iRonna 呉善花『呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出』について(『別冊正論』)

北のテロの噂で韓国も慌てふためいています。開城(ケソン)からの撤退もそのためのようです。まあ、火病持ちの同じ民族同士で勝手にやってほしい。日本に向くことのないように。韓国もあれだけ日本を貶め続けてきて、困ったときだけ日本に擦り寄らないように。儒教国家とか言われますが、信義に悖る行為しかしてこなかったでしょう。

国連人権理事会で外務省高官が、慰安婦の説明をした道筋をつけたのは杉田水脈女史(次世代の党・前衆院議員)です。メデイアでは報道されませんが。杉田氏も国連人権理事会に行っていました。状況を2/17杉田水脈女史のFacebookより紹介します。左翼が組織の金を使ってわざわざ日本を貶めるための工作をしに行くのですから。共産党から金が出ているのでは。中国共産党からかもしれません。世界に訴えるのに日本人が言った方が信用が得やすいと考えているかも。

「【日本国の恥晒し】 委員会から一夜明け、これから帰国します。いつも仕事は自分との戦いだと思ってやってきましたが、今回は違いました。目の前に敵がいる!大量の左翼軍団です。 大型連休でもない、また観光シーズンでもないこの時期にスイス・ジュネーブに100人を超す日本人が訪れるのはやはり異様です。彼らは街でも、レストランでも、ホテルでも、国連の中でも一目でわかります。

ハッキリ言って“小汚い” なんでこんなにきたない人ばっかりで集団を作れるのか不思議です。 曲がりなりにも国際会議です。近所のスーパーに買い物に行くのとはわけが違います。(私は近所のスーパーに行く時でもあんな格好はしませんが)「場をわきまえる」という日本人なら誰でもできることができていないのです。 我々はみんな各自でフライトやホテルを予約して、現地集合です。(あっちはツアーで来ているのか、胸にバッチを付けています。そういうツアーを専門的に請け合うところがあると優美子さんに聞きました。そこからして規模が違う。)今回も一人でお気に入りのホテルに泊まっていたのですが、朝食のレストランに行くと、それらしい集団が居て、ジロッと一斉に睨まれる。私は左翼活動家の名前も顔も一切知りませんが、向こうは知っているかもしれません。さすがにゾッとしました。 レストランでも我々が食事をしていると近くのテーブルにそれらしい団体が座ります。その途端、話を中断しなければいけません。 国連の会議室では小汚い格好に加え、チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります。そんな中、唯一見たことがある方を発見しました。糸数慶子参議院議員です。確か今は国会会期中のはず。不思議に思って名刺交換をして少しお話しを伺いました。そのことは今度詳しく書くとして、国会議員が在特会なんかと写真に写ると大問題になるのに(在特会のことは全く支持しませんが)、左翼活動家と写真に写っても何の問題にもならないなんて、おかしな世の中です。左翼活動家の方が暴力的で危険ですし、共産党員は公安の監視対象です。 委員会終了後、彼らが記者会見をするというので聞きに行こうとしました。日本政府の発言を受け、どんな反応かを知りたかったのです。 でも、近寄ろうとすると大勢の人間に囲まれました。辺野古の時と同じです。 「あなた、杉田さんですよね。(やっぱり知っている!)こっちに来ないでください。」 「どうしてですか?皆さん、多くの人に知って欲しくて記者会見するんですよね?私は一般市民です。聞かせてください。広く広報したいのに一般市民に聞かせないなんて矛盾していませんか?」とお願いしてみました。 「駄目です!あなた、杉田水脈でしょ!来ないでください。」と、人間の壁を作られてしまいました。 とにかく、同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなるくらい気持ち悪く、国連を出る頃には身体に変調をきたすほどでした。 とにかく、左翼の気持ち悪さ、恐ろしさを再確認した今回のジュネーブでした。 ハッキリ言います。彼らは、存在だけで日本国の恥晒しです。」

次は外務省の杉山審議官の国連人権理事会でのスピーチです。2/18藤岡信勝氏のFacebookから。国連は英文の質疑を公表しないと言っているとのこと。これを英訳して送ることも考えれば良いと思います。流石鼠男潘基文が事務局トップの組織だけあります。日本も分担金削減、通貨スワップはしないことも明言して脅さないと。いい子でいたら舐められるだけ。

