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1/22・29号週刊新潮 櫻井よし子【日本ルネッサンス】記事について

世界は悪に満ちているという記事です。アメリカは狡猾にも日本を大戦に引き込み、戦後占領期に検閲・焚書して日本人の洗脳をしました。ユダヤ人虐殺に手を貸したユダヤ人、内モンゴル人虐殺に手を貸した内モンゴル人同様、日本の精神的解体に手を貸した日本人が沢山います。その戦後利得者が既得権者となって日本精神の復活を妨げようとします。朝日新聞がそのトップに挙げられるでしょう。政治家・官僚にもその手合いがゴロゴロいます。権威を信じるのではなく、事実をもっと良く見るようにしないと騙されます。

情報戦に日本は戦争前から負けています。正義が勝つとは限りません。中華、小中華はスマートに賄賂を贈りますし、ハニートラップは当り前です。彼らを豊かにすることはそのための軍資金を与えているようなものです。米議会の調査局も鼻薬かハニトラにかかっているのでしょう。歴史問題について言えば、アメリカに正義があるとは言えません。東京大空襲や原爆投下、憲法の押付け等国際法違反です。挙句は茶番の東京裁判ですから。日本国民は勇気をもって歴史を振り返りませんと。「長いものに巻かれろ」式ではいつまで経っても不名誉は雪ぐことはできません。時間をかけても正々堂々米中韓相手に主張をしていかないと。それには強い国民の支持が必要になります。敵の謀略に引っかからないようにしませんといけないと思います。日本のメデイアは敵の手先と思った方が分かり易いです。

1/22『外交も戦争も全て情報戦が決める 』 記事

お正月休みを利用して、以前からじっくり読みたいと思っていた本を読んだ。米国政治学会会長や米国歴史学会会長を歴任し、1948年に74歳で亡くなったチャールズ・A・ビーアドの・President Roosevelt and the Coming of the War, 1941・(邦訳『ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか』開米潤監訳、藤原書店)である。

ビーアド博士は614頁に上るその大部の書の中で、あくまでも冷静に正確に、ルーズベルト大統領が如何にしてアメリカを第2次世界大戦に参戦させたかを書いている。

ルーズベルトは1939年の独ソ不可侵条約締結以降、ナチスドイツとの戦争は避け難い、日本との戦争も回避し難いと覚悟していた。しかし、米国民と議会には根強い反戦・厭戦論が存在した。1940年の大統領選挙においても、攻撃を受けない限りアメリカは絶対に参戦しないと、自ら幾十回も繰り返した。公約違反はできない。結果として、彼は本音を隠し続けた。

ルーズベルトとハル国務長官は、国民と議会に対し、アメリカが戦争に向けて準備をしていること、1941年8月のルーズベルトとチャーチルによる大西洋会談ですでに参戦を決めていたことなど、おくびにも出さず、メディアを巧みに操った。

こうした事実を公文書、議会の議事録、報道記事など広範な資料に基づき証明したのがビーアドであり、アメリカが戦争に至った原因は、日独といった枢軸国の行動だけではなく、アメリカにもあるという事実の集大成としての本書である。

本書は、1948年4月に上梓されたが、彼の主張は反愛国主義であると非難され、不買運動まで起きた。アメリカの歴史学会会長としてのビーアドの名声も地に落ち、彼は友を失い、孤立した。

それでも本書はアメリカで版を重ねて読みつがれてきた。本書を貫く冷静さ、事実に沿ってアメリカ外交の実態を描き出したビーアドの知的誠実さゆえであろう。

事実の捏造まで

ビーアドの書は第2次世界大戦に関して私たちが日中戦争もしくは日米戦争に焦点を当てすぎる余り、ともすれば注視しないで終わりがちなヨーロッパ戦争の重要性に目を向けさせてくれる。

チャーチルをヒトラーに勝たせること、イギリスの勝利がアメリカの国益であると確信したルーズベルトが、チャーチルとの意思の疎通を重ねて参戦に傾いていく様が、ビーアドによって明らかにされていく。

ビーアドは取り立てて親日であるわけではないが、歴史を見詰める彼の目の公正さは、枢軸国の一員として絶対悪の存在とされてきた日本の評価を多少なりとも変える力を持つものであり、私たち日本人こそ、この書を読むべきなのだ。

参戦すべきだと確信していながら、前述のように参戦できない要素に縛られていたルーズベルトは、アメリカが攻撃を受けてやむなく参戦に踏み切ったという形を作るために、情報隠しを超えて、事実の捏造まで試みた。たとえば大西洋でのアメリカ駆逐艦「グリアー号事件」である。

事件は1941年9月4日、国籍不明の潜水艦が、アイスランドに向かうグリアー号を攻撃したというものだ。ルーズベルトは9月11日、ラジオ放送で「ドイツの潜水艦が先にアメリカの駆逐艦に発砲した」、「警告もなしに」「計画的にアメリカ艦を沈没させようとした」と、公式に発表した。

ドイツ側はルーズベルトの発表を全否定し、アメリカ上院海軍委員会が詳細な調査に乗り出して、以下のことを明らかにした。

グリアー号はイギリス機から、約10マイル先の海中を潜水艦が航行中と教えられ、その追跡を始めた。追尾は3時間以上続き、イギリス機が爆雷4発を投下、対して潜水艦は魚雷を1発発射し、グリアー号が爆雷8発で応戦した。潜水艦はもう1発魚雷を発射、2時間後、グリアー号は再び潜水艦を見つけ爆雷攻撃をかけたという。海軍委員会のこうした詳しい調査結果は、ルーズベルトの説明が不正確かつ不適切であることを証明してしまった。

このあとも、米海軍艦「カーニー号事件」(41年10月17日)をはじめ幾つかの「事件」が起きた。ルーズベルトは、対ドイツ宣戦布告の正当な根拠を創作しようと試み続けたわけだ。しかし、海軍委員会やメディアの調査によって彼の企みはいずれも自壊し、このとき、ルーズベルトとハルは日本に特別の注意を向け始めたと、ビーアドは書いている。

