『西洋の物差しで中国を測るから見誤る 京都府立大学文学部歴史学科・岡本隆司教授を迎えて(1)』(12/19日経ビジネスオンライン 山田泰司)、『「自分が上に行きたい」中国人との付き合い方 京都府立大学文学部歴史学科・岡本隆司教授を迎えて(2)』(12/20日経ビジネスオンライン 山田泰司)、『中国に「属国」と言われたら日本はどうすべきか 京都府立大学文学部歴史学科・岡本隆司教授を迎えて(3)』(12/21日経ビジネスオンライン 山田泰司)について

12/23 facebook ‎城管视频‎ ― 記錄中國 投稿

维稳队伍辅警也在维权 估计只是贪得无厌 ?

民間警察隊はおとなしく権利を主張 狙いは貪り尽すことだけ?

https://www.facebook.com/Jtarptihecas.4.0/videos/1197872233704870/

12/22中国禁聞網<扶老人遭巨额索赔 男子走投无路自杀证清白=老人を助けたら巨額賠償の目に遭う 男性は川に身投げして潔白を証明>老人が転んだのを見たバイクの主が病院まで運んだところ、病院から3000元を請求されて払った。「善意でしたことが仇になった。今回のことは教訓としよう。以後老人は助けない」と述べた。数日後、老人の息子二人から20万元払えとの要求が。交通警察からも電話があり、彼を調べると。彼は農民工で年収は1万元程。自分の身の証をするため、川に投身自殺した。

https://www.bannedbook.org/bnews/cbnews/20181222/1051308.html

12/23阿波羅新聞網<加外长:加拿大遵守与美国签订的引渡条约=Chrystia Freelandカナダ外相:カナダは米国と結んだ引渡条約を守る>12/21(金)外相は「法治国家は自由社会の基礎であり、カナダは国際法を尊重する。その中には米国との引渡条約も含まれる。孟晩舟事案は公平、公正で透明な法手続きによって進められ、政治化はしない。中国は拘束している元カナダ人外交官に弁護士との接見もさせず、夜は消灯させずにいる。早く解放すべき」と要求した。

https://www.aboluowang.com/2018/1223/1221799.html

12/22希望之声<中共抓捕200多名加拿大人 加拿大将驱逐2000多名中国人=中共は200人以上のカナダ人を逮捕 カナダは2000人以上の在カナダ中国人を追放するだろう>華為副会長兼CFOの孟晩舟がカナダで逮捕されてから、10日内に中共は3名のカナダ人、元外交官マイケル・コヴリグ氏、実業家のマイケル・スペイヴァー氏とサラ・マクルバー氏とを拉致した。中共の報復活動は加中関係を依然として緊張させている。カナダ外務省広報官のリチャード・ウオーカーは「およそ200名のカナダ人が中共に拘留されている。カナダは今後2000名以上の中国人不法移民を追放するだろう」と表明した。

https://www.soundofhope.org/gb/2018/12/22/n2502778.html

日本もカナダ同様、中国人・朝鮮半島人の不法移民を追放すべきです。入管法改悪・孔子学院放置等、今の政権は国防上の危機感が全然感じられません。この国民あってこの政権なのでしょうけど。

12/23日経<ナバロ米大統領補佐官 米中協議「合意は険しい」 中国産業政策の全面転換迫る

【ワシントン=菅野幹雄】トランプ米政権のピーター・ナバロ大統領補佐官(通商担当)は日本経済新聞の取材に対し、中国との貿易や構造改革を巡る協議で設けた90日の期限内の合意は「険しい」と述べ、安易な妥協をしない決意を強調した。国家主導でハイテクを育成する中国の産業政策には「構造的な変化が不可欠だ」と、全面的な転換を迫る姿勢を示した。(関連記事総合2面に)

ナバロ氏

20日、ホワイトハウス内でインタビューに応じた。ナバロ氏は大統領に助言する立場から通商分野を中心に政策決定への影響力があり、政権きっての対中強硬派。米中協議の設置で合意した1日のアルゼンチンでの米中首脳会談にも同席した。

米国は中国製品に対する制裁関税の引き上げを2019年3月1日まで猶予した。米中が中国の改革策で合意できなければ米国は2千億ドル(約22兆円)分の関税を10%から25%に上げる。

ナバロ氏は協議の状況について「ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表と(中国副首相の)劉鶴氏による水面下の交渉を忍耐強く見てほしい」と指摘。その上で米中合意が「いかに険しいかを政権の大勢が認識している」と明言した。

理由として「中国は約束を破ってきた長い歴史がある」と語った。01年に加盟した世界貿易機関(WTO)のルールや、15年に中国が表明した南シナ海の軍事化や知的財産の侵害を否定する約束が破られた点を挙げた。

ナバロ氏は技術移転の強要や知財侵害、サイバー攻撃やスパイ活動、補助金による産業保護など中国の53項目の不公正慣行を挙げ「ほぼ全てがWTO違反だ」と明言した。

米中協議の成功には「これら全てについて、中途半端でない明確で検証可能な対応が必要だ」と述べた。「中国経済の構造的な転換と(知財侵害を許容する)文化の転換が不可欠だ」とも表明、全面的な改革を求めた。

習近平(シー・ジンピン)国家主席のもとで中国が策定した「中国製造2025」は「将来に産業を独占するための戦略だ」と酷評した。中国は最近、この呼称を使わなくなったが「中国が目標をあきらめたと考える人は皆無だ」と、強い不信感をにじませた。中国が抜本的転換を確約しない限り協議で妥協すべきでないという、政権の強硬派の姿勢を映している。>(以上)

孟晩舟のカナダから米国への引き渡し、ナバロの発言から見て来年の3月1日には予定通り、中国から米国に入って来る製品・サービス全部に高関税が賦課されると予想しています。ナバロ以外の対中強硬派も今まで中国は如何に約束を破り、恬として恥じない厚顔無恥な民族か思い知っています。今更中国が約束しても守らないと心底思っています。朱鎔基がWTO加盟時に約束したことはハナから守る気がなかったのですから。何時も言っていますように中国人の基本的価値観は「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」というものです。

山田氏の記事では、日本人は自分と同じと思わずに外国人を見るべきだと言うのに賛成しますが、別に日本は孤立している訳でもないし、日本と中国の捉え方が小生と両氏では違うのかと感じました。感想を列挙します。

①空海が『三教指帰』を著し、仏教・儒教・道教を比較した上で、仏教が一番優れていると述べています。小生もそうだと思います。現実的な中国人に、哲学を求めてもという事です。ゼロを発見したインド人でなければ思惟できなかったのでは。

②明治維新後、日本は高い金を払って、外国人を雇い技術を教わり、またパテント料も相手企業にキチンと払ってやってきました。盗み取る中国とはやり方が違うという視点が欠落しています。

