産経の慰安婦関連記事を読んで

アメリカの高校教科書に「日本軍は20万人も慰安婦として強制連行した」と記述されているとのこと。アメリカ人の青年も日本を見る目が変わってしまうでしょう。韓国の慰安婦像を放置してきた咎めが出ています。外務省は何をしているのかと言いたい。公家集団だとしたら解体して、民間出身のハードネゴ経験者を充てた方が良い。でも駐米大使はほぼ外務次官経験者がなる不文律があります。小和田恒が次官経験者で駐米大使になれなかったのは、栗山尚一のように日本は「ハンデイキャップ国家」のままで良いという偏った見方の持主だったからと思われます。中国とも近く、皇太子ご夫妻が中国と近づく原因にもなります。民間と言えども丹羽宇一郎のような守銭奴、金の亡者で日本の名誉を守らないのは願い下げですが。方やヨンさんのように真実を伝えようとするジャーナリストもいます。でも中国・韓国相手だと暗殺の危険もあります。もし、そんなことが起きれば、世界の人々は真実に気づくでしょうけど。歴史の真実を求める世界連合会(GAHT USA CORP)< info@gahtusa.org> がアメリカで慰安婦像の訴訟をしています。寄付金口座の新しいのを開設する予定とのことで、できれば支援戴けると有難く。

産経ニュース11月3日

<米教科書に「強制連行」「20万人の日本軍慰安婦」 LA公立高校>

【ロサンゼルス=中村将】米大手教育出版社「マグロウヒル」(本社・ニューヨーク)が出版した高校の世界史の教科書に、旧日本軍が慰安婦を強制連行したとする記述があることが分かった。教科書はカリフォルニア州ロサンゼルス市や同市近郊の公立高校で使用されているほか、他地域でも使われている可能性がある。中韓による反日活動で広がった、事実に反する認識が「史実」として米教育現場に持ち込まれている実態が浮上した。問題の教科書は「トラディッションズ・アンド・エンカウンターズ(伝統と交流)」。先の大戦を扱った章で約1ページにわたり、「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に徴用し、慰安婦になることを強要した」「逃げようとして殺害された慰安婦もいた」などと、強制連行があったかのように記述されている。「日本軍は慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」と虚偽の内容も含まれている。現代史家の秦郁彦氏によると、慰安婦の約4割は日本人で、朝鮮半島出身者は約2割だったとされるが、教科書では「多くは朝鮮や中国からの慰安婦だった」「戦争終結時に証拠を隠すため、日本兵は多くの慰安婦を殺害した」など、事実と反する内容も目立つ。また、この教科書で日本の江戸時代を考察する項目で使用されている地図は、2008年に改訂された第4版で「日本海」と表記されていた部分が、第5版(10年改訂)からは「日本海(東海)」と韓国側の呼称も併記されていた。ロサンゼルス統一学区では、複数の公立高校がこの教科書を使用している。米国では一般的に各学区の教育委員会がそれぞれの教科で数冊の教科書を指定し、各校がその中から1冊を選ぶ。マグロウヒルは教科書出版では最大手の一つで、他の地域でも同じ教科書が使われている恐れがある。日本政府は出版社に記述の是正を求めるなどの対応を迫られそうだ。

11月1日、産経ニュース

<古森義久 慰安婦問題、米から支援の声>

マイケル・ヨン氏といえば、全米で知られたフリーのジャーナリストである。2003年からの米軍のイラク介入で前線に長期滞在し、迫真の報道と論評で声価をあげた。09年ごろからはアフガニスタンでも同様に活動し、米国内での知名度をさらに高めた。名前からアジア系を連想させるが、祖先は欧州系、数世代が米国市民だという。ヨン氏のリポートは米紙ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズや雑誌多数に掲載され、大手テレビ各局でも放映された。「イラクの真実の時」といった著書なども話題を集めてきた。そんな著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた。米国、日本、韓国、タイ、シンガポールなどでの取材をすでにすませた段階で、ヨン氏は「米欧大手メディアの『日本軍が組織的に女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張は作り話としか思えない」と明言する。ヨン氏はこの趣旨の調査報告をまもなく米国系のメディアで公表するというが、自分自身のホームページでは「慰安婦問題での日本糾弾は特定の政治勢力の日本叩(たた)きだ」とまで断言する。慰安婦問題での世紀の冤罪(えんざい)を晴らそうとする日本の対外発信の試みにとっても、やっと一条の光が米国側から差してきたようだ。そのヨン氏と10月前半、2回にわたって東京で会った。慰安婦問題などの情報や意見の交換ということで、かなりの時間をかけて話し合った。日本では慰安婦問題の研究や調査の関係者多数に会い、日本側の資料にもあたったという。米国でも、国立公文書館での資料調査やグレンデール市の慰安婦像設置の経過取材などを済ませたとのことだった。「日本軍が組織的に20万の女性を強制連行して性的奴隷にしたというのならば、国家犯罪となるが、そんな事実は出ていない」「どの時代でも軍隊に売春はつきものであり、日本の慰安婦も大多数は普通の意味の売春婦だったのだろう」「それでもなお、『日本軍の強制連行による性的奴隷』と断じる主張は政治的意図のにじむ捏造(ねつぞう)であり、日本を同盟国の米国や韓国と離反させるための日本叩きだろう」ヨン氏のこうした主張は、米陸軍の1944年のビルマでの慰安婦尋問書や日本の新聞の慰安婦募集広告の検証の結果だともいう。その上で同氏は現代の日本について以下のようにも述べるのだった。「現在の日本ほど人道主義、民主主義、平和主義に徹した国は全世界でも珍しい。米国にとっても貴重な同盟国だ。であるのに米側が慰安婦問題で日本を叩くのは敵性勢力を強め、友邦を弱めることに等しい」ヨン氏は、オバマ政権が安倍晋三首相の靖国参拝を非難したことも日本側の慣行への干渉だからおかしいとして、「自国の戦死者の霊に弔意を捧(ささ)げることは万国共通であり、戦犯という概念もその当事者が死ねばなくなるはずだ」と語る。ヨン氏自身も10月中旬、靖国神社を参拝した。今度は各国の元軍人たちに呼びかけて、集団で靖国参拝をしたいともいう。米国側にこうした意見が存在することは日本側の官民も改めて認識すべきだろう。(ワシントン駐在客員特派員)

シンシアリー著『韓国人による恥韓論』を読んで

「誠実な李」さんと言う名のとおり、考え方は日本人というか一般の日本人より真面目に物を見て、問題を抉り、解決策を提示しています。小生にも大学時代の韓国人の友人がいます。40年近くなるでしょうか、あの時代韓国人だからと言って特に何も感じなかったし、仲良く酒を飲み、麻雀を打っていました。今でもたまに日本に来た時には飲みます。個別に見れば韓国人でも良い人はいますが、圧倒的な数はここに書かれているように性格が悪すぎます。「反日の毒が幼いときから回っていて、歯止めが効かなくなる」と筆者は予想しています。憲法9条の念仏で守り切れないのは明らかです。一番は兵糧攻めです。経済的に打撃を与えれば軍事に回す金が減ります。これは中国も同じこと。いつも言ってますように中韓とは「敬して遠ざける」関係が一番です。シンシアリーさんもそのように言っています。でも彼の勇気に敬服します。

はじめに——韓国人である私が「反日」にならず、ありのままの韓国を告げる理由

私は韓国人で、生まれてからずっと韓国で暮らしています。現状というものなのか、それとも私が臆病だからか、これからいろいろと書いていきながら自ずと説明されていくことだろうとは思いますが、名前は申し上げられず、「シンシアリー(sincere LEE)」ということでお願いします。母から日本語を教わったためか、ネットの一部では女性だと勘違いされているようですが、1970年代に生まれた男で、韓国では小さな歯科医院をやっています。母は日韓併合時代(1910〜1945)、小学生でした。あの時に学んだ日本語を私に教えてくれましたし、子どものころから日本の雑誌やアニメなどで日本語を読んだり聞いたりしていたため、運良く、ある程度は日本語の読み書きができるようになりました。早期教育と言っていいかどうか微妙ですが、そんなところです。私の世代では、すでに韓国では漢字教育がほぼ無力化されていたため、これまたお恥ずかしいことですが、パソコンなしでは漢字はほとんど書けませんが。両国の言葉がわかるというこの幸運を持って、いつからか日本語でブログをやることになりました。内容は、主に、韓国の反日思想への皮肉でした。「シンシアリーのブログ」 というものですが、おかげさまで評判がよく、PVだけなら1日で十〜十三万に及び、自分なりのやり甲斐を感じております。

今回、扶桑社の方から書籍化の提案をいただき、恐れ入りながらも、長い間、我々人類の英知を支えてきた「本」というメディアの形で、こうして皆さんに私の持論をお伝えすることができました。恥韓論というタイトルを知った時、最初は「恥韓」という言葉に拒否感がなかったわけでもありませんが、「恥ずかしいからって、隠すほうがもっと恥ずかしいではないか」、 「私もその韓国の1部であるからこそ、一種の内部告発ということで、“お恥ずかしい話ですが”と申し上げる形での“恥”なら、別にいいんじゃないだろうか」、そう考えると、 拒否感も消えました。そうです。後述しますが、恥は悩みの一種であり、問題が存在することを認める勇気でもあります。最近、日本で数々の疑問と反論と怒りを巻き起こしている韓国の反日思想はまさに恥じるべきものでしかないのです。