ビーアドは、大多数のアメリカ人にとって最大の敵はドイツのヒトラーであって日本ではなく、むしろ対日戦を避けることでドイツ戦に軍事力を集中できると考えていたと説く。

絶対にのめない条件だが、ルーズベルトはそうではない。彼は41年7月には在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込みつつ、先述の大西洋会談をチャーチルと行ってその後、連邦議会指導者に、「武力戦争」になる最大の危険は極東にあり、「日本が新たな武力侵略を始める可能性は五分五分」と示唆している。

日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけたのは41年11月26日だが、そのときも、ハルもルーズベルトも、アメリカが日本を追い込んだことは語っていない。

ハルノートの内容が、それ以前の7か月にわたる日米交渉の内容をはるかに超える厳しいものであり、日本政府は絶対にこの条件をのめないと彼らが確信していたことも隠し通された。

ビーアドは記述している。ハルノート手交の翌日の11月27日、米陸軍省がアメリカ前戦基地司令部あてに極秘の警告を発したのだが、ルーズベルトの指示で「戦争が回避出来ないのであれば、合衆国は日本に最初の明白な行動に出ることを望む」という一項が加えられた。

このことに関して、春日井邦夫氏の大部の書『情報と謀略』(国書刊行会)には、ハルノート手交当日、ルーズベルトはチャーチルがアメリカに派遣した情報マン、W・スチーブンスン(暗号名イントレピッド)に、日本との交渉は失敗に終わると伝え、イントレピッドは翌27日にその情報をチャーチルに伝え、軍は2週間以内に行動を開始すると打電したと指摘している。

ビーアドの表の情報と、春日井氏のいわば裏の情報がピタリと重なるのである。ルーズベルトは真珠湾攻撃を言葉を尽くして非難したが、それが結局彼の待ち望んでいたアメリカ参戦への「口実」となったことは、ビーアドの書からも明らかだ。

情報戦の凄まじさ、恐ろしさを実感する。いま、日本は中国の情報戦略で深傷を負わされつつある。国の命運をかけて情報戦を戦わなければならないと思うゆえんだ。

1/29『誤解に満ちた「米議会調査局」報告』記事

日本の情報発信力が問われている中、1月13日に米議会調査局が日米関係に関する報告書を発表した。日米関係の重要性を強調してはいるが、驚くべきは、慰安婦問題、靖国参拝問題をはじめとするいわゆる歴史問題に関して、全面的に中韓両国の側に立った主張が書き込まれており、日本の情報発信戦略が如何に機能していないかが見てとれる。

報告書はA4で33頁、冒頭の総論はまず、アメリカにとっての日本の重要性が安全保障及び環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉の両面で強調されている。政権を奪還し、安定した基盤に立って経済再生を進め日米同盟強化に貢献する安倍政権を、オバマ政権が積極的に支持、と明記された。安倍政権が進めてきた政策と実績への前向きの評価である。

しかし、続く段落で、「安倍は強い国粋主義思想で知られる」との批判に転じ、次のように書いている。

「第2次世界大戦時に売春を強制されたいわゆる『慰安婦』問題、A級戦犯を含む日本の戦死者を祀る靖国神社への参拝、日本海及び東シナ海の領土争いに関する声明など、安倍の取り組みすべてが同地域で進行する緊張につながっている」

「多くの米識者の見るところでは、安倍は同盟関係に肯定的、否定的双方の要素をもたらす。時には同盟関係を強化し、時には地域の安全保障環境を乱しかねない歴史に関する敵意を再生している」

議会調査局の報告書をまとめた5人の専門家は、安倍政権の実績としての政策を分析し、評価する理性を持ちながら、他方で安倍首相の心の内に何かしらおどろおどろしい思考があるとでもいうような、偏見や非理性的な感情に引き摺られているのである。

結果として、安倍首相の実績を賞賛し、そのすぐ後で首相の心を忖度してはけなすということを繰り返す。その繰り返しは「日本の外交政策と日米関係」の項でも顕著である。

国粋主義者の閣僚?

日米同盟を強化し、米軍再編の行き詰りを打破し、東アジアにおける日本の外交、安全保障上のプレゼンスを高め、TPP交渉にも参加した安倍政権への賞賛のすぐ後に「日本と周辺諸国、とりわけ中国と韓国に対して歴史問題で反日を激化させる行動をとったことで、安倍とその政権は米国の国益を危険に晒した可能性がある」という具合だ。

中国との問題とは、尖閣諸島への中国船の度重なる侵入であり、ハルビン駅に安重根の記念館を建てたことであり、「40万人説」にまで発展した「南京大虐殺」の捏造であり、米国を舞台にした反日歴史戦争であろう。

ちなみに、アメリカ国務省は首相の靖国参拝に「失望」したが、中国がハルビンに安重根記念館を建てたことには無反応だった。安はわが国首相を暗殺したテロリストだ。朝鮮出身のテロリストを中国政府が記念館を建てて顕彰すること自体がおかしい。なぜ、アメリカはここでこそ、失望したの一言を言えないのかと、私は疑問に思う。

一方、韓国との問題といえば慰安婦問題であり、竹島問題であろう。

これらの問題は、安倍政権が「反日を激化させる行動をとった」結果ではなく、むしろ中国や韓国が仕掛けたと、日本側は感じている。

日本と両国の関係が良好でないのも、安倍首相の発言や行動が直接の理由というより、両国は安倍政権誕生のときから、首脳会談にも応じなかった。それでも報告書は、これらすべてが安倍首相と日本の責任であるかのように分析している。

「安倍と歴史問題」の項目には、公正さを欠く批判の言葉が連ねられている。日中、日韓関係には歴史問題がつきものだとして、「20世紀初頭の日本による占領、戦争行為に対する十分な償いも満足な賠償も行われていないという議論がある」というのだ。

