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3/2産経ニュース 櫻井よしこ氏の『「日本の歴史的蛮行」は中国自身の伝統的行動であることを世界に発信せよ』記事について

昨日の藤岡氏の記事の基になった櫻井氏の記事です。中国が如何に歴史を改竄・捏造してきたかです。中国の歴史は易姓革命の連続ですから「前王朝が如何に悪かったか」を記述しないといけない。そうなると嘘で塗り固める必要も出てきます。元々歴史と言う言葉は日本語から中国に伝わったという説もあります。勿論、「歴」と「史」という言葉は中国発ですが。漢和辞典で調べると「歴」は「順序良く次々と足で歩いて通る事」、「史」は「記録を記した竹札を筒に入れて立てている記録役の姿」とあります。日本発、中国発いずれにせよ中国の歴史に対する感覚は日本のように実証主義でなく政治闘争の道具と言うことです。それを日本人は良く理解しないと。

中国人の言う嘘に日本は断固として反撃に転じなければ、名誉は末代まで汚されたままです。戦後のいい加減な左翼リベラルの言に惑わされたツケが回っています。敵は十数か国語でないことないこと報道しています。貧しい国に寄付してCCTVの報道を見せつけ、日本の悪口を吹きまくっています。日本の地道な援助だけでは追いつきません。外務省から広報部門を切り離し、国際報道をする部署=広報省(NHKを傘下に置くのはダメです。左翼が多すぎ)を置いたらどうでしょう。当面は英・西・独・仏・露・中・亜の7カ国語で良いのでは。

しかし、村山や河野等のインチキ政治家のなした罪は大きい。売国奴です。罪万死に値するものです。両人ともその自覚がない所が恐ろしい。でも選んだのは国民です。彼らを否定する政治家を選んで日本の名誉回復を果たしましょう。

記事

戦後70年、中国が対日世論戦を激化させている。日本をファシスト国家と決めつけ歴史問題で攻勢をかける。

日本の最善の対処は中国の歴史を古代から現代に至るまでしっかりたどり、中国が直接間接に糾弾する「日本の歴史的蛮行」の数々が中国自身の伝統的行動に他ならないことを世界に発信することだ。

慰安婦問題に関して国際社会が日本非難の土台としている文書のひとつに、国連人権委員会特別報告者のクマラスワミ氏の報告書がある。

1996年2月に同委員会に提出された報告書には数々の「日本軍の蛮行」が列挙されている。実はそれらこそ中国人の所業であることを中国の歴史書が教えてくれる。

クマラスワミ氏が95年7月に朝鮮半島の慰安婦16人から聞いたという被害証言の中に北朝鮮のチョン・オクスン氏のものもある。チョン氏の証言は北朝鮮側から受け取った記録であり、クマラスワミ氏はチョン氏に会っていない。つまり、伝聞なのだが、その背景に、色濃い中国の影が見てとれる。チョン氏は次のように語っている。

 (1)反抗的な態度をとった慰安婦の少女を日本兵が裸にして手足を縛り、くぎの突き出た板の上で転がして血だらけにし、最後に首を切り落とした。その遺体を煮て、泣き叫んでいた他の慰安婦に食べさせると言った。

 (2)池を掘って水を張り、蛇でいっぱいにして慰安婦40人を裸にして突き落とし、蛇にかませて死なせ、最後に池を埋めた。こうして部隊にいた少女の半数以上が殺された。

氏は一連の証言を基に慰安婦問題はジェノサイド(大虐殺)と見なすべきだとの見解を打ち出している。

日本人は誰しも、これらは絶対に日本人の行為ではないと即座に断定するだろう。ここに描かれているのは私たちの文明には全くそぐわない。

一方、政敵や民衆に対してこのような苛酷な罰をいつも与えていたのが中国だったことが中国の歴史書、資治通鑑に書かれている。

前述の(1)くぎの板による無残な罰は、五代十国時代の閩の国の軍使、薛文傑が考え出した刑罰から始まっていた。罪人をくぎの突き出た狭い箱に入れて揺らして死にいたらしめる刑である。また人肉食、罪人も幼子も殺して食べる事例は数限りなくといえるほど、資治通鑑に記されている。

(2)の蛇の池の罰も五代十国時代の南漢という国の帝が考案した罰で、「水獄」と呼ばれていた。

慰安婦問題で日本批判の戦略戦術を立てているのは、実は、中国なのである。一方で、中国の実態は、現在習近平主席が挑戦する想像を絶する不正蓄財も、実は何千年来の中国の悪しき伝統であることが、資治通鑑によって明らかである。

クマラスワミ氏が報告した人間らしからぬ悪魔的所業は日本人の行為ではなく、中国人の伝統的手法だと、国際社会に証明するにはここに引用した資治通鑑をはじめ、中国の歴史書を忠実に英訳し、世界に紹介していくのがよい。敵を知り、その実態を広く知らせることが、私たちが直面させられている歴史戦に対処する基本である。

実は私はこの資治通鑑の内容を麻生川静男氏の『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』(角川SSC新書)で学んだ。資治通鑑は司馬光が編んだ中国の史書で、紀元前5世紀から紀元1000年までの約1500年間の中国史を、全294巻1万ページで描いた大著である。毛沢東が17回読み返したという同史書の随所にクマラスワミ報告の世界が広がっている。

