『「中国の夢」実現に成果を上げるパンダ外交 世界中の動物園に貸与されているパンダは67頭』(7/14日経ビジネスオンライン 北村豊)について

習近平の後継候補の一人だった重慶市長の孫政才が身柄拘束されたとの日経報道です。7/15産経では代わりの市長となる陳敏爾が秋の19回共産党大会で政治局員入りは確実と見られ、ただ孫政才の異動先がないとの報道でした。

http://www.sankei.com/world/news/170715/wor1707150037-n1.html

現役の政治局員の摘発は異例といえば異例でしょう。習の権力基盤強化の一環でしょうが、いつ寝首を掻かれるか分からない状態では安心して仕事もできず、面従腹背の茶坊主を増やすだけでは。或は習が暗殺される可能性もあるでしょう。

7/17日経朝刊習氏後継候補を拘束 前重慶市トップ 規律違反で 

【重慶=多部田俊輔】中国共産党の中央規律検査委員会が重慶市トップだった孫政才・前同市党委員会書記の身柄を拘束して規律違反で調査していることが16日、明らかになった。孫氏は2012年に49歳の若さで党指導部を構成する政治局員に選ばれ、習近平国家主席の後継候補の一人とされた。最高指導部が入れ替わる今秋の党大会に向け、習氏は党内を引き締めて権力基盤を固める。

中国全人代の全体会議に臨む習近平国家主席(手前)と孫政才氏=3月、北京の人民大会堂(共同)

複数の関係者によると孫氏は14日、北京で開かれた全国金融工作会議の1日目の討議が終わった後に身柄を拘束された。重慶市は内陸部の重要地域で、共産党は翌15日、後任の同市党委書記に習氏側近の陳敏爾・貴州省党委書記を充てる人事を発表していた。

中国で最高指導者の有力候補が規律違反で調査されるのは異例。孫氏は広東省トップの胡春華・同省党委書記と陳氏とともに、習氏に続く世代の指導者候補として注目された。もともと農業の専門家で、農業相などを経て12年に重慶のトップとなり、2ケタの経済成長を実現してきた。

規律委の孫氏に対する調査の具体的な内容は明らかになっていないが、4月から調査が本格化した元重慶市幹部の規律違反の疑いに関連しているもようだ。

習政権、初の現役指導部摘発 党大会前引き締め狙う 

【重慶=多部田俊輔】中国共産党の中央規律検査委員会が調査に着手した前重慶市トップ、孫政才・前同市党委員会書記は党指導部を構成する政治局員の一人だ。習近平政権が25人しかいない現役政治局員の摘発に踏み切るのは初めて。最高指導部のメンバーが大幅に入れ替わる秋の党大会を控え、習氏は党内の引き締めと自身の求心力を高めることを狙う。

中国全人代の全体会議に臨む習近平国家主席(手前)と孫政才氏=3月、北京の人民大会堂(共同)

調査内容は明らかになっていないが、4月に規律違反の疑いで調査が本格化した何挺・元重慶市副市長兼公安局長と関連しているもようだ。2012年に失脚した薄熙来・元重慶市党委書記らが残した腐敗構造の一部を温存したことに対する取り調べとの見方もある。

「大虎もハエもたたく」。習氏は党総書記就任直後の13年1月に表明したが、政治局常務委員だった周永康氏ら大物の摘発は現役引退後だった。現役の政治局員の摘発は大きな決断だ。

孫氏は北京市幹部時代に同市トップだった賈慶林氏や首相だった温家宝氏に抜てきされ、農業相となったのが出世のきっかけだ。習氏とは近くなく、江沢民・元国家主席らの「上海閥」や胡錦濤・前国家主席ら共産主義青年団出身者のグループとも一線を画すとされてきた。背後に最高指導者級の大物がいないことで摘発対象になりやすかった可能性がある。

将来の指導者候補とされた孫氏を巡り、雲行きが怪しくなったのは今年2月。薄氏らの悪い影響を払拭できていないと規律委が批判した。

共産党は5年に1度の今秋の党大会を控え、権力闘争が激しさを増すばかり。不正蓄財などの疑いをかけられ米国に逃亡した実業家、郭文貴氏が習氏の盟友である王岐山・規律委書記の不正蓄財にかかわる発言を繰り返し、習氏は引き締めを迫られていた。