私がなぜ「反日」という名の悪い意味での宗教に毒されなかったのかは、自分にもよくわかりません。「なんとなく」です。いつからだったかもわかりません。あれ?私だけ考えが違うぞ?と、ある日、気づきました。まさに「朝、起きてみたら、こうなっていた」です。これは、先天的と後天的の両方の理由からだったのではないかと思います。私は子どものころから、母から併合時代に苦労したなどという経験談は聞いたことがありませんでしたし、家電好きだった父の影響でケンウッドの電蓄(オーディオ)やソニー のビデオデッキなどを思いのままにすることができました。当時の韓国では、それは物凄 くブルジョアなことでした。両親ともにちよっと性格が開放的だったのですね。固い所は固かったですが。まだ韓国にはビデオテープというものがなかったので、日本で地上波放送(アニメやショーなど)を録画してきて、それを売る店だけが頼りでした。あの時、お世辞にも画質がいいとは言えないビデオテープから目にした日本の姿は(何を言っているのかはわかりませんでしたが)、反日教育を退けるよい盾になってくれたと、今でも感謝しています。それからは自分で日本の雑誌や本(なぜかソウルの中国大使館の周辺でたくさん売っていました)、流通経路は怪しいものの正規品のLDやDVDが買えるようになり、ネットの時代になって、日本語IMEを入れて(当時は日本語IMEが内蔵されていませんでした)・・・そうしているうちに、韓国で敵視している日本は、どこにも存在しないことが分かりました。そして、長きにわたり韓国を狂わせている「過去史問題」で決定的な道標になってくれたのは、ある一冊の本です。私がブログをはじめたきっかけも、この本を広く紹介するためでした。植民地研究に熱心だったアメリカの行政学者アレイン•アイランド(Alleyne Ireland.1871〜1951)さんが1926年に発表した「The New Korea (邦題:THE NEW KOREA-朝鮮が劇的に豊かになった時代)」です。シンシアリー狂喜の「当時の資料」です。彼は、ビシッと言っています。『日本によって、KOREAは元の支配者たち(李氏王朝)の時代やほかの独立国よりも、ずっとよく統治されている(1章の最後の部分)』と。 内容もそうですが、テータが凄いのです。そこに書いてあるのは、韓国で毎日のように耳にした「人類史上最悪の植民地支配」とはあまりにもかけ離れたものでした(そもそも、植民地ではなく併合でした)。

一次産業から三次産業まで、学校から法律まで、食糧から医療まで、日本は韓国から奪ったのではなく、近代化という贈り物を与えていたのです。それを民族のプライドという思想だけで決めつけるのは、無理があります。私はブログだけではなく、改めて本書を通じて、皆さんに知ってほしいのです。 韓国を支配する「反日教」の正体を、その起源を、そしてますます悪化している現状を、 善悪を失った「基準」を、隠蔽してきた性奴隸の実態や、今後日本が韓国と外交をするうえで欠かせないと思われる方法(韓国の弱点)を。

韓国では、反日でないものは国賊扱いされ、見つかれば社会的に抹殺されます。私も例外でなく、「シンシアリーのブログ」の「犯人」探しを何度もされたことがあります。それでも、間違ったことを違うと言えないことはとても苦しいことです。 だから、ここまで来たからこそ、簡単に止めるわけにもいきません。

ニ〇一四年三月韓国にて シンシアリー

「負け組」青年層に跋扈する極端な反日思想

さて、話を戻しましょう。朝鮮戦争を戦い愛国だけを信じて生きてきた高齢者たちが、

信じてやまなかった「国」からも「孝」からも捨てられ、頼れるものをすべてなくしてしまったのと同じです。韓国の青年たちは、今まで信じていたものをなくし、新しく信じられるものが見つけられない状態になってしまいました。彼らが人生のすべてをかけて夢見てきた「勝ち組」としての生き方は、最初から一部だけのためのものでしかなかったのです。だからといって、負けたものへの尊重など、ありはしません。誰かが人の上に立つということは、誰かが人の下で踏み潰されることが前提となるものです。競争社会だからこそ、競争の結果で生まれる序列に対しては、お互いが敬意の念を示さなければならないのです。競争が公平でなければならない理由もそこにあります。

しかし、最初から狂ったような序列意識によって作られた競争社会に、そのような高次元なものがあるはずないではないですか。獣に人の気高さが分かるものですか。上に立った人への祝福も、下に落ちた人への尊重も、その社会にはないのです。そして、宝物のように大事にしてきた「スぺック」を振り返りながら,負け組の青年たちは、口にします。 絶対言ってはならないことを。“いったい、なんだったんだ           ・・・”。その絶望感の中、反日思想は彼らにとってかけがえのないガス抜きです。絶封に負けない「比べ」の対象です。なぜなら、韓国は絶対善で、日本は絶対悪だからです–最初から負けるという設定はありません。反日思想はすべての年齢層にムラなく現れるものではありますが、青年層の反日は、ちよっとユニークです。韓国の歴史が1万年だという主張(いつの間にか五千年も増えてますね)、対馬が韓国の領土だという主張、いずれ大地震で日本は滅ぶという主張、日本は放射能のせいでもう終わった国でもうすぐ全員死ぬという主張などを、わりと本気で信じています。思想教育の問題か、日本が南北統一を邪魔しているとも思っているらしいです。統一すると韓国が先進国になるから、それに劣等感に燃えた日本が邪魔をしているのだそうです。彼らにとっては、朴槿恵大統領すらも「親日だ」という理由で嫌悪の対象になります。親日だから嫌いなのか、嫌いだから親日にするのか?はわかりませんが。韓国で「親日」と言われると良いことは何もありません。一言で、この青年層の反日は、上の世代よりもずっと「極端的」であるのです。反日だけではありません。民防衛教育の話で、私は、韓国はデジタル的な考え(0か1か)で物 事を決める問題点を持っていると書きました。「勝ちか、負けか」しか知らないで育った人たちに、そういう傾向、即ち、0か1か、白か黒か、善か悪か、その「どちらか」への 極端的なこだわりが現れるのは、ある意味では自然な結果だとも言えますね。

「極端」と言うとそれらしい響きですが、実際にはただの「バカじゃないの」という類の意見が多く、私もそういうのをただの戯言だと思っていたのですが、どうやら彼らは本気らしいです。二十代(たぶん)の大学生たちとちよっと話してみる機会があったのですが、とくに独島(竹島)関連の論争などで、彼らの意見から、「日本は韓国が何を言っても頭を下げて従わなければならない」という、韓国特有の反日思想がそのまま集約されているような感覚を受けました。こちらもまた極端的な書き方をすると、まるで、「日本は奴隸だ」と考えているようでした。せっかく奴隸にムチを打つからには、もっと酷く、もっと苦しい方法でやったほうがいいんじゃないのか?そういうサディスティックなご主人様と奴隷に近い序列意識が、反日の中でもとくに極端的な意見として表出されているのではないか、 私にはそう思われました。そういえば、韓国では人を「奴隸」にする事件(監禁して働かせる、漁船などに売る、 借金漬けにして売春させる、物乞いをさせるなど)が多く、2007年には四百四十人の知的障害者たちを漁船などに売り飛ばした「奴隸商人」たちが、2012年にはニ代にわたって百人近く知的障害者やホームレスを奴隷として管理(事実上の「飼育」)していた人が警察に捕まったりしました。小規模の奴隸事件は、そこそこ 頻発します。ちょうどこの原稿を書いているニ〇一四年二月七日にも、離島の塩田に「奴隸」として売られ、数年間も、暴力と監視の中、給料もなしで働かされた障害者の二人が救出されたというニュースが、各マスコミから報道されました。こういうことも同じ心理なのでしようか。誰かのご主人様になりたいのでしょうか。でもご主人様になれるお金も権力もないから、誰かを奴隸まで下げることで自分をご主人様にするのでしようか。だとしたら、狂っています。「相手が日本なら、何をしてもいい」。悪い意味での「ご主人様と奴隷」。彼らは、そう思っています。

ますます獣化する反日への純度

反日が急激に悪化したとして、それからは、どうなるのでしょうか。ちよっと意外な言葉選びかもしれませんが、悪化というのは、「純枠になる」ことでもあります。もちろん、ここで言う「純枠」とは、良い意味ではありません。何の罪悪感もなしに高い玩具を叩き壊す赤ちゃんのような状態を意味します。子どもでも、自分の玩具やゲーム機を大事にすることはできます。それをあまり乱暴に扱って壊したりしたら、結局は自分が損をするということを知っているからです。しかし、赤ちゃんは違います。結果的に自分が損をすることでも、平気にやってしまいます。それは、純粋だからです。ゼロです。タロット力ードの「愚者」です。これまた悪い意味で、ですが。そのような純粋の純度から見ると、子ども→赤ちゃん→獣になります。進化ならず、退化です。前述した「何をやってもいい」というのも悪い意味での純粋さなのです。あまりにも残酷な純枠さです。青年たちの反日は上の年代より極端的だと書きました。彼らの「日本には何をやってもいい」という認識は、上の年代より強いのです。でも、子どもたちの反日はもっと極端的です。もっと「悪い意味で純粋に」なっています。当然です。そう育てられましたから。どこを見ても、誰に.聞いても、日本は悪いというものしか見えず、日本は悪いというものしか聞こえないものですから。世代が替わるにつれ、反日の「純度」は、日を追うごとに高くなりつつあります。それも急激に。この本をお読みの皆さんが韓国に対して持っている素直な感情に「(韓国って)ガキかよ」というのがあると思いますが、それが「赤ちゃんかよ」になる日も近いでしょう。そして、いつか韓国の反日が真の純粋さ、純枠の頂点に達する日もくるはずです。「赤ちゃんかよ」が、「獣かよ」に退化する日が。世代の入れ替えに伴って。

基本「だけ」に忠実な外交を仕掛ける

今後、日本は韓国に対してどういう態度を取ればいいのでしょうか?それは、決まっています。長く書くこともないでしよう。

韓国がもっとも嫌がる態度を取ればいいのです。作用があれば反作用があるものです。ここまで日本が嫌いだという韓国に対して、韓国が嫌がる対応をするのは当然でしょう。 しかし、それは、韓国がやっているように「根拠のない」、「ダブル•スタンダード」、「ゴリ押し」、「極端」などの見苦しいことであってはなりません。