クマラスワミ報告の中の蛮行は、中国人の伝統であるのみならず、冊封国家として中国に従属し中華文明の影響を受けた朝鮮民族の行動様式でもあろうか。

私たちはさらに中国政府がチベット人、ウイグル人、モンゴル人をどのように痛めつけ虐殺しているかについても、そこから思いを致すことができる。

日本人はクマラスワミ報告をどのようにして読むのだろうか。外務省の和訳は公表されていない。そこで何人かは、村山富市氏が理事長を務めた「女性のためのアジア平和国民基金」の訳を見ているのではないかと思う。

だがその訳から、「蛇の池」の事例がスッポリ抜け落ちている。同基金は、2007年3月に活動を停止しており、省略理由を問うことはできなかった。

以下は私自身の推測だが、「蛇の池」は日本人にとってあまりにも荒唐無稽で、こんな話を入れればクマラスワミ報告への信頼が失われてしまいかねないと、彼ら(彼女ら)は恐れたのではないか。

アジア女性平和国民基金をはじめ、慰安婦問題で日本を糾弾する人々にとってさえ、報告書はそれほど信頼できないものだということか。

それにしても外務省はなぜ当時、反論しなかったのか。雑誌『正論』が昨年の6~7月号で掲載した外務省の反論書は立派にスジが通っている。それを、一旦、 人権委員会に配布した後、取り下げた。

村山富市首相がその前年に戦後50年の談話を 出しており、時の政権の意向が働いたにしても、外交官の誰一人、立ち上がって反論しなかったのは限りなく情けない。

首相も状況も変わったいま、私たちは中国研究を進め、中国文明の巨悪と、その対極にあるに違いない善なる側面も、見ていきたいものだ。中国研究を介し て「敵」をよりよく知り、日本の不名誉を晴らす大目的を実現するときである。

3/2藤岡信勝氏Facebookの『慰安婦関連』記事について

藤岡氏のFacebookの記事ですが、転載許可は取っていません。でも拡散することによって、一人でも多くの国民が国及び国民の名誉を守ることに覚醒して戴けたらと思い掲載します。

相も変わらず中国のプロパガンダはひどいものです。南京虐殺なんて日本の伝統・文化にはないのに、自分たちが犯した罪を他人に擦り付けるのが得意な人達です。基本的価値観は「騙す人が賢く、騙される人が馬鹿」ですので。岡田英弘氏の著作には確か中国の歴史を回顧すると人口が極端に減った時代が何度も出てくるとあったと思います。虐殺しなければそんなに人口が減るはずもない。日本がキチンと反論していかないと世界から「非倫理的」な民族の烙印を押されてしまいます。

韓国は民主選挙があっても、政府を批判できる言論の自由はないし、親日を表現できる自由も社会的になく、親日派の財産没収をしている事後法が当たり前の非法治国家です。基本的価値観が違うので、福沢諭吉の言ったように中韓とは付き合わないことです。

アメリカは原爆投下の原罪を糊塗するために、日本を悪者にしておきたいという意思が働くのでしょう。朝鮮人を残したのも災いの種を撒いて日本の弱体化を図ったのではないかとの説もあります。

記事

3月に入って、慰安婦関係の重要な記事・情報のリリースが群発しています。目についた主なものを、列挙します。

 ①2日付けの産経新聞に、櫻井よしこさんが、クマラスワミ報告の有名な残酷話2件は、中国の歴史書『資治通鑑』に出てくることを書いています。麻生川静男『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』(角川SSC新書)に学んだとされています。そして、これからは中国史を調べて、その話の出典はこれこれだという形で残虐話に反論していくべきだと問題提起しています。

 実は私も全く同じことを考えていて、関連書も集めていたところです。通州事件の記録を読むと、日本人の想像を絶する鬼畜の蛮行が行われたことがわかります。日本人はそういう情報を公にすることをタブーにして出版しないのですが、通州事件と同じことが、チベットやウイグルの人々に対して今も行われているという観点から問題を捉える必要があります。日本人にとっては、苦痛極まりないことですが、目を背けずに調べる必要があるのです。

 ②2日発売の『週刊ポスト』(3月13日号)に、韓国の裁判所が「強制連行はなかった」と書いた韓国人の女性の研究者の著書に34箇所の削除命令を下し、事実上の発禁処分にしたことについて記事が載っています。その書物は、世宗大学・朴裕河(パクユハ)教授の『帝国の慰安婦』で、朝日新聞出版から昨年の11月に日本語の翻訳書が出ています。この記事も必読です。

 ③2日朝刊各紙は、3月1日に行われた朴槿恵大統領の「3・1独立記念式典」における演説で、慰安婦問題の解決を日本に求めたことを報道しています。「夕刊フジ」から電話取材があり、「日本はやるべきことはすべてやっている。これ以上やることは何もない。大統領も、具体的に聞かれると困るのではないか」とコメントしておきました。今日(2日)午後発売の同紙に載ります。

 ④1日付けの毎日新聞によれば、米国や韓国に住む元慰安婦が、3月中旬にも、カリフォルニア州のサンフランシスコ連邦地裁に、1人当たり2億4000万円の賠償を請求することを計画しているとのことです。注目されるのは、「当時の統帥権者として責任は免れない」という理由で、皇室を訴訟対象に含めることを検討していることです。

 ⑤1日発行の『ジャーナリズム』という雑誌に、秦郁彦先生の、朝日新聞第三者委員会のヒアリングを受けた体験記が掲載されます。私はこれから現物を探すので未見ですが、そうとう面白いらしい。この出版社が、皮肉にも朝日新聞社。言論弾圧と言われるので、文章には圧力を加えられなかったそうです。

