3/15ブログ・台湾は日本の生命線!<中国批判を封じるフェイスブックに台湾人が対抗>
左下に“FUCK ZUCKERBERG”とあります。彼の妻は中国系米国人です。中共は中国系米国人を使って米国の弱体化を図ろうと工作しています。「南京」や「慰安婦」で日米離間を図り、米国に味方する外国を減らそうとしているのが分かります。
ザッカーバーグも中国に金で転ぶようでは大した男ではないと後世に評価される時が来るはずです。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-3284.html
3/17産経ニュース<米で「台湾旅行法」成立、政府高官らの相互訪問に道 中国の反発必至>
http://www.sankei.com/world/news/180317/wor1803170010-n1.html
3/19ZAKZAK<【大前研一のニュース時評】米「台湾旅行法」成立で中国はいったい誰と戦争? 勇ましいことを言っているが…>まさか中国は少なくとも、米・日・台の連合軍相手に戦争を仕掛けるつもりなのでしょうか?それに印・豪、場合によっては欧州も加わるかもしれません。国際連盟を脱退した日本のようにというか、その場合国連から放逐すれば良いでしょう。憲法改正後の日本であれば、中国に替わって安保理に加わり、世界をまともな道に導くことができるのでは。
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180319/soc1803190002-n1.html
3/15JBプレス川島 博之<習近平「独裁」体制は大きな悲劇を招くだろう 良い独裁と悪い独裁、歴史が教える教訓とは>川島氏は良い独裁(習近平)も悪い独裁(ヒトラー)もないと言っています。中共が言うだけで、独裁システムは絶対権力を産み、絶対に腐敗します。良いも悪いもあるはずがないでしょう。日本の歴史を見て独裁政治に走った時代はないと思います。鎌倉時代から江戸時代まで武士が政権を握りました。軍事政権ですが、共産主義と違い自国民を虐殺することはなかったです。こういう国民性で「南京虐殺」なぞ起こるはずがありません。江戸時代には町人文化が花開きました。軍事政権であっても自由を認めなければ、士農工商の身分制度の中で文化が生まれる筈はなかったでしょう。「歴史の教訓に鑑みれば、大国の独裁は周りの国をも巻き込んだ大きな悲劇で終わる。22世紀の教科書には2018年は1933年と同様に、歴史の大きな転換点であったと書くことになるかも知れない。」と最後に川島氏は述べていますが、周りの国を巻き込まず滅んでほしいと願っています。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52562
3/18ZAKZAK<トランプ氏、対北“超強硬人事”か マクマスター補佐官に「在韓米軍司令官就任説」、後任にタカ派・ボルトン氏浮上>「ポンペオ国務長官、マクマスター在韓米軍司令官、ボルトン大統領補佐官」となれば北だけでなく、中国を睨んだ人事とも言えます。ボルトンは「沖縄の基地負担軽減の為に、台湾に沖縄基地の一部を移転したら」と言っていましたので。太平洋もより安泰になると思います。沖縄基地反対派、移転反対派(土地賃貸料の為と思われる人もいる)も台湾移転を歓迎すべき。
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180318/soc1803180003-n1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsList
3/17ZAKZAK<日米同盟に追い込まれた北朝鮮 米朝首脳会談で韓国切りも 藤井厳喜氏が緊急リポート>北の要求を呑んでの在韓米軍撤退はしないでしょう。トランプは強気で交渉するのでは。最終は戦争になると脅すのでは。
