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11/26日経ビジネスオンライン 鈴置高史『一歩踏み出した韓国の核武装論 今度は「原子力潜水艦を持とう」』について

米海軍軍人も中国に転ぼうとしている韓国に味方しているというのは、腐敗しているのでは。真面な頭脳の持主とは思えません。でもこれが現実なんでしょう。金に転ぶか、将来韓国での政府に入ることを画策しているのか知りませんが。韓国独自で原潜など作れるはずがないでしょう。原発の部品ですら偽物を使う国です。

http://www.sankei.com/west/news/141107/wst1411070063-n1.html

原潜を造っても、運用して大事故を日本海で起こされたら、日本海側の日本の漁師や日本の農産業等に迷惑をかけます。彼の国は人の揚げ足を取るのは得意ですが、自分の責任問題はライダイハンや米軍基地村同様頬かむりします。普通の感覚を持っていれば恥ずかしくて相手に言うこともできませんが、破廉恥な民族なのでしょう。基本は国交断絶です。日本にとって何のメリットもありません。技術指導してやった恩を忘れ、またポスコのように新日鉄住金の技術を盗む輩です。

日本も核武装すべきです。日本でしたら2年もかかりません。米国から買っても良いし、また原潜も作ればよい。憲法上の制約はありません。アメリカの姿勢がどうでるかです。中国と対峙させるならそれが必要と日本は言うべきです。腐ったマスコミは相手にしないことです。アメリカが抵抗するなら、最初はニュークリアシエアリングからでも良いでしょう。米国と秘密協定を結び、極秘裡に作るのも良いでしょう。国民の生命がかかっています。中国への隷従の道を歩ませようとしている腐ったマスコミは無視すれば良い。

Facebookより「U-1速報」ブログ記事を引用。これを読むと彼の民族の特質が分かります。「歴史とは自分の都合の良いように改竄・捏造するもの」と頭の中で考えています。だから日本も当然そうしているだろうと思いこむ。中国と一緒。下種な精神しか持ち合わせない両民族です。日本は関孝和に代表されるように江戸時代から武士だけでなく庶民でも数学の問題を解くような合理的精神を持ち合わせていました。だから戦後日本でQC活動が根付いたのです。歴史も先ず、事実・資料に基づいて解釈する、これは当り前の姿勢です。でも両民族とも歴史は政治に付随するものとして、イデオロギー先行、自分たちのこうあった方が有利と言う妄想で解釈しています。日本も両国と歴史解釈で合意点を見つけるのではなく、物別れになってもいいですから、日本の言い分を記録することが重要です。

「■ 日帝と左派が発掘した恥ずかしい史料が山のように積まれている

■ これらを払拭する事ができなければ誇らしい歴史は空念仏で終わるだろう

Chaoxian ribao sun reporter

▲ ソン・ウジョン論説委員

先日、東京の書店で『朝鮮王公族』という本に目が止まった。本の帯には、「帝国日本への歪んだ忠誠」という字とともに写真が載っていた。日本の軍服を着て日本の王族の端に立つ、朝鮮王族3人の姿である。高宗(コジョン)の息子である英親王(李垠)と高宗の孫の李鍵(イ・ゴン=桃山虔一)、李●(イ・ウ)が、靖国神社で祭祀を執り行なう様子だという。本は日帝強占期以降、朝鮮王族26人の波乱の人生を扱った内容だった。まあまあな嫌韓書籍だと思いながら数ページ読むと、多くの史料に基づいた緻密な本という事が分かった。しゃくにさわったが手を離す事ができなかった。(●は金へんに禺)

前日、赤坂プリンスホテル再開発現場を見て回った事も本を手放せなくさせた。2005年、ここのシングルルームで英親王の一人息子※である李玖(イ・グ)が遺体で発見された。国が独立を維持していれば、皇帝に上がった彼だった。特派員当時に彼の寂しい最後を取材しながら、彼が亡くなったプリンスホテルはその昔、日王が父親の英親王に与えた東京の邸宅だった事が分かった。王孫の李玖は生まれた場所で亡くなった。数年後、ホテルを壊して再建設をするという事で邸宅の建物も消えると思った。ところが今回行ってみると、近隣に文化財として保存していた。巨額を投入して5000㌧の建物を丸ごと移したという。(※実際は第二男子)

本は英親王の邸宅のように我々が忘れたい事を思い出させた。 亡国以降、純宗(スンジュン)の専属料理人で帝国ホテルの初代料理長が赴任した事や、純宗は彼が作ったフランス料理と日本が送った優良乳牛の新鮮な牛乳を好んだ事など。皇太子の英親王は趣味である蘭の栽培が専門家レベルに到達していた事、戦時中でも日本の景勝地で登山やスキーを楽しんでいた事、伊藤博文が住んでいた別荘を譲り受けた対価として遺族に大金12万円を渡した事など。本を読みながら日本の緻密さに驚いた。殖民時代、朝鮮王族の全体像を盛り込んだ王公族録、高宗の記録を別に盛り込んだ李太王実録はもちろん、高宗の実兄の行跡を記録した李熹公実録、甥の行績を記録した李埈鎔実録まで編纂したという。 王族も呑気に暮らして百姓も抵抗せずに順応しなさいという意図なのだろうか。史料の中には日本が歪曲したり操作した記述もあるはずだ。しかし、我々が歪曲と操作を立証しなければ彼らの記録は最終的に歴史として固まる。

本を読みながらその部分が最も痛かった。朝鮮が亡びた後だったが、日本は高宗実録と李埈実録を8年にわたって製作した。朝鮮の現在はもちろん、過去まで日本帝国史の一部として作ろうという意図だったのだろう。 編纂を指揮した人物も日本の学者だった。解放後、我々は二つの実録を朝鮮王朝実録の一部に受け入れなかった。日本が書いた歴史を認めたくなかったからである。ここで著者は主張する。「それなら韓国はなぜ自ら実録を作らないのか」と。 日本がした事を粘り強く否定して、解放後に新たな史料を掘り出して伝統性のある実録を作らない韓国を理解できないというのである。もちろん1960年代に国史編纂委員会が不十分ではあるが高宗時代史を編纂したから反論がない訳ではない。君主国家でもないのに過去の王朝の実録編纂が法的にできるのかという疑問もある。しかし、我々でなければ誰も朝鮮王朝実録の空白を埋めてくれない。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は、「誇らしい歴史を正しく教えなければならない」と言う。当然、韓国の歴史は誇らしい。しかし、誇らしい歴史を書くためには先に誇らしい史料を掘り出さなければならない。現代史も同様だ。故・金泳三(キム・ヨンサム)大統領在任当時に始まった『歴史の建て直し』は、金大中(キム・デジュン)や盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を経ながら韓国現代史の全般に影響を及ぼした。それでも現政権のように歴史を再解釈すると飛びかかった訳ではない。先に史料の発掘に資源を投入した。 盧武鉉政権時に活動を始めた真実・和解委員会の場合、投入された人員は230人余り、予算は759億ウォンに達した。これらが整理した資料を見れば、解放以降の韓国は暗黒の国だ。もちろん恥ずかしい歴史も韓国史の一部だ。史料の発掘を通じて濡れ衣から解かれた国民も多い。しかし歪曲された部分もあった。朴大統領がそのように憤慨する教科書の左偏向主張は、多くの部分がそのような史料に基づく。日帝史料を乗り越えずに韓国近代史を誇らしく描く事ができないように、左偏向史料を乗り越えずに現代史を誇らしく書く事ができない。真剣に書いたとしても権力の時限と共に消えるだろう。

朴大統領は学者が『誇らしい史料』を掘り出すように、今までどのような支援をして、どのような成果を得たにか。日帝と今までの政府が総力を傾けて山のように積んだ恥ずかしい史料をどれだけ払拭できたのか。歴史は再解釈だけで新たに書ける訳ではない。

おしまい☆

ソース:NAVER/朝鮮日報(韓国語)

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=110&oid=023&aid=0003092977

記事

韓国の核武装論が現実味を帯びる。原子力潜水艦を持とうとの声が上がり始めたのだ。その原潜は核ミサイル搭載用であろう。

2年で核を持てる

鈴置:韓国の核武装論がだんだん具体化してきました。朝鮮日報の楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹が書いた「釜山沖で考えた生存の一撃」(11月5日、韓国語版)がそれです。

 楊相勲主幹の主張は原子力潜水艦の保有――つまり、核ミサイルを発射するためのプラットホームを持とう、です。最大手紙の論説主幹が署名入りで書いた記事だけに見逃せません。

 楊相勲主幹は5月にも「北朝鮮が核兵器を実戦配備したら『韓国も核武装をする』と宣言しよう」と論陣を張っています(「ついに『核武装』を訴えた韓国の最大手紙」参照)。

 この時は「韓国の技術を持ってすれば核武装には2年もかからない」と書きました。ただ、核弾頭を持つだけでは本当の核武装国にはなれません。

 敵の核攻撃から逃れ、核ミサイルを発射できる原子力潜水艦が不可欠です。今回はその原潜を持とうと国民に呼び掛けたのです。

「安倍」以前に戻らぬ日本

 記事は10月23日に釜山沖で開かれた観艦式を参観したエピソードから始まります。韓国海軍の威容を誇らしげに紹介した後、20年前の決断が「今」を生んだと強調します。以下です。

海軍の姿は1990年代中頃に政府が設定した目標にほぼ到達したようだ。当時、韓国政府が独島(竹島)に接岸施設を建設しようとした。すると日本が激しく反発し、東海(日本海)に緊張が走った。

政府は日本に比べて海軍力が劣っていることに危機感を持ち、12兆ウォン以上の予算を投じて整備を決めた。その結実が今の海軍だ。

政治のリーダーシップのなさにあきれ返ることもある。が、本当にやるべき時に、賢明な判断を下してきたことも事実なのだ。

 そして楊相勲主幹は今後、日中の脅威が急速に高まると指摘しました。以下です。

日本がその顔、日本人本来のものかもしれない顔を少しずつ見せ始めた。我々の命綱である南シナ海でも、尋常でない雰囲気が漂い始めている。

30年後にも米国が今のままの米国であり、中国がわれわれの希望する中国となり、日本が今の安倍政権以前の日本に戻るか考えたときに「そうなる」と誰が自信を持って言えるだろうか。

