『西洋格闘技に20秒で惨敗した中国伝統武術の現実 「伝統武術はどれも詐欺だ」…勝者の挑発、真の意味は』(5/12日経ビジネスオンライン 北村豊)について

小生が太極拳に持つイメージは健康体操で、少林拳のような武術とは違っていると感じていました。太極拳はゆっくりした動きがベースとなり、相手に対する受けも攻めも間に合いません。Wikiで調べますと“快架”と呼ばれる速い動きのものもあるそうですが。

ボクシングと太極拳では戦わずして結果は見えていたのでは。ボクシングVS少林拳でやるべきでしょう。下の映像は当日の闘いの映像です。徐暁冬はグローブを嵌めていないのが分かります。本記事中、「“李連傑(ジェット・リー)”は、太極拳が徐暁冬の挑戦を受けて再戦することを支持すると表明した。」とありますが、李連傑は少林寺出身なので、少林寺の精鋭を出して試合させた方が良いのでは。ただ、異種格闘技はアリ・猪木戦のようにルールも違うので、プロレスのようにショー化しやすいでしょう。プロレスを本気でやれば死人が出ますので。木村・力道山の試合も後味が悪い結果となりました。まあ、興業としてやればどうしてもショー化します。金儲けの手段になりますので、武道の真髄を極めるやり方からは遠くなると思います。勿論、生活がありますので、道場を開き、教えることで対価を得ることは賛成です。

https://youtu.be/KkQNA6tgcks

中国はなんでも「金」「金」の世界です。強欲なのはグローバリズムを世界に展開して、富を収奪しようとするユダヤ人と一緒です。宗教であっても、金の世界から逃れられません。習近平は「一帯一路」を使って世界制覇を企てていると見て良いでしょう。習の言う「中華民族の偉大な復興の夢」というのはそう言うことです。スリランカを見ていればよく分かるでしょう。

http://melma.com/backnumber_45206_6528385/

http://dwellerinkashiwa.net/?p=6097

日本は、強欲な世界から引いて生きて行った方が良いと考えます。日本には昔から三方良し、「売り手良し」「買い手よし」「世間良し」の考えがありました。米国のやり方が良いとは思えません。日本企業も「三方良し」を現代風にアレンジした公益資本主義の生き方を目指した方が良いと思います。原丈人氏の『「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉』を読了しましたので、参考になる部分を紹介します。

「P.20~21

グローバル化による格差とテロの拡大

「グローバリズム」とは、決して美しいものではありません。米国などの大国が、自分の文化、言語、ビジネス慣習などを他国に押しつけるための口実にすぎません。

ですから、「グローバル化の波に乗り遅れてはならない」「日本の企業も、英米型の経営を見習うべし」といった掛け声を耳にする度に、「ちょっと待って欲しい」と違和感を覚えます。「グローバリズム」という美名の下で、世界や日本で起きていることを直視できていないと感じるからです。

アメリカの主要企業のCEOの年間報酬は、1936年から80年代初頭まで、 100万ドル(約1億1000万円)で推移していました。ところが80年代半ばから急激に増え始め、2008年のリーマン•ショックの直前には、1400万ドル(約15億 4000万円)にまで達していました。その一方で、あまり知られていないのは、アメリカの30代男性の年収の中央値が、 74年から04年までの間に12%も下がっていることです。平均値は上がっているのに、中央値が下がっている。その意味するところは、格差の拡大です。GDPが増えて国の経済が成長し、富裕層への富の集中が加速する陰で、中間層から下に位置する人たちの収入は減り続けているのです。

CEOの報酬はうなぎ上りなのに一般従業員の給料は下がり、雇用も失われていく。 これが、英米発のグローバル化と金融の自田化がもたらした現実です。 格差の拡大は、アメリカだけの問題ではありません。

2017年1月、オックスファムというNGOの組織が、「世界で最も裕福な8人と、 世界人ロのうち経済的に惠まれていない半分に当たる36億7500万人の資産額がほぼ同じだ」とする報告書を発表しました。8人の資産の合計が4260億ドル(約48兆7000億円)にも達し、世界人口73億5000万人の半分の合計額に相当するというのです。また、1988年から2011年にかけて、下位10%の収人は年平均3ドルも增えていないのに対し、上位1%の収入は182倍になったとも指摘しています。