では、ここで言う「韓国が嫌がること」とは何でしようか。またまた意外だと思われるでしょうが、「基本に忠実」なことです。私は、自分のブログなどで、これを「距離を取ること」だと書いてきました。 世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな集団があって、その中には気が合うものもあればどうしても仲良くできないものもあります。子どもが相手なら「皆で仲良く」という導きで十分な効果を出しますが、大人には無理です。「皆で仲良く」することがいかに難しいことで、そしてできたらできたで、「皆」それぞれの宗教は、文化は、主張は、個性は、どれだけ犠牲になるのか?そういうことを考えると、果たしてそれが有益なことなのかどうかも疑わしいからです。だから大人は次善策として、「共存」という言葉を選びます。好きなものも嫌いなものもある。嫌いなものでも、存在そのものを否定はしない。それは「そこにある」。自分の嫌いな人を愛する人もいる。そんなもんだろう。そこから「皆でそこそこ仲良く」ができたりするから、不思議なものです。しかし、韓国は、日本というものに対して、「皆で仲良くしないといけない。だからお前が僕に合わせろ」を強要しています。そう、韓国が言う「友好」とは、日本が一方的に韓国の言いなりになることを意味するのです。絶対悪と絶対善ですから。日本というものが、日本の好きなように存在してはいけない。韓国が好きな形で存在しなければならない。そうでない日本は認めない。そんなものは存在してはいけない。それが韓国の日本観です。 最近、(私が言うのもなんですが)韓国の日本関連ニュースなどを紹介するサイトが増えましたが、そういうサイトで韓国側の記事を読まれたことのある方なら、「ああ、それはたしかにそういう感じだったよな」と同意されるかもしれませんね。外交の基本である「同等の立場」が最初から成立してないのです。そんな韓国に対して、日本側か、基本に忠実な外交、もう少し詳しく言えば、基本「だけ」に忠実な外交を仕掛けてみると、どうなるのでしようか?韓国人は、何か特別な例外措置こそが自分への評価だと思っています。自分を例外として扱ってくれないと、基本とされる条件よりもっと良い条件で(追加料金なしに)扱ってくれないと、怒ります。「無視されている」と思ってしまうのです。こういうところは原則を尊重すると言われている日本の皆さんにとっては、ちよっと理解しにくいことかもしれませんね。チエミョン(体面)だの序列意識だの、そういう歪みの副産物です。ちなみに、同じ理由を持って、韓国人は、買い物の際の値引き要求も半端ないです。契約書にサィンしたあとでも、相手側に値引きを、または何か特別なおまけを要求したりします。そうすることで、少しでも基準より「上」に立てるという心理が動いているからです。

11/1日経の日米同盟と中韓の受験不正の記事について

ジョセフ•ナイというのはどうしようもない輩と思っていましたが、その印象は今回も変わりませんでした。朝日新聞とかニューヨークタイムズが好きそうなタイプです。戦後日本が出しゃばれないように精神的に、軍事的に縛りつけておこうとしています。キッシンジャーと同じです。歴史解釈において勝者たるアメリカの言うことを聞け、聞かない奴はリビジョニストの烙印を押すぞと脅す人間です。朝日新聞が慰安婦で誤りを認めたのに、河野談話維持を要求する姿勢は真実追求からは程遠い。韓国系から金かハニーを疑ってしまいます。「米の大学進学適性試験、中韓で大規模不正か」にあるように不正が常態としてある国と「誠」を求める国とどちらが信用できるか考えた方が良いのでは。こんな人間に日本政府は旭日重光章を与えるというのですから。褒章基準が狂っているとしか思えません。ルメイに与えたのと一緒です。戦時作戦統制権も韓国に返還しないから韓国をつけあがらせることになります。朝鮮戦争の時に李承晩が、北の攻撃に我先に逃げたのでアメリカが仕方なく、指揮したといういわくつきのもの。この民族の性格はセウオル号の船長でも見られるように、トップが我先に逃げ出します。日本の今の民間人もそういう所がありますが。でも明日シンシアリーの本について書こうと思っていますが、それによると北と南が戦えば北に負けると軍幹部が言っているそうです。それでは、朝鮮戦争で米兵4万人を失ったアメリカも韓国には任せられないとなったのかもしれません。でも戦争再開時、集団的自衛権に反対したのだから、日本の協力は当てにしないでほしいと思います。

 日本経済新社と米戦略国際問題研究所(CSIS)は30日、第11回シンポジウム「第ニ次安倍改造内閣と同盟の新展開」(協賛•日本経済研究センタ—)を共催した。参加者は日本政府による集団的自衛権の行使容認決定を評価し、環太平洋経済連携協定(TPP)の早期妥結を求める考えを示した。北朝鮮、ウクライナ、中東など地政学リスクへの対処を巡っては日米の連携強化に加え、日中、日韓の関係改善が重要との指摘も相次いだ。

日米安保を取り巻く課題

リチャード•アーミテージ元米国務副長官とジョセフ•ナイ米ハーバード大学特別功労教授が日米の安全保障を取り巻<課題について、会場の聴衆の意見も交えて議論した。

アーミテージ氏:集団的自衛権の行使により、日本は自分の運命を自分で決められるようになる。我々は同盟国としてその決定を支持する。集団的自衛権の行使は(日本のような)主要国が責任を果たすことであり、世界の公益に対して貢献するということだ。

ナイ氏:アーミテージ氏と一緒に、日本は集団的自衛権を国連憲章に従った形で行使する権利があると10 年以上も前から書いている。今回の日本の内閣の決定を軍国主義への回帰と批判する声があるが、そうではない。責任を果たす普通の国になっただけだということだ。

--日韓関係はこの半世紀で最も悪いと感じる。日本では嫌韓ムードが広がっている。

ナイ氏:日本は1930 年代という時代を過去のものにしなくてはならない。 河野談話を蒸し返したり、 靖国神社に大臣が参拝したりするのは、30年代の日本をほうふつとさせる。まるで日本が民主主義を踏襲していないかのようなイメ-ジを醸し出す。 中国と韓国に日本パッシングのチャンスを与えてはならない。

アーミテージ氏:日本は長年にわたって韓国に政府開発援助(ODA)を続けたのに、韓国からは常に苦情が寄せられてきた。日本が(歴史問題を)もう過去の問題にしたいと思うのも無理はない。一方で韓国でも日韓関係の支持がわずかに増えてきている。日韓には北朝鮮を脅威、米国を同盟国とする共通点がある。本来であれば、より良い関係を築き上げる要素がある。

——中国の覇権主義を警戒する人が多数いる。中国との関係をどうすべきか。

ナイ氏:米政府は日米安保条約第5条が沖縄県・尖閣諸島をカバーすることを再確認した。米軍が(クリミア半島をロシアに一方的に編入された)ウクライナで軍事行動を取らなかったからといって、尖閣諸島で取らないということではない。日米は尖閣諸島では明らかに軍事的優勢、すなわち抑止力がある。日米安保がしっかりしていれば、中国は覇権主義を主張できない。

アーミテ—ジ氏:日中関係の改善を望む。11月に日中の間で首脳会談が開かれると良い。日本側のアプローチが重要で常にオープンだという安倍首相の態度は正しい。

ナイ氏:日本とロシアは中国の台頭に対して利害.が一致している。ロシアを.完全に孤立させたり、冷戦状態にしたりするのは避けるべきだ。

(リチャ—ド•ア—ミテージ氏)1967年、米海軍兵学校卒。ベトナム戦争では3度戦闘任務に就いた。国防の専門家で、レ-ガン政権の国防次官補やブッシュ前政権の国務副長官などを歴任。現在は政策コンサルティング会社代表。知日派の重鎮で、共和党系ながらオバマ政権の対日政策に影響力がある。

(ジョセフ•ナイ氏)米ハーパード大で博士号を取得。力―夕—政権で国務次官補、クリントン政権で国防次官補など歴任。著作は学術書のほか、政策雑誌などへの200を 超す寄稿がある。2013年には「大統領のリーダーシップとアメリカの時代の創造」を著す。前ハーパード大ケネディ行政大学院長でもある。

ナイ教授ら「日米安保が中国抑止」強調 日経・CSISシンポ

2014/10/31 1:35日本経済新聞 電子版

日本経済新聞社と米戦略国際問題研究所(CSIS)は30日、第11回シンポジウム「第二次安倍改造内閣と日米同盟の新展開」を共催した。ジョセフ・ナイ米ハーバード大学特別功労教授は「日米が安全保障分野でしっかり結束すれば、中国は覇権主義を主張できない」と日米関係の重要性を強調した。日韓関係の早期改善を求める声も相次いだ。リチャード・アーミテージ元米国務副長官は沖縄県・尖閣諸島で有事があれば「米国は自衛隊と共に努力する」と述べた。ジェームズ・スタインバーグ前米国務副長官はパネル討論で「力による現状変更は許されず、中国は他国の国益を尊重すべきだ」と主張した。ミシェル・フロノイ元米国防次官は講演で「アジアの秩序に中国を取り込むべきだ」と述べた。カート・キャンベル前米国務次官補は「中国に(地域安保の)責任を持たせれば北朝鮮を幻滅させる」とし、北朝鮮問題でも中国との連携が有効との認識を示した。議論を総括したジョン・ハムレCSIS所長は、集団的自衛権の行使による地域安保の維持を、車の運転に例え「米国に加え、今や日本も一緒にハンドルを握ろうとしているが、韓国も思いは同じだ。3本の強い腕で運転していくことが大切だ」と訴えた。