潜水艦で日本にも一撃

—中国だけでなく、日本も危険な国になるとの認識が高まっているのですね(「『北朝鮮並み』の日本、『ロシア並み』の韓国」参照)。でもなぜ「原潜」なのでしょうか。

鈴置:いい質問です。楊相勲主幹は以下のように議論を進めます。

韓国のある外交官によると、個人的に親しい米国海軍幹部が「韓国は潜水艦に投資すべきだ」と語った。韓国は世界の4大強国に囲まれている。北朝鮮は核兵器による危険な火遊びに没頭している。

それらの国に挟まれた韓国は、必要な時に相手に「一撃」を加えることができなければ、ある日突然何をされるか分からない。しかし、中国のGDPは韓国の10倍近くに膨れ上がり、日本もほぼ4倍だ。軍拡競争などできない差である。

米海軍関係者のアドバイスは、どうすれば韓国が一撃の手段を持ち、最低限の抑止力を維持できるかに対する答えだ。韓国は潜水艦に投資しなければならない。

敵国の心臓部に一撃を加え、海上ルートを遮断できる潜水艦が海底のどこに待機しているか分からないとなれば、それ以外の武器とは次元の違う抑止力を発揮することになる。

核兵器を保有できない韓国としては、これ以上の非対称戦力はない。潜水艦戦力全体の規模で見れば中国や日本に対抗できないとしても、潜水艦保有による抑止力が失われるわけではない。比較的小さい国として持ち得る最善の策だ。

通常弾頭の威力は小さい

 楊相勲主幹の主張は、この辺りから怪しく――衣の下から鎧が見え始めます。「抑止力」を得るために「敵の心臓部に一撃」する能力を持とうと言いますが、それには核兵器が不可欠なのです。

 潜水艦から発射するミサイルに通常弾頭を積んでも意味が薄い。核兵器ではないので1発当たりの威力は小さいからです。

 「海上ルートを遮断できる」とも楊相勲主幹は主張しますが、それにはかなりの数の潜水艦を配備する必要があります。日本など対潜能力の高い国からすれば、数が少々増えても韓国の潜水艦部隊は「非対称戦力」とは言えないのです。

「核兵器を保有できない韓国としては、これ以上の非対称戦力はない」と書いていますが……。

鈴置:「核武装論」と見られないためのカモフラージュでしょう。それに続く文章が、本音を語ってしまっています。

原潜を持ってこそ核武装国

問題は相手に一撃を加えるには、ただの潜水艦ではなく原子力潜水艦を持たねばならないとの事実だ。我々が保有するディーゼル潜水艦と、原子力潜水艦の力の差は比較にならないほど大きい。米国と英国が保有する潜水艦は全て原子力だ。

 米英が原潜を運用するのは、核ミサイルを発射するためのプラットホームにするためです。敵国が自国を攻撃したら、どこからとも分からぬ海の底から核ミサイルで報復する――と見せつけるのが「核抑止力」です。

 そのためには長期間潜航し続ける必要があり、浮上して大気を取り込む必要のない原子力駆動型が決定的に有利なのです。

 対水上艦艇用に運用するのなら通常動力型の潜水艦で十分であり、それには騒音が低く発見されにくいという有利な点もあります。

 米英は、敵の核ミサイル原潜を攻撃するための潜水艦も原子力駆動としていますが、潜水艦隊として動力を一本化した方が運用しやすいなどの理由からです。

—要は「原潜を持とう」との主張とはほぼ、核武装の主張なのですね。

「南シナ海」を隠れ蓑

鈴置:その通りです。そしてこの記事の掲載直後にもう1本、原潜とは露骨に言ってはいませんが、大型潜水艦を造ろうと呼び掛ける記事が載りました。

 安全保障に詳しいキム・ギョンミン漢陽大学教授が中央日報に寄せた「米中の南沙諸島緊張への韓国の対処法」(11月9日、日本語版)です。同じ日に同じ見出しで韓国語版にも載っています。

 米中対立が深まる中で韓国はどうすべきかを訴えた記事です。キム・ギョンミン教授は航行の自由を確保するための外交努力と、米中の間でのバランス外交を説いた後で、以下のように主張しました。

・3つ目は海上輸送路を自主的に守ることができる海軍力を備えることだ。軍事力が優秀な周辺国に効果的に対処するには、非対称戦力の潜水艦を集中的に増強する必要がある。

・何よりも3000トン級以上の潜水艦に注力し、東シナ海を越えて南シナ海にいたる海上輸送路の水路を自分の手相のように把握していかなければならない。

 潜水艦は攻撃兵器であって「海上輸送路を守る力」の要素にはなりにくい。敵がシーレーン攻撃に使うのは主に潜水艦ですから、駆逐艦や哨戒機による対潜能力を引き上げるのが普通です。

 こうした意見を語れば、韓国は南シナ海での緊張激化を隠れ蓑に核ミサイル搭載用の潜水艦を造るつもりかと疑われても仕方ありません。ことに「3000トン級以上の潜水艦」にこだわるところが怪しいのです。

 韓国の軍人や安保専門家は垂直発射管を備えることのできる3000トン級の大型潜水艦を前から欲しがっていました。悲願と言ってもいいでしょう。核ミサイルを持っても、それを打ち上げる垂直発射管を持つ潜水艦がなければ意味がないからです。

原潜を念頭に大型化

 ちなみに文化日報は「3000トン級の張保皐(チャンボゴ)Ⅲ、3500トン以上に変更へ」(6月29日、韓国語)という記事で、以下のように報じています。

2020―2029年に計9隻の建造を目標とする張保皐Ⅲ事業は、基本設計段階では水中排水トン数を3000―3300トン程度に見積もってきたが、詳細設計段階で3500―3700トン程度となった。

安保専門家らは排水トンの上方修正に関連、原子力推進型潜水艦の建造を念頭に設計変更した可能性が高いと見ている。

大宇造船海洋が2020年初めの建造を目標に詳細設計を推進している張保皐Ⅲは、中央に垂直発射管6門、艦首に水平発射管8門が装着される予定だ。垂直発射管には射程距離1300キロの海星(ヘソン)3潜対地巡航ミサイルを搭載、水平発射管には魚雷と誘導弾、機雷などを装備する。

 この記事がどこまで正しいのかは分かりません。しかし、核ミサイルを搭載できる原潜の建造を心から願っている人々が韓国にいて、彼らがついに表に出てきて声を上げ始めたのは事実なのです。

核武装を勧める米国

—米国は韓国の核保有を認めるのでしょうか。

鈴置:楊相勲主幹の記事中にある「潜水艦に投資しろとアドバイスする米海軍軍人」も、実は韓国に核武装を勧めている可能性が大です。

—核武装を勧めるのですか?!

鈴置:日本に対しても2014年以降、核武装を勧める米国の安全保障関係者が出てきました。ある関係者は「日本は原子力潜水艦を保有すべきだ。米国から買えばいい」と語ったそうです(「米国も今度は許す? 韓国の核武装」参照)。

 日経の経済教室欄に「核武装の勧め」を書いた米国の専門家もいます。産経ではなく日経です。2014年3月7日に「米国との同盟、過信は禁物」を寄稿したアーサー・ウォルドロン(Arthur Waldorn)ペンシルバニア大学教授です。

 日本に対しては「核武装を認めるような発言は慎む」のが米国の関係者の暗黙の了解だったのが、一気に変わった、と矢野義昭・拓殖大学客員教授は分析しています。

米韓同盟を打ち切れ

—なぜ、米国は変わったのですか?

鈴置:同盟国を守る余力を失ったからです。下手すると「頼りにならない米国」を見限る同盟国が出かねない。

 それなら核不拡散はあきらめ、核武装を認めることで同盟国を引き留めよう、との発想が生まれたのです(「10年後には『北朝鮮』がもう1つ?」参照)。

 最近も韓国の核に関する論文が発表されました。ジャパンタイムズ(Japan Times)にも載ったので、日本でも話題になりました。

 米ケイトー研究所(Cato Institute)のドーグ・バンドウ(Doug Bandou)シニア・フェローが書いた「U.S. should retire outdated alliance with S. Korea」(10月21日)です。

—「時代遅れの米韓同盟はやめろ」との見出し、過激ですね。

 この研究所は小さな政府や非介入主義を主張する、自由至上主義の立場を採っています。米国の平均的な意見とはとても言えません。でも、この見出しを見た韓国人はぎょっとしたでしょう。

—なぜ「米韓同盟を打ち切るべき」なのですか?

鈴置:「米国は同盟のコストを一方的に負担しており、何の利もない」とバンドウ・シニア・フェローは主張しています。要は「韓国ただ乗り論」です。

悪漢だけが核を持つ

—韓国の「離米従中」に怒って同盟をやめろ、と言っているわけではないのですね。

鈴置:この論文は「韓国の裏切り」に明示的には触れていません。そもそも米韓同盟は米国にとって不要との主張です。もちろん「裏切り」が激しくなるほどに、こうした主張が増えるでしょうけれど。

—共和党の大統領候補、トランプ(Donald Trump)氏も「韓国の同盟ただ乗り」を強く批判していますね。

鈴置:ええ。メディアが大きく取り上げるなど、韓国人は米国で広がる「ただ乗り論」を非常に気にしています。

 ただ、韓国の核武装論者にとって幸いなのは、米国内に「ただ乗り論」と同時に「核武装許容論」も高まっていることです。

 バンドウ論文は「今のままの同盟ならやめるべきだ。韓国には自分で身を守らせろ」と主張した後に「核を持たせればそれは可能だ」との論理を展開します。核に関するくだりを以下に翻訳します。

「大人の国」として韓国は、半世紀前に取り組んだ核兵器開発を再開するかもしれない。核不拡散は重要な目標だが、常に守らねばならぬ価値ではない。

現在、北東アジアでは中国、ロシア、北朝鮮という悪漢だけが最終兵器を持っていて、米国の同盟国である民主国家はいずれも持っていない。その結果、米国はソウル、東京、台北を守る代わりに、ロサンゼルスを危険にさらす羽目に陥っている。

韓国を米国の傘の下に置くよりも、韓国の核保有の方がまだましな選択かもしれないことを米政府は考慮すべきである。

父親も核開発に邁進

—「半世紀前に韓国が取り組んだ核兵器開発」とは?