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180317/soc1803170006-n1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsList
北村氏記事を読んで、「神輿(人民代表)は軽くてパーが良い」と言うのを思い出しました。民主主義も今のモリカケバッシングに踊らされている人を見るとまだまだうまく機能してないという感を強くしますが、ラバースタンプと言われて何も考えない人が疑似議会制で果たす役割を考えるとき、まだましかという気にもなります。
まあ、中国ですから人代の地位を利用して富を築くのは当り前ですが。
記事
「文化大革命」に賛成し、「文化大革命反対」にも賛成したことになる(写真:AP/アフロ)
中華人民共和国憲法の第57条には、「“全国人民代表大会”(以下「全人代」)は、最高国家権力機関である」と規定されている。また、第85条には、「“国務院”、すなわち“中央人民政府”は、最高国家権力機関の執行機関であり、最高国家行政機関である」と規定されている。これを日本に当てはめれば、全人代は国会に、国務院は内閣に、それぞれ相当する。
但し、日本が国家権力を立法(国会)、行政(内閣)、司法(最高裁)の3権に分け、相互に抑制し合って均衡を取る「三権分立」制度を採用しているのに対して、“議行合一”制度を採用している中国は、行政機関(国務院)と司法機関(“最高人民法院”)が立法権を持つ全人代に従属しており、全人代の法的地位は国務院と最高人民法院より高い。
3月5日に開幕した第13期全人代第1回会議は、16日間の会期で3月20日に閉幕する予定である。全人代を構成するのは選挙を経て選出された、日本の国会議員に相当する“全国人民代表大会代表”(以下「全人大代表」)であり、第13期全人大代表は2980人となっている。全人大代表の任期は5年であり、第13期全人大代表の任期は2018年3月から2023年3月までの5年間である。
中国で最初の全人代、すなわち第1期全人代(1954~1959年)の全人大代表は1226人であったが、その構成は、中国共産党員:668人(54.5%)、民主党派及び無党派人士:558人(45.5%)であった。中国共産党員の比率はその後、期を経る毎に増大を続け、現在開催中の第13期全人代の構成は、中国共産党員:2119人(71.1%)、民主党派及び無党派人士:861人(28.9%)となっている。<注1>
<注1>中国は中国共産党による一党独裁体制だが、中国共産党に協力する政党としての位置付けで8つの民主党派が存在を許されている。
一級行政区(省・自治区・直轄市)が選出する全人大代表は、各省・自治区・直轄市の人民代表大会で間接選挙により選出されることになっている。また、これ以外に特別行政区である香港、澳門(マカオ)の中国国民、台湾省出身の中国在住者、“中国人民解放軍”の将兵からもそれぞれ全人大代表が選出される。
2人のスタッフに支えられながら…
さて、第12期全人代(2013~2018年)の全人大代表は2987人であったが、最年少は1992年12月生まれで、当時19歳の“陳若琳(しんじゃくりん)”であった。陳若琳は水泳の飛び込み競技の選手で、2007年に14歳で参加した世界選手権メルボルン大会の女子シンクロ高飛び込みで金メダル、10メートル高飛込みで銀メダルを獲得して世界に名を馳せ、2008年の北京オリンピックでは2つの金メダル(女子高飛び込みおよびシンクロ高飛び込み)を獲得した人物である。この事実から判断すると、全人大代表に年齢制限はないものと思われる。一方、この時、最年長の全人大代表は、当時83歳であった女性の“申紀蘭(しんきらん)”であった。
それから5年後の2018年3月5日に開幕した第13期全人代(2018~2023年)の全人大代表2980人の中で最年少が何歳なのかを示す資料は現在のところ見当たらないが、最年長が誰かは分かっている。それは、今年89歳となった申紀蘭なのである。彼女は89歳という高齢にもかかわらず、またしても第13期全人代の全人大代表に選出されたのである。