格差は不満を生み、不満は紛争の種となり、世界を不安定にします。日本でも格差が広がり、子供の貧困も大きな問題になっています。

P.236~241

あとがき

経済は文化をつくり、技術は政治をつくる。しかし人間の本質は変わらず。

今後世界の人口は、途上国を中心にさらに30億人程度増加すると予想されているが、地球上のすべての人々が、平和で豊かに暮らせる世界を望んでいるはずである。

こうした世界を実現するには、経済の新しい仕組みが必要となる。資本主義自体も、 いずれ新しい仕組みにとって代わられるだろう。

しかし当面の間は、資本主義が続くことも間違いない。ならば理想論にとどまらず、まず現実的に世の中を変えることが重要だ。その原動力となり得るのが、本書で論じてきた「公益資本主義」だ。そう私は確信している。 「公益資本主義」の理念を実際の経営で実現するには、次の3つがポイントとなる。 第1に企業が持続的に発展し、社会に貢献するために、亊業を中長期的に捉える経営をしなければならない。

第2に、企業が持続的に発展するには、果敢にリスクを取って、新しい事業に挑戦しなければならない。

同じ事業を繰り返すだけでは、企業は存続できない。企業には、「創業者魂」とか「企業家精神」などと称されるチャレンジング・スピリットが常に求められるのである。会社規模が大きくなり、その歴史が長くなっても、その点は決して変わらない。

第3に、利益は、会社の成功に貢献した「社中」(注:ステークホルダーのこと)のすべてに公正に分配しなければならない。

自由闊達に新しい事業を創造し、大いに利益を上げて社員を豊かにし、社会に貢献することが、会社の重要な使命だ。そして会社の発展には、未来への投資のために内部留保を適正に蓄えることも肝要となる。内部留保を嫌う株主もいるが、内部留保からなされる未来への投資こそ、次なる事業の基盤となり、やがて利益を生みだし、結果的に株主も潤うのである。

「会社は株主のものだ」と思い込んで、株主が白己利益を最大化しようとして会社を動かす米国式の時代は終わりつつある。まもなく大きなパラダイムシフトが起き、「会社は社会の公器である」という考え方が、「今世紀の常識」となるはずだ。

世界中の「国家」と「企業」を区別せずに、経済規模を比較すると、いまや上位の半数近くが民間企業だ。国連加盟国は196力国あるが、50力国強しか上位100にランクインしていない。この傾向は加速する一方で、国家より経済力のある民間企業の数は、今後 ますます増えるだろう。こうした状況で、株主だけを優遇すれば、貧富の格差はさらに拡大する。

「会社は株主のものだ」と信じる投資家は、同額の利益なら、できるだけ短期間で実現するよう求める。こうして事業サイクルは、ますます短期志向となり、長い期間を要する研究開発事業よりも、米国の金融ファンドのような投機的事業がもてはやされることになる。 そして短期成果を狙う事業再生ファンドのようなアクティピストが、実体経済を支える企業が時問をかけて蓄積してきた富を収奪する。これほど「効率の良い」ビジネスモデルはない。しかも「合法的」だ。しかし、こうしたビジネスモデルには、多くの人が理不尽さを感じているはずである。

かつての奴隷商人も同じであった。

英国の奴隸商人は、「合法的」に「素晴らしいヒジネスモデル」を生みだし、莫大な利益を得た。英国からガラス玉や武器をアフリカへ持ち込み、アフリカから黒人をアメリカへ輸出し、アメリカから穀物や綿を英国に持ち込むという「三角貿易」は、当時の「最先端の高収益ビジネスモデル」であった。

現在は人身売買は、「非合法」で、いくら利益率が高くとも、「みずから誇れるビジネス」として成立しないが、往時はそうではなかった。彼らがどれほどみずからのビジネスを誇らしく思っていたかは、奴隸貿易商の本拠地であったリバプールに行けば一目瞭然だ。鎖をつけられた黒人奴隸のレリーフが、いまだ往時を象徴する建物のファサードに飾られているのである。

極端なアクティビストや莫大な規模で投機的金融を操る者たちは、今は「合法的」でも、 いずれ奴隸商人と同じ運命を辿ることになろう。歴史に汚点を残さないためにも、根本的な事業理念を見直すベきだ。

証券金融市場で投機的取引が大半を占めるようになれば、市場は過熱化し、バブルが生まれ、金融がゼロサムゲーム化し、富の.二極分化が進む。バブルは必ず破裂するが、その時、中間層は貧困層に落ち、富裕層はますます富み、スーパー・スーパー富裕層が生まれるのだ。

