12/16日経ビジネスオンライン 福島香織『盗みは人のためならず 中国庶民的泥棒「予防心得」十箇条』について

一昨日のNHKの7時のニュースで明年1月の台湾総統選についての報道があり、直近の世論調査によれば台湾人意識を持つ人は6割、中国人と思う人は3%という事でした。残りの人についての言及がなかったので、「中国人&台湾人」、「中国人でも台湾人でもない」「分からない」という選択肢があったのかどうか?でも純粋に中国人と思っている人が3%とすると、馬総統のように中国に擦り寄る政策は採れないでしょう。国民党の衰退の始まりです。もし、後々国民党が政権をとったら台湾も米国同様、総統弾劾制度を活用すれば良いと思います。

しかしNHKを始めとする日本のメデイアは狂っています。南三陸町病院の再建で台湾が総工費の4割近くを寄付して下さったのに何も触れないとは。多数の日本国民は知らないでしょうね。

Sumio Yamagiwa Taiwan's donation

日経夕刊に宮本雄二元中国大使の記事が載っていますが、彼は福島氏のような実態を知らず、綺麗ごとだけ書いているとしか思えません。読者をミスリードするのでは。エリートと言われる人間の弱さでしょう。一番大きく騙されているタイプです。12/15記事を下記に記しますので、福島氏の記事と比べて見て下さい。騙される方が馬鹿の典型と思えます。「中国の友人が崇拝してやまない西郷隆盛の言葉も「敬天愛人」である。」と書いて中国人の多数がそうと思わせる刷り込みをしている気がします。勿論友人という限定詞ではありますが。ただ友人と言えば相手もそれなりのエリートでしょう。中国で上へ行くには血脈と人脈と詐術が必要です。その友人はこの記事を読んでほくそ笑んでいるかもしれません。

「性善説と性悪説 元駐中国大使 宮本雄二

小林陽太郎氏が亡くなられた。氏の人となりにかねがね敬意をいだいていた私は、その評伝に付された「『性善説』の経営者」というサブタイトルに納得した。人に対する信頼と期待を持ち続けた方だと感じていたからだ。最近、岡崎嘉平太氏のことを少し学ぶ機会があった。氏の言説には、公平なまなざしと相手に対する深い思いやりを感じた。その評伝のサブタイトルも「信はたていと 愛はよこ糸」であった。中国の友人が崇拝してやまない西郷隆盛の言葉も「敬天愛人」である。やはり人に対する慈しみに貫かれている性善説の世界なのだ。人間社会の現実は、醜くて汚い。しかし、それにもかかわらず人に対する信頼を持ち続けた、こういう先達たちの存在は、一服の清涼剤であり、希望を与えてくれる。

 だが性悪説が古くから多くの人たちに支持されてきたのも事実である。確かに人間はそういう側面を持つ。だから会計法規や安全保障の考え方は、人は悪いことをするという前提に立ち、それを予防するというものになる。ところが、人間に対する悲観的な見方ばかりが跋扈(ばっこ)したのでは、人類の未来は暗い。人間の悪い面を抑えこむことには成功するかもしれないが、良い面を引き出すことはできないからだ。つまり楽観的な未来を思い描くことは不可能となり、進歩への憧憬も消えてしまう。これでは困る。

 考えて見ればこの世に絶対的な悪人も絶対的な善人も普通はいない。一人の人間が両面を持ち合わせている。結局、人間社会をどう見るかの問題となる。先達にとり性善説かどうかは、つまるところ自分の生きざまの問題だったのではないだろうか。私自身迷いながら、そう思う、昨今である。」

何時も言ってますように、中国人の基本的価値観は「騙す方が賢く、騙される人が賢い」というのを福島氏の記事は裏付けます。愚かな日本人は人種差別とか言って騒ぎますが、実態を見ないで判断することこそ危険です。自分の目で確かめもせず、理念だけで偉そうに他人を批判する資格はありません。少なくとも今の時代、大手メデイアだけでなくネットで玉石混交ですがいろんな情報が取れますので。福島氏と宮本氏の記事を比較して読めばどちらが真実に近いかは一目瞭然でしょう。

記事

師走、北京に来てみると、ずいぶん治安が悪くなっていた。私の周辺で、かっぱらいやコソ泥に遭った人が続出している。昔から中国は小偸(コソ泥)が多かったが、それでも首都の北京は比較的安心して夜道を歩くことができた。だが、最近は北京も安心ではない、という。経済状況が9月ごろから肌身に感じるように悪化し、年末が近くなったからだ。

