中国経済の不振はチャイル・ショックとも表現され、世界的に認知されて来ました。ゴールドマン・サックスがBRICSと持て囃し、投資を煽りましたが、中国の米国覇権(国際金融資本かもしれませんが)に挑戦する姿勢を見て宗旨替えしたのかも知れません。戦争するよりは経済で相手を痛めつける方が高等戦術です。でも以前のブログで書いた通り、ランド研究所の尖閣の論文を見るとチャイナマネーが跋扈しています。経済を崩壊させれば賄賂もどきの金も使えなくなります。同時に韓国経済も崩壊して、ハニーしか使えなくなります。
宮崎正弘・石平著(二人とも中国経済の崩壊を早くから予見)『私たちの予測した通り、いよいよ自壊する中国!』(P105~106)の中で石平氏は「胡錦濤が共青団を使って人の恨みを買う事を全部習近平にやらせてそれで党を掃除して、次の党大会で自分達が実質的に政権を取ると言う策略です」と述べています。それに対し、宮崎氏は「習は毛を見習うと言ってもそれだと胡がやっていることになる。国共内戦から共産党勝利の道と同じ(漁夫の利を得る)」と応じています。共産党の奥の院の権力闘争は何が真実か分かりません。団派が勝っても、習派が勝っても、共産党の統治システムが残る限り、中国人民にとっては不幸であることは間違いないです。
下は大学にも共産党の魔の手が伸びるという記事です。北京大学も査察と言うのは、日本でも東大に政府が介入するようなものです。ただ、大学の教職員は左翼が圧倒的に多い。これを見て彼らは何も感じないのかと言いたい。
2/16日経には「中国と世界 「反腐敗」で頭脳流出
「末端の腐敗を厳しく処分し、成果を民衆に実感させないといけない」。中国の習近平国家主席は1月、共産党内の会議でこう強調し、汚職摘発をすみずみまで広めるよう指示した。新たに矛先が向かう一つが、大学などの教育機関だ。
最高学府・北京大学にも春から査察が入る
■研究許可厳しく
共産党中央規律検査委員会の「巡視組」と呼ばれる査察チームは今春から、最高学府・北京大を調査する。規律委の幹部は1月、大学で教師が不適切な言論を広めていないか監督を強化する方針も打ち出した。
大学関係者によると、摘発を恐れるあまり研究プロジェクトの許可が各大学でおりにくくなっている。研究ができず余った予算を政府に返納する動きもあるという。ある大学教授は「自由な研究や授業をやりにくい雰囲気がある」と困惑する。
「自由がほしかった。大学生になっても管理されるのは御免だ」
広東省出身の周朝陽さん(21)は北京大など国内トップクラスの大学を選べる成績だったが、香港大学を選んだ。「学生補導員」と呼ばれるチューターが学業から日常生活まで管理して党に報告するシステムに耐えられなかった。卒業後も香港で働きたいという。
■150万人の差
2000~14年に中国から海外に向かった留学生数と帰国者数を比べると約150万人が戻らずに海外にとどまっている。帰国者への優遇制度を始めた2008年以降は帰国する割合が以前よりも改善していたが、14年は出国者が前年比11%増と高い伸びを記録したのに対し、帰国者数は同3%増にとどまった。14年は習指導部が反腐敗運動を強めた時期だ。
香港大のアナトリー・オレシエンコ准教授は「頭脳流出が起きるかどうかは中国政府が内外の人材を引きつけるために国内の自由度や開放性を高めるか、それともシステムをより厳しくするかで決まる」と指摘する。
教育機関への統制強化は、不満が民主化などに誘導されないように抑え込もうとする習指導部の意思の表れだ。ただ、自由な研究なしにイノベーションは起きにくい。人材流出が続けば将来の成長基盤も損なわれる。北京のある知識人は「習指導部は成長よりも統制を優先している」と批判する。
(1面参照)
新居耕治、山田周平、粟井康夫、大越匡洋、小高航、中村裕、阿部哲也、土居倫之、永井央紀、原島大介、森下寛繁が担当しました。」とありました。優秀になればなるほど、自由のない世界に帰ろうとは思いません。況してや、逮捕状もなく拘引される可能性のある国においては。
石平氏は暴動の中には就職できなかった大卒も入るのではと書いていますが、海亀族までは無理のようです。また本当に解放軍が大衆に発砲しないかどうか分かりません。どうなるにせよ、中国は軍事的にも経済的にも追い込まれています。暴動→難民(飛行機での避難民も出て来るかも。金を持っている悪い奴かもしれません)の発生に政府は対策をキチンと考えていてほしい。
