昨日六本木に行き雲南料理を楽しむ前にミッドタウンに寄り桜を楽しみました。一昨日は墨田公園で花見をしましたが隅田が満開だったのに対しこちらは七分咲きでした。中華も雲南料理というよりは四川料理に変わり、オーナーチェンジした感じでした。
帰りに駅の階段でスマホを落とし、傷つけてしまいました。非常に見にくくなりましたが機能は大丈夫なようです。これもスマホで撮った写真です。
千葉県柏市在住
一読して如何に理念外交が国を危うくするかという事と、人事で遇されない私怨が世界情勢を見る目を曇らせたと感じました。しかし、白人の植民地主義を非難するのであれば、「日本は当時どうだったのか」と聞かれたときにキチンと答えられるようにしておかないとダメだと思います。確かに天皇の開戦の詔勅、政府声明を読みますと格調高いですが、やってきたことは外形上欧米列強と同じように見えてしまいます。勿論、日本は欧米の定義するような搾取もせず、投資して持出になり、識字率も上げる努力をしたことなど欧米流の植民地とは違うと言えなくもありません。しかし「植民地の福利厚生を図るのは(白人宗主国の)神聖な使命」というのとどう違うのかをキチンと説明できないと反論されるでしょう。
石原莞爾は満州事変を起こしましたが、満州は元々満州族の土地で漢族とは関係ないとはいえ、後に武藤章の「大本営の不拡大方針」に反して支那まで戦線を拡大した原因を作りました。先が読めなかったというべきか。欧米の植民地主義と同じことをしたのでは道義的に見たら同じように浅ましく見えてしまいます。また、辻政信のようにシンガポールやフィリピンで市民の虐殺を命じた軍人もいます。明治維新から時代を経ておかしな軍人も出てきました。
京都学派の近代の超克も日本のやり方を批判的にとらえることはできませんでした。神風が吹くことを期待していたとしか思えません。霊的な存在も大事にしないといけませんが、科学的な物の見方をすることも同じように大切です。
戸部氏の言う無通告開戦は軍の要請でと言うのは真実ではないでしょうか。外務省が軍の要請に乗ってわざと遅らせと思います。でないと遅らせた岡崎、井口、寺崎が次官にまで昇進できるのかという事ではないかと。「宣戦布告」は必要がないと思っていたのでしょう。
白鳥敏夫の考えは今の馬渕睦夫氏に受け継がれているのでは。ユダヤ人陰謀論は今に始まったことではないという事です。
【天皇の開戦の詔勅】
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ
勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ
達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル
皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ
樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ
東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ
帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ
相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ
逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル
妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復
セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ
益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル
帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲
蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ
遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御 名 御 璽
【帝國政府聲明】
恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威(みいつ)の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾(しそう)し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡(つく)す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟(かりそめに)も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。
内容
P.67人事の停滞
革新派と呼ばれるようになる外交官たちは、白鳥と同じく、あるいは白鳥の影響を受けて、満洲事変による日本外交の転換の意義を強調し、その転換を推進するために人事の刷新と機構の改革を主張した。機構改革の手始めとされたのが考査部設置の要求であり、人事刷新としては白鳥あるいは彼らの主張に同調的であると見られた外務省幹部(例えば斎藤博) を省の指導的地位(外相あるいは次官)に就けることが目標とされた。
ところで、こうした革新派の要求の背後には、外務省の沈滞した人事への潜在的な不満もあったとされる。特に、一九二〇年代前半に大量採用された外務官僚たちが人事停滞への不満を鬱積させており、それが革新運動に伏在していたと言われる。
P.99人事への不満
重光派閥の支那に対する政策は、その人事行政に於いて分明する所である。対支人事は、しばらく以前より刷新の叫びにつつまれてゐたにも拘らず、その配置は統制本位で形成せられてゐる。無能なる者を上海、南京、北京等の重要ポストに配し、有能を辺境夷撩の郷に閉ぢ込めてゐる。〔前掲「霞ヶ関に於ける重光派閥の役割」〕
川村も、ニ・ニ六事件後に成立した廣田内閣の外相に有田八郎が就任したとき、新外相に期待を表明しつつ、外務省人事の現状を以下のように批判していた。
現在外務全機能を大観するに、徒らに老朽無能、尸位素餐の禄盗人を以つて充満し、大使と云ひ公使と云ふも、只只栄職に齧りつくのみで女郎外交に其の日を過し、老後の為の文化住宅建築費や、鼻たれ小僧、あばずれ娘のぜいたく三昧費の稼ぎ高を数へてヤニ下るサラリーマンの古手ばかりではないか。こんな手合に外交刷新を望むことはまことに百年河清を待つに似たり。〔於曾四郎「有田外交の本質」『南北』一九三六年十一月号〕
P.116
有田は外務省革新派に属したわけではない。ただし、過去に「白鳥騒動」での諍いがありながら、白鳥が有田への敬意を失わなかったのは、有田が往年の革新同志会のリーダーであったことに加え、彼の政策論の中に革新派に近い部分があったからだろう。のちに有田が外相となったとき、川村が彼に対する期待を表明したのも、同じ理由からであったと思
われる。
有田が白鳥の所見に対して異議を唱えたのは、ソ連に関する観察である。アジア大陸においてスラヴ民族と大和民族とが雌雄を争うべき運命にあるとか、ソ連が大国と戦争すれば、内部崩壊を来すことは明瞭であるとか、いま手を打たなければ軍事力を強化したソ連が「赤化の禍害か然らずんば鉄火の侵略か」攻撃に出てくることが必然である、といった見 方に有田は反論を加えた。ソ連の脅威を切迫したものと捉え、性急かつ理不尽にソ連と衝突することは、どの国の支持も得られず、とるべき策ではない、と有田は主張した。
有田は返書の最後で皮肉っている。自分は対ソ開戦の立場をとらないが、もし日本の国内情勢がきわめて険悪で、これを転換する方法として「外征」以外に方法がないとの見地から対ソ方針を決定すべきものとするならば、それはおのずから別問題である、と。有田が白鳥を皮肉ったのは、白鳥が、本国の陸軍部内ではソ連との一戦を不可避とする空気が日を逐って濃厚となりつつあると観察して、自らの対ソ強硬論を陸軍の動向と関連づけていたからである。
P.121~123 支那事変
事変の「本質」
一九三六(昭和十一)年末、白鳥は正式の帰朝命令によりスウエ―デンから帰国した。帰国後、次のポストが決まるまで、彼は活潑な言論活動を展開する。特に翌一九三七年七月に支那事変が勃発すると、事変の「本質」を論じる彼の論考が雑誌等に掲載される機会が増えてゆく。現役の外交官でありながら、政府の外交に対して白鳥は歯に衣着せぬ批判を加える。 そうした彼の言説を肯定的に受け入れる素地が、当時の日本にはあったということになろう (白鳥の著述目録については、表5〔一ニ五~一ニ七頁〕を参照)。
盧溝橋事件直後、白鳥は次のように述べている。「日本の大陸政策は、消極的には西力の不法侵入を防ぐ事であり、積極的には支那四億の人民と共に東洋の倫理道徳に基き、所謂王者の政治を実現して共にその恵沢に浴し人類の文明に貢献する事,」なのだが、中国は「日本を西洋並に侵略者と見、日本の真意を解しないで、夷を以て夷を制し、ロシア、英米の力を借りて対日解決を図らんとする」するから、衝突が起こるのである〔「切迫せる国際危機」『経済マガジン』一九三七年八月号〕。
それからニ力月後、支那事変の「本質」は、白鳥によって以下のように把握されている。
満洲事変と殆ど時を同じうして、日本国内に一つの精神運動、思想運動が台頭したことは、世人周知の通りである。この所謂日本主義運動或は国体明徴の叫びと、満洲事変とは決して関係のない二つの事象ではないのである。表裏密接の関繫を持った不可分の現象であつて、日本民族が漸く自己の真の姿を発見したと云ふことを物語るものである。今回の 日支事変も、この日本民族の思想的覚醒の対外的表現として見なければならない。〔中略〕日本国民が欧米追随の長夜の夢から醒めて、本来の我を見出した時に、内に在っては日本主義運動となり外に向っては大陸政策となり、内外合して「亜細亜に還れ」の絶叫となり、大亜細亜建設の運動となるのである。この一大思想運動が未だ国内戦線の統一をか ち得ないのが今日最大の憂であって、他の半面たる大陸政策のみ.が跛行的に着々と進捗しつつあるのが曩の満州事変であり、今回の日支事変である
元来日支間今日の不和を来したのは根本に於ては思想の衝突である。我は欧米追随の旧套を脱ぎ捨てて、亜細亜に還り、東洋の倫理道徳に基いて東亜の諸民族と新しき理想郷を造らんとして居り、彼は依然として欧米依存の迷夢より醒めず、遠交近攻の誤った政策を弄し、抗日排日の極は容共連蘇の邪道にまで踏み迷って、遂に亜細亜の反逆者となり畢ったのである。之が日支事変の真相ではないか。〔「支那事変の本質」『大亜細亜主義』一九三七年十月号〕
中国が日本の「真意」を誤解し、「以夷制夷」策を弄して欧米列国に追随したがゆえに、事変が勃発し拡大したのだ、と考えるのは当時の一般的理解であったと言ってよい。白鳥の場合は、これに加えて、大陸の軍事行動と国内の思想運動あるいは革新運動との連動が強調された。そこで用いられた「亜細亜に還れ」は、かつて森格とともに白鳥も使ったレトリックであった。白鳥は日本の大陸政策の道義性を主張する。「我が大陸政策はその本質に於ては文化史的使命を持っもので、人類社会改造の企図であり、現代文明の行詰りを打開せんが 為の一念発起」である、と〔「大陸政策の世界史的意義」『改造』一九三七年十月「支那事変臨時増刊号」〕。
P.128~130「支那から軍備を無くせ」
白鳥の支那事変に関する議論が独善的であったことは否めない。だが、その中に見るべきものがなかったわけでもない。例えば、彼は事変の原因が中国側の誤解と抗日政策にあると述べながら、同時に日本の態度をも批判し反省を迫っていた。
従来我々の為し来った所にも過誤はなかったか、支那人をして帝国の公正なる意図を理解せしむる事に何程の努力がなされたか、この点国民として猛省する必要があると考へる。〔中略〕日本としては、亜細亜民族を救ふの天業を自覚し只管この使命の遂行に精進し苟も、西洋流の物質的侵略的臭みがあってはならぬ。〔中略〕今回の北支事変に方って我 朝野の言説は甚だ調子が低い様に思ふ。依然として自衛権だの特殊権益だの、と覇道的ジヤルゴン〔ジャーゴン(専門家の特殊用語)〕を耳にするのは遺憾である。〔前掲「切迫せる国際危機」〕
日本は「領土的物質的の自己本位の解決を求めてはならぬ」。重要なのは日中の精神的提携あり、中国の民生の安定化と向上であるから、中国の「資源や経済提携の問題は重要で はあるが、畢竟枝葉末節である」「日支事変善後策」『大亜細亜主義』一九三八年二月号〕中国の資源の「開発」という言葉は、イギリスがインドを搾取するために設立した「東印度会社を造るやうに聞える」と白鳥は批判する〔座談会「支那事変の将来」『文藝春秋』一九三七年十一月号〕。
もう一つ、支那事変に関する白鳥の議論の中で注目に値するのは、中国から軍備を撤廃せよ、という主張である。白鳥は事変の「抜本的解決」策として、これをかなり早くから提起していた。彼によれば、「生なか支那が近代式軍隊を持つが故に〔中略〕自己の力を過信し、抗日侮日の誤つた政策を採り〔中略〕軍隊あるが故に打たれるのである」。もし中国が軍備を撤廃すれば、「兵力なき国を犯すが如きは日本の武士道が許さぬ」し、他国が中国侵略の暴挙に出るような場合には、日本が自らの意志と必要に基づいてその侵略を排撃するだろう。〔白鳥「歴史的大業を完成せよ」一九三七年七月、『国際日本の地位』所収〕。
さらに、「支那の国民も多年軍閥私兵の横暴に苦しみ抜いたゝめ」、軍備撤廃は「支那国民大多数の歓迎するところであり」、「支那国民の安寧福祉のためにも絶対必要」である。 軍備撤廃によって国民生活の向上、購買力の上昇、国内の安定が実現すれば、市場としての中国の価値が上がり、列国としてもこれを歓迎するに至るだろう、と彼は言う〔「事変も 外交関係」『報知新聞』一九三八年一月一日付、
こうした主張に対して、軍備撤廃は国家の主権独立の尊重と矛盾するのではないか、との当然の反論があり得る。これに対する白鳥の回答は、「日支の関係を従来西洋において発達した国際法の観念並に原則のみを以て律することは不可である」というものであった〔前掲 「日支事変善後策」〕。ここにも仁宮の『綱領』と同種の論理を見ることができるだろう。 日本による権益の拡張を否定し、中国の軍備撤廃を提起する白鳥の主張は、一見したところ道義的であり、また理想主義的であった。現役外交官でありながら政府の方針に拘束されない外交評論家としての白鳥が、一部の日本人に受けた理由はそこにあったのだろう。白鳥にはその名も「支那から軍備を無くせ」〔『経済マガジン』一九三八年二月号〕という論文がある。このタイトルを彼が付けたのか、それとも掲載雑誌の編集部が付けたのかはわからないが、いずれにせよ、この種の主張が何らかの注目を浴びていたことを示すものであったと考られよう。
たが、武力衝突が拡大し激化するなかで、精神的提携を追求し、「領土的物質的の自己本位」を抑制することは甚だ困難であった。軍備撤廃も、実際には日本による中国の軍事的管理に等しいものであったと言ってよい。白鳥自身も、「これがため期せずして日本の支那に対する発言権といふものは殆ど絶大になる」と本音を漏らしている〔「戦争と国民生活座談会」『国民評論』一九三七年十二月号〕。ただし、白鳥がこのとき軍備撤廃論を述べていたことは、以後の歴史の展開を考える上で、暫く記憶にとどめておく必要があろう。
P.258~260日米戦争
南進を媒介にした日中提携