「【国連女子差別撤廃委員会 2016年2月16日午前】 アイテム9 慰安婦関連質疑応答 マイスター委員(Australia)  次に慰安婦問題です。私の専門家としての立場を言う時間はありませんけども、人権の違反であります。これは被害者が納得のいく結果にならなければなりません。  1993年から人権、これは人権の会、国連の会議がウィーンで開催されました1990年以来、常にこれは国際的政治的議題になっていました。オーストリア政府、北京の代表として1995年にまいりました。2014年に日本のオーストリアの大使館からブリーフィングを頂きました。  そこで質問です。法的なステータス、2国間の合意が日本と韓国の間でみられました。それに関してどうやって実施されていくのか、コメントをお願い致します。  日本の義務は国際人権法の中でどうなっているのでしょうか。他の国の被害者、例えば中国の被害者等に関して、フィリピンの被害者等に関して如何なのでしょうか。また、どうやって勧告、いくつか最終形態の本委員会のものをどうやって行っていかれるのでしょうか。  その他の国連の勧告に致してもそうです。特に本委員会が2009年に行った勧告ですけれども、そこでは補償、それから加害者の警察の訴追、それから日本の軍当局などに関してこれらが必要だと申しました。  また、歴史の教科書の改訂も含めてどうなっているのか。あと、被害者中心のアプローチ、それから完全な形で賠償も行って、そしてお詫びも行う、完全なリハビリテーションを行うということ、どうなっているのか、これをお聞かせ頂きたいと思います。   杉山晋輔外務審議官(日本政府団・団長)  有り難う御座います。マイスター委員、慰安婦問題に関して言及いただきまして有り難う御座います。   まず、私としましては、冒頭ステートメントに加えまして、書面での回答を頂いたLOI(List of Issues) に対して行っております。そこに添付致しましたのが、先ほどゾウ主査から言及がありました日韓合意に対しての文章です。   これは昨年の12月の文章となります。回答に先立ちまして、重要な点について、私のほうから説明をさせて頂きたいと思います。日本語で申し上げます。  えー、これまで、えー、申し上げたことに加えて、次の通り、主要な点、重要ですので、えー、口頭で申し上げます。  まず、書面でも回答した通り、日本政府は、日韓間で慰安婦問題が政治外交問題化した1990年代初頭以降、えー、慰安婦問題に関する本格的な事実調査を行いました。しかしながら、日本政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行と言うものを確認するものは、確認は、出来るものはありませんでした。  慰安婦が強制連行されたという見方が広く流布された原因は、1983年、故人になりました吉田清治氏が、『私の戦争犯罪』という本、刊行物の中で吉田清治氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという虚偽の事実を捏造して発表したためであります。  この書物の内容は、当時大手の新聞社の一つである朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国際社会にも大きな影響を与えました。  しかしながら、この書物の内容は後に複数の研究者により、完全に想像の産物であったことが既に証明されています。それが証拠にこの朝日新聞自身も、2014年8月5日及び6日を含め、そのあと9月にも、えー、累次にわたり記事を掲載し、事実関係の誤りを認め、正式にこの点につき読者に謝罪をしています。  また、20万人という数字も具体的な裏付けがない数字であります。 朝日新聞は2014年8月5日付けの記事で、女子挺身隊とは戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮、台湾で女性を労働力として動員するために組織された『女子勤労挺身隊』を指す。目的は、労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。としたうえで、「20万人との数字の基になったのは、通常の戦時労働に動員された女子挺身隊と、ここで言う慰安婦を誤って混同したことにある」と自ら認めているのであります。  尚、性奴隷といった表現は、事実に反します。日韓両政府間では、慰安婦問題の早期妥結に向けて真剣に協議を行っていたところでえ~、ありますが、先ほど申し上げたように昨年12月28日にソウルにて日韓外相会談が開催され、日韓外相間で本件につき妥結に至り、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることが確認をされました。  同日午後、日韓首脳電話会談が行われ、両首脳はこの合意に至ったことを確認し、評価をした次第であります。冒頭申し上げましたように、この時の日韓合意を表す資料は、書面の回答に添付されておりますので、ここでその内容の詳細を繰り返してご説明する事はしません。  日本政府はこれまでも、アジア女性基金などを通じて、本問題に真剣に取り組んでまいりました。今後、したがって韓国政府が、えー、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算、えー、10億円程度でありますが、資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業を行う事となっております。  現在、日韓両国政府は、それぞれ合意内容を誠実に実行に移すべく取り組んでいるところであり、この点は現時点でも全く変わりはありません。このような日韓両国政府の努力につき、国際社会のご理解を頂けると大変有り難く思います。ちなみに潘基文国連事務総長を含め国際社会は、日韓両国が合意に達したことに歓迎の意を表明していると承知をしています。  もう一点だけ、最後に付け加えます。  えー、今、ご質問を頂いた、えー、ホフ・マイスター判事は、他の国の例もお上げになりました。先の大戦にかかる賠償並び財産及び請求権の問題について、ご指摘になられた点も含め、日本政府は、米英仏等45カ国との間で締結したサンフランシスコ平和条約、それだけではなくて、その他の2国間の条約など、えー、これは、えー、日韓請求権経済協力協定も含みますし、日中の処理の仕方も含みます。  えー、こういった、あー、あー、あー、ものによって、ここでこれらをいちいち説明することはしませんが、誠実に対応してきており、これらの条約等の当事者との間では、個人の請求権の問題を含めて、法的に解決済みだというのが日本政府の一貫した立場であります。  最後に一言。えー、にも拘わらず日本政府は、えー、アジア女性基金をえ~、構築し、えー、我が国の予算からの拠出と一般からの募金によって、一定の活動をしたという事も、えー、説明すると、きちんと説明をすると長くなりますので、ここでアジア女性基金の詳細については説明しませんが、おそらく、ここにおられる各委員の皆様はその内容をよくご存じだと思いますので、その点だけ付言をして、私の答えにさせて頂きたいと思います。どうも有り難う御座います。  フォローアップ質問 ゾウ委員(主査) (※実際には、この様な口調では無くかなり無礼なしゃべり方でした。)    私は、日本の団長の発言に対して非常に不満を覚えます。一切許容出来ない発言でございました。歴史は歴史です。誰も歴史を変えることはできません。歴史的な事実については、70年前であってもそれを変更することはできません。  いただいた発言の中では、日本政府の立場として、矛盾をしているということが分かりました。慰安婦の問題を否定なさいました。一方で、日韓の合意が成立したことに関しては、これを歓迎していると仰っていました。もし、慰安婦の問題が無いのであれば、なぜ韓国との間に合意を形成する必要があったのでしょうか。  そして、93年の河野証言に於いて、93年に於いて、官憲そして軍が何万人という韓国の慰安婦の採用に携わったと、動員に携わったという事が、なぜ表現されたのでしょうか。  もし、日本政府が慰安婦問題に関しては、既に完全に解決されているとお考えなのであれば、そして安倍首相がまた、謝罪の意を表されたということであれば、時の政府が誠実な対応をとるのであれば、全ての慰安婦の女性に対して日本が首相の書面での手紙を送付するべきではありませんでしょうか。 70年間にわたって苦しまれた女性に対しての謝罪の手紙を、全て、生存されている慰安婦の女性に対して送付すると共に、加害者の訴追が必要となるのではないでしょうか。これは人権規約そして国際社会に於いて求められているものです。   もし、こういった事を否定されるのであれば、なぜそのUPIの勧告に基づいて教科書に慰安婦の問題を含めるということに関しても、対応されないのでしょうか。ぜひ日本政府の立場を伺いたいと思います。  <杉山晋輔外務審議官(日本政府団・団長)   明確にお話しするために日本語でお話しさせて頂きます。ゾウ委員からご指摘いただいた点についていくつかお答えをします。   えー、まず第一に、先ほど内容については、あのー、既にお配りしてあるので、えー、詳しくは説明しませんと申し上げましたが、12月、昨年の12月28日に岸田大臣と尹長官の間で、最終的かつ不可逆的に解決されている事は、えー、文書の回答の添付の文書を見て頂ければ、明確だと思います。   従って日本政府が、あー、あー、この問題について、えー、えー、例えば歴史の否定をしているとか、この問題について、えー、えー、何の措置も執っていないというご批判は事実に反すると言わざるを得ません。   ちなみに、えー、先程、えー、いわゆる、うー、強制、えー、えー、ということは、あー、我々が調査した中では、あー、えー、裏付けられなかったと申し上げましたが、この岸田大臣の合意の中には、えー、「慰安婦問題は当時の軍の関与の基に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感して」えー、ちょっと飛ばしますが、えー、「これらすべての方々に心からお詫びと反省の気持ちを表明する。」そして、まっ、額は、10億円程度ということですが、日本の予算の措置により財団を設立すると、えー、まー、あのー、それから更に色んな説明をしなければいけないのですが、えー、中味について時間がないのでそれ以上は言いません。  で、ここで言う当時の軍の関与というのは、えー、慰安所が、あー、軍当局の要請により設立されたものであるとか、慰安所の設置・管理および慰安婦の移送について、えー、日本軍の関与があったとか、あるいは慰安婦の募集について軍の要請を受けた業者が主にこれに当たったとかいうことであるとかは、従来から認めていることであって、私がさっき申し上げた事は、そのことと共に、えー、例えば20万人という数字は、完全に間違いだと、本人、ていうか、出した新聞社が認めているとか、そういうことを明確にするために申し上げた訳だし、それから「性奴隷」という表現も事実に反するということを、もう一度ここで繰り返しておきたい。  えー、ちなみに、えー、書面で、えー、回答に添付した、えー、両外相の共同発表の文章の中にも、「性奴隷」という言葉は1カ所も、おーおー、見つからないのも事実であります。  従って、今、おー、ゾウ委員から、あーあー、ご指摘を、おー、受けましたが、えー、非常に残念なことにゾウ委員のご指摘は、いずれに点においても、えー、日本政府として受け入れられるものではないだけではなくて、事実に反する事を、おー、発言されたという風に、申し上げざるを、残念ながら申し上げざるを得ないということを明確に発言しておきたいと思います。  ほんの数十秒、先程一つ大事なことを言うのを忘れたので、言います。  あのー、えー、既に先程申し上げたように、えー、委員のお手元に届けてある日韓の合意、えー、これは、日韓間の合意であって、えー、これを現在、日韓両国政府は、えー、それぞれ、誠実に実行に移すべく取り組んでいるところであり、この点は、全く変わっていません。 えー、この様な日韓間の合意について、是非、理解をしていただきたい。こう言う重要な事を言い忘れたので、もう一回繰り返します。」