内容
P.32~34
不動産バブルの崩壊は、別の側面においても中国の消費拡大に大きな打撃を与えることになるだろう。不動産価格が大幅に落ちていくなかで、不動産を主な財産として持っている富裕層や中産階級が、その財産の多くを失うことになると予想されるからだ。財産が失われた後には、多額のローンだけが残る。
中国政府が内需拡大の主力として期待している人々が、苦境に立たされることになるのだ。結果、中国の内需拡大はますます絶望的なものとなってしまう。 中国では、経済成長の失速はすでに鮮明になっている。それに加えて、不動産バブルの崩壊と、それにともなう一連のマイナス効果……中国経済の先行きは、さらに深刻な状況 とならざるをえない。
財政事情が悪化し続ける理由
不動産バブルの崩壊は、深刻な問題をも引き起こすことになる。二〇一五年三月一七日、中国財政部がこの年一月〜二月の全国財政収入の伸び率が前年同期比で三.ニ%増であったと発表した。
日本の感覚からすれば、財政収入三.ニ %増は悪くない数字だ。しかし、中国の場合は事情がまったく違う。
たとえば、ニ〇〇六年からニ〇一〇年までの五年間、中国の財政収入は毎年平均してニ一.三%の伸び率を記録してきた。とりわけ、ニ〇一一年のそれはニ四.•八%増という驚異的な数字であった。
しかし、その三年後のニ〇一四年、全国財政収入の伸び率は八.六%に……ピーク時の約三分の一に急激に落ちたことになる。そして先述の通り、二〇一五年一月〜二月の伸び率はさらに落ちて三.ニ%増にまで落ち込んでしまった。中国政府にとっては、衝撃的な数字であったに違いない。
その数年前までは、毎年の財政収入が急速に伸びていたから、中国政府は二桁の国防費増加を図り、思う存分、軍備の拡大ができた。また、国防費以上の「治安維持費」を捻出することによって国内の反乱を抑え付け、なんとか政権を死守してきたという面もある。そして、潤沢な財政収入があるからこそ、中国政府はいつも莫大な財政出動を行うことで景気にテコ入れし、経済成長を維持できたのである。
いってみれば、共産党政権の安泰と中国政府の政治•外交および経済の各面における統治能力の増強を根底から支えてきたのは、高度成長に伴う急速な財政拡大だったのでる。しかし現在の中国では、これまでのような「お金はいくらでもある」というハッピーな時代は終わろうとしている。
もちろん、財政収入が伸び悩みの状況になっていても、習近平政権は軍備拡大のテンポを緩めるようなことは絶対しないだろう。政権を死守するためには「国防費」や「治安維持費」を増やすことはあっても、削ることはまずない。ということは、中国政府の財政事情はますます悪化していくこととなるはずだ——。
P.156~157
世界史上最大の金融バブルの規模
中国国内では一時、M2 (中央銀行から発行され、国内で流通している通貨の総量)が一〇三兆元にものぼった。ドルに換算すれば、アメリカ国内で流通している貨幣総量の一•五倍である。中国の経済規模はアメリカの半分程度だから、その過剰流動性は深刻な事態といわざるを得なかった。
まさに「札の氾濫」である。
ニ〇〇ニ年初頭には、中国国内で流通する人民元の量は一六兆元程度だった。それがニ〇一三年には一○三兆元にまで膨らんだのである。十一年間で増えた流動性は、実に六• 四倍……これは世界経済史上最大の金融バブルだ。
すると中国は、二〇〇九年末から深刻なインフレに襲われることになった。これまでにも説明してきたように、食品などの物価の高騰は、貧困層をさらなる生活苦に追いやることになり、それは社会不安の拡大、さらには共産党政権の屋台骨を揺るがす事態にもつながりかねない。そのため、中国政府は「札の氾濫」で生まれたバブルから一転金融引き締めに走ることになった。
こうした流れのなか、不動産市場の生死を決める重大な措置が採られた——。
ニ〇一三年九月のことだ。北京、上海、広州などにおいて、複数の商業銀行が住宅ローン業務の停止を一斉に発表したのである。この動きは、その後も成都、重慶、南京といった地方都市の銀行でも、住宅ローン業務の停止、あるいは貸し出し制限という形で続いた。