一九四一年の年頭に、『朝日新聞』は数回にわたって「輝く廿七聖紀」と題する識者のインタヴューを掲載した。神武紀元によれば前年がニ六〇〇年であったから、この年、日本は新しい世紀に入ったことになる。インタヴュー特集のトップを飾ったのは白鳥である。記者は「日本は二十六聖紀で世界の水準に達し二十七聖紀で世界の王座を目指して進まねばな らぬ」と前置きし、白鳥のことを次のように描写している。
「僕の意見はいつも半年位先走るやうだ」外務省顧問の白鳥敏夫氏は斯う呟く、低いが信念の籠つた不敵な音声である、過去に於て目まぐるしい国際政局の変動が、時に白鳥さんを革新児にしたり異端者にしたりした、昨秋枢軸の盟ひ成って帝国外交の大本が確立したとき、白鳥さんは今度は時代の予言者と持囃されたものである、霞ヶ関の水先案内として 白鳥さんには半年どころか百年も先をヂッと睨んで貰ひたいのだ〔『朝日』一九四一年一月一日付朝刊〕
外交の実権は松岡の手に握られていたが、ジャーナリズムでは白鳥は時代の寵児であったと言ってよい。「当局からも余り喋つて呉れるなといふ註文を受けて居る」と言いつつ〔「三国同盟と日本」『日本評論』一九四○年十一月号〕、また自分の述べるところは政府の方針や意向ではなく、全くの個人的見解だとしながら、白鳥は言わば縦横無尽に持論を述べまくった。 彼はまず、東亜新秩序を拡大した大東亜新秩序、大東亜共栄圏を論じた。
吾々は目前先づアジア十億の民を解放せよ、生気を与へよといふ。今まで白人の一部がこれを侵して居つた、彼等はひどい搾取をして居つた、これを救はうといふのが吾々の目標である、信念である。〔前掲「三国同盟と日本」〕
日本当面の問題は、最早や支那から白人の勢力を駆逐するといふことだけではなし今 や更に南方へと進んで、従来白人の領土として壟断され、搾取されてゐたこの地方力ら その不当な勢力を駆逐せねばならぬ。〔中略〕いまこそ、これらの地方に於けるアジア伊 族を解放し、土地と人民とをアジアの手に取戻す、絶好の機会でなければならない 〔「三 国同盟と日本の前途」『現代』一九四〇年十二月号〕
日本当面の問題は、最早や支那から白人の勢力を駆逐するといふことだけではない。今や更に南方へと進んで、従来白人の領土として壟断され、搾取されてゐたこの地方から、その不当な勢力を駆逐せねばならぬ。〔中略〕いまこそ、これらの地方に於けるアジア民族を解放し、土地と人民とをアジアの手に取戻す、絶好の機会でなければならない〔「三国同盟と日本の前途」『現代』一九四〇年十二月号〕
白鳥のアジア民族解放論は明快であったが、それが日本盟主論とセットになっていたことにも言及しておくべきだろう。アジアにおいては「他の民族に比して最も優れたる日本民族がその盟主」でなければならず〔前掲「日独伊世界再建の原理」〕、しかも「アジアの独立、アジア諸民族の解放といふ聖業に従事して現に大きな犠牲を払ひ、絶大の努力をしてゐる」日本民族が、「アジア諸民族のうちの最も恵まれたる民族、富裕なる民族となることは極めて至当」であり、「絶大の犠牲に対する当然の報酬である」とされた〔「生産力拡充第一主義」『偕行社記事』ー九四ー年二月号〕。
P.264~268
革新派は対米決戦を唱えたわけではない。彼らは、アメリカの強硬姿勢に直面して、またしても妥協を排し、アメリカ以上の強硬態度で対抗することを主張したのである。ただし、ここでも革新派の主張が外務省の方針をリードしたのではなかった。松岡外相は、彼らの発言を封じ込めつつあった。だが、白鳥だけは、おそらくは彼の独断で、「攻撃的なる言論戦 を展開」し続けた。一九四一年、年頭のインタヴューで彼は次のように述べている。
大東亜共栄圏をアメリカは認めることが出来ない、搾取が出来なくなるからだ、欧洲にも新秩序が出来、アジアにも新秩序が出来たのではアメリカの資本主義は没落の外はない〔前掲「輝く廿七聖紀」〕
白鳥にとって、アメリカは新秩序の敵であった。そして三国同盟の対米抑止効果も疑わしくなっていた。
ユダヤ的金融寡頭政治
むろん白鳥もすぐさま日米戦争が不可避になったと見なしたわけではない。一九四一年ニ月段階ではまだ、「私は今日のアメリ力はどうしても戦争に入らぬだらうと考へざるを得ない」と述べている。アメリカは軍備が不足しているし、人種の寄せ集めという弱点を抱え大恐慌の傷も完全には癒えていない。日独伊の同盟に対抗することは不可能で、「日本が敢然起つたならば何も仕切らぬだらうと思ふ」〔「南進に於ける日本の地位」一九四一年二月十三日講演、『戦ひの時代』所収〕。
ただし、白鳥によれば、イギリスがヨーロッパの戦争を始めたとき、それはイギリス国民が望んだからではなく、政治を壟断している少数のユダヤ財閥とそれに連なる支配階級が戟争を欲したからにほかならない。そして、その「本家」はアメリカにある。したがって、アメリ力でも「大多数の国民は勿論反対であるが、ユダヤ的な金権寡頭政治の血迷うた判断か ら国民を引摺つて戦争をやらぬとも限らない」と白烏は憂慮を募らせた〔前掲「南進に於ける日本の地位〕。さらに彼は、「アメリカこそ戦争の煽動者、戦争業者ではあるまいか」と 述べ、「アメリカの支配階級に民衆を引摺るべき好箇の口実を与へぬやう細心の注意を要する」と警告した〔前掲「戦ひの時代」〕。
翌三月、白鳥はその判断と主張をひっくり返し、ついにアメリカの戦争参加は必至であると断定するに至る。「〔アメリカ〕輿論の反戦的傾向を過大に評価してはならない。イギリスにおいては勿論のことアメリ力においても、民主政治•か興論政治であつた時代は過去に属する」。金権寡頭政治に堕してしまったアメリカの支配階級は英仏のそれと一つであり、その意味で「アメリカは初めから戦争に参加してゐると言つても過言ではない」〔「アジアの役割」『読売新聞』一九四一年三月十日付〕。白鳥がアメリカ参戦必至に判断を転換させたキーポイントはナチスドイツの受け売りのように「国際的ユダヤ金融資本主義」を諸悪の根源と したことにあった。
アメリカのヨー口ッパ戦争への参戦が必ずしも日米戦争になるとは限らなかったが、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争との結合を論じてきた白鳥からすれば、「アメリカの参戦は、当然日米戦争となる」「「世界戦争と新世界」『イタリア』一九四一年四月創刊号〕ことは論理的必然であった。白鳥はまた次のようにも述べている。
実際に於ては今は寧ろアメリ力が中心となつてこの戦争をやつて居るのであります。〔中略〕アメリカが戦争に入らなければ世界新秩序といふものは出来ない。〔中略〕私から見れば、アメリカこそこの戦争の張本人である。〔中略」もともとこの戦争はヒットラーとユダヤの戦争であります。〔中略」あれ〔日独伊三国同盟〕はアメリカを戦争に入らせるための条約だ。アメリカがどうしても入るだらう。又入らなければ世界の新秩序が出来ない。これはむしろ不可避であり、必然であり、必要であるといふ風に私は見るのであります。〔前掲「枢軸外交の勝利」〕
このように、三国同盟の狙いも逆転した。「日独伊同盟は、アメリカの参戦を阻止する為に結ばれたと云はれる」が、「実際に於ては〔中略〕却ってその参戦を不可避ならしめたとも云へる」とされたのである〔前掲「世界戦争と新世界」〕。 白鳥は、日米衝突を不可避とするに至った経緯を「天意」であるとし、来るべき国難、日米戦争を「天照大神が天の岩戸にお隠れになり天下が真暗になった時」になぞらえた(「興亜奉公日に際し内外時局を語る」一九四一年三月一日ラジオ講演、『戦ひの時代』所収〕。その国難たる戦争はどのようにして決着がつくのか。究極的には、アメリカに「一大社会革命」が起 こる。つまり、「旧秩序の牙城アメリカそのものに、内部から新秩序が盛り上ることによつて、ここに初めて歴史の大転換が完成されるであらう」と白鳥は「予言」した〔前掲「世界戦争と新世界」〕。
はたして、この時点での白鳥の日米戦争不可避論は、どのくらいまともに受け止められたのだろうか。
P.275~276無通告開戦
よく知られているように、一九四一年十二月八日、日本の対米通告は真珠湾攻撃から一時間以上も遅れてしまった。ただし、そのとき日本がアメリカに通告したのは開戦ではない。 交渉打切りである。また、マレー半島では、対米通告が予定されていた時刻より前に、イギリスに対する軍事行動が始まっていた。こうした意味で日本は無通告開戦に踏み切った。それは陸海軍が望んでいたことであった。東郷外相は、自らの所信に反するかたちで陸海軍の要請を受け容れざるを得なかった。だが、それは省内革新派の圧力に屈したものではなかっただろう。東郷は革新派の主張を採用したというよりも、軍事的必要性を掲げる陸海軍の要求を吞まざるを得なかったのである。
革新派は、政策を直接左右するほどの影響力は振るわなかった。けれども、彼らが陸海軍の要求を外交的見地から補強し正当化しようとしたことも軽視すべきではないだろう。一般に革新派の影響が過大に見られるのは、このように無通告開戟手続きや防共協定強化問題などをめぐって、軍と密接に協力したからである。そしてまた、彼らの主張が、旧秩序を否定し新秩序の建設と到来を声高に叫ぶ人々、社会の多数派ではないが声の大きな政治勢力と響き合っていたからであった。
P.280~283「世界維新」
大東亜戦争の後半、白鳥の言論活動は『盟邦評論』を中心として展開される。だが、彼の言説にはもはや見るべきものはなかったと言ってよい。白鳥自身は、誇大妄想狂や神懸かりと言われたり、まだ病気が治らないようだと嘲笑されていることを知りつつ、意に介さない素振りを示した〔「世界維新」対談『国民評論』一九四ニ年六月号〕。
一九四ニ年段階で白鳥は、戦争を「人類最終戦であり、今後永久に地球上から戦争を絶滅するための戦争」、「世界恒久平和、人類共存共栄の地上岩戸開き」、「神を戴くものと、神に反くもの」との戦いであると描写した〔「人類最終戦のために「世界戦争の前途」『現代』一九 四ニ年六月号〕。その戦争の中で「ユダヤ米英の代表する旧秩序の崩壊は世界史の必然として約束されて居る」。建設さるべき新佚序は「神秩序」でなければならず、日本こそ「邪悪暗黒なるユダヤ勢力」から全人類を解放する世界雄新の中心であると白鳥は論じた〔「媾和なき戦争」『イタリア』一九四ニ年十月号〕
彼の議論はもはや外交論ではなかった。摩訶不思議な霊論とも言うべきものであった。 敗色濃厚になった一九四四年には、戦争は、「暗黒と光明、神と悪魔、日本と猶太の決戦」 とされ〔「日本神観の確立」『公論』一九四四年四月号〕、英米金融資本主義だけでなく、ソ連共産主義もユダヤの陰謀によるものと論じられた。白鳥にあっては戦争はあたかも宗教戦争であった。
今度の戦争は本質に於ては日本の八紘一宇の御皇謨とユダヤの金権世界制覇の野望との正面衝突であり、それは邪神エホバの天照大神に対する叛逆であると共に、エホバを戴くユダヤ及びフリーメーソン一味のすめらみことの地上修理固成の天業に対する叛逆行為である。〔「東西戰局の大観」『盟邦評諭』一九四四年七月号〕
白鳥の日本中心主義は荒唐無稽と言うほかなかった。彼はムー大陸の実在を引き合いに出し、「アメリカの先住民族も中南米のそれも皆日本民族であつたのみならず〔中略〕多くの白色民族なども、本来は日本神族の分れであることがやがて了解されるであらう」と論じ 〔「ニ十世紀の神話」『盟邦評論』一九四四年十一月号〕、「世界最古の文明は日本にあつた。〔中略〕キリストであらうと、釈迦であらうと、何れも彼等の説の根本は日本から出てゐる」と主張した〔「世界の現実とその修理」『盟邦評論』一九四四年二月号〕。
白鳥と波長を合わせた議論を展開していたのは、藤村と同時に外務省を追われた仁宮武夫である。仁宮にとって、戦争は双方が相手の無条件降伏を追求する絶対戦争であった。彼は以下のように論じている。
この戦争は米英からすれば、「相手民族の本質的な強さを破壊しなければ収まらない戦争である。〔中略〕彼等の戦ふ対象は独逸の血でも民族でも無く、ナチス的な強さそのものでありファショ的な抵抗力である。それ故戦争は益々悪虐凄惨!の度を加へる当然性が明瞭であり、同時に彼等の講和は常に政体変革を前提条件とするに至る」。日本の強さは世界無比の国体にあり、したがって米英は日本の国体破壊を狙い、中途半端な妥協による戦争終結に甘んじるはずがない。「かうして大東亜戦争は米英猶太の国体破壊戦争を征伐する戦争であり、世界幕府討滅戦争であり、誠に明々白々たる世界維新戦争である。「自存自衛」とは国民が安穏に生き伸びることではない。日本のいのち世界のいのちをなす国体そのもの、自存自衛であり、大東亜戦争は国体護持の戦争である」〔「聖戦完遂と維新体制の確立」『公論.一九四 年一月号〕。
白鳥と同じく仁宮の議論は「惟神の道」を説き神道的概念と用語をちりばめていたが、連合国側が妥協による講和を求めず、世界の平和と秩序を再び脅かさないよう枢軸諸国の無力化を企図しているとの観察は正確であったと言えるかもしれない。
戦後賠償については何回も蒸し返されるのは、譲歩すれば「もっともっと」と脅せば金を出すと相手が思うからです。毅然とした対応が必要です。ドイツもメルケルが日本に来て注文をつけたと報道されましたが(ドイツ政府は否定)、自分の頭の上の蠅もおえずに片腹痛いです。ギリシャがドンドン悪態をつき、ドイツを強請れば、日本が中国と朝鮮半島から如何に何度も過去の謝罪(金で解決せよという意味)を迫られて来たかの痛みが分かるハズです。彼らはそれだけでなく、歴史を改竄・捏造することにより世界に「日本民族は道徳的に劣った民族」と刷り込みを図り、20世紀の日本の統治に対する復讐を図ろうとしています。ドイツはユダヤ人の民族浄化を図ろうとしましたが、日本は戦争をしただけです。これは世界の歴史の中では常にあることで、非難されるいわれはありません。国際法でも認められています。負けたことが一番悪いだけです。少なくとも日本はベルサイユ講和会議で「人種差別撤廃法案」を出しましたが、ウイルソン米国大統領に拒否されました。ドイツとは違います。
日本人はもっと近現代史を勉強しないと、敵の口車に乗せられてしまいます。世界は悪い人間の方が多いのですから。
記事
ドイツとギリシャの指導者たちは建設的と言うにはほど遠い非難の応酬に明け暮れ、ユーロ圏を存続の危険にさらしている。その1例が、ギリシャのヤニス・バルファキス 財務相に関する2013年に撮影されたユーチューブの動画を巡る騒動だ。当時、左寄りの経済学者として知られたバルファキス氏が「ギリシャはデフォルト(債務不履行)すべきだ。あとはドイツが自分で解決しろ」と述べ、中指を突き上げる侮辱的なジェスチャーをする姿が動画に映っている。
独テレビのトーク番組中で3月15日に放映されたこの映像を、バルファキス氏は改ざんされたものだと主張した。前後の関係が無視されているとはいえ、問題の映像は本物であることをドイツのメディアが証明したことで、騒動が長引く結果となった。ドイツの批評家は怒りに任せ、ギリシャは嘘つきで無礼だと言い放った。
ここにきてギリシャとその最大の債権国、ドイツの関係は最悪の状況に陥っている。ギリシャの極左政党、急進左派連合(Syriza)党首のアレクシス・チプラス氏が同国の首相に就任した1月以降、両国の関係は悪化の一途をたどっている。ギリシャ救済策の延長交渉に当たるドイツのウォルフガング・ショイブレ財務相 とギリシャのバルファキス財務相が、互いに信頼を失っていることは明らかだ。ショイブレ氏がバルファキス氏を「愚かなほど単純」とこき下ろすと、駐ベルリンのギリシャ大使はドイツ外務省に抗議した。
ギリシャの国防相は、シリア難民をギリシャからドイツに送り込むと脅しをかけている。その中にテロリストが紛れ込んでいても責任は欧州にあると発言した。さらにギリシャの司法相は、ナチスがギリシャを占領した時に与えた損害の補償の一環として、アテネにあるドイツ語学校、ゲーテ・インスティチュートを差し押さえることもあり得ると示唆している。
第2次世界大戦の過去を反省したドイツ
