships which brought their civilization also brought conquests, protectorates, ex-territorial jurisdiction, spheres of influence, and what not of debasement, till the name of the Oriental has become a synonym for the degenerate, and the word “native” an epithet for slaves.

白禍

多くの東洋民族にとって、西洋の到来は、まったくの幸福とはけっしていえなかった。彼らは、通商の増大を歓迎する気でいるうちに、異国の帝国主義の餌食になってしまった。彼らは、キリスト教宣教師の博愛的な目的を信じて、この軍事侵略の先ぶれに頭を垂れてしまった。彼らにとって、この地球はもはや、枕を高くして眠っておれる平和な場所ではない。 ヨーロッパ諸国民の罪悪感が黄禍の幻影をよびおこしたとするならば、アジアの苦悩する魂が白禍の現実に泣き叫ぶのは、当然ではなかろうか。

一般の西洋人にしてみれば、社会を組織化し、みずからの必要に奉仕する巨大な機械にかえてしまった今日の世界を、勝利感をもって眺めるのは、まったく当然のことかもしれない。機械的発明の急速な発展は、現在のような交通と投機の時代をつくりだし、この発展は.風俗や言語の西洋化傾向をともないながら、商業主義、工業主義など、さまざまの表現と なってあらわれている。国富と国威の急速な伸張をもたらしたこの動きは、もとはといえば 、人間性、友愛、相互信頼の栄光の自覚に由来するものであった。汽船からホテルへ、停車場へとたえずわが家を移す落着きのない生活は、世界主義文化の可能性をもたらした。十九世紀に、科学的公衆衛生と外科医術のめざましく普及した。経済とともに知識も組織化され、国家社会が集団的行動をとり、単一の意識を発展させることを可能にした。

西洋の住民にとって、これらすベては満足の種であろう。彼らには、それとちがった考え方をするものがいようなどとは、想像もできないことかもしれない。だが、中国のおだやかな逆説ヒよれば、機械は玩具であって、理想ではない。古き東洋は、今なお手段と目的とを区別する。西洋は進歩を信じているが、いったい、何にむかっての進歩であろうか?アジ アは尋ねる——完全な物質的能率がえられたとして、そのとき、いかなる目的がはたされたというのであろうか?友愛の熱情がたかまり、世界の協力が実現されたとして、そのときそれは何を目的とするのであろうか?もしそれが、たんなる私利私欲であるならば、 西洋の誇る進歩は、はたしてどこにあるのか?

西洋の栄光には、不幸にしてこの裏面がある。大きいだけでは、真の偉大ではない。贅をつくした生活が、すなわち文化であるとはいえない。いわゆる近代文明を構成する個人は、機械的慣習の奴隸となり、みずからがつくりだした怪物に容赦なく追いつかわれている。西洋は自由を誇っているが、しかし、富をえようと競って、真の個性はそこなわれ、幸福と満 足はたえずつのってゆく渴望の犠牲にされている。西洋はまた、中世の迷信から解放されたことを誇っているが、富の偶像崇拝にかわっただけのことではないのか?現代のきらびやかな装いのかげにかくされている、苦悩と不満はどうなのか?社会主義の声は、西洋経済の苦悶—資本と労働の悲劇——の声にほかならない。

ところが、その広大な地域で無数の犠牲者を出してもなお満足せず、西洋は、東洋までも餌食にしようとしている。ヨー ロッバのアジア進出は、東洋にとって、野蛮でないにしても粗雑としか思えない社会思想のおしつけであるばかりか、現存のあらゆる法と秩序の破壊を意味する。西洋文明をもたらした彼らの船は、それとともに、征服、保護領、治外法権、勢力圏、その他さまざまの悪しきものをはこんできた。そしてついには、東洋といえば退化の同義語になり、土着民といえば奴隸を意味するにいたった。