 ⑥少し前のことになりますが、朝日新聞の2月21日と28日に、「布施広の地球議」という連載コラムが掲載されており、その中で、コネティカット大学のアレクシス・ダデン教授(女性)の言説が紹介されています。内容は、日本がパックマンのように周囲を侵略しているというお話。ダデンは例の19人の歴史学者の、マグロウヒル社教科書の慰安婦記述を擁護する声明のまとめ役と目されており、この声明に対しては近く日本側からリアクションが起こる模様です。

岡山典弘著『三島由紀夫外伝』を読んで

2/27三島由紀夫研究会があり、著者が講師でしたが、小生の不動産投資セミナー講師の仕事とバッテイングしましたので欠席しました。その代りと言っては何ですが、本を読むことにしました。麗澤大学の中国語(台湾女性が先生)の公開講座に通っていますので、大学図書館にあったものを借りて読みました。「正伝」ではなく「外伝」であり、武道の話や女性の話が中心で、面白く読み終えました。三島の別の面が見えて良かったです。

三島が今の時代、生きていたら何と言うでしょうか?「価値紊乱の時代」でしょうか?親殺し、子供殺しが平気で行われる時代です。善悪の判断を親がキチンと教えて来なかったからでしょう。外国文化や考え方を採り入れることに躍起となり、日本の伝統的な価値観を蔑ろにしてきたツケが回っています。

しかし、中共の女スパイに籠絡された橋龍は人間的にもダメな奴ですね。ペルー人質事件の時には、職員にアンパンを配るだけで、「アンパン宰相」と揶揄されていました。彼の秘書官をしていたという維新の江田憲司も推して知るべしです。

内容

私は笹森順造先生の審判の下で、作家の三島由紀夫と試合を組まされたことがありました。笹森先生の「始め!」の声で二人は立ち上がり、しばし睨み合い、そして盛んに打ち合いとなりました。結局試合は一本一本の勝負から引き面を取られて、私は三島さんに敗れたのですが、 どんなに叩いても、旗が上がらず納得がいかなかった私は、試合のあとで笹森先生にその理由をお伺いしました。笹森先生は、「お二人とも、まだまだ修行が足りません」とだけ言われました。(橋本龍太郎『燃える剣』)

笹森順造は、青山学院院長、衆議院議員、復員庁総裁、賠償庁長官などの公職につくとともに、剣では小野派一刀流の宗家であった。

橋本の回想は石原の記述ほど酷くはないが、“スタイリスト橋龍”特有の格好づけや、過去を美化しようとする.心理が働いているように思われる。信頼できるのは、二人の対戦を実際に見た第三者の証言であろう。

サンケイ新聞政治部記者の加地富久は、剣道六段、居合道四段であった。渋谷警察署の道場で吉川から三島を紹介された加地は、以後、三島と一緒に道場で汗をながした。

四十一年の春、参院議員会館の道場で三島グループと国会議員グループとの親善剣道大会が開催された。これは、三島氏が「代議士と一度お手合わせをしてみたい」というので、私が園田直代議士に呼びかけて開いたものである。このとき三島氏は橋本龍太郎四段と試合をした。

笹森順造範士(一刀流宗家)の立ち合いで「拝見」の形式で十分間ほど手合わせをした。

すべり出しは橋本代議士がいきなりコテを取って優勢だったが、時間がたつにつれてしだいに三島氏が橋本氏を圧倒し、最後は真っ向唐竹割りに橋本氏のメンを打ちすえて、「それまで」 となった。 (加地富久「三島氏の気魄の剣」)

この試合の写真は、雑誌「20世紀」(一九七一年二月)に掲載された。確かに白い剣道着姿の三島には全身に気魂がみなぎって、橋本を圧倒している。

加地によれば、道場での三島は礼儀正しく、風格ある剣士だったという。白の袴と白の胴衣を着用した三島の姿は、ひときわ颯爽としていたという。稽古の前は、いつもきちんと正座して防具をつけしばし瞑想するのが常だったという。三島の剣を一言でいえば、“気魄の剣”であったともいう。

自衛隊の河面博士二曹は、三島が富士学校に体験入隊をしたときに助教をつとめたが、五番勝負の手合わせで三島に敗れている。「話の特集」の編集長•矢崎泰久は、三島に原稿依頼に行ったところ剣道場に連れ出され、面を強烈に打たれて悶絶した。

三島と立原正秋との剣の対決は、ついに幻に終わった。実現していれば、どうなったか。立原の剣は虚仮威しに過ぎない。一方、三島の剣は命を賭した“気魄の剣”である。両者、しばし睨み合い。詰まる間合い。裂帛の気合。竹刀が一閃!刹那、三島の剣が、立原の面上をしたたか打ち据えたであろう。

昭和三十四年(一九五九)三十四歳

四 美智子様の御成婚を祝するカンタータ

皇后陛下の美貌と才知は、学生時代から際だっていた。

三島は、聖心女子大学時代の美智子様を見て心を奪われた、という説がある。そして、二人は歌舞伎座で見合をしたともいう。

「と言ってもね、正式な見合ではなかった。まとまらなくても、どちらにも疵がつかないよう、 歌舞伎座で双方とも家族同伴で芝居を見て、食堂で一緒に食事をした。それだけでした」