中指を立てるジェスチャーをしたかどうかなどは、子供じみた喧嘩として済ませることができるかもしれない。だが、ドイツの資産を差し押さえるという、過去の歴史に基づく威嚇は大きな影響をもたらす。両国に付きまとう暗い記憶を蘇らせるからだ。
1941年から1944年までナチスはギリシャを占領した。その時の残虐さは、ナチスがスラブ諸国において見せた残虐さ次いで悲惨なものだった。その時以降、ギリシャはドイツに対する損害賠償請求を公式に取り下げたことはない。そしてこの数年、ギリシャが抱えるに至った膨大な債務を巡って激しい論議が戦わされるなか、ギリシャ政府は突如、ドイツに財政上、モラル上の歴史的責務の精算を求め出した。
ドイツは、その過去について他の国から触れられることを嫌がる。独自の極めて正式な歴史認識方法があるからだ。過去の記憶を思い起こし、そこから学習することは、ドイツの政治的、心理的、物理的アプローチの根幹をなしている。ドイツの議員たちが国政を論じるため連邦議会議事堂に向かう時、目にするのは壁に書かれたキリル文字の落書きだ。1945年にベルリンが陥落した時、同議事堂を占領したロシア赤軍が書いた落書きである。無謀な統治を二度と行わないための静かな警鐘として、ドイツはこの落書きを敢えて残した。ナチスが侵略もしくは占領した国に対して、ドイツの政治家は通常は意識して気を配る。
仮にロシアによるウクライナ侵攻がなければ、アンゲラ・メルケル独首相は今頃、旧ソ連が対ドイツ戦に勝利した70周年を祝う式典に出席する準備をしていたことだろう。だが実際には、その翌日の5月10日にモスクワにある無名戦士の墓を訪れることになりそうだ 。メルケル首相がドイツを欧州におけるイスラエルの最強の同盟国と呼ぶのは、ドイツがホロコーストに対して紛れもない悔恨の意を表明しなければならないことが、最大の理由である。
戦時補償のあいまいな解決
しかしながら、ドイツが深い贖罪の意を表し、気配りを見せても限界がある。ギリシャが持ち出した一連の歴史問題と、それらがどのよう扱われているかを詳細に見れば明らかだ。ギリシャの要求は次の3つに分けられる。第1は、ナチス侵攻の犠牲となった国の政府に当然支払うべきと考えられる一般的な賠償金の問題。第2が、犠牲者1人ひとりに対してドイツが負うべき精神的なもしくは法的な責務。そして第3は、占領時代にギリシャがドイツに強要された融資である。この融資はアフリカでの戦争の戦費として使われた。
1953年のロンドン会議において、ギリシャを含む対独債権国は、西ドイツが抱えていた海外債務のほとんどについて支払いを免除した。この結果、ドイツの「経済の奇跡」が成し遂げられたのだ。その際、賠償問題は将来の平和条約に委ねられた。平和条約は1990年に調印され、東西両ドイツと戦勝国4カ国(米国、英国、フランス、ソ連)がドイツ統一を受け入れた。当時のヘルムート・コール首相 とハンス・デートリッヒ・ゲンシャー外相は、この「2+4カ国合意」を平和条約と呼ぶことを敢えて避けた。このことは、賠償問題は条約締結と同時に明白な形で対処されるべきだったとの提案をそらすのに役立った。一方で、賠償問題は解決済みと見なす動きが広がっていった。
この時、ギリシャが抗議することはなかった。だが、やがて同国が調印していない条約はギリシャの賠償請求権を消滅させるものではないと主張するようになった。ギリシャ人がしばしば指摘するように、1990年以前は賠償問題を議論するのは時期尚早だと言われていた。なのに、今では、いま議論しても遅すぎると言われてしまう。今月、チプラス首相は議会で、ドイツは賠償金の支払いを回避するために「トリック」を使ったと非難した。ドイツはこれを強く否定した。つい最近、メルケル首相の報道官が繰り返したように、ドイツは賠償問題を「法的にも、政治的にも解決済み」と見なしている。
ドイツは710億ユーロの賠償を支払ってきた
ドイツは犠牲者個人及びその家族に対する責務についても同様の見解をとっている。西独は戦後、多額の賠償を行ってきた。政府データによれば、賠償額は合計710億ユーロ(約9兆3000億円)に上る。欧州諸国と1960年に交わした合意の一環としてドイツは、ギリシャにおいてナチスの犠牲となった人々に1億1500万ドイツマルク(5750万ユーロ、約74億4000万円)を支払った。
歴史学者のエーベルハート・ロンドルツ氏によれば、これはアウシュビッツに収容されていた日1日当たり2.50ユーロ(約330円)に相当する。犠牲者とその子孫にとって、これは笑止千万な額だろう。ナチスが1944年にディストモ村で繰り広げた大量殺戮の犠牲となった人々は、ドイツを1997年に個人として初めて訴えた。
しかしながら2012年に、ハーグの国際司法裁判所はドイツ側に立ち、政府は、海外の裁判所において個人から起こされた訴訟に関しては免責されるとの概念を導入した。この決定にほっとしたのはドイツだけではない。過去においては、外国人にひどい振る舞いをした政府はいくらもある。
戦時融資は賠償とは異なる
だが1942年にギリシャがドイツに強要された戦時融資については事情が異なる。融資額は4億7600万ライヒマルクで、ギリシャによれば、今日の価値にして推定110億ユーロ(1兆4000億円)に達する。これは、救済策の一部としてギリシャがドイツに負っている支援額650億ユーロ(約8兆5000億円)の約17%に相当する。1960年代、首相を務めたルートヴィヒ・エアハルト 氏は、ドイツは再統一後にこれを返済すると述べた。エアハルト氏は、ドイツ再統一は決して実現しないと考えていたのかもしれない。
第2次世界大戦中にギリシャに強要した戦時融資の返済について検討すべきだと考えるドイツ人も多い。「今やらなければ、いつやるのか」とロンドルツ氏は言う。前例を作ることを避けたいのなら、ドイツは信託や基金に資金を拠出すればよいと同氏は示唆する。中道左派の社会民主党や緑の党に所属する政治家の中には、責任を負い、誠意を示すというドイツの戦後の伝統を貫くべく、返済を主張する者もいる。
一方、ギリシャが戦争のことを持ち出し、改めて苛立ちを募らせているタイミングを疑いの目で見るドイツ人もいる。2000年ころからドイツのアイデンティティは変わってきたと「ザ・パラドックス・オブ・ジャーマン・パワー」の著者、ハンス・クンナニ 氏は指摘する。ドイツはもはや自らを戦争の加害者とだけ見てはいない、犠牲者としても受け止めている。アウシュビッツの子孫であるだけでなく、英国軍による爆撃で戦火に包まれたドレスデンの子孫でもあるからだ。
ドイツで進むギリシャ不信
今日の文脈で語れば、それが合理的かどうかはともかく、ドイツ人は自らをユーロ危機の犠牲者だと見ている。クンナニ氏によればドイツ人は、「奴らはドイツからカネを奪う口実として過去を持ち出し、自分たちの過ちの尻拭いをドイツにさせようとしている」と考えている。事実、ドイツ最大のタブロイド紙のビルド紙は、賠償の要求を「脅迫」と呼んでいる。
こうした環境の悪化は、当然ながら、ユーロ圏の将来を巡る論議のトーンにも影響を及ぼしている。直近の世論調査によると、ドイツ人の82%がギリシャが約束した改革を遂行できるかを疑問視しており、52%がギリシャにユーロから離脱してほしいと望んでいる。関係悪化を懸念して、メルケル首相は3月23日、チプラス首相をベルリンに招いた*。欧州を意図せぬ災難から守るために、メルケル首相は自慢の交渉力を駆使しなければならないだろう。
*:報道によると、メルケル首相とチプラス首相はこの会談で、信頼関係を築くことでは同意したものの、政策面での進展はなかった。
パラオは本記事にありますように台湾と国交がある数少ない国です。小生が2011年末から2012年年始に家族と共に訪れたときには、中国人はいなくて台湾人が多かったです。台湾人はパラオに農業指導に来ていました。中国人が蔓延るのは所詮受入側の金のためでしょう。国防上の問題があるというのに。目先の利益だけしか見ないのは非常に危険です。国防動員法がありますから。
この行動は単なる悪戯とは思えません。軍の許可を取った行動と思います。「政府を批判する自由の無い国」でこんな行動は取れません。反日デモが中国共産党の指導でなされているのと同じです。中国のやり方はジワリジワリと人口を植民させていくやり方です。現在のシベリア然り、アフリカ然りです。1930年代の長野朗の『支那30年』にも明らかです。
中国人にマナーを守れと言っても無駄でしょう。バス内の標識には「吐痰請向外吐 提高個人素質」(痰を吐くなら外に、個人の資質を高めよう)と言うのが堂々と貼られている国ですので。
http://gakugo.net/unarigoe/2009/09/97913.html
記事
今年は中国にとって抗日戦争勝利70周年目ということで、おそらく中国政府や中国人の行動の中には、なかなか日本や日本人を刺激するものが出てくると予想している。たとえば共同通信が先日、特ダネとして報じたパラオ海底の旧日本海軍給油艦の船尾に中国国旗「五星紅旗」が結びつけられていた事件。あれはいったい、何だったのだろう。ありがちな中国人旅行者ダイバーのいたずらだと、やり過ごしていい話なのだろうか。
旧日本海軍給油艦「石廊」の船尾付近に中国国旗
このニュースは、大手メディアでも詳しく報じられていると思うが、簡単に説明したい。
パラオは、太平洋上にある島嶼国で、第一次大戦後、ドイツの植民地支配から脱し、日本の委任統治領となった。第二次大戦がはじまると北西太平洋方面の拠点となり、1944年9月から2カ月に渡るペリリュー島の戦いなどで日米軍に1万2000人を超える犠牲を出した激戦の地である。戦後はアメリカの信託統治を受け、1993年に独立している。
このパラオに、天皇皇后両陛下が4月8~9日の日程で慰霊のために公式訪問されることが1月に発表された。パラオには、多くの戦争遺跡がある。日本軍1万695人、米国軍1794人という戦死者をだしたペリリュー島の戦いの現場などには、日米軍の遺構、戦車、ゼロ戦、破壊された停泊中の艦船や兵士の遺品などが点在している。
この戦争遺跡の一つで、沈没している旧日本海軍の給油艦「石廊」の船尾付近に中国国旗が結び付けられているのを、21日、取材で海底に潜った共同通信記者が見つけた。石廊は太平洋戦争中の1944年3月30、31日、パラオ・コロール島沖で停泊中に米軍の大空襲を受け、多くの乗員と共に沈没。今なお、当時の船体をとどめたままコロール島西南8キロ、水深40メートルの水底に沈んでいる。五星紅旗は幅1メートルほどで、船尾の砲座を囲む柵の支柱だったとみられる水深約26メートルの場所に針金と白い結束バンドで取り付けられていたという。付着物が少ないので一週間以内に取り付けられたものらしい。人気のダイビングスポットであり、中国人ダイバーの仕業ではないかと見られている。
パラオには毎年、多くの日本人が慰霊や観光に訪れており、日系人が大統領を務めたこともあり、「世界で一番の親日国」とも言われている。その一方で、去年あたりから急増している中国人観光客のマナーの悪さについては、現地の反感が高まっているようで、人民日報系タブロイド紙・環球時報(3月15日)も「珊瑚を破壊し、ゴミを海にポイ捨てすると、現地のタクシー運転手が苦言を呈していた」と報じていた。パラオはGDPの85%が観光収入という観光立国であるが、春節休みがあった2月の訪問観光客の62%にあたる1万955人が中国人だった。これはパラオ人口1.8万人の半分以上を占める。2014年のパラオ観光客は前年比34%増と急増だったが、この最大の要因が中国人観光客らしい。この年の中国人観光客は4万人を超え、国別では一番多かった。
パラオは台湾と国交を持っているために中国とは国交がない。2012年4月にパラオ警察が同海域で保護されているサメの違法漁を行っている中国漁民を取り締まる際に、中国漁民を一人射殺し、漁民25人が逮捕される事件が発生するなど、パラオと中国の間にはトラブルも結構多い。だが観光立国としては、反感を持ちながらも、1400ドルのヘリクルージングなど金に糸目を付けずに遊ぶ中国人観光客増を歓迎せざるを得ない状況だった。
普通の中国人観光客の発想なのか
こういう状況をかんがみると、石郎船尾の「五星紅旗」は、マナーの悪い中国人観光ダイバーの悪ふざけだろう、とは思う。実際、愛国を掲げる中国人が国旗を持って旅行に行き、無邪気に国旗を広げて記念写真を撮影する光景は実はわりと見かける。私は台北で、そういう中国人観光客を見かけたことがある。これは台湾の人々が相当鼻白む行為である。だが、多くの場合は、単に訪問国に対する知識が不足していたり、想像力が欠如していたりして、無礼なだけで、何が悪いか、本当に分かっていないようなフシもある。
ただし、日本人にとって英霊の眠る海であり慰霊の場であるパラオの海で、天皇皇后両陛下が慰霊に訪れられる直前のタイミングで、わざわざ水底の旧日本軍艦に五星紅旗を掲げる行為は、あきらか日本のパラオにおける歴史を知り、日本とパラオの関係や国情を知った上での日本や日本人に対しての政治的挑発の意図があるだろう。日本人の死者に対する思いの深さ、慰霊や弔いの心を重視する国民性を知った上での侮辱行為ではないか。当然、パラオの誇る世界遺産の海を汚す環境破壊行為でもあるし、また独立国で国交のないパラオに対する失礼極まりない行為でもある。知りたいのは、こうした行為が本当に普通の中国人観光客の発想なのか、あるいは国家的意志のようなものが働いているのか、ということである。
と言うのも、2013年8月1日、中国人民解放軍のあの過激なタカ派発言で知られる羅援少将が人民日報海外版主催の講演会で「五星紅旗を釣魚島(尖閣諸島)海底にさして主権を主張すべきだ」と発言していたことを思い出したからだ。その対談内容を簡単に紹介すると。
「五星紅旗を海底に挿して主権を主張すべきだ」
「八一建軍記念日のおり、著名軍事専門家で軍事科学院世界軍事研究部の副部長である羅援少将が(人民日報海外版が運営する)海外ネット“名家講堂”のゲストとして、『中国領海をめぐる争いに対する策略』と題する講演を行った。人民日報の編集委員で海外版総編集長の張徳修が出席、海外版副編集長の王咏賦が司会を担当した。このとき、羅援は『目下我が国の平和崛起が直面する問題は外部からの挑発が“両海三領域”、つまり東シナ海、南シナ海、インターネット領域、宇宙領域、金融領域に集中していることだ』と語り、黄岩島(スカボロー礁)事件、仁愛礁(セカンド・トーマス礁)事件など、フィリピンとの領海問題および、釣魚島(尖閣諸島)をめぐる対立の文脈を分析。同時に中国がいかにこの争いに対応して主権防衛を行うかについて、具体的な提案をした。
羅援は『我々は東シナ海と南シナ海で、六つの存在感を突出しなければならない。つまり行政、法律、軍事、執法、経済、世論における存在感である』と語り、『さらに国防は科学と相互に結合するべきだ。たとえば蛟龍号有人深海探査艇の技術をもって、釣魚島と南シナ海の島礁の海底に五星紅旗を挿し、中国の主権を喧伝するべきである』と語った。
『万里海疆孤島咽、銅墻鉄壁誰能越』(万里の海の辺境と孤島に、銅墻鉄壁をはりめぐらせば誰も越えることはできない)と、岳飛の満江紅に習った自作の漢詩を披露。聴衆の大喝采を受けていた」…
解放軍は実際に2010年8月26日、国産有人深海探査艇蛟龍号によって南シナ海の深さ3000メートルの海底にまで潜り、五星紅旗を立てることに成功。その様子はCCTVでも放送されている。この蛟龍号は改良を重ねられて今は7000メートル位潜れるそうだ。
こうした国家戦略と、親日国の海底に眠る旧日本軍艦に中国国旗を飾る発想はかなり似ている。30メートルの深さで国旗の取り付けなど、ツアー参加のにわかダイバーの所業というよりは、かなり慣れたダイバーではないだろうか。本当にただの観光客だろうかと、ひょっとして軍関係者じゃないのか、とかんぐりたくもなるだろう。
「遺憾の意」なければ「国家の意思」では?