莫大な規模で投機を仕掛ける米英へッジファンドと彼らに資金を提供する超富裕層は、 途上国通貨を空売りし、暴落させ、その国民を貧困のどん底に落とすことによって巨万の富を得る。そして、その莫大な利益のごく一部のみ国際機関や大学やNPOに寄付することで、栄誉ある賞や資格を得る。

これは超富裕層による完全なマッチポンプの茶番劇だ。世界中の一般層は、こうした状況に辟易し、「人類の平等を目的とする民主主義はもはや機能しない」と諦めかけている。

1990年代初頭から始まった金融規制の自由化の下で、一国の経済規模をも上回るような莫大な資金を動かす投機家が、ICTテクノロジー(情報通信技術)の力を利用しながら、瞬時に国境を越えて跋扈するようになった。その結果、先進国で中間層が激減したのである。

民主主義が機能するには、中間層が不可欠だ。その中間層が没落することによって、今日、民主主義は、機能不全を起こしているのである。

「民主主義国家」の代名詞とも言える英米でさえ、かつての中間層が貧困化している。そこで有権者は、「将来のこと」よりも「今日明日のこと」、「建設的な前向きの意見」よりも「現状の不満」を基準に投票するようになってしまった。英国EU離脱の国民投票も、 米国大統領選挙も、こうした市民の不満や怒りの表われだ。

おそらく、皆さんが本書を手に取ってくださる頃には、我が国政府が、「四半期決算短信における業績予想の様式」を削除する方針を決定し、発表しているであろう。

2005年に財務省参与に、その後、内閣府参与に就任して以来、「企業経営における短期主義の是正」をー貫して主張してきたが、その実現に向けて、ようやく第一歩を踏み出せそうだ。

約3500社ある日本の上場会社のすべてが、四半期ごとに要求される業績予想義務から解放されることには、極めて大きなメリットが期待できる。四半期決算のための费用と時間を節約できるだけでなく、経営者や中間管理職の経営観を短期主義の呪縛から解き放つからだ。」

記事

(Barcroft Media/Getty Images)

4月27日に四川省“成都市”のある“武館(武術道場)”で“格闘狂人”こと“徐暁冬”と“太極大師”こと“雷雷”の“約架(決闘)”試合が公開で行われた。38歳の徐暁冬は中国伝統の格闘技“散打(さんだ)”出身で、自称「中国総合格闘技(MMA:Mixed Marshal Art)の第一人者」。これに対して雷雷は、公称42歳、本名は“魏雷”、“陳家太極拳”と共に太極拳の双璧をなす“楊氏太極拳”の継承者であると自称し、自ら興した流派“雷公太極拳”の創始者である。2人の対決は、太極拳を含む中国伝統武術と西洋格闘技の雌雄を決する一大イベントとして注目を集めた。

成都市は雷雷の居住地で、北京市を本拠とする徐暁冬は飛行機で成都入りした。半ズボンにサンダル履きで試合会場入りした徐暁冬は、黒色で両肩に赤色を配した半袖シャツと黒色の半ズボンに着替え、赤色の運動靴を履いて入場した。一方の雷雷は、白色の“太極拳服”に黒色の“太極褲(パンツ)”を履き、伝統的な格式を備えている風情を漂わせ、右手の掌で2個の胡桃(くるみ)を擦り合わせながら威風堂々と入場した。入場した雷雷は用意した“功夫茶(中国茶道)”のお茶を決まり通りの小さな茶碗で飲み、自分が太極拳の達人であるということを所作で示そうと懸命の演出を試みていた。

2人が入場すると、司会者が両者の名前を呼び上げて2人を観客たちに紹介し、それに続いてレフリーが紹介された。レフリーは2人を呼んでルールを説明し、それが終わると2人は握手を交わした後に離れて対峙し、レフリーの試合開始の合図を待った。会場には格闘技の試合で使われる常設のロープを張ったリングはあったが、太極拳に敬意を表した徐暁冬が譲歩してリングを使わず、リング横に格子柄のマットを敷いた床が試合場となった。