③共産党の非人間性には触れていません。歴史家であれば、大躍進や文革の悲惨さにも触れるべきでは。今のウイグル人の強制収用も漢人と同じと思っているようでは捉え方が間違っています。中国的価値観だからと言って許されるべき話しではないでしょう。

④中国・韓国人が日本を舐めるようになったのは、日本が何をされても主張して来なかったからです。鷹揚に構えていたわけでなく、日本のエリート層が保身に走った為です。それでも、80年代の中国・韓国とは友好的にやって来たと思われるので、日本は変わらず、相手が変わった(舐めるようになった)のでは。日本が援助して両国経済を大きくしたせいもあります。岡本・山田氏の認識は違うのでは。

⑤沖縄について「属国」という表現が西洋と中国では意味するところが違うとありましたが、それを分かったうえでも、西洋流の定義で行くべき。中国は都合が悪くなれば発言を引っ繰り返すし、利用できるものは何でも利用しようとしますから。岡本氏は石井望先生の言説も調べた方が良いのでは。

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日本は嫌でも中国と付き合っていかなくてはならない。その割には、あまりに中国のことを日本人は知らないのでは、と常日頃思っている。中国のことを知らないから中国の一挙一動に踊らされる。世界各国の方がそんな日本を見れば、滑稽と感じられるかもしれない。

中国は巨大といっても、その本質が昔と変わっているわけではない。今回から3回にわたって中国の歴史学者として著名な岡本隆司・京都府立大学文学部歴史学科教授をお招きして、歴史的な背景を学んだうえでの、地に足が着いた中国との付き合い方について考察してみたい。

岡本 隆司(おかもと・たかし)氏
京都府立大学文学部教授。1965年京都市生まれ。神戸大学大学院文学研究科修士課程修了、京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。専門は近代アジア史。多言語の史料を駆使した精緻な考証で、現代の問題にもつながる新たな歴史像を解き明かす。
著書に『近代日本の中国観』(講談社選書メチエ)や『歴史で読む中国の不可解』(日経プレミアシリーズ)など。

山田:私は、30年近く中華圏で生活をしています。この間、「世界の工場」と呼ばれるようになった中国に日本の企業や人が大挙して出かけていってものづくりをしたり、近年は中国から観光客が日本に押し寄せて買い物をしまくり、その様子が「爆買い」という流行語になるほどの現象になったりと、日本人が中国の人やもの、情報に触れる機会は飛躍的に増えました。ところが、日本人の中国に対する理解や認識というのは旧態依然というか、あまり変わらないんだなというのを最近感じています。つまり、ちょっと中国が騒ぐと政府を含めて右往左往する、一喜一憂するのはそろそろやめようよ、ということなのですが。

そういった観点から、岡本先生のご著書を読むと、気付かされることがあります。つまり、中国の歴史を学ぶと、中国の行動様式は実はそれほど変わっていないのだな、ということ。そういった観点から、いつも勉強させられています。

岡本:ありがとうございます。中国は、好きでも嫌いでも関わらざるを得ない部分があります。若い人たちでも、あるいはビジネスであっても、関わらないといけない。私は文学部というところで中国の歴史に関わっているわけですが、なかなか興味を持ってもらえないというところがあります。

今、中国政府の少しの挙動に対して、日本は一喜一憂したり、すごい過剰反応をしたりして、本当に目先の現象にとらわれてしまっている。中国の根底を知る、あるいは広く知ることができてないからではないでしょうか。

私自身は、本当に歴史しかやってこなかったのですが、最近はいろいろお声掛けいただいて、時事的なことにも意見を言わせていただいています。そうすると、根本的には昔と変わってないな、と考えることが多くなりました。日本人にも長い目で見てもらって、どう変わっているのか、あるいはどう変わっていないのかと考えるような視座を持ってもらうと、もう少し腰が据わるんじゃないかなと思います。

日本の物差しでは中国は測れない

山田:岡本先生は、今年の7月に発行された『近代日本の中国観』(講談社選書メチエ)で、石橋湛山(※1)や内藤湖南(※2)などかつての日本のジャーナリストや学者たちの中国研究や中国に対する見方について紹介されています。その一人に、当時「支那通(中国通を意味する戦前・戦中の表現)」として知られた橘樸(※3)を取り上げておられます。私、東洋大学の中国哲学文学科で学んでいたのですが、実はその時の恩師である中下正治氏(故人)が1966年代に刊行された『橘樸著作集』(勁草書房)に編集委員として携わっていたのです。この著作集が1990年代に再版された際、私は香港にいたのですが、恩師が「弟子が香港にいるから、印税の一部で送ってやってくれ」と出版社にかけあってくれ、献本してもらった、ということがありました。岡本先生が参考文献でこの著作集を取り上げておられたこともあり、先生の著作をより興味深く読ませていただくようになりました。

(※1)石橋 湛山(いしばし・たんざん、1884〜1973)──戦前期に東洋経済新報社の記者、編集長、社長を務めたジャーナリスト。政治家に転身し首相に就任したものの2カ月で辞任。その後は、日本国際貿易促進協会総裁を務めるなど、中国との関係打開に尽力した。
(※2)内藤 湖南(ないとう・こなん、1866〜1934)──戦前を代表する東洋史学者。本名は虎次郎。師範学校卒業後、新聞記者となり中国問題を中心に取材。その後に京都帝国大学の教授となり京都学派を育てた。
(※3)橘 樸(たちばな・しらき、1881〜1945)──中国研究家でジャーナリスト。早稲田大学中退後に新聞、雑誌などの編集に携わる。おおよそ40年を中国で過ごし、中国の合作社運動にも関与した。

岡本先生は、『近代日本の中国観』の「むすび──日本人のまなざし」の章で、中国の政治社会を西洋や日本と同一視し、西洋を物差し(基準)として対比するのが問題であると指摘されています。少し長くなりますが、重要なところなので引用すると、

それが日本人の中国観にもたらしたのは、中国の政治・社会を西洋・日本と同一視したうえで、西洋を基準として対比する認識法である。それは、中国人「よりも中国のことをよく知っている」橘樸も、中国「のことは全く分からなかった」吉野作造(※4)も、「我国民の認識不足」を歎いた石橋湛山も、程度の差こそあれ、選ぶところはなかった。

(※4)吉野 作造(よしの・さくぞう、1878〜1933)──明治から昭和にかけての政治学者。大正デモクラシーの中心人物で、日本を民主主義・自由主義へとリードした。

