『担任に20年後の復讐劇「俺を覚えているか」 史記に曰く「報復するのに急ぐ必要はない」』(12/28日経ビジネスオンライン 北村豊)について

12/30中国观察投稿 Robin NuさんはTerracotta Warriors Museum, Shaanxi China(西安・兵馬俑)にいます。

習近平が江沢民の死を待っていると思しき図

下午在微信群发了这张漫画。群里很多人很紧张。都很担心这个交流群的安危。只有群主表示担心我的安危。这就是中国大众的心理。惧怕威权的滥用给自己带来“灾难”。同时也惧怕身边的人为此给自己惹来“麻烦”。启蒙这些人,还不如先教会他们像个人一样站起来表达自己的真实想法。

午後にこの漫画をウイーチャットで発信した。仲間の多くが緊張している。仲間の安全について心配している。仲間のリーダーだけが私の安全を心配してくれている。これは中国の大衆心理である。 権威の濫用が自分に”災難”を齎すことを恐れ、同時に周りの人々は自分に”トラブル”が引き起こされることを恐れている。これらの人々を悟らせるには, 自分たちが本当に考えていることを表現し、独り立ちさせることを先ず教えた方が良い。

12/30阿波羅新聞網<川习热线谈贸易 川普:协议进展顺利=トランプ・習はホットラインで貿易問題を討議 トランプ:協議は順調に展開している>トランプは12/1アルゼンチンでのG20の晩餐会で貿易戦は90日の休戦とした。中国の商品の関税を10%から25%に上げるのを一時的に止め、中国は米国産大豆の購入と自動車と部品の関税引き上げを停止した。ブルームバーグの報道によれば、「米国政府の代表団は1/7の週に北京に行き、交渉する。通商副代表のJeffrey Gerrishが団長、David Malpass財務次官も含まれている」と。

代表団も小粒な印象です。単なるアリバイ作りでは。

https://www.aboluowang.com/2018/1230/1224969.html

12/15ぼやきくっくりブログ<米国は中国共産党消滅までやる。もう止まらない(ファーウェイ排除)…Tweetまとめ18.12.01~12.15>ルトワック氏と奥山真司氏の会話の内容がアップされています。トランプは貿易協議がうまく行っていると発信していますが、中共崩壊が米国エスタブリッシュメントの総意であるなら妥協はできないはず。況してや嘘つきの中国人や朝鮮半島人であるなら。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2246.html#sequel

12/29希望之声<中共意识形态破产 北大马会遭强制改组:要学习思想=中共の思想形態は破産に 北京大学マルクス学会は強制改組に: 習近平思想を教えるようにと>中共の思想闘争が出て来るのは珍しい。中共の元リーダーだった毛沢東の誕生日に、当局は北京大学マルクス主義学会会長の邱占萱を逮捕し、翌日にはその会を強制改組した。新しい会には習近平思想を教え込むように要求した。外界は「中共の思想形態は既に完全に破綻した」と指摘した。

利に敏い中国人にとってマルクス主義は単なる道具でしかなかったという事です。暴力を肯定するので独裁者にとって都合よく政敵を葬れます。毛も習もその点で同じ。習はマルクスより偉大だと思っているのでしょうが、洗脳された中国人以外、誰もそんなことは思わないでしょう。革命思想だけあって今の中共を武力を持って倒されては困るので、弾圧に走ったようです。

北京大学マルクス学会会長が連れていかれる

https://www.soundofhope.org/gb/2018/12/29/n2520539.html

12/28希望之声<华为遭疑间谍机构 副总裁泄密内部讲话疯传l=華為はスパイ機構と疑われる 副総裁の講話が漏れ伝わる>外国では華為が中共のスパイ機構であると疑い続けている。華為の上級副総裁の陳黎芳は4/20内部講話で新入社員に向けて講話し、「米国と中国の技術の差は遙かに大きい。華為の真の身分を明かさないようにして、禁止されている技術を特殊手段によって取って来てほしい。それは君たちがリスクを冒すことにかかっている」と話した。

華為上級副総裁の陳黎芳は内部講話で「米国はボスとして崇め、隠して技術を取って来い」と話した。

https://www.soundofhope.org/gb/2018/12/28/n2519810.html

北村氏の記事に関連して、中国では今でも学校の先生の暴力事件は後を絶たないようです。かつ賄賂を取る常習犯ですから、子供の教育には一番良くないタイプです。そもそも学問の自由のない共産主義国の教育システムは大多数の精神的奴隷を作り出すシステムとも言えます。思想や内心の自由を認めない社会は狂っているとしか言えません。

https://ameblo.jp/zhoulaiyou/entry-12355475074.html

記事

中国では教員による学生に対する暴力行為は珍しくない(写真:PIXTA)