遅きに失した感はありますが、better late than never です。反撃の第一歩としたい。

本記事を読みますと、如何に反日教育が罪深いかという事です。朴正煕大統領が16年間、反日教育を徹底したと呉善花教授は言っております。民族的特質と相俟って日本に対するコンプレックスからジャパンデスカウントを世界的に、金とハニーでやって来ました。台湾は外省人は中国人ですから、馬英九も台湾に慰安婦記念館を作り、中共と一緒になって日本への貶め工作と金を強請る積りです。日本にとって最大の敵は中国、北や南、民主党・社民党・共産党、朝日新聞等左翼メデイアは中国の手先です。日本国民も良く見て、彼らの発言に惑わされないようにしないと。

記事

呉善花(評論家・拓殖大学教授)

Wu Shang Hua

 

 

 

 

 

 

 

 

反日への入り口

 私の幼い頃、母は戦前に父と共に日本で働いた時分の思い出をなつかしみながら、日本人への親しみを込めてしばしば語ってくれた。1960年前後のことである。私が育ったのは済州島の海村だったが、村の人で日本をことさらに悪くいう人はいなかった。村の祭りになると、私はしばしば、ムーダン(巫女)のおばさんの勧めで、母に教わったいくつかの日本語の単語を大人の前で披露してみせた。いつも拍手喝采で、ムーダンのおばさんからきまって、「よく知っているね、偉い子だね」と頭を撫でられたものである。

 それが小学校に入り、学年を重ねていくにつれて、「日本人はいかに韓国人にひどいことをしたか」と教えられていくことになる。教室の黒板の上には、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼ってある。反共の「共」はそのまま北朝鮮を指し、いかに北朝鮮が邪悪で恐ろしい国なのかを教わり、その一方で日本人がいかに韓国人に対して悪いことをしたかを教わる。

 ずっと後、日本に来て知り合いになった台湾人留学生に、「こんな教育を受ければ、どんな人でも必ず反日感情をもつ」というと、「そんなことはないでしょう」という。「なぜか」と聞くと、「学校ではすさまじい反日教育を受けた一方、家庭や地域で聞くのは大部分がその反対のことばかりだったからだ」という。  私の場合はそうではなかった。家へ帰って学校で教わったそのままに「日本人てひどい人たちなのだ」といったことを語ると、父も母も無言で応じたり、適当にあいづちを打つばかりだった。村の大人たちにしても、大方はそんなふうであった。私はそれが不満で、「お父さん、お母さんや村の大人たちは、学歴の低い田舎者だから、何もわかっていないんだ」と思うようになっていった。

meeting to show respect for the aged in Korea

日本統治下で行われた「敬老会」。朝鮮の子供が遊戯を披露し、日本女性が朝鮮の老人たち(写っているのは男性ばかり)に給仕している(朝鮮総督府『朝鮮事情』昭和15)

  田舎のおばさん、おじさんたちほど、反日意識が弱いのは、彼らには学がなく無知であるからだ、といういい方は一般的にもよくされていた。高い教育を受けた者ほど反日意識が高いというのが常識だった。私も、勉強をすればするほど次第に反日意識を強くもたねば、という気持ちにもなっていく。