鈴置:1970年代に韓国は核兵器と、その運搬手段であるミサイルの開発に密かに取り組みました。米国から軍事的な支援を打ち切られても自力で国を守れる「自主国防体制」をうち建てたいとの願いからです。

 しかし、核兵器が世界に広がることを恐れた米国は、韓国に圧力をかけて核・ミサイル開発計画をつぶしました。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の父親、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代のことです。

 でも今回は米国の側からも「核を持たせよう」との声が上がっているのです。韓国人にとっては大いに勇気づけられる話です。

(次回に続く)

11/25日経ビジネスオンライン 福島香織『習近平「胡耀邦・生誕100周年」大絶賛の狙い 「天安門」再評価なく、改革イメージのみ拝借か』について

11/2産経 『中国さらに逆風 仲裁裁判所、中国の主張退ける フィリピンの要求 本格審理入り』

http://www.sankei.com/world/news/151030/wor1510300052-n1.html

11/11産経『中国提訴も辞さず インドネシア調整相が表明、国際司法機関に 中国主張「九段線」書き換え求める』

http://www.sankei.com/world/news/151111/wor1511110037-n1.html

南シナ海の領有権問題についてフィリピンは国際司法裁判所に提訴、受理されました。二国間争いは二国間が受けてはじめて調停に望む必要がありますが、今回の受理については中国にとってラッセン派遣に次いで逆風となりました。「常設仲裁裁判所は管轄権を持つと判断。フィリピンが訴えた15項目中、中国が埋め立てた岩礁を「領海」の起点とすることの合法性や、フィリピン漁民への妨害行為など7項目。一方、中国が南シナ海のほとんどで主張する「歴史的な主権」を審理するか否かについては、決定を留保した。中国側は反発。「フィリピン側が提出した南シナ海の仲裁案を受け入れないし、参与しない。決定は無効で中国に対して何の拘束力も持たない」と。

日本も国際法に則って、ドンドン裁判を起こしていけば良いと考えます。国際社会では黙っていることは「反論権を行使しない=相手の言い分を認める」というように理解されます。南京や従軍慰安婦についても材料を中韓に出させ、日本が反論していくように国際社会に働きかけていくべきです。この20年間外務省が何も反論してこなかったせいで、国際社会でさもあったように理解されたのは残念ですが、今からでも遅くありません。官民挙げて武器なき戦争を戦ってほしい。また国内にあっても放送法違反等今まで左翼が嫌がらせで使ってきた手法を保守派も真似て彼らの悪を糾弾していくべきだと思います。

トルコのロシア機撃墜、2012年3月30日パラオが違法操業していた中国船への銃撃(一人射殺)等、実力行使して国益を守りました。口先だけでは野蛮な国に国際法(領土・領海・領空侵犯せず)を守らせることはできません。「話せば分かる」なんていうのは高い文明国同士の間だけです。(高い文明国と言うのは日本以外ないでしょうけど)。ミクロネシア連邦の自由連合離脱は中国にとってカモになる可能性があります。日本が支援しないとミクロネシアも中国の海になる可能性が高いです。アメリカの傲慢さが原因でしょうけど。次はFacebookからの記事の引用です。11/24稲村公望氏の記事より

「南太平洋で大変なことが起きている。日本は米国の疲弊の肩代わりをすべきだ。陸封の勢力に太平洋の安全保障の侵入を許してはならない。

号外 ミクロネシア連邦議会米国との自由連合破棄を決議 [2015年11月24日(Tue)]

2015年11月19日の、ミクロネシア議会で、現在米国と締結されている自由連合協定を2018年までに破棄することが決議され、大統領の了承待ちとなった。

決議内容は下記の通り。

自由連合は米国のミクロネシア連邦に対するチャリティではない。米国は安全保障で多くの利益をミクロネシアから受けている。にも拘らず米国の態度は一方的である。例えば事前の協議なくミクロネシア短期大学の予算をカットした。さらに、米国への入国が以前より厳しくなった。

よって自由連合協定の協定破棄条項に従ってミクロネシア政府は米国との自由連合を破棄する。

NINETEENTH CONGRESS OF THE FEDERATED STATES OF MICRONESIA

THIRD SPECIAL SESSION, 2015

C.R. NO. 19-155

A RESOLUTION

Requesting the President of the Federated States of Micronesia to terminate the Amended Compact of Free Association with the United States of America, pursuant to section 441 of the Amended Compact, such termination to take effect no later than 2018.

WHEREAS, the Amended Compact of Free Association was entered into by the Federated States of Micronesia and the United States of America with the intent of maintaining a close and mutually beneficial relationship between our two nations; and

WHEREAS, the United States derives many benefits from the Amended Compact, not least of which is its exclusive control over the military use of the Federated States of Micronesia’s extensive territorial waters and airspace; and

WHEREAS, the recent words and deeds of United States policymakers suggest they view the Amended Compact as an act of charity by the United States rather than a treaty between two

sovereign nations; and

WHEREAS, the United States has abused its majority on the US-FSM Joint Economic Management Committee (JEMCO) to force through resolutions contrary to the interests of the Federated States of Micronesia; and

WHEREAS, most recently, the United States members of JEMCO have unilaterally made drastic cuts to the funding of the CRL 19-165

A RESOLUTION

Requesting the President of the Federated States of Micronesia to terminate the Amended Compact of Free Association with the United States of America, pursuant to section 441 of the Amended Compact, such termination to take effect no later than 2018.

C.R. NO. 19-155

1 College of Micronesia-FSM without prior discussion or

2 consultation with leaders of the Federated States of

3 Micronesia; and

4 WHEREAS, the United States Senate Committee on

5 Appropriations has recently recommended that the United States

6 Department of Homeland Security consider establishing a pre-

7 screening process and requiring advanced permission for

8 prospective travelers from the Federated States of Micronesia

9 and other Freely Associated States to enter the United States;

10 now, therefore,

11 BE IT RESOLVED that the Nineteenth Congress of the

12 Federated States of Micronesia, Third Special Session, 2015,

13 requests that the President of the Federated States of

14 Micronesia terminate the Amended Compact of Free Association

15 with the United States of America, pursuant to section 441 of

16 the Amended Compact, such termination to take effect no later

17 than 2018; and

BE IT FURTHER RESOLVED that certified copies of this resolution be transmitted to the President of the Federated States of Micronesia.

Date: 11/19/15

Introduced by: /s/ Isaac V. Figir

Isaac V. Figir

/s/ Bonsiano F. Nethon

Bonsiano F. Nethon

/s/ Robson U. Romolow

Robson U. Romolow

南太平洋の専門家は次のようにコメントしている。

2023年に予定されていたのは協定支援金の中止であり、自由連合ではない。自由連合の中止となればこの地域の安全保障の枠組みが一機に崩れる。現在のクリスチャン大統領は、数年前、議員だった時に同様な提案をしているので本決議を承認する可能性が大きいのではないか?また今決議されても2018年までの3年間で某かの妥協案が出て来る可能性がある。

当方は、ミクロネシア連邦だけでなく、パラオマーシャル諸島も含め、日本と米国が共同で自由連合を締結するのがよいと思う。経済では日本との関係の方が近い。」とありました。

さて、本記事です。戦前・戦中でも日本の大東亜共栄圏を理解し、実現しようとした中国人もいました。汪兆銘達です。でも蒋介石一派は自分達の利益しか考えず、欧米を味方に付けて日本を打倒しようとしていましたが、結局スターリンの掌の上で踊らされたようなものです。金に転ぶものは因果応報となります。結局、中国共産党に大陸を奪われ台湾に亡命しましたが、今や国民党は風前の灯。来年の総統選・立法議員選挙では惨敗するでしょう。台湾で中国人の亡霊が追い払われることを意味します。

中曽根康弘は胡耀邦のために靖国参拝を取りやめたと言っていますが、中国人のことを知らなさ過ぎです。外交のイロハを知らないのでは。誠実さが通用するのは日本人同士だけです。何でも利用し、裏切るのが中国人の本性です。胡耀邦は汪兆銘のような人物だったかも知れませんが、奸智に長けた鄧小平に付け入る隙を見せたという事でしょう。今や鄧一族の利権もないという状況で栄枯盛衰は世の習いと言ったところ。政治家は結果責任と言うのであれば、中国に付けいられるような言動を取った中曽根は二流の政治家と言えるでしょう。習近平は鄧一族の没落を見て、胡耀邦の名前を利用し、嵩にかかって攻めているのかも知れません。

記事

11月20日は初代中国共産党中央総書記の胡耀邦の生誕100周年であった。共産党中央は北京の人民大会堂で格別盛大な紀念座談会を開き、現総書記として習近平は重要講話を行った。胡耀邦については、説明するまでもなくその死が1989年の天安門事件のきっかけをつくった人物であるが、2005年に胡錦濤政権下で生誕90周年が開かれた段階で、その名はタブーではなくなっている。ただ、2005年のときは記念演説を行ったのは曾慶紅・国家副主席であり、胡錦濤自身は胡耀邦と深いつながりがあるにもかかわらず座談会への出席は控えた。それに比べると政治局常務委員7人が全員出席し、習近平総書記自らが重要講話を発表した今回は破格の顕彰ぶりである。それはなぜか。まさか習近平の念頭に天安門事件の再評価問題があるのか。今回はそれを少し考えてみたい。

習近平の絶賛と最高級の顕彰

 新華社報道によれば、紀念座談会は11月20日午前、中共中央は人民大会堂で行われた。司会は劉雲山。習近平、李克強、張徳江、兪正声、王岐山、張高麗の政治局常務委員全員が出席した。この席で習近平は重要講話を行い、胡耀邦を褒めまくった。

 曰く「胡耀邦同志は時代の試練を経た共産主義戦士であり、偉大なる無産階級革命家であり、政治家であり、わが軍の傑出した政治工作者であり、長期に党の重要指導任務を担った卓越した指導者であり、中華民族の独立と解放のため、社会主義革命と建設のため、中国の特色ある社会主義の探索と創建のため色あせることのない功勲をあげた」「胡耀邦同志は己の一生を党と人民に捧げた。彼の一生は光輝く一生であり、戦闘の一生であった」「党と人民の事業のためにたゆまぬ奮闘の中にあり、公務に明け暮れ、心血を注ぎ、全力を尽くして、死して後やむほどの勢いで、共産党員の称号に恥じない人生を記してきた」「我々は胡耀邦同志を紀念し、彼の堅固な信仰を学び、理想に献身する高尚な品格に学ばなければならない。胡耀邦同志は、我らこの国家と民族の非常に重要な精神的支柱であり、我らが最高の理想の共産主義者である。基本原則、基本精神を語り、その最終目標を見失わないように」…。

 習近平の胡耀邦絶賛ぶりにちょっとびっくりするだろう。座談会のほかに胡耀邦生誕100周年に合わせて「胡耀邦文選」や「胡耀邦画集」が出版され、長編ドキュメンタリーフィルム「胡耀邦」がCCTVで放送されるなど、過去最大規模の胡耀邦顕彰も行われた。胡耀邦の若き日を描いた映画「青春激蕩の年代」も24日から上映される。これはいったいどういうわけか。習近平はそれほど胡耀邦に思い入れがあるのだろうか。それとも習近平が実は隠れ改革派だという噂は本当で、ひそかに天安門事件の再評価計画を進めているそのシグナルだというのだろうか。