「歩きiPhone」「地下鉄X線検査」は要注意

 毎年、年末や春節前になると泥棒、強盗、空き巣、かっぱらいは増えるのだが、今年は本当に景気が悪いものだから、特に増えているとも聞く。iPhone6を耳に当てながら歩くなど、もってのほか。車道を走る車の窓から手を伸ばして、iPhoneをひったくられた、という知人もいた。

 あと気を付けるべきは、地下鉄のX線検査だという。北京市の地下鉄では、テロ予防を理由に、地下鉄での持ち物検査が厳しい。またPM2.5がひどいので、自動車のナンバープレート制限や高速道路封鎖などの影響もあって、地下鉄が混雑しやすい。X線検査のベルトコンベヤーに荷物を置いて、出口に回って取り上げようとすると、荷物が出てこない。後ろに並んでいた男がその荷物をかっさらって、混雑に紛れて逃げてしまっていた、といった被害に遭った人もいた。

 ちなみに、泥棒被害は、警察もあまり相手にしない。例えばかっぱらいに遭って、地元の派出所の警察官に、「カバンの中に1万元入っていた」と被害を訴えても、たぶん取り合ってくれない。その1万元はどこから来たのか、何か証明ができるものがないと、被害届すら受け付けてくれない。それどころか、なぜおまえのような貧乏人が1万元も持っている、と逆訊問にあって、面倒なことになることもあるとか。だから、代わりに民間の”探偵”や”調査事務所”、”セキュリティ会社”のようなものに頼むのだが、こういう人たちはむしろマフィアとつるんでいたりするので、やることがなかなか暴力的であったりする。

 では、そういう中国で泥棒犯罪を予防するにはどうすればよいか。そう問われたとき、私は『盗みは人のためならず』という小説を読むといいと勧めている。赤川次郎のミステリ本のことではない。中国当代きってのユーモア小説家・劉震雲の人気小説「我叫劉躍進」(俺は劉躍進)の邦訳が最近、友人の水野衛子さんの訳で彩流社から刊行され、その邦題が『盗みは人のためならず』なのである。この本を読めば、中国人の泥棒の生態、人を騙すときの情理が分かる。今回の当欄は、ちょっと書評風となる。

劉躍進とは、主人公の名前だが、毛沢東の「大躍進」があった1950年末から60年代初めに生まれた中国人に非常にありふれた名前であり、中国庶民を代表する名前と言っていい。日本風にいえば団塊の世代か。作者の劉震雲は1958年生まれ、まさしく大躍進時代生まれのこの世代を代表する作家で、実際、親族に同じ名前の人物がいるという。

こずるいようで、どこか抜けている庶民の情理

 原作は2007年に中国で出版され瞬く間にベストセラーとなりドラマ化、映画化された。なぜ大ヒットしたかというと、この小説こそ、中国人と中国社会というものが描けていると読者が思ったからだろう。

 簡単にあらすじをいえば、中国人の典型である、こずるいようで、どこか抜けている善良な河南省出身の工事現場のコック、庶民・劉躍進がうっかり大金と大事な借用書が入ったウェストポーチを小偸・楊志に盗まれる。楊志はそのあと、甘粛省の美人局グループに騙されて、劉躍進のウェストポーチを奪われる。楊志は奪った美人局グループの行方を負うのだが、訳あって、その過程で汚職高官の賄賂受け渡しと性接待の証拠画像が入っているUSBの入ったカバンを盗んでしまう。だが逃亡途中でそれを捨て、劉躍進が偶然拾う。このUSBを高官や賄賂を贈った実業家たちが取り戻そうと、泥棒組織、民間の調査員、警察を巻き込んでドタバタ喜劇が展開される。

 登場人物たちはほぼ全員、嘘つきで、自分勝手で、浅はかで、あるいは泥棒で、あるいは汚職官僚や悪徳実業家だ。借金は踏み倒すのが普通だし、厳しい取り立てに遭えば、嘘をつくし、経費をちょろまかす。だが彼らが悪人かというとそうではない。プロの泥棒たちにとっては、泥棒は立派な職業であり、縄張りがあり、秩序がある。嘘をつくのは悪意ではなく、見栄や調子に乗ってうっかりついてしまったり、つかざるを得ない事情がある。中国の低層社会をそれなりに知っていると、これこそ普通の中国人、と思うだろう。