ナイ氏「日韓関係改善を」 日経・CSISシンポ

日本経済新聞社と米戦略国際問題研究所(CSIS)は30日、都内で第11回シンポジウム「第二次安倍改造内閣と日米同盟の新展開」を共催し、ジョセフ・ナイ米ハーバード大学特別功労教授はリチャード・アーミテージ元米国務副長官らとの特別鼎談(ていだん)で「河野談話の細部を蒸し返すよりも、北朝鮮問題などで日韓は協力すべきだ」などと語った。 「集団的自衛権行使の意義と日米同盟の新展開」と題するパネル討論では、カート・キャンベル前米国務次官補が北朝鮮問題について「同国と経済関係の深い中国への圧力を強めなければならない」と語り、中国が責任を持って対応するよう求めた。シンポジウムを総括したジョン・ハムレ元米国防副長官は「日本と米国と韓国はともに(アジアの安全保障という名の)同じ車のハンドルを一緒に握るべきだ」などと語り、日米韓の協力強化を訴えた。自らの伯父が若くして硫黄島で戦死したことに触れながら、日米両国の犠牲から始まり、戦後70年かけて築き上げた繁栄の意義を強調した。

米の大学進学適性試験、中韓で大規模不正か 公表延期

2014/11/1 11:48

【大連=森安健】米国の大学に進学する人が受験する適性試験「SAT」を巡り、中国と韓国で大規模な不正行為があった可能性が高いとして、実施主体の米非営利法人カレッジボードは、中韓の全受験者の点数公表を遅延すると発表した。試験は米国以外でも受験可能だが、両国の一部の語学学校が不正に試験問題を入手し、生徒に見せていた疑いがあるようだ。対象は10月11日に実施したSATで、本来なら同28日に結果を発表する予定だった。不正の有無を再点検するため、4週間程度発表が遅れる。米大学が願書を受け付ける11月に間に合わない恐れもあり、受験生の間で不安が広がっている。韓国では昨年も試験問題が流出した疑いで一部の試験が中止されたが、複数の国で集団カンニング疑惑が浮上し、調査に乗り出すのは異例の事態だ。中国と韓国の米留学熱は高く、2012~13年度に米大学に入学した海外留学生の計37%を両国が占めた。

11/1「北斎展」と「古典の日」に参加

昨日、「北斎展」と「古典の日」に参加しました。「北斎展」は上野の森美術館で開催、混むのを読んで10時開館のところを9時40分に着くようにしたら、其の儘入れました。ボストン美術館所蔵のものです。モースやフェノロッサがボストン美術館を造ったとのこと。フェノロッサの通訳として岡倉天心が起用されることにより、天心がフェノロッサの影響を受けて日本美術に造詣が深くなります。しかし、天心は浮世絵には重きを置かず、俵屋、本阿弥、尾形、狩野派を重視していました。武士の子の制約でしょうか?「侘び」「寂び」を重視しました。禅や能の影響でしょう。「侘び」「寂び」を外国人に説明するのには鈴木大拙の『禅と日本文化』の説明より、文化勲章受章者の中西進の『情に生きる日本人』の方がfitすると感じます。Wabi means the aesthetics to perish, commit suicide by disembowelment. Sabi means cut off the extra,elimination of unnecessariness.天心は伝統を重視しながらも、西洋画風の大気描写ができるように菱田春草や横山大観に命じて朦朧体を編み出させました。「北斎展」で良かったのは勿論『神奈川沖浪裏』、他に『穏田の水車』『芙蓉と雀』『下野黒髪山きりふりの滝』『滝と鯉』『百物語 さらやしき』『百人一首 参議篁』でした。それと富嶽36景は後に10枚追加されたのも初めて知りました。

「古典の日」はイイノホールで開催されました。小川剛生氏による「兼好とは誰か-徒然草の新解釈」で実証的に兼好を特定しようとする野心的な試みの話でした。「詠み人知らず」と言うのは「六位」以下はそう言われるとのこと。林望氏の「紫上をめぐって」の話も面白かったです。以前聞いた長谷川三千子氏の「日本の文化は弱いものに寄り添う」と言うのが納得させられました。禍福は糾える縄の如しと言うか、他に女を作られ一見不幸に見えるが、別の視点で見ると紫上は如何に光源氏に愛されていたか分かって亡くなっていく幸せがあるということが分かりました。

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黄文雄著『悲韓論』を読んで

黄文雄は「日本」と「中華」・「小中華」を分けるのは「誠」と「詐」であるという。小生がいつも言ってます中国人の普遍的価値観は「騙す方が賢く、騙される方は馬鹿」と言うのと同じです。「小中華」の韓国はそれに「事大」が加わるのでもっとひどくなります。かの中国人ですらあきれ返るくらいですから。何でも「ウリジナル」で孔子も朝鮮人と言うのですから。ファンタジーというかデリュージョンというか脳内お花畑です。アメリカではDon’t Korea”で「不正をするな」という意味になるらしいです。先般のアジア大会で不公平な審判、バドミントンの試合で風を操作したりと何でもありです。日本にエボラ菌を運んで来たと疑われたカナダ人ジャーナリストと言うのはかの有名な「大西哲光(ノリミツ)」です。在日と噂され、子供時代にカナダに家族と移住、ニューヨークタイムズ勤務で田淵広子といっしょに反日記事を書きまくっている輩です。どうしてマスコミは名前を報道しないのでしょうか?一緒の飛行機には日本の高校生の修学旅行団が乗っていたとのことです。バイオテロの可能性があります。ニューヨークタイムズも日本のマスコミも腐っていますね。

P.52~56

植物依存文明の限界

東亜大陸における万里の長城は、これを境に地政学的だけでなく、生態学的・植生学的 な分界線にもなっている。長城南方の農耕民は数千年来、農耕帝国をつくってきたものの、 「易姓革命」(王朝交替)を繰り返してきた。そこには、克服できない植物依存文明の限界がある。それは地力に対する飽くなき搾取、ことに灌漑農業が地下からの毛細管現象で塩分を吸い上げつづけ、土地がアルカリ化し、砂漠化が広がる。古代文明はたいていこの農法によって砂漠化し、遺跡のみを残して消えていった。農業の収穫量は、いわゆる収穫逓減の法則があり、だんだん減っていくという自然の法則に抵抗することはできない。しかも人口と食糧のバランス調整は、ほとんど自然の法則頼みでしかない。人口が増えすぎると、自然環境が悪化•劣化し、山林の濫伐によって山河が崩壊していく。このような社会環境と自然環境の劣化•悪化が連鎖的に起こると、水害と旱魃、そして疫病の大流行で人口が激減する。こうした人ロの.激増と激減が繰り返され、「易姓革命」が起こるようになる。中華社会では、すでに中華帝国成立後の秦漢帝国の畤代から繰り返し見られる現象である。もちろん、大陸だけではなく、半島でも見られる植物依存文明の限界ともいえるだろう。日本が中国大陸や朝鮮半島のような山河崩壊が起こらなかったのは、縄文時代からすでに自然との共生思想が生まれており、水稻の農法や水の循環体系の確立、治山治水などが 古代から行われ、現在まで水と緑の豊かな国が保たれてきたからだ。ユーラシア大陸の東側に共通して見られる、最も原初的な精神文化はシャーマニズムだろう。それを長江文明で理論化したのが老荘思想であり、黄河文明では儒教思想と考えられる。ところが朝鮮半島だけは、原始的なシャーマニズムがもっとも色濃く残った。

それは巫俗宗教とも民風ともいわれる。中華世界は漢の武帝の時代から儒家独尊になり、朝鮮では李朝時代に入ってから新儒教である朱子学を独尊した。老荘思想は、「自然回帰」がその思想の核となっている。一方、儒教思想の根幹は、「反自然」としての人為である。中華世界も朝鮮半島も、山河が崩壊して自然回帰の大地がなくなると、儒教を国教にしたのである。この点は日本と比較するとよりわかりやすい。日本では豊かな自然があり、この自然を収奪するのではなく、共生する思想が根付いていった。そして北方仏教が母なる大地に根を下ろすと、鎌倉仏教が生まれた。自然と共生する民に仏の慈悲や輪廻転生を説く仏教が根付いた一方で、自然を収奪する民には礼や徳を重んじる人為的な儒教が根付いたというのは、極めて示唆的である。李朝時代の農民については、とても今のハングル世代が信じている「世界一豊かな国になった」云々という空想妄想の世界どころではなかった。山野の火田民や都市の土幕民(スラム住民)だけではなく、両班(李氏朝鮮における貴族階級)に収奪され尽くした小作人に至るまで、じつに阿鼻叫喚の生き地獄であった。その惨状は、丁若鏞(1762〜1836年)の『牧民心書』や、シャルル・ダレ-神父の『朝鮮事情』、F ・ A •マッケンジーの『朝鮮の悲劇』にくわしい。また、『仁祖実録』によれば、「飢餓に疫病、人民はほとんど死に絶えた」という。「死に絶えた」という記述は若干オーバーにしても、宋時代に編纂された『資治通鑑』にも「死に絶えた」という修飾語がよく出ている。実際、農民は、「切骨の病」「骨髄を剥ぐ」とまでいわれる惨状で、「娘を支那人の密貿易商に1人当たり米1升で売る」という有り様だった。にもかかわらず国王は「国民の半数が死んでいくのを枚置しておく」という記録が李朝末期に多く見られた。