今さらだが胡耀邦を知らない人のために簡単に説明しておこう。

 胡耀邦は1980年、最初の中国共産党総書記という名の職位についた中国の政治家である。それまで党の最高実権は毛沢東の肩書の「党主席」にあり、四人組を逮捕して文革を終了させた華国鋒は、この党主席の職位をついだ。文化大革命中は実権派として失脚し、文革後期に、鄧小平の復活とともに復活、鄧小平の部下として働くも、鄧小平が第一次天安門事件(1976年 四五運動)で三度失脚すると一緒に失脚。1977年に鄧小平が復活すると一緒に復活、とずっと鄧小平の右腕として苦難を共にしてきた。

「改革開放」に、大衆の支持と保守派の攻撃

 毛沢東の権威を利用して政治を行おうとする華国鋒に対し鄧小平が権力闘争を仕掛けたときも鄧小平を援護、華国鋒を失脚させ、胡耀邦が党主席の座を継ぐ。その後、実権を握った鄧小平を中心に、胡耀邦、趙紫陽が権力基盤を固めるトロイカ体制が築かれる。肩書は鄧小平が党中央軍事委主席、胡耀邦が1982年に廃止された党主席の代わりに新たに作られた総書記の任につき、趙紫陽が首相となった。

 胡耀邦は共産党若手エリート育成組織の共産主義青年団の第一書記を務めたこともあり、のちに改革派としての派閥を形成する。いわゆる団派である。胡錦濤はその流れを受け継ぐ団派である。胡錦濤は青年時代、胡耀邦の息子の胡徳平と中央党校で同級であったことから個人的にも深い付き合いがあったと言われている。その思想は現実的で開明的であり、そして人情家であった。

 1980年5月29日にチベット視察をして、その惨状に涙を落とし、チベット政策の失敗について共産党に責任があることを認めて謝罪し、チベット政策の転換を打ち出した。また、改革開放路線とともに自由化路線を推進。1986年に「百家争鳴、百花斉放」を再び提唱し、言論の自由を推進した。

 だが言論の自由が進むと、当然のことながら鄧小平の独裁性を批判する声も出てくる。このことがやがて鄧小平の不興を買うことになった。また対日外交を積極的にやり、日中間の青年交流事業を行った。胡耀邦は歴代中国指導者屈指の親日家といわれた。しかし、このことも保守派からの批判の理由になった。チベット政策緩和も当然保守派からの攻撃理由となった。

 一方で胡耀邦の大衆人気はうなぎのぼり、学生や知識人の間で胡耀邦を支持し民主化を求める声が高まり各地でデモが起こり始めた。この責任を問われる形で胡耀邦は1987年、総書記を解任される。1989年4月、失脚した胡耀邦が心筋梗塞で倒れ死去したことで、胡耀邦追悼と称した学生デモが激化していった。これが結局、1989年の天安門事件、鄧小平の命令による学生デモの武力鎮圧事件につながるのである。趙紫陽は、この時、学生擁護に立ったため失脚し2005年1月17日に死去するまで自宅軟禁された。

 こういったいきさつがあるので、胡耀邦の名前は、天安門事件を思い出すものとして長らくタブーであった。このタブーを破って胡耀邦の名誉回復に動いたのは、胡耀邦を父のように慕っていた胡錦濤であったが、胡錦濤は鄧小平に対しても忠誠心があったので、彼自身が紀念座談会に出席することはできなかった。胡耀邦を持ち上げれば、彼を失脚させた鄧小平を非難することになる。実際に、胡耀邦失脚の背景に、鄧小平に彼の実権拡大や大衆人気を恐れ妬む気持ちがなかったとは客観的にも言いきれない。

顕彰も「天安門と趙紫陽」は消去のうえで

 では、こういう中国の敏感な政治史に関わる胡耀邦という政治家を、習近平がここまで声高に絶賛する理由は何なのか。習近平の父の習仲勲はやはり開明派で改革派の政治家であり、胡耀邦と同盟関係にあった。胡耀邦が総書記を解任される間際まで彼を擁護し続けた人物ではある。だが、私が習近平を直接知る人に聞く限り、習近平の思想に父親からの薫陶を受けたものはなく、習近平は根っからの“毛沢東チルドレン”の保守派であるという評価が多い。

 実際に、今の習近平路線は、胡耀邦が目指した自由化路線と真逆の方向に行っている。ましてや、天安門事件を再評価する兆しなど今のところない。その証拠に、趙紫陽の名誉はまだ回復されておらず、この座談会に趙紫陽の親族が出席することも許されなかった。また胡耀邦報道は、国内メディアが勝手に行ってはならないという通達も出たし、民間の自発的な紀念活動は許可されていない。胡耀邦文選にも、胡耀邦画集にも、胡耀邦ドキュメンタリーにも、天安門事件についてはおろか、趙紫陽の名前も姿も綺麗に消されている。もし天安門事件を再評価する気持ちが少しでもあるならば、趙紫陽に触れても問題ないだろう。

 この習近平の胡耀邦絶賛理由について、いくつか興味深い説があるので、簡単に紹介しよう。

鄧小平を間接的に貶める?

【1】胡耀邦の政治遺産を利用したいから。

 胡耀邦は「改革猛将」と言われたほど、改革のイメージが強い。習近平も一応「全面的な改革の深化」をスローガンにあげている。習近平の改革と胡耀邦の改革は質的に全く異なるが、胡耀邦を持ち上げることで、胡耀邦の改革のイメージを利用し、いまも大衆、知識人層、そして海外に根強く残る胡耀邦人気を自分に取り込みたいからではないか。もっとも、これは保守派・習近平にとってはかなりの博打であるだろう。在米評論家の陳破空は「中南海は胡耀邦を消費している」と語り、元北京大学助教授のメディア評論家の焦国標は「胡耀邦紀念は、民意、特に知識階級に一種の安心感を与える。大衆の党への信頼を厚くする効果がある」と語っている。

【2】胡耀邦を持ち上げることで、鄧小平の改革開放の成果を矮小化する。

 以前、官僚の噂として聞いたのだが、習近平は実は鄧小平が嫌いらしい。習近平の前で鄧小平を褒め過ぎると機嫌が悪くなるらしい。また、習近平は海外メディアから自分が「新鄧小平」と呼ばれていることをかなり意識している。親習近平の政治学者から、「習近平の“改革”は鄧小平の“南巡講話”を超える」といった評価を聞いたことからも、習近平は鄧小平をライバル視しているフシがある。

 改革開放路線を一番に設計し推進したのは胡耀邦であり、鄧小平は二番目であると言わんばかりの胡耀邦礼賛によって、鄧小平のスケールを小さく見せたいのではないか。胡耀邦の失脚理由について、今回の紀念行事では敢えて触れないが、鄧小平が右腕としていた有能な胡耀邦を、半ば“男の嫉妬”から失脚させたことは周知の事実。胡耀邦を持ち上げることは鄧小平の小ささ、失策を思い起こさせることになる。

【3】権力闘争に利用するためである。

 胡耀邦の名誉回復を決断したのは胡錦濤であった。胡耀邦と胡錦濤の絆は深く、胡耀邦こそ共青団派の改革派イメージを作っている。胡耀邦の性格の良さとともに中国人民および国際社会に今なお残る「共産党のもっともすぐれた政治家イメージ」の恩恵を受けているのは胡錦濤ら共青団派であった。この胡耀邦イメージを共青団派から奪い、習近平政権のイメージとして定着させるために、習近平自らが重要講話を行い、自分こそ胡耀邦の後継者的改革者であるというアピールをしたのではないか。また胡耀邦を紀念することは、江沢民利権グループに対する圧力になる。華字ネットニュースサイトの多維は天安門事件の再評価への可能性あり、と報じているが、それは天安門事件後に利権と権力基盤を打ち立てた江沢民、曾慶紅グループを潰すための権力闘争の道具として使うためであり、中国の政治改革(民主化)を進めるためではない。

こうした見方は、中国の微博やブログで散見したり、知人に聞いたものをまとめたものだ。習近平が胡耀邦の志を受け継いで本当は中国の民主化、自由化を進めるつもりだという意見はほとんどなかった。胡耀邦の本当の功績は民主化・自由化の推進であり、失脚理由は「ブルジョワ自由化に寛容すぎる」であったが、胡耀邦の自由化推進について習近平がどう考えているかはついぞ明らかにならなかった。

結局、権力強化に利用するだけか

 はっきり言えるのは、習近平政権は中国で目覚め始めた公民権運動を完膚なきまでに叩き潰し、人権派弁護士狩り、知識人狩りを行い、メディアコントロールを強化し、チベットやウイグルの人権を武力を含む力づくで抑え込み、日本などに対して国際社会に対して覇権の意志を隠さない強硬外交を展開している。習近平が胡耀邦の挑もうとしたことに理解を示さず、ただその人気をただ自分の権力強化に利用するだけであれば、彼はきっと草葉の陰で落涙していることだろう。

11/25日経ビジネスオンライン 小平和良『中国から「夜逃げ」した日本企業 「世界の工場」の終わりはバブル崩壊の始まりか』について

中国にしたら「日本よ、おまえもか」という所でしょう。中国に進出した韓国系企業は苦しくなればすぐに夜逃げするので、日系企業駐在員の賃貸ホテルもデポジットを(2004年or2005年)とられるようになりました。日系企業の擁護をすれば、市場の変化に対応できなかっただけでなく、取引先企業(中国企業)が支払不能・遅延があったり、中国企業でも経営不振になれば夜逃げが当たり前です。また帳簿を改竄するのも当たり前です。LIXILが660億円も損を出したジョウユウが典型でしょう。「郷に入れば郷に随う」と言えばそうなってしまいます。「朱に交われば赤くなる」のですから悪徳国家とは付き合わないことです。精神が穢れます。人口の多さに幻惑され、中国進出したのが間違い。韓国同様、忘恩の徒、敵国です。日本はこういう国に資金や技術供与をしてきたのですから愚かとしか言いようがありません。日本人一人ひとりが彼らは敵国と思うことによって初めて、政府の政策チエンジも可能となります。「友好」なんて敵が便利に使って、日本から資金や技術を盗もうというもの。騙されてはいけません。「友好」を言う政治家は腐敗していると思った方が良い。学者は単なる馬鹿でしょう。官僚は小心者で老後が安泰になるように願う保身の輩です。彼らを駆逐するには政治家を変えなければなりません。予算と人事で締め上げる必要があります。売国奴は要りません。

