天王月(一字)泉会館に泊まりました。裸で入れる温泉です。水美温泉会館は満杯でこちらにしましたが、温泉は只で何度でも入れるのでこちらが良かったかと。近くで食べました「火鍋世家」の火鍋はおいしかったです。
新北投の行きのMRT
天王月泉ホテル
温泉案内
千葉県柏市在住
本日から20日まで「士気の集い」の先輩と一緒に、台湾・阿里山、台北を楽しんできます。明日からスマホで発信しようと思っていますがうまく行くかどうか。国内旅行等では2回成功しましたが、海外は初めてです。一歩一歩スキルを磨いて行こうと思っております。
さて、中国バブルは崩壊すると言われながら、なかなか崩壊しません。今回は日本のバブル崩壊を予言して当てたロイ・スミス氏のご託宣です。日本の政府の借金は1000兆円を超えますが、それ以上に個人資産が1600兆円あるので、それを裏付けとして借金していると理解できますが、中国では全経済主体が借金漬けでGDPの268%(所謂2600兆円)もあるというのは何を裏付けとしているのか?中国全土?中国と言う土地にそんな価値があるとも思えませんし、金・銀がそれだけあると思えません。あるとしたらメッキものでしょう(シャレではありません)。中国人そのものに価値があればと言っても、人類の進歩に役立ってきた中国人は殆どいません。逆に虐殺の歴史で人類に邪悪を齎したのでは。三大発明とかも中国がルーツと言われますが、ルネッサンス期に欧州が利用価値を高め、科学技術発展の地歩を固めたものです。
何時崩壊するかは神のみぞ知るです。しかし、AIIBやBRICS銀行を使い、他国から富を吸い上げ、自国の債務を消そうとしているような気がします。悪足掻きでしょうけど。銀行の仕組みは良く知らないので小生の直観ですが。英国はこの辺のところを調べて参加しようとしているのかどうか。それこそユダヤ陰謀論になってしまいますが、ロスチャイルドが中国の何らかの資産を狙っているのか(そんなものがあるとは思えませんが)。共産党統治が無くなっても、中国の土地と中国人は勿論残ります。少なくとも共産党統治でなくなれば、少しは中国国民のための政治が行われるようになるのではという淡い期待を抱いています。言論の自由が保証されるかどうかは、韓国を見ていると望み薄でしょうけど。
記事
日本のバブル崩壊を予測したことで知られる、ゴールドマン・サックスの元共同経営者、ロイ・スミス氏は2日、中国経済の現状は1980年代の日本と似ている点が多いとして、日本と同様にバブル崩壊に見舞われるだろうと述べた。中国メディアの匯通網などが報じた。
スミス氏は、1980年代の日本では不良債権の多さ、資本コストの過剰な上昇、不動産市場のバブル化などが発生したと指摘。各方面の問題が金融分野に波及して、集中的に爆発した。このため、好調で“とどまるところがない”ように見えた日本経済が一気に崩壊。日本はさらに、長期にわたる不景気と高齢化で、医療費負担にも苦しむことになったと説明。
スミス氏は、現在の中国は、バブル崩壊にいたるまでの日本と同じ問題を抱えていると指摘。したがって、中国も「同様の難問に遭遇する」との見方を示した。仮に中国政府が日本の経験を教訓として適切な対応をすれば、日本ほど長期間にわたり経済が落ち込むことはないが、「短期的な痛みを回避するのは難しい」という。
さらに問題は、インフラ建設を過度に推進したために地方政府の負債や返済の滞納が激増したとで、中国における世帯、金融機関、各級政府、企業の負債総額は2000年にはGDP比121%だったが、2014年には282%に達したという。
スミス氏は、中国の金融システムは相当に脆弱(ぜいじゃく)と主張。「経済が繁栄していた時期には隠されたり、軽視されていた問題が、経済減速の際に集中して噴出する。これらの問題がいついかなる方式で爆発するか、今のところ具体的は結論できないが、いったん集中して爆発すれば、全世界の投資家の中国経済に対する信頼は極めて大きく傷つくだろう」と述べた。(編集担当:如月隼人)