李氏朝鮮では、いわゆる「三政紊乱」によって国が大きく乱れた。これは田政(田地への課税)、軍政(農民の軍役)、還政(貧しい農民への貸付制度)の乱れであり、多くの農民を苦しめた。客観的に言えば、それが植物依存文明の限界であり、結果でもある。そもそも朝鮮半島における「三南地方(慶尚道、全羅道、忠清道)」この南と「三北地方(北朝鮮)」の北とは、有史前から2つの別世界だった。しかし、日本との合邦後、南を「農」、北を「工」に半島を経済社会改造したのは現代日本人の賢明なる選択である。李朝朝鮮が、人間としての朝鮮民衆を救う手立てはすでに絶望的だった。仮に清の「朝鮮省」やロシアの沿海州の一部になったとしても民衆にとって絶望に変わりはない。そんな時代の大勢から、列強をはじめとする万国が日韓併合を期待したのである。日韓合邦史から決して目を逸らしてはならない。合邦後の朝鮮半島はどうなったのか。結果的には食糧生産も人口も倍増しているのだ。日韓合邦についてフランスの人文地理学者ジャーク・プズー=マサービュオーは、その著書『新朝鮮事情』(菊地一雅・北川光兒共訳、白水社)のなかで「千年以上の間、農民の宿命であった不安定な環境を改善することができた」「自然の脅威にさらされ大きな工業設備を持たず、貧しかったこの農業国家を科学的な農業と様々な工業そして調和のとれた国へと変身させた」と、極めて客観的にして冷静な眼で語っている。このように、長城外の地を植物依存文明からその運命を変えただけでも、日本は朝鮮半島の新生に大きな歴史貴献を果たしていた。

P.92~94

朝鮮半島での階級差別は永久不滅

山本七平によれば人類史上、奴隸制度がないのは、日本人とユダヤ人だけだという。朝鮮人社会は、アジア史上だけではなく、人類史上でも非常に牢固な階級制度を持っていた。それを牢固なものにしたのは、李朝時代からと考えられる。極めてめずらしいのは朝鮮人社会はここ600余年来、上部構造は儒教的で、下部構造はインド的なカースト制であることだ。そもそも儒教思想は、階級的な性格が強い。孔子は、人間を「君子」と「小人」に、近代用語でいえば、ホワイトカラーの知識人とブルーカラーの労働者に、つまり頭を使う人間と体を使う人間とに2分したのである。ところで、「女子と小人とは養い難し」という。女子は儒教社会のなかで、姓はせいぜい夫の姓に「氏」をつけ加えるだけで、名はなかった。近代になっても、なおも奴隷から脱していなかった。インドのカースト制度は、身分を階級として色分けた共生の考えである。その点モンゴル人の階級観に近いが、朝鮮の階級制度は完全な奴隸制度といってもよいだろう。 ちなみに、「婢」は性奴隷でもある。モンゴル人はモンゴル至上主義で、征服した民族全体を4つの階級に分けた。もち論、モンゴル人が一番上である。その下が、中央アジア系の色目人だ。3番目の階級は女真人、北方漢人(金統治下の漢人)、そして高麗人である。最下層の階級が、大多数を占める南人だ。南人とは南宋の人で、「蛮子(南蛮)」と呼ばれる。日本では一括して「漢人」と称される。しかし前述したように中国史上では、南人と北人は古代から20世紀にいたるまで対立しつづけており、言語も風習もまったく異なる。北方漢人は黄河中下流域の中原を中心に、夏人、殷人、周人の流れを汲む複合文化集団で、南人は蜀人、巴人、楚人、呉人、越人など長江文明の流れを汲む人間集団だった。モンゴル人が、高麗人を第三番目の階級にしたのは、南人よりも早く帰順したからである。金・宋の間で右顧左眄しながら事大に悩みつづけていた高麗は、無理やりに宋の属国となることを熱望した。宋はずっと金に朝貢して国家の安全を買ったものの、その後にモンゴルが夏も金も宋も飲み込んで中華世界に君臨したので、高麗にとっては思ってもみない中世国際力学の激変だった。

だが、高麗にとっては、蒙帝統治下の「よき時代」も100年で終わりを告げられた。 モンゴル人が明に追われると同時に高麗も明に事大する李朝に奪われ、滅族の悲運を避けられなかった。李朝の時代とともに半島の自然が劣化し、そして階級支配は牢固なものになった。

大明の時代は、中国史上もっとも暗黒な時代といわれ、李朝時代の500余年も、その黒い影で半島史上もっとも暗黒な時代が続いていた。朝鮮は、国王を権力の頂点にして、王族、両班、中人(中下級官吏)、常民(一般人民)、賤民(下層民)のヒエラルキーが 成り立っていた。賤民はさらに奴婢、俳優、医者、巫女、白丁など多くの階級によって構成されていた。医者と皮工以外に役所所属の官妓、軍所属の辺妓などの売春婦、牛馬を引く牽令、猟師の矻争、漁民の揚水尺、駅の駅卒、僧侶に分けられる。そして最下層が白丁だった。イジメは、たいてい上から下へ行われるのが法則である。解放など絶対に許されなかった。白丁の解放をめぐる衡平社運動(1923年結.成)の例を見ると、白丁の集落が同じ賤民とされていた農民と妓生らに襲撃され、 放火されている。農民や妓生からすれば、白丁という身分は殺しても罪に問われない、差別すべき存在だった。このときの白丁のスローガンは、「白丁だって人間だ」であった。そもそも朝鮮では、白丁は人間として認められてはいなかったのである。もちろ.ん、朝鮮人の差別は、下の階級だけではない。小中華の中華思想として、北の女真人を「オランカイ」と呼び、差別していた。西夷も東夷も人間として認めずに、「夷奴」 「倭奴」と呼んだ。地方差別もある。ことに三北地方の出身者は、完全に官界から排除された。朝鮮の『経国大典』(李朝時代の政治の基準になった法典)には、「官憲への登用はもちろん、鷹師への起用さえ禁止する」という条例まであったほどだ。京城の人間は、三北地方の人間とは死んでも婚姻関係は結ばない。かつての北部朝鮮(今の北朝鮮)は、朝鮮内部の「被差別民」であった。第2次大戦後に建国された大韓民国では南北分断を「1000万人の離散家族」云々といっているが、これはあくまでも建前として政治的に利用しているだけだ。今でも韓国社会の深層には、地方差別から職業差別まで、ありとあらゆる差別が根を張っている。ほとんど李朝時代の延長としか思えない。階級意識や差別は半島における永遠の課題である。

P.114~117

なぜ強盗とバクリが正当化されるのか

日本人は幼い頃から「嘘つきは泥棒の始まり」とよく父母にいわれるため、日本では「嘘つきは悪いこと」として忌み嫌われている。ではなぜ「嘘つき」が「泥棒」になるのか。それは、日本は神代から、「赤き清き心」が大切にされ、誠があっての世間であり、共生社会の不可欠な条件になったからだろう。江戸時代の国学者はいち早く国学と儒学、つまりこっちの島とあっちの陸の人間や世間の違いを知っていた。それは漢意、漢心と和魂、和心との違いである。たいていの国学者は、日本は中国と違って「勧善懲悪」を説く必要がないことを知っていた。なぜなら「赤き清き心」さえあれば勧善懲悪などの道徳教育の必要がないからだ。仏教もそういう考えで、イスラム文明圏もキリスト文明圏も、儒教国家のように道徳、道徳とロうるさくしない。それは、 道徳は宗教に含まれているものだと考えているからだろう。たとえばベルギーの法学者ド・ラヴレ—が新渡戸稲造に、「日本には宗教教育がなかった。それなのに、なぜ道徳教育が可能なのか」と質問した。十数年後新渡戸は『武士道』(1900年)を書いた。「武士道があったからだ」と、ド•ラヴレーの疑問に答えたかったからだろう。その話は『武士道』の序文にも書いている。私は万世一系と易姓革命の社会は、「誠」と「詐」という一字たけでその違いを表せられると、かなり前から述べてきた。それは、まったく異なる社会の仕組みから生まれた人間行動の社会原理であり、メンタリティでもあるからだ。 「誠」が原理とされる社会、「詐」を原理とする社会はきわめて対照的だ。では、なぜ、そこまで異なる社会の仕組みやエトス、国風が生まれたのかについて私が よく指摘するのは、大陸、半島、列島との地政学的な相違と生態学と植生学の違いからくる.もので、そこには、自然に制約される風土、そして自然の摂理というものがある。 なぜ、朝鮮半島は李朝時代にあれほど激しく「崇儒斥仏(儒教を崇拝し仏教を排斥すること)」「破仏」の運動を行う必要があったのか。単に宗主国の明に対する「事大一心」の祖訓を死守したという説明だけではなかなか解釈はできない。李朝は新儒教である朱子学を国教にした。国教になった以上排他的な性格が強くなるのは理解できる。朱子学は、べつに独自の新説があるわけではない。ただ、仏教哲学の用語を盗んで、儒教の教典を再注釈したにすぎない。盗人猛々しいという言葉があるが、仏教嫌いの朱熹も仏教の理論を盗んだからよけい猛々しくなったのだろうか。李朝が過激な崇儒斥仏に走った理由は、前述したように朝鮮半島の自然崩填が深刻化したことが最大の理由だった。私がそう指摘するのは、儒教と老莊についての性格の理解から来るものである。儒教の思想の根幹は尚古主義だが、李朝時代からの自然環境の劣化によって、徐々に原始集落社会への回帰と先祖返りが進んだため、儒教思想がぴったりあったものだろう。老荘思想は自然への回帰を唱え、儒数は自然よりも人間主義、つまり「人為」を思想の根幹にしているので、再生できる豊かな自然がすでになくなっていた半島では「人為」の儒教を国教にせざるをえなかったのだろう。儒教思想の徳は人治を理想とする思想で、儒教思想 の有徳者が天子になる理論は易姓革命を正当化する「強盗の論理」でもある。 『荘子』の「盗跖篇」に、悪人の盗跖が仁義道徳を強盗の仁義と官憲の仁義とにニ分し、孔子を説教する場面があるがこれはまさしく老荘思想の真骨頂である。ニーチエが、道徳を君主(強者)の道德と奴隸(弱者)の道徳に二分したことを連想させる。東アジア世界は、日本を除いて、ほとんどが匪賊(集団で略奪・.暴行を行った盗賊)社会だった。たとえば台湾は村から一歩出れば、そこは匪賊が支配していた。匪乱や匪襲が頻繁で、村人は役人と土匪 (土着の匪賊)により二重に税金を取られていた。満洲は馬賊、朝鮮は草賊(おいはぎ)と火賊(秘密結社をつくって強盗をはたらく集団)が有名で、当時世界一不潔だった京城は土幕民であふれ、夜に入ると城内外は匪賊が跳梁していた。中国大陸では19 54年に人民解放軍が河南の匪賊を完全に消減させるまで、中国社会は「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」といわれるほどだった。中国の匪賊は約2000万人と 推定され、中央政府の正規軍の10倍以上にものぼる巨大勢カを誇り、中華民国時代には「中禍匪国」や「匪賊共和国」と称されるほどだった。戦後のあまり歴史を知らない進歩的文化人は、「軍」や「警」の話にふれると、すぐに 帝国主義やら植民地主義の先兵だとしてこき下ろすが、これは左翼学者のバカの1つ覚えだ。