赤字のまま中国に入ったら「収監」は間違いないでしょう。大学の中国語の授業の時、先生から話があり「某大学で中国が好きな日本人の先生が北京に旅行に行ったときに、イミグレで引っかかり、「このまま帰りの飛行機に乗るか収監されるかどちらを選ぶか」と聞かれたそうです。勿論、帰る方を選びましたが。理由はその人の論文にウイグル族について書かれたのが1行あったそうで、そのためのようです。真面な神経を持っている人だったら怖くて入れないでしょう。旅行に行ったら其の儘人質として収監されることもあり得ます。逮捕状なしで逮捕なんてよくある事。(人民法院は共産党の行政の下部組織ですから、後でいくらでも発行できるでしょうけど)。中国には旅行に行かないことです。駐在員も家族を含め、早く帰すべきです。

昨日(11/26)の日経によれば、昨年衆院選の「1票の格差」について最高裁判決が「違憲状態」と出したのを受け、大島理森衆院議長は「次期通常国会」での改正に意欲を示したとのこと。やはり、来年は衆参同日選が濃厚では。どうせなら消費税増税をまた延期して財務省の言いなりにならない内閣と言うのを示してほしい。そうすれば選挙にも勝てるし、元々安倍内閣の一番の使命は憲法改正です。最初から9条は無理としても96条改正は実現してほしいと思っていますので。ケントギルバートの言うように軍を持たない国はありません。それに反対する人たちは中国に隷従する道を歩ませようとしている売国奴です。中国に住んだことのない人には分からないかもしれませんが「異様」な国です。日本人とはまともに付き合えません。賄賂・不正が当たり前、貞操観念も違う国です。共産主義は人権抑圧をする政治体制です(中国は歴史的に人権何て考えない王朝ばかりですが)。ソ連・北朝鮮を見ていれば分かるでしょう。敬して遠ざけるべき。

記事

Iris fled by night

「夜逃げ」したアイリスの以前の社屋の前には、野菜などを売る露店が並んでいた(写真:町川 秀人)

10月中旬。広東省広州市のホテルの会議室で、あるセミナーが開かれた。タイトルは「中国現法『人員スリム化』のノウハウ」。つまり中国でいかにスムーズに人員削減を行うかを学ぶためのセミナーである。中国やアジアに進出している企業向けに法務や会計、労務などの助言・実務を行うキャストコンサルティングが開催した。

 この日は10人ほどの受講者が集まり、約4時間かけて退職時に従業員に支払う経済補償金の仕組みやトラブルを起こさないための方策などを学んだ。受講者はいずれも日系企業の中国法人で人事や財務などを担当している日本人だ。「すぐにリストラを予定しているわけではないが、学んでおく必要があると思った」。このセミナーに参加した日系メーカーの幹部は受講した理由をこう話す。

「中国での事業のたたみ方を知らない人が多い」

 同社は10月から11月にかけて、広州だけでなく北京や上海のほか、東京や大阪、名古屋でも同様のセミナーを開いた。背景にあるのは、中国経済の大きな変化だ。今年6月中旬以降の中国株式相場の急落をきっかけに、中国の経済成長への疑念が膨らんでいる。工業生産や貿易、不動産価格などの指標が悪化し、一部では「中国バブルの崩壊が始まった」との見方も出ている。

 「バブル崩壊」と単純に言い切れないことは日経ビジネス11月23日号の特集でも触れた通りだ。ただ、中国の経済構造が大きく転換していることは事実で、それに伴ってこれまでの高度成長下での成功モデルが通用しなくなっているのも確かだ。また中国で成功している企業であっても、中国の急速な変化に合わせて事業を臨機応変に組み替える必要が出てきている。リストラをスムーズに行うことは以前にも増して重要になってきていると言える。

 しかし、キャストコンサルティング(上海)の社長を務め、上記のセミナーの講師も務めた前川晃廣氏は「事業のたたみ方を知らない人が多い」と話す。リストラを進めるにあたり、中国人従業員との間でトラブルになるケースも少なくない。今年2月には広州市にあるシチズンホールディングスのグループ会社が工場閉鎖を決めた際、従業員による抗議デモが起きている。

 中でも特に多いのが、会社都合で辞めてもらう人に支払わなければならない経済補償金を巡るトラブルだ。中国で会社の都合で従業員に辞めてもらう場合、「平均月収×勤続年数」を経済補償金として支払わなければならない。ただ、これはあくまでも法定の補償金で、通常は法定分にいくらか上乗せして支払うことが一般的だ。この補償金をいくらにするかで従業員ともめ、時には大幅な上乗せを余儀なくされることもあるという。

 中国からの撤退を考える企業にとっては、この経済補償金が大きな重荷となる。中国では通常、従業員を解雇した後でなければ会社の清算ができない。中国で事業がうまく行かず撤退したいが、従業員に支払う補償金の原資がない。そんな事態に陥ることもあり得る。そのため「会社清算のためだけに、日本の本社から増資してもらったり、資金を借り入れたりするケースもある」(前川氏)。

 このような事態に陥った際、韓国企業や台湾企業は経済補償金を支払わず、夜逃げしてしまうケースもあるという。一方、真面目な日本企業が夜逃げをすることはほとんどないと言われてきた。

覆された「日本企業は逃げない」

 だが今年9月、ある日本企業がこの定説を覆した。

 女性用下着を製造するアイリス(徳島県美馬市)は10月16日、徳島地裁美馬支部から破産手続きの開始決定を受けた。その約1カ月前、日本での営業を停止するのに合わせ、同社は中国から「夜逃げ」した。

Notice of Iris's bankrupt

昨年移転したアイリスの新しい拠点には「日本の本社が破産申請した」との張り紙が張られていた

 従業員の解雇や会社の清算などの手続きを行わないまま、日本人幹部は中国を去った。事情を知らないまま突然、職を失う形になった中国人従業員240人は途方に暮れている。アイリスの佐々木喜庸史社長も「夜逃げのような形になってしまった」と認める。

 同社はグンゼやワコールホールディングスなど大手下着メーカーのOEM(相手先ブランドによる生産)業者として、日本向けの商品を中国で製造していた。古くから中国でのビジネスに携わっている日本人にとっては、早い時期に中国に進出し、成功を収めた中小企業として知られた存在だった。

 アイリスは1991年に中国・上海に進出した。工場を置いたのは上海市東部の浦東地区。現在は高さ632メートルの上海タワーを中心に高層ビルが立ち並んでいるが、アイリスが進出した当時はまだ開発が進んでおらず、田畑ばかりだったという。アイリスは同地区初の独資の外国企業だった。

 その後、アイリスは中国が「世界の工場」として急速に発展していくのに合わせて成長していく。日本やその他のアジアの国での製造を縮小して、中国に事業を集約。さらにタクシー業や牧畜業、不動産業なども手がけるようになった。

 「8年ほど前までは好調だった」とアイリスの幹部は振り返る。だが、中国の成長とともに年々上昇してきた人件費は、ボディブローのようにアイリスの経営を蝕んだ。アイリスの取引先であるグンゼやワコールは中国国内に自社工場を持っている。「取引先が当社に委託してくる製品は、取引先の自社工場で作れないものだった」(アイリス幹部)。

 この幹部は一例として、グンゼがイオンのPB(プライベートブランド)向けに生産を請け負っていたジュニア用下着を挙げた。「売れるかどうか分からないニッチな商品。実際、この商品の生産がなくなって、一気に経営が厳しくなった」。日本向けがほとんどのアイリスにとって、アベノミクスによる円安も打撃になったが、値上げはかなわなかった。

日本企業の夜逃げが示す中国の大転換

 アイリスは1990年代前半に中国に進出しているため、古参の従業員も多く、「9割は勤続20年以上の従業員だった」(佐々木社長)。そのため、補償金の金額もかさみ、未払いの給料と合わせた総額は約3億円に上った。「この金額は払えないと経営陣が判断し、逃げるようなことになった」とアイリス幹部は打ち明ける。

 進出から24年が経過した今年10月。上海・浦東地区にいち早く進出した企業として視察が相次いでいたというアイリスの社屋は廃墟のようになり、門の前の路上には果物や野菜、衣類を売る露店が並んでいた。元従業員の1人は「何が起きているのか分からない。せめて退職時の補償金だけでも払ってほしいけれど」と訴える。一方のアイリス幹部は「今は中国がどのような状況になっているか分からない。うかつに中国に行けば戻ってこられない可能性もある」と話す。

 真面目とされてきた日本企業の夜逃げに、現地の中国人も驚きを隠さない。「日本企業は制度の変更などにもすぐに対応してくれるし、こういうことはないと思っていた。実際、今回のようなケースは初めてだ。今後は日本企業との付き合い方を考え直さなければならないかもしれない」。アイリスにも従業員を派遣してきた国有人材派遣会社の幹部はこうまくし立てた。

 アイリスは中国の高度成長を信じていち早く進出し、「世界の工場」として発展するのに合わせて成功を収めた。そして経済成長率が7%を割り込み、世界が中国の成長鈍化に向き合うことになった2015年に消え去った。同社の「夜逃げ」は中国が直面している大転換の一端を示していると言えるだろう。

11/25「憂国忌」、「国際三島シンポ2015」、11/22産経ニュース 『三島由紀夫事件 没後45年 現代へのメッセージ (上)決起した元会員、貫く沈黙 肩の刀傷…今も悔いなく 取り残された会員「無念」』11/23『(中)狙撃覚悟「建軍の本義」問う 元会員「森田さんがもちかけた」 文学ではなく行動に託す 』11/24『(下)三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」』について

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昨日は三島が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決して45年になった日です。昨日、青陵会館で開催された「憂国忌」に出席しました。多くのファンが詰めかけていました。1階は満席でした。このセレモニーは保守派が主催したもの。写真はケントギルバート氏のスピーチのものです。

印象に残ったのは西尾幹二氏の「30周年(2000年)の時話した時以降起きた特筆すべき点は、文明の没落(欧州)と野蛮(中国)の台頭」と言ったところと、ケントギルバート氏(米ロースクール時代、バイトで日本語を教えていたし、法律より三島の『豊饒の海』を日本語で辞書を引き引き読んで勉強していたとのこと)の「日本は対米依存症にかかっている。憲法9条を早く改正してほしい。元首の記載のない憲法は憲法でないし、軍のない国は国家でない。私は日本人が大好きだ。誠実で、嘘を言わない、綺麗好きだし。でもそれを外交でやると失敗するからやめてほしい」と言ったのは正しく小生がずっと言ってきました「日本人は外国人との交渉と日本人との付き合いの時でスイッチを切り替えなければ」と符合します。グローバル人材とはそういう人を言います。「英語を話す猿」で白人・中韓の言いなりになって、国を貶める論調に味方するのはグローバル人材とは言いません。企業人も良く自覚してほしい。