金融不安が拡人しているなか、リスクの高い不動産関係の融資から手を引こうということだ。それは銀行の保身のためだったのだが、そのことが何をもたらしたかを説明していこう。
不動産の売れ残りが六〇〇〇万件
銀行で住宅購入のローンが組めなくなったわけだから、中国の人々は家を買うことができなくなる。大半の人は、銀行のローンで家を買うからだ。結果、全国で不動産が売れなくなり、在庫が大幅に増える。
P.214~216
中国における流動人口とは、安定した生活基盤を持たず、職場と住居を転々としている人々を指している。そんな人たちが、日本の総人口より一億人も多く存在しているのが中国という国の実情なのだ。
不安定な生活を強いられている流動人口、その大半が農村部から流れてきた農民工である。先述したデー夕の「八割が農村戸籍」とは、そういう意味だ。
ということは、現在の中国には、いつでも何かのきっかけで暴動を起こすかもしれない人々が、ニ億人以上も存在するわけである。
ニ億人以上の「暴動者予備群」—-そう考えると驚くべき数字だし、政府にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。
それだけの数がいる以上、彼ら全体がまとまって集団的に爆発すれば、共産党政権は跡形もなく吹き飛ばされてしまうかもしれない。
ニ億人を超える現代流民、すなわち暴動者予備群に対して、中国軍は数百万人程度でしかない。本格的な暴動が、地方ではなく中央で、もしくは中国全土で一斉に起きてしまったら、それを鎮圧することは軍隊をもってしても不可能だろう。 現代流民たちが持つ潜在的な力は制御できないほどのものにまで、強まっているのだ。
高度成長に必要だった二億六〇〇〇万人
ではなぜ、これほどまでに多くの農民エたちが生まれることになってしまったのか„ 彼らはなぜ、生活基盤のあった故郷の農村から離れて、都会で不安定な「流動生活」を送らなければならなくなったのか。
実は、そこには中国の経済成長が大きく関係している。中国の経済成長とは、彼らの犠牲の上に成り立つものだったのだ。
これまで何度も書いてきたように、ここまで中国経済を引っ張ってきたのは対外輸出の継続的拡大だ。二〇一〇年までの二○年間には、中国経済全体の成長率が一〇%ほどだったのに対し、対外輪出の伸び率は毎年ニ五%以上。世界中で中国製の「安物」がシエアを拡大し続け、外貨を稼いできた。
なぜ安く商品を作ることができたのかといえば、人件費が安いからだ。そして、安い賃金で働いてきたのは誰かといえば、結局は農村部出身の労働者なのである。
若き出稼ぎ労働者たちは、内陸部の農村から沿岸地域に流れ、そこで働くことになった。働く場所はといえば、主に輸出向けの加工産業といった、低質金のエ場である。
彼らが安い賃金で働くことで、中国の対外輸出の継続的拡大、つまり安い商品を大量に売ることが可能になった。そしてそれが、中国の経済成長を支えてきた。
逆にいえば、中国が高度成長を果たすためには、ニ億六〇〇〇万人もの流動人口を必要としたということでもある。
P.254~263
流民ネットワークの誕生
農民工、すなわち現代流民たちの苦しい生活がこのまま続けば、彼らの怒りや不満は溜まる一方だ。
これまでは職場ごと、地域ごとにグループを作ったり、連帯したりしてきたが、これからはインターネットを使った連携も盛んになってくるのではないか。 「こんな生活にはもう耐えられない」「今日は仲間がこんな酷い目にあった」そんなことを報告し合う。つまり全国単位で、不当な差別や社会への絶望といった思いを共有するのである。
こうした「流民ネットワーク」を禁止しようとしても、おそらく無理だろう。「流民サイト」を一つ潰したところで、新しいサイトが出てくるだけ。その一切を漬すには、中国全体でインターネットを使えなくするしかない。
しかし、そんなことをしたら、一般市民が黙ってはいないはずだ。政府への怒りを、別の形で高めてしまうことになる。
流民たちが不満をいい合っているだけなら良いのだが、彼らは何かのきっかけで暴走する。警官の暴力などから、デモや車を燃やすといった事態に発展してきた例は、本書で見てきた通りだ。
流民たちがネットワーク化すれば、その規模はいままでよりも大きなものになるだろう。一つの街のなかだけの話ではなく、ネットで状況を知った近隣の街からも「応援」が来る可能性が高い。