なるほどと思いました。そして、翻って、いまだってまったくもって同じじゃないかと。

岡本:その通りです。

山田 泰司氏

山田:要は西洋、日本の物差しで中国のことを測るから、例えば日中首脳会談で習近平国家主席が尊大な態度を取ると、何だあれは、と感じるようになる。

岡本:そうなんです。でも、ある程度は仕方がないかなとも思うんです。

我々は普通、何かを書くときに、左から右に書きますよね。だけど昔の日本人はそうじゃなかったはずで、右から縦に書いていたはずです。要するにものの書き方だけでも西洋化されてしまっている。何か物を知るにしても、本当に西洋に囲まれて暮らしていて、西洋が西洋であることすら認識できてないという環境がそこにはある。

教育課程とかいうのも、西洋から入ってきた物です。中国をたまたま題材として学ぼうとしても、全部西洋の学問体系でやっているわけです。日本語でしゃべっていて、日本語で聞いて、分かってよかったね、とやっている。結局、西洋というベースでしか知識がゲットできなかったりとか、物が見られなかったりというのは、我々はしょうがない部分があるんです。

ただ、西洋じゃない国を見るときに、それは日本でも中国でもどこでもいいのですが、そのときにどれだけ我々が、そこが西洋じゃないんだとか、自分たちは西洋の目でしか見られないんだと自覚しているのか。それを自覚するだけでも、だいぶ違うはずなんです。

橘樸をはじめ、この書籍で紹介している人たちは、私なんかよりもよっぽど中国のことを知っている人です。そういう人たちでさえ、やっぱりいろいろなことを間違ったり、見誤ったりする。あるいは行動としておかしなことをする。人ごとではない話です。

中国の中身はそんなに変わっていない

山田:知識だけがあっても駄目だということですね。

そこでちょっとお伺いしたかったのが、最近先生はメディアに引っ張りだこで、ビジネス誌などでも執筆されている。一番の近著である『歴史で読む中国の不可解』(日経プレミアシリーズ)では前書きで、そのような先生の近況に関して、こうお書きになっている。「そのため本業の学会・研究から、余技・雑文とみなされ、あからさまに白眼視を受けることもあった」と(笑)。

まあそうだろうなとは思う一方で、いまだにそうなのかとも思います。だから、中国を見誤る問題というのは、学術界の方にもその原因があるのではないかと思うのです。歴史を研究する際にも、必ず現代にリンクして考えるとか、そんなようなことを意識する必要があるように思います。

岡本:日本の中国研究は、現代を研究する人と、それから昔のことを研究する人とが、もう全然乖離している。どんな地域研究でも、多かれ少なかれそういうことはあると思うんですが、中国研究はものすごくそれが顕著だと思います。

例えば、中国の古典は中国語ができなくても読めちゃう。漢文が分かれば。ですから、日本語だけでやれる。一方で、現代を研究している人は中国語はできるけれども、漢文が読めない。これが典型的な事例です。さすがに最近はもうそういうことがないですけれども、それこそ我々が大学に入ったころだと、「歴史を学びに来たのだから、別に現代のことはどうでもいいわ」みたいな雰囲気はありましたし、私自身そう思っていました。

ただ、これだけ中国との間で行き来があって、我々のような歴史屋も資料を探しに向こうの方に行ったりとかになると、現在の状況が無縁だとはいかなくなってはきている。かといって、現状分析とかに歴史の視点から口を出すとか、あるいは現状の人たちが歴史に対して近寄ってくれるかというと、そこの行き来は非常に少ないなと。

現状の中国研究に関しては、人がどんどん増えて来ています。一方で、歴史の方はすそ野がどんどん狭まってきて、誰もいなくなってきつつある状態です。大学の中国史研究室というと、ほとんど中国人の留学生で占められます。

山田:そうなんですか。

岡本:これは山田さんとも意気投合する部分だと思うのですが、ある程度以上の時間軸を取って見ると、中国は目まぐるしく変わっているようで、実は中身はゆっくりとしか動いてない。そうすると我々からすれば、現状の研究はどんどんやっていただいていいですが、もう少し歴史的な、昔のことを知っていただくと、いろいろ幅が広がるのではと思います。

逆に自分たちの業界で言えば、もう少し現状の人たちと積極的に交流をして、説得したりとか、あるいは間違いを正してもらったりとか、そんなことがあってもいいと思います。シンポジウムや研究会にはいくつも出ているんですけれど、やはり意識とかの点でなかなか共有できていない部分の方が多いんじゃないかなと思います。

私は、幸か不幸かいろいろなご縁があって、ビジネス誌にも書かせてもらったりしています。ただ、歴史の業界の中だけにいらっしゃる方々からすると、「お前何してんねん」みたいな感じはやっぱりありますね。

日本人は中国に興味を無くしている

山田:そうですか。でも歴史に興味を持つ日本人の学生が減っているというのは、ちょっと深刻な問題ですね。

岡本:そうですね。非常に卑近な例で言いますと、私は歴史学科に所属していますが、ここには歴史を勉強をしたい人が来て、1年に40人ぐらい採るんですね。そこで日本史と外国史の比率がだいたい3対1です。外国史を学びたい10人ぐらいの7割が西洋史です。

そうなるのも仕方がないとは思うんです。世界史の教科書を見ても、東洋と西洋の比率がその通りなので。毎年ゼロにはならないので、その辺はいいのかなとか思うんですが。

山田:私は、とにかく日本人は『水滸伝』と『三国志』が大好きな人というのが一定数必ずいるので、いまでもそういう人がたくさん集まってくるんだろうと思っていました。中国史については鉄板というか、心配ないだろうと思っていたんですけれども。

岡本:そうではなくなってきていますね。昔はおっしゃるように『三国志』に興味を持ったら歴史に来て、『水滸伝』に興味を持ったら文学に行くみたいな感じだったと思うんですけど、我々の世代までは。

山田:今の話を伺うと、日本人が中国人に親近感を持たないというのは、歴史についても興味を持つ人が減っているということも関係しているんでしょうかね。

岡本:ニワトリと卵じゃないですけど、そっちの方も大きいかなとも思います。中国の印象が悪くなる、嫌いになるから興味が持てない、興味が持てないので、歴史にも興味を持たない。どんどん知らなくなってくる。負のスパイラル的なところがあって、それこそ日中の関係が悪くなったときが、決定的なタイミングだったのかなという気がします。

一方で、2000年前後に日中関係が悪くなる前までは、中国に対して好意を持っているというような部分も結構あったように思います。日本人って、「あまりよく知らないからこそ憧れる」みたいなところがありますから。ただ、よく見えてくると幻滅する。ちょうど尖閣諸島の件などですごくぶつかり合いがあって。