11/14・15・22には国際三島由紀夫シンポジュウム2015が東大駒場と青山学院大学で開かれました。15日は残念ながら法事で出ていませんが。こちらはアカデミックというかリベラルな考えの人が多いのかと感じました。でもドナルド・キーンが「ノーベル文学賞の候補に三島でなく川端を挙げた。またNYでの三島の公演がかかるのではと思って彼はNYまでいったがダメで残念がっていた」という話や、ドイツ人の女性教授のトーマス・マンの「ベニスに死す」と三島の「禁色」の比較、三輪太郎の「ユーゴ紛争で三島を愛読していたカラジッチ(精神科医・セルビア元大統領)が国際戦犯になったのはセルビア国民がEUに入り、豊かになるため、スケープゴートとしてカラジッチを差し出したもの。どこかの国と似ている。(多分、日本が極東裁判で東條以下の戦犯を出し、国民はそれを忘れ呆けて、経済発展のみに精力を傾けているのを揶揄したのでは)、宮本亜門の演出論も三島の影響を受けているとのこと。11/22は猪瀬直樹も来ていました。国際シンポは1回目がフランス、2回目がドイツ、3回目が今回、次はメキシコとか言っていました。5~10年毎に開かれるそうです。

下の写真は11/14・15・22国際三島由紀夫シンポジュウム(22日開催の青山学院大学アスタジオにて)

International MIshima Sympo 2015

三島の死については多くの人がいろいろ論じていますが、正解は本人に聞かないと分かりません。多くの顔を持つ天才三島ですので、死についていろんな解釈があっても然るべきと思います。20年くらい前か新聞のドナルド・キーンのインタビュー記事で、彼が三島を評して曰く、「三島は小説より戯曲の方が優れている。自分が何か書いてくれと頼んだら、直ぐにスラスラ書き始め、文字を修正することもなかった。モーツアルトと同じく天才である。」というのを読んだ記憶があります。(大分前なので正確かどうか?)

でも、三島・森田の死を犬死にしない為に、日本人はもっと考え、行動すべきと感じます。本記事で紹介されていますように「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」というのを三島は45年前に遺していますが、今もその当時と同じく経済的利益の追求のみ、享楽にふけり、精神性を持たない日本人が多いと感じています。

あの当時とまた国際環境も変わってきました。中国の台頭を如何に封じ込めるかが、日本の未来に大きく関わっていくことになります。彼らの遺言を活かして行くためには、国民一人ひとりが国防をもっと真剣に考え、選挙で売国議員、利権政治家を落とすようにしなければ。

記事

 日本を代表する作家、三島由紀夫=当時(45)=が、自ら結成した民間防衛組織「楯の会」の会員4人と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込み、会員1人と自決した事件から、25日で45年になる。何が三島らを暴挙とも思える行為に駆り立てたのか。憲法改正問題などが注目されるようになった今、三島と寝食を共にした楯の会の元会員の証言などから、改めて事件の背景と現代日本へのメッセージを考える。(編集委員 宮本雅史)

 無意識のうちに身体に染みついてしまったのだろうか。その男性は話題が事件に触れようとする度、何かを確認するように右肩に手をそえた。理由を問うと、一瞬、驚いた表情をしたが、何も答えず、すぐに笑顔に戻った。古賀(現荒地)浩靖(68)。三島と共に決起、自決した三島と森田必勝(まさかつ)=当時(25)=を介錯した。

 関係者から、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地内の東部方面総監室で自衛隊員ともみあった際、三島の日本刀が右肩に当たり、5針を縫う傷を負ったと聞いていた。古賀にとって刀傷は身体に刻みこまれた三島の形見なのかもしれない-。ふと、そんな思いが頭をよぎった。

「思想の混迷の中で、個人的享楽、利己的な考えが先に立ち、民主主義の美名で日本人の精神をむしばんでいる。日本の文化、伝統、歴史を守るために、今度の行動に出た」

 古賀は裁判で詳細を語っているが、事件後は公の場から姿を消し、一切、口を閉ざしてきた。この日も、「自衛隊には誇りと栄誉を与えないといけない」「憲法は変えないといけない」と語っただけで、沈黙を通した。

 穏やかな表情を崩さないため真意を読み取るのは難しいが、裁判での証言内容を考え合わせると、今も決起したことに悔いは感じられない。むしろ、自衛隊の敷地内で非合法的な行為を犯したのだから、自衛隊員の手で射殺されることを覚悟していたのではないか、射殺されることで自衛隊を目覚めさせようと考えたのではないか、とさえ感じた。ただ今も、ケガを負った自衛隊員への呵責は強く感じているようだ。心の内を明かさないため、確認できないが、沈黙を貫いているのは、その呵責と、思いを示すには行動以外になかった以上、それを言葉で表現しようにも表現できないのではないか。そんな印象を持った。

口を閉ざしているのは、小賀正義(67)と小川正洋(同)も同じだ。

 小賀は「公判で話した以上のことは話せない」と呪文のように繰り返した。ただ、事件の6日前、学生長の森田が、新宿の工事現場で段ボールに入った書類を燃やしているのを見たという。当時、森田は自決し、小賀は生き残ることが決まっていた。目の前で人生の総決算をする森田の姿に、小賀は何を感じたのか。何も語らないが、想像するだけで心が痛んだ。

 小川も詳細については、楯の会の関係者にさえ、口をつぐんでいるという。

 三島由紀夫は死の4カ月前の昭和45年7月7日、産経新聞に寄稿したテーマ随想「私の中の25年」の中で、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と日本の将来を憂えている。

 元会員は「われわれは伝統や文化という精神世界よりも経済価値が優先される社会に憤りを感じ、道義の腐敗の根源は憲法にあると考えていた。刺し違えてでも現憲法を改正するんだと、行動を共にしてきた」と話す。

 三島は事件直前の最後の打ち合わせの席でこう言っている。「今、この日本に何かが起こらなければ、日本は日本として立ち上がることができないだろう。われわれが作る亀裂は小さいかもしれないが、やがて大きくなるだろう」

 三島ら5人の決起に一番ショックを受けたのは楯の会の会員たちだった。決起は参画した会員以外には知らされていなかったからだ。

 楯の会創設にかかわった伊藤好雄(69)は三島と森田必勝の自決を自宅のテレビニュースで知った。「びっくりした、の一言」だった。任意で警察の調べを受けたが、それ以降のことは何も覚えていないという。取り残されたという思いが強く、三島と森田に対し負い目を感じた。早稲田大卒業後も「自分に使命が下りてきたとき、迷わず行ける態勢を作っておこうと、就職せず、女性とも付き合わなかった」という。

 伊藤は45年春、三島から呼び出されたことが今でも忘れられない。「信用できるのはだれだと思うか」。三島の問いに答えは出てこなかった。裁判でこの時期、構想を練る三島と森田が小賀正義と小川正洋に声を掛けていたこと、4番目の男が決まっていなかったことを知り、三島の問いが改めて重くのしかかった。

 伊藤と親しい1期生の篠原裕(ゆたか)(68)は、月1回の定例会が行われる予定だった市ケ谷会館で異変を知った。「何も知らずに例会があると思っていた。不明を恥じるほかなかった。事件以降、楯の会の会員だったと胸を張って言えなくなった」

 勝又武校(たけとし)(68)は自宅で事件を知る。「恥ずかしいから話したくない」としながらも「バルコニーでヤジられている先生の顔は今でも忘れない。悔しく、無念だったと思う。その無念さは私自身の無念だ。(一緒に)行きたかった」と語る。

 死が脳裏をかすめた元会員もいる。倉持(現本多)清(68)は「二・二六事件を取り上げた『憂国』では、新婚を理由に決起から外された中尉が腹を切っている。私も結婚を控えていたから腹を切るべきだったのか、と考えた」と打ち明ける。

 一方、口をつぐみ続ける小賀ら3人の心中も複雑だ。

 元会員の田村司(65)が、会員の思いを監修した「火群(ほむら)のゆくへ」の中で、初代学生長の持丸博(故人)が「嵐の只(ただ)中にいた人はもちろん、同心円から少し離れた人も皆、十字架を背負っています。だから、なかなか話せないんです。みんなそれぞれ悩んで今まで生きてきた。毎日悩んでいるわけじゃないけど、なんかの拍子にずっしり重くのしかかってくる」と語っている。

 三島が学生と接触を持つようになったのは41年暮れからだ。文芸評論家の林房雄の紹介だった。

 当時日本は、東京五輪開催などを受け、高度経済成長の真っただ中にあった。同時に、中国の文化大革命の影響で、左翼思想が蔓延し学園紛争が拡大、学生らはそれぞれの組織でこうした勢力に対抗していた。

 倉持は「学生は必ずしも考え方が一枚岩ではなかったが、天皇を敬う心情と共産主義に対する嫌悪感は共通していた」と振り返る。

 三島はその後、楯の会の前身となる「祖国防衛隊」の結成を計画。43年3月、20人の学生と陸上自衛隊富士学校滝ケ原駐屯地で体験入隊を行うが、この体験入隊を機に三島と学生との距離は急速に縮まる。

 小賀は裁判で「三島先生と同じ釜の飯を食ってみて、ともに起き、野を駆け、汗をかいてみたら(中略)心強かったし、先生の真心が感じられた。本当に信頼できる人だと思った」と証言している。

伊藤は「先生は『作家・三島由紀夫に興味のある者は楯の会に必要ない』といつも言っていた。身近な存在で、男女の恋愛ではないが、糸でつながったような気がして、先生というリーダーを得て目標が見えた」と話す。

 楯の会は、何事にも率先垂範し、カリスマ性と吸引力を持つ三島を頂点に、強い信頼関係に支えられた強靱な組織に成長する。それだけに、最後まで会にとどまった会員が「自分はなぜ、選ばれなかったのか」という気持ちにさいなまれたのは当然のことだった。

 三島はこうした会員の思いを見越したかのように会員に課題を与えた。

 遺書では「諸君の未来に、この少数者の理想が少しでも結実してゆくことを信ぜずして、どうしてこのやうな行動がとれたであらうか? そこをよく考へてほしい」と述べ、小賀ら3人には「森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむる凛烈の行為である。三島はともあれ森田の精神を後世に向かって恢弘せよ」と命じている。

