習近平のパナマ文書流出が権力闘争を激化させるとすれば、敵対勢力(含む人民)に対して弾圧は益々激しくなるという事です。雷洋事件を受けて「依法治国」を打ち出したとのことですが、中国で歴史上法に則って政治が行われた試しがありません。「法三章」が良いと言われた時代もありました。為政者の思いのままの政治ができるためです。
「依法治国」を言うなら、国際法も遵守せよと言いたい。国際的に責任ある立場を貫くのであれば、フィリピンの国際仲裁裁判所に提訴した南シナ海の領有権問題の判決にも従わねば論理が一貫しないでしょう。でも中国政府は判決には従わないと明言しているのですから。
公安の拷問たるや凄まじいものがあります。逮捕されれば、強烈な灯りで眠らせず、殴る・蹴るは当り前で、我慢できずにやってもいないことを自白させられると中国駐在時代聞きました。雷洋も便衣(私服警官)の捜索をスマホで撮ったからと言って撲殺されるのではたまったものではありません。南京虐殺も便衣兵を処分しただけとの話もあります。中国伝統の誤魔化し文化です。会社の現地スタッフも反日デモが起きたとき時、国家安全部のヒアリングを受けました。恐怖政治そのものです。基本的に人権を守る考えがないからです。エクスキュ-ズは後から何とでもでっち上げられると思っています。立派な法律はあっても運用で全部骨抜きになります。何せ「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」という国柄です。
邦人中国駐在員は帰国を勧めます。小生の駐在時代も全体主義国家の底知れぬ不気味さを感じていましたが、当時はまだ貧しく、日本の資金と技術を欲していましたのでまだ安全でした。韜光養晦の時代でしたから。習近平の時代になり、有所作為に変わりました。中国人に独特の中華思想(自己中、傲慢、横柄)に裏打ちされて、力の行使を躊躇わなくなりました。日本も中国包囲網を作ろうとしているので、ぶつかることは必定です。日本の経営者も我が身のことと思って駐在者を帰国させ、撤退に向けて動いた方が良いでしょう。
日経記事
修士号を持つ新進気鋭の環境研究家である“雷洋”が不慮の死を遂げたのは5月7日の夜だった。享年29歳。彼は中国の重点大学の一つで、北京市にある“中国人民大学”で環境学の修士を取得した後、“中国循環経済協会”に就職して活躍、中国環境保護分野の若き俊才と将来を嘱望されていた。5月7日は雷洋とその妻の“呉文萃”にとって3回目の結婚記念日であった。その日は23時30分着の飛行機で故郷の湖南省“常徳市澧(れい)県”から親類が生後2週間の娘を見に来る予定で、雷洋は彼らを出迎えるため21時前に北京市“昌平区”にある自宅を出発して北京首都国際空港へ向かった。これを境に雷洋が妻と生後間もない娘と生きてまみえることはなかった。
若き研究者が死亡した「雷洋事件」とは
23時30分に北京首都国際空港へ到着した親類は、到着出口で迎えに来ているはずの雷洋を捜したが、いくら待っても雷洋は現れなかった。親類は電話で呉文萃に雷洋が迎えに来ていない旨を伝えてからタクシーで雷洋の家へ向かったが、雷洋が空港で親類を出迎えなかったと聞いた家族は不安になった。雷洋の身に何かあったのではないか。雷洋のスマホ(iPhone)に電話をかけたが応答がない。家族は必死に電話をかけ続けた。ようやく電話がつながったと思ったら、電話口にでたのは警官で、雷洋に事故が起こったので急いで“北京市公安局昌平分局”傘下の“東小口派出所”へ来るよう要求したのだった。家族が東小口派出所へ駆けつけると、そこで告げられたのは雷洋が死亡したという事実だった。
警官によれば、雷洋は自宅近くの“足療店(足裏マッサージ店)”で買春した容疑で逮捕され、激しく抵抗した上に、連行途中に車から飛び降り、再度捕捉された後に体の変調を来して心臓病で死亡したとのことだった。その後、警官に付き添われて雷洋が収容された“昌平区中西医結合医院”の遺体安置所で家族が対面した雷洋の遺体には頭部と腕に明らかなうっ血がみられた。家族が見ることができたのは仰向けに横たわる遺体の上半身だけで、布に覆われた下半身を見ることは許されなかった。対面が許された時間はわずか5~6分で、写真撮影も禁止され、所定の時間が過ぎると家族は早々に5~6人の“便衣(私服警官)”によって遺体安置所から追い出された。