中国ではこの報道については、共同通信を引用する形の事実報道が中心で論評は23日の段階ではほとんどなかった。微博では、日本人を悔しがらせているぞ、といった賞賛や歓声が散見される。だが、日中の複雑な歴史関係に絡む感情を差し引いても、この行為は明らかに海にゴミをポイ捨てする中国人観光客と同じかそれ以上のマナー違反である。最近、パラオ周辺の海底には簡体字ラベルのついた食品の袋や缶などのゴミが落ちており、パラオ政府はこれを問題視して4月15日から中国人の入国者数を制限することにしている。中国人にとって神聖な五星紅旗も、こういう使い方をしては、海底に落ちている簡体字のついたゴミと同じ、海を汚しているだけである。
個人的な意見を述べるならば、中国政府がこの件に関して正式に遺憾の念を示さない限り、こういった行為は中国の国家としての意志とみなしてよいと思う。海底の戦争遺跡に五星紅旗を結び付けた輩が政府や党や軍の指示を受けてやったのではないとしても、いまだに海底に旗を立てて主権を主張するが勝ちという発想で、領土をめぐるトラブルを解決しようと軍の少将が中央メディアで呼びかけている以上、このような国民の行為は党と政府の指導に従ったものだとはいえるだろう。
中国人観光客は世界の観光立国の救世主であるとみなされている。彼らが昨年海外旅行先で使った金は1兆元を超え、それは中国国内における中国人観光客の消費よりはるかに多い。日本で春節(旧暦正月)休みがあった2月、45万人の中国人観光客が訪れてくれて、百貨店や家電量販店などで引き落とされた銀聯カード(中国版デビッドカード)の総額は30億元を超えていたという。日本に興味を持ち、大量に買い物をして経済に貢献してくれたことに、日本人の多くは感謝し歓迎している。
「救世主」よ、最低限のマナーは守れ
だが、ふと思うのだ。観光客が、単純に日本が好きで、日本をもっと知りたくて観光に訪れてくれるのならば、私たちは心をこめてもてなしたいと思うけれど、そこで声高に領土や領海の主権主張や政治的ロビー活動を展開されれば、それはもはや普通の観光客ではない。中国政府のプロパガンダを担った経済、文化進出の尖兵として、日本人の目には警戒すべき相手としか映らないだろう。
私は中国人観光客を歓迎したい方なので、訪問先の環境を損なわない、遺跡・文物を傷つけたり汚したりしない、その土地の宗教、文化、歴史に配慮する、という最低限の観光客マナーをどこの国にいくのであれ守ってほしい。もし、中国が、観光客を公共外交戦略の一環と位置付けているのならなおさら、旗を振りかざして権利や存在感を誇示するようなやり方は逆効果であると気付いた方がいい。
民主党と言うのは日米問わずダメでしょう。メール問題の報道の仕方は、ヒラリーとジェブ・ブッシュを相討ちにしたい構図がすけて見えます。安倍さんが上・下院で演説するのですら中韓はオバマ政権を使って、日本政府に圧力をかけているようです。
歴史認識の問題は日本国民がもっと危機感を持たないといけない問題です。小生の体験で言えば、余りに左翼メデイアに影響を受け過ぎではないかと思わざるを得ない場面に遭遇しました。一昨日、小生が総会屋担当をした時に、一緒に働いた尊敬できる先輩と飲みました。小生が総会屋に妥協しようとしたときに決然と“No”を言われた大先輩です。でも意見が全然合いませんでした。意見が合わないのは小生の考え方が飛躍しすぎであるからかも知れません。でも、中国の体験のない人には分からないのかもと思いました。それだけ中国人のやり方は日本人の想像を絶するという事ですが。
「士気の集い」、「防人を励ます会」のメンバーと飲むのが心の安らぎを感じます。やはり、昔の会社関係の人とは議論が噛み合わないような気がします。残念ですが。小生の意見が正しく、他の人の意見が間違っているという意味ではありません。日本は中韓と違い、多様な意見の存在を認める国です。でも酒を飲むときには、自分の意見と近い人と飲む方が精神的に落ち着きます。
高濱賛記事
次期米大統領の最有力候補と目されるヒラリー・クリントン前国務長官(69)が在任中に私的メールアドレスを公務にも使用していたこと(米メディアは「メールゲート」と命名)が3月2日明るみに出た。
米下院のベンガジ調査特別委員会(2012年9月11日に駐リビア米総領事館襲撃事件を調査している)がその事実を「発見」し、米国務省が内部調査し確認した。
「連邦公文書記録管理法」(The Federal Records Act)は、閣僚ら政府高官に対し、在任中行う公務に関する電子メールはすべて公用アドレスを使うことを義務付けている。その記録は退任後、「米国立公文書記録管理監督局」(NARA)の管理下に置かれる。同法は同局に強力な法的強制力を付与していないため、違反者に罰則を科すことはごく稀とされる。だが今回は、次期大統領の有力候補が国家機密を扱う国務長官在任中に行った「違法行為」であるだけに、そのインパクトは想定外の方向に広がる可能性がある。
クリントン氏は報道から8日後の3月10日に記者会見を開き、「持ち歩く端末が1台の方が便利だった。公私を分けておいた方が良かった。法令違反はしていない」と弁明した。だが、この程度の釈明でメディアや共和党が収まる気配はない。私的メールアドレスを使用した送受信メッセージの数は約6万通。クリントン氏はそのうち公的なもの約3万通を、発覚後、国務省に提出している。残りは「とっておく必要がない」私的メッセージだとして消去したことを示唆している。
連邦公文書記録管理法に違反する恐れも
米政界の事情に精通している専門家たちは「この場は凌いだようだが、中長期的に見ると傷は残った。国民は次に発覚するスキャンダルは何かと見ている」(政府関係コンサルタント会社プライム・ポリシー・グループ幹部のケリー・ギブソン氏)と厳しい見方をしている。
保守派の法律学者の中には「今回のケースは完全な法破り。発覚後、私的メッセージは消去したという。提出することを強制的に要求される可能性のあるメッセージを1通でも破棄することは立派な犯罪だ」(ロナルド・ロツンダ チャップマン法科大学院教授)といった意見も出ている。
(”Clinton’s Email Scandal Will Leave a Scar,” Cary Gibson, Thomas Jefferson Street Blog, US & World Report, 3/17/2015)
(”Hillary’s Email and the Law,” Ronald D. Rotunda, Wall Street Journal, 3/16/2015)
というのも、「クリントン元大統領、前国務長官夫妻には、その政治活動において不透明な点があるとして批判が付きまとっている。今回のスキャンダル発覚はそれを増幅させる結果になった」(米ニューヨーク・タイムズ紙)からだ。
(”Hillary Clinton Used Personal Email Account at State Dept., Possibly Breaking Rules,” Michael S. Schmidt, New York Times, 3/2/2015)
共和党は「第三者調査委員会」立ち上げを要求
共和党にとってはクリントン氏のスキャンダルは降って湧いた幸運。クリントン叩きの絶好の材料と言える。
ジョン・ベイナー下院議長(共和、オハイオ)は3月17日、第三者調査委員会の設置を提唱した。「ベンガジ事件の真相を究明するため、クリントン氏が私的なメールアドレスで送受信されたメッセージのうち同事件解明に必要なものがどれかを決める決定権を第三者機関に与えるべきだ」。
一方、下院ベンガジ特別委員会のトレイ・ガウディ委員長(共和、サウスカロライナ)は「ベンガジ事件にかかわり合いのあるすべてのメッセージを委員会に提出してもらうため、クリントン氏には2週間の猶予を与えた」と発言。また下院監視・政府改革委員会のジェイソン・チェフェッツ委員長(共和、ユタ)は、私的メッセージも含めすべてのメッセージを提出するようクリントン氏に求めている。
(”Boehner calls for ‘third party’ access to Clinton emails,” Scotto Wong, The Hill, 3/17/2015)
今後の動き次第では「クリントン氏を委員会に招致する可能性も出てくる」(下院監視・政府改革委員会スタッフ)。
発覚以後、「ヒラリー好感度」は6ポイント減
今回の「メールゲート」が16年に行われる次期大統領選に向けたクリントン氏の好感度にどのような影響を与えているのか。
問題発覚後の3月13~15日にCNNが行った世論調査によると、同氏の好感度は53%(昨年11月は59%)、不人気度は44%(同38%)。「ヒラリー嫌い」が6ポイント増えている。昨年11月の時点では、56%が「ヒラリーは正直で信頼できる」と答えていたが、この回答も50%にダウンしている。
(”Poll: Hillary Clintoin’s email divides public,” Jennifer Agiesta, CNN, 3/16/2015)
共和党サイドでは本命と目されながらも支持率では今ひとつ伸び悩んでいたジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事が他候補を一歩リード。
CNNが実施した先の世論調査ではクリントン支持は55%(昨年12月は54%)、ブッシュ支持40%(同41%で)、依然としてクリントン氏が15ポイント、リードしている。だが共和党サイドは、「メールゲートの重要性が米世論にさらに浸透すれば、ヒラリー支持はさらに落ち込む。ブッシュが追いつき,追い超すことチャンスは十分ある」(共和党選挙対策担当者)とあくまでも強気だ。
「ヒラリー大統領選キャンペーンの終わりの始まり」
保守派メディアの「ヒラリー叩き」にも力が入ってきた。3月10日の記者会見の様子を見た保守派コラムニスト、ペギー・ヌーナン氏は米ウォール・ストリート・ジャーナル(3月13日付け)のコラムでこう書いている。
「ヒラリーの目はうつろで、質問する記者とアイ・コンタクトすら取らなかった。国務長官がメールを公私混同すること自体、スキャンダルなことは皆知っている。ヒラリーにはそのことすら他人から問題にされたくないだけのだ。…彼女には戦闘に赴くハングリー精神が微塵もない。戦いに疲れたようにすら見える。…たぶん、私たちはヒラリーの大統領選挙に向けたキャンペーンの終わりの始まりを見たのかもしれない」。
(”Hillary Seems Tired, Not Hungry” Peggy Noonan, Wall Street Journal, 3/13/2015)
ヌーナン氏は、ロナルド・レーガン第40代大統領のスピーチライターなどを経て政治、宗教、文化に関する著書、論文を書きまくっている女性論客だ。
Andy Chang 記事
ヒラリー・クリントン元国務長官が公務通信に彼女の個人のメールアドレスを使用していたことが問題化したので、ヒラリーは3月10日、ニューヨークで記者会見を開いて釈明した。
ヒラリーは2016年の大統領選挙で民主党の最有力候補とされていたが、このスキャンダルで違法行為を究明されることになったので、たとえ出馬しても当選は無理と言われている。
ヒラリードットコム・ゲート、またはイーメール・ゲートと呼ばれている。ヒラリーは記者会見で問題の鎮静化を図ろうとしたが、その逆にパンドラの箱を開けてしまった感がある。
アメリカ政府の規定では、公務執行中は公務用のメールアドレスを使うことが義務付けられているが、ヒラリーが国務長官に就任した2009年にはまだ規定がなかったという。
しかし規定した後もヒラリーは規定を無視して私用スマホで個人メルアドを使用していたことが去年8月に発覚した。ヒラリーは今年1月になってからようやく5万5千通のメールのコピーを提出した。しかもヒラリーは一般のサーバーでなく、クリントン家の自宅サーバーを使用していた。
記者会見でヒラリーは次のような4点の説明をした。
(1)国務長官に就任した時に、公務用と私用のスマートフォン(スマホ)、二つのスマホは面倒だから、一つに絞って私用スマホを使うことにした。当時はこれが許されていた。
(2)私用スマホから発信したメールは受信者の公用アドレスに送信したので、受信者は規定に従って政府に提出され保存された。
(3)引退後、政府は国務長官に在任中のメールの「コピーの」提出を求めた。私は要求に従い55000通のコピーを提出した。しかし、プライベートなメール、例えば娘の結婚式などのメールは提出せず、「消去してしまった」。
(4)更に私は、国務省に提出したメールすべてを公開するよう要求した。私用スマホで国家機密を送信したことはなかった。
この4つの声明はみんな嘘の塊である。
(1)ヒラリーは「公用と私用の二つのスマホは面倒だ」と言ったが、実際にはiPhone、Blackberry、iPad二個の計4つの私用スマホを使っていた。更に彼女はヒラリーだけでなく別のメルアドを使っていた可能性もあると言われる。
(2)政府の規定ではメールの提出を義務付けられていたが、受信者側が規定に従って提出したのに、彼女だけが規定に反して提出しなかった。しかもヒラリーは2012年に国務長官の通達として公務員の私用スマホを禁止しただけでなく、私用スマホを使った直属部下の駐ケニヤ大使を免職処分にしたのである。部下に対して法規に従えと命令し、本人は法を犯したのである。
(3)政府がメール提出を求めたとき、彼女は55000通のメールを「紙にコピーして」提出した。紙に印刷されたメールでは違法行為があったかどうかの調査はできない。メールの提出は電子メールのコピーでなければならない。
また、彼女はプライベートのメールを消去したと説明したが、彼女には公私の「判断する権利」はない。
「不都合メール」を消去した疑いが残る。提出しなかったメールを消去する権利はない。証拠隠滅である。しかもヒラリーは自宅サーバーの提出を拒否した。
オバマ政権は2011年に二つの行政命令を出している。一つ目は公務員の私用スマホの私用を禁止したこと、二つ目は公務メールをすべて政府が保存することである。2009年の就任当時は私用スマホが「許されていた」としても、2011年の命令に従わなかったのは違法行為である。しかも2012年には本人が部下に通達を出している。
記者会見の翌日11日、AP通信は米国の国務省を告訴すると発表した。AP通信はアメリカの情報公開の自由(Freedom of Information Act)でヒラリー在任中のメール提供を国務省に申請していたが、国務省はAP通信の要求を数年間放置したままだった。だからAP通信は遂に国務省を告訴することにしたという。
AP通信だけでなく、国民が最も知りたいことはベンガジ事件と呼ばれるヒラリーの部下だった駐リビア大使ほか三人がリビアのベンガジ市でテロ攻撃を受けて死亡した事件の詳細である。テロ攻撃が始まった際にヒラリーとオバマはホワイトハウスで攻撃の消息一切を聞きとっていたが、オバマは救援隊を派遣しなかった。そして四人の死亡が確認された後もベンガジ事件をテロ行為ではなく、ある男のビデオに抗議した事件だったと強弁したのである。
ベンガジ事件の調査委員会の主任・トレイ・ガウディ国会議員は、事件当時のメールと自宅サーバーの提出を要求している。
クリントンのスキャンダルは私用スマホの使用やメール消去などの一か月ほど前から外国献金問題が問題化していた。ワシントンポストの報道によると、クリントン基金会(ビル、ヒラリー、チェルシーの基金会)が2001年から今日までに20億ドル以上の献金を集めたことを素っ破抜いたが、この基金会は多くの外国の献金を受け取っていた。
ヒラリーが2009年に国務長官に就任し、基金会はヒラリーが政府の要職に就いたので外国の献金を断ると通達したが、2014年にヒラリーが退職すると同年12月には外国にヒラリーが公務を引退したので再び献金を受け付けると通達したと言う。
報道によるとサウジアラビアの献金は1000万~2500万ドル、アラブ酋長連合国は100万~500万ドル、このほかにカタール、アルゼンチン、オーストラリアなども献金リストに入っている。
ヒラリーは大統領選挙に出馬すると言われ、国内国外でも彼女がアメリカ大統領になる可能性を報じている。しかし、たとえ当選した後に外国献金を返還したとしても献金の恩情は残る。大統領が外国の献金を受けたら政治にどんな影響を与えるか。彼女に大統領の野心があったら初めから外国献金を断るべきだった。それなのに引退したから再び献金を受け付けると言いだしたとは呆れる。
アメリカのメディアは民主党贔屓で、ヒラリーやビル・クリントンのスキャンダルの報道を避けてきたが、記者会見後は三大テレビが少しだけ報道するようになった。フォックスニュースは共和党系でベンガジ事件やヒラリー献金問題などを追及していたが、AP通信の告訴で今後はスキャンダル報道がエスカレートすると予想される。