後任の重慶市トップとなった陳敏爾氏は15日夜に早速、孫氏が提唱した都市開発計画や演説内容を記した野外の宣伝板を入れ替えるように命じる通知を出した。

孫氏が指導者候補レースから脱落するのは必至だ。香港メディアなどは孫氏の妻の不正蓄財の問題などを取り上げて「重大な規律違反」の疑いと報道。党籍剥奪など厳しい処分も予想される。一方、規律違反の疑いは軽く、処分までは至らないとの見方も残っている。

一時は習氏のライバルと目された薄氏が失脚した12年は前回の党大会が開かれた年だ。今秋の党大会を控え、有力幹部の摘発が孫氏で終わらない可能性もある。>(以上)

7/17日経朝刊<米、鉄鋼で対中圧力も 「100日計画」合意内容公表へ 

【北京=原田逸策、ワシントン=永沢毅】米国と中国による経済協力案件を並べる「100日計画」が16日、策定の期限を迎えた。両国は19日には包括経済対話を初めて開き、100日計画の合意内容を公表する。北朝鮮の核・ミサイル問題で米中関係はきしみ始めており、対話も米国が鉄鋼の過剰生産などで中国に圧力をかけ、中国がかわす展開になりそうだ。米中関係は経済も視界不良になりつつある。

会談するトランプ米大統領(左手前)と中国の習近平国家主席(右手前)(8日、ドイツ・ハンブルク)=AP

トランプ米大統領と中国の習近平国家主席は4月の首脳会談で100日計画の策定に合意。会談から100日目の今月16日前後が期限となった。

米中は5月、100日計画のうち先行して合意した内容を公表した。柱は中国がBSE(牛海綿状脳症)問題で止めた米国産牛肉の輸入を再開し、米国は中国が主導する広域経済圏構想「一帯一路」に協力すること。「合意は『米中が貿易戦争を始める』との見方も変えた」(中国商務省幹部)とみられた。

当時の米中関係は良好。中国の協力で北朝鮮問題が進展すれば、貿易不均衡など経済問題は大目にみるというのがトランプ米政権の方針だったからだ。その方針の期限は100日計画と同じだったとされ、米側は「中国は時間があまりないと理解している」(ソーントン米国務次官補代行)と中国による北朝鮮への影響力行使を期待した。

だが、北朝鮮は大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射成功を誇示し、米本土が核攻撃の対象になる懸念が生じた。それにもかかわらず、中国はあくまで対話による解決を主張し、原油禁輸など強力な制裁に慎重。「彼には北朝鮮問題で支援を求めてきた。恐らくもっとできる」。トランプ氏は13日、習氏への不満を隠さなかった。つかの間の「米中蜜月」は終わり、今回の経済対話で「米国は厳しい姿勢を示すことになる」(米中外交筋)。

対話の焦点は中国による鉄鋼の過剰生産。5月の合意では「双方が努力する」と具体的な内容の詰めを先送りした。中国製鋼材の対米輸出は16年に120万トン弱とピーク時の3分の1まで減ったが、米国は「第三国を経由して米国に流れ込んでいる」とみる。トランプ氏は関税上げと販売量制限による鉄鋼輸入制限を検討中だが、中国は反発しそうで対話でも激しいやり取りが予想される。

中国は目標を上回るペースで過剰な鉄鋼生産能力を減らしたと説明する見通し。だが、どこの高炉を閉じたか詳しい情報を明かさないため「休止していた高炉を廃棄しただけではないか」との疑念が消えない。中国のアルミニウムの過剰生産も論点になりそうだ。

今回の対話は100日計画を決めるとともに、後継の「1年計画」をつくることでも一致するとみられる。中国側にすれば1年間の時間稼ぎができることを意味し、秋の共産党大会前に米国から構造改革や市場開放を厳しく迫られるリスクが減る。100日計画も中国側が提案したとされ、「計画策定中」を盾に米国の要求をかわす中国側の狙いが透けてみえる。>(以上)