(徳岡孝夫『五衰の人』)

「先生、見合い、したんですよね」

「正式のものではない。歌舞伎座で偶然隣合せになる形だ」

(村上建夫『「楯の会」で見た三島由紀夫』)

「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」と、かつて本誌(週刊新潮)に語っていたのは、銀座六丁目の割烹「井上」の女将.故井上つる江さんだった。銀座の路地裏の小さな割烹の一室で未来のお妃と将来の大作家が、互いに向かい合っていたのである。ちなみに「井上」は国鉄のキャリア官僚たちに愛された店である。

(「美智子さまと三島由紀夫のお見合は小料理屋で行われた」)

昭和三十四年四月十日は、皇太子殿下と美智子様の御成婚の日であった。

「祝婚歌カンター夕」は、三島が作詞をして、黛敏郎が作曲した。管弦楽NHK交響楽団、指揮はウィルへルム・シユヒター、合唱は東京放送合唱団•東京混声合唱団•二期会合唱団で、黛がオンド・マルトノを演奏した。同日の夜七時三十分からNHKホールで演奏され、テレビで放映された。 昭和二十七年に皇太子殿下が成人を迎えられたとき、三島は「最高の偽善者として——皇太子殿下への手紙」と題する公開書簡をおくっている。

殿下の結婚問題についても世間でとやかく云はれてゐるが、われわれには自由恋愛や自由結婚が流行してゐるのに、殿下にその御自由がないのは、王制の必要悪であって致し方がない。 王制はお伽噺の保存であるから、王子は姫君と結婚しなければお話が成立たないのだ。

(三島由紀夫「最高の偽善者として——皇太子殿下への手紙」)

昭和四十六年(一九七一)没後

二十九 森秋子の全裸の『サロメ』

三島の半生は、魅力的な女性で彩られていた。

『仮面の告白』に登場する園孑のモデルで、初恋の人•三谷邦子。『鏡子の家』の主宰者・湯浅あつ子、その妹の板谷諒子。秘めた恋の全貌が岩下尚史の『ヒタメン』で明らかにされた後藤貞子。旅行ジャーナリストとして大成した兼高かおる(ローズ)。鹿島建設の経営者の令嬢・鹿島三技子。川端康成の養女•政子。林房雄の二番目の妻の連れ子・京子。岸田國士の娘で女優の岸田今日子。三島の手紙をマスコミに公関した政治家の紀平悌子。三島との接吻や旅行の思い出を評伝で明らかにした実業家の松田妙子。三島の戯曲『燈台』に主演した女優の関弘子。松竹社長秘書の長島ひさ子、堂上華族の家柄で、レストランを経営した東久世壽々子。加賀百万石・前田侯爵家出身のエッセイスト酒井美意子。シャンソンの女王・越路吹雪……。

余り上手くない字を、ペン習字で猛練習して、すぐに臣三島由紀夫拝、などと書いたラブレターを、相手かまわずせっせと書きつづけていた。

この手のラブレターを、大手建設会社の令嬢、ミスM・K、そして代議士令嬢で、母がドイツ人のハーフ、ミスH • K (在アメリカ)に送り、さらに後には紀平悌子女史にまで名乗りをあげられ、選挙運動などと世間ではおっしやっていたようだが、あの彼の筆まめさから考えあわせれば、嘘とは思えない。 (湯浅あつ子『ロイと鏡子』)

独身時代の三島は、銀幕の高峰秀子を好ましく思った。秀子の方では、ブリリアントな才人が好きだった。昭和二十九年に二人の「希望対談」が実現する。

高峰:みんな自分で稼いだ。だから、今さら亭主に頼っちゃおうという気持はないわよ。誠実な人で、人間としてピカッとしたものを持っていればいいと思うね。

三島:僕は、ちよっと悪い奴が好きだな。そうでないと、退屈しちゃうよ。

高峰:でも、くたびれるわ。三島さんは、どんな人を選ぶの?奥さんに。

三島:僕なんか、姉さん女房で、何でも世話をやいてくれないと困る。年が必ずしも上でなくても、性格的にね。

高峰:私はよく世話をするわよ。献身的よ。好きな人と結婚したらね。いまの仕事だって、好きな夫が「やめなさい」って言えば、はい、と言ってやめちゃうな・・・。食っちゃえ。

(高峰さん、腕を伸ばして、三島先生のお膳に残されているほうれん草を食べる)

(三島由紀夫VS高峰秀子「映画•結婚を語る」)

秀子の積極的なアプローチには驚く。

「食っちゃえ」と三島の膳の上のほうれん草をとって食べるに至っては、“求愛”行動以外の何ものでもない。秀子の鋭い太刀筋に、三島は「合わせ面」を打つこともならず受け太刀一辺倒である。業を煮やした高峰は、三島を「あんた」呼ばわりする。「じゃあんたは、どうして結婚しないのよ」「必要がないもの」三島らしからぬ答である。これは大女優の迫力に気押されただけでなく、すでに後藤貞子という理想の恋人を手に入れていたからに違いあるまい。

決して三島は、美女が嫌いではなかった。いや、むしろ佳人•麗人が好きだった。 「僕は不感症の女の人を直したことがあるんだよ」

『沈める滝』『音楽』の作者である三島は、編集者の小島千加子にこんな自慢をした。 「英子、僕は君が欲しい。僕のそばにいなさい」

『喜びの琴』をめぐる脱退騒動の際、三島は村松英子に告げた。この言葉は、劇作家.演出家が女優にかける言葉ではなく、男の情感がこめられているように思われる。『班女』『鹿鳴館』『朱雀家の滅亡』『サド侯爵夫人』『癩王のテラス」『薔薇と海賊』など、三島戯曲のヒロインを、英子は次々と演じた。