日本は韓国との13年にわたる長い交渉を経て、1965年6月に日韓基本条約を締結した。60年代でまだ貧しかった日本は、18億ドルの外貨準備高から、5億ドルを韓国に渡した。中国には日中国交回復後の70年代以降今日まで、3.6兆円を超えるODAを提供してきた。そうした日本の努力に言及はなく、報告書は次のように続いている。

「安倍が閣僚に選んだ人物にはナショナリストを標榜する人物、ウルトラナショナリスト(国粋主義者)、大日本帝国の栄光を讃えるような意見を標榜する人物がいる」

安倍政権の国粋主義者の閣僚とは一体誰のことか。大日本帝国時代の栄光を讃える閣僚とは誰か。私の脳裏にはそんな人物は浮かんでこないが、自信をもってこのように議会に報告した米国の専門家に教えてほしいものだ。

「ウィークジャパン派」

アメリカが日本を理解しないのはなぜか。日本側がきちんと情報発信を行ってこなかったからだ。たとえば報告書には、「在米韓国人活動家勢力のおかげで慰安婦問題がアメリカ人の意識に上った(gained visibility)」というくだりがある。

慰安婦問題など全く知らなかったアメリカ人に、「強制連行」「性奴隷」「10代の少女たち」「20万人」「大半の女性を殺害」などの捏造情報を織り込んで慰安婦問題を知らせたのが在米韓国人活動家であり、それを応援する中国人勢力だった。

私たちにとっては心外なこうした情報が、米国議会への報告書をまとめる専門家たちに聞き入れられたということは、皮肉な言い方だが、アメリカ人は聞く耳を持つということではないか。

慰安婦、靖国参拝、さらに南京事件についても情報を整理し論理だててきちんと説明すれば、彼らが聞く耳を持たないということはないのである。

日本側の情報発信が如何に重要かということだ。

それでも、日本の前に立ち塞がる壁もある。それは、安倍首相と安倍政権を「国粋主義」や「歴史修正主義」という言葉で非難するアメリカ人の心の中に、日本を弱い国にしておきたいとの心理が働いているのではないかという点だ。

日本占領時に、「日本に武力を持たせず未来永劫弱小国にしておきたい」と考えたのが、民政局を中心にした「ウィークジャパン派」である。対して、一定期間後に、日本は独立国として応分の力を回復すべきだと考えた「ストロングジャパン派」も存在した。首相の憲法改正に関する発言や靖国神社参拝への激しい反発は、ウィークジャパン派の思想と相通ずるものだ。

日本を真の意味での自主独立の国にすることを是としない考え方がアメリカに今も根強く存在することを承知して、私たちは自主独立の気概を持つ日本こそが、よりよい形でアメリカの戦略的パートナーたり得ること、自由、民主主義、法治という人類普遍の価値観にもよりよく貢献できることを、伝えていくべきだ。

映画「KANO」を見て

昨日は映画「KANO」を見ました。今は失われつつある昭和の諦めない「ガンバリズム」と団結する力を描いたものです。昭和6年に決勝戦で敗れた嘉義農林(旧制中学)の活躍ぶりが描かれていてさわやかでした。「日本人、漢人、蛮人(高砂族の意)」が力を合わせてライバルにぶつかっていきます。記者の中には蛮人を侮蔑する発言をする人もいましたが、決勝戦を見て嘉義農林のファンになります。嘉義農林は決勝で中京商に敗れます。投手の呉明捷は早稲田に進み、大学野球で7本のホームランを打ち、この記録は長嶋茂雄が出てくるまで破られなかったと言います。嘉義農林は通算で4度甲子園に出たそうです。八田與一も登場し、嘉南大圳もこの年できたのが分かります。映画は朝日新聞も後援しています。戦前・戦中の朝日はまともだった、というよりは戦争を煽った新聞ですが。今は慰安婦問題で1万人訴訟を受ける身です。台湾の魏徳聖監督は日本を公平に見てくれています。「セデック・パレ(霧社事件」」という映画では日本の台湾統治の初めの頃、原住民(=先住民族のことを原住民と台湾では言います)を日本軍が鎮圧した事件を扱っています。中韓と違い、日本のいいところも悪い所も客観的に見てくれています。「海角7号」も彼の手によるものです。「KANO」では大連商業も甲子園に出ていました。大東亜の五族協和、王道楽土が実現されていたものです。昭和6年(1931年)は満州事変が起きた年です。中国は満州国を偽満州、日本の傀儡と言いますが、「紫禁城の黄昏」(レジナルド・ジョンストン著、彼は清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の家庭教師をしていた)では違って書かれています。英国人が公平に見て書いてあるので詐術の得意な中国人の書いたものよりよほど信用できます。その本の中には、岩波版では削除されている「当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満州が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満州国皇帝になるのは自然なこと」が盛り込まれています。左翼は自分の都合の悪い部分は知らせないよう良く改竄します。平気で嘘がつける不誠実な人の集まりです。マスメデイアもその傾向があります。注意しましょう。

 

1/27大礒正美氏『国際政策コラム<よむ地球きる世界>少数派に転落するか民主主義国』について

 

オバマは「戦争嫌い=武力行使嫌い」、「大きな政府」をモットーとし、リベラルにありがちな容共政策を取りたがっています。民主党政権はF・D・ローズベルトがそうでした。後にマッカーシー旋風が起きたくらいでした。ヒラリーもビルが大統領の時に医療保険をやろうとしていましたし、中国(今でも共産党支配です)から(米国在住の中国人ですが迂回でしょう)献金を受けたのが問題になっていました。

レジェンドが何もないオバマとしてはキューバと国交正常化して歴史に名を留めたいと思っているのでしょう。北朝鮮と違い核も持っていないのでやりやすいと言えばやりやすいでしょうが、フロリダに住む亡命キューバ人がどう思うかです。アメリカは中国について「豊かになれば民主化する」という安易な思いで豊かにしましたが、民主化されたでしょうか?結果はアメリカに対抗し、軍事覇権を目ざすモンスターを作ってしまいました。日本を戦争に巻き込み、中国の門戸開放を狙ったF・D・ローズベルトも彼の死後、戦後は中国大陸を共産党に牛耳られ、手出しできなくなりました。