昨日アイヌ問題についてのパネルの話を聞きに行きました。日本はここまで他国、左翼の侵略を受けているのかと言った感想です。関西の同和問題、沖縄の基地問題、そして今回のアイヌ問題全部繋がっています。国から金をせびるためにないことないこと理屈をつけては(というか理屈にもなっていない。アイヌの定義すらなくて金を行政でないアイヌ協会に給付させるのを行政が認めるといった倒錯が罷り通るのですから)金を税金から収奪するやり方です。同和(=旧社会党の解同)がやり方を教えているそうで、相変わらず左翼と言うものの汚さを感じます。沖縄の反基地運動とも連動している様子。アイヌの名目で(=税金)ワンコリアンフェステバルとかチュチエ(主体)運動の勉強会を開いているそうで何をか況やです。裏には中国とコリアの影もあるそうで、アイヌ(so called Ainu)の人を中国に何度も接待したそうです。小生が思いますに、中国が仕掛けているのは歴史戦です。間違いありません。世界に日本は道徳的に劣った民族と言うのを印象付けようとしています。アイヌを絶滅させたのは日本人だという構図を作ろうとしているという事です。北海道に部落出身の特権階級の人達や在日の人達が入植しているそうです。このままでは南京虐殺、従軍慰安婦と同じパターンを辿ります。昨年アイヌ問題のおかしさを追求した金子札幌市議が市議会で全会一致の辞職勧告決議案を食らいました。これこそ倒錯以外の何物でもありません。小生も2005年に8年にも及ぶ中国勤務を終え、日本に帰って来て中国の実態を話した時に「人種差別主義者」「国粋主義者」の罵声を浴びせられました。似たような経験です。まともなことを言うと糾弾される社会では中国・韓国を笑っていられないでしょう。国民の無関心・「見て見ぬ振り」の態度が彼らを好き勝手やらせる元です。いい加減国民も気づかないと中国の魔の手にしてやられます。日本は民主主義で政治家を選びます。政策を実行するのに時間がかかりますが、中国は一党独裁・専制政治です。反対意見は権力者が粛清すればよいので簡単です。チエックする仕組みもない。もっと日本国民は危機感を持たないとダメです。
春運と言われる春節期間中の移動人口はiTunesのPodcastの「Learn Chinese & Culture 」では20億人と言っていました。英語ではなく中国語・普通話です。音だけですので正確かどうか分かりませんが。でも13億人の人口が大移動を何回もする訳です。治安も悪くなり、昔は帰省のバスで強盗や殺人もありましたが、今はどうでしょうか?また、以前は深圳から黒竜江省の実家まで列車で4日かけて帰り、また4日かけて工場へ帰ってくるとかやっていました。勿論飛行機で利用は出来ましたが高いので列車利用です。今は?でもこれだけの人が移動するとなると、交通機関の予約が大変だと思います。まだまだ日本のサービスレベルまでは行ってないでしょうから。
確かに石氏の言う「宗族」の問題は根深いものがあります。「清官三代」と言う言葉が表すように、役人になると廉潔であっても賄賂で子子孫孫三代まで栄えさせることができるという事です。日本人だとこれで廉潔と言うかと言う感じですが、中国ではこれが当たり前。
中国は西欧基準の近代国家は目指していないのでしょう。日本のように換骨奪胎して良いものを取り込み、進化させるという発想がありません。易姓革命の歴史を持った国なので。それで自己中心の中華思想になる訳です。自己中心でなければ生き延びられず、敵に簡単に殺されるからです。利他精神=自己抹殺です。こういう民族が世界の指導者足り得ますか?世界の歴史を見ますと、白人はトリデシャリス条約による世界分割、植民地主義、人種差別・黒人奴隷、先住民大虐殺等やってきましたが、人類の普遍的価値である、自由や民主主義、人権、法治、三権分立等を広めてきました。偉大なことです。それに引き換え中国人は世界のリーダーを目指すなら軍事力でなく確固たる人類のための理念を示すべきと思います。
記事
2月19日から約1週間、中国は伝統の「春節=旧正月」を迎えた。期間中、全国で延べ約28億人が移動する計算となったが、その大半は家族と会うための帰省である。とにかく春節となると、どんなことがあっても家族の元へ帰っていくのが中国人の不動の習性である。「年に1度の民族大移動」とも呼ばれるこの奇観は、中国人にとって「家族」がどれほど大事なものであるかを物語っている。家族は、中国人の心と生活のよりどころなのである。