中国の歴史書『史記』の範雎蔡澤列伝に「“君子報仇, 十年不晩(君子が復讐を遂げるのに10年は遅くない)”」という言葉がある。この出所は次のような逸話による。すなわち、戦国時代の秦昭襄王(以下「秦王」)36年(BC271年)に魏国に滞在していた“範雎(はんしょ)”は人に陥れられたことにより、魏国の宰相であった“魏斉”に謀反を疑われ、鞭打たれて半死の状態にされた。冤罪で半死となるほど鞭打たれた範雎は復讐を誓い、故郷を離れて遊説の旅に出た。諸国を回る中に秦王に出会った範雎は、秦王に気に入られて重用され、遂には秦国の宰相に上り詰めた。こうして力を得た範雎は、秦王46年(BC261年)に恨み骨髄の魏斉を打つべく包囲網を縮め、追い詰められた魏斉は自刎(自分で首を切り落とす)して死に、範雎は魏斉に対する恨みを晴らした。

こうして範雎は魏斉に対する復讐を遂げることが出来たが、それには秦王36年から秦王46年までの10年という月日を要したのである。そこで、史記の作者である“司馬遷”は、この逸話に「君子が復讐を遂げるのに急ぐ必要はない」として「“君子報仇, 十年不晩”」とコメントしたのだった。

さて、話は現代の復讐劇に移る。2018年の7月下旬に河南省“洛陽市”に属する“欒川(らんせん)県”で、33歳の男性が20年前の復讐を果たしたのだったが、その相手は何と中学時代のクラス担任だった。当該男性が20年前のクラス担任に復讐を果たす場面を撮影した、長さ1分9秒の動画が、12月15日に「卒業後、当時の“老師(教員)”にビンタで報いる」という題名でSNSの“微信(WeChat)に投稿されたのであった。その動画には「河南省洛陽市欒川県内の路上で、欒川県実験中学校を卒業した“常某堯”という名の男性が路傍に車を止めて、電動バイクでやって来る当時の担任を待ち伏せし、通過時に捕まえた」との字幕が表示されていた。恐らく、常某堯の仲間が動画の撮影を行っていたものと思われる。

動画の内容は以下の通り。
【1】路傍で常某堯が待ち構えている所へ頭頂部が禿げ上がった中年男性が電動バイクに乗って通りかかると、これを“常某堯”が呼び止めた。バイクを止めて何事かといぶかしがる50代の男性に対して、常某堯が「あんたは“張某林”だよな」と聞くと、男性は「そうだが何だ」と答えた。すると、常某堯が張某林を睨みつけ、怒りに満ちた声で「俺を覚えているか、どうだ」と言いながら、突然に張某林の左頬を平手で叩き、念を押すように再度「俺を覚えているか、どうだ」と繰り返した。

【2】恐らく男性は「自分にはあんたが誰か分からない」と応じたのだろうが、常某堯はバイクの進行を止める位置に移動すると、すさまじい剣幕で「昔、俺をいたぶったことを覚えているだろう。もう十数年が経過したが」と言うやいなや張某林の左頬を平手で叩いた。これに対し張某林は何も反抗することなく、常某堯のなすがままにしていた。張某林は恐らく常某堯がどのような生徒だったか、彼に何をしたかを覚えていなかったものと思われる。しかし、張某林は常某堯が頑強そうで反抗してもかなわないし、若い頃の自分の言動に恥ずかしいところがあったのか、常某堯に対して小声で“対不起(すまなかった)”と詫びたのだった。

提出された告発状の概要

12月16日午後、張某林が勤務する欒川県実験中学校は、巷で評判になっている動画の中で殴られている50代の男が張某林であることを確認した。学校側が速やかに張某林に対して事実関係を問い質したところ、張某林は動画が事実であることを認めて、その経緯を説明したので、学校側は校長の“王全”の名義で告発状を作成して“欒川県派出所”へ提出した。