民主党員はヒラリーの「消極的支持」が多く、やがて問題が沈静化して彼女の立候補に影響を及ぼさないことを願っている。だが彼女が本当に立候補すれば共和党候補にとっては願ってもない有利な選挙となるであろう。
ウオーターゲート事件の後、政府がらみのスキャンダルはみんな何とかゲートと呼ばれるようになったが、ヒラリーのメール消去は、ニクソンテープの消去にソックリである。ニクソンはウオーターゲート事件の介入を否定し続けていたが、ホワイトハウスでは常時録音が設置されていたことがわかり、国会がテープの提出を求めた。
するとニクソンは録音テープをタイプした文書を提出し、おまけに秘書が録音テープを18分ほど「間違って消去した」と発表したので、一挙にニクソン罷免問題、ニクソン辞職に発展したのだった。
ヒラリーの個人メールのタイプと部分消去は、ニクソンテープとそっくりである。スキャンダルは始まったばかり、ヒラリードットコム・ゲートはどんどんエスカレートするだろう。
ケントの言うように外務省のHPに載せた「尖閣の1969年発行の中国の地図が日本領になっている」のを、日本語だけでなく、各国語に翻訳して、世界の大使館でそれをプリントして各国政府に説明するよう働き掛けるようにするのが良いでしょう。如何に中・韓が嘘吐き国家と言うのを世界に知らしめるチャンスです。慰安婦もデッチ上げ、南京虐殺も捏造と言うのを事実をもとに反論していくべきです。
外務省のHPの「資料コーナー」の「尖閣諸島に関する資料」の中の「尖閣諸島について 平成27年3月16日更新」PDFの21ページに載せていますが、探すのが大変。これでは日本人でも見つけるのが難しいでしょう。腰が引けている感じです。これではまともな交渉は出来ません。トピックスとしてトップページに載せるくらいしないと。
本件ケントの言うように外務省に意見提言としてHPから送付しました。そんなに難しくありませんから、意見送付してみては如何でしょうか?
ケントの主張で「言えば失脚間違いなしだからです。王外相は家族が人質なのかも知れません。」と言う部分は英文にはありません。でも中国では家族が人質になるのは当り前です。中国の「国防動員法」で有事には在日中国人は中国共産党の指示に従わなければ家族が悲惨な目に遭うというのは充分理解しています。テロには注意しないといけません。
ヘンリー・ストークス(フィナンシアルタイムズ、タイムズ、NYタイムズ記者、三島由紀夫の友人)の『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』を是非読んでください。如何に戦勝国が歴史を改竄したかが分かります。下記のように残念ながらアメリカでこの本を英文で発行する出版社は現れてないようですが。せめて多くの日本人が真実に目覚めんことを。
加瀬英明氏によれば
「ニューヨーク・タイムズ、ロンドン・タイムズ、ファイナンシャル・タイムズの日本支局長を歴任した、ヘンリー・S・ストークス氏の著書『連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)という良書が、一昨年12月に出版されて、10万部以上売れるベストになっている。
本書は、日本は先の大戦を自衛のために戦い、アジアを西洋の植民地支配から解放したが、侵略したのではない、日本は「アジアの光」だった、東京裁判は不正な復讐劇だった、“南京大虐殺”は中国のプロパガンダにすぎない、慰安婦は売春婦で、性奴隷ではなかったなどと、説いている。
ところが、本書を原文で出版しようとしても、尻込みするアメリカの出版社が多い。
日本で英語の本を出版して、アメリカ全国の書店に唯一つ配給していた、講談社インターナショナルは経営が行き詰まって、昨年春に解散を強いられてしまった。これでも、日本は国際大国といえるのだろうか。」
内容
岸田文雄外務大臣と中華人民共和国(PRC)の王毅外相との会談が開かれましたが、王外相は相変わらず日本の「歴史認識」に関する話を持ち出したようです。私自身も日本の歴史認識について不満を持っているということは、以前、夕刊フジの連載「ニッポンの新常識」第2回に書いた通りです。
When talks were held between Foreign Minister Fumio Kishida and the Peoples Republic of China (PRC) Foreign Minister O Ki, Foreign Minister O as usual brought up the issue of “understanding of history.” I myself have some issues with the Japanese perception of their own history as I wrote in the second article in my series “Common Knowledge Revisited” presently running in the Fuji Evening News.
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150212/dms1502121550003-n1.htm
日本は日清戦争前後から現在までの、中国大陸や朝鮮半島との関わりについて、史実に基づいた歴史認識を、世界に向けてはっきり主張すべきだと思います。ついでに、PRCと韓国の国内の歴史についても、彼ら及び世界に向けて教えた方が良いでしょう。何故なら、PRCと韓国の両国は、歴史認識に関する重大な欠点を持っているからです。
I think that Japan should clearly state to the world its understanding, based on historical facts, of the relationship it had with continental China and the Korean Peninsula since the Sino-Japanese War. At the same time, I think they should also tell the world as well as PRC and Korea the domestic history of these two countries. The reason is because both PRC and Korea have serious flaws in their understanding of history.
http://matome.naver.jp/odai/2141901026094268401/2141901453995324703
PRCは建国直後の1950年代から、母国語の記述に用いる漢字を「簡体字」と呼ばれる簡略な文字に変更しました。同様に韓国は、建国後、日韓併合時代に使っていた漢字ハングル混じり文という便利な表記方式を捨てて、固有名詞をのぞけば表音文字のハングルだけにしました。
After the establishment of the PRC in the 1950s, the characters used to write its mother tongue were changed to simplified Chinese characters. Likewise, after its establishment, Korea discarded the method of writing which mixed Chinese characters with Hangul, and except for proper nouns, adopted the Hangul phonetic system exclusively.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E5%B0%82%E7%94%A8%E6%96%87%E3%81%A8%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E6%B7%B7%E3%81%98%E3%82%8A%E6%96%87
その結果、戦後教育を受けたこの二か国の国民の大半は、70年前の母国語の文書を読めません。その上、両国の指導者は、世界中に嘘を吐いても平気なことからも分かるように、自国民に嘘の歴史を教えることに全くためらいがありません。だからPRCと韓国の国民は外国語を学ばない限り、歴史の真実を知ることができないのです。
As a result, a large portion of the population educated after the war are unable to read their mother tongue further back than 70 years ago. In addition, the leaders of both countries, as can be seen by the fact that they coolly lie about their history to their own people, have no compunction whatsoever about teaching lies about their own history. Thus, unless the people of PRC or Korea learn a foreign language, they cannot hear the truth.
これは一種の愚民化政策であり、両国とも見事な成果を収めています。王毅外相や朴槿惠大統領が、しきりに「歴史認識」と叫ぶのは、戦前・戦中・戦後の歴史的事実について、新聞や書籍を読むだけで検証可能な日本人に「歴史の真実を教えて下さい」というSOSだと捉えることもできます。これはもちろん皮肉です。
This is one form of a policy to keep the masses uninformed, and both countries have been very successful at it. The fact that Foreign Minister O Ki and President Park Geun-hye incessantly harp about the “understanding of history” can be interpreted as an SOS signal directed to the Japanese, who are able to verify facts by reading books and newspapers, asking them to “teach the historical truth.” But of course I am saying this sarcastically.
王外相と朴大統領の極端に反日的な態度は、PRCの習近平国家主席に対して、「王様、あなたは裸です」と正直に言えない裏返しかも知れません。言えば失脚間違いなしだからです。王外相は家族が人質なのかも知れません。こっちは半分マジです。
The extreme anti-Japanese stance taken by Foreign Minister O and President Park may be a backhanded way of saying to Chinese President Xi Jinping what they cannot express straightforwardly, namely “The Emperor is naked.” I am at least half serious on this point.
日本にもPRCや韓国に対して、歴史的事実を主張せず、媚びへつらうだけの政治家や外交官がいますが、私は彼らのことを、金(カネ)もしくはハニートラップによって操られているパペットだと見ています。そうでないなら、近現代史の資料を十分に読んでいないか、読んでも意味を理解できないBAKAとしか考えられません。
There are some obsequious politicians and diplomats in Japan who cannot advocate historical facts to the PRC or Korea, but I look at these people as puppets manipulated by money or a honey trap. If that is not the case, then we are left to believe that either they are not sufficiently reading materials on contemporary history, or else they are fools who cannot understand the meaning of what they are reading.
先日、外務省が尖閣諸島に関する1969年PRC作成の地図をホームページに載せた件は非常に良かったです。それに加えて以下のような歴史的事実を、中国語、韓国語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語などに翻訳して「日本国の歴史認識」として、外務省のホームページに掲載してはいかがでしょうか。
Just the other day the Foreign Ministry took the welcome step of publishing on its home page a map concerning the Senkaku Islands prepared by the PRC in 1969. I suggest that they also translate the following materials to Chinese, Korea, English, French, German, Spanish and Portuguese and post them on the Foreign Ministry’s home page.
1、中華人民共和国(PRC)の建国は、大東亜戦争を含む第二次世界大戦が終結した1945年の4年後、1949年10月であること。
2、終戦時に存在しないPRCという国家は、第二次世界大戦に参加することが不可能であり、したがってPRCが「戦勝国」であるはずがないこと。
3、中国大陸で日本軍が「戦争」をしていたのは、蒋介石率いる中華民国(Republic Of China)の正規軍である国民党軍であること。
4、大戦中に毛沢東率いる現在の中国共産党が戦っていた相手は、基本的に国民党軍だから、それは「内戦」に過ぎないこと。
5、大戦中に共産党軍が日本軍に戦いを挑んでも、それは国の正規軍同士の戦いではないから国際法上「戦争」でななく、日本軍に対する「テロ行為」に過ぎないこと。
6、国連憲章には今も、戦勝国たる安保理常任理事国は中華民国(ROC)であると明記してあり、1971年に国連に加盟したPRCを常任理事国扱いしているのは、他の国連加盟国による「妥協」と「お情け」によるものであること。
7、毛沢東が行った「大躍進政策」や「文化大革命」などの愚策によって、数千万人に及ぶPRC国民が餓死したり虐殺された事実を日本は知っているが、今まで「お情け」で何も言わなかったこと。
8、PRCは東トルキスタン(ウイグル)、チベット等を武力侵攻し、数百万人単位の人々を虐殺し、それを現在も続けていることは世界中が知っているが、PRCの内部崩壊を避けるため、今まで声高には非難しなかったこと。
9、世界最悪のファシズムはPRCという国で行われていることを日本は知っていること。
PRCと韓国こそが認識すべき歴史について書き始めたら、本当にキリが無いので、今日はこれくらいでやめます。
If I were to write out all the history which the PRC and Korea need to recognize, there would be no end to it, so I will stop here for today.
皆さんも外務省がホームページに掲載すべきだと考える「歴史認識」があれば、コメント欄に書き込んでみて下さい。
If you have any other things which you think should be listed on the Foreign Ministry’s home page as items of “historical understanding,” please feel free to write them in your comments below.