山田:そうですね。

岡本:何はともあれ、昔だったら「嫌いだ」とか、とにもかくにも意思表示はした。ところが最近は、本当に「興味がない」という感じです。

山田:ただ、隣にいるんだから「興味がない」ではすまないですよね。

岡本:そうなんですよね。非常に厄介な人たちですけれども、だからといって引っ越せないですから。

中国は上下関係で物を見る

山田:でもちょっと極端な言い方をすると、コケにされっぱなしですよね。日本の場合はね。中国にも韓国にも翻弄されているというか。向こうが1枚も2枚も上手です。

岡本:わりと日本がこういうことしかできないというのを、向こうは見切ってやっているという部分もあるのだと思います。確かに日本のほうは、選択肢が少ないんですけれども。ただ山田さんがおっしゃっていたみたいに、日本は本当に一喜一憂というか右往左往という感じですね。

韓国とかを見ていると、朴槿恵政権と文在寅政権って何が違うの、みたいに感じます。国内的に右派と左派が違うだけで、基本的には日本に対してや、あるいは外に対する姿勢なんていうのは、まったく変わってない。それは中国でも、同じだという気がしています。

山田:本当にそうですね。我々は延々と見誤り続けているわけですけれども、そこで今日は、中国を見る上で、ここだけは押さえておいた方がいいんじゃないか、ということを伺いたいなと思うんです。やっぱり孔子の儒教でしょうか。

岡本:そうですね。儒教はすごく常識的な教えで、それを基盤にして中国は独自の思想、物の考え方、フレームワークをつくってきたのでは、といった感じでとらえています。ほかに表現のしようがないので、儒教的な枠組みという言い方をしているのですが、何か教義というよりは、思考法・発想法というべきでしょうか。人でも集団でも国でも、上下関係で物を見ている。

人間世界の現実としては当然で、人が違えば腕力も違うし、知能も違います。立場が違えば、上司部下の関係になりますし、歳が違えば、先輩後輩の関係になります。とにかく対等、平等はあり得ないというところから出発をして、じゃあ、その関係はどう円滑にするのかとか、破綻を来さないようにするのかということを、もともと考えたのが儒教の出発点なんだろうと思っています。

そういう物の考え方というのが、ずっと続いている。例えば、社会全体の枠の付け方とか、集団の秩序のつくり方とかいうようなものまで。そこまで規制しているというのがおそらく中国だということが、ここのところずっと勉強してきて考えているところです。

リアルな人間世界では、そういう上下関係しかないのですが、一方で平等を理想とすべきだというのが西洋的な考え方だと思うんです。平等を前面に出すか、あるいはリアルなところから出発するのかという違いが、多分東西の違いなのかなというふうに理解している感じです。

一つにはまとまれない中国

岡本:そういう上下関係で見るというのが一つ。もう一つは中国はすごく多様であるということ。我々すぐ中国は、とか言いますけど。

山田:本当は黒龍江省はとか、広東省はと言いたいですよね。

岡本:それも我々の西洋的な認識基準では、やっぱりネーションということを基盤に物を考えちゃう。中国という国があったら、ひとくくりで考えがちなんですが、そもそも当の中国人がそういう考え方をしている人たちというのが、どれだけいるのか。あいつは上海人だからとかって、よく言いますから。

ただ、知識人はやっぱり、一つにまとまりたいというのを刷り込まれている部分があると思います。「一つの中国」ですね。過度な干渉はしてくれるなということは、コンセンサスとしてあると思います。

山田:なるほど。香港がまだ返還される前のことですけれども、広東省が香港ドルを採用しようというようなことを考えていたという話がありました。すると広東省に北京から人がどんどん乗り込んできて、トップがどんどん替わったりして。要は香港と一体化しちゃって、力を持ちたいな、みたいな人がいたのです。現代でも、虎視眈々と狙っている人がいるんだなというのが、とても面白かった。

岡本:逆に言うと、それが中央の政府、要人にとっては、ものすごく怖い。だから統制を強めたり、言論を封殺したりする。ですから香港で起こっている独立派の弾圧といったことは、中国は昔から多元的なところがあったので、ああならざるを得ない。それこそ「一つの中国」というのは、すごくインパクトのある言葉ですけど、一つじゃないから、「一つの中国」というんだと。

山田:そこの部分は善し悪しじゃないんですよね。一つでまとまっていこうとするんだったら。昨日もちょっとある人とウイグルの問題について話しました。最近、どんどんウイグルの人たちと連絡が取れなくなっている。収容所があって、そこに入れられているというんですね。人権的にはもちろん許せることではないんですが、じゃあ、中国は漢民族に対して優しいのかといったら、そうではない。

岡本:そうではないですね。そんなの漢民族に言わせたら少数民族を、すごく優遇しているわけですよ。

山田:最近はテクノロジーが発達して、顔認証でコンサート会場で指名手配の犯人が何人も見つかっちゃったりする。上海とか北京だとか、漢民族の町中でもそう。チベットやウイグルとかは弾圧が目立つんだけれども、じゃあ、中央政府が漢民族に優しいかというと、決してそうじゃない。やっていることは同じ。

(明日公開予定の第2回に続く)

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中国の歴史学者として著名な岡本隆司・京都府立大学文学部歴史学科教授をお招きして、中国との付き合い方について考察する第2回。前回に引き続き、中国を見誤らないためには、どんなことを理解しなくてはならないのかなど議論した。

(前回の記事「西洋の物差しで中国を測るから見誤る」から読む)

岡本:中国ですごく難しいのは、なかなか本音のところを話してくれないこと。何を考えているのかとか、どうしたいのかとか、捕捉するのがとても難しい。めったなことを言えないというのがあるのでしょうけど。

山田:だから昔から、中国は隠語が発達したのでしょうか。

岡本:我々が読んでいる古典でも、ほとんどの人が読んでいる古典中の古典というのがあって、そこで使われている言葉を張り付けて文章をつくるんですよ。つまりすべて比喩だとか、隠喩だとか。要するに自分のストレートな文章、自分のいいたいことを自分の言葉でいうのは下の下だと。

山田:下の下ですか。一方で、中国人の知人に、例えば、「食べても食べても太らないんだ」なんて言うと、「腹に虫でもいるんじゃないか?調べてもらえ」なんて思った通りのことを真顔で言ったりしますけどね(笑)。

岡本:私的な会話・口語はそれでいいんですが、公的な文章・書面はガラッとかわります。多面的で複雑ですから、ばか正直で、ストレートで、しかもみんな平等な日本人からすると、本当に対極の人たちなんですよね。

とにかく平等は嫌い

山田:本当に忘れちゃいけないのが、平等が嫌いというところですよね。

岡本:韓国人はもっとですけど、とにかく人をランク付けしたい。逆に言うと自分は上にいきたい。

山田:私は農民工の人たちと20年ぐらい付き合ってきたのですが、「出生時点でこんなに格差があって、とんでもない社会だ」ということに対して私は怒るわけですよ。そして、農民工である彼ら自身に、その不平等に憤りを感じないのか? と尋ねるのですが、「それは仕方ないよね」というんですよね。彼らの考え方を理解できない、不思議に思うということこそが、日本的価値観で物を見ているということなんだなと。彼らは本当に平等が嫌いなんだと。