  私は、小学校高学年あたりから、そのことで大きく迷った。

South Korean texbook

 

 

 

 

 

 

日本について事実と異なる記述が羅列された韓国の中学国史の国定教科書  

母から聞いた日本は、叔父さんたちが住んでいて、ミカンがたわわに実り、泥棒する人もいない、しかもお風呂が普段に入れて、人は親切だという日本だった。その国の言葉をいってみせると、大人たちは「いい子だ」と拍手さえしてくれた。なぜそうなのか。「大人たちはみんな無学な田舎者なんだ。ほんとうの日本がどういう国かということを教わってこなかったんだ。だから、何もわかっていないんだ」と、きっばり意識チェンジをしていった。

私は学校教育を通して、それまで知らなかった新しい世界の見方を知ったと思った。旧世代の韓国人、旧時代の韓国との別れだった。私たち立派な知識を身に付けた新世代韓国人が、これからの新しい韓国を建設するんだ。しだいにそういう意識が芽生え、私のなかから急速に日本への親しい感情が消え去っていった。

情緒教育としての反日教育

 授業を通して、父母たちの世代は土地を収奪された、日本語教育を強制された、独立を主張して殺害された、拷問を受けた、強制徴用されたと知らされていく毎に心にやってくるのは、自分自身の身を汚されたかのような、いいようのない屈辱感であり、そこから湧き起こる「決して許せない」「この恨みは決して忘れてはならない」という、ほとんど生理的な反応といえる怒りであった。

 当時の教科書の内容は詳しく覚えていないが、基本は現在のものと大差はない。現在の国定教科書では、「[侵略戦争を遂行するために]日帝はわれわれの物的・人的資源を略奪する一方、わが民族と民族文化を抹殺する政策を実施した」として、それを「日帝の民族抹殺計画」と名付けている(「中学校国史教科書」1997年初版)。「民族抹殺」という言葉が情緒を強く刺激する。

texbook of Korean language

 

 

 

 

 

日本が開設した普通学校(小学校)の朝鮮語、授業で使われた『朝鮮語読本』  

「日帝の民族抹殺計画」として挙げられているのは、内鮮一体・皇国臣民化の名の下に、韓国人を日本人にして韓民族をなくそうとした、韓国語を禁じ日本語の使用を強要した、韓国の歴史の教育を禁じた、日本式の姓と名の使用を強要した、各地に神社を建てさせ参拝させた、子供にまで「皇国臣民の誓詞」を覚えさせた、というものだ。しかし、そう列挙されているだけで具体的な内容は一切書かれていない。「高等学校国史教科書」も同じことである。そのため、強く刺激された情緒が知識の媒介をほとんど受けることなく、身体にストレートに浸透するのである。  小学校でも同様に、日本によって民族が蹂躙された、奴隷のように扱われた、人間の尊厳に大きな傷を受けたといった形で反日教育が教室のなかで行なわれている。幼い時期はより多感なものだから、「ひどすぎる」「絶対に許せない」という思いで心がいっぱいになる。

 もちろんそれは人ごとではないからだ。同じ血を分けた韓国人であり、お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さんたちのことだから、自分がやられたのと同じ気持ちになってくる。我が身を切り裂かれるような辛く苦しい気持ちになり、激しい怒りがこみあげてくる。そうか、日本人はそんなに「侵略的で野蛮な民族的資質」をもつ者たちかと、心から軽蔑していくことになる。

 これは歴史教育ではなく明らかな情緒教育である。歴史認識以前に、反日情緒・反日心情をしっかり持つことが目指されているのである。

侮日教育としての反日教育

 一九六〇年代のことだが、小学校では「反共ボスター」をよく描かされた。私たちが描く「反共ボスター」の絵柄の多くは、「鬼のような形相をした金日成が韓国を蹂躙する姿」だった。いかに北朝鮮が怖い国かを描くことに力を入れたと思う。

poster of blaming Japan

仁川の地下鉄駅に貼り出された竹島をめぐる日本非難ポスター。子供が描いたとは思えないほどむごく、汚れた絵柄だ

 私は全斗煥政権時代の1983年に来日するまで、金日成の写真も映像も見たことがなかった。客観的な情報もいっさい知らされていなかった。自分が受けた教育からイメージした北朝鮮は、「悪の権化の金日成を頂点に諸悪を凝り固めてつくった国家」であり、人間らしい気持ちをもって生きる者が一人として存在しない世界であった。金日成の姿は絵でしか知らされることがなく、その絵たるやいかにも凶暴な悪魔のように描かれていた。私が日本で金日成の写真を初めて見て、「なんてハンサムで穏和な顔をしているのだろうか」と思ったものである。

 「反日ポスター」も描かされたが、そのモチーフは北朝鮮のように「恐怖」ではなく、いかに日本は侮蔑すべき国かという「侮日」にあったと思う。日本はどれほど卑しく野蛮な国か、韓国はどれほど尊く文化的な国かといったところに力を入れていたように思う。それでも、当時の私たちが描いた「反日ポスター」は、現在のものほど下劣ではなかった。子供もなりに「愛国者」として持つべき品位が心されていたと思う。

 2005年6月、仁川市の地下鉄キュルヒョン駅構内で、地元の小中学生による「獨島(竹島)問題」をテーマにしたポスター展があった。子供たちのポスターは百枚以上貼られていたと思うが、それらを見て私は心から驚いた。獨島問題がテーマなのに、大部分がテーマを大きくはみだしている。悲しくなるほどの下品な絵や言葉で日本を貶め、日本人を侮蔑するものばかりだった。

 たとえば、ウサギが日本に糞をしている絵柄があった。韓国は国土の形からウサギになぞらえられているのだが、そのポスターでは中国・韓国・日本をカバーする地図が描いてあって、韓国の上に立ったウサギが中国の方に顔を向け、お尻を日本に向け、お尻から日本列島の形をした糞を出している。