7/16佐藤和夫氏facebook<国際情勢の行方と題し、宮崎正弘君が千田会で講演。

トランプ大統領は北朝鮮と一戦交える覚悟があるのかと思いきや、アメリカの兵士の犠牲を考え踏み切れず。

中国も北朝鮮の締付が果たせず、中国を当てに出来ず、ロシアとの連携を探り出した。

その指南役がキッシンジャー、アメリカは核実験の凍結で手を結ぶ可能性がある。

日本の脅威は残ったままで安保体制もおかしくなる。

中国は沖縄だけでなく北海道にも手を出してきており、自衛隊のクーデターでもなければ日本は救いようがない所まできていると。>(以上)

トランプも学習効果を上げないと。中国人の基本的価値観は「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」と言うものです。中国の北への対応を見ていたら分かるでしょう。ここで100日から1年計画への延長を認めれば、中北へ時間の利益を与えるだけです。制裁関税なんて中途半端は止めて、北と取引のある銀行総てに金融制裁をかけたほうがWTOの問題にもならず、効果はもっと大きいでしょう。中国経済のバブルは崩壊し、軍にも予算が回らず、東シナ海・南シナ海の暴挙も防ぐことができます。マテイス長官が言ってるように、軍事力行使は金融制裁の後です。日本についてはこれだけ左翼メデイアに騙され、倒閣運動に乗せられる国民が多いのを見ますと確かに絶望的になります。ただ、自衛隊のクーデターを期待しても三島の時に決起できなかったのに、今はもっと難しくなっていると思います。慢性自殺と言うかゆでガエル状態でしょう。メデイアの言うことを簡単に信じる人達に言いたい。「“use your noodle”,もっと自分の頭を使え。脳の皺があるのか」と。片や人権無視の民主主義国家でない中共が日本侵略の牙を研いでいるというのに。

パンダ外交でドイツの例が挙がっていますが、戦前から中独の結びつきは強く第二次大戦前の第二次上海事件で日本軍が手古摺ったのは独軍事顧問団の存在とトーチカのせいと言われています。

韓国紙「中央日報」の「則天武后から天武天皇へパンダ贈呈?」の記事は相変わらずでっち上げが好きとしか思えません。唐の時代の地図ではチベット(地図上の吐蕃)は別の国になっているでしょう。

パンダだけでなくチベットは中国や東南アジアへの水源地です。チベットを独立させないと東南アジアの国々は中国の言うことを聞かざるを得なくなります。フィリピンは水の問題が無いのですからドウテルテ大統領は国内で見せる強い顔を中国にも見せてほしいものです。

藤井厳喜著『最強兵器としての地政学 あなたも国際政治を予測できる!』P.164~165

記事

習近平主席は7月5日、ベルリン動物園のパンダ館開館式典にメルケル首相と共に出席した(写真:ロイター/アフロ)

6月24日の午後3時30分、ドイツの首都ベルリンにある「ブランデンブルグ空港」のカーゴセンターに1機のルフトハンザ・カーゴの貨物専用機が到着した。同機は中国の四川省“成都市”から12時間かけて飛来したもので、その貨物室から慎重に運び出されたコンテナの中には檻に入れられた2頭のパンダがいた。それは、4歳の雌パンダ“夢夢(モンモン)”と7歳の雄パンダ“嬌慶(チャオチン)”の2頭で、彼らは中国・ドイツの友好の証として、成都市に所在する“大熊猫繁育研究基地(パンダン繁殖育成研究基地)”から送られたものだった。

モンモンとチャオチン、年100万ドルでベルリンへ

この日、空港には中国駐ドイツ大使の“史明徳”とベルリン市長のミヒャエル・ミューラーをはじめとする百人以上のドイツ官僚やメディア記者が2頭のパンダを出迎えた。空港での歓迎式の中で、史明徳は、「今年は中国・ドイツの両国にとって国交樹立45周年に当たり、パンダが友好の使者としてドイツ国民にかわいがってもらえることを希望する」と述べた。また、ミューラー市長は、パンダ来訪に尽力したドイツ・中国双方の関係機関並びに関係者に感謝を表明すると同時に、2頭のパンダがベルリンに新たな魅力を増すでしょうと述べた。