そして森秋子は、三島が生涯の最後に選んだ女性である。

山口昌子著『フランス人の不思議な頭の中』を読んで

1/31「士気の集い」で山口昌子氏の講演時に買った本です。会計をしていて殆ど話が聞けませんでしたので。フランスと言えばフランス革命、「自由・平等・博愛」、アラン・ドロンくらいしか思い出せませんが、国歌が中国と同じ血腥いものであるとは知りませんでした。因みに中国の国歌は

起来!不愿做奴隶的人们!(起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!) 把我们的血肉,筑成我们新的长城!(我らが血肉で築こう新たな長城を!) 中华民族到了最危险的时候,(中華民族に最大の危機せまる、) 毎个人被迫着发出最后的吼声。(一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。) 起来!起来!起来!(起て!起て!起て!) 我们万众一心、(我々すべてが心を一つにして、) 冒着敌人的炮火,前进!(敵の砲火をついて進め!) 冒着敌人的炮火,前进!(敵の砲火をついて進め!) 前进!前进!进!(進め!進め!進め!)

日本の「君が代」のトーンとは全然違いますね。日本のリベラルなマスメデイアはすぐ「平和」「平和」と言いますが、中国の国歌を知っているのでしょうか。共産中国に対抗できる軍事力を持たせないように足を引っ張る意図でしょう。彼らこそが戦争を起こしやすくしているとも言えるでしょう。バランスオブパワーの考えでないと、強い方が弱い方に戦争を仕掛けます。

この本を読めば、フランスも戦勝国とは思えませんね。ドイツ人にしてみれば信じられなかったでしょう。それと同じ意味で中国が戦勝国と言うのも日本人には信じられなかったと思います。首都南京まで陥落させ、蒋介石は奥地に逃げ、毛の共産軍は長征で逃げ回っていただけです。日本は軍事ではアメリカに負けただけです。

国連の改革案でP5以外の国には「拒否権」を与えないのであれば意味がないでしょう。そもそも国連の存在が必要あるのかどうかから議論すべきです。戦勝国クラブと言われるように70年前のことで既得権益を持ち続けるのでは。ましてや「敵国条項」があるのに、負担金だけは多く払わされている。こんな馬鹿げたことはない。基本的価値観を同じくする国と同盟の輪を広げ、中国を封じ込めるのが良い。

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国歌「ラ・マルセイエーズ」は軍歌 国歌はフランスの存在理由

フランス人の枕詞には「エレガント」「粋でシック」「気障」、あるいは「老獪」などがよく使われるが、「好戦的」という枕詞はあまり使われていないようだ。ところが、実際は極めて「好戦的」な国民である。モードやグルメなど文化面でのイメージが強く、どちらかというと軟弱な印象を与える「おフランス」の国民だと勘違いして接すると、ショックを受けること請け合いだ。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」はその証左だ。フランス流血革命中に生まれた軍歌とあって、歌詞の隅々までが好戦性に満ち溢れている。

♪いざ祖国の子らよ 栄光の日は来たれり

われらに向かって圧政の血塗られし軍旗は掲げられたり・・・・・      

聞こえるか、戦場で、あの獰猛な兵士どもが唸るのを?

奴らは我らの腕の中にまで君らの息子を、妻を、殺しに来る♪

好戦的で挑発的な歌詞の後には、以下のリフレィンが続く。

♪武器を取れ、市民諸君!隊伍を整えよ、進もう!進もう!

不浄なる血が我らの田畑に吸われんことを♪

「ラ・マルセイエーズ」は七番まであるが、該当の部分を引用すると、

♪フランス人よ、われらがため、ああ!何という屈辱!

いかほどの激情を搔き立てることか!♪

♪何と!外国の軍勢が、

我らの故郷で我が物顔に振る舞うとは!♪

♪手を鎖でつながれ、くび木をつけられし我らの首が屈すると!

卑劣な暴君どもが

我らの運命の支配者になりおおせると!♪

♪我らの旗のもと勝利の女神が

御身の雄雄しい歌声を聴き駆けつけんことを!

瀕死の敵どもが

おん身の勝利と我らの栄光を見んことを!♪

仏独は政略結婚

ドイツは第二次世界大戦の負い目を戦後、あらゆる面で背負い、農業大国フランスがかなりの恩恵を受けている共通農業政策では黙って加盟各国最大の負担金を支払ってきたが、戦後生まれのシユレーダー首相は一九九八年に就任した時、たまりかねたのか、「もう戦後半世紀を過ぎたのでフランスに借りはない」と言って、フランス人から総攻撃を受けたことがある。

ドイツ人が心の奥底のどこかで第二次世界大戦で早々にナチ•ドイツに敗北したフランスが戦勝国であることに釈然としていないことは次の逸話からも窺える。一九九〇年九月に東西ドイツの最終合意文書が東西両ドイツと戦勝四ヶ国(米英仏ソ)による六ヶ国外相会議で調印された時、当時の西独首相ヘルムート・コールは声明文で、戦勝国側のフランスの名を書き忘れ、「コールよ、お前もか!」とフランス人を嘆かせた。