最初のジャブから血まみれKOまで、わずか10秒

レフリーが試合開始を宣言すると、徐暁冬は両拳をボクシングスタイルに構え、雷雷は両手の5本の指を軽く開き、右手を下段、左手を上段に構えて相対した。観衆が固唾を呑んで見守る中、両者はにらみ合いながら試合場を左回りに一周した後、徐暁冬が先制の左ジャブを打ち込み、雷雷がこれを避けようとした刹那、徐暁冬の右フックが雷雷の左顔面に炸裂した。雷雷はパンチを食らって茫然自失となり、この機を捉えた徐暁冬が一気呵成にパンチを浴びせて攻め込むと、雷雷は横向きに倒れ込んだ。徐暁冬は倒れた雷雷の頭部にパンチを連打し、雷雷は身動きできず、レフリーが試合の中断を宣言した。試合開始から試合中断までわずか20秒、徐暁冬の圧勝であり、雷雷は完膚なきまでに打ち負かされた。

試合中断により立ち上がった雷雷は血まみれの顔面をタオルで拭いながら、苦痛に顔をしかめて立ちすくんでいた。その後、レフリーから試合を再開するかと問われた雷雷は再開を断念する旨を表明し、徐暁冬の勝利が確定した。レフリーを真ん中に右に徐暁冬、左に雷雷が並び、レフリーは徐暁冬の右手を挙げて徐暁冬の勝利を宣言した。徐暁冬が最初のジャブを放ってから、レフリーが試合の中断を宣告するまではわずか10秒だった。それが中国伝統武術と西洋格闘技の雌雄を決する一大イベントの結果であった。「大山鳴動して鼠一匹」とはこのことか、実に呆気ない幕切れだった。

さて、上記の試合はインターネットの“視頻(動画)”サイトを通じて全国に配信された。徐暁冬は従前から「太極拳を始めとする伝統武術はどれも詐欺だ」と公然と言い募り、“武術打假(武術の偽物を撲滅する)”と述べて、中国の伝統武術に対し宣戦布告を行っていた。これは伝統武術を飯の種としている武術の道場主や師範たちにとって、生活を脅かす由々しき問題である。危機感を覚えた武術家たちはネット上で徐暁冬と論戦を繰り広げたが、確固たる信念を持って発言する徐暁冬と激論を戦わせてもらちが明く話ではない。そうこうするうちに、徐暁冬に戦いを挑む者が現れた。これは徐暁冬にとって「飛んで火にいる夏の虫」であり、望む所であった。挑戦者として名乗りを上げたのが、成都市で雷公太極拳の道場を営む太極大師こと雷雷であった。雷雷が徐暁冬の挑戦者として名乗りを上げ、4月27日に成都市で“約架(決闘)”試合が行われることはネットを通じて全国に広く知れ渡っていたのだった。

西瓜を果肉を破壊、鳩を飛べなくする秘技

「伝統武術はどれも詐欺だ」と断言した徐暁冬が、決闘試合では雷雷をわずか20秒でKOした。徐暁冬は試合前に「“太極拳不堪一撃(太極拳はひとたまりもない)”」と豪語していたから、言葉通りの結果になった。徐暁冬が雷雷を挑戦者に選んだのには理由があった。それは2015年11月24日に国営テレビ局“中央電視台(中央テレビ)”のチャンネル4「体育在線」の特別番組「“体験真功夫(本当のカンフー体験)”」の楊氏太極拳特集に成都市在住の武術家として雷雷がゲスト出演したことに起因する。

同番組の中で、雷雷は中国の十大武術師範の1人と位置付けられ、「雷雷は北京出身で、タイの格闘技“泰拳(ムエタイ)”と朝鮮の“跆拳道(テコンドー)”を学んだ後に楊氏太極拳に転向した。ムエタイとテコンドーの段位は低かったものの、実戦に長けていたため、その経験を活かして太極拳で格段の進歩を遂げ、今では楊氏太極拳の創始者“楊露禅”の継承者になった」と紹介された。番組では雷雷の道場の練習風景を紹介した後に、雷雷が中国武道の“形意拳”を学んだ外国人エリックと練習試合を行い、雷雷がエリックを圧倒して勝利した。次に雷雷が丹田に集めた気を西瓜に向けて吐き出しながら軽く西瓜の表面を押さえると、表面には何ら変化がないのに、中身の果肉は破壊されていた。その次に雷雷は“雀不飛”という秘伝の技に挑戦する。これはハトが飛ぼうとして脚を踏ん張る瞬間に、その力を消失させて飛ばせなくするという秘技で、雷雷はいとも容易にハトが飛翔するのを抑制してみせた。

「体験真功夫」が中国の十大武道師範の1人と報じた雷雷が、決闘試合で徐暁冬にわずか20秒でKOされたことに中国国民は大きな衝撃を受けた。決闘試合の後で、メディアのインタビューに答えた徐暁冬は、雷雷が出演した「体験真功夫」の楊氏太極拳特集について次のように述べた。