「歴史は繰り返す」と言いますが、日清・日露戦争あたりの朝鮮半島を彷彿とさせます。清・露・日の大国に挟まれ、アッチに付いたりコッチに付いたり。事大主義の典型です。今は米・中・露の3ケ国で韓国の手足を引っ張り合っている構図です。でも自業自得でしょう。蝙蝠外交は相手国総てから信頼されないという事が分からない民族性なので。安保は米国、経済は中国とか切り離して考えることが如何に危険か分かっていない。北朝鮮と戦争に成ったら、中国と経済がそのままという事はないと思います。中国としても北朝鮮の同盟を無視して、韓国を支援はできません。勿論北朝鮮は石油がなく、継戦能力はありませんが、ロシアが支援すれば別となります。ましてや北は核保有国、ロシアがウクライナに核使用の可能性を明言した通り、北も明言するかも知れません。韓国はそれを防ぐためにもTHAADの配備が必要なのにそれが分かっていません。
AIIB参加、THAAD配備でお茶を濁そうとしても米国が許すかどうか。米国も頭が悪いというか、中華・小中華の民族性が全然分かっていません。「裏切り」は常套手段です。THAAD配備しても軍事機密が中国に筒抜けになる可能性もあります。アチソン声明のように朝鮮半島から身を引き、台湾と日本で中国の軍事膨張を食い止めるようにした方が良いと思います。
記事
「反日の日」に反米デモ
—木村先生は3月5日のリッパート(Mark W. Lippert)米大使襲撃事件の当日、ソウルにおられました。韓国の空気はどんなものでしたか。
木村:まず、その4日前にソウルで繰り広げられた「3・1節」のデモに注目すべきと思います。「反米」が全面に出ていたのです。これには正直、驚きました。
今回のソウル訪問の目的の1つは、例年行われるこのデモを観察することでした。米大使襲撃事件を考えるために、韓国の変化をくっきりと映したこのデモの話からいたします。
鈴置:1919年3月1日に起きた、日本からの独立運動が「3・1運動」。それをたたえるデモですね。この日は韓国では「反日記念日」です。
私がソウルに住んでいたのは4半世紀前の話ですが、日本人はこの日は外出しないよう注意を受けたものです。一方、米国は日本から韓国を救ってくれた恩人。感謝されるべき日だったのですが……。
木村:だから、このデモで「反米」のメッセージが強く打ち出されたことに驚いたのです。今年はソウル大学医学部近くのマロニエ公園から、日本大使館そばの国税庁までデモ行進があるというので取材に行きました。
集まったのは300人ほど。韓国の進歩派、分かりやすく言えば左派が組織したデモでした。しかもその中で、かなり過激な路線をとる主思派(チュサパ)――北朝鮮の主導原理である主体思想を信奉する流れのグループです。
デモの先頭に掲げられたのは「反日の日」だけあって、さすがに日本を批判する「慰安婦」関連のプラカードでした。しかし次に出てきたのは「GSOMIA反対」。ここで反米色が一気に強まりました。
朴と安倍を操るオバマ
—GSOMIAとは?
鈴置:2012年6月に日韓の間で結びかけたけれど、韓国が当日になって署名をドタキャンした軍事情報保護協定のことです。日韓の軍事情報交換は日米韓の「中国包囲網」につながると懸念した中国が、韓国に圧力をかけた結果でした。
結局、「情報の交換は北朝鮮の核・ミサイルに限り、かつ米国経由とする」と矮小化したうえ、覚書に格下げして2014年12月にようやく実現しました。中国の顔色を見る韓国に配慮して「中国包囲網ではない」形をとったのです。
木村:もちろん、GSOMIAも覚書も米国が勧進元です。だからデモ隊はこれをことさらに取り上げることで「危険な日本との軍事協力は、実は裏でワシントンが仕切っているのだ」と訴え、米国に対する拒否感を盛り上げたのです。
それを分かりやすく示すためでしょう、オバマ(Barack Obama)大統領のお面をかぶった参加者が、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領と安倍晋三首相のお面をかぶった2人にヒモをつけて後ろから操ってみせていました。
鈴置:米大使襲撃犯が訴えた「米国主導による日韓癒着」と全く同じ主張ですね。日韓関係の悪化に悩むオバマ大統領が見たら「そんな風に操れたらどんなにいいことか」と苦笑したでしょうけれど。
“習近平”もデモに登場
木村:全くその通りです。デモ隊の話に戻りますと「GSOMIA」の次は「NO! THAAD(サード)」が登場しました。新聞用語で言えば「終末高高度防衛ミサイル」です。THAADなど知らない人も多いからでしょう、紙で作ったミサイルをかぶった人がいました。
デモの隊列もここまで後ろの方に来ると、先頭グループが訴えていた慰安婦問題はもちろん「日本」そのものがどこかにすっとんでしまっています。つまり「米中どちら側の言うことを聞くのか」と国民に迫るデモになっているわけですね。
米国は今、ミサイル防衛(MD)の一環として在韓米軍基地にTHAADを配備しようとしています。
一方、これを食い止めようと中国は今や、公式的にも反対している。THAADは名目こそ北朝鮮のミサイルに備えるものだけど、実際には中国の核戦力への防御手段である。そんな中国に対する敵対行為は容赦しない――というわけです。
そして、それを裏打ちする形で、デモ隊の列の最後の方に、習近平のお面をかぶった人が登場しました。そして“習近平”の手にはプラカードが。
書かれた文句は「中国から貿易黒字を稼いでいるのに、どうしてTHAADを配備するのか」――。”習近平”は「米中どちらをとるのか」と、改めて韓国人に迫ったのです。
矛先は日本から米国に
鈴置:彼らのシュプレヒコールは?
木村:最も多かったのが「戦争反対!」です。誰にでも受け入れられやすいからでしょう。
鈴置:韓国メディアによると、米大使襲撃犯も犯行直後にこのスローガンを叫んでいました。米韓合同演習の最中で、これが北朝鮮との戦争につながると中止を求めてもいた。
木村:「戦争反対!」を除くとシュプレヒコールの順番は、プラカードの並べ方と同じで「慰安婦」→「GISOMIA」→「THAAD」でした。
鈴置:韓国の民族主義の矛先が、日本から米国に向き始めたということですね。少なくとも、そうさせようと狙う勢力がいるということですね。
活動家育てる巧みなデモ
木村:ええ、参加者に対する教育効果も狙っているのでしょう。「戦争反対!」とか「安倍政権は慰安婦に謝罪せよ」とか、若い学生にも共感できるスローガンを叫ばせる。
そのうちに、もともとは関心の薄かった「GSOMIA」や「THAAD」にも反対させ、無意識のうちに反米感情を彼らに植え付ける仕掛けと思います。この辺りは韓国の運動体のデモはなかなか巧みです。
こうした「反米」デモは韓国ではこの5年ほどすっかりなりを潜めていました。それが今回、あまりにも露骨な形で登場した――しかも、すっかりノンポリ化しているはずの大学生を動員して――です。
韓国で「反米」が復活しつつあるのです。まず、米国によって北朝鮮や中国との対立や戦争に巻き込まれる――との恐れから。そして「格差」です。朴槿恵政権が新自由主義的な経済政策をとっていることもあって、それには火が付きやすい。
鈴置:若者の失業率の高さは日本とは比べものにならない。それはいっこうに改善しませんし。
木村:ただ「韓米同盟破棄」というスローガンは私が聞いた限りはなかった。そこまで一気にいくと、普通の韓国人は引いてしまうからと思います。
このデモは、要は「今のままだと中国との関係も取り返しがつかないほどに悪化するぞ。韓米同盟の危険性を見つめよう」――との呼び掛けでした。そしてこれこそ、デモを組織した勢力が一番言いたいことなのです。
朴政権も「民族主義」の標的に
—参加者は素人だった、ということですか?
木村:要所は活動家が固めていましたが、多くは”初心者”でした。例えばプラカードの持ち方がなっていない。道行く人に見せるのではなく自分たちの方に向けていたりしました。
デモを指揮する活動家が、交通整理の警官ともめ事を起こした時には、”初心者”から「ムソゥオー」との声があがりました。日本語に訳せば「怖わー」です。
普通の学生が過半だったと言っていいと思います。大学ごとに数10人のグループで参加していたようですが、彼らの話を聞くと「慰安婦問題に関心があって参加した人」が目立ちました。
こうしてみると「慰安婦」を主たる材料に「反日民族主義」的な政策を打ち出してきた朴槿恵政権が、逆にこの「反日民族主義」の標的になりつつあることも分かります。
学生らは「慰安婦」を入り口に運動に入る。しかし、この問題を解決できない、あるいは米国の圧力もあって一部では日本に協力せざるを得ない現政権を見て、批判を強める。そして運動は次第に「反朴槿恵」的な性格を濃くしていく――という流れです。
今後、朴槿恵大統領が「慰安婦」で少しでも日本に譲歩したと受け止められるような動きをしたら、こうした民族主義者は黙っていないでしょう。運動家は好機到来とばかりに、それを利用することでしょう。
鈴置:デモに参加した学生らは、まだきっちりと組織化はされていないのですね。
高齢化する保守層
木村:ええ。大学から参加した人に聞くと、お互いの関係はまだ「デモ前に数回、集会で会ったことがある」くらいでした。組織としては、これから育てていく感じでした。
韓国は3月が新学期ですが、入学したばかりの学生もいました。つまり、新入生は正式に入学する前から、このデモに勧誘されていたわけです。
2014年12月に国会内では最左派の統合進歩党が解散させられたばかりです。北朝鮮の指示を受け、韓国の政体を暴力で破壊しようとする団体と憲法裁判所に認定されたからです。
こうした北朝鮮に近い組織を再建するためにも「3・1節デモ」が使われている側面があると思います。
鈴置:昔、この日は「反日」を叫ぶ保守派が活動の中軸だったのですが……。
木村:そこです、時代の変化を感じさせたのは。今年は、保守派がいったんは申請したデモを取りやめたそうです。理由は「主催者の体調不良」。
デモに参加するような積極的な保守層は高齢化が進み、まだ寒い3月初めのソウルの街頭に出るのはつらかったのかもしれません。
鈴置:300人のデモは数としては少ない気がします。1987年の民主化闘争の頃は、数10万人規模のデモもしばしばありました。
懐かしいスローガン、再び
木村:あの頃の韓国は政治の季節でしたからね。学生はデモに参加するのが当たり前だった時代です。
しかし今は「ノンポリの時代」です。というのに突然「3・1節デモ」が最近にない盛り上がりを見せた。反日デモで参加者が数百人の単位になったのは、久しぶりのことです。
注目すべきは「反日の皮をかぶった反米」が顔をのぞかせたことであり、突然に盛り上がった反米の空気の中で米大使襲撃事件が発生したことです。これを見落としてはなりません。
鈴置:1980年代に日本で叫ばれたスローガン「日米『韓』3角軍事同盟反対」を思い出します。1983年に中曽根康弘首相が日本の首相として初訪韓し、全斗煥(チョン・ドファン)大統領と会談しました。
その後、日本では北朝鮮の意向を受けた団体が「米国が日本と韓国を癒着させ、戦争の道に押しやっている」と主張しました。おりしも米国はレーガン(Ronald Reagan)大統領の時代で、共産主義との対決姿勢を鮮明にしていました。
勤務地だった大阪市東部の歩道橋の上に「3角同盟反対」の横断幕がかかっていたのを今でも覚えています。彼らは韓国を国とは認めないので「韓」とカッコでくくり、「3国」ではなく「3角」としたのです。
木村:同じ時期に韓国でも、日本以上に激しい「反日反米」運動が盛り上がりました。今回の「反日反米」運動はまだ、立ち上がったばかり。でも、あの時代の再来なのです。
我々のように長く韓国を見ている人間にとっては「懐かしいスローガン」ですが、今の韓国の若者にとっては新鮮に響くのかもしれません。実際、デモに参加した学生たちはとても楽しそうでした。
「ここはイラクなのか?」
鈴置:韓国の保守も「突然に復活した反米」に警戒を強めています。だから、米大使襲撃事件後、彼らは「米韓同盟強化」を大声で叫ぶようになったのでしょう(「『米大使襲撃』で進退極まった韓国」参照)。
さっそく柳根一(リュー・グンイル)という保守の長老が筆をとりました。襲撃事件当日の3月5日に趙甲済(チョ・カプチェ)ドットコムに「『3流エセ民族主義者』の蛮行を糾弾する」(韓国語)を掲載しました。
柳根一氏は朝鮮日報の論説で鳴らした、韓国では知らぬ人のいない記者です。記事からは韓国保守の焦りがよく分かります。要旨は以下です。
木村:保守派の危機感がよく現れた記事ですね。ただ、北朝鮮の影響を大きく見過ぎてはいけないと思います。重要なのは北朝鮮の動向以上に、「反米」が受け入れられやすい環境が韓国に生まれていることなのですから。
対韓融和派を傷つけた
—大使襲撃事件により、米国は韓国への姿勢を変えるでしょうか?