この通称「雷洋事件」の詳細は、5月20日付の本リポート「若き研究者は偽りの買春逮捕の末に殺されたのか」を参照願いたい。
さて、2014年10月20~23日に北京で開催された「中国共産党第18期中央委員会第4回全体会議(略称:中共第18期4中全会)」は、中央委員会で初めて「法治」が会議の主題となった。当該会議では、総書記の“習近平”が“中央政治局”の委託を受けて行った業務報告の内容を討議した上で、中央政治局が提出した議案、『“依法治国(法に照らして国を治める)”の全面的推進に関するいくつかの重要問題の決定』が審議を経て採択された。同決定の主旨は、「“依法治国”を全面的に推進し、中国特色社会主義の法治体系を建設し、社会主義法治国家を建設することを最終目標とする」であった。習近平にとって、「社会主義」という制約付きながら“依法治国”の全面的推進による法治国家の建設は至上命題なのである。
習近平の「法治」推進と検死と公表延期
雷洋事件がメディアによって報じられると、中国国民はそこに違和感を覚え、世論は激しく反発した。それは、3回目の結婚記念日の当日に、修士号を持つ若手のインテリで2週間前に父親となったばかりの人物が、空港へ親類を迎えに行く直前に、自宅付近の足裏マッサージ店で買春を行うなどということが有り得ようかというものだった。雷洋の死因に疑問を持った家族は、“北京市人民検察院”(以下「北京市検察院」)に対して第三者による検死を要求し、北京市検察院がこれを認めたことから、北京市公安局の法医検査鑑定センターで5月13日の14時から14日早朝2時までの12時間にわたり、北京市検察院と法医学専門家の立ち合いの下で第三者による検死が行われた。
5月13日に検死が開始される直前には、北京市検察院の同意を得て雷洋の家族が遺体に最後の別れを告げた。家族の人数が多いので、家族は2グループに分かれて雷洋の遺体に別れを告げた。家族の委託を受けて検死に立ち合う専門家は、“中国人民公安大学”教授の“張恵芹”だったが、告別を終えた雷洋の両親は張恵芹の足元にひざまずいて涙を流した。張恵芹は「私を信じて」と述べ、心に自己の良心と法医の良心に恥じないことを決意したという。なお、雷洋の遺体に別れを告げた家族がメディアの記者に語ったのは、遺体には全身に無数の傷跡があり、睾丸は大きく腫れ上がり、右手の皮がむけ、太腿には青あざと血痕が見られ、明らかに外部から強力な打撃を受けて死に至ったものと判断したということだった。
検死結果は20日後の6月3日頃に公表される予定だったが、6月4日が1989年に発生した“6・4事件(天安門事件)”の28回目の記念日であることから、天安門事件そのものを隠蔽している中国共産党と中国政府は社会に波風を立てないように、検死結果の公表を遅らせている。
さて、雷洋の妻である呉文萃は、雷洋の遺体をつぶさに見たことで、雷洋が警官の暴行を受けたことにより死亡したと確信した。このまま泣き寝入りすることはできない。大事な夫を殺しておきながら、雷洋が心臓発作で死亡したなどと嘘を言って口を拭う警官を許してはおかない。買春したと濡れ衣を着せられた夫の無念を晴らし、名誉を挽回しなければならない。呉文萃は冤罪で殺された夫のために戦おうと決意を固めた。
妻が警官を告発、立件調査へ
5月16日、呉文萃は北京市検察院に対して雷洋を買春容疑で逮捕した北京市公安局昌平分局の警官を故意による傷害致死罪、職権乱用罪および証拠ねつ造幇助罪で告発し、翌17日に呉文萃の委託を受けた弁護士の“陳有西”が正式な訴状を北京市検察院へ提出した。5月19日、北京市検察院は呉文萃の訴状を受け取り、すでに管轄下の“昌平区検察院”へ当該事件を移牒し、捜査して処理するように命じたと公表した。これに呼応する形で、北京市公安局は決して身内を擁護することはしない旨を公表したのだった。