血縁による家族的つながりは昔から、中国伝統社会の統合原理でもある。近代以前、地域社会では同じ祖先と名字を持つ多くの家族が集結して「宗族」をなすのが普通だった。この宗族こそが人々の社会生活の中軸であった。何百、何千世帯からなる宗族は強い同族意識と連帯感の下で自分たちの閉鎖した社会を作って共通ルールを守り、互いに助け合って生きてきた。長い歴史の中で、戦乱があっても王朝の交代があっても、宗族だけが生き残る。
中国人特有の「家族中心主義」もそこから生まれるのである。この国では古来、社会生活の中心はあくまでも宗族あるいは家族であって、宗族を超えた「公」の意識が非常に希薄であった。人々は常に自分たちの家族や宗族を中心に物事を考えて行動する。その際、「家族のために」「一族のために」というなら、「公」の利益を損なうことや他人に迷惑をかけることも平気でやってしまう。
たとえば、官僚の腐敗汚職は中国史上の「不治の通病」といわれる。昔は1人が官僚にでもなれば、一族全員を富ませて繁栄させる重大な「責務」をおのずと背負うことになるから、賄賂に手を出さずにはいられない。「一族あって公無し」は中国人の昔からの行動原理である。毛沢東時代になると、それこそが社会主義国家建設の障害だ、と考えた彼は、人民公社運動を進めて伝統の宗族を破壊し、人々を社会主義の「公」に再統合しようとした。
しかし、その試みは見事に失敗に終わった。無理矢理に人民公社に入れられた中国の農民たちは、誰もが「公社」のために働こうとはせず、自分たちの家族に残された「自家保留耕地」の耕作に精を出すばかりであった。その結果、「公」の社会主義経済は沈没の一途をたどる。
この状況を徹底的に変えたのがトウ小平氏であった。その変え方は実に簡単である。人民公社を解体して耕地を各家族の「責任田」に戻すだけで、人々は再び汗水を流して働き始めた。これで中国は、食うや食わずの毛沢東時代から飽食のトウ小平時代へと変わったのである。
結局、カリスマ指導者の毛沢東氏にしても、中国人の「家族中心主義」の壁を破ることができなかったし、トウ小平氏の成功は結局、中国流の家族意識に配慮した結果にすぎなかった。その半面、トウ小平時代からの「家族中心主義」の復活はまた、官僚の腐敗の蔓延(まんえん)や「公」の秩序と倫理の崩壊をもたらした。一族のために収賄に励む共産党幹部が続出する一方、家族や一族の中で「良い人」で通している普通の庶民も、公の社会に出れば、いきなり豹変(ひょうへん)して嘘をついて人をだましたり、「有毒食品」を作って、もうけたりして平然と悪事を働くのである。
このような現象の蔓延は逆に人々の社会に対する不信感を増幅させ、「家族がすべて」との風潮をよりいっそう広がらせる結果となる。
そういう意味では、「公」を食い物にしたあしき「家族中心主義」こそが中国社会の最大の病巣の一つといえるのだが、それを治す「薬」はなかなか見つからない。このままでかの国は果たして本物の近代国家になれるのか、甚だ疑問なのである。
確かにここに書かれていますように日本企業は何でも本社中心で判断します。決裁権者が、判断が遅れるのはまだしも、現場の実態を知らないため、日本での自分の経験をもとに判断してそれを押し付けてくることが問題です。或は無難に済まそうとして先送りする、或は本社の言うことを聞いておけば後で責任を追及されないから言いなりに動こうとか、正しい行動を取ろうとしません。海外と国内では商売のやり方が全然違うことを頭に入れて行動しないと。
ブランド管理、品質管理、財務管理(特に与信)、コンプライアンス以外は現地に任せればよい。そうすれば「本社が」という言い訳もできなくなり、現地経営者の能力も見切れるでしょう。
本社の経営陣も身内で固めるだけでなく、外部の厳しい目を入れないとダメだと思いますが、外部の取締役には情報を与えないような会社もあるようです。