岡本:多分農民工の人たちの中にもすごい格差があって、それでとにかく下がいればそれでいいとか。あの中でも搾取、非搾取関係がある。

山田:ああ、なるほど。

岡本:我々の研究の中でも、乞食ギルドみたいなのがとりあげられることもあるんですよ。とにかく物乞いをしている連中でも親玉みたいなのがいて、下っ端から搾取しているとか。

山田:研究とおっしゃいましたけど、それはいつごろのことでしょう。

岡本:清代とかで、そういう記録が出てくるのですが、もっと前からあってもいいとは思うんです。そういう貧しい人たちでも、その中ですごく争っていて、階層ができている。その間でも、何とか上に上ろうという人たちもいる。ですから、上下関係でもすごく多様で重層的ですし、もちろん平面的にも、いろいろなところがある。

山田:なるほど。私が最初に中国に行ったのは語学留学をした1988年なんですけれど、すぐ思ったのが、やたらに友達、友達と言うよなと。それは建前なんですかね。

岡本:逆にいうと信頼できる人をつくりたいという願望がある。本当に信用できる人たちにはすごいですよね。本当に親密になったら。

山田:僕も本当にどうしてここまで親身にしてくれるんだろうというのがありました。

多様すぎる中国で信用できたもの

岡本:それはおそらく、利益と一体化するのでしょう。地縁、血縁で中国人というのは凝集しますけれど、逆に言うと、それぐらいしか信頼できる人がいない。社会の信頼・信用を醸成する装置がそれしかない。

山田:そこをちょっと詳しく教えていただきたいです。

岡本:中国の貨幣制度はよく分からない最たるものですが、昔の中国は時と所によって、全然使われている貨幣が違っていた。もうちょっとさかのぼると、銀の地金を使っていた地域もあった。結局、中国で統一的に流通する通貨というのができなかった。

それは大きなエリアで、このお金だったら、この紙幣だったら、と信用できる信用度ですか、それを保証するような装置がない。例えば銀行だったりとかが通貨制度をつくって、兌換をしてとかするんですけれど、中国の政府はそういうことを一切しない、というか、できない。社会が多様すぎて。あるいは相対的な権力というパワーがなさすぎて。

そうすると経済活動って、見知った人たちの間で、これはこういう価値で通じるようにやりましょうかとなる。今でしたら、商品券とか。

そうしたら、みんな顔見知りですし、そこで協力しますし、協力したらみんなで利益が分かち合える。そういった商店街がいろいろあったら、商店街ごとで商品券って違うじゃないですか。例えば日本の円と、アメリカのドルという感じで、コミュニティーそれぞれで違う。そうすると、そのコミュニティー同士が取引したい、交流したいとなるとどうなるか。共通で価値が分かるものが必要。

となると貴金属。金とか銀とかでしか、取引ができないという形で、中国の昔の経済社会って成り立っていた。昔はお金がいろいろあったというのが民国時期にはいくつも記録が残っています。「雑種幣制」なんていいます。それが嫌なので、中国で1つにまとめたいといって、蒋介石が頑張ったのが幣制改革だったりとか、毛沢東の人民元だったりとかするんです。

要するにそのコミュニティーの中では通じるので、しかもそれを破ったら制裁を加える規約とかいうのも、自分たちでつくっているんですよ。それは国家の法律とかでは全然なくて、ギルドの内部で残っている。

山田:今の中国には、ギルドはどういう形で残っていますかね。

岡本:いや、どうなんでしょうね。でも、ないはずはないだろうと。

山田:中国研究には一時ギルドが盛んに出てきて、ギルドしか出てこないといっても過言ではなかった。ところが、その後ぱたっと出てこなくなるんです。ギルドというのはどうなったのかなというのは常々思っているんです。1949年以降の中国ってそれまであったものが、本当にぱたっとなくなったものがやっぱりあって。それが80年代、90年代になって、またちょっと出てきたので、そのうちギルドも、ひょっとすると復活するかも。

岡本:おそらく実態的なものはすでにあるんじゃないかなという気はしますけどね。逆に言うと、手前みそで恐れ入るんですが、そういうことを明らかにするとなると、歴史研究がしっかりしてないといけない。連続性でもってとか、あるいはどう連続、非連続なのかというのが歴史研究なしでは分からないと思うので、我々の責任も大きい。

日本は今や孤立気味

山田:あともう1つお書きになっていて素晴らしい視点だと感じたのが、「中国人が沖縄のことを語るときに『属国』だったという言葉を使うと、史実に誤りがないのに、日本人には中国人の暴論に聞こえてしまう、どうやらそこに問題の本質がある」という指摘です。

岡本:そうですね。要するに認識基準が違うんです。

山田:一般の日本人から見ると、感情的になっているのは相手側、つまり中国の方のように見えるんだけれど、実は逆で、中国と付き合っているときに感情的になってしまうのは日本の方じゃないかと、とても思うんです。確かに上から目線でやられたりとか、私も日々、中国で暮らしていて腹の立つことばかりなんです。じゃあ、そこのところで冷静に、本当に感情に走らずに見なきゃいけないというときに、やっぱり中国の歴史とか、物の考え方を知るのはとても重要になっている。

岡本:そうなんですよ。やっぱり引き出しを多く持っていた方がいいですよね。中国に関する知識とか、あるいはこの人たちだったらこういうふうに考えるだろうとか。共感と言うと、少し語弊があるかもしれませんけれど、彼らが普通に持っている知識だとか、常識とかを、こちらがわきまえる必要がありますので。

山田:僕が思うのは、中国人というのは、いけしゃあしゃあと臆面もなく取りあえず言ってみる。言ってみてだめだったら、じゃあまあ、いいか、みたいな。日本人には、物を言われた通りに受け取らないでくださいと、とても言いたい。

岡本:おそらく中国はすごい競争社会ですから、日本人みたいにあうんの呼吸で分かってくれるとか、何か相手は自分のことを思いやってくれるだろうというような、甘い世界じゃない。それこそ多様で、本当に隣の人でも全然、他人のようなところで彼らは日々暮らしていますから、とにかくやってみてだめだったらもう一遍というふうなこと。そこもやっぱり我々とは認識基準が違うので、それが分かるかどうかですよね。

我々はどうあがいても日本人なので、まねはできないです。ただあの人たちが何でそうするのかとか、はいろいろ考える必要がありますし、知っておく必要があります。私、京都にいますので、どこに行っても中国人ばかりなんですよ。観光地とか。それで私の周りにも、「何であの人たちあんなうるさいの?」などと言う人たちがいるんですけれど、あれがあの人たちにとっての普通なんだから。