【1】試合の後で、私が「体験真功夫」に出演していた記者に連絡を入れたところ、記者は泣きながら次のように述べた。すなわち、西瓜は布団をかぶせて上からたたいで果肉を破壊しておいたものだし、ハトは脚を透明のプラスチック紐で手にくくり付けて飛べなくしたもので、いずれも脚色したインチキな映像だった。

【2】そこで、私があんたたち中央テレビはこともあろうにインチキをやるのかと言うと、記者は「中央テレビを侮辱することは許さない。我々は中央テレビと契約を結んでいる外部組織で、中央テレビではない」と答えた。これに対して私が、「それならあんたたちは中央テレビの4チャンネルで馬鹿な番組を放送しているということか」と返すと、記者は放送するしないの権限は我々にあるわけではなく、中央テレビのトップが決めることだと答え、「放送した番組中で視聴者は誰もハトの脚をプラスチック紐で結んでいたことには気付かなかったじゃないか」と述べた。

中国武術の各流派へ公開挑戦状

「体験真功夫」という真の中国武道を紹介する番組がインチキな内容を放送していた事実は、徐暁冬が主張する「伝統武術はどれも詐欺だ」を裏付けるものであり、その思いをますます募らせるものとなった。試合後に判明したところによれば、雷雷は自身の“微博(マイクロブログ)”に20年のフィットネス経験を持ち、40歳で100kgのベンチプレスを挙げることに成功したと自慢気に書き、自身が持つ“高級保健按摩師”の証明書を掲載していた。

証明書は2008年3月4日付と2013年1月29日付の2通で、そこには出生:1978年6月8日<注1>、“文化程度(学歴)”:“大専(高等専門学校)”とあり、職業欄には“保健按摩師(等級:技師)”とあった。武術師範だけでは食べて行けないからか、雷雷の本業はマッサージ師であったのである。

<注1>公称は42歳だが、実年齢は38歳であった。

決闘試合で徐暁冬が雷雷をわずか20秒でKOしたことにいきり立ったのは、伝統武術を詐欺呼ばわりされた上に、雷雷の敗北で面子を失った全国の伝統武術家たちであった。一方の徐暁冬は“武術打假(武術の偽物を撲滅する)”の旗印の下、ネットを通じて3人の武術家を指名すると同時に武術の各流派に対して公開の挑戦状を送り付けた。その3人とは、 “李天金”(アリババ集団会長“馬雲(ジャック・マー)”の護衛)、“王占軍”(陳式太極拳第12代継承者、太極拳世界大会優勝者)、“一龍”(少林寺第一武僧と名乗る武闘家)であった。また、各流派とは、少林寺、崑崙(こんろん)派、峨眉(がび)派、青城派、崆峒(こうどう)派、武闘派、陳家溝太極拳などであった。彼らはそれぞれ徐暁冬の挑戦を受諾する方向で検討を始め、先行して陳式太極拳の王占軍が挑戦を受ける旨を表明した。

各流派が徐暁冬の挑戦を受けようとする風潮に慌てたのは国家認定の非営利組織“中国武術協会”だった。中国武術協会は中国武術の発展、普及、技術向上を目的とする全国的な社会団体である。5月3日、中国武術協会は徐暁冬と雷雷の“約架(決闘)”事件に関し、「中国武術協会は“約架”などの法律・規則違反の行為に断固反対する」旨の声明を発表した。その概要は以下の通り。

(1)徐暁冬と雷雷の“約架”事件はメディアや社会の注目を集めているが、中国武術協会はこの種の“約架”行為が“武徳(武術のモラル)”に背(そむ)くものであり、違法の可能性があることから断固反対する。

(2)武術は中華民族の伝統体育項目であり、民族の優秀な伝統文化であり、体を強くし、自分の身を守り、修行を積む功能を備えている。伝統武術は武術の根源であり、伝統武術の継承と発展には武術界各位の努力が必要である。各省、区、市の武術協会および関連組織は類似の“約架”事件が再発しないよう有効な措置を採っていただきたい。