5月20日、中国共産党中央委員会“全面深化改革領導小組(改革の全面的深化指導グループ)”の第24回会議が開催された。会議では『公安部門による法執行の規範化を推進することに関する意見』などの一連の制度関連文書が承認されたが、会議を主宰した習近平は次のように発言した。すなわち、公安部門の法執行の規範化を推進し、公安部門の法執行権力の運用制度を完全なものとすることに着目し、法執行の質を保障し、法執行の信頼性を常に高めねばならない。法執行を厳格に監督し、法執行の突出した問題を解決することにより、1件毎の法執行活動、1件毎の事件処理の中で人々に公平な正義を感じさせねばならない。
中国共産党の文書は格式ばって難しい表現を取るので1回読んだだけでは理解できないことが多いが、習近平の発言を要約すれば、「公安部門の法執行を厳格化して、取り締まりや事件処理に際しては、人々に社会の公平な正義を感じさせるようにしなければならない」というもので、習近平が標榜する“依法治国”の推進を後押しする内容であった。習近平がこの発言を行った背景に、5月7日に発生した雷洋事件の存在があったことは想像に難くない。
上述した北京市公安局ならびに習近平の態度表明は雷洋事件の展開に大きく作用した。北京市検察院の指示を受けて雷洋事件の調査を行っていた“北京市昌平区人民検察院”は初歩的調査を5月末までに完了し、雷洋事件が立件調査の条件に合致することと確認した。
この結果を受けた北京市検察院は同事件を“北京市人民検察院第四分院”(以下「北京市検察第四分院」)に送致し立件調査を行わせることを決定した。6月1日、北京市検察第四分院は法に基づき事件の当事者である警官の“邢某某”など5人に対して立件調査を行うことを決定した。
ところで、雷洋事件は北京市昌平区で発生しており、本来なら同事件を担当するのは北京市昌平区人民検察院(以下「昌平区検察院」)であるはずだが、これに代わって北京市検察第四分院が担当することになったのはなぜか。北京市検察院には分院が4カ所あり、第一、第二、第三の各分院はそれぞれ管轄区域を持ち、昌平区を管轄するのは第一分院である。一方、第四分院は管轄区域を持たず、区域をまたいだ重大事件およびその関連事件を管轄する。要するに、第四分院に雷洋事件を担当させた背景には立件調査の中立性を考慮したものと判断できる。雷洋事件を規定通りに昌平区を管轄する第一分院に担当させれば、業務上で密接な関係にある北京市公安局昌平分局との間に癒着が疑われかねないからである。
おとり捜査をスマホで撮影、警官と気づかず揉めた末
それでは、立件調査を行うことが決定した邢某某など5人とは具体的に誰なのか。それは5月7日に事件の現場となった昌平区霍営で雷洋を買春容疑で逮捕した北京市昌平分局東小口派出所副所長の“邢永瑞”を筆頭とする“便衣(私服警官)”5人である。彼らはどのようにして雷洋を死に至らしめたのか。第三者による検死結果と第四分院による調査結果はいずれも未だ公表されていないが、6月2日にネットの掲示板には下記の書き込みがなされた。
(1)昌平区検察院の友人が漏らしたところによれば、雷洋事件は全て解明されたが、天安門事件の記念日である6月4日の前後は敏感な時期であることに鑑み、解明結果を公表するのには相応しくない。東小口派出所の副所長など5人の容疑者はすでに拘束されており、6月4日以降の適当な時期に逮捕されることになろう。これは対外的に公表され、5人には刑罰が下されることになるが、その量刑はそれほど重いものにはならない。
(2)雷洋は足裏マッサージ店を通り過ぎる時に、警察が同店に照準を合わせた“釣魚執法(おとり捜査)”を行っているのを目撃した。興味を抱いた雷洋は軽い気持ちでその状況をスマホで密かに撮影したが、それを私服警官に見つかった。私服警官は雷洋にスマホから当該写真を削除するよう要求したが、相手が私服であったことから警官とは思わなかった雷洋はそれを拒否した。拒否されたことで激高した私服警官は雷洋を逮捕しようとしたが、雷洋が反抗したので激しい暴行を加え、遂には雷洋を死に至らしめた。買春容疑うんぬんは後から私服警官がこじつけた茶番劇である。
北京市公安局昌平分局が5月9日と11日に発表した雷洋事件の経緯によれば、雷洋は自宅付近の足裏マッサージ店で買春を行った後に、警官による職務質問を受けて逃亡、反抗の末に逮捕されたが、取り調べのために連行される途中で体の不調を示し、搬送された医院で緊急の応急手当を受けたが死亡したことになっていた。ところが、現場周辺の監視カメラの映像から判明した雷洋の足跡から考えると、雷洋がいわゆる「本番」に費やした時間はわずか9分でしかなく、全く辻褄が合わなかった。しかし、上述のように雷洋が警察のおとり捜査を行っているのをスマホで密かに撮影し、その写真の削除を巡って男たち(私服警官)と争いになったということなら辻褄が合う。恐らく、これが事件の真相であると考えてよいだろう。