ただそれでも、警察、あるいは軍の出動によって、街単位の騒乱は鎮圧されてしまうはずだ。といって、それで終わりというわけではない。
鎮圧された者たちは国への、そして社会への怒りをさらに強めて、地下に潜ることになる。そうしてでき上がるのが、より過激な反体制グループだ。
暴動、鎮圧、流民グループの先鋭化—そうした流れを繰り返していくうちに、反体制グループはどんどん巨大化していくことになる。「筋金入り」の、いい換えるなら「プロ」として反政府活動に生きる人問たちが大量に存在するようになるのだ。
新種の流民とは誰か
そうしたなかで、知識人たちもこの動きに加わることになるだろう。 経済の崩壊は誰にとっても深刻な問題だし、知識人たちは頭脳明晰だからこそ、流民たちの苦境を放っておくことができない。これまで見てきたように、そのことは「歴史の必然」だといえる。
知識人たちが反体制側に加わることで、グループはより組織化され、効率的に活動するようになるだろう。また知識人たちは流民たちのリーダー、そして代弁者となり、アピールカも強めていく。
そうなれば、彼らに共鳴する人間はさらに増える。このことは、先述の通り、中国の歴史が証明している。
そこに新たに加わることが考えられるのが、新種の「流民」だ。それは、大学を卒業しても就職できなかった若者たちである。
中国では大卒者が年々増えているが、全員が一流企業に就職したり、官僚になったりするわけではない。経済が落ち込むなかで、約ニ〇%が就職できないといわれている。その数は、二〇一五年でおよそ一五〇万人だ。
二○一四年までに、大卒の若者ニ○○万人が失業した。これに二○一五年の一五〇万人を合わせれば、大卒の求職者は三五〇万人に達することになる。彼らもまた、行き先も未来への希望も失い、現代流民になる可能性が高い。
彼らがデモや暴動を起こすことは充分にありうるし、特に農村部にある大学は就職できない卒業生が多いから、農民エたちと心情を同じくする者も多いだろう。彼らがデモや暴動を起こせば、中国にとっては新たな火種、さらに農民エから流民、そして反体制派になった組織と合体すれば、その火種はさらに大きなものとなる。 ここで重要なのは、知識人や大卒者と貧しい農民エたちが合体することだ。かつて、中国では天安門事件が起きた。このとき、天安門広場に集まった学生は一〇万人といわれている。
しかし、これから作られるであろう反政府組織は、知識人と元大学生だけで数百万という潜在的な数がいる。農民エにいたっては約ニ億人である。
まして、天安門事件には、一般市民の多くは関心を持たなかった。額に汗して働く人々にとって、あれは学生たちの「遊び」にしか見えなかったのだ。いわば「金持ちの子どもたちの革命ごっこ」だったのである。日本における学生運動も、似たようなところがあったのではないだろうか。
しかし、これから起きるであろう反体制運動は違う。知識人や元学生、労働者が一体となった運動だ。一部の富裕層を除けば、誰もが関心を持つだろうし、その勢力は凄まじいものになる。
共産党vs.農民党
仮に、この反政府組織を「農民党」としよう。
知識人、元学生、そして農民エたちの半分が参加したとして、その数たるや一億人。しかも各地でバラバラに動くのではなく、インターネットを通じてつながり、知識人のリーダーによって強固に組織化されている。
こうなれば、もう反体制勢力というより、巨大な政治組織といっていい。共産党もその存在を無視できなくなるし、弾圧や鎮圧をするのも不可能になってくるはずだ。
たとえば、である。リーダーの呼びかけによって、農民党のメンバーとその賛同者五〇〇万人が、一斉に大都会、北京に集結したとしよう。
東京ドームなどのスタジアムを想像してほしい。そこでコンサートが行われると約五万人の観客が集まる。その客たちが一斉に会場を出ると、最寄りの駅までの道は大混雑。まともに歩けないような伏態になる。
もし、その一〇〇倍もの人々が北京の主要な道路を埋め尽くし、座り込みを始めたらどうなるか。北京の都市機能は、確実に麻痺してしまう。
もちろん、いかに大量の「軍勢」がいても、現代において武力で革命を起こすことは不可能だ。しかし軍隊のほうも、彼らを排除するために大量の死傷者を出すようなことはできない。