中国メディアは、「今年、申紀蘭は2人のスタッフに支えられながら、全人代に参加するために会場のある北京市へ到着した」と報じた。それでは、申紀蘭とはどのような人物なのか。
唯一の「全13期連続」
申紀蘭は1929年に山西省の東南部に位置する“長治市”の管轄下にある“平順県”の“西溝郷西溝村”で生まれた。現在は“長治市人民代表大会(日本の市議会に相当)”の常務委員会副主任であり、“中国共産党西溝村総支部”の副書記でもある。彼女の学歴は“初小(小学校1~3年生)”程度で、当初は読み書きがまともにできなかったが、今では不自由はないという。彼女は、1954年に中国で最初に招集された第1期全人代から今回の第13期全人代まで、通算13期連続で全人大代表に選出されている中国で唯一の人物なのである。13期連続ということは、1期が5年であるから第12期全人代までで通算60年、第13期全人代第1回会議が招集された今年が全人大代表としての61年目ということになる。このため、人々は皮肉を込めて彼女を「全人代の“活化石(活きた化石)”」と呼んでいる。
記録によれば、申紀蘭は、中国共産党の初代指導者である“毛沢東”と接見したことがあり、毛沢東を補佐して一貫して“政務院”総理、国務院総理を務めた“周恩来”の家に行ったことがあり、文化大革命の後に改革開放を行って中国経済を躍進させた“鄧小平”と記念撮影をしたことがあるという。また、1989年6月4日の天安門事件の後に党総書記になり政権を握った“江沢民”は彼女を“鳳毛麟角(鳳凰の羽や麒麟の角のように極めて得難い人物)”と呼んだし、江沢民の後継者となった“胡錦濤”は彼女を“申大姐(申姉さん)”と敬称で呼んだ。2009年には、当時は国家副主席だった“習近平”が彼女と会うために“西溝村”を訪れた。
申紀蘭は今後5年間を全人大代表として全人代へ参加することになるから、元気ならば、彼女は通算65年間にわたって全人大代表を務めることになる。1952年に西溝村の“農業合作社”で副社長を務めていた申紀蘭は、1953年に24歳で中国共産党員になり、1954年9月に山西省の農民代表として全人大代表に選出された。全人大代表に選出されたことを知った申紀蘭は信じようとしなかったという。全人代に参加するために北京市へ向けて出発する時、西溝村は彼女のためにロバを手配してくれたが、山道は坂が急で、石ころが多く、初めて故郷を出る彼女はロバに乗るのを嫌がったという。
それはともかく、25歳の申紀蘭は荷物を背負い、ロバに乗って故郷の西溝村を出発して治長市に到り、治長市からバスで“晋中市”の管轄下にある“太谷県”まで行き、太谷県から列車で山西省の省都“太原市”へ、さらに太原市で列車を乗り継いで北京市へ到着した。こうして数日かけて北京市に到着した申紀蘭は、北京市内の“東四”に所在する小さな旅館に宿泊したが、そこを取材で訪れた人民日報の記者に「毛沢東主席にお会いすることができるだろうか」と聞いたという。最終的にその夢は叶い、毛沢東主席が彼女と接見してくれたし、当時“政務院”総理であった習恩来には他の女性代表たちと共に食事のもてなしを受けたのだった。
毎晩、丸印を書く練習
1954年の第1期全人代第1回会議に出席した申紀蘭は、中国人民の救いの星である毛沢東を国家主席に選出するために、投票用紙上に印刷された毛沢東の名前の下に丸印を書き込むべく、毎晩宿舎で丸印を書く練習をしていたのだという。そんな申紀蘭が、2010年3月に開催された第11期全人代第3回会議の期間中に、メディアのインタビューを受けて発した一言が世間の注目を集めたのだった。それは、「代表になることは、すなわち党に従うことであり、私は今まで1度も反対票を投じたことがない」という言葉だった。この言葉に呆れ果てたネットユーザーは、申紀蘭に対して「“従不投反対票的人大代表(今まで1度も反対表を投じたことのない全人大代表)”」というあだ名を冠した。