キューバは中国と違い、人口も少ないので、脅威とはならないでしょう。但し、中国と同じで社会主義政権は役人の許認可権が生殺与奪の権を握り、政権を批判できるメデイアもありませんので、既得権益の固い岩盤を崩せるかどうかです。問題はニカラグアに運河を開こうとしている中国です。アメリカの裏庭に手を出そうとしているのに、表だって動こうとはしていません。ニカラグアは台湾と外交関係を結んでいる数少ない国で、中国の投資が実行されれば台湾と断交させられるのとパナマ運河が封鎖された時の代用施設を持っておきたいという軍事的な意味合いからだと思います。太平洋を分割統治しようという野望に沿ったものです。経済的には「不動産バブル」「理財商品」等でガタガタになっている中国ですが、いつまで帳簿改竄、「飛ばし」で持つのでしょうか。騙されてはいけないです。

安倍首相の戦後70年の談話は村山や小泉談話を引き継ぐ必要はありません。戦勝国史観に則って「植民地支配と侵略」へのお詫びを入れるというのは、倒錯しています。1940年代に植民地を多く持っていたのはどこの国かと言いたい。単に戦争に負けただけで、彼らと比較して悪いことをしたわけではありません。少なくとも日本は植民地(colony)ではなく併合(annexation)の形態でした。満州は中国の領土ではありません。満州族のものです。万里の長城の存在が物語っています。内蒙古自治区も新疆ウイグル自治区もチベット自治区も中国人というか漢族のものではありません。侵略を言うのであれば漢族でしょう。まあ、正面切って歴史を見直せばアメリカにとって「不都合な真実」がいっぱい出てきますので、過去に焦点を合わさず、未来の日本の姿を言うのが良いと思います。

記事

アメリカ政府が、というよりオバマ政権が、いつの間にか中国に対して民主化や人権を言わなくなった。日本でもそういう変化に気がついていたが、先月、オバマ大統領が突然、キューバ封じ込め政策を転換すると発表したことで、米国の変心が決定的になった。

 オバマはその前年2013年9月に、「世界の警察官ではない」と言い切っていた。キューバの共産党政権を認めるという決断も、その延長線上にあることは確かだ。

 この大転換は人類の歴史に刻まれるほどの衝撃である。冷戦後の世界が、実は間違っていたと言っているようなものだからだ。

 ソ連の完敗は近代民主主義の勝利と受け取られ、今後の世界は挑戦のない退屈なものになるだろう、というような楽観論が世界に広まった。

 その楽観論には、ロシアと中国が早期に自由民主主義を取り入れるだろうという期待が含まれていた。それが裏切られてもなお、ある国の総理大臣は、世界の紛争を「友愛」で解決できると言い続けた。

 その期待を「プーチン大帝」はアッサリと裏切って、昨年ウクライナのクリミア半島を電撃回収した。2015年は「中ソ Vs.旧西側」の第2次冷戦が始まるのではないかという見方もある。

 西側は何を間違えたのだろうか。

 答は民族のDNAを忘れたことである。「民族性」は簡単には変わらない。ロシアもチャイナも、何かに反発して、潜在していた民族性を吹き出させたと言えよう。

 ロシアに関しては「タタールの軛(くびき)」という古い表現で説明できる。タタール(韃靼)とは中央アジアの遊牧民を意味し、くびきは牛を使役に使うとき首を固定する道具のことである。

 つまりロシア民族は「ロシア的専制」と言われ、押さえつける支配と被支配の歴史・文化が特徴だということである。

 プーチンがウクライナに固執しているので誤解されることがあるが、ロシア帝国の前身はキエフ公国ではなくモスクワ大公国で、そのまた前身は大モンゴル帝国が残した諸「汗国」の1つの「キプチャク汗国」である。

 それが大モンゴルと同じように、アジア大陸の北半分を版図とする大帝国に発展したのである。

 つまり歴史上、このDNAは、モンゴル帝国、ロシア帝国、ソ連と、3回も同じような大帝国を繰り返し実現しているわけで、ただただ驚異(脅威)と言うしかない。

 次に、中国が米国と対等の地位を要求しているのは、いうまでもなく歴史的チャイナの中華思想ゆえである。この版図には朝鮮半島も入っているが、もともと中華思想には「国家」という概念が薄い。周辺の民族には服属の度合いによって序列を与える。

 これでは、根本的に民主主義とは相容れない。世界史の分け方では、近代どころか、まだ前近代にも達していな

いということになる。

 日本と比べてみると、その大きな差が分かるはずだ。

 日本は「忠孝」とか「忠義」「忠誠」という熟語で分かるように「忠」が最高の価値であるが、中華思想では「孝」が最高である。儒教より古い価値観だ。

 司馬遼太郎が「項羽と劉邦」(1980年)に書いているように、「儒教以前の土俗倫理も儒教以後の倫理においても、親がもとで、子は枝葉にすぎず、孝の思想はあくまで親が中心であった」。

 つまり、日本では家族・一族の親に対する「孝」よりも、主君への「忠」が重んじられ、それが武士階級を生み育てた。平安末期に源平の武家頭領が成立し、次第に主君と所属藩への「忠」が確立して約7百年後に、忠の対象が日本国にスムーズに移行して近代国家となった。

 中華思想の世界では武士階級が生まれず、国民国家の基盤が用意されなかった。日清戦争で日本が打ち破った相手は、国軍でなく北洋大臣・李鴻章が育てた私兵だった。孫文の辛亥革命のあとも、軍閥割拠になっただけで、国民軍も国民国家も成立せず今日に至っている。

 宗主国の制度をありがたがる朝鮮では、文官優位がもっと徹底していた。 

 10年ほど前、「武士(MUSA)」という韓国映画が日本でも公開された。日本の時代劇のパクリだが、主人公の武芸者が、なんと貴族官僚に仕える「奴隷」という設定になっていた。現代の韓国民でさえ、武人はイコール奴隷でないと納得がいかないのである。そうすると当然、幕末までの日本は奴隷が支配する国、奴隷民族だという理解になる。