20世紀の初頭にいたるまで、「夜警国家」は人類の夢だった。近代警察が匪賊の武装勢力に代わって社会の安定勢力になってから、近代経済社会や産業社会がやっと生まれたのである。台湾で最初につくられた造幣局は、完成直前に匪襲を受け、完全に占領された。 匪賊が跋扈する社会では、近代経済ができるはずがない。日本がなぜ非西洋文明圏のなかで、唯一近代化が可能になったのか。それは、当時、日本だけが唯一匪賊が践扈する社会ではなかったという要因が大きい。昔の話のみならず、現在の日本も世界ではめずらしいほど安全、安定、安心できる社会である。日本人は安全、安心は空気のようなもので、あまり気にしない。よく外国旅行に行く人なら知っているが、日本のような国はあくまでも例外であり、欧米に比べてもそう言える。

P.143~147

世界最大の性奴隷輸出国家としての歴史

仏教国家もイスラム国家もキリスト教国家も、とくにカソリック系では、修道士や修道女、あるいは仏教の修行僧は、たいてい禁欲主義的な色彩が強い。儒教国家もそうであるように見えるが、しかし、どこも建前と本音は別である。あるいは、それをうまく使い分けている。同じ仏教国家でも、大乗仏教圏と小乗仏教圏との別はない。実際、比較的禁欲的な小乗仏教圏でも、公娼を持っている。タイのバンコクやチェンマイは世界的に有名である。韓国は有史以来、数千年にもわたって、売春宿と性奴隸を文化的伝統として守りつづけた稀有な国家である。西洋の売春史や中国妓娼史などを比較して考察すると、人類最古の職業といわれる売春も、時代の変化、風俗文化の変化とともに、その形態が変わる。シャーマニズムから生まれた巫娼が人類の歴史から消えたのは、国家の成立からというよりも、宮廷の権力が拡大し、制度化されたからである。王室、貴族文化の発展とともに、宮妓、官妓、軍妓( =いわゆる従軍慰安婦)、私妓が隆盛となり、やがて世俗化、大衆化、市場化によって、市妓、私妓文化が花開いていく。では、韓国だけ、なぜ、三韓時代や三国時代以来の売春婚と性奴隸の制度を守りつづけていたのだろうか。それは、半島が近代になっても、貨幣経済や商品経済などの市場経済が未発達で、集落国家のままだったからだ。また、ことに李朝時代に入ってから 原始社会へ先祖返りする一方、貴族である両班を中心とする階級 社会が時代とともに強化され、大衆社会どころか中人や常民を主体とする社会も未成立で、両班がそのまま時代の主役となっていたからである。朝鮮半島が、大陸の天朝朝貢冊封秩序に組み込まれたのは、唐の高宗以後の統一新羅からである。それ以来、千数百年にもわたって、ずっとこの秩序のもとで、属国として貢納が義務づけられてきた。しかし、資源から見れば、特産としての金、銀、牛馬などはそれほど豊かではない。野生の朝鮮人参以外には性奴諫だけである。勿論、貢女や宦官の献上は、中華歴代王朝の好みと必要によって異なる。たとえば、モンゴル人の元や漢人の明代と比べて、唐の時代には献女の数はそれほど多くはなかった。貴族文化の隆盛期に、東夷の賤種とされていた半島の献女は、宮妓としてはそれほど好まれなかったのだ。高麗以前のユーラシア大陸では、中央アジアから南アジア、東南アジア、北アジア、東アジア大陸、そして日本までも、約1000年近く大仏教文明圏の時代が続いていた。李朝以前の朝鮮半島の文化にもっとも影響が強かったのは、儒教よりも、より普遍性を持つ仏教、そしてモンゴル文化であった。ことに高麗時代の約100年にもわたる衣食面のモンゴル化は、日帝36年の近代化にも匹敵する。モンゴル風が国風にもなっていた。「モンゴル流グローバリズム」の時代だったからである。小中華となったのは、李朝時代からの 500余年であった。半島の統一国家としての国家原理は、事大が必要不可欠の原則であると、すでに述べた だから、羊島の風俗も大陸諸王朝に連動する。たとえば、中華王朝への貢女や宦官という朝貢品は、元、明が多く、清の時代以後、その数が減少したのは、中華王朝の政策の変化にもよる。たとえば、清の宮廷では宮女は満洲人のみ、宦官は満洲人以外という政策をとったので、朝鮮の貢女も宮妓よりも官妓のように変わった。もちろん、中華帝国の歴代諸王朝の宮妓としての献女や貢女が、朝鮮歴代王国からばかりとはかぎらない。たとえば、唐軍やモンゴル軍、満蒙八旗軍によるおびただしい数の敗戦諸民族、ことに女性の強制連行があった。あるいは高麗海賊や半島特有の人さらいに加え、粛清される権力闘争の敗者、異民族の残留組が売られていった。たとえば大元のモンゴル人が漢人に長城以北までに追われたのち、その残留組は多くが売られ、軍妓、市妓、 私妓の供給源となった。政争や戦争の敗者にかぎらず、周期的に噴出する数万人単位や数十万、数百万人単位の流民も市妓の供給源となる。朝鮮半島の歴代王朝による宗主国への献女は、ただ宮女だけにとどまらず、軍妓(営妓、 従軍慰安婦)への売却も見られる。高麗の元宗の代に、元が南宋の軍人のために高麗の妓女140名を要求してきている。高麗政府は「結婚都監」を設け、1人の化粧代を絹12匹 でモンゴル政府に売った。その翌年、元は蛮子軍(南宋の漢人部隊)1400名を高麗駐劄に送ってきたので、高麗政府は「寡婦処女推考別監」を設け、役人を諸道に出して婦女を選考•選別したこともあった。フピライ・ハーン以来、約100年間にわたった大元皇帝だけでなく、権門貴族や高官もしきりに高麗政府に貢女を要求した。「処女」を原則にしたのは、ごまかしが多いからだ。たとえば、『多爾袞徴女朝鮮史事』(李光濤著、台湾・中央研究院歴史言語研究所)によると、ドルゴンの要望は美女と処女を原則として、朝鮮国王の妹や王女あるいは王室、大臣の娘を要求した。勅使も2品以上の高官の娘が求められ侍女も原則として両班の娘が求められ勅使があの女が欲しいと要求し、女が嫌だと拒否したら、首をはねられた。もちろん不正が発覚すると、座首(責任者)、色吏(女色統轄官。妓生などの関係者) によってチェックされ、不正役人は厳罰に処される。たとえば日淸戦争前、朝鮮政治を指導していた朝鮮駐劄司令官、袁世凱は、官妓を設け、推別都監から13〜16歳までの処女を選んで官妓や軍妓にしていた。そして、最高実力者となる王妃閔妃の妹を妾にした。 また、朝鮮政府の不正を防ぐために、明の永楽帝は勅使として内使の黄儼を朝鮮に送り、直接貢女を選んでいる。あわておののいた朝鮮朝廷は、全国に婚嫁を禁止し、各道から13〜25歳の処女200〜300人を集め、数回にわたって景福宮で選んでいる。このとき、 政府高官の娘が選ばれたのは5名だけだった。

李氏朝鮮が最初に台湾に輪出したのは、北部炭鉱妓楼の娼妓であった。そのため、戦後、台湾の町々に朝鮮人娼妓があふれた。台湾では、売春婦という言葉から連想するのは「チョウセンピア」と呼ばれる朝鮮人売春婦である。

P.157

韓国の文教部長官、閔寛植は1973年4月、柬京の韓国学園で、韓国女性が国家の経済的建設に欠くべからざる外貨獲得への献身的努力をしていることに最大級の賛辞を呈したと伝えられている。同書(1980年出版『腐蝕する社会』)によれば、当時の韓国内では、妓生は約20万人にものぼるという。要するに、当時の朴政権は、売春を国策として奨劻し、美德として外貨稼ぎをしていたのだ。さらに、彼女たちを特訓して、芸術使節団や芸能人として証明書を発行し、日本まで遠征させたこともある。KCIA (韓国中央情報部。現在は国家情報院)の対日政財界工作に使われる妓生は、外交官の旅券まで持ち、日本の政財界の大物相手の女性専門家として活躍していたのだ。さらに、対米議会工作にも使われているという。もちろん、韓国の売春婦の海外遠征は、朴正熙政権時代の日米への遠征や、同時に行われたベトナム遠征だけとはかぎらない。朴が凶弾に倒れた後も、今にいたるまで続いている。現在は、日米で合わせて10万人の韓国人売春婦がいると推定されている。彼女たちによる対日工作は、野党と反日諸団体向けが中心だったが、日本の嫌韓感情の昂進から成果があがらなかった。一方、アメリカのほうでは、ロビー活動に多くの議員がカモとなり、 韓国の反日活動である従軍慰安婦聖女像の設置にも、その議員らが大きな役割を果たしたと伝えられている。