ドイツではベルリン動物園にいた雄パンダのパオパオ(宝宝)が2012年8月22日に死亡してから5年以上にわたってパンダの不在が続き、ドイツ国民は新たなパンダの来訪を心待ちにしていた。このため、ベルリン動物園は中国側と協議を続け、ベルリン動物園が園内に1000万ユーロ(約13億円)を費やして敷地面積5500m2の広さを持つパンダ館を建設すること、パンダ2頭を研究目的で15年間借り受ける代償として中国側へ毎年100万米ドル(約1.14億円)の野生動物保護資金を支払うことで合意した。その合意に基づき、中国から送られて来た2頭のパンダがモンモンとチャオチンであった。

7月7~8日にドイツのハンブルグで開催された20カ国・地域首脳会議(G20サミット)への参加を主目的として、7月4日に最初の訪問国ロシアからドイツ入りした中国国家主席の“習近平”は、7月5日にベルリンを訪問し、同日にベルリン動物園で開催されたパンダ館の開館式典にドイツのメルケル首相と共に出席した。式典で習近平は「2頭のパンダは中国・ドイツ両国の距離をさらに縮める友好大使の役目を果たしてくれるだろう」と述べ、メルケルは「ドイツと中国の交流の中でパンダは両国民の友好を深める重要な役目を果たして来た。モンモンとチャオチンは両国の友好がさらに発展する証である」と述べた。

ところで、6月12日、上野動物園では雄パンダのリーリー(力力<中国名:比力>)と雌パンダのシンシン(真真<中国名:仙女>)の間に雌の赤ちゃんが誕生した。リーリーとシンシンは、2011年2月に来日し、シンシンは2012年7月5日に第1子となる雄の赤ちゃんを出産したが、赤ちゃんは肺炎のため生後6日目の7月11日に死亡した。このため、5年ぶりの赤ちゃんパンダ誕生は上野動物園にとって正に待望の出来事であった。

1972年から続く日中パンダ外交

1972年9月29日に北京市で日本の田中角栄首相と中国の周恩来総理が共同声明に署名したことにより日本と中国の両国は国交を回復したが、これを「日中国交正常化」と言う。その国交正常化からわずか1カ月後の10月28日に日中国交正常化記念行事の一環として中国から贈られたのが2頭のパンダ、雌のランラン(蘭蘭)と雄のカンカン(康康)だった。ランランは1979年9月に死亡したため、1980年1月にホァンホァン(歓歓)が新たな花嫁として来日したが、カンカンは1980年6月に死亡した。ホァンホァンは1982年11月に来日したフェイフェイ(飛飛)との間に雄のチュチュ(初初)、雌のトントン(童童)、雄のユウユウ(悠悠)と3頭の子供をもうけた。

1985年6月に生まれた第1子のチュチュは生後48時間で死亡、第2子のトントン(1986年6月生まれ)は2000年7月に14歳1カ月で死亡、第3子のユウユウ(1988年6月生まれ)は1992年11月に雄のリンリンと交換で北京動物園へ移送された。1992年11月に来日したリンリンは2008年4月に死亡した。なお、2003年12月から2005年9月まではメキシコ生まれのシュアンシュアン(双双)が上野動物園に滞在し、リンリンとの交配を試みたが失敗した。

2008年4月にリンリンが死亡したことにより、上野動物園にはパンダが不在となったため、日本国内に後継パンダを要望する声が高まった。同年5月6日に来日した中国国家主席の“胡錦濤”は6日夜に行われた福田首相主催の非公式夕食会で、来日土産としてパンダ2頭を貸与する旨を表明して日中友好の証とした。これを踏まえて、2010年7月に北京市で、上野動物園を管轄する東京都と“中国野生動物保護協会”は東京都が2頭のパンダ(“比力”と“仙女”)を10年間にわたり、年間95万米ドルで借り受ける協議書に調印した。しかし、この直後の2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域で日本の巡視船から退去命令を受けた違法操業の中国漁船が逃走時に巡視船2隻と故意に衝突しては破損させる事件が発生した。海上保安庁は漁船の船長を公務執行妨害で逮捕して取り調べのために石垣島へ連行し、同漁船で船員を石垣港へ回航して事情聴取を行った。