 そのほか、子供たちが日の丸を取り囲んで踏みにじっている絵、日の丸が描かれたトイレットペーパーを燃やしている絵、日本列島を火あぶりの刑に処している絵、「嘘つき民族日本人」を犬小屋で飼っている絵、核ミサイルを韓国から日本へ撃ち込んでいる絵など、まるで日本は交戦国であるかのようだ。絵に付された言葉も、「日本の奴らは皆殺す」「日本列島を火の海にしたいのか」「日本というゴミ、捨てられる日はいつなのか」など、「なんでもあり」なのだ。

 これら「反日ポスター」からわかることは、昔も今も韓国の小中学校では反日というより侮日教育をしているまぎれもない事実である。

 韓国の教育界は、小学生のときからこうした教育を受けさせることで、伝統的な侮日観をしっかり身につけさせていこうとしている。これによって、相手が日本人であれば、その言動は「倫理・道徳にもとろうとも構わない」という意識が植え付けられていく。

 韓国の著名な小説家・翻訳家の李(イ)潤(ユン)基(ギ)氏も新聞コラムで、韓国では「相手が日本人ならば、ちょっとやそっとは無礼であっても構わない」が通念になっていると書いている(「日本人に対する礼儀」東亜日報2006年1月4日付)。いや、「ちょっとやそっと」どころではない。実際には「どんなに」無礼であっても構わないのである。

唯一の観点からの歴史教育

 歴史にはさまざまな観点があり得る―ことは、長い間私の意識のなかにはなかった。歴史には一つの見方しかないと思っていた。こういうと、お前はいったい何を勉強してきたのかといわれそうだが、日本に来るまでは正直にいってそうだった。

registers of Korean land

 

 

 

 

 

 

土地調査事業で詳細に作成された新土地台帳と旧来のおおざっぱな台帳(朝鮮総督府臨時土地調査局編『朝鮮土地調査事業報告書追録』大正8)

 そういう私は、韓国人のなかで例外的な存在だったのではない。一般の韓国人ならばほとんどがそう思っているのと同じように、私もまた歴史には一つの見方しかないと思っていたのである。なぜかと思い返してみるほどに、韓国の学校歴史教育を受けてきたから、というほかにどんな理由もないと思える。

Copy of the registration in Korea

 韓国の歴史教科書は、日本の歴史教科書とはその記述方法がまったく異なっている。反日教育といっても多様な面があるのだが、日本統治下での土地問題がどんなふうに教えられているかを例に挙げてみたい。  韓国の生徒たちが学んでいくのは、朝鮮総督府が統治にあたって行なった土地制度の近代化を目的とする、土地の面積、所有関係、使用状況などに関する土地調査事業についての史実なのではない。

公有地管理がずさんで農民などが長年無断占拠した「駅屯土」も土地調査で所有権が明確化し、改めて小作申請を求めた。手続きが理解できず小作できない農民が続出した(同)

 私が学んだ教科書でもそうだったが、最近の教科書でも「日帝は土地を奪うために…」という文言から書き始められている。日本統治下での土地問題を学ぶにあたって、生徒たちが最初に頭に入れなくてはいけないのは、「土地調査事業は日帝が土地を奪うために行なったものである」と意味づけられた一つの観点である。その上で、次から「現実の諸関係はどうだったか」を見ていく、という流れになる。

 生徒たちが学ぶのは何よりもそうした一つの観点なのである。つまり、歴史についての「唯一の正しい観点」を学ぶことが、韓国では歴史を学ぶことである。そして、その観点から歴史的なさまざまな物事を理解していこうということになる。ようするに、生徒たちはその唯一の観点に立って、そこから足を踏み外すことなく、歴史的な物事のあり方、性格、推移などを位置づけていく力を養いなさい,ということになる。

 そういうわけだから、その唯一の観点とは別の観点で歴史を見ていくことは、歴史に対する見方の踏み外しだということになる。個々の歴史事象については、その学び取った観点から光を当てることによってだけ意味をもつものとなる。したがって、「土地所有を近代的に整理する」という朝鮮総督府の政策は、「土地を奪うための口実」として意味づけられることになる。

 「日帝は土地を奪うため」が土地調査事業の真意なら、その「収奪」はとてつもなく過酷なものでなくては意味をなさなくなってくる。そうであれば、朝鮮総督府の資料に基づいて知られる「朝鮮総督府が接収した農地は全耕作地の3%」という数字は余りにも少なすぎるため、とうてい採用することはできない。採用すれば観点そのものが崩れてしまう。

 そこで教科書では「40%の土地を奪った」とするのである。この数字の根拠は不明で,「日帝は土地を奪うため」という観点との整合性をもたせるための数字だというしかない。数字の出所や計算方法は、教科書ではまったく示されていない。

民族主義教育としての反日教育

 反日教育は反日民族主義教育として本格化される。その第一の前提におかれるのが、「生来の野蛮で侵略的な資質をもった日本民族」である。この日本民族の性格は、日韓関係の歴史を次のようにとらえる歴史観から導き出されるものだ。

 韓国は文化も何もなかった時代の日本に、儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を伝えてあげた。にもかかわらず日本はその恩を忘れ、古代には「神功皇后による三韓征伐」や「任那日本府(日本による朝鮮の植民地)」があったなどの捏造記事を国史に記載し、中世には豊臣秀吉による朝鮮侵略が行なわれ、近世末には国学者らにより韓国征伐論が唱導され、明治初期には政府内に征韓論が火を噴き、韓国の江華島に砲撃を加えて戦争を仕かけ、明治末に韓国を併合して36年にわたる暴力的な支配を行なった―。

 このように歴史を連続させ、この流れを一連のものとみなして、その根本的な原因を「日本民族の野蛮で侵略的な資質」に求めるのが、韓国の反日民族主義史観である。これが反日教育の柱となる。

 日本民族というのは、そもそもからして野蛮な侵略者だったという考えが、なぜ出てくるかというと、古くからの朝鮮半島諸国には、日本を蔑視していた歴史があるからである。なぜ日本を軽蔑したかというと、朝鮮半島諸国が奉じた中華世界では、華夷秩序(かいちつじょ)が正しく善なる世界システムだからにほかならない。