第二、第三の雷洋を出さないために
たとえ雷洋が本当に買春したとしても、買春は治安事件であって刑事事件ではなく、雷洋は刑事犯罪の容疑者ではない。刑法の規定によれば、公安・検察・司法の職員が犯罪容疑者に対して拷問により自白を強要して死に至らしめた場合は、たとえそれが過失致死であっても、故意殺人罪を適用して重罪に処することになっている。これから公表される検死結果が故意傷害を明確に示せば、本事件の容疑者たちは故意傷害罪で立件されねばならないし、故意傷害によって死に至らしめた故意傷害致死罪の最高刑は死刑である。また、警官という職権を濫用したことが明白となれば、最高刑は7年である。
雷洋事件の第三者による検死結果および第四分局の調査結果が公表されない限り、拘束された邢永瑞以下5人の私服警官の処遇がどうなるかは分からない。死人に口なしを良いことにして、死亡した雷洋に買春の汚名を着せ、自分たちの殺人行為を隠蔽しようとする悪徳警官を罰しない限り、人々が社会の公平な正義を感じることは有り得ない。中国の人々はこの雷洋事件が“依法治国”を推進する契機となり、中国を法治国家にする一里塚となることを期待している。そうならない限り、第二、第三の雷洋が出現する可能性は高いし、明日は我が身かもしれないのである。
産経記事
習近平政権にとってパナマ文書流出は船底で水中爆弾が爆発したようなものだ…
パナマ文書が明るみに出たことで、習近平国家主席の党内影響力低下がささやかれる。後ろは李克強首相=2016年3月、北京の人民大会堂(ロイター)
パナマ文書によれば、トウ氏は2004年に英国領バージン諸島に会社を設立、07年にいったんとじたが、09年、同島にまた2つの会社を設立した。習氏が中国の最高指導者に就任した2012年ごろから、この2つの会社は実質休眠状態に入った。トウ氏がこの会社をどう利用したかは不明だが、節税だけではなく、巨額資産の隠蔽のためだった可能性が大きいといわれる。トウ氏夫妻はこれまで、株売買などで3億ドル以上を稼いだことがあったと米メディアに報じられたことがあった。
習氏のほか、最高指導部で宣伝担当の序列5位の劉雲山・政治局常務委員の義理の娘と、序列7位の張高麗・筆頭副首相の義理の息子の名前もあがった。李鵬元首相、曾慶紅元国家副主席ら6人の引退した指導者の親族もパナマ文書に登場した。
共産党関係者が注目しているのは、疑惑が浮上した指導者たちはみな、習主席か、江沢民元国家主席に近い幹部たちだ。習氏の現在の最大のライバルである胡錦濤前主席と李克強首相が率いる共産主義青年団(共青団派)のメンバーはだれもいない。習派と対抗する李派にとって極めて有利な状況だ。
習指導部がこれまで約3年間、「トラもハエも同時に叩く」と宣言して、全国で反腐敗キャンペーンを展開し、汚職官僚との名目で「周永康」「郭伯雄」「徐才厚」ら多くの大物政治家を失脚させたが、政敵排除にすぎないという声も多かった。今回のパナマ文書のなかに、汚職問題で失脚した元指導者らの関係者の名前がなく、取り締まる側の習氏らの親族が不正蓄財疑惑に名前が浮上するという皮肉な状況だ。
共産党幹部は「党内に習氏の求心力が弱まることは避けられない。反腐敗キャンペーンも継続できなくなる可能性がある」と指摘した。
パナマ文書が明るみに出たことで、党内の派閥バランスへの影響が早速出たようだ。国営新華社通信は4月15日、李首相が3月28日に開かれた国務院会議で、腐敗撲滅に関する内部談話の全文を発表した。内容はいつもの主張を繰り返すもので、新しい中味はないが、発表されない予定の談話がこのタイミングで公になったことは大きな意義があるといわれている。「反腐敗問題の主導権は習主席から李首相に移りつつある」と証言する党関係者もいた。