山田:最近は日本基準がどうも怪しいですね。日本基準は決してグローバルスタンダードじゃない。どちらかというと中国の方がアメリカ人と分かり合えるところがある。日本人は、ぜひそこは認識した方がいいと思います。

岡本:日本は言葉にしても、物の考え方にしても昔からそうですけれど、世界の孤児なんですよ。そこを誤解している方が多い気がします。俺たちは西洋化していて、西洋のことをよく知っていて、だから西洋人と仲がいい。日本はアジアにあるから中国人と顔も似ているし、同じ漢字を使っているし、中国とも分かり合える。みたいなことを言っていますけれど、よくよく考えてみたらどっちでもないので、そういう意味では日本の置かれている位置というのはそもそも危ない。

山田:ちょっと孤立気味だというのは分かっていますかね。

岡本:どうだろう。せめて政府の要人とかはちゃんと認識した上で誤らないように動いてほしいと思うんです。そこがすごく難しいですし、あとマスコミもなかなか大変かなという気はしますので。

やってみたら面白かった中国研究

山田:ところで、先生はそもそもなぜ中国の歴史を学ぼうとされたのでしょう。

岡本:昔から歴史が好きだったのです。そもそも歴史が好きだというだけで、普通からすると若干おかしい人なんですけれど、歴史が勉強できたらどこでもよかったみたいなところがあったんです。中国なんて初めから思ってなかった。

山田:そうなんですか。

岡本:日本の戦国時代とか、あるいはドイツの騎士道とかああいう勢いのあるところに憧れるところはありました。先ほどお話ししていたように、『三国志』は好きでしたから、中国も考えなくはなかったんですけれど、どちらかというと二の次、三の次でした。

ただ、語学が全然できなかったことが1つあって、漢字だし楽かな、って勘違いしまして、中国語を学んだ。歴史をやって、中国語もやって、しょうがないから中国史かな、みたいな。それだけのことだったんですね、初めは。

ただ、中国の歴史はやってみるといろいろ面白い。最初はアヘン戦争を勉強していました。するとイギリスと中国とで、言っていることが違うんです。資料とかを見ていると、当たり前ですけどイギリスは英語で書いてあって、中国は中国語で書いてあって、訳すんです。どう考えても合わないんですよね。同じ事実を述べているとか、あるいは同じ事柄を言っているのに合わない。

自分が理解できていないんじゃないかなと初めはすごい思い悩みました。ある時に悟ったんです。「そうか、この人たち、もともとの考え方が違うんだ」と。だから、「こっちの人はこう言うけどあっちの人はああ言って、そこでもめているんだな」とか。または「ここをこう違うように解釈することで、トラブルを避けているんだな」とか。いろいろなことがそれで解けるようになってきて、少し楽になって、面白くなってきました。

山田:厄介だけれどやってみると面白いということですよね。

岡本:それと我々のころから、中国への留学もそれなりに行けるようになってきた。私は落ちこぼれだったので留学生試験に落ちたのですが、それでも向こうには何回も訪れた。そうすると学者の待遇が全然違う。向こうの方が圧倒的に社会的に地位が上ですよね。知識人がすごく偉いんです。

知識人に対する待遇もそうですが、知識とか学術に対する社会的な位置付けも、中国では違うということは理解しておくべきかもしれません。日本で文部科学省が一番下っ端じゃないですか。

山田:局長級官僚が逮捕されるなど注目されましたけど、今年は。

岡本:扱いが低いからあんなやつらが出てくるんですよ、逆に言えば。

山田:ご苦労されるんじゃないですか、今、文科省があんなだと。

自前の中国、輸入の日本

岡本:いや、もうそれはずっとですよ。大学全体がすごい大変です。ノーベル賞をもらわれた方が、必ず基礎研究費をもっと増やしてほしいと言うように。それでも国が動かない。それが理系の話です。理系は我々とは一けたも二けたも違う金を動かしてやっているわけですけれど、それでもです。

山田:そこに1つ答えがあります。要は文化系も基礎研究をおろそかにしてきたということですよね。

岡本:そうなんですよ。教育とか養成とかいうの、すごく時間とお金が掛かるものなので、その辺の認識をやっぱり改めてもらわないと。結局企業任せというか。

山田:企業に任せると、やっぱり利益に結び付くことしか、やらなくなる。

岡本:そうなんですよ。

山田:そう考えると、中国は今でもむだなことたくさんやりますよね。共産党の理論を考えるのだって、むだなことといえばむだなこと。要はスローガンを先に考えて、理屈は後付けみたいなことを中国は本当にやる。例えば、江沢民の時代に「3つの代表」というスローガンを作った。考えたのはいいけれど、それについて、誰も分からない。

だけどそこから理屈を付けていこうとしたときに、それを考えるインテリジェンスがごまんといるというところが、中国の底力の1つじゃないかと僕は思うんですよ。むだなことも含めて、きちんと研究もしているし、勉強もしている。それが中国の底力だと僕は思っていて、面白いところだとも思っている。それに対して、日本はそこのところがなかったうえに、さらに研究費を削ろうとしている。今後の中国との関係を見る上でも、少し不安なところですね。

岡本:日本人は、そういう意味ではすごく安上がりにいろいろなことをやってきたと思うんです。明治維新にしても、全部輸入ですし、思想というのは外から来るものだと日本人は思っている節があります。中国の場合は自前で考えますよね。自分たちの足場を見直して、ほかの国はどうしているのかということも含めて、いろいろ考えるべき時期に日本は来ていると思うんですよね。

(明日公開予定の第3回に続く)

12/21記事

中国の歴史学者として著名な岡本隆司・京都府立大学文学部歴史学科教授をお招きして、中国との付き合い方について考察する第3回。今回は、中国を理解するための歴史の重大性などについてご教示いただいた。

(前々回の記事「西洋の物差しで中国を測るから見誤る」から読む、
前回の記事「『自分が上に行きたい』中国人との付き合い方」から読む)

山田:こと中国を見るために、こういうことを勉強したらいいよとか、基本的にこういうものを押さえておいた方がいいよ、みたいなことはありますか。先生の著書を読むのはもちろんなんですけど。

岡本:中国といっても、世界のうちの1つですので、やはりほかの世界のものと比べられるような構えを付けておくことはとても重要だろうなと思います。それは歴史で言えば、日本史でも西洋史でもいいんですけど、やっぱり両方を見ることをぜひやってほしいです。