 世界の秩序は「文明の中心=中華」と「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」で構成される、というのが華夷秩序の基本的な世界観である。中華世界の中心にあった中国とその忠実な臣下だった歴史的な朝鮮半島諸国は、日本という国を千数百年にわたって、「その周辺の感化・訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」とみなし続けてきた。韓国の日本観の根本にあるのは、こうした歴史的・伝統的な意識体験に由来する侮日観なのである。

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シナ皇帝の使者を属国朝鮮として迎えた「迎恩門」。日清戦争後の日本が清から独立させると取り壊され、代わって「独立門」が建立された

 道徳的に優れた上の者が、道徳的に劣った下の者を、常に訓育・感化していかなくてはならないという儒教の考えが侮日観を形づくっていて、これが韓国の対日民族優越意識の根本にある。さらに韓国には、自らこそ中華の正統なる継承者であるという小中華主義の誇りから、潜在的なエスノセントリズム(自民族優越主義)がある。

 そのため、対日民族優越意識がいっそう強固になっているといってよい。竹島問題にしても、靖國神社をめぐる問題にしても、慰安婦問題にしても、我々が文化を与えてきた、本来は我々の下に立つべき日本人が、我々を下に見て、我々をばかにしていると、そういう感覚からの反発が第一となっている。

 そもそも民族主義とは、戦後に独立したアジアやアフリカ諸国の民族主義をみても、まずはエスノセントリズムから出発したといえるかと思う。かつての西洋にも、これを拡大した白人優越主義があった。我が民族は他民族に優越する優秀な民族だというエスノセントリズムは、民族国家の出発に際しては多かれ少なかれどこにもあったものだ。それを秘かに思っていようと、常に公言していようと、初期の民族主義成立にはそういう自民族優越主義の要素が不可欠だったと思う。

 しかし韓国の民族主義はそこから一歩も進まない。なぜかというと、民族主義の内容が反日と結びついた反日民族主義だからである。反日なくしては韓国の民族主義が成り立たない。反日の理念を核に国民国家の意識を形成してしまったのが韓国である。こんな国は他に例がない。

 結局のところ、韓国の反日民族主義の根は日本を蔑視してきた歴史にある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。日本が韓国を統治したというのは、そういう蔑視すべき民族がもたらした結果であって、日本統治を原因として日本蔑視の反日民族主義が興ったのではないのである。

来日2、3年目にぶつかる壁

 学校教育で身に付いた、反日感情に裏打ちされた反日意識は、成長するに従い、社会的・国民的なコンセンサスとしてあること、韓国人ならば誰もがもつ常識であることを自覚する。異議・異論と一切出会うことがない社会環境で、疑問の余地なく韓国人としての自分のアイデンティティとなっていく。こうして私は、「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体を強固に抱えもつ、「新世代の韓国人」へと成長していった。

 私は小さい頃から、島から半島へ、半島から世界(欧米)へという志向が人一倍強かった。男尊女卑の強い韓国社会を脱して世界に羽ばたきたかった。そこでアメリカへ留学したいと思ったが、当時の韓国ではアメリカのビザ取得はきわめて困難だった。そのため、まず何人かの親戚も生活する日本へ留学し、日本を足場にアメリカへ渡ろうと思った。三十数年ほど前のことである。

 日本へ留学する数カ月前、たまたま機会があって、韓国のキリスト教教会の関係で、日本の老人ホーム慰問団の一員として初来日を果たした。1982年12月から翌年の1月にかけての短い期間だったが、そのときに私が体験した日本は、韓国にいるときにイメージしていた日本とはまるで違っていた。

 日帝時代を頑迷に反省しない日本人―決して許してはならないと強く思っていた私は、どこへ行っても優しく親切な日本人に触れて、大きく肩透かしをくった感じがした。わずかに触れた日本の生活風習も、私にはとても好感のもてるものだった。

 駆け足での体験とはいえ、滞在した一カ月の間、悪い印象はまったくなかったことは大きなショックだった。きわめて驚くべきことであった。

father of victim

イスラム過激派に拉致・殺害された邦人男性の父親は取材を受け「皆さまにご迷惑をおかけしました」とまず詫びた。この冷静な態度を称賛したり、理解しがたいとしたりする声が韓国で上がった

  私がはじめて知った日本は、そのようにとても印象のよいものだった。反日意識に変わりはないが、「これなら、それほど緊張することなくやっていけそうだ」という感じをもてた。いや、表面だけではわからないぞ、とも思うのだが、帰国した私は気を昂らせながら日本へ渡る留学手続きに奔走した。留学生ビザを手に日本にやって来たのは1983年7月のことだった。

 留学生として、また仕事関係で日本に長期滞在する場合、ほとんどの外国人、とくに韓国人や中国人は、来日1年目はとてもよい印象をもつものである。韓国人には多かれ少なかれ、日本人=未開人、野蛮な人たちというイメージがある。しかし、実際に日本人と付き合ってみると、誰もが親切で、優しくて、思いやりがあって、未開人的な、野蛮人的な日本人はどこにもいないではないか、日本はなんて素晴らしいのか、ということを誰もが感じる。なんといっても、日本は自然が美しい。そして、空気がきれい。しかも、治安がすこぶるよい。

 とくに反日意識が刺激されることもなく、こうした日本の良さを感じながら、最初の一年は楽しく過ごすことができるのが普通だ。

 しかし1年が過ぎて、もう一歩踏み込んだ付き合いをすることになる2年目、3年目になると、多くの韓国人は日本人がさっぱりわからなくなる。価値観が違うし、善悪の考え方も違う、日本人の精神性、メンタリティーがどうにも理解できないことになってしまう。人によって、程度の差はあるけれども、だいたい2年目、3年目で落ち込んでしまう。

 もはや日本人は人間ではないとまで思う人たちもいる。私もそう感じて深刻に落ち込んでしまった。同じ人間なのに、日本人はなぜこうなのか、日本は人間が住む社会ではないとまで私は落ち込んでしまった。日本人は我が国を貶めてきただけに、やはりおかしな人たちだったのだと思うようになっていく。