でも、ここにあるように国や会社に関係なくというのは行きすぎだと思います。欧米企業だって困ったら国が前面に出てきます。時には人質事件の時のように国が武力行使して国民を救出しようとします。戦後の日本人は軍事力に対する考えがスッポリ受け落ちているからこういう発想になるのだと思います。欧米のグローバル基準で考えを合わせるなら、そこも合わせて行かないと。確かに転職する人は多いでしょうが、国籍を移す人は少ないと思います。
日本人の強みは団結力です。ヘタに欧米人のマネをしても勝てません。海外に出たら「日本人として恥ずかしい真似はできない」と思って行動すれば間違いなくグローバル人材になれます(欧米基準ではないかもしれませんが)。言葉は話せた方が良いですが、あくまで手段です。誇りを持って戦い、説得する経験を積んでいけば大丈夫と思います。
モンゴル人については知りませんので論評できません。
記事
—武田薬品工業が社長をはじめ役員や部長を続々と外国人に入れ替え、トヨタ自動車が外国人を副社長にすることを決めるなど、日本企業も外国人材を積極的に活用するようになっています。何が変わり始めたのでしょうか。
上久保:日本人が主体のままでは、企業がグローバル化に対応できなくなっているのです。本当の意味でのグローバル人材が、日本人には極めて少ないからです。例えば、立命館大学も含めた日本の大学を出た人が、外国生まれの多国籍企業で働けるかといったら、それは難しいでしょう。実際、日本の大学を卒業した後に海外で就職する人の比率は、有力大学ですら1%に達していません。
1人で日本から飛び出して、米国や英国で就職しているような日本人は、ビジネス界にはとても少ないのです。経営陣を続々外国人にしている武田薬品などで今起こっている現象は、日本人の働き口がだんだんなくなっていくという意味では、日本人にとって危機的な状況かもしれません。
そのうち、会社のヘッドクオーターが海外に移ったりすれば、もう本当に日本人はいらないということにだってなりかねません。
—企業のグローバル化を担える人材が日本人からなかなか生まれないのはなぜでしょう。
上久保:グローバル人材の意味が、正しく認識されていないことに一つの原因があると思います。日本では、企業が海外へ出て、そこでうまく物を売り込める人のことを、グローバル人材と呼んでいます。東京の本社が中心になって、日本から物を輸出していくというモデルです。これは私が商社に勤めていた20年前と何ら変わっていません。グローバルの経済環境がその間、激変したのにもかかわらずです。
日本の本社を軸に何事も考えるため、日本企業は海外に進出しても、現地にそれほど入り込んでいません。現地の人たちというよりも、日本人のネットワークで完結してしまう。これでは、今のグローバル化時代には対応できません。
—では本当のグローバル人材とはどんな人たちなのですか。
上久保:国や人種、企業といった枠組みには依存しない人たちです。例えばアフリカや中東などの出身で、自分の国はもう崩壊しているから、そこでは仕事ができない人がいます。自国には頼れないから、米国や英国に留学して、世界に通用するスキルを磨く。それを武器に、どんな場所であっても勝負していこうと考えるのが、グローバル人材なのです。
覚悟が違いますよね。日本人にそうした覚悟を持つ人がどれだけいるでしょうか。平和な故郷があり、事実上の終身雇用である企業に属しているような環境で、グローバル人材は育ちません。
日本人というブランドが通用しない経験をすると、グローバル人材とはどういう人たちなのかが見えてくるはずです。「日本人」を捨て去るぐらいでないとだめなのかもしれませんね。
—では、日本企業はどうやってグローバル人材を育成すればいいのでしょうか。
上久保:日本企業がグローバル人材を育成し、それを活用していくという考え方は、そもそも逆説的です。どこかの会社の人間などと規定してしまうと、その瞬間に本当のグローバル人材ではなくなってしまう。なぜなら、会社や国に縛られずに世界で活躍する人こそがグローバル人材だからです。
いずれ会社を飛び出していってしまうということをあらかじめ分かった上で、育成できるかどうかでしょう。
—グローバル人材を確保にするにはどうすればいいのでしょう。
上久保:海外で、その土地の商売に最も適合する人材を人種、国籍を問わず採用するべきです。日本人であるとか外国人であるとかいう発想は二の次になるはずです。