 

柏市立病院の建て替え問題について

現在の市立病院は「柏市布施1−3」にありますが、秋山市長は「柏の葉キャンパス」駅近くに移転させたいようです。「柏の葉キャンパス」駅の近くには既に「辻仲病院柏の葉」があり、集約するメリットはなく、却って今まで「布施」まで通っていた人(特に布施の近隣にお住いの方)に不便を強いることになります。柏市民の力で移転を食い止め、現在の地に建て替えできるようにしたいです。方法は住民投票です。上橋柏市会議員はこの運動に賛成しております。下のチラシを参照ください。

上橋議員のチラシ

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10/28大礒正美氏ブログ記事「自覚があるか安倍首相の三大矛盾」について

下記記事についてすべての面で同意します。前にも話しましたが、青山繁晴氏が評したように総理は「油断であり、傲慢であり、驕り」が出てきたのではと感じます。本来安倍内閣は憲法改正を使命として誕生したはず。それを忘れアベノミクスの経済政策だけで終わってしまう可能性もあります。このところ、新任大臣のマスコミバッシングが続いてるのもマスコミに戦う姿勢を見せないから、甘く見られているせいだと思います。ネットでは反安倍を閣僚に取り立て、潰しにかかったという声もありますが穿った見方です。以前議員会館の安倍事務所を訪ねたときに、吉田松陰の像が置いてありましたが、松陰先生のように生きてほしいと願っています。中国が良く言う三戦(法律戦、世論戦、心理戦)すべての面で日本は中韓に負けています。現在は武力行使型の戦争よりは、情報戦で戦争が行われる方が多い。日本は民主主義、法治国家なので中韓のような国より法案施行・国民喚起・安保整備に時間がかかるのは分かりますが、もっと相手に言葉で厳しく迫った方が良い。足を引っ張る議員と反日マスコミを恐れていては何も達成できず、中途半端で終わってしまいます。まあ外交は内政の延長ですから、簡単にマスコミの言うことに騙される国民が多いようではなかなかやりにくいのは分かりますが。オバマは11/4中間選挙後、弾劾されるかも知れないので、彼がどう感じようと関係ないと思っていますが、他の欧米人から見て「論理的でない」「言っていることと行動が一致しない」と思われるのでは、仲間とは思って貰えません。それでは抑止力になりません。現実を考えると、プーチン、金正恩に近づくにはアメリカとよく連絡を取り合ってやらないとダメですが、岡崎久彦が亡くなったのは対米追随ベッタリ路線ではやりきれない(米の国防予算削減もあって)象徴かも知れません。

 

国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.187       by 大礒正美(国際政治学者、シンクタンク大礒事務所代表)

平成26年10月28日 【自覚があるか安倍首相の三大矛盾】 「鉄の女」サッチャー英首相が初めてゴルバチョフ・ソ連大統領と会談したあと、「We can do business with him.」と評したことはよく知られている。「話が通じる」という好意的な表現だ。残念ながら安倍晋三首相は、オバマ米大統領からそう言われるまでに至っていない。外交に熱心で約50ヵ国を歴訪したが、米欧の首脳たちの対応はかなり儀礼的であり、米英独などのメディアに至っては理不尽なほど辛口と言える。これは、東南アジアやインド、トルコなどでの歓迎ぶりと対照的である。サッチャーの好意的なゴルバチョフ評が世界を動かし、冷戦終結(ソ連の完敗)、ソ連崩壊へと歴史の雪崩が起きた。それほどのパワーでなくても、米大統領が「アベとは話が通じる」と一言言えば、日本を巡る国際環境はガラリと変わることが期待できよう。なぜそうならないのか、ひとつの理由は、安倍首相が矛盾したことを平気で言い続けているからである。それを3つの事例に分けて説明してみよう。 第1の矛盾は、「法の支配」を前面に出して外交の基本に据えているが、具体的行動が全く逆であることだ。たとえば、島根県の竹島に2年前、李明博・韓国大統領が初めて上陸して見せたとき、日本政府はとうとう、国際司法裁判所に提訴する準備を始めると表明した。過去2回、同じような意思表示をしたが、いつの間にか消えている。3度目にようやく提訴が実現するかと思われたが、安倍政権になって全く動きがない。フィリピンでさえ(?)中国相手に昨年、国連国際海洋法に基づく仲裁手続きに訴えたのに、日本は総理が止めているとしか思えない。また昨年初めに、日本が引き渡しを求めた中国人犯罪容疑者を、韓国は中国に送り返してしまった。日韓二国間の「犯罪人引渡し条約」違反であることを、どうして放置しているのか。 同じように、韓国は対馬の寺から韓国人が盗み出した仏像を、事件と関係なく、なぜ日本に渡ったのかを解明しないうちは返還しないと決定した。これは盗難美術品の返還義務を定めたユネスコの「文化財不法輸出入等禁止条約」違反であるが、日本政府は抗議を拒否されるとあとは何もしていない。もっと重要なのは、ソウルの日本大使館前に据えられた「慰安婦少女」の像と、日頃繰り返される抗議集会に関してである。これらの嫌がらせ行為を放置することは、「外交関係に関するウィーン条約」の違反になる。韓国政府は「公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止」する「特別の責務」を負っているのである(22条2項)。安倍首相は「前提条件なしに首脳会談を」と呼びかけているが、こうした幾つもの「法の支配」違反に目をつぶっているのはどういうわけか。 オバマ大統領以下の米首脳陣は法律家ばかりだから、とても理解できないと感じているだろう。つまり、日本側に弱みがあるから前提条件をつけないのだろう、と思われても仕方がない。 それどころか日本も、朝鮮総連本部ビルの強制売却手続きを、執行寸前に最高裁判所が差し止めた。これは時期的に拉致問題再調査合意と一致しているため、国内でも安倍政権の意向ではないかとささやかれている。 まさか三権分立の日本で、最高裁が行政の道具に使われるはずはないと信じたいが、実際、中国漁船の領海侵犯、巡視船体当たり事件のとき、菅直人政権が検察をウラ指揮して船長を釈放させた実例がある。これでは、「人治」の中国、「情治」の韓国に対して、「法治」の日本だと胸を張っても説得力はない。韓国人の国連事務総長が、韓国で、韓国語で、日本批判を行った際も、日本政府は決して「国連憲章違反」と言わず、「遺憾」で収めた。どこに「法の支配」の実態があるのか、国内外への広報の努力がどこにも見えない。 次に第2の矛盾だが、「積極的平和主義」を看板に掲げ、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更を閣議決定したが、同時に靖国神社参拝などの際、「不戦の誓いを堅持」と世論に訴えている。「積極的」を英語の「アクティブ」と解釈すると、そういう平和主義は、実は宗教的・政治的な暴力否定・兵役拒否などの思想行動を意味する。米国のクエーカー教徒とか原始的生活をするアーミッシュなどのイメージが強く出てくる。そこに「不戦の誓い」を重ねると、「自衛隊は戦わないので、同盟諸国の皆さん、日本の防衛のために戦って下さい」という意味になってしまう。安倍総理の本意は、「平和は天から降ってくるものではなく、戦い取ることも必要な場合がある」ということだろうが、国民向けにはそう言わないので、米国においては特に矛盾がひどいと受け取られる恐れがある。 第3の矛盾は、いわゆる慰安婦問題の処理を間違ったことである。朝日新聞の誤報訂正によって、慰安婦の「強制連行」が事実無根だったことが、国内的には急速に認知が進んでいる。しかし、安倍政権が河野談話を継承すると言う限り、海外とくに米国においては何の是正も進まない。日本国内と国外の認識がどんどん乖離していくことになる。それどころか「談話は見直さないが、検証はする」「談話(文章)はいいが、あとの口頭発言が大きな問題だ」という具合に、外国からすれば何を言っているのか分からない対応が続く。日本に対する不信感が増すだけだ。つまり、よく言うところの「戦力の逐次投入(小出し)」という愚策をそのままやっているわけである。「ナニナニは元から絶たなきゃダメ」という格言が、ここでもそっくり当てはまる。河野官房長官談話(宮沢政権、93年)だけでなく、村山首相談話(95年)をセットで否定するところから、第2次安倍内閣はスタートするべきだった。村山談話は、米国であれば存在すら許されないような社会主義政党の、それも最左派という人物が思いがけず暫定的な首相になり、自分の自虐思想を置き土産にしただけのシロモノである(在任13ヵ月、河野は副総理・外相)。オバマはそんな日本政治の特殊事情を全く知らないだろう。この2人の談話が中韓両国の日本叩きに根拠を与え、日本を貶める国家的な運動を生み出したという認識も希薄だろう。しかし、すでに中韓の反日同盟が、米韓・米日の安全保障トライアングルを形骸化させ、米国の国益を大きく損ねていることは分かっているはずだ。オバマ政権に「積極的」に、その因果関係を分からせ、原因である2つの談話の破壊力を理解させることこそ、復活した安倍総理の歴史的責任というものではないだろうか。

10/27「三島由紀夫と神格天皇について」講演について

三島由紀夫研究会主催の標記講演会に出席しました。講師は藤野博氏でした。内容の一部を下記に紹介します。講演でも触れられましたが、今の日本は似非平和主義、経済至上主義、利己主義に固まっていると思います。先人たちが目指した「高邁な理想」「潔さ」「自己犠牲の精神」が、戦後置き去りにされてきたと感じます。アメリカ、中国、韓国の汚い部分をマネて、損得勘定を先に立てるようにしてきたからだと考えています。三島の自決の数か月前に残した言葉、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである(産経新聞、昭和45年7月7日付け)」というのは今の日本をうまく言い当てていると感じます。それだけではなく、差し迫った危機にも動こうとしない駝鳥の平和を求めている人が多いと感じます。覚醒せねば。