この「尖閣諸島中国漁船衝突事件」では、時の民主党政権は2010年9月13日に漁船を解放して船員を帰国させたが、22日に中国の温家宝総理から中国人船長の即時・無条件解放の要求を受けた。温家宝の釈放要求に加え、中国政府による種々の報復措置を受けた民主党政権は腰砕けとなり、9月25日に船長を処分保留で釈放し、中国手配のチャーター機で石垣島から中国福建省へ送還した。こうして事件は早期に決着したため、当初は延期が危ぶまれたパンダ2頭の来日は予定通り進み、2011年2月21日に比力と仙女は来日した。同年3月9日、上野動物園は2頭の日本名がリーリーとシンシンであると公表した。中国政府が2頭のパンダを予定通り来日させた背景には、中国漁船衝突事件で悪化した日本国民の対中感情の改善を意図したものであった。

「絶滅危惧種」から「危急種」へ

中国固有の動物である“大熊猫(ジャイアントパンダ、略称:パンダ)”は、中国の“国宝”と呼ばれている。これは生息数が非常に少ないからで、「国際自然保護連合(IUCN)」が2016年9月に発表したところによれば、野生のパンダは1864頭で、これに子供を加えた総数は2060頭という。中国政府の“国家林業局”が1985~1988年に行った調査では、野生パンダの総数は1114頭であったというから、過去30年間に生息数は大幅に増大したことになる。このため、IUCNはパンダに対するレッドリストのレベルを従来の「絶滅危惧種《EN(Endangered)》」から「危急種《VU(Vulnerable)》」に引き下げた。

レッドリストのレベルがENからVUに引き下げられたとはいえ、パンダは依然として希少動物であり、その白と黒の愛嬌ある外観から世界中の人々から愛されている人気者である。このため、上述したように、中国政府はパンダを外国政府との友好促進のための外交手段として活用しており、これを世界は中国政府の「パンダ外交」と呼んでいる。

中国政府のパンダ外交は歴史的に見て以下の3段階に分けることができる。

【第1段階】1949年~1971年(合計8頭)  中国の同盟国であったソビエト連邦(1頭)および北朝鮮(6頭)へ友好の証として贈られた。また、1958年にはオーストリアの動物商経由で1頭がロンドン動物園は販売された。

【第2段階】1972年~1983年(合計16頭)  1972年2月、ニクソン米国大統領が訪中した際に中国政府が雌のリンリン(玲玲)と雄のシンシン(興興)の2頭を土産として贈呈したのを皮切りに、日本:4頭(ランラン、カンカン、ホァンホァン、フェイフェイ)、フランス:2頭、英国:2頭、メキシコ:2頭、スペイン:2頭、西ドイツ:2頭がそれぞれ友好の証として贈呈された。

【第3段階】1984年~現在まで  1984年にパンダがIUCNのレッドリストで「絶滅危惧種」に指定され、ワシントン条約で最高ランクの「付属書Ⅰ(今すでに絶滅する危険性がある生き物)」に格上げされたことにより、「商業のための輸出入は禁止され、 学術的な研究のための輸出入などは、輸出国と輸入国の政府が発行する許可書が必要」となった。このため、学術研究を名目としてパンダを外国に貸与し、その見返りとして相手国から中国の野生動物保護資金の供与を受ける形式を採ることになった。

アドベンチャーワールドは11頭を返還

2017年6月末時点で中国から世界各国(含香港およびマカオ)の動物園に研究目的で貸与されているパンダの合計は67頭であると思われるが、その明細は下表の通り。

中国から貸与されているパンダの国別分布

(出所)パンダ研究所「パンダのいる動物園」から筆者作成

なお、貸与期間中に生まれたパンダの子供は、原則として誕生から2年以内に中国へ返還する取り決めになっている。このため、上表の(子供)に内数として記された子供の数は常に変動する。総数である67頭から子供の19頭を差し引くと、世界中の動物園にいる大人のパンダは48頭になる。