 実際、韓国では「倭奴」(こびとのどれい)という蔑称が、「チョッパリ」(豚野郎)などと共に復活している。産経新聞ソウル支局長の名誉毀損裁判で、傍聴席から反日団体がこういうヘイトスピーチを大声で叫び、退廷させられたと報道されている。

 あまりにバカらしい「ナッツ・リターン」騒動も、その遠因である歪んだ財閥依存経済がどうして形成されたのかを考えると、「忠」がなくて「孝」だけだからだと分かるだろう。

 日本では、高度成長期に、「社蓄」とまで言われる会社への忠誠心が批判されたが、韓国は財閥の創始者に一族郎

党すべてが「孝」を尽くし、一般の社員はその秩序に従わねばならない。

 大統領も当選すると、本人はともかく、一族郎党が利権を漁るのが当然とされていて、必ずスキャンダルにまみれて5年の任期を浪費する。

 大統領は、彼らの「孝」に報いなければならず、その対価は極めて大きい。近代国家にはほど遠い段階である。

 宗主国のチャイナも、そのパターンを極大化させたものと思えばいい。習近平が自ら皇帝化してきたと言われるが、忠誠を誓う人民はひとりもいない。あるのは、支配組織としての共産党独裁体制と、2千年以上の昔からの一族社会である。

 愛国心を植え付けようとしても、近代国家の基盤である「忠」がどこにもないので、対象がない。そこで、「歴史的に領土を奪われた」という恨みを植え付けるしかないことになる。

 ひるがえってみれば、オバマ大統領はもともと人権派弁護士が出発点だったのに、今その初心を捨てて、冷戦終結後に残った3大共産党独裁国のうち2つの現状を容認し、民主化要求を後退させた。残る北朝鮮をどうするか。

 それだけでなく、中東への地上部隊派遣を否定した結果、イスラム過激派勢力の拡大をも許したことになる。

 イスラムのDNAと中東諸民族のDNAは、複雑にからみあっている。もともと民主主義の基盤はない。  

 歴史をさかのぼると、これも大帝国だったオスマン帝国に行き着く。いまのトルコ国民とはだいぶ違っていて、中央アジアから移動してきた民族が建てたと言われる。

 そうなると、将来の世界で、民主主義国はやはり西欧と北米と日本だけの少数派になるかもしれない。

 オバマにそういう歴史観はない。だから日本を軽視して「中韓に従え」と圧力をかけ続けている。

 面と向かって安倍総理が、民主主義の旗振り役を引き受けると宣言したら、どんな顔をするだろうか。

 終戦70周年の安倍談話を、こういう視点で「創成」する絶好の機会である。

1/23日経ビジネスオンライン 長尾賢 『周辺国への介入を嫌うインドと、遠交近攻の日本 日本とインドが「同盟」を組む可能性』記事について

 

インドで思い浮かぶのはカレー、カースト制、貧困、賄賂、マザーテレサ、IIT(インド工科大学)と言ったところでしょうか。アジアであっても遠い国のイメージになると思います。顔つきも日本人と違うので、あまりなじみがない感じがします。

以前、アフターブ・セット元駐日インド大使と飲んだ時に「日本とインドは歴史的に見てぶつかった時がない。仏教を初めとして長い間、友好が続いている。」と言われました。確かに、インド国民軍のチャンドラ・ボースやパル判事等第二次大戦前後に日本の立場を良く理解してくれた人たちもいます。

青山繁晴氏が以前TVで「チャンドラ・ボース・ジャパン大学」を作ろうと提案していた記憶があります。戦後、日本は戦勝国に歴史を書き換えられ、不名誉なこと(南京虐殺、慰安問題)まで押し付けられました。西欧中心の歴史観、中華思想に立脚した歴史観でない立場で歴史を眺め、世界に発信する基地となれればいいと思っています。本来、日本がやるべきなのでしょうが、まだまだ外圧に弱いのと歴史を改竄するのかと言われそうだからというのがあると思います。歴史の改竄が得意なのは中韓ですが。

ハンチントンは『文明の衝突』の中で、「イスラムと儒教文明圏が手を結んで西欧文明に対抗する」と主張したとあるメルマガで読んだ記憶があります。(申し訳ありませんが、本は読んでおりません)。儒教は宗教ではなく、礼と楽を教えた道徳なのではと思います。それが一神教のイスラムと手を結ぶことは考えにくいです。中国が「孔子学院」を世界に作っても広がらず、というか共産党の都合の良い話しか教えないと言うので閉鎖しているところも出て来ています。儒教の影響を最も受けたのは日本で、中国・韓国は残っていたとしても形だけでしょう。日本は神道、仏教、儒教とあらゆるものをうまくミックスさせ、換骨奪胎してきました。

最後に、中国の台頭を抑えるためには遠交近攻が必要です。今オバマがインドに行っていますがもっと地政学を勉強してほしいです。日本ももっともっと交流していくべきです。

記事

日本とインドが接近する動きが加速する傾向にある。昨年はその傾向を示す事態が相次いだ。1月にはインドの共和国記念日の軍事パレードの主賓として安倍晋三首相を選んだ。5月に就任したナレンドラ・モディ首相は、主要国で最初の訪問国として日本を選んだ。この1月に訪印した岸田文雄外務大臣は、中国が領有権を主張しているインドのアルナチャル・プラデシュ州は「インドの領土」であると明確に表明した。

 日印間の連携はこのまま強化が進んでいくのだろうか。これを疑問視する見方もある。インドは同盟関係を結ぶことによって、かえって、外交政策を自ら主導的に決めることができなくなることを恐れているからだ。だからインドでは、「非同盟」という言葉が、一定の支持をもって受け入れられている。