『はじめに

1.三島由紀夫と向き合う際の私の心構え

(1)正確に読み解く

(2)厳密に解釈する

(3)自分の問題として受けとめる

2.論考の出発点を、自決当日の主張の核心を成す檄文とする

◊檄文のポイント

(1)国の大本を忘れ、国民精神を失った、戦後の日本の精神状況を告発

(2)自衛隊の違憲を喝破し、道義の退廃の根本原因とみなす

(3)建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史•文化•伝統を守る」ことである

(4)[生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」——生命至上主義を指弾

生命以上の価値とは、「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」である——戦後 の日本人に蔓延している個人至上主義(個人本位主義)を批判

檄文の訴えの根柢には〈日本国家〉とその中心にいる〈天皇〉がある。したがって、 テ一マを〈天皇〉に絞って考察し、その上で「切腹」の動機とその意味を探る。

<割愛>

Ⅱ.三島由紀夫の天皇観の特質

(6)三島由紀夫の天皇観の特質を総合的に捉える

三島の天皇思想は二重構造を成している。すなわち、明治以降の近代的天皇に潜む 問題、昭和天皇批判、憲法改正の主張などは、歴史上の、現実の天皇を論じている。 ところが、歴史的•現実的天皇に対する心情や理論構築の根底には、理想とする天 皇、すなわち「神としての天皇」「超歴史的天皇」、「超現実的天皇」が厳然として存 在している。この理想の天皇を基軸として現実の天皇を裁断している。この「神」と しての「超歴史的•超現実的天皇」が、みずからの命を賭けるほどの絶対的な究極の 価値であり、「三島由紀夫の天皇」と言える。

一人の人間としての三島由紀夫はニ面性を所有している、稀代の傑出した文学者が 「仮面•衣裳」であり、〈天皇〉と、国家、歴史、文化、宗教、戦争、倫理などとの 関わりを深く思索し格闘した行動者が「素顔•裸体」である。

三島の精神構造の特徴は二元論的思考にある。ニーチェの、アポロン(知性)とデ イオニュソス(激情)という対極的思考に強く影響された。理性と感情、認識と行為、 精神と肉体、絶対と相対、神と人問、歴史と超歴史、近代と反近代、個人と国家、世界性と民族性、西洋と日本、伝統と革新、政治と精神、文と武など、あらゆる二元論 の宝庫である。これらの二元的要素を共存させ拮抗させながら、極限まで思考を深め、 自己超克の果てに自刃を敢行した。

天皇は、三島由紀夫という存在そのものを支えていた根幹。

天皇は、三島由紀夫にとって「血肉化した存在」。

○結びの言葉

(1)三島由紀夫の訴えをどう受けとめるか

•人間を超越した存在としての「神」を認めるか——天皇(人間神)と超越的絶対神との関係。神道的な多神教と、キリスト教な一神教という、宗教の根本問題を内包

・「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」——生命至上主義と対極にある「永遠の生命」の希求

•〈生命以上の価値〉とは(歴史と伝統の国、日本〉——天皇を中心とする日本国家と日本文化の価値の再生

三島の、死を賭した訴えによって、自国の歴史と文化に対する認識の欠落を痛感 し、天皇と日本文化の特質に対する眼を開かされた。

(2)三島由紀夫の鎮魂を祈願する

《科学技術や産業•経済は、時代とともに変わる「流行」であるが、歴史・文化・伝統を重んじる精神、倫理、神、生命、魂という精神的なものは、時代が変わっても 変化しない「不易」である。三島の精神に秘められているのは、「不易」すなわち精神の「普遍性]と「永遠性jである》

《文学者.三島由紀夫は「言霊」の発信者である。行動者・三島由紀夫は「言葉」の 奧底に潜む「精神」「魂」の発現者である》 《私が最も心をゆさぶられるのは、三島由紀夫というひとりの「裸の人間」の最奥で 響いている「魂」である》』

下は三島由紀夫20歳時の遺言状

三島由紀夫20歳時遺言状

 

 

 

 

直近の安倍内閣の支持率について

下記の通り、2閣僚辞任後でも50%前後をキープしているのは素晴らしいことと思います。日経の調査は前回調査より5%低下とのこと、やはり新聞報道やTV報道の影響を受けるようです。青山繁晴氏のTV「アンカー」で2閣僚辞任は安倍総理の責任が重大、内閣改造する必要はなかったのに敢えてそれをした総理自身の油断であり、傲慢であり、驕りであったということです。自民党議員の大臣病も困ったものですが、マスコミは旧田中派が押えているから大丈夫と思っていたとしたら油断であることは間違いないでしょう。第一次安倍内閣は古い自民党、マスコミ、官僚(特に官公労)にやられたことを思い出さないといけません。北朝鮮へ外務省等派遣も焦りの表れかもしれませんが。しかし、これで消費税増税が遠のいたということになれば良かったのかもしれません。望月、有村大臣は逃げ切れるレベルでは。ただ、宮沢大臣のパチンコ業界からの献金というのは法的に言っても、道義的に言ってもマズイです。朝鮮総連や韓国に金を流している業界ですから。自民党、警察も彼らに汚染されているということで、これを機会に他の政治家も全員調べた方が良い。日韓議員連盟の政治家は危ういのでは。

安倍内閣支持率

 

10/26ZAKZAKの韓国と移民の記事について

日韓議員連盟の会長は額賀福志郎、副会長が高村、志位(共産党)なのでおかしくなるのは当り前。会長が旧田中派なので韓国に利権を持っているのでは。日本の名誉を個人の利益のために犠牲にするとは腐っています。産経の加藤支局長の件もアリバイ作りのために言っただけ。言いっぱなしで終わっている。交渉なのだから日本だけが譲歩する必要はない。日本が譲歩すれば外国は「日本はやはり韓国に悪いことをしているから譲歩している」と思われます。こういうことをする議員は次の選挙で落とすべきです。在日の問題で特別永住権を付与することも間違いです。他の外国人と同じ扱いにしないと不公平です。その上で日本国を貶める輩は帰国させるべきです。言って見れば身中の虫になる可能性の人間を野放図に日本に置いておくことは安全面で問題です。人種問題でなく国家・国民の名誉と安全の問題です。彼らは論理のすり替えが得意ですから。

議連が合同総会 日本、関係悪化を懸念 韓国「国会で議論」 共同声明には盛り込まれず

【ソウル=名村隆寛】日韓議員連盟と韓国側の韓日議員連盟による合同総会が25日、ソウルで開かれた。

総会の分科会である法的地位委員会では日本側から、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が朴槿恵(パク・クネ)大統領への名誉毀損(きそん)で起訴された問題について、「日韓関係の悪化につながらないか」との懸念が示された。韓国側は「韓国の国会でも議論されている」と述べるにとどまったという。総会では、日韓が民主主義などの価値を共有してきたことを評価し、首脳会談の実現に努める、などとした共同声明を採択したが、加藤前支局長に関し、声明での言及は見送られた。共同声明は、来年の日韓国交正常化50年に向け、両国関係を早急に修復することで合意したことを明記したほか、日本側が過去の歴史認識をめぐる河野談話や村山談話、菅直人談話を継承することを確認した。元慰安婦の名誉回復に努める、との文言も韓国側の要請で盛り込まれた。また、互いの国の歴史教科書を翻訳し、参考書として活用することを検討するとした。日本での「ヘイトスピーチ」の問題についても、防止策を探っていくことで一致したとしている。

「日本は移民に占拠される」20年前に仏政治家が警告していた

8月にイタリア、フランス、オーストリアに滞在した作家の落合信彦氏は、ヨーロッパの「劣化」を実感したという。治安の悪化、勤労意欲の低下、そして移民受け入れによる文化の衰退。稼ぐ国が稼がない国を養っている状態で、稼ぐ国の国民に蔓延する不満--落合氏は、EUが確実に崩壊に向かっていると指摘する。そして、「移民」に関し、移民先進国の政治家が日本に警告していた内容を明かす。ヨーロッパがこうした状況に陥ることを早くから予見していた男がいる。フランスの国民戦線党首だったジャン=マリー・ル・ペンである。彼はいまから20年以上も前から、ヨーロッパ統合や移民受け入れの危険性を提唱していた。本誌1992年5月28日号のインタビューで、彼はこう語っていた。「私の言っていることは人種差別ではありません。それぞれの国民が生まれた土地のアイデンティティを大事にし、美しさを守るのは他者への尊重と言うべきでしょう? 私が移民に反対するのはそういうことからなのです。ところが我がフランスでは、社会主義的な考え方から、たとえ不法労働者でも同じように扱うという思想がある。(中略)それどころか失業保険をつけ、教育も医療も補助を受けられる。そうなると自分の国なんか放り出して、何もしなくても100倍のカネが入るフランスに来るわけですから」。私が「日本でも外国人労働者にどう対応していくかということが問題になっている」と持ちかけると、彼は大きく頷きながらこう答えた。「気を付けなくてはいけない。日本が少しでも気を緩めると移民に占拠されますよ。私は5年前にイタリアの人々に言ったんだ。今のうちに移民対策をプログラムに入れておかなければ駄目だと。いやウチは移民を出すほうだと本気にしなかった。ご覧なさい。150万人の移民が入ってきている。ヨーロッパの一番貧しい国でも第3世界の一番金持ちのところにくらべたら、ずっと上なんです。日本もここからが正念場ですよ」当時、危険な極右とみられていたル・ペンだが、その後移民の拡大と比例するように支持率を伸ばし、後を継いだ娘のマリーヌ・ル・ペンは、次期フランス大統領の有力候補にまで上り詰めた。

※SAPIO2014年11月号