 日本人が「中国人は嘘つきだ」「中国人は泥棒だ」というと「ヘイト表現」と批判されるかもしれないが、中国人自身が、中国の低層社会において、嘘つきであることも、泥棒であることも、それなりの理屈があり、それなりの正当性を持つ行為であり、一種の生態であることを理解している。数千元の金のために嘘をつき、泥棒をし、時に暴力を振るう下層社会のプロ泥棒たちも庶民も、そう悪く見えないのは、巨額の賄賂をやり取りし、それをもみ消すために、交通事故を装って殺人を犯す高級官僚の世界が平行してあるからだ。だが、コックの主人公が食材費をちょろまかして小銭を貯める行為も、高級官僚がその地位を利用して行う汚職も実は同じ情理で行われていることも、この小説は描き出している。

冒頭のテーマに戻るが、中国に来て、泥棒など小さな犯罪トラブルに巻き込まれないようにするための心得事として、低層社会の中国人の生態をよく理解しておくことが重要だろう。この小説の中からいくつかくみ取ってみよう。

劉震雲作品に学ぶ中国防犯十箇条

①路上で出会う「清純そうな女性」の売春はたいてい組織的美人局(強盗)である。本当に清純な女性は売春しない。

②泥棒には出身地別の集団や縄張り、特性がある。泥棒に盗まれたものは警察に届けても返ってくる可能性はほぼゼロだが、泥棒の行方や住処などは、その地域の集団の人脈を熟知している地元の調査会社ならば、たどり着くことがある。

③借金はよほどうまく取り立てないと返してもらえない。強引に取り立てると、逆切れされることもある。だが、催促しないと決して返ってこない。

④夫婦の間でも親子の間でも騙し合いやスパイ行為、裏切り行為がある。愛や信頼は金銭によって維持される。

⑤民間の調査会社調査員の中に警官が混じっていることがある。潜入捜査は普通にある。

⑥中国では人脈が大事だが、その人脈の維持には金と暴力が必要なことも多い。

⑦物事を順序立てて説明するのが苦手な人は、激高したり、その果てに失神したりすることが割とある。

⑧泥棒でも不倫でも被害者は同情されるより馬鹿にされる。騙される方が悪い。

⑨従業員の経費などの”中抜き”は、ずるいのではなく要領がいいということであり役得である。同じ理屈で官僚になると賄賂を受け取る。

⑩どんな善良な人間も、相手にスキがあったりチャンスに恵まれると、泥棒になることもあるし、ゆすりたかりを行うこともある。そして嘘をつくことは悪いことでもなんでもない。

以上のことは私自身が北京駐在時代にいろいろ経験したことと合致している。例えば、信頼していたビジネスパートナーから、出張中に会社を奪われた実業家が、泥棒・マフィアネットワークを使って相手を見つけ出し、警察ではらちが明かないと、部下に拉致監禁暴行させて盗まれた会社を取り返そうとしたところ、相手側の政治的なバックがより強大だったため、結局、拉致監禁傷害罪で刑務所に入ったケースを取材したことがある。

 本人に言わせれば、泥棒という犯罪者は相手で、自分は冤罪逮捕起訴された善良な市民だ。だが、彼はやはり、盗まれたものを取り返すために、その解決を警察に頼らず、暴力と金に頼ったのだ。日本なら彼は立派な犯罪者だが、中国ではそんなことはありがちであり、彼こそ普通の中国人であり、彼の逮捕は”災難”だ。

「本当に悪い奴ら」はもっと「上の方」に

 小説の結末は、タイトル通り、盗みは人のためならず、己のためにやるのだが、その報いもまた自分に返ってくる。だが、盗みをやらざるを得ない庶民の事情がある。フェアな司法ではなく、金と権力を持つ者が支配する社会で庶民はなけなしの知恵と人脈を使ってこずるく生き抜こうとした結果として、嘘をついたり、泥棒をしたり、ゆすりや詐欺を働いたりする。それがなぜ悪いのか。中国では嘘つきも泥棒もむしろ善良な市民の部類に入る。本当に悪い奴らはもっと、上の方にいて、小説の結末とは違って、なかなか成敗されないのだ。

 日本人がもし、中国に旅行や仕事に来るならば、まず、中国の低層社会で嘘や泥棒はさほど悪ではなく、被害に遭う方が脇が甘いと馬鹿にされるのだということは知っておくべきだろう。かばんの蓋をあけて財布やスマートフォンが見える状況で電車やバスに乗らないとか、見知らぬ美人が親し気に話しかけてきたら警戒するとか、そういう基本的な点は当然押さえてほしい。で、もし親しいと思っていた中国人に騙されたり嘘をつかれたら、中国社会のいびつさを思い描いて、なるほどこんな社会で生き抜くには、少々人も悪くなければ難しいだろう、と考えることだ。世界で、性善説で人と付き合うのは日本人ぐらいなのだ。

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