 一方、日本にもインドを低く評価する向きがある。インドはまだまだ貧困にあえぎ、多くのトラブル・犯罪の話に事欠かない国である。軍事的にも、米国のように世界的なレベルで強い国ではない。そもそもインドは、日本から遠すぎるのではないか。疑問は尽きない。

 こうした疑問を解消する一つの指標は、インドの外交戦略上の傾向を分析することだ。インドはどのような国と同盟を組む傾向があったのか。その原因は何だったのか。これらを分析することで、今後を占う基準にすることができよう。本稿はこの課題に取り組む。

インドは自称「非同盟」

 筆者は、インドが1947年に独立した後に経験した軍事行動を28に分けて分析した(注1)。その結果、興味深い特徴をみつけることができた。

 特徴の1つ目は、インドが自称「非同盟」であることだ。独立当初、インドは本当に非同盟だった。しかし、1962年に中国との戦争に負けて以降、米国との軍事協力を進め、その後、ソ連との関係を強化するに至った。これは事実上の「」つき「同盟」である。だから、今後もインドが「同盟」を組む可能性を示している。

(注1)インドの軍事行動28の分析は、筆者が2011年に書いた学習院大学における博士論文。ミネルヴァ書房より出版する予定

南アジア全域に及ぶ縄張り意識

 では、インドはどこと「同盟」を結ぶのだろうか。インドは、国益を脅かされたと感じた時に「同盟」を結んでいる。ではどのような時に国益を脅かされたように感じるのだろうか。インドは、インドの本土を脅かされた時だけでなく、インドの周辺国に外国が介入した時にも国益を脅かされたと感じ、「同盟」を結ぶのだ。これが2つ目の特徴である。

その典型的な例は、1971年にインドとソ連が結んだ印ソ平和友好協力条約である。この時、米国はソ連を封じ込めるために、中国との接近を図った。しかし米国と中国とは、直接国交がない。だから、米中両国と国交があるパキスタンが中継地となった。インドからみれば、米中がパキスタンとの関係を強化した形になる。しかも当時、インドはパキスタンと戦争寸前の状態にあった。米中両国がパキスタン側に立って参戦することを恐れていた。だから、インドはソ連との「同盟」関係を構築して対抗したのである。

india alliance

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図:1971年当時の各国の位置関係

同じようなことが1980年代にも繰り返された。80年代には米国がスリランカとの軍事的な関係を強化した。中国もネパールに武器を輸出した。こうした行動はインドを強く刺激し、インドとソ連の軍事的関係を強化することにつながった。80年代にインドがソ連から大量の武器を輸入した事実が、このことをよく示している。

 さらに、同じ傾向が現在も続いていると言ってよい。1990年以後、インドと米国の関係は強化される傾向にある。しかし、米国がパキスタンに武器を売ると、米印関係の進展の障害になる。同じように、昨今、ロシアがパキスタンに武器を売ることを決めると、インドはロシアに対して強い警戒感を示した。

インドの外交の3つのグループ

 こうして見ると、インド外交の対象は、大きく3つのグループに分かれるように見える。1つは、インドの周辺国である。インドに比べれば圧倒的に小さい国々だ(注2)。これらの国々を、インドは自らの「縄張り」ととらえている。

 2つ目のグループは、そのインド周辺国に介入するかもしれない国々である。特に中国だ。

 そして3つ目のグループは、インドの周辺国に介入することなく、介入してくる国々を牽制する国々だ。中国の外側にいる国、つまりロシアは、このグループといってよい。

 このグループ分けでややこしいのは米国だ。冷戦時代、米国はパキスタンやスリランカを軍事的に支援した。この点ではグループ2に当たる。しかし、インドが中国に対抗する際、米国はグループ3に属する国だ。

(注2)米ドル換算で計算すると南アジア諸国の国防費の合計額の約8割をインド1国が占める。パキスタンも含め残りすべての国を合わせても約2割にしかならない。

インドにとっての日本

 さて、このような傾向の中で、日本はどこに含まれているだろうか。実は、日本はこのグループ3に含まれるものと考えられる。インドが日本に注目する時、その理由には共通点があるからだ。

 例えばインドは、英国からの独立運動を支援した存在として日本を高く評価していた。冷戦末期、ソ連の力が弱くなり、米国に対抗するための新しい国を探していた時に、インドは日本との「同盟」関係に注目した。日本の経済成長が著しく、米国内には日本脅威論すら生まれていたからだ。そして現在、中国との関係を考える際に、インドは日本との「同盟」関係強化に注目する。

 つまりインドにとって日本は、インド周辺国に介入することなく、介入してくる国々を牽制する国々の一つと言える。今後、インドと中国の関係に問題が生じると、日本との関係をより重視するようになる可能性があろう。

日本はどこと同盟を結ぶか

 一方、日本の外交戦略上の傾向は、日印の「同盟」関係強化を後押しするものだろうか。

 過去に日本を分析した有識者の中には、日本にはバンドワゴンの傾向があると指摘する向きがある。バンドワゴンとは、「最強国との提携」を意味している。例えば日本が同盟を結んだ時、英国は世界の海を支配する大帝国だった。日本がドイツと同盟を結んだ時、ドイツはヨーロッパの全域を支配する勢いがあった。そして日本が米国と同盟を結んだ時、米国は世界で一番強い超大国であった。このような見方をする有識者には、例えばハーバード大学教授だった故サミュエル・ハンチントンがいる。

 ハンチントンが大変優秀な学者であることに疑いの余地はない。しかし、日本は本当にバンドワゴンなのだろうか。もしバンドワゴンだとすると、米国の力が後退し、中国の影響力が最も強くなった時、日本は中国の興隆を認め、その秩序に順応することになる。ハンチントンは日中が手を結ぶ可能性すら指摘している(注3)。ところが実際には、昨今の日本は中国の台頭へ対抗しようとしているように見える。これは、ハンチントンの予測とはまったく逆の傾向だ。