中国では全人代の全人大代表は“橡皮図章(ラバースタンプ)”であると言われるが、申紀蘭は「今まで1度も反対票を投じたことが無い」と述べて、自らそれを証明したのであった。申紀蘭は第1期全人代の全人大代表になってから第12期までの60年間に、全人代で審議された議案の採決で、全てに賛成票を投じたというのである。しかし、何も考えずに中国共産党の意向に従って賛成票を投じるというのなら、“挙手機器(挙手する機械)”と同じであり、そんな人物を全人大代表に当選させるべきでないというのは至極まっとうな考えと言える。
2012年3月に開催された第11期全人代第5回会議の期間中に、著名な経済学者である“貴州大学”教授の“楊紹政”は、全⼈代常務委員会に宛てた申紀蘭に関する公開書簡を発表したが、そこには下記の内容が書かれていた。
1954年に申紀蘭は中国大陸の4億人を代表していた。2012年に彼女は中国大陸の13億人を代表している。申紀蘭が誇りとすることは、彼女自身が今まで1度も反対票を投じたことがないことであり、今回の全人代でも彼女が反対票を投じることはないだろう。これはすなわち、彼女は毛沢東が発動した“大躍進”政策(1958~61年)に賛成し、大躍進政策の糾弾にも賛成した。また、彼女は同じく毛沢東が発動した“文化大革命”(1966~1976年)に賛成し、文化大革命反対に賛成した。“劉少奇”、“鄧小平”、“華国鋒”などの指導者が、政権を把握・失脚するにかかわらず、美名に輝く・悪名に染まるにかかわらず、毛沢東の評価が上下するにかかわらず、申紀蘭は反対することなく賛成票を投じて来た。
楊紹政はメディアの質問に答えて、次のように述べた。すなわち、政治能力が無く、個人的見解も無い、こうした人は中国には多数存在するが、全人大代表はその職務を十分に履行しなければならない。但し、申紀蘭はこうした資格も無ければ、全人大代表が果たすべき責任を履行する能力も無く、彼女ができるのは同意して挙手し、賛成票を投じることだけである。一体誰が彼女を全人大代表に選出したのか。
運命の巡り合わせで…
2013年1月31日、“山西省人民代表大会”(日本の県議会に相当)が70人の全人大代表を選挙で選出したことが報じられたが、その中には1954年の第1期以来連続して全人大代表に選出されている申紀蘭が含まれていた。これに怒った“中国共産主義青年団山西省委員会(略称:山西共青団)”は、公式の“微博(マイクロブログ)”に以下のように書き込んで、申紀蘭が全人大代表に選出されたことを批判した。この書き込みは間もなく削除されたが、ネットユーザーの間ではその内容を巡って熱い議論が戦わされたのだった。
山西省の申紀蘭は12期連続で全人大代表になった。これは人民代表大会制度に対する公開の冒瀆(ぼうとく)である。貴女(=申紀蘭)は全人大代表として“反右派闘争”<注2>に賛成し、文化大革命にも賛成し、どんな時にも賛成したが、貴女は一度として“人民(人々)”を代表したことはなかった。貴女が「人民の代表」であるならば、私は選挙権を持つ“公民(市民)”として尋ねるが、貴女はどのようにして選ばれたのか、貴方は誰を代表しているのか。
<注2>反右派闘争は1957年に毛沢東が発動した反体制狩りで、中国共産党に対して異論を持つ知識人などが一掃された。この結果、中国共産党の独裁と毛沢東の権力が強化された。
2013年3月に第12期全人代第1回会議が近づくと、“化石級代表(化石レベルの代表)”と呼ばれる申紀蘭の全人大代表という資格について議論が巻き起こった。これに対して、人民日報のタブロイド紙「環球時報」は2013年3月5日付で「申紀蘭を攻撃することは政治文化建設に無益である」と題する特別記事を掲載した。同記事の要点は下記の通り。
【1】最近、12期連続の全人大代表で83歳という高齢の申紀蘭が、ネットユーザーによる嘲笑や人身攻撃を受け、ネット上でホットな話題となっている。この種の攻撃の背後には感情のほとばしりがあり、人民代表大会制度に泥を塗るようなたくらみが見え隠れするが、それは中国の政治文化建設にとって有害無益である。