元会員の多くは「命令書は今も生きている」と口をそろえるが、勝又は「自分がだらしないだけの話だが、やることをやっていないので、先生と森田さんに申し訳ない」と言う。三島らの思いは今も、日本人の喉元に刃を突きつけている。 (敬称略)

 昭和45年11月25日、秋晴れに包まれた陸上自衛隊市ケ谷駐屯地。

 「自衛隊にとって建軍の本義とは何だ。日本を守ること。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」

 バルコニーからこぶしをかざして声を振り絞る三島由紀夫=当時(45)。だが、自衛隊員の罵声と上空を舞う報道各社のヘリコプターの爆音に、その声はかき消される。

 「お前ら聞けぇ。静かにせい。男一匹が命を賭けて諸君に訴えているんだぞ。今、日本人がだ、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は武士だろう。武士ならばだ、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ」

 「諸君の中に1人でも俺と一緒に起つやつはいないのか」

 三島の右後ろには、「七生報国」の鉢巻きをした楯の会学生長の森田必勝=同(25)=がすさまじい形相で仁王立ちしている。

 「一人もいないんだな。それでも武士かぁ。憲法改正のために立ち上がらないと見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ」

 この間、わずか10分。演説を断念して最後に「天皇陛下万歳」を三唱、総監室に戻った三島は「こうするより仕方なかったんだ」と漏らすと、森田と割腹自決した。

 楯の会の元会員はこう推測する。「バルコニーに立った三島先生と森田さんは、その場で自衛隊員に狙撃されることを覚悟、否、それを望んでいたかもしれない。決起は森田さんの意向が強かったと思う。森田さんは情熱的な人で、森田さんがいなければ決起していないだろう。森田さんがもちかけたとも考えられる」

 三島がその森田と初めて会ったのは、43年3月の陸上自衛隊富士学校滝ケ原駐屯地での体験入隊だ。当時、早稲田大2年生で、民族派学生組織「日本学生同盟」(日学同)に所属していた森田は、スキーで右足を骨折していたにもかかわらず、1週間遅れで参加した。骨折した足をかばいながら訓練を続ける姿に三島はまず、感激したという。 三島は後日、離隊の際、涙を流す学生の姿に「戦後初めて『男の涙を見た』」と述べているが、森田も涙を流した一人だ。体験入隊に参加した1期生の篠原裕(68)は「離隊の時、森田さんが、『ちくしょう、なんでこんなに涙が出るんだ』と泣きじゃくっていたのを覚えている」と振り返る。

 森田と日学同時代に同志だった評論家、宮崎正弘は著書「楯の会以後」の中で、体験入隊が終わった直後、森田が宮崎の目の前で「先生のためには、いつでも自分は命を捨てます」と礼状を書き、速達で送ったと述べている。三島も感激したのだろう。宮崎はその後、「どんな美辞麗句を並べたお礼よりも、この一言に参った」と三島から言われたと、森田が話していたと記している。

 三島は民族派学生による論争ジャーナルに寄稿した「青年について」で、「覚悟のない私に覚悟を固めさせ、勇気のない私に勇気を与えるものがあれば、それは多分、私に対する青年の側からの教育の力であろう」と述べている。森田は三島が言う「青年」の一人だった。森田と三島が同志として結束が強まるのに時間はかからなかった。

 三島がいずれ何かをするのでは、と感じていた5期生の村田春樹(64)は、45年6月1日、森田に会い、「腹を切る勇気がない」と退会を申し出ている。村田によると、森田は「俺だっていざとなったら小便ちびって逃げるかもしれない。人間なんていざとなったら弱いもんだ。だから、君ももうちょっと会にいてみろ」と答えたという。村田は森田の言葉に脱会を撤回したが、この時点で既に決起と森田の自決は決まっていた。村田は「あのとき、森田さんは『村田よ、安心してもう少し会にいてみろ。お前の代わりに俺が行くから』と言いたかったのではないかと思う」と振り返った。

 作家の三島由紀夫が政治的色合いの濃い評論や随筆を書き始めたのは「英霊の声」を「文藝」に発表した昭和41年6月ごろからだ。

 二・二六事件の決起将校と特攻隊員の霊が盲目の少年の口を借りて、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」を呪文のように繰り返し、二・二六事件での天皇の対応と、終戦後の人間宣言に疑問を投げかけている。

 ところが、三島は事件の際には「天皇陛下万歳」を叫んで自決した。一見すると、その言動に矛盾を感じるが、三島は43年4月、文芸評論家の秋山駿との対談で、「危険な言説を吐いたら、これから責任をとらなければならないでしょう。(中略)なにか自分にも責任がとれるような気がしたのです。だからあんなことを書いたのです。そういう見極めがつかなければあんなもの書けないですね」などと吐露している。

 事件後、三島文学に興味を持ったという篠原裕はこう話す。「陛下には他の人が抱けない強い思いを寄せていた先生が、なぜ『人間となりたまいし』とまで言わなければならなかったのか。なぜ天皇陛下万歳と言って腹を切らなければならなかったのか。先生の天皇に対する思いは一貫しているのです。だが、言ってはいけないことを言ったから責任はとりますと。英霊の声を書いた時点から死んで責任を取るという覚悟はできていたと思う」

「英霊の声」の発表後、学生との交流を持ち、祖国防衛隊構想実現に向けて行動を開始した三島は43年7月、中央公論に発表した「文化防衛論」で、天皇は日本人の歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の象徴であるとし、政治概念によって天皇が利用されることを防ぐためにも、「天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない」と指摘している。

 三島は「論争ジャーナル」に寄稿した「青年について」で、学生との出会いについて、「はじめて妙な虫が動いてきた。青年の内面に感動することなどありえようのない私が、いつのまにか感動していたのである」と述べている。学生が三島と出会い、具体的な目標を持ったように、三島も学生と出会い、「行動」に向けて舵を切り始めたのだろう。

 政治的発言を活発化させる三島は、祖国防衛隊に代わる楯の会を結成した。

 ある元会員は言う。「先生の純粋さとわれわれの思いが融合した。先生の人生はわれわれと会って、現実の世界へと全てが変わったのではないか。われわれに会っていなければ一作家で終わっていたかもしれない」

三島は季刊雑誌「批評」に連載された「太陽と鉄」の中で「すでに謎はなく、謎は死だけにあった」と心の内を明かし、事件の1週間前の文芸評論家、古林尚との対談では「軍医の誤診で兵隊から即日帰郷でかえされてきて、そのときに遺書を書きました。天皇陛下バンザイというその遺書の主旨は、いつまでもぼくの内部に生きているんです。(中略)ぼくは、あれから逃げられない」と述べ、「戦後は余生」とまで言い切っている。さらに「いまにわかりますよ。ぼくは、いまの時点であなたにはっきり言っておきます。いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか」と事件を示唆する発言をしている。

 作家として、思想家としての言動は並行して進む。

 憲法を改正して自衛隊を国軍とする道を模索する三島らは、44年10月21日の国際反戦デーに、自衛隊が治安出動し楯の会はその手助けをして、自衛隊を国軍と認定するよう憲法を改正させる計画を立てる。だが、警察力が反対勢力を鎮圧、自衛隊の治安出動が発動されなかったため、三島と森田必勝は「自衛隊は期待できない。われわれだけで実行しなければならないだろう」(検察側冒頭陳述)と、独自の決起に向けて計画を練り始める。

.  三島はバルコニーから演説する際にまいた檄文で、戦後民主主義体制の欺瞞をもっとも象徴しているものとして自衛隊を挙げ、国防という国家の基本にかかわる権利を戦後政治体制が曖昧にしてきたため、文化や伝統まで崩壊し、民族の歴史的基盤まで変化している、と危機感を訴えている。

 篠原はこう述懐する。「自分の人生についての葛藤、『英霊の声』に対する責任、憲法問題に自衛隊問題…。決起の理由はたくさんあるが、先生は背後にある近代合理主義に抗議するため、日本文化そのものに警鐘を促すために、刃を突きつけ、腹を切った。先生は文学者の世界ではなく、行動という目に見える形で託したのが楯の会だったと思う」=敬称略

11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。寺尾克美(86)。

 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。

 45年前のあの日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で益田兼利総監の身柄を拘束した三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。

 事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。

 その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。

■  ■

寺尾は当時、会計課予算班長の3佐で41歳。総監室近くの会議室で9人の幹部自衛官と次年度予算の編成中だった。「総監が拘束されている」。急変を告げる声に、全員が「なぜ!」と飛び出した。体当たりして総監室ドアのバリケードを破った。縛られた総監の胸元に短刀を押しつける森田必勝=当時(25)=の姿が目に飛び込んできた。

 「鍛えた体で目が鋭く光っていた」。隙を見て飛びかかり、押さえ込んで短刀を踏み付けると、すかさず三島が刀を構えて迫ってきた。「木刀だと思っていたから、かっこいいなと思う余裕がまだあった」 

 背中を斬られた。「『出ないと殺すぞ』と脅す程度で傷も浅かった。でも出ようとしなかったから、三島さんもだんだん力が入って…」。四太刀目の傷は背骨に平行して23センチ、5センチの幅に達した。短刀を奪い、医務室へ向かう途中、背中から「クジラが潮を吹くように血が吹き出した」という。

 搬送先の自衛隊中央病院で、三島と森田が割腹自決したことを知らされた。

 「組み合ったとき、間近で見た森田君の顔は今も忘れない。まだ、あどけなさが残っていた。後にテレビ番組に出演した森田君のお兄さんが『信奉する三島由紀夫と最後まで行動を共にしたのだから、本望、立派だったと思いたい』とおっしゃっていたが、まさにそれが全てだと思う」

森田を懐かしむように話すと、こう続けた。

 「三島さんの邪魔をしたという思いがあるが、三島さんには私を殺す意思はなかったと思った。ただ、負傷したぼくらを隊員たちは見ている。そんな状況で演説したって、聞いてもらえるはずがなかった」

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 陸将補で定年を迎えた寺尾は現在、講演活動を行っている。

 寺尾は平成23年5月3日には愛媛県で「独立国にふさわしい憲法の制定を!三島由紀夫義挙に立ち会った者として」の演題で講演。講演会では「日本国にとり、最も重要なことは平和ボケから目覚めて独立国としての憲法を制定すること。それが三島由紀夫氏と森田必勝氏の『魂の叫び』でもある!」と書かれた文章を配布した。