この逸話には前例があるからだ。一九四五年五月八日、ドイツが第二次世界大戦の降伏文書に調印するために着席した時、ドイツ代表カイテル元帥は戦勝国側の席に、フランス代表のラトル•ドタニシー将軍が座っているのを見て、「なんだ、フランスもか!」と叫んだ。元帥としては皮肉ではなく、心底、ドイツが四年間も占領していたフランスが戦勝国とは信じ難かったのだ。コールとミッテランは右派、左派の党派を超えて仏独中軸を自負して欧州統合の牽引力の役割を果たし、個人的にも親密な関係だった。二人が一九八四年に第一次世界大戦の激戦地ヴェルダンの記念碑に手を取り合って深紅のバラを献花し、永遠の友好関係を誓ったシーンも記憶に新しかった。ミッテランの外交上の最大の外交失点と指摘されているのはべルリンの壁崩壊直後に当時はまだソ連だったキエフに飛んで、ソ連大統領ゴルバチヨフと会談したことだ。東西ドイツ統一により「強国ドイツ」の復活を恐れ、フランスは本心では統一に反対だったのではないか、との疑念をドイツはもとより世界中に与えたからだ。仏独協力条約(エリゼ宮条約、一九六三年)を無効にしかねない浅はかな行動とフランスのメデイアからも批判された。

仏独関係がいまもって「恋愛結婚」ではなく「政略結婚」と言われるゆえんだ。

 

「ノルマンディー上陸作戦」を敢行したのは米英らの連合軍だが、ドゴールはレジスタンスの自由フランス軍とともに最終部隊として六月十四日に上陸した。その後の約一ヶ月は上陸直前に樹立した臨時政府を米英など各国政府に承認させるために各国を回って外交戦略を展開して帰国。八月ニ十五日にはパリ市庁舎のバルコニーから有名な「パリ解放」の演説を行ない、《フランス軍の協力の下に……戦闘するフランスの……支援と協力の下に解放された》と述べ、自由解放 にフランス軍が参加していたことを指摘し、「戦勝国」入りの準備をした。そのうえで、ドゴールは「共和制の復活」を宣言するものと考えていたが、ドゴールは「共和制は続いている。ヴィシーは無効」と言い放った。つまり、フランス共和国はドゴールが率いるレジスタンスとともに存続中との認識を示した。フランスの勝利国としての正統性とフランスが戦勝国の仲間であることを強調した。

ドゴールが「戦勝国フランス」を強調したのは一九四五年当時のアメリカのカナリー上院外交委員長が、国連安保理の構成問題が取り上げられた準備委員会で米英ソ中の四ヶ国の常任理事国を主張し、「四ヶ国は世界の残存のために血を流したが、フランスは今度の大戦で小国の役割しか果たさなかった」と指摘してフランスの常任理事国入りに反対したように、フランスを「勝利国」とみなす認識が一般的に薄かった。ドゴールの政治力がなかったら、フランスが果たして無事に「戦勝国」入りして常任理事国の地位を獲得できたかどうか——。 一九八九年のベルリンの壁崩壊後、国連改革の主要議題は、「東西統一をなしたドイツや経済大国の日本らを常任理事国に加えるべし」とする常任理事国拡大論だ。ところが五ヶ国内では新規常任理事国は「拒否権」は伴わない、というのが暗黙の条件となっている。五常任理事国の「拒否権」が、いかに国際社会で重みをもつかの実例は枚挙にいとまがない。冷戦時代にソ連が連発したことは記憶にまだ新しい。最近ではロシアや中国が、民間人への殺戮が続くシリア独裁政権の反体制派への武器支援や場合によっては軍事介入を含めた制裁決議に反対して、国際社会をやきもきさせた。

暗殺未遂三十一回

実はドゴールはフランス国内でも、軍人をはじめ政治家、経済界、知識階級などのいわゆる支配階級からは生前、特に戦争直後は嫌われていた。軍人がドゴールを嫌ったのは、「特権を奪われた」(歴史家の才デイル•リユデル)と感じたからだ。ドゴール自身も軍人でありながら、実は軍人を嫌っていた。二つの大戦を通じて凡庸で愚鈍だった軍人に失望していたからだ。レジスタンスのフランス国民解放委員会の共同委員長で米国に気に入られていた五つ星将軍のアンリ•ジローから「貴殿は政治の話ばかりしている」となじられた時、「戦争とは政治です」 と即答し、ジローの政治音痴ぶりを軽蔑している。

一方、政治家はドイツの占領に加え、ヴイシー政府の対独協力という同胞同士の「裏切り」で非難され、精神的に深く傷ついていたので、ドゴールに頭が上がらず、それゆえに嫌った。

経済界もドゴールの産業復活のための国営化政策で打撃を受けたうえ、既成の政治家との人脈が役立たなくなったことでドゴールを恨んだ。

知識階級は「軍人は愚か者」と思って蔑視していたが、第二次世界大戦に至る過程ではヒトラーの野望を許したミユンへン会議(英仏独伊がミュンへンでナチ・ドイツのチエコスロバキア・ズデーデン併合を巡る会議で最終的に併合を決めた)が代表する宥和政策に反対しないどころか同調し、レジスタンスにも大半が参加しなかったという負い目からドゴールを嫌った。ドゴールを「小ヒトラー」と呼んだ知識人の代表ジャン・ポール・サルトルもその一人だ。「ドゴールがフランスの伝統的知識人であるばかりか彼らよりずっと頭脳明晰だったことへの嫉妬から」 (哲学者のアンドレ・グリュックスマン)というわけだ。日本のいわゆる知識人にドゴール嫌いが多いのは、彼らにとっての神・サルトルの影響がありそうだ。しかも、気まぐれなフランス人は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で「救国の士」の恩恵をたちまち忘れた。一方で、戦争レジスタンスに参加したのは「国民の一パーセントにも満たない」(ジャーナリストのフランソワーズ・ジルー)少数派で大多数は「一キロのバ夕―のためにさっさと対独協力に走った」 が、戦後は誰もがレジスタンスに参加したような顏をし、レジスタンスものの映画などが現在に至るまで大人気だ。