木村:短期的には大きな影響はないでしょう。米国は1人の跳ね返りの犯行に怒って、韓国への政策を変えるほど「子供」ではありません。
でも構造的、あるいは長期的には影響が出るでしょう。犯人は大使、それも「米中間で板挟みになりがちな韓国の立場にも配慮すべきだ」と説いていた対韓融和派の大使を傷つけてしまったのです。この結果、ワシントンで対韓政策を決める際の勢力バランスが変わる可能性があります。
朝鮮半島には関心が薄かったオバマ(Barack Obama)大統領も、この事件で朝鮮半島情勢、とりわけ韓国社会の雰囲気の変化に注目したことでしょう。
「3・1節デモ」がいみじくも示したように、韓国の「反日」は「反米民族主義」をカモフラージュする側面が強い。それに気がついた米国人も多いと思います(「『反米民族主義』が復活する韓国」参照)。
実際、米専門家の間では事件前から懸念が高まっていて、生え抜きの外交官であるシャーマン(Wendy R. Sherman)国務次官が韓国に対し「安易な民族主義の利用はやめるべきだ。そうでないと外交を誤ることになる」と警告したばかりでした。
被害者ぶるな
鈴置:米国はこの事件をテコにして、朴槿恵(パク・クンヘ)政権の「二股外交」や「離米従中」をやめさせるつもりでしょう。
3月8日にリッパート(Mark W. Lippert)大使が入院先で語った「これは米国への攻撃だ。米韓同盟を一層強固にすべきだ」 との発言がそれを物語っています。
以下は私の見立てです。まず、米大使は「米国への攻撃だ」という言葉で「お前ら韓国人は被害者ではなく、加害者だろう。責任転嫁するんじゃない!」と叱った。
韓国紙が社説で「大韓民国へのテロだ」などと自分も被害者になりすまそうとしていたからです(「『米大使襲撃』で進退極まった韓国」参照)。
さらに米大使は「米韓同盟を強固に」という文言で「米韓同盟を維持したいなら、二股外交をやめろ。終末高高度防衛ミサイル(THAAD=サード)の配備ぐらい、さっさとのんだらどうだ」と要求した――と読めるのです。
韓国人もその辺の感じはよく分かっている。日本人に向かっては「雨降って地固まる」などと強がってみせます。でも内心は、米国の顔色を必死でうかがっています(「『米大使襲撃』で進退極まった韓国」参照)。
THAADで与党と青瓦台が対立
—被害者が言うならともかく、加害者側が「雨降って地固まる」というのも、すごい話ですね。
鈴置:そこが韓国人の韓国人たるところです。米国にすれば、逆手にとって「だったら地面を固めて見せろ。THAAD配備に直ちに賛成しろ」と突っ込めるわけですが。
木村:文字通り、大使襲撃事件が韓国にとって「中国側に行くのか、米国側に残るのか」の踏み絵となってしまいました。
保守の与党、セヌリ党執行部からは早速「米国のTHAAD韓国配備に賛成すべきだ」との声が上がりました。しかし朴槿恵政権はおいそれとのむわけにはいかない。
朴大統領は習近平主席から「配備を許すな」と釘を刺されているからです。3月15日の与党と政府の政策調整協議会で、この問題も話し合いましたが、結論は出ませんでした。
踏み絵を迫られたのは、政府や与党だけではありません。最大野党である新政治民主連合の文在寅(ムン・ジェイン)代表は3月13日、フィナンシャル・タイムズ(FT)とのインタビューで「在韓米軍の役割は統一後も維持されなければならない」と語りました。
THAADに関しては言及しなかったようですが、次期大統領選挙もにらんで「右」に翼を広げた格好です。THAAD配備に柔軟な態度を見せる伏線かもしれません。
始まった国論の分裂
鈴置:米大使襲撃事件の直後は「進歩派によるテロ」と批判され、一瞬はうろたえた左派ですが、反撃に出ました。
木村:左派からは「テロはよくないが、米韓軍事演習を減らせ」といった声も出てきました。
鈴置:左派系紙、ハンギョレの「韓国与党、従北世論つくりに続き、テロ防止法・サードまで推し進める」(3月9日、日本語版)や「米大使襲撃……それでも言うべきことは言おう」(3月13日、日本語版)がその象徴です。
木村:左派は反米色が濃く、総じてTHAAD配備に反対です。ただ、新政治民主連合は日本の民主党にも似て、様々のイデオロギーを持つ人が存在します。下手するとこの問題で分裂するかもしれない。
鈴置:それは保守も同じことですね。
木村:ええ、青瓦台(大統領府)と与党はさらに関係が悪化するかもしれません。韓国では国を挙げて「中国の言うことを聞くか、米国に頼るか」で国論の分裂が始まったのです。
中国も韓国を「金縛り」
鈴置:見逃せないのは中国の動きです。文在寅代表はFTと会見した3月13日に、邸国洪・駐韓中国大使とも会談しました。
大使から中国訪問の要請を受け「できるだけ早い時期に訪中したい」と答えています。文在寅代表が次の大統領選で勝つ可能性もある。そこで中国は「次期大統領」を取り込み、THAADなどでの「米国回帰」に今から歯止めをかける狙いでしょう。
米大使襲撃事件後、中国は形勢挽回に出ています。野党の代表だけではなく、韓国全体を金縛りにしようと動いているのです(「“4強”の動き」参照)。
米大使襲撃事件前後の“周辺4強”の動き(2015年) | |
2月23日 | 日韓の最後の2国間通貨スワップ枠(100億ドル)延長されず |
2月25日 | ロシアが「南北朝鮮への電力供給と、北の鉄道改修を推進」とロ朝ビジネス協議会で表明 |
2月27日 | シャーマン米国務次官「歴史認識により日中韓の協力が妨げられている」 |
3月1日 | 朴大統領「慰安婦は必ず解決すべき問題。日本の歴史教科書の歪曲で関係悪化」 |
3月2日 | 日本外務省、韓国に関するHPの記述から「自由と民主主義など基本的価値観を共有する」を削除 |
3月5日 | 韓国の反米民族主義者、リッパート駐韓米大使をナイフで襲撃、ほほに80針の傷負わせる |
3月8日 | リッパート駐韓米大使、入院先で「米国への攻撃だ。米韓同盟を一層強固にすべきだ」 |
3月8日 | 中国の王毅外相が中朝首脳会談の開催可能性を示唆と聯合ニュースが報道 |
3月12日 | 米韓連合司令部「THAAD韓国配備に向け候補地を非公式に調査済み」と公表 |
3月16日 | 訪韓した中国の劉建超外務次官補「THAAD配備に憂慮」「AIIBに参加を」 |
3月16日 | 中国、抗日戦争勝利70周年記念行事に朴大統領を招待 |
3月16日 | 訪韓した米国のラッセル国務次官補、襲われ負傷したリッパート駐韓米大使に面会 |
3月17日 | ラッセル米国務次官補「軍には北朝鮮の弾道弾の脅威に備えたシステムを考慮する責任」 |
3月8日に聯合ニュースが「中国外相 中朝首脳会談の開催可能性を示唆」(日本語)と報じました。この記事をよく読むと「示唆」とまで書くのは踏み込み過ぎと思います。
しかし韓国では「大使襲撃事件を機に米国回帰しそうな韓国に対し、中国が『それなら北朝鮮と関係改善するぞ』と脅してきた」と受け止められました。
例えば、朝鮮日報の社説「朝中関係改善を懸念、韓国外交に新たな試験台」(3月11日、韓国語)が、そう書いています。
AIIBは3月末が期限に
—中国が米国の無言の圧力を押し返すのに成功した、ということですか。
鈴置:いえいえどうして、中国の“反撃”に対しては米国も黙っていません。3月12日には、米韓連合司令部が「THAAD韓国配備に向け、候補地を非公式に調査済み」と公表しました。
板挟みに困惑した韓国に泣きつかれたためでしょう、これまで米国は「THAAD問題では韓国と話し合っていない」という公式見解をとっていました。
でも、この発表で「中国などは気にせず、さっさと配備を受け入れろ」と通告したも同然です。米韓連合司令部の副司令官は韓国人将官なのですから。
木村:韓国に突きつけられた踏み絵はTHAADだけではありません。聯合ニュース(日本語版)は「中国主導のインフラ投資銀行への参加 今月中に結論」と3月15日に報じました。
アジアインフラ投資銀行(AIIB)に関しては、米国からは「参加するな」と言われています。韓国はTHAAD同様に、決断を先送りしていました。
ところが最近、中国が「3月末までに加盟を決めないと創業メンバーに加われず、不利な状況に置かれるぞ」と“忠告”したと言われています。状況は急速に煮詰まっています。
米中がソウルで白兵戦
—ぐずぐずするな。「踏み絵」は3月末までに踏め、という中国の要求ですね。
鈴置:その通りです。韓国は「米中二股」を決め込み、THAADもAIIBに関しても曖昧な姿勢に終始してきました。
でも突然に「中国側に行くのか、米国側に残るのか」立場を決めざるを得なくなりました。米大使襲撃事件をきっかけに、一気に外交ゲームが加速した感じです。
THAADについて韓国が態度を決める締め切りを米国は設定していないようです。しかし、韓国内には「AIIBに参加し中国側に付くのなら、バランスをとってTHAADでは米国側の言うことを聞く――配備を容認すべきだ」との声もあります。AIIBにTHAADの問題が連動する可能性があるのです。
3月16日は象徴的な日になりました。米中双方の外交当局の高官がソウルで“激突”したのです。
訪韓した中国の劉建超外務次官補が同日、韓国政府に対し「THAAD配備に憂慮」と表明したうえ「AIIBに参加を」と要求しました。さらには2015年9月頃に開く、抗日戦争勝利70周年記念行事に朴槿恵大統領を招待しました。
一方、米国のラッセル(Daniel R. Russel)国務次官補は同日、ソウルに到着、リッパート駐韓米大使を見舞いました。そして翌17日に韓国外務省幹部と会談しました。
会談後、記者団に「軍には北朝鮮の弾道弾の脅威に備えたシステムを考慮する責任がある」と述べ、THAAD配備の必要性を訴えました。
そのうえで「まだ配備もしていない、理論上の安全保障のシステムに対し、第3国が大声を出すのはおかしな話だ」と中国を批判しました。ソウルを舞台に、米中の白兵戦が始まったのです。
背景にはロシア
木村:ロシアの動きも見逃せません。ロシアは朝鮮半島の取り込みに力を入れています。2月25日にロシアは「南北朝鮮への電力供給と、北の鉄道改修を推進する」と表明しています。
中国は米国だけではなく、ロシアも念頭に置いて動かねばならないのです。「中国外相が、中朝首脳会談を示唆」というのは韓国よりも、ロシアを意識した動きでしょう。下手すると、独占的だった北朝鮮への影響力をロシアに奪われますからね。
2014年から、ロシアは北朝鮮との関係を急速に深めてきました。中国との関係が悪化した北朝鮮には願ってもない話です。そしてロシアはこれをテコに韓国まで「釣り上げよう」としているかに見えます。
ロシアは5月に対独戦勝記念式典を開きます。南北朝鮮双方の首脳に招待状を送っています。ただ、ウクライナ問題でロシアと関係の悪化した米国は、韓国に参加しないよう求めている。
しかし朴槿恵大統領は、訪ロを簡単にあきらめられない。ロシアに行けば、金正恩第1書記と会談できるかもしれないからです。もし南北首脳会談を実現できれば、一気に人気を回復できる可能性が大です。
日米外して「大陸会議」
鈴置:朴槿恵大統領が5月の戦勝記念式典に参加するために訪ロすれば、中国が9月にも開催を計画している抗日戦争の戦勝70周年記念式典にも参加する可能性が高まります。
韓国はロシア以上に中国の言うことを聞かざるを得ないからです。でもそれは、中国と一緒に対日共同戦線を張ると受け止められるでしょう。日本とだけではなく、米国との関係もさらにおかしくなるかもしれません。
木村:ロシアからの圧力は、対中接近の格好の「言い訳」として使える――と韓国は考えているかもしれません。THAAD問題では、中国だけではなくロシアも韓国配備に反対している。ロシアも韓国の“米国べったり”には批判的なのです。
そこで韓国は米国に対し「我々が少々、米国と距離を置くのを理解してほしい。中国だけではなく、ロシアからも圧力が高まっているのです」と説明し得るわけです。
鈴置:確かに、韓国人だったらそんな言い訳を考えつきそうですね。でも、米国はますます怒るかもしれません。中国だけではなくロシアの言いなりにもなる――大陸側に完全に寝返る、ということを意味するからです。
これに関連、実に面白い記事を見つけました。中央日報の「北朝鮮は核保有…ドイツのような統一はない」(3月13日、日本語版)で、ロシア国立高等経済学院(HSE)のセルゲイ・カラガノフ教授が以下のように語っているのです。
日米という海洋勢力を排除して、4カ国で「大陸会議」を作ろう、との呼びかけです。北と一緒に南も取り込むロシアの作戦がよく分かります。
「反米」に中国の影
—朝鮮半島を考える時に、ロシアを見落としていました。
鈴置:冷戦終結後は極東に関心を失ったかに見えたロシアが、このところ明確にカムバックしてきました。
ところで、前回の主要テーマとなった「突然盛り上がった韓国の反米民族主義」について、木村先生に伺います。
韓国の保守は、こうした“3流の民族主義”は北朝鮮が仕掛けたもの、と見なしがちです(「『反米民族主義』が復活する韓国」参照)。でも、中国が裏で糸を引いていても不思議ではないと思います。
木村:前回に紹介したデモなり運動団体が直接、中国につながっているとは思いません。デモを主導した勢力は北朝鮮にシンパシーを抱いていても、中国に対しては必ずしもそうした感情は持っていないからです。
むしろ中国は、彼らに「反米材料」を提供することで「上から目線で韓国を見る米国」への、韓国人の不満に火をつけることを狙っていると思います。
韓国に対する中国の働きかけに関しては、表面に出てくる動き以上に、間接的な仕掛けを観察することが重要です。巨大な中国を支配する共産党にとって、外国の世論への工作はお手のものですからね。
ドイツ政府が「日本に注文を付けに来たわけでない」という釈明と民主党・岡田の言ったことのどちらが正しいのか、真相は藪の中です。ネットでは、岡田・朝日がグルになり「またデッチ上げた」とか通訳が左翼で「故意に間違って訳したのでは」という意見もありました。
日本のメデイアの体質から言うと、産経を除き自分の業界の主張を押し通そうとします。メーカーは競争が激しく、談合の余地は独禁法強化で余りなくなっているのに、この業界は本当におかしく感じます。いわゆる従軍慰安婦について誤りが分かっているのに報道姿勢を変えようとしません。本来なら朝日を国益毀損で論難すべきなのに(普通のメーカーだったら相手のチョンボは徹底的に利用しますが)全然しません。自分も朝日の尻馬に乗って軍を批判したからかも知れませんが。でも事実でないのは秦郁彦が92年に論文発表した時点で分かっていたハズです。
ドイツが慌てて発言取消したのはギリシャから戦後賠償を請求されていることも影響しているでしょう。日本に「ドイツを見習え」と言うなら、ドイツも日本を見習いギリシャに賠償金を払わないといけなくなります。中国・韓国に名目は賠償金でなくとも金を払っていますので。西尾幹二によれば、ワイツゼッカーが謝罪したのは、国家としての謝罪でなく、ヒトラーの個人の責任に転嫁しているとのこと。ワイマール憲法下で出て来た政権という事はドイツ国民が選んだ政権です。その政権がユダヤ民族を虐殺したのですから、彼らは日本を非難できる立場にないことくらい分かろうものなのに。日本は満州にユダヤ人入植地を作っても良いと言ってたくらいです。