ところで、中国国内で何か大きな問題が起こると、中国政府は国民の目から当該問題をそらそうと、反日を煽ることがしばしばある。それにもかかわらず、その日本がパンダの貸与数では米国の13頭に次ぐ9頭で第2位というのは意外に感じられる。日本の動物園でパンダがいるのは、上野動物園のほかに神戸市立王子動物園(雌1頭)と和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド(雄1頭、雌1頭、子供の雌3頭)がある。特に、アドベンチャーワールドは2017年6月に3頭の子供パンダ(6歳、6歳、4歳)を中国へ返還しており、2004年から2017年6月までに中国へ返還した子供の数は合計で11頭にも上っている。6月12日に上野動物園でパンダの子供が生まれたとメディアは大々的に報じたが、アドベンチャーワールドは長年にわたって積み上げた研究成果を踏まえて、多数の子供を誕生させているのである。

話は中国のパンダ外交に戻る。2017年4月、フィンランドを公式訪問した習近平はニーニスト大統領との会見した際、パンダ2頭(雌・雄各1頭)をフィンランド中部のアフタリ動物園に15年間貸与することで合意に達した。また、翌5月に、デンマークのラスムセン首相が訪中した際、中国政府はコペンハーゲン動物園に2頭のパンダ(雌のマオスンと雄のホーシン)を15年間貸与することを表明した。これは中国の北極圏開発参入を認めることとの交換条件であると言われている。なお、フィンランド向けの2頭は2017年末、オランダ向けの2頭は2018年末に、それぞれ新築されるパンダ館の竣工後に両国へ移送される。

これ以外に中国政府はインドネシア政府との間で、2016年8月にパンダの保護協力に関する合意覚書に調印しており、同年9月にタマン・サファリ動物園内に完成したパンダ館に貸与されるパンダ2頭(雌・雄各1頭)を受け入れる予定だったが、2頭のパンダは未だに中国から送られていない。インドネシアはパンダ貸与の代わりにコモドドラゴンを中国へ贈呈する予定となっている。

則天武后から天武天皇へ?

3月4日付の韓国紙「中央日報」は、中国のパンダ外交は685年に唐朝の則天武后が日本の天皇へ雌雄1対のパンダを送ったのを起源とすると報じ、上述した3段階のパンダ外交を簡潔に説明した記事を掲載した。中国で唯一の女帝である則天武后(中国名:“武則天”、624~705年)が日本の天武天皇にパンダを贈呈した件については、2008年5月16日付の本リポート『「パンダ貸与」の意味するもの』を参照願いたいが、今から1300年以上前の685年にパンダが日本を懐柔する手段として日本の天皇に贈られていたと考えれば、そこにはロマンが感じられる。

この話を中国で報じた記事によれば、「紀元685年10月22日の巳の刻(午前10時)頃、長安宮廷の護衛兵と2人の調教師が2つの赤い絹と花で飾った大きな獣の檻を持って快速の車に乗り、東へ向かって疾走した。一行は揚州(現在の江蘇省揚州市)から船に乗り、日本の遣隋使に随行して海を越えて日本に到着した」とあり、この記事の出所は「日本の“皇家年鑑(皇室年鑑)”」だという。「皇室年鑑」などという書物は存在しないし、竹がなければ生きて行けないパンダをいつ日本に着くか分からない船旅で運ぶなどということは物理的に不可能で、はっきり言って荒唐無稽な話と言って良いと思う。

パンダが希少動物として珍重されて外交手段に活用されるようになったのは、中華民国総統“蒋介石”の夫人であった“宋美齢”が、第二次世界大戦中に米国が行った難民救済に感謝して、1941年に米国へ雌雄1対のパンダを贈呈したことに始まるという。今では、世界中の人々が愛するパンダは、「中華民族の偉大な復興」という中国共産党の政治理念を基礎に、2012年11月に中国の最高指導者(党総書記)となった習近平が打ち出した“中国夢(中国の夢)”の実現に必要不可欠な外交の手札となっている。そして、好むと好まざるとにかかわらず、それは大きな成果を上げているのである。

良ければ下にあります

を応援クリックよろしくお願いします。