ドゴールはこうした四面楚歌の中で一九四六年にレジョン・ドヌール章に関する些事で、ヴイシー政府の残党から批判されたことに嫌気がさして、第四共和制の首相の座をさっさと辞任した。政界に復帰したのはアルジェリア戦争の真っ最中の一九五八年だ。アルジエリアは一八三○年以来、フランスの植民地だったので、一般のフランス人にとってはフランスの一地方ぐらいの認識しかなかった。当時、アルジェリアには一千万人のアルジエリア人と仏軍五十万、 約百万人のフランス人が生活しており、大半のフランス人にとってアルジェリアの独立は想定外だった。その結果、アルジェリアの民族解放戦線(FLN)と仏軍の戦闘は四年目を迎え、泥沼化の一途をたどっていた。時の左派系の第四共和制の政府には解決する能力がなかった。

アルジェリア戰争で再登場

当時の大統領ルネ・コティが一九五八年六月に「フランスで最も揮かしい人物」としてドゴールに首相就任を要請し、ドゴールは国民議会で大差の信任を得て、首相に就任した。同四日 にはアルジェリア総督府のバルコニーから総督府前の広場を埋め尽くした大群衆を前に演説し、「諸君のことは理解した!」と叫んだ。この言葉はアルジエリア独立反対の「フランスのアルジェリア」派と、アルジエリアの独立を支持する「アルジェリアのアルジェリア」派の双方から、「自分たちが理解された」と手前味噌的に解釈された。その結果、双方がドゴールに裏切られたと考えたが、特に軍人を中心にした独立反対派からはドゴールが軍人であるだけに、 「裏切られた」との思いが強かった。中にはレジスタンスに参加した軍人もいた。その結果、ドゴールは仏軍残党の極右勢力で構成された「秘密軍事組織(OAS)」から三十|回も暗殺の対象となった。

2/26大礒正美メルマガ『アベ包囲網を招いた外交無反省』について

外務省は国を売ってきた連中と言うことでしょう。エリートと言われる人達が如何に安逸に身を委ねてきたことか。そこから堕落が始まってきたのでしょう。大礒氏のようにアメリカ全体が日本封じ込めに動いているとは思えません。勿論、中韓の工作があるので、反論は続けていくべきと思いますが。何もしないで過ごすことは日本にとって悪いことという価値観を日本人全体が持たないと。「寝た子を起こすな」という議論は得てして日本を攻撃する側に有利に働きます。何故か?国際社会では反論する機会があるのに何もしなければ追認したとみなされる暗黙と言うか明示のルールがあります。日本が不利になるだけです。日本社会が全体として戦う社会にならないと難しいですが。皆で戦いましょう。

記事

 安倍晋三首相は2月12日の施政方針演説で、「戦後以来の大改革」「農政改革」など、「改革」を36回、列挙して話題となった。 その意欲は分かるが、いちばん肝心な「外交の改革」に触れていないのは、どうにも解せない。

 戦後70年にして、日本の外交が失敗続きであることは、ほとんどの国民にも理解されつつある。今夏に予定されている安倍談話に、同盟国のアメリカが、中国、韓国とほとんど同じ牽制と圧力をかけていることが、その失敗がいかに大きなものかを物語っている。

 外務省や外交官個人の能力に、すべての責任を負わせることはできないが、今日の外交敗北の遠因を探ると、1941年12月、日米開戦の通告を指定時刻に米政府に手渡すことができなかった時点に遡るべきだろう。

 これでルーズベルト大統領は、米国民に対して「卑劣な奇襲を忘れるな」と刷り込むことに成功した。もし、駐米日本

大使館がハワイ奇襲までに開戦通告を果たしていたならば、その後の戦況も、戦後の対日関係も大きく変わっていただろう。

 この「卑劣な日本人」という刷り込みが、現在の安倍首相に対する「歴史修正主義者」というレッテル貼りに、ダイレクトに結びついていると考えられる。日米同盟関係の深化を謳いながら、実は東京裁判を否定し、米国製の秩序を覆そうとしているのではないかと、本気で疑っているのである。

 ナイ、アーミテージを始めとする対日専門家(ジャパン・ハンドラー)のほとんどが、突然のように変心し、韓国の代弁者として日本に当たり始めたのは、まさに日本外交の失敗以外の何ものでもない。

 今や知らない日本人も多くなったが、真珠湾攻撃の最中に、まだぽつんぽつんとタイプを打っていた大使館員は、のちに処分されるどころか、2人が外務官僚トップの事務次官に栄進している。反論もあるが責任を取った館員はひとりもいない。