「南ドイツ新聞」は反日で有名な新聞です。皇室に対する中傷をずっと書き続けていました。アメリカの原爆投下同様、ドイツのユダヤ人虐殺は人類史に残る悪逆非道ですから、日本を自分のやったところまで貶めたいというのは分かりますが。Wikiで調べましたら「南ドイツ新聞」は戦後第一にアメリカから発行が許された新聞とのこと。
記事
7年ぶりに訪日したドイツのメルケル首相は、歴史認識やエネルギー政策で安倍政権に次々と注文を付けた。昨秋から積もり積もった不信感を伝えようと爪を研いでいたドイツ。だが信頼関係もないのに、いきなり本題を突きつけるというドイツ流を押し通したことで、日独関係には大きなしこりが残った。ただ視点を変えれば、たまっていた悪材料が出尽くしたともいえる。瀬戸際の日独関係を修復するには双方が努力するしかない。
■従軍慰安婦問題で安倍政権けん制
9日の首脳会談後の記者会見だった。「アドバイスするために訪日したのではないが、ドイツがやってきたことは話せる」。日中韓が歴史認識で争っていることについて問われたメルケル首相は、どのようにドイツが「過去への謝罪」に取り組んだのかを安倍晋三首相の前で語り始めた。「アドバイスではない」と前置きしたものの、誰に何を求めているのかは明らかだった。
久しぶりの訪日というのに、わざわざ歴史認識に言及したのはなぜか。
日本が「右傾化」したと見るドイツ国内の雰囲気が背中を押した。メルケル首相の訪日を伝える公共放送ARDは看板番組の夜のニュースで安倍政権を「右派保守主義」と表現した。極右ではないが、国粋主義的な色彩があるときに使われる言葉だ。こうした政治思想は「国家保守主義」とも呼ばれ、ドイツでは第2次大戦前に活躍し、ナチスの政権掌握に手を貸した右派政党の「ドイツ国家人民党」がこれにあたる。日本でいえば、NHKの夜の7時のニュース番組で、そうした右派政党と安倍首相が率いる自民党をひとくくりにするほど風当たりは強い。
日中韓の争いを本当に心配しているという事情もある。「東アジアでは軍事衝突のリスクがあると思っている」。そう語るドイツの政治家は少なくない。和平をもたらしたいという純粋な気持ちから日本にも口を出した。外交政策に自信を持つようになったドイツは、イランやイラクなどの中東和平にも積極的にかかわっている。
もっともドイツは安倍政権の発足当初から歴史認識を問題視していたわけではない。むしろ関心が高かったのはアベノミクスのほうだった。当時は日本の財政赤字が膨らみ、世界の金融市場が混乱するという危惧があった。その証拠に2014年4月のベルリンでの日独首脳会談では、歴史認識にはほとんど焦点が当たらず、アベノミクスの進捗状況に注目が集まった。
空気が変わったのは昨秋のことだった。従軍慰安婦問題を巡って日韓が争っているところに、自民党が朝日新聞社を厳しく追及したことがドイツに伝わり、日本への不信感に拍車がかかった。「報道の自由が抑圧されている」。独政府・与党の取材先は異口同音に語った。
そこでドイツは異例の決断を下す。自ら従軍慰安婦問題の火の粉のなかに飛び込み、安倍政権をけん制することにした。あえて朝日新聞社で講演したメルケル首相は「(政府は)様々な意見に耳を傾けなければならないと思う」と発言した。「日本に対する警告」(シュピーゲル誌)と独メディアも伝えた。
ドイツ国内では訪日は成功したように映る。メルケル首相は歴史認識と脱原発について繰り返し触れた。安倍政権は周辺国と仲たがいし、「民意を踏みにじって原発を再稼働しようとしている」(独紙フランクフルター・アルゲマイネ)というのがドイツの共通認識。そんな安倍政権をけん制したことをドイツメディアは好意的に報じ、留飲を下げた。
だが、せっかくの訪日だったにもかかわらず、日独友好は遠のいた。独政府筋は「日本とドイツは価値観を共有し、民間レベルの交流も盛んだ。だからこそ本音をぶつけても大丈夫」と言うが、本当にそうだろうか。
■「友好」と「批判」のバランスを欠く
訪日中のメルケル首相の主な発言 | |
ロシア外交 | 「日米欧が制裁で緊密に連携」 |
エネルギー 政策 | 「(福島第1原発事故は)リスクがあるということを示した」 |
女性活用 | 「日本もドイツもまだ改善の余地がある」 |
歴史認識 | 「ドイツは自らの過去を総括することが(周辺国との)和解の前提だった。どの国も自分なりのやり方を見つけないといけない」 |
日韓関係 | 「韓国と日本が良い関係を結んでほしい。日韓には共通点がある」 |
報道・表現 の自由 | 「自由に意見を述べられないとイノベーションは生まれない。(政府は)様々な意見に耳を傾けなければならない」 |
日独関係 | 「多くの共通点がある。異なる点もあるが、関係は深めるべきだ」 |
今回の訪日でドイツでは日独の疎遠さだけがあぶり出され、日本のイメージがさらに悪化した。筆者は幼少時代の1970年代にドイツに渡り、それから40年近くにわたって日独を行き来しながら両国の関係を追ってきたが、日本への冷たい視線をいまほど肌に感じたことはない。11日、出張先からベルリンに戻る機中でたまたま隣り合わせになったドイツ人の大学講師は初対面だったにもかかわらず、日本を面罵してきた。「男性優先の日本では女性の地位が著しく低く、吐き気がする」。連日のように報じられる日本批判を読んでいれば、そう考えるのも無理はない。こうした状況に対する危機感は、いまの独政府にはない。
原因は日独の双方にある。日本がドイツとの意思疎通を怠っているあいだに、ドイツでは安倍政権の財政・金融政策やエネルギー問題、それに歴史認識への不満がマグマのようにたまった。いまでは北部欧州の多くの国がドイツに同調する。オーストリア政府筋は「対日関係が悪くなるから表だって言いたくないが、ドイツの批判は理にかなっている」と言う。成長力を取り戻すのに役立った構造改革や財政再建のやり方、それに戦後70年にわたる「過去への謝罪」などドイツの経験から日本が学べることは確かに多い。
その一方でドイツも3つの過ちを犯した。
一つはメルケル首相の訪日日程で「友好」と「批判」のバランスを欠いたこと。学識経験者らと脱原発を議論し、朝日新聞社を訪れ、首脳会談で歴史認識に言及した。民主党の岡田克也代表とも会った。対日批判が漏れやすい予定が多く組み込まれた一方で、「友好」のシンボルと呼べるのはせいぜいドイツ系企業の工場や二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」の視察などにとどまった。
いまの日独は共通の話題を見つけるのがやっとの状況。国際会議で同席した際、メルケル首相がアベノミクスの先行きについて安倍首相を質問攻めにしたこともあったという。そんな薄氷の関係だったにもかかわらず、「友好」というつっかい棒を用意せず、多くの「批判」を氷の上に載せた。認識が甘かったと言わざるを得ない。
友好関係も築けていないのに「主張を伝える」という欧州流の外交にこだわったことが2つめの誤りだ。ドイツは日本を名指しして批判するのを避ければ、歴史認識に言及しても波紋を広げることはないだろうと高をくくっていた。ドイツなりに配慮し、「礼儀正しく批判した」(南ドイツ新聞)つもりだった。それゆえメルケル発言に日本が敏感に反応すると独政府は戸惑った。在日大使館ですら日本を知り尽くした知日派が細り、日本の実情にあわせた微妙なさじ加減ができない。
外交日程を見ても日本の国民感情がわかっていない。英国のウィリアム王子は東日本大震災の被災地を訪れ、好印象を残した。だがメルケル首相は9~10日に東京周辺のみを訪れ、震災から4年となる3月11日を目前にして離日した。「日程が詰まっていて被災地訪問は無理だった」と独政府筋は釈明するが、帰国を半日ずらして犠牲者に黙とうをささげる姿を見せたならばドイツへの印象は変わっていただろう。大きなチャンスを逃した。
だがなんと言っても最大のミスは、準備万端ではないのに歴史認識に触れたことだった。
■日独の立場の違いがようやく明確に
それはメルケル首相と民主党の岡田代表との懇談からもにじみ出る。「きちんと解決した方がいい。日韓は価値を共有しているので和解をすることが重要だ」。岡田代表は従軍慰安婦問題についてメルケル首相が、そう口にしたと語った。だが日本の国内外での論争に巻き込まれかねないとわかったとたんドイツ政府は慌てた。「そんなことは言ってない」(ザイベルト報道官)と火消しに回り、岡田氏ははしごを外された形になった。どこまで具体的に踏み込んだかは別として、昨秋からの独政府の空気を読めば歴史認識に触れた可能性は高いと言わざるを得ない。歴史認識に少しでも言及すれば日本で与野党の駆け引きに利用されたり、日中韓の争いの火に油を注いだりするのはわかりきっていたが、毅然とした態度を貫く勇気も覚悟もドイツにはなかった。
専門知識を持つ人材を重用し、緻密に計算をしたうえで大胆な一歩を踏み出すというのがドイツ外交の特徴だったはずだ。東部ウクライナの停戦仲介では、ドイツは専門家を集めて対策を練り、首脳レベルだけでなく、閣僚・次官級でも折衝を重ねた。ロシアとウクライナの双方をさまざまなルートで粘り強く説得した。だが訪日では準備不足の感がぬぐえない。歴史認識の解決をドイツが本当に後押ししたいなら、官民に散っている知日派を結集した専門チームを立ち上げ、ドイツなりにビジョンを描くぐらいの気概を持つべきだった。ドイツ自身がメルケル氏の発言の重みを自覚していなかったのではないか。
冷え込んだ日独関係が修復されぬうちから、中途半端に歴史認識問題に口先介入したツケは重い。6月に主要7カ国(G7)の首脳会議のために安倍首相が訪独、来年には日本でのG7会議のためにメルケル首相が再び訪日する。そのたびに歴史認識を話し合ったかどうかが焦点になり、日独関係の重荷になる。
もっとも前進したことは一つだけある。独日の立場の違いがようやく明確になった。これまでは、それすら日本では認識されていなかった。日本がドイツの意見に真摯に耳を傾ける一方で、ドイツも稚拙な対日外交を修正するのがあるべき姿。相互理解と歩み寄りで距離を縮めていくしかない。
愈々習も追い込まれている感じです。上から下に至るまで賄賂を取らない中国人はいないので、虎・蠅叩きは政敵倒しの手段として使われているのは誰しも分かっている話です。叩かれている人間の数がこの政策を推し進める人間より多いのは勿論、糾弾される側も「アイツらだってやっているではないか」と思うのは必定です。
「経済」を借口(=口実)として習・王岐山の取締り強化を牽制する「指桑罵槐」のやり方です。江派と団派が手を握り出して動き出しているのかもしれません。三国志そのもので、強く出る者に対抗するために今までの敵とも手を握ります。
毛沢東も大躍進政策の失敗で失脚し、その後紅衛兵を動かして文化大革命を起こして権力奪回に成功しました。軍の経験のない習にそんな力技はできないでしょう。もうこの辺で虎・蠅叩きは手打ちになるのでは。
記事
今月6日、習近平国家主席は全国人民代表大会(全人代)において江西省代表団との座談会に臨んだ。座談会の中、代表の一人が「江西省の昨年の経済発展はすさまじい」と語ったところ、習主席は直ちに「だから反腐敗運動は経済の発展に影響することなく、むしろ経済の持続的発展を利する」と応じた。
翌日、「反腐敗は経済発展を妨げることはない」という習主席発言が新聞各紙に大きく報じられたが、座談会でのこの発言は実に異様なものであった。
反腐敗と経済発展との関連性を誰から聞かれたわけでもなく、反腐敗運動の主役である習主席が自らこう言い出したのは、いかにも自己弁護に聞こえるからである。
最高指導者の立場にある彼が地方からの代表団の前でこのような弁解をしなければならない理由は一体どこにあるのか。実は全人代が開幕した5日、関連があると思われる別の発言があった。
代表の一人で北京首都旅行 集団会長の段強氏はメディアの取材に対して、官官接待・官民接待の激減で北京市内60軒の五つ星ホテルが業績不振となったことを例に挙げ、反腐敗運動の展開は経済発展にマイナスの影響を与えた、との認識を示した。
翌日の習主席発言は、段氏の見解に対する「反論」とも捉えられる。国家主席の彼が一民間旅行会社の経営者に反論することは、まさに前代未聞の異常事態である。
その際、習主席にとってのけんか相手は決して段氏という一個人ではない。主席が強く意識しているのはやはり、段氏発言の背後にある反腐敗運動に対する 政権内の根強い反対意見と、それを政争に利用しようとする党内の反対勢力であろう。要するに、「経済の発展を妨げる」との理由で反腐敗運動への反発が党内で広がっているのである。
たとえば7日付の新京報という国内紙は別の角度から、「反腐敗運動」 の経済に対する悪影響を論じている。「官僚の不作為について」と題するこの記事は、一部の全人代代表への取材を基にして、中国の各地では今、反腐敗運動の中で身を 縮めている幹部たちが仕事へのやる気を失い、「不作為」的に日々を過ごしているありさまをリポートした。このような状況が各地方の経済発展に大きな支障を来しているとも論じている。
昨年7月10日掲載の本欄でも、反腐敗運動の中で幹部たちが仕事を集団的にボイコットする状況を報告したが、どうやら今になってもいっこうに変わって いない。共産党の幹部たちはそもそも、賄賂を取るために幹部になったようなものだ から、「腐敗」ができなくなると仕事への情熱を失うのは当然のこと。
5日の全人代で行われた李克強首相の「政府活動報告」でも幹部たちの「不作為」を取り上げて強く批判しているから、仕事をボイコットするような形で反腐敗運動に抵抗する幹部たちの動きがかなり広がっていると思われる。
そして党内の一部勢力が、顕著となった経済の減速をそれと関連づけて、経済衰退の責任を習主席の反腐敗運動になすり付けようとしていることも明らかだ。だからこそ、習主席は異例な弁解を行うこととなったのだが、一国の最高指導者が自己弁護を始めたこと自体、彼自身がかなり追いつめられていることの証拠でもあろう。
このようにして、反腐敗運動を急速に推進した結果、政権の手足となる幹部たちの「不作為」と抵抗が広がり、「経済への悪影響」を懸念する声とそれを理 由にした党内反発が強まってきているのは間違いない。
猪突(ちょとつ)猛進してきた習主席はまさに四面楚歌(そか)の状況であるが、民衆の期待が高まってきている腐敗摘発の手を緩めるわけにもいかない。主席の悩みは深まるばかりである。
【哀悼:チュニジアテロの被害者】
昨年9月に旅行した際に撮ったバルドー博物館の写真です。古い時代(カルタゴ、ローマ、アラブ)のモザイクが有名です。チュニジアは農業(オリ-ブ、棗、葡萄等)と観光で成り立っている国です。観光客が行かなくなると国の経済には大打撃です。
(1)バニラエアに成田で乗るときに言われてビックリしたことは「ポシエット」も荷物の一つとカウントされること。荷物二つしか許容されない格安
航空とはいえそこまでとは思いませんでした。機内持ち込みの重量制限はシビアです。
(2)飛行機に乗って持ち込んだ「アサヒスーパードライ」は機内飲食禁止(持込不可)という事で、台湾内で飲みました。
(3)並ぶのに時間がかかる。阿里山→嘉義までのバスは当日朝8時から並ばないとダメとのこと。後ろに並んだ人と話したら北京人でした。
(4)新北投で泊まったホテルは外貨交換業務がなく、紹介された「中国信託銀行」へ行ったところ、「少額両替でも手数料が300台湾$かかるから郵便局
へ行った方が良い。手数料無料です。」と言われ行って両替しました。台湾人は総じて親切です。そこが大陸人との大きな違いかと。「いつも騙され
る」のではと思う人達と付き合い方は違います。