 もしかしたら、日本はバンドワゴンではなく、遠交近攻によるバランシング(勢力均衡策)を好むのかもしれない。遠くの国と同盟を結んで、近くの脅威に対抗するという意味だ。例えば日英同盟には、ロシアの南下政策に対抗する意味合いがあった。日本がドイツやイタリアと同盟を結んだ時も、関係が悪化し始めた米国を牽制する側面があったと指摘できよう。戦後、日本が米国と同盟を結んだ時は、冷戦初期で共産主義が拡大する脅威が存在した。つまり、日本は近くの脅威に対抗するために、その反対側の国と同盟を結ぶ傾向があることになる。

 もしそうであれば、日本は次にどこと同盟を結ぶであろうか。ここに、中国の脅威に対抗してインドとの同盟を考える可能性を指摘できる。昨今、実際に起きている日印の接近は遠交近攻に近い。

 つまり、日本とインドは、共に同じような傾向を示しながら、お互いひかれ合っていることになる。明確な条約で結ばれた「」なしの同盟にはならないかもしれない。でも、どのような形であれ、日印「同盟」は、両国の外交戦略上の傾向から、実現する方向にあると言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

佐伯啓思 著『アダム・スミスの誤算』について

佐伯氏の問題意識は定説として言われている「アダム・スミスは自由主義、グローバリズムの祖」と言うのは違うのではないかということである。

結論的に言えば、道徳家でもあったので(『道徳感情論』を著した)経済面だけでなく道徳哲学、絶対者の存在を意識した自己規律をも主張したということ。

  1. 重商主義批判・・・保護貿易主義を取り、輸出振興による貨幣の蓄積を目論むmercantilismを批判。
  2. 土地と労働重視・・・グローバルな市場での貨幣の動きの不確かさに信頼を置くのではなく、労働こそが国民の富(マルクスに繋がる)を作る。
  3. 国防の重要性・・・「国防は富裕より重要である」「放埓に近いほどの自由が許されるのは、ただ主権者が軍律正しい常備軍によって安全を保たれている国においてである」とスミスは言っている。強い国家の基盤は「軍事力」「経済力」「国民精神」であるが、富裕になればなるほど人民は好戦的でなくなり、防衛精神を失っていく。これは憂慮すべき事態。
  4. 資本投下の自然な順序・・・国内>海外。海外は遠方で非効率、かつリスクがある。国内は国内労働者の雇用にもプラスかつ商業においてもプラス。農業→製造業→海外貿易の順。「見えざる手」は「かれ(あらゆる個人)は、公共の利益を促進しようと意図してもいないし、自分がそれをどれだけ促進しつつあるかを知ってもいない。外国貿易を支持するより、国内産業のそれを選好することによって、彼は自分自身の安全だけを意図し、また、その生産物が最大の価値をもちうるような仕方でこの産業を方向付けるとき、彼は自分自身の利益だけを意図しているのである。しかし、彼はこの場合でも多くの場合と同様、見えない手に導かれて、自分が全然意図してもみなかった目的を促進することになるのである」から採ったもの。重要なのはモノの生産によって国富を増大することであって、金融と商業は補助的手段に過ぎない。
  5. 「徳」の重視・・・「徳」とは「慎慮」「正義」「慈愛」。「高貴な目的」へ向けられた偉大な行為をなしうる知力や武勇、義務感、慈愛などが最高の「慎慮」であり、最高の「徳」。「英雄的な徳性」「愛国心」を尊び、「虚栄」や「根拠を持たない名声、名誉」への憎悪。
  6. 自己規律・・・「見えざる手」ではなく、「見えざる目」について。心の問題が大切。本書から引用。

「(神の)見えざる目」による自己規律

何がスミスをしてこれほど強い「内部の法廷」への確信へと向かわせたのだろうか。世間の評判など愚かな「人類の大群衆」のいいかげんな気分のゆらぎにすぎない、とでもいわんばかりのシニシズムにスミスを向かわせたものはいったい何なのだろうか。

確かなことはわからない。しかし、カラス神父事件がひとつのきっかけを与えたことは間違いないようである。カラス神父事件とは一七六ニ年フランスのトゥルーズで起きた事件で、新教徒のカラス神父が、旧教に改宗した長男を殺したとされる事件で、実際無実 あったにもかかわらず、世間は彼を有罪だとし、実際、有罪判決の末に処刑された事件である。後にヴォルテールらの再審請求によって六五年に無罪が証明されたが後の祭りであった。スミスは六四年から六五年にかけてトゥルーズに滞在し、まさにこの事件に深い関心をもった。罪を告白するよう勧めた修道士たちに対して、カラス神父は、「神父様、あなた自身、私が有罪だと自分に信じさせることができるのですか」と述べた、とスミスは書いている。

法廷は彼自身の内面にあるのである。世間の評価や「外部の法廷」よりも、この「内部の法廷」の方が絶対なのである。内部の法廷をさばくのは「すべてを見ているこの世界の裁判官」なのだ。ここでカラスという新教徒の神父の例が持ち出されるのはあるいは象徴的というべきかもしれない。むろん、彼は「神」に対してのみ義をもっており、「神」の審判のみを信じていた。地上の審判は「神」の審判に対しては「下級の法廷」であった。だから、スミスが明示的に述べているわけではないが、この「内部の法廷」の裁判官、「すべてを見ている裁判官」は究極には「神」である、といっても間違いではないだろうと思われる。

いやすでにスミスは第1版で書いていた。「神的存在の意志に対するわれわれの顧慮がわれわれの行動の最高の規則であるべきだということは、彼の存在を信じるものならだれも疑えない」と。あるいは「行為の値打ちと欠陥を決定する一般的規則が、こうして、全能の存在の諸法として顧慮されるようになり、この全能の存在は、われわれの行動を監視するのである」と。こうして、道徳原理においても「(神の)見えざる手」は働いているのである。あるいは、監視するという意味でいえば「(神の)見えざる目」とでもいうのが適切かもしれない。「(神の)見えざる目」によって内面の法廷は監視されており、ここに初めて「世間の評判」を超えた絶対的な基準の根拠がでてくることになる。