「決闘」を禁止する協会の役員は…

ここで問題となるのは、中国武術協会の役員構成である。協会役員は、主席3人《“栗勝夫”(中国武術9段)、“李成銀”(中国武術9段)、“朱天才”(太極大師)》、秘書長1人《耿軍(中国武術7段、少林武術9段)》、副秘書長3人《“張東武”(中国武術7段)、“白安有”(中国武術6段)、“楊暁明”(不詳)》の合計7人で構成されている。これら7人の中の李成銀と楊暁明の2人を除く5人は、河南省“焦作市”の管轄下にある“温県陳家溝”を源流とする陳氏太極拳および河南省“登封市”にある少林寺の関係者である。突き詰めて言えば、彼ら5人は、少林寺“方丈(住職)”の“釈永信”と親密な関係にあるということができる。釈永信は少林寺住職であるだけでなく、“中国仏教協会”副会長、“河南省仏教協会”会長であると同時に、中国の国会議員に当たる“全国人民代表大会代表”でもある。  釈永信は少林寺をカネ儲けの手段として利用し、多数の企業を設立して商業化を図り、稼いだカネをばらまくことで権力者と密接な関係を築き、現在の地位を得たとされる。今や絶大な権力を有する釈永信は、職権濫用、派手な女性関係などから破戒坊主として少林寺関係者から度々告発されているが、巧妙に危機を乗り越えて今なお地位を保っている<注2>。

<注2>釈永信については、2015年8月7日付の本リポート『ネットで告発「少林寺住職は生臭坊主」』参照。また、少林寺の商業化については、2008年10月31日付の本リポート『お金はいりません「大悲寺」 商魂たくましい「少林寺」』参照。

少林寺は北魏太和19年(495年)創建の古刹で、“少林武僧(少林寺の僧兵)”が研究発展させた“少林功夫(少林カンフー)”で名高く、『“天下功夫出少林, 少林功夫甲天下(天下のカンフーは少林カンフーを起源とし、少林カンフーは天下第一)”』と言われている。その少林寺の関係者が中国武術協会を牛耳っているのが現実だが、果たして役員の肩書にある中国武術や少林武術の高段位は本物なのか、一体誰が彼らの高段位を認定したのか。この疑問は中国武術の各流派にも共通するのかもしれないが、徐暁冬にとって最終的な標的は中国武術協会を牛耳る役員たちではないのか。

偽物の撲滅か、道場の宣伝か

それが徐暁冬が主張する「伝統武術はどれも詐欺だ」の真の意味であるように思える。徐暁冬はメディアのインタビューを受けた際に、「自分は決して中国伝統武術を否定するものではなく、中国武術界にはびこる偽物を、“太極大師”などと名乗る輩(やから)を含めて撲滅したい」と述べている。

中国武術の歴史は“商”(紀元前1600年~紀元前1046年)、“周”(紀元前1046年~紀元前249年)に遡ると言われ、数千年にわたって伝承されて来た。武術は攻撃するための技である反面、精神面の修養を重視し、安易に人を傷付けたり、名利を求めて演技することは固く戒められていた。ところが、1949年に中国共産党が政権を執り、中華人民共和国が成立すると、真の中国武術は根こそぎ消滅を余儀なくされ、一部の武術家は反動的であるとして銃殺された。その後、“国家体育委員会(後の“国家体育総局”)”の管轄下に置かれた中国武術は伝統武術が持っていた“内涵(内面の修養)”を失い、見せ掛けだけの武術に変質し、偽物の武術家が大手を振るって闊歩するようになったのである。

徐暁冬がこうした中国武術の変質に不満を感じ、改革の狼煙を上げたのかどうかは定かではない。徐暁冬は、自身が運営する武術道場を宣伝する目的で、雷雷との一戦の勝利を活かして“炒作(メディアを通じての宣伝)”を行っているに過ぎないとの説も一部では囁かれている。徐暁冬の挑戦を受けた中国伝統武術の各流派は今後どのように対応するのか。中国の庶民は“約架(決闘)”試合の実現を楽しみにしているが、各流派は中国武術協会からの通達を無視して“約架(決闘)”を行うことができるのだろうか。果たして、その結果はいかに。

2013年8月7日付の全国紙「中国青年報」によれば、中国には健康のための武術愛好家が7000万人以上存在し、段位取得目的の武術学習者は100万人を超え、有段者はすでに25万人以上に達しているという。また、中国武術は69の国と地区に普及し、外国人の有段者は3409人に上っているという。

中国武術大会で1975年から1979年まで5年連続の優勝という快挙を成し遂げ、1982年に映画「少林寺」で主役を演じてカンフー俳優としてデビューした“李連傑(ジェット・リー)”は、太極拳が徐暁冬の挑戦を受けて再戦することを支持すると表明した。

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