グローバル人材は、個人として世界を浮遊していますから、それをいかにうまく見つけ出して捕まえるかです。日本企業がグローバル化しようと思ったら、そういう人を逃さないことが大切です。
会社への忠誠心なんていらないじゃないですか。あるミッションを決めて、どういう成果に対していくら支払うという契約をすればいいんです。
—グローバル人材を多く輩出する国はあるのでしょうか。
上久保:私は最近、モンゴル人こそが真のグローバル人材だと思うようになりました。中国とロシアという大国の狭間にある小国ではありますが、海外に出るとものすごく力を発揮する人がたくさんいます。
モンゴル人は、何かに縛られることなく、完全に個人で動きますから。もともと遊牧民族であるということも、影響しているかもしれません。相撲だって、日本にたくさんやってきて、実績を残しているじゃないですか。
立命館大学にもモンゴル人の留学生が多いですが、いずれもとても優秀です。グローバルな考え方などの面で、とても高いポテンシャルを感じます。立命館で学んだ後に、米国の大学などへ飛び出していく人も多い。
米シリコンバレーのようなところでも、これからモンゴル人が増えていくでしょう。日本企業は、そういう人たちを早くキャッチした方がいいでしょう。
日本の企業内でもありますが、出世のために自分を売るというのは如何なものかと感じます。それでも自分がその後、納得して生きれれば良いでしょう。でも国を売っても平然としていられる人は信じることができません。まあ、そういう人は国を売っているという自覚すらないのでしょう。郎咸平の習へのゴマスリも見事なものです。共産党一党独裁ですから、自由主義諸国と感覚は違います。何せ財産没収だけでなく、生命の危険さえあります。逮捕状なしで拘引されて、闇に紛れて粛清なんて常にありの世界ですから。以前農村人口は全体の8割いましたのが5割に減ったと言われております。そんなに簡単に職業移動ができるわけありません。勿論職業選択の自由が今はありますが、昔は国が指定(単位と言います)していました。档案(共産党がつける内申書)に悪く書かれましたら、今でも良い就職先にはありつけません。簡単に移動できないという意味は、農民はまともな教育を受けてないので工場勤務するには難しいという事です。ですから3割も農村人口が減ったというのは土地を強制収用(共産中国では土地は国のもの、使用権しかありません)したものの行き場がなく、出稼ぎか流民になったと思われます。4億人も農業人口が減るのは考えにくいので、農村戸籍の若者が農業に就いてない状況を言うのかも知れません。
中間所得層が13億の全人口の中で2億人まで増えたそうです。国民を豊かにすることは国としてあるべき姿と思いますが、中国の価値観とは何かを問わざるをえません。第二次大戦後も他国を侵略し、今でも他国の領土を掠め取ろうとしています。「騙す人が賢く騙される人は馬鹿(日本語のできる中国人から聞いた中国人の基本的価値観)」、「平気で嘘を言う(南京虐殺・従軍慰安婦・個人レベルでも)」「賄賂社会(総ての階層で)」「人権・宗教弾圧(土地強制収用・法輪功)」「契約遵守は自分の都合に合わせて」「他人のものは自分のもの(内蒙古、チベット、ウイグル、南シナ海、尖閣等々他国の領土を侵略)」が中国の実態です。これが世界を指導する理念かどうか?日本を歴史で非難する前に、自分の胸に手を当てて考えてみた方が良い。「自由、民主、基本的人権、法治」の方が遙かに人類の理念として相応しいと思います。「建設者としての中国」は欧米的価値観から離れて自分が新たな価値観を創設しようとしているのでしょうが、傲慢・自己中の面目躍如です。上述のような価値観になれば世界は暗黒になります。でも英国はAIIBに参加するとのこと。アメリカが非難しましたが当然のこと。まあ、イギリスはアヘン戦争を起こした負い目があるのかも。それとも基軸通貨をアメリカに奪われた恨みを晴らそうとしているのか。エリザベス女王が元首でない李克強と面会した時から、共産中国に屈服したとは思っていましたが。ロスチャイルドが命令したのですかね?