【2】申紀蘭は運命の巡り合わせで政治にかかわるようになったものであり、特殊な年代であることから“庁局級(局長級)”の幹部である。申紀蘭を全人大代表にすべきでないと言う人がいるようだが、全人大代表は選出されたものであり、申紀蘭が人々の信任を得ていて、全人大代表としての職責を履行できるなら、全人大代表に選ばれる資格があることになる。
上記の記事は多くの人々から批判を受けたが、ポータルサイトの“新浪(sina.com)”のマイクロブログ「新浪評論」が寄せられた当該記事に対する9000件近い意見を取りまとめた結果、大多数の人々が「投票などしたことがない」と表明したのだという。
一家全員が高官で大金持ち
第13期全人代第1回会議が開幕する3日前の3月2日付の「人民日報」は、「申紀蘭:人民代表は人民を代表しなければならない」と題する西溝村に申紀蘭を訪ねた記事を掲載した。こうした記事は主人公を美辞麗句で飾りたてるのが通例だが、この記事もご多分に漏れず、申紀蘭を英雄に祭り上げている。表題となった言葉は、彼女が何度も全人代に参加するために西溝村と北京市を往復している間に体得したもので、「人民代表は人民を代表しなければならず、もし自分を代表するようになったら、それは人民代表ではない」から採ったものだった。
ところが、2014年4月にネットユーザーの“葉梅村”が彼の“博客(ブログ)”で暴露したところによれば、自分は農民代表だと言っている申紀蘭は、一家全員が高官で大金持ちだというのである。申紀蘭はかつて山西省の“婦女聯合会(婦人連合会)”主任であり、夫はかつて“城市建設局(都市建設局)”局長、2人の息子はそれぞれ“交通局”と“糧食局(食糧局)”の局長である。また、申紀蘭は、登録資本金5000万元(約8.5億円)の不動産会社を経営しており、2008年は売上が6億元(約102億円)、利益が7000万元(約11.9億円)であった。2008年5月12日に発生した“汶川大地震(四川大地震)”の時に、申紀蘭は一生かけて蓄えたという1万元(約17万円)を寄付し、翌2009年に中国政府から道徳模範に選出されたが、実のところ、彼女にとって1万元ははした金であったのだという。
葉梅村がブログで暴露したことが事実かどうかは分からない。但し、“一人得道, 鶏犬昇天(1人が出世して権勢を得れば、その一族郎党までそのお蔭を被る)”という中国の伝統から言って、申紀蘭が全人大代表として期を重ねて権力を持つにつれて、彼女の夫、息子など一家全員、さらには親戚も相応の地位を得たことは想像に難くない。彼女が不動産会社を設立して、事前に把握した開発計画に沿って土地を廉価で購入すれば、多大な利益を得ることも十分考えられることである。
申紀蘭は、西溝村、平順県、そして長治市にとっての功労者であり、長治空港、長治・邯鄲間の高速道路、長治・北京間の直通列車(1日1便)などは、申紀蘭が関係筋に働きかけた結果として実現したものであり、最近では長治市・平順県間を結ぶ道路も完成させたという。こうした空港や道路の建設が申紀蘭をどれだけ富ませたのかは分からないが、彼女が地域代表として地元に貢献したことは間違いのない事実である。
第13期全人代第1回会議で国家主席任期の上限撤廃などを含む憲法修正草案の表決は会期7日目の3月11日午後に行われたが、その結果は有効投票数2964票(出席者2964人、欠席者16人)に対して、賛成:2958票、反対:2票、棄権:3票、無効:1票であった。この事実から見えてくるのは、申紀蘭に限らず、ほぼ全ての全人大代表が「代表として党に従い」、党が提出するいかなる議案にも賛成票を投じる構図だった。これなら申紀蘭が何期全人大代表に選出されようとも、大勢に影響がないことは明らかである。全人大代表が“橡皮図章(ラバースタンプ)”でなくならない限り、中国に民主的な政体が根付くことはない。
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