「党内の習氏に対する不満を持つ幹部は多くおり、今夏は大きな山場を迎える」とみる党幹部もいる。習近平政権の2期目メンバーが決まる党大会は2017年秋に予定されているが、16年夏に開かれる現役、元指導者が集まる重要会議である北戴河会議はその前哨戦といわれる。
4月はじめの最高指導部会議で、「一致団結してパナマ文書がもたらした危機を乗り越えよう」という方針がきまったものの、反習派はこれを権力闘争の材料に使わない理由はない。
李首相と周辺は、党長老と連携して北戴河会議で習氏らに対しパナマ文書への釈明を求め、主導権を一気に奪おうと窺っているようだ。習派の対応によっては、共産党内権力闘争が一気に重大局面を迎える可能性もある。
(産経新聞北京総局特派員 矢板明夫)
ZAKZAK記事
政府は今月9日未明、中国、ロシア軍艦艇が相次いで、尖閣諸島周辺の接続水域に入った、と発表した。 中国軍艦が侵入してきたことは、日本に対する重大な軍事的挑発であるに違いないが、ロシア軍艦が同時に侵入した真相は不明だ。中露両国が事前に示し合わせた計画的行動である可能性もあれば、この海域を通過するロシア艦隊に中国軍が便乗して行動を取ったのかもしれない。いずれにしても、中国が意図的に、ロシア軍の動きと連動して日本への挑発的行為に乗り出したことは事実だ。 日本とともに尖閣防備にあたるべきなのは同盟国の米国である。中国の戦略的意図は明らかに、軍事大国のロシアを巻き込んで「中露共闘」の形を作り上げ、日米両国を威嚇して、その同盟関係に揺さぶりをかけることにあろう。 中国はなぜ、日米同盟に対してこのような敵対行為に出たのか。その背後にあるのは、先月下旬の伊勢志摩サミット前後における日米の一連の外交行動である。 5月23日、オバマ米大統領はサミット参加の前にまずベトナムを訪問し、ベトナムに対する武器禁輸の全面解除を発表した。 中国からすれば、南シナ海で激しく対立している相手のベトナムに、米国が最新鋭武器をもって武装させることは、中国の南シナ海制覇戦略に大きな打撃となろう。 そして、伊勢志摩サミットの首脳宣言は名指しこそ避けているものの、南シナ海での中国の一方的な行動に対する厳しい批判となった。 これに対し、中国政府は猛反発してサミット議長国の日本だけを名指して批判した。つまり中国からすれば、サミットを「反中」へと誘導した「主犯」は、まさにこの日本なのである。
6月に入ると、外交戦の舞台はシンガポールで開催のアジア安全保障会議に移った。そこで、米国のカーター国防長官は先頭に立って中国を名指しして厳しく批判し、大半の国々はそれに同調した。今まで南シナ海問題でより中立な立場であったフランスまでがEU諸国に呼びかけて、南シナ海で米国と同様の「航行の自由作戦」を展開する意向を示した。 中国の孤立感と焦燥感はよりいっそう深まった。 そして、今月7日に閉幕した「米中戦略・経済対話」で、南シナ海をめぐる米中の話し合いは、完全にケンカ別れとなり、米中の対立はより決定的なものとなった。 その直後に、中国は直ちに前述の威嚇行動に打って出た。追い詰められた中国は、ロシアの「虎の威」を借りて日米主導の中国包囲網に対する徹底抗戦の意思を示したのであろう。 その前に、中国はもう一つの布石を打った。今月1日、習近平国家主席は訪中した北朝鮮の李洙●(スヨン)労働党副委員長との会談に応じたが、立場の格差からすれば北朝鮮に対する異例の厚遇であった。つまり習主席は日米牽制(けんせい)のために、北朝鮮の核保有を容認したまま、金正恩政権との関係改善に乗り出した。 このように、日米主導の中国包囲網に対抗して、習近平政権は今、世界秩序の破壊者同士であるロシアや北朝鮮を抱き込んで対決の道を突き進んでいる。 ある意味ではそれは、1950年代初頭の冷戦時代の「毛沢東外交」への先祖返りである。ソ連や北朝鮮などの社会主義国家と連携して「米国帝国主義打倒」を叫びながら西側文明社会と対抗した毛沢東の亡霊が現在に蘇(よみがえ)った感がある。 人や国が窮地に追い込まれたとき、先祖返り的な退行に走ることは往々にしてあるが、もちろんそれは、窮地打開の現実策にはまったくならない。南シナ海への覇権主義的野望を完全に放棄することこそ、中国が外交的苦境から脱出する唯一の道ではないのか。
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