提出された告発状の概要は以下の通り。
(1)7月下旬の某日午後4時頃、張某林が電動バイクで“欒川石廟”から“県城(欒川県の県庁所在地)”へ戻ろうと、“雷湾村変電所”付近を通りかかると、路傍に緑色のジープが止まっていて、その横に2人の若者が立っていた。そのうちの1人である常某堯が張某林の行く手を塞ぎ、張某林かどうかを確認した後に顔面を平手で何回も叩いた。常某堯は張某林の顔を叩いたり、怒鳴ったりしながら、張某林を路傍へ引っ張り込んだので、彼の電動バイクも畑の中へ倒された。そして、常某堯は張某林に対して殴る蹴るの狼藉を行った上で、「今後はお前を見かける度に1回ずつ殴る」と捨て台詞を投げかけた。

(2)ネット上に掲載されている動画はわずか1分9秒だが、実際に常某堯が張某林を捕えてから暴行を終わるまでの時間は20分間にも及んでいた。現在、張某林は情緒不安定の状態にあるが、依然として出勤を続けている。事件は7月末の夏季休暇中に発生したので、学校側は事件の発生を知らなかった。それは、張某林が事件を名誉な話ではないと自覚し、妻にも隠していたからであった。今回の加害者は張某林が十数年前に教えた学生であるが、当時張某林が彼に行った批評を正しく受け止めることが出来ず、長年忘れることなく復讐心を保ち続けたものと思われる。

(3)本件に関して、学校側は「常某堯が昔の恩師に対して殴ったり、怒鳴ったり、したい放題して、無法の限りを尽くした。それだけでなく、事件の模様を動画で撮影してネット上に流布した。これは絶対容認することができないので、事実を徹底的に究明し、加害者を厳罰に処し、法的責任を追及し、人的・精神的損害賠償を負担させると同時に、当該動画の削除および加害者に公開で謝罪させること」を公安機関に強く要求するものである。

なお、王全校長は、張某林について「張某林(51歳)は性格が内向的な教員で、欒川県実験中学校で20年以上の教員経験を持ち、欒川県の全県優秀クラス担当の称号を獲得したことがあり、以前は英語を担当し、現在は歴史を担当している。毎年学校が行う学生による教員評価では、張某林に対する評価は“満足”であり、誰一人として張某林に殴られたという学生はいなかった」と述べたという。但し、それは現在の張某林であり、20年前の張某林がどのような教員だったかは分からない。

世間の注目を集めた書き込み

一方、12月19日早朝にハンドルネーム「駱駝鳥009」と名乗るネットユーザーが、ポータルサイト“百度”の掲示板に上述した動画に関して下記内容の書き込みを行い、多くのネットユーザーの注目を集めたのだった。

【1】私は常某堯です。動画に映しだされた事件が発生したのは2018年7月初旬です。動画は私本人が撮影しましたが、動画を投稿したのは私ではありません。

【2】動画が流布してから数日間、私は外地で仕事をしていたために、それを知りませんでしたが、昔の同級生が電話で知らせてくれたので、動画が投稿されたことを知りました。そこで、事件の詳細を説明すべきと考え、皆さんに正直にお話しする次第です。先ず、私は全ての“老師(教員)”に“対不起(ごめんなさい)”と言いたいが、この中には私に殴られた張某林は含まれていません。私が学生時代に教えを受けた教員の皆さんは概ね良い人たちで、私は今でもありがたく思っていますが、張某林だけはその例外なのです。

【3】20年前の1998年に自分は13歳で欒川県実験中学校に在校していましたが、家が貧しく、カネも無ければ、有力者とのコネもありませんでした。張某林は当時私のクラス担任で30代でした。彼は故意に私を見下し、いじめを行いました。私が授業中に眠ってしまった時には、すさまじい勢いで足蹴にした上で体罰を与えました。そうしたいじめが度重なり、我慢できなくなった私は王全校長にも相談しましたが、それを知った張某林はますますいじめをエスカレートさせたのでした。中学3年になるとクラス担任が代わり、いじめを受けることはなくなりましたが、私が張某林から受けたいじめと虐待はひどいもので、肉体だけでなく名誉も傷付けられ、私は一生心に残る傷を負わせられたのです。

【4】動画が流布したことにより、十数年も音信不通だった10人以上の同級生が私に連絡をくれて、私が教室で張某林に殴られていたことを進んで証言すると言ってくれています。

これより1日前の12月18日の午後、“欒川県人民代表大会(県議会)”の“法制工作委員会”主任は、欒川県実験中学校から提出された告発状を前提として本件を立件するよう“欒川県派出所”へ指令を発した。これによって、事件は立件されて調査が開始され、常某堯を逮捕するための手配書が各地の公安局へ通知された。