 実際には、本格的な異文化体験がはじまったということなのだが、異文化ゆえの異質性が、根にある反日意識と結びつき「人間としておかしい」といった感覚的な判断を生じさせてしまうのである。

 その典型を、日本に2年半滞在して韓国に戻った韓国人の女性ジャーナリストに見ることができる。彼女は、帰国して書いた本で「日本に学ぼうという声が高いけれども、日本のような国には絶対学んではいけない」、なぜかといえば、日本人は異常な人たちだからだ、というように書いている(田麗玉「日本はない」、日本語版「悲しい日本人」)。

 どんなことから、彼女は日本人は異常だというのか。たとえば彼女は、「日本人の割り勘は、その場限りで人間関係を清算しようとする冷たい心の現れだ」と書いている。

 ことごとくが、2年目、3年目でぶつかった、異文化ゆえの習慣の違いや価値観の違いに関わることなのである。それが反日意識と結びつくため、すべて日本人の「悪意の現れ」としてしまうのだ。私も2、3年で韓国へ戻っていたら、彼女と同じ考えのままだったと思う。

 そこには、自民族の文化を価値規準にして、他民族の文化、生活習慣、思考様式、行動形態などを、みっともない、不合理だ、間違っている、劣っているなどと否定する傲慢な態度がある。自文化の価値体系こそがどこよりも正当なものであり立派ものだと頭から信じられている。

 その弊害は、自分に都合のよい空想をもって現実を見ようとはしないさまざまな面に現れてくる。

「反日」という「バカの壁」

 韓国の「反日」は「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識・反日民族主義」の混合体である。そのように完成された一つの固定した考え、揺るぎのない考えである。

 一つの固定した考え、完成された考えにはその先がない、未来がない、そこが終局の地点となっている。だから相手の考えを耳に入れる余地がない。多角的な視点から物事を見て判断することができない。自分のいやな事、知りたくない事、興味のない事を無視しようとする。そういう相手には、いくら誠意をつくして話しても、わかってもらえることがない。なんとしても「話せばわかる」ことにはならないのである。

 ようするに「反日」は一つの硬直した固定観念であり、それが養老孟司氏がいうところの、自分の思考を限界づける「バカの壁」となっているのだ。そのため話が通じないのである。来日2年目、3年目にぶつかる壁が「バカの壁」だとは、誰も容易に気づくことができない。そこで私のように落ち込んだり、「日本人は人間ではない」とまで思うことになってしまうのだ。

bereaved family

大邱地下鉄放火事件で政府高官に食って掛かろうとして取り押さえられる遺族。韓国では事故や事件などで激しく取り乱す遺族が少なくない

 「反日」を脱するとは、この「バカの壁」を超えることにほかならない。簡単にいえば、柔軟に、多角的に、相対的に物事を見て判断する、といったことになるだろうが、これが韓国人には実に苦手なのである。

 たとえば、人は現実社会のなかで、家族関係、友人関係、先輩・後輩関係、集団関係など、さまざまの実際的な人間関係の体験を通して、自分なりの物事への対処の仕方を身につけていく、という考えがある。

 それに対して、人には本来的な人間のあるべき姿があって、これを目標に社会のなかでさまざまな物事を体験することによって、正しい物事への対処の仕方が自分のものになっていく、という考えがある。

 日本人の多くは前者のように考え、韓国人の多くは後者のように考えている。仮に前者を実際主義、後者を理念主義と呼べば、実際主義では「現実的な人間関係」が先にあり、理念主義では「理想的な人間像」が先にある。この「理想的な人間像」が「バカの壁」となっているのが韓国人である。

 また、多くの日本人は、善悪・正邪は相対的なものだという。しかし多くの韓国人にはどんな場合も変わることのない絶対的なものである。だから、善悪・正邪は時々で異なるものだといった日本人は「人間ではない」とまで思えてしまうのだ。

 倫理・道徳も韓国人にとっては相対的なものではない。人間ならば絶対に守らなくてはならない真理である。しかし多くの日本人は、倫理・道徳は大切ではあるけれど、それは「時・場所・場合」によるもので、普遍的にあてはめて説くべきものではない、倫理・道徳を説く理念は立派なものだが、それは第一に優先されるべきものではない、と考えている。韓国人の場合は、「倫理・道徳」は完璧で揺るぎのない「バカの壁」となり、自分自身の心を縛ってしまうのである。

 多数の韓国人が、来日2、3年でぶつかる壁を越えられない。だが、そこをなんとか乗り越えて、5年ぐらい居座っていると、異文化としての日本が見えてくる。だいたいは日本のよさが理解でき、日本が好きになっていく。私もそうだが、そういう韓国人が多いのは確かである。

 それでも「反日」だけは抱え続ける人もいる。そこでは反日意識と親日感が同居する。「公的(理念的・外面的)には反日、私的(実際的・内面的)には親日」というようになっていく。現在のように情報が自由に飛び交い、日韓交流が盛んな時代では、韓国に居ながらにして「公的には反日、私的には親日」という人が大部分といってよい。

 「反日」をひとたび棚上げにしさえすれば、韓国人の誰でも日本人と親密に付き合える。国交という面でいっても、かつての日韓関係でも日中関係でも、できる限りそう処して付き合おうとしていた時代があった。しかし、そのままではやがては限界がくる。現在の最悪ともいえる日韓関係が如実に物語っている。

物事への相対的な視線の大切さ

 知識人であればあるほど、「反日」から抜け出ることが難しいようだが、人それぞれの脱し方があると思う。私の場合を振り返ると、そこには大きく三つの契機があった。

 一つには、来日3年目で最も落ち込んでいた頃、「郷に入れば郷に従え」を徹底的に実践してみようと思い立ったことである。たとえば、日本人好みの渋みある茶碗。「あんなもののどこがそんなにいいのか」と蔑む気持ちがあった。そこで「韓国人好み」をひとまずカッコに入れて、そうした茶碗を次々に買い求めていくことにした。