 総監が捕縛された上、寺尾自身も斬りつけられて瀕死の重傷を負っただけに思いは複雑だ。だが、「三島さんは戦後憲法によって日本人から大和魂が失われ、平和ボケ、経済大国ボケして、このままだと潰れてしまうと予言したが、まさに、20年後にバブルが崩壊し、心の荒廃は今も進んでいる。私は事件に立ち会った一人として、命を引き換えにした三島さんらの魂の叫びを伝えたい」と話す。そして「憲法改正が成立したとき、やっと無念が晴れて成仏できる。それまで三島さんは生きてますよ。安保法制で憲法への関心が高まっている今こそ、檄文を多くの国民に読んでほしい」と続けた。

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 世界的な作家と学生の割腹自決という衝撃的な事件は国内外で大きな波紋を呼んだ。ただ、その衝撃の大きさだけが先行し、三島由紀夫や森田必勝の思いがどこまで、国民に理解されたかは疑問だが、寺尾克美のように、三島らが決起の対象として選んだ自衛隊員には大きな影響を与えた。

 元会員、村田春樹(64)の著書「三島由紀夫が生きた時代」によると、決起後、自衛隊が1千人の隊員に無差別抽出でアンケートを取ったところ、7割以上の隊員が檄文に共鳴すると答えたという。自衛隊員の思いを象徴するように、三島らが体験入隊した滝ケ原駐屯地内には、三島の揮毫を彫り込んだ歌碑が建っている。

 〈深き夜に 暁告ぐる くたかけの 若きを率てぞ 越ゆる峯々  公威〉

 「くたかけ」は暁を告げる鶏の雅語。「公威」は三島の本名、平岡公威だ。

 元自衛官の佐藤和夫(69)によると、三島の自決後、三島が楯の会の会員と体験入隊した際に残した和歌を彫りつけたものだという。

 村田の著書によると、篤志自衛官が建立したもので、陸上自衛隊幹部だった楯の会の元会員は、三島が再三再四体験入隊し、その人格識見、自衛隊を愛する心を多くの隊員が知っていたからではないか、と建立理由を分析している。

■  ■

佐藤も三島らの決起に影響を受けた一人だ。慶大法学部を卒業し、商社に勤務していた佐藤は当時24歳。就職して2年目だった。

 事件当日は激務が原因で肺炎にかかり入院していた。「頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。それまで『おもちゃの兵隊』と揶揄されていた楯の会を冷めた目で見ていたが、三島さんらに武士道と男の生きざまを見て、オレも何かせねばと目覚めた。檄文も全くその通りだと思った」

 その後、商社を辞め翌春、2等陸士として自衛隊に入隊する。三島らの決起に触発され、国防に燃えて入隊してきた若者は何人もいたという。最初の配属先は、滝ケ原駐屯地だった。何かの縁を感じた。

 「先輩方から40歳を過ぎている三島さんが、最後尾であえぎながら走っていたと聞き、あの高名な作家がみじめな姿をあえてさらして、と感銘を受けた」

 昭和47年4月、幹部候補生学校に入校し、同年9月に会計担当として北海道南恵庭駐屯地に赴任。北部方面会計隊長となっていた寺尾に出会う。「ここでも三島さんの縁を感じました」

 30代でイラン・イラク戦争が勃発。緊張感を求めて邦人保護にあたる警備官に志願し、アラブ首長国連邦へ。「国を支える喜びを実感できた」。1佐で定年退職するまで三島を批判する隊員には出会わなかった。

■  ■

事件から45年がたち、この間、三島と森田の思いを後世に伝えようと活動している組織がある。

 三島森田事務所(東京都足立区)だ。楯の会2期生で初代事務局長の堀田典郷(70)は「楯の会の解散に反対だったが、解散は先生の命令だったから同意した。でも、事件を風化させないために、三島先生のために何かをしたいという気持ちから、連絡網として事務所を立ち上げた」と話す。

 2代目事務局長の原田強士(56)は三島とも森田とも面識はない。事件が起きたのは小学生の時だった。20代で楯の会1期生の阿部勉(故人)と知り合い、三島の御霊のそばで、考え方を学びたいと考えるようになったという。三島森田事務所と関わって12年、事務局長になって10年になる。20年余り、三島の月命日には、三島が眠る多磨霊園の墓前で掃除を続けている。「最近、月命日にお参りに来る20代、30代の若者が少しずつ増えている。多いときで、15、16人。タバコを1本ささげる人もいる」

 「恢弘せよ、という命令は永遠に続くと思う」といい、毎年11月25日には、三島の墓前で慰霊祭を行っている。

事件後に生まれた自営業、折本龍則(31)にとって、三島と森田は「もはや歴史上の人物」だ。檄文は「全くその通りだと思うし、三島先生や森田さんの考えには共感している」というが、「その通りのことが70年以上も続いて、既成事実化してしまっているのも事実で、受け入れざるを得なくなっている」と話す。その一方で「三島先生や森田さんのように、自分で納得できる生き方をしたい」という。

 高校時代に三島の文章と行動力に魅せられたという女性会社員(32)は「今、楯の会があればぜひ入りたい。先生は日本の真の姿の実現を目指していた。自決は自衛隊の決起を喚起しただけではない。もちろん、あきらめの境地でもない。メッセージだ。自分たちが口火を切ることに意味があった。それだけの影響力があると分かっていた」と話した。

 少しずつではあるが、三島や森田の思いが広がりつつある。        =敬称略

(重松明子、編集委員 宮本雅史)

11/23日経『対中国、「甘い幻想」捨てよ 米国防総省顧問 マイケル・ピルズベリー氏』について

昨日掲載しました高島康司氏ブログがやはり違っているというのを裏付けるような記事がありました。中国の内部情報が漏れることは少ないと思われますが、このような偽情報を出すメリットは中国にはないと思いますので信用して良いと考えます。

11/23宮崎正弘メルマガに「中国外交チームの内部資料が暴露  習近平訪米は鄧小平以来、最大の外交失敗だった、と。博訊新聞網が伝えている(2015年11月22日)。

 九月の習近平訪米は「鄧小平以来最大の外交失敗だった」と外事工作領導小組が内部報告文書で印していることが分かった。

 失敗と総括される理由は三つあり、第一にNY地裁南区裁判所が、訪米直前に在米中国人が訴えていた人権侵害の起訴状を受理したこと。これは在米の鳥永田、孫天鵬らが「中国国内における取り調べの残酷さ、人権活動家の弾圧」などを事由として習近平を告訴したもの。

 第二に弁護士、ジャーナリストら二百名をこえる人権活動家の拘束にオバマ大統領が抗議したこと。

 第三はハッカー攻撃について、習近平はいささかの反省もなく米国を怒らせてしまったこと。

 習訪米は外交部を中心に一年前から準備し、各方面に前準備を奔走してきただけに、駐米大使の崔天凱は疲労困憊で吐血したほどだったという。

また訪米前に楊潔チ、孟建柱らを派遣し、訪米成果の下工作に当たったが、すべては無駄に終わった。」とありました。

ピルズベリーは気づくのが遅かったですが、better late than neverです。アメリカの歴史でキッシンジャーは売国奴として扱われるでしょう。どうせ中国のことですから賄賂か、ハニートラップを仕掛けているでしょう。他のパンダハガーも同じようにしていると思います。米国の中国通は「中国も豊かになれば民主化する」と幻想を抱いていましたが、民主化するはずがありません。長い歴史の中で民主化(人民民主でなく、議会制民主主義)したことはありません。日本は1890年選挙を経て帝国議会が開設されましたが。中国では今後も共産党統治が続く限りあり得ません。米国の政策決定者がピルズベリーの言い分を信じていないのは愚かです。オバマのことと思われますが、宥和主義こそ戦争の原因になることを肝に銘ずべきでしょう。ラッセンだけでなく他の艦船も、頻度も多く南シナ海を航行すべきです。軍事基地化は経済制裁の対象になると明言すべきです。 

記事

1972年にニクソン大統領が訪中して以来、米国はあらゆる支援を通じ、中国が強くなるのを手伝ってきた。

 中国が強大で豊かになれば、ジーンズやロック音楽を好む中間所得層が生まれ、米国のような国になっていく。やがて民主化も進み、中国は米国の同盟国になるにちがいない。中国を助けたのは、こんな前提を信じたからだ。

 70年代には米国のライバルは日本であり、貧しく、遅れていた中国は決して米国に挑むことはない、とみられていた。つき合うべき友人は中国であって、日本ではない。こうした見方を初めにキッシンジャー元国務長官らが唱え、しだいに米国内に広がっていったのだ。

 いまから振り返れば、その考えは誤りだった。ところがワシントンではいまだに、中国が協力相手になるとの希望的な観測が幅をきかせ、支援が続けられている。オバマ政権は、中国のイノベーションを促す会議を発足させ、最もすぐれた科学者や起業家がノウハウを手ほどきした。

 米国が中国への幻想を捨てられないのは72年以来、両国がさまざまな秘密協力によって結ばれてきた実績があるからだ。私はそれらにかかわり、近著「China 2049」で内幕を書いた。たとえば、中国は当初、敵対していたソ連軍の師団やミサイル基地がどこにあり、何発の核ミサイルを持っているのかすら、知らなかった。そこで、米国は偵察衛星などでつかんだ機密情報を教えた。

 アフガニスタンにソ連が侵攻した後には、米国は中国から約20億ドル分の兵器を買い上げ、アフガンの反ソ武装勢力に流した。80年代には、カンボジアからベトナム勢力を追い出すため、米中がタイやシンガポール、マレーシアと組み、秘密工作も展開した。

 こうした実績があるため、米国の政策決定者の多くは、今後も中国と協力できると思っている。(南シナ海の人工島などの)問題は一時的なものにすぎないと考えているようだ。中国側も米国に対抗する戦略など存在しないと力説する。

 しかし、私の見方が正しければ、中国の言っていることは真実ではない。彼らは(建国100周年の49年までに米国を抜き、世界覇権をにぎるという)マラソン戦略を着々と進めている。対抗するには、中国が崩壊するという言説に惑わされず、米国の競争力を強めることが大切だ。

 米国は米中秘密協力について、日本には一切、教えてこなかった。日本は憲法の制約上、他国には軍事支援できないうえ、秘密工作を担う機関もないので、知らせる必要はないと考えられてきたのだ。米中間でどのような協力が進んでいるのか、日本は今からでも米政府に情報の提供を求めるべきだろう。

(談)

Michael Pillsbury 米コロンビア大学大学院で博士号。長年、米国防総省などで対中戦略に携わる。ハドソン研究所にも在籍。70歳。