12月20日午前11時頃、上海鉄道公安局に属する“杭州公安処”の杭州東駅派出所は常某堯を逮捕した。常某堯は前日の19日夜に杭州のネットカフェからネット上に自己弁護の書き込みを行っていたが、翌20日に故郷の河南省欒川県で本件の始末をつけるために杭州東駅から列車に乗ろうとしている所を確保されたのだった。杭州東駅派出所は20日午前9時に“河南省公安庁”から常某堯の逮捕協力要請を受けて、11時に常某堯を逮捕したものだが、常某堯は午後2時に河南省公安庁へ引き渡された。

なお、欒川県公安局は本件の調査を本格化したが、中国メディアが同公安局から聴取したところによれば、ネット上には常某堯の同級生だというネットユーザーが次々と書き込みを行っているが、それは「常某堯は誠実で義理堅い人物であり、今回の事件は張某林による虐待が彼に心理的な影響を与えたものと思われる」といった内容だという。また、張某林の学生だったと自称する人物は、当時学校で張某林にこっぴどく殴られた記憶があると書き込んだという。

戦々恐々としたのは老師たち

この事件が全国的に知られたことにより、戦々恐々としたのは全国の“老師(教員)”たちだった。この事件を模倣してかつて教えを受けた教員に暴行を与える第二、第三の常某堯が出現する可能性を恐れたものだった。中国ではいまだに教員による学生に対する暴力行為は普遍的に存在し、決して珍しいものでないことは多数の動画で確認できるからである。

本事件のように、かつての教え子が恩師である教員に対して暴力を振るったことに対しては、毛沢東が主導した「文化大革命」(1966~1976年)において、学生や生徒たちが教員たちを反動分子と決めつけ、“造反有理(謀反には道理がある)”のスローガンの下で教員たちに対して暴力行為に及んだことを想起させる。しかし、常某堯が上述した12月19日の書き込みで述べているように、彼は張某林を除く恩師たちには感謝を表明しており、決して教員全てを目の敵にしている訳ではない。

常某堯が20年を経過してまでも復讐を遂げたいと考えるほどに、張某林が常某堯に行ったいじめや虐待が苛酷なものであったということではないだろうか。張某林は今では20年以上の経験を持つ老成した教員であるが、まだ教員として駆け出しだった20年前は思い通りにならない学生に対して安易に暴力を使ったことが想像できる。こうした忌まわしい過去の記憶があるからこそ、張某林は常某堯に暴行を受けても、その事実を隠して人には言わず、耐えていたものと思われるが、真相はどうなのだろうか。

艱難辛苦の末に成功を収めたが……

文頭に述べた「“君子報仇, 十年不晩”」という言葉は、中国メディアが20年後にいじめを受けた教員に復讐を行った常某堯の事件から連想して引用したものである。君子ではない常某堯を2280年前の“範雎(はんしょ)”と比べることはおこがましいが、己の心に忠実にいじめを受けてから20年後に張某林に対する恨みを晴らした常某堯を応援したくなるのは人情というものか。

中国メディアは逮捕された常某堯について次のように報じている。すなわち、常某堯は、欒川県の“欒川郷某村”の出身者であり、幼少時に両親が離婚し、常某堯は弟と一緒に父親によって育てられた。家は非常に貧しく、学校では同級生の誰もがきれいな服を着ている時でも、常某堯だけはそうでないというような辛い日々を過ごしたという。そうした環境にもめげずに大学を卒業した常某堯は、浙江省へ出て創業を果たし、経済状況が良くなった後は同郷の人々への支援を行っている。常某堯は通常は浙江省の杭州市で暮らし、インターネットショッピングサイトの“淘宝”などを通じてアパレル関係の商売を行っている。

艱難辛苦の末にビジネスで成功を収め、同郷の人々にも支援を惜しまないという常某堯が、20年前の復讐を果たそうと当時のクラス担任である張某林に暴行を加えたのはどうしてだろうか。それは、張某林が彼に加えたいじめと虐待がわだかまりとして心に残り、いつまでも消えずに彼を苦しめたからではなかったか。逆に言えば、そのわだかまりが常某堯の成長を支えたからこそ、彼を大学卒業、創業、ビジネスでの成功へ導いたと言えるのかも知れない。

逮捕された常某堯には何らかの罪が下される可能性はあるが、張某林に復讐を遂げたことによって心のわだかまりを除去できたので、常某堯がその復讐劇を悔いることはないと思う。それこそが「“君子報仇, 十年不晩”」の本当の意味ではないだろうか。

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