 そのうち収集が趣味ともなって、大きな楽しみになっていった。習慣・価値観・美意識などを含めて、そうしたことをやっていった。直接「反日」とは関係ないが、先に述べた「日本人は人間としておかしい」という感じ方が崩れていく大きなきっかけとなった。

 二つには、日本人ビジネスマンに韓国語を教え、韓国人ホステスやビジネスマンに日本語を教える語学教師を数年間やったことである。そこでは、否(いや)が応でも日本人からは韓国人との行き違いの悩み、韓国人からは日本人との行き違いの悩みを、さんざんに聞かされるのである。

  韓国人ホステスたちの悩みは、日本人の彼氏との悩みが多く、また結婚している人もいて、彼女たちは日本人家庭での嫁姑の問題で悩んでいる。日本人ビジネスマンの悩みは、会社を背負って韓国に仕事に行ったが、どうにも勝手が違うので交渉事がはかどらない、仕事の手順が合わない、といったものが中心だった。

  聞けば聞くほど、私が悩んでいたことそのままである。嫁姑の問題やビジネスの問題を超えて、そこには共通の日韓の「行き違い問題」が伏在していることを知った。

  韓国人は、自分の行動や思考をよしとする一方で、日本人をおかしな人たちと見ている。それにまったく匹敵する程度で、日本人も同じように韓国人をおかしな人たちと見ている。日本人と韓国人は、実に合わせ鏡のような相互関係にある。いや、あるというよりは、そこへと無意識のうちに落ち込むのである。

  私が美しいと思えないものを、なぜ日本人は美しいと思うのか―。それは私のテーマであり、また私の語学教室の韓国人生徒たちの切実なテーマでもあった。

 韓国人ホステスたちと日本人ビジネスマンたちの時間の都合から、私は主に、昼は韓国人に日本語を、夕方からは日本人に韓国語を教えた。この行ったり来たりが、おそらくは日韓をめぐる物事への相対的な視線を養わせたのではないかと思う。

「反日」からの脱出

  三つには、日韓ビジネスコンサルタント会社でアルバイトをしていた関係で、仕事で韓国とつながりをもつ人たちが行なっていた勉強会に参加したことだった。メンバーは、大企業の幹部社員、弁護士、弁理士など、そうそうたる第一線のビジネスマンたちだった。

  勉強会では、まずはみなでそれぞれ自分の韓国での体験を話す。最初は一様に韓国のよさをほめている。しばらくすると、しだいに韓国の悪口が出はじめ、会のなかごろからはいっせいに韓国と韓国人への猛烈な批判が展開されるようになる。彼らの舌鋒は私の存在にまったく頓着することのない、実に厳しいものだった。もちろん歴史認識の問題についても、領土問題についても、靖國問題についてもである。

  私はしだいに腹が立ってくる。しかし「感情むき出し」といわれる韓国人の弱点はみせまいと、必死にがまんをして、できるだけ冷静に反論するようにしていた。それでも時折、大声を張り上げて反撃することは少なくなかったと思う。

 現在からすればとても信じられないかも知れないが、私が日本にやって来た1980年代当時は、韓国に厳しいことをいう日本人はきわめて少なく、総督府の朝鮮統治についても、韓国の主張と真っ向からぶつかるような議論はそうそう見られなかった。日本の有力紙が、北朝鮮へのシンパシーを記事の中で示すのも珍しいことではなかった。朝鮮半島をめぐる言論環境は、当時と今とでは大きく違っていたのである。

  そうした状況で、知韓派日本人から遠慮会釈もない徹底的な「韓国批判」を突きつけられることなど、あり得ない希有な体験だったと思う。よくあるように、彼らが「日本人は韓国人にひどいことをしたね」とばかりいう人たちだったなら、間違いなく今の私はなかったと思う。

 勉強会を通して、韓国では日本の朝鮮統治を、自民族に固有にふりかかった災難という観点だけでとらえ、人類史的なテーマとして植民地化の問題を追究する姿勢がまったく欠落していることを思い知らされた。欧米の研究者でも、日本の統治をおおむね「善政」とみなしている論者が大部分であることを知った。

Houbun Yamashita

マレー作戦成功でシンガポールの英軍に降伏を促す山下奉文中将(左から3人目)ら。大東亜戦争で多くのアジア諸国が欧米の植民地支配を脱した

 欧米人のなかにすら、日本の戦争を、アジア諸国の植民地からの解放と独立に一定の役割を果たしたと評価する考えがあることを知った。韓国にいた時分の私は、世界にこれほど多様な観点があることなど、思っても見なかったのである。

 この勉強会で私は、「これは真剣勝負なんだ」と自分自身にいい聞かせ、彼らと正面から向き合っていったと思う。その体験を通して、それまでの自分の歴史認識を見直していく方向への道が、しだいに開かれていったのは確かなことだった。

 私の体験はかなり特異かもしれない。しかも三十年を遡る時代のなかでの体験である。それでも「来日2、3年でぶつかる壁」は現在のものでもあり、この壁との激突の内に、反日からの脱出可能性が秘められていることは、示すことができたのではないかと思う。現在の日韓関係がぶつかっているのも、まさしくこれと同じ性質の壁なのである。  お・そんふぁ 1956年韓国済州島生れ。志願して4年間の軍隊生活を送る。昭和58年大東文化大学に留学。平成6年東京外国語大学大学院で修士課程修了。同年から執筆活動を始め、日本で働く韓国人ホステスを取材した『スカートの風』がベストセラーに。新潟産業大学非常勤講師、拓殖大学客員教授を経て同大国際学部教授。『攘夷の韓国 開国の日本』で8年に第5回山本七平賞。日韓関係や韓国の民族性などについて客観的な論評を続ける。現在は日本国籍。客観的な論評が「反韓的だ」と19年以降、韓国から度々入国を拒否されている。『韓国併合への道 完全版』『「見かけ」がすべての韓流』『日本浪漫紀行 風景、歴史、人情に魅せられて』『漢字廃止で韓国に何が起きたか』など著書多数。近著に『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)。  ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載