農民党全体を逮捕することも不可能だ。警察と軍隊にはそれだけの人員がいないし中国全土の刑務所を使ったとしても、一億人を収容できるわけがない。
結局、共産党は農民党と向き合い、交渉するしかなくなるだろう。その結果はどうなるか。農民党を一方的に押さえつけることはできないから、ある程度以上、彼らの要求を認めていかざるを得ない。その形が固まるとしたら・・・・。
つまり、中国で二大政党制が実現することになる。いずれ普通選挙も実現することになるはずだ。ということは、共産党一党独裁体制が崩壊するということである。
共産党内部からの離反者たちの名前
ことは「共産党VS農民党」だけではなくなるかもしれない。
共産党のなかにいる反主流派の人間たちが、反体制勢力を利用して政治闘争を展開していく可能性もある。出世しそこなったり、抑圧されてきたりした人間たちが主流派の突き崩しを狙うのだ。
習近平指導部は、その発足以来、「トラもハエも叩く」というスローガンを掲げて党内の腐敗摘発に手を尽くしてきた。そのことで民衆の支持を得て、政府への信頼を高める効果もあった。
習近平体制にとっては、腐敗を摘発することが、権力基盤を固める有力な武器となってきたのである。
共産党の幹部たちにとって、腐敗は何かしら身に覚えがあるもの。習近平の姿勢には、 誰も逆らうことができない状態だった。しかし、腐敗の摘発は、習近平体制にとって諸刃の剣でもある。
これまで、周永康や徐才厚といった大物幹部が次々と「血祭り」に上げられてきたが、そのことは民衆の期待をますます煽ることになった。
そうなると指導部としては、腐敗の摘発の手を緩めるどころか、ますますヒートアップさせていく必要がある。それが民衆の期待に応え、習近平体制を維持することにつながるからだ。
しかし、摘発が進めば、党幹部の大半が身の危険を感じることになる。反発を招くのは自然な流れだ。ニ〇一五年七月の上海株暴落も、弾圧を受けた江沢民グループが画策したものとする報道もある。
『人民日報』の習近平への「警告」
そんななか、ニ〇一五年一月一三日付の『人民日報』が興味深いコラムを掲載している。習近平指導部による腐敗摘発に対して「三つの誤った議論」が広がっていると指摘したのだ。
その一つが「やり過ぎ論」である。これは文字通り「いまの腐敗摘発はやり過ぎである」というもの。
もう一つの「泥塗り論」は、摘発運動によって共産党の大幹部たちの腐敗の実態を暴露したことが、逆に政権の顔に泥を塗ることになるのではないかという議論だ。
三つ目は「無意味論」。政権内では腐敗が広く浸透しているのだから、どれだけ摘発しても撲滅するのは不可能。「やっても無意味」というわけだ。
「やり過ぎ論」と「泥塗り論」は、政権を守るという立場からの内部批判だろう。一方、 「無意味論」は、共産党の腐敗摘発を外部、すなわち民間の立場から冷ややかに見ているもの。いずれにしても、共産党中央委員会の機関紙である『人民日報』が、腐敗摘発運動に対する枇判の声があることを公に認めたのである。
特に党内から反発や批判の声が出ていることは、習近平体制にとって由々しき事態というほかない。
同じ一月一三日には、新華社通信も「腐敗摘発はいいところで収束すべきだ」という党内の意見を紹介した。それだけ、反発が強まっているということだ ——そこで、習近平主席はどのような手を打つか。
一つは、新華社通信が紹介した意見のように、「いいところ」で腐敗摘発の手を緩めること。そうすれば、党内の融和と安定を図ることができる。ただ、それをやることで、民衆が「裏切られた」と感じ、政権への信頼が失墜してしまう危険性がある。
もう一つの手は、民衆の期待が高まるままに、それに応えて腐敗摘発を続けること。し かしそれでは、党内からの反発がさらに強まり、やがては権力基盤を揺るがしかねない。
党内の別の派閥が反•習近平の権力闘争を引き起こす可能性もある。もし農民党が力をつけ、共産党と張り合うようになれば、そちらに味方する共産党幹部も現れるだろう つまり、現在の習近平体制は「進むも地獄、退くも地獄」という状態にあるといっていい。
そうしたなか、習近平は中央規律検査委員会の全体会議で、「反腐敗闘争は持久戦だ」と演説している。反腐敗運動を継続させていく方針を明確に打ち出したのだ。共産党内部からの離反を招く可能性があるにもかかわらず、である。