西洋の近代史でもいいですし、中世史でもいいです。勉強をすると中国史の展開とどう違うかというのがよく分かります。歴史の研究は、やはり1つのことに没入することで非常に精密な研究ができるので、決して否定はしません。ただ細かいトリビアが分かったから、じゃあどうなの、という話にどうしてもなります。

大きな文脈で、どのように位置づけられるのかを常に考えるためには、大きな範囲で見ないといけない。じゃないと、中国がどういう位置付けにあるかとか、日本がどういう位置付けにあるかというのが分からない。日本だけで日本を語るというのは、日本を知ったことにはならないと思います。

山田:そうですね。日本に来た外国人に、何で日本に来たの、日本の何を見に来たの、といったことを聞くテレビ番組が人気だったりしますけれども。

岡本:外国の教育体系だとか、社会状況があって、そういうことを分かった上で、日本に来た外国人に聞いているんだったらそれでいいと思うんですよ。単に日本に来た外国人に、何で日本に来たんですかと聞いただけでは意味ないですよね。

山田:それだと、自信をなくしているから単に褒めてほしいだけになりますね。

岡本:昔は自信があったんでしょうね。ですから、韓国とか中国に対して日本人はすごく鷹揚でしたから。ただ、間違った自信の持ち方をしていたのが最近分かってきて、今度は嫌韓、嫌中となる。日本人はちょっと短絡的だなというのは分かりますね。

山田:短絡的。本当ですね。

岡本:向こうの人たちはたぶん変わってないんですよ。日本に対する見方も、自分たちのスタンスの取り方も。

世界に自分の立場を置けるような思考を

山田:確かにこの数年の爆買いブームなどで、日本に来る人が増えていて、実際に中国人を自分の目で見て、印象が変わったとかは確実にある。それは間違いないんですけれども、根本的な見方が変わったかというと、それはない。

岡本:ただ印象が変わっただけでというぐらいなレベルですよ。そういうところを我々がどうわきまえるかというのが実はとても重要で、やっぱり日本人自身の、たぶん考え方の持ち方とか、そういうのがむしろポイントなんだろうなと。

山田:そうですね。好きとか嫌いとか、そういうところから離れて一歩引いたところで、まず相手を見ようよ、相手を知ろうよ。そこからはじめようと。

岡本:私がこうやって本を書いているのも、ちょっとでも関心を持ってくださる方にはきちんと情報を供給しないといけないかなと思っているからです。

山田:日本人は歴史好きな人が多いですよね。

岡本:そうですね。ただ、歴史好きでも単に普通の小説好きでも構わないのですが、例えば自分たちと違う世界に自分の立場を置けるような思考を養ってほしいですね。そういうことが考えられて初めてグローバル化に対応できる人間だろうという気がします。どんどん日本人は内向きになっているような気がするので、そこは大丈夫かな? と思うんです。

山田:中国のことでいうと、若い人の中ではネット中心なんですけど、今年、「深圳すごい」というのがありましたよね。かいつまんで説明すると、それまで中国に縁のなかった20代の日本人の書き手が、イベント取材か何かで初めて深圳を訪れて圧倒され、「林立する超高層ビルの間を電子マネーが飛び交う近未来的な街で、若者が夢を抱きながら生き生きと働いている。それに比べて俺たち日本の若者は死んだような街で死んだように働いている。こんな国にしたオヤジどもよ、一体どうしてくれるんだ」と書いた。そうしたら、あまりにも単純で中国の一面しか見ていないと、どちらかといえば叩く意見が多かった。

ただ、とっかかりはそれで十分だと思う。日本の報道だけ見ていて「中国怖い」で止まってしまうだけよりは、そうやって関心を持って、感情を動かしてくれる方がはるかにいい。さっきも言いましたが、好むと好まざるとにかかわらず、隣人で、ものすごい影響を受けるのですから。

今、日本に留学に来る中国の若者も増えていると思うのですが、どのぐらいのレベルの家庭の人が多いですか。

岡本:大きい大学ですと、留学生の交換制度とかもあったりしますが、我々の規模の大学ですと単発的な感じです。ただ、人数はそれでも増えていますね。やはり裕福な学生しか来られないですよね。

山田:中国に戻ると、日本の専門家になるというよりは、ビジネスの世界で日中の架け橋になる感じでしょうか。

岡本:どうなんですかね。例えば、私のところに来て、日本に住み着いて、日本人と結婚。それで中国にかかわる仕事をしているという人はいます。馬力がありますよね、そういう人は。

山田:逆に日本人で中国に留学する学生はいますか。

岡本:専門でやろうという人の留学は、最近やはり増えてきました。制度がやっと整ってきたというのがあると思います。

「中華人民共和国」は全部日本語

山田:先ほど(対談の第2回参照)沖縄の話を伺いました。中国人が史実として間違えてないのに、日本人には暴論に聞こえてしまう。ここの部分をもう少し掘り下げて教えていただきたいのですが。

岡本:私は、翻訳概念という形で自分の研究をやっているんです。例えば西洋と東アジアが交錯してきたときに、日本は非常に鋭敏に反応して、すぐ近代化を進めようとした。ただ、西洋のいろいろな言葉をどう表現したらいいかに苦労した。その時に基本的には漢字でそれを言い表すようなことをやったわけです。

それが例えば、中国とか東アジアで流布しているような言葉を、西洋の翻訳語だとしたときに、意味の重なり合いというか、にじみ合いというのが出てくるというプロセスが、明治時代にはあった。一番分かりやすい例では、「国家」という言葉がありますが、日本人は「ネーション」とか「ステート」の意味で使うわけですが、同じ時代に中国では国家といったら、それはただの王朝の意味でしかない。

内閣もそうですよね。我々は普通に安倍内閣など、「キャビネット」の意味で使うんですけど、もともとは「内」は宮内庁の「内」、宮中の意味で、「閣」というのは学問所の意味なんです。いわば天皇の家庭教師と、そういう意味なんですよね。要するに天皇のご相談役みたいな家庭教師。そういう歴史を日本人は知っているから、内閣というのをキャビネットの翻訳語にしたんだろうと思います。それが今度、中国に逆輸入されて、袁世凱が内閣総理大臣になった。

沖縄の文脈にもどりますと、中国は伝統的に沖縄は中国の属国だという。もともと属国と言ったら上下関係の下を意味していて、「小さい国だから大きな中国に対して頭を下げて儀礼します」というだけの関係。だから、属国といっても間違えてないんですけど、ただ西洋のカテゴリーの翻訳概念で属国と言ったら、それは「琉球の主権が奪われるんじゃないか」という発想になってしまう。そんな滲み合いが近代史・日中対立のプロセスですね。歴史的事実で「属国」だと言っても、それだけにはとどまらない概念になってくる。