 戦後の外交失敗で最悪なのは、92年2月に中国が領海法を制定し、日本の尖閣諸島を名指しで中国の領土と明記したのに、日本は数ヵ月後に天皇訪中を強行したことである。

  これで、日本は暗黙裏に中国領海法を認めたばかりか歴史上初めて天皇が膝を屈して中国を訪問したと、相手ば

かりか客観的にも、判断されてしまう愚を犯してしまった。

 これは小和田事務次官のシゴトだったが、これとセットになるのが、第1次安倍政権の発足直後に、首相が米国を差し

置いて、まず中国に飛んでいったことである。

 中国はしめたとばかりに、国家主席ではなく、党内序列4位の温家宝首相が日本に乗り込み、安倍政権への「冊封使」としてふるまって見せた。国家元首なみに国会での演説を要求し、天皇陛下に北京オリンピックに来るようにと直に伝えた。

 こういう反応になるとは、首相も外務省も、夢にも思わなかっただろう。室町時代に幕府トップの足利義満が、明国から「日本国王」に封じられた記録が残っているが、自ら冊封してくれるよう頼みに行った宰相(行政トップ)は、明らかに歴史上初めてである。中国の正史にそう書き込まれるだろう。

 その後、09年に民主党が政権を取ったとき、飛ぶ鳥を落とす勢いの小沢一郎幹事長は、6百数十人の大規模な朝貢団を率いて訪中し、そのうち143人の国会議員がひとりずつ胡錦濤国家主席にツーショット写真をお願いした。

 いま、彼らの多くは落選して行方も分からず、小沢氏の落魄ぶりは言うに及ばない。

 それなのに、自民党の重鎮である二階俊博総務会長は何も学ばず、今月、韓国に1千4百人を連れていき、朴クネ大統領に会って慰安婦問題を持ち出されると、「全くその通りです」と同調した。

 二階総務会長は続けて5月に、こんどは3千人規模の訪中団を計画しているという。

 外務省に有力政治家の国辱外交を止める力はないのかもしれないが、首相を通じて間接的に牽制するぐらいの矜持とテクニックがあってしかるべきだろう。

  安倍首相は国会で、米国の公立高校向けの世界史教科書が、慰安婦について書いている嘘八百の内容に、「本当に愕然とした」と述べた。 しかし、この問題についても、南京事件についても、日本の外交は「反論したら余計刺激になる」という理由で、まともに反論してこなかったのである。

 その結果、米国では議会の決議や議会調査局の公式な文書で、韓国のウソ宣伝がすでに事実として確定してしまっている。安倍総理自身が何を言っても、やっぱり「歴史修正主義者」だという逆の証明に使われてしまうことになる。

 それほどの事態だということに、総理はやっと気づき始めたのかもしれない。

 直近の自称「イスラム国」による日本人拉致殺害も、総理の認識を覚醒させた可能性がある。国会答弁などでは決して認めないが、1月の中東訪問でマズイことをしたという自覚がなかったらおかしい。

 日本人2人が人質になっているから総理の言動に制約がかかるかどうか、ということではない。 専門家として見る限り、イスラエルの国旗の前で「イスラエルとの友好」を宣言したことと、ナチス犠牲者慰霊のホロコースト記念館で、ユダヤ教

の丸い帽子キッパをかぶって礼拝したことの2つが、外交上の大失敗だった。

 これではアラブの側から見れば、穏健派・過激派の区別なく、「日本はイスラエルの側についたな」という印象を受けてしまうだろう。

 それほど、決定的な演出だったと言える。外務省が推奨したのか、はたまた逆に、止めたのに総理が押し切ったのか。

 日本にとって外交上重要なのは、米国を動かすユダヤ系指導層である。必ずしもイスラエルの政治的利害と一致するものではない。 安倍総理は、やらずもがなの過剰パフォーマンスをやってしまったと後悔しているだろう。

 以上に指摘した失敗は、ほんの一部である。ほかにも多年多額のODAを供与した相手国の大半が、日本の国連常任理事国入りを支持しなかったなど、重要な失敗例があるが、いわゆる総括はおろか反省の弁も聞いたことがない。

 わずかに、本省の訓令に背いてユダヤ人6千人を救った「日本のシンドラー」、杉原千畝氏が戦後55年を経た2000年になって、ようやく「公式」に名誉回復となった例があるのみだ。

 オバマ米政権は、5月訪米を打診していた安倍総理を国賓として招待すると発表した。が、喜んではいられない。並列して中国の習近平国家主席を同じく国賓で、さらに韓国とインドネシアの大統領にも年内の訪米を要請した。

 なんのことはない、これは安倍包囲網の構築と読むべきであろう。米国の立場に立ってみれば、戦後70周年の今年、安倍首相が過去の村山談話・河野談話の枠からはみ出し、中韓との摩擦が熱くなることを、何よりも恐れるのは理解できる。

 したがって5月の日米首脳会談で、がっちりと枠にはめてしまうのが肝心だと考えるだろう。もしここで逸脱すれば、記者会見と議会演説の場で「炎上」させるぞという脅しが効いている。

 さらに加えて、日中を同格に据え、韓国とインドネシアを準地域大国と位置づけることで、日本だけが特別な同盟国なのではない、という意思表示をしているのである。

 つまり、日本国民としては認めたくないが、今や東アジア・太平洋の安定を壊すリスク要因は、中国の習ではなくニッポンのアベだ、という認識がオバマ外交の基本になっているのである。

 農政改革が反省の上に立って断行されるように、外交の大改革も当然、大反省が前提とならなければ始まらない。