溺れかけている中国・韓国に助けを出してはなりません。両民族とも恩を仇で返す民族ですから。
記事
中国の国会にあたる全国人民代表大会が3月5日から開幕し、李克強首相は政府活動報告で、中国の経済成長率目標を7%前後に引き下げ、「中国の経済状況が新常態(ニューノーマル)に入った」と位置付けた。この首相の新常態宣言は、鄧小平の改革開放以来の30年の中国の高度経済成長に終わりを告げる「低成長宣言」と受け取る向きもあれば、鄧小平の改革開放以来続いてきた経済構造を痛み覚悟で転換するというシグナルと受け取る向きもある。左派経済学者の郎咸平などは、「習総書記の語る『新常態』は鄧小平の南巡講話以上の影響力」とも言っていたが、果たして「新常態」とは、どういう状況をいうのだろうか。そして、その「新常態」とはいつまで続くのだろうか。
新状態に適応し、戦略上の平常心を保て
習近平が最初に「新常態」という言葉を使ったのは2014年5月の河南視察旅行中の発言だ。「中国の発展は依然重要な戦略的チャンスの時期にあり、我々は自信を強化し、目下の中国経済発展の段階的特徴から出発して新常態に適応し、戦略上の平常心を保ち続けなければならない」。
この新常態の理念について、さらに具体的に説明されたのはその年の11月のAPEC商工サミットでの「発展の持久を求め、アジア太平洋の夢をともに築こう」という演説の中で、「新常態は中国のさらなる発展のチャンスをもたらすものなのだ」と発言。新常態の六つの特徴とは、【1】高速成長から中高速成長への転換 【2】経済構造の不断のレベルアップ 【3】経済の牽引力を投資駆動からイノベーション駆動へ転換 【4】中国経済の新常態の出現 【5】中国政治の新常態の出現 【6】中国社会建設の新常態の出現、とした。
この新常態が中国の発展にもたらす状況として、四つ挙げられている。
【1】経済成長は緩やかに減速するが、たとえ7%前後に落ちても、その経済規模総量にしろ成長率にしろ、全世界の中で上位に入る。【2】成長動力が多元化し、各種のリスクに対応する能力がつくようになる。新型工業化、情報化、農村の都会化、農業の現代化などにより、成長に伴う各種の悩みを緩和できる。【3】経済構造のレベルアップにより、消費の経済成長の貢献度は投資を超え、サービス産業の占める割合は第二次産業を超える。ハイテク産業と装備製造業の成長速度が工業の平均的成長速度を上回り、GDP単位あたりのエネルギー消費が下降し効率化する。【4】政府の「簡政放権」(認可などの手続きの簡略化、権力の干渉の減少)により、市場が活性化し、企業登録制度改革により新企業数が増加する。
さらに、新常態には九つの特徴があるという。
【1】模倣型横並び消費(みんなが持っているから買う、人気の少数商品が市場を席巻するような消費)の段階が終わり、個性化、多様化消費が主流となる。【2】基礎インフラの相互連携による新技術、新産品、新業態、新ビジネスモデルの投資機会が続々とできる。【3】低コストが売りの業態からハイレベル品質が売りの業態に転換し、大規模な企業の海外進出が同時に起きる。【4】新興産業、サービス業、マイクロビジネスがさらに突出し、生産小型化、知能化、専業化が産業組織の新たな特徴となる。【5】人口高齢化が進むことで農業の余剰人口が減少し、低賃金労働に頼る経済成長から人の能力資質、技術進歩に頼る経済成長に転換する。【6】単純な質と量による市場競争から、差異化を主とした競争に転向する。【7】エコ・省エネ型の低炭素循環型経済の発展方式を推進しなければならない。【8】経済リスクはおおむねコントロールできるが、ハイレバレッジとバブル化がもたらすリスクの解消にはしばらくかかる。【9】生産過剰問題はすでに緩和しているが、市場メカニズム作用の発揮を通じて未来型産業の発展方向を探らねばならない。
常態化した経済構造と政治・社会を変える
要するに、中国は改革開放以後、常態化していた経済構造を変えていくつもりだ、ということである。また、その転換の際には、今までと違う異常事態が起こるだろうが、それは新常態として受け入れよ、ということである。
この「新常態」と、党規約にいずれ盛り込まれるのではないかと言われている、習近平の政治理念を表す「四つの全面」(全面的なややゆとりある(小康)社会の建設、全面的な改革の深化、全面的な法治、厳格な規約に従った全面的な党の統治)とセットで考えると、習近平反腐敗キャンペーンに見られる、従来の共産党秩序を無視した元政治局常務委員や退役上将の党籍剥奪や、軍区指令への異例な若手抜擢や、大学教育での「西側価値観」排除指示といった政治・社会における異常事態も、この「新常態」につながると考えるべきだろう。
この「新常態」について、左派経済学者の郎咸平はブログでこう解説する。
「中国のGDP成長速度は2015年7.1%にまで落ち込むだろう。…経済の冷え込み、通貨緊縮のリスクは年初にすでに露見している。…現政権が打ち出した“新常態”とは中国経済、社会の直面する問題を解決する根本的な方法論だ。…今年に推進される行政、国有企