そうだとすれば、もはや、「中立的な観察者」は「世間」でもなければ、財産をもった上流階級である必要もない。「(神の)見えざる目」によって、人は自己を規律できるはずである。この自己規制を行った人はもはや上流階級の人である必要もない。そもそも上流階級に道徳のモデルを求めることは、それ自体が、「称賛を欲する」という虚栄と結びついているのではないか。世間の評価などというものも、この上流であることに対する感嘆と結び付いているのがこの世の習わしというものだろう。なぜなら「人類のうちの大群衆は、富と上流の地位の感嘆者であり崇拝者」だからであり、「たいていの人にとっては富裕な人と上流の人の高慢と虚栄が、貧乏な人の確固とした値打ちよりもはるかに感嘆されるものなのである」からだ。

この上流階級では、成功と昇進は無知高慢な上長者たちの気まぐれしだいなのである。ここでは「社交界の人と呼ばれる、あのさしでがましくばかげたしろものの、外面的な品位、とるにたらぬ身だしなみ」こそが感嘆を受けるのだ。そして大衆は、富裕な人々と上流の人々を感嘆し模倣しようとする。だからどちらも同じ穴のムジナだ。虚栄に満ちた上流階級とこれに追従しようとする大衆、これらが「世間の評判」というものの正体である。 この不確かに移ろいゆくものの中には、是認の確かな根拠など存在しない。それがあるとすれば「(神の)見えざる目」を内部にもった自己規律以外にないのである。

自己規制はいかにして可能か

むろん、自己規制(セルフ•コマンド)といっても、自然に発揮されるものでもなければ、また神を信じれば直ちに手に入るというものでもあるまい。むしろ、スミスは通常の人」が、いかにしてこの自己規制をもちうるのか、またそれはどのような場合に高度に発揮されるのかを論じてみようとしているのである。人はそれを社会生活の中で学ぶのである。次の一節をみてもらいたい。

真に恒常不動の人、すなわち自己規制の偉大な学校であるこの世間の雑踏と事業のなかで十分に教育され、また暴力、不正、戦争の困難と冒険にさらされてきた賢明な正義の人は、彼の受動的諸感情に対する制御をもちつづける。……繁栄においてであれ逆境においてであれ、味方の前であれ敵の前であれ、彼はこの男らしさを保持する必要のもとにおかれてきた。彼は、中立的な観察者が彼の諸感情と行動に与えるであろう判決を決して一瞬たりとも忘れようとはしなかったのである。彼は、常に、自分に関係するどんなことであれ、この偉大な同居人の目をもって観察するように習慣づけられてきた。

自己規制こそが、自らを中立的な観察者とするのであり、それこそが「恒常不動の人なのだ。浮遊する世間の評判には左右されないのである。この「恒常不動のもの」、いいかえれば「確かなもの」こそ、自己規制によって自らの内部に獲得する以外にないのである。

だが、ここでスミスは大変興味深いことを述べている。自己規制は、「世間の雑踏」と同時に「暴力、不正、戦争の困難と冒険」の中で獲得される、というのである。しかもこれは「男らしい」ものだという。

スミスは、一七九○年、すなわち死の数カ月前に修正された第六版の最後の部分を「自己規制について」と題しているが、ここで、もっと明確にこの問題を扱っている。たとえば次のようなことだ。

恐怖と怒りは、人間のもっとも抑制しがたい情念であろう。恐怖や怒りにひとたび襲われると、それを制御することはきわめて困難である。そこで、恐怖や怒りの真っ只中で自己の平静さを保持し、利害関心のない観察者の気分を保持することほど難しいものはないだろう。 いいかえれば、それができてこそ、最大級の自己規制がある、ということ になろう。危険の中で、死の拷問の中で、中立的な観察者の態度を保持しうる者はきわめて高い感嘆を獲得する。もし彼が人間愛と祖国愛のために受難するならば、彼はもっとも熱烈な同感的感情を「もっとも熱狂的でうっとりとした崇拝へ燃え上がらせるのである」。

これは実際スミスが書いていることだ。だから、と彼はいう。「戦争は、この種の度量を獲得するためにも、練習するためにも偉大な学校である」。戦争は死に対して人を慣らしてしまう。危険と死を前にして恐怖は制御される。そこで「危険と死についてのこの慣行的な軽蔑が兵士という職業を高貴なものとし、人類の自然な見解の中で、それに対し何にもまさる地位と尊敬をあたえるのである」。

戦争こそが自己規律のための学校である、とスミスは述べるのだ。危険や死を前にして恐怖心を制御することこそが自己規制の基本なのである。これは大きな美徳である。そしてこの美徳は、「勇気」や「誇り」、それに「崇高さ」といったものと結び付いている。それは、もう一つの、そして伝統的な美徳の群である「礼儀」や「謙虚」「節制」といったものとは大きく異なっている。

「噫病という性格ほど軽蔑すべきものはなく、もっとも恐るべき危険の真っ只中で平然と沈着を維持する人の性格ほど感嘆されるものはない。われわれは、男らしさと不動性をもって苦痛に酎え、拷問に酎える人を尊敬する。そしてわれわれは、それらに負けて、無益な叫びや女らしい嘆きに身を任せる人に対してほとんど顧慮を払わない。」

ここでスミスが「男らしい」と「女らしい」という語法を用いていることに多少注意しておくべきかもしれない。明らかに、彼は「勇気」「誇り」といった徳に「男性的」という形容詞を付加し、そこに自己規制の基底をみていた。あるいは、そこに「不動性」を見ていた。恒常的なもの、不動なもの、もっといえば「確かなもの」をそこにみようとした。 社会の中で相互に「見る/見られる」という相対性の中からでてくる評価や「世論」などというものを突き抜けたところに、スミスは、もっと「確かなもの」を発見しようとしていた。そこで彼が取り出したのが、古代的で「男性的な」美徳に裏付けられた、また神的な存在という絶対者をヴエールの後ろに隠した「自己規制」であった。このときはじめて人間は「確かな自己」を少なくとも感じ取ることができるはずなのである。