中国の人も、日本人がそうやって作った翻訳概念というのを大量に中国語に受け入れた。先ほどの「国家」、中国語で発音すれば「グゥオジア」という言葉もそうです。それこそ「社会主義」という言葉も日本人が作った言葉。「社会」という言葉は中国にはなかったんですから。

山田:そうですか。

岡本:「中華人民共和国」というのは全部日本語です。中華と言ったら、昔は文明の中心という意味でチャイナではなかった。チャイナでなくても中華はあったんですね。それがチャイナの意味になったのは、日本人が中国のことを支那と言っていたら、中国人が支那は嫌だから中国と言うんだと言い張って、初めてチャイナが中国になったんです。それが「中華」です。「共和」という言葉が「republic」の意味になったのは日本人がそうしたんです。これはいつも笑い話で言うネタです。

山田:中国文学者の高島俊男さんは、支那は本当に悪い言葉だろうか? とおっしゃっていましたね。

岡本:中国がまだ中国という国名ではなかったころ、自分たちの国は王朝名で呼ぶしかない。でも王朝に仕えるのは嫌だという人がいて、自分たちのことをどのように呼ぼうかと考えた。自分たちは国民になりたい。そういう人たちが支那と呼びはじめた。俺たちは支那人と名乗ろうと決めたのです。例えば、中国の革命家が日本で出した雑誌には『二十世紀之支那』というのがあったぐらいです。

だけどよく考えてみると、それは日本人が「俺たちジャパン人」と言っているのと同じ。すごくおかしいので、自分たちの国名を考えないといけないと言いだした。じゃあ、昔から言っている中国にするかと。威張っている国名みたいだけど、まあ、威張るのはみんな一緒だから許してくれ、みたいな形で。

山田:アラン・ブースという作家がいて、太宰治の『津軽』を読んで、作品をたどる旅をしたのですが、そのときに、太宰の実家で、当時は記念館と旅館になっていた「斜陽館」に行ったんですよね。そこでブースが言っているのは、いくらその作家の代表作だとは言え、斜陽なんて縁起の悪い言葉を、もうけなきゃいけない旅館に付ける中国人は誰一人としていないだろう。いかにも日本人らしいと。

中国では町のちっぽけなアパートでさえ「何々国際」「世界ビル」というような威勢の良い名前を付ける。

岡本:我々は中国から文字をもらって、それで自分たちの思考を表してきた。我々が作った言葉が、今度は中国に影響を与える。でもお互いに社会組織とか物の見方・考え方とかが全然違うから、同じ字を使っていても、当然のことながら表現するものとか、表現するベクトルとかが違うはず。そういうことを踏まえて、コミュニケーションを取らないといけないはずです。

山田:まさに魯迅の世代では、西洋のものに関して日本語に訳されたものを中国人が勉強したというのがたくさんありますよね。医学にしても科学にしても。

岡本:それでしか中国人は西洋にアクセスできなかったという歴史があるんですね。もちろん直訳みたいなことを彼らもしてみたんだけど、できない。古典の規制が強すぎて。例えば「進化論」という言葉がありますが、進化という言葉は日本語からきている。最初に中国語で自然淘汰みたいな言葉で訳してみたけど、何か古典語みたいで全然、その意味がイメージできない。

いろいろな言葉がそんな状態。それが古典を踏まえない日本の漢字の並びで中国に入っていったら西洋のものを考えられるようになった。そんな歴史がある。こういったことは、中国人も知らないけど、そういうこともあったんだと、中国人に教えてあげれば、話題になると思うし、お互いに近くなれる。

漢字はすごく面倒くさいですけれども、漢語圏はそれだけに共通の歴史があります。我々は研究レベルの部分が多いんですけど、そうも言っていられないような時期にもきているような気もします。

「正統」について中国はどう考えているか

山田:昨今の言論や世情を見ていると、「学者なんだから、世事のことなんか知らないよ」とばかりは言っていられないという危機感を持ち、何か発言しなければと思われたということですね。ただ、学問を専門にやられている方は、本当に正しいかどうかをはっきりさせるまでは、外に出せないというところが難しいですよね。

岡本:それはやはり学問の厳しさで、学問的な約束としてはそうでないといけない。ただ、もう間違いないだろうとなれば、どんどんアウトプットしていかないと。世の中のスピードも速いですし。

翻訳概念に関してはずっと研究してきました。一昨年ぐらいにやっとまとめて発表したのですが、沖縄の問題や尖閣の問題とか、竹島の問題などが目前に出てくると、ちょっと待っていられないですよね。そういった問題は歴史から考えてくださいと、我々が言わないと誰も言いませんから。

山田:でもそれは、すごく勇気が必要だったと思います。

それと『歴史で読む中国の不可解』(日経プレミアシリーズ)では、「正統」について中国がどのような考え方をするのかについてのくだりも、非常に納得がいきました。「今の共産党政権が『正統』なら、ほかの政治勢力はすべて従順たるべし、さもなくばそれは、『偽』の政権であり、否定すべきものだというわけである。このあたり『三国志』の昔から、ほとんど変わっていない」と。

岡本:特に中国語圏である香港、台湾がまずそうですね。

山田:これだけでも頭に入れておいて、新聞を読んだり、ニュースを見たりすると、だいぶ違うと思いますね。

岡本:我々は歴史を扱っているので、その辺は当たり前なんです。正統派の「正統」ですが、まったく違う意味合いで、普通の日本人にはなじみが薄くて、とても難しい概念ですね。それは中国の資料や歴史書を読んでいたら普通に出てくる話なので、我々の業界では、ことさら強調しないんです。

ただ、ほかの政治学の人たち、例えばアメリカ研究をやっている人たちと話すと、彼らにとってはちっとも常識じゃない。同じアカデミズムの中でもそうです。しかし、ビジネス界など中国を相手にしないといけない人たちがいっぱいいる中で、これら東洋史のことを、学者の中だけでとどめておいていいわけがないんですよね。

そこの垣根はちょっと低くした方がいいはず。でも何か歴史の「正統」論とか言うと、すごく難しくなっちゃって、そのへんの塩梅をうまくするのはやっぱり難しい。

今のことを考えるのに歴史にも目を向けて

山田:いや、先生の著書は勉強になります。本当に知識が付く。どんどん還元してください。

岡本:人間の知識欲とか、関心とかいうのは、それほど衰えてないと思うんです。特に年配の方々は。ですので、もちろん学術をきっちりと養成していく側面はとても大事です。ですが同時に、そういう学術を支えるためにも、やっぱり間口・すそ野は広くしていきたい。

山田:本当に今は、経済の理論とか企業の理論で何でも動き過ぎだと思います。

岡本:私とかがしゃべりに行って、どこまで関心を持っていただけるかは分からないのですが、ただ少し歴史にも目を向けながら、今のことを考えていただきたいというのが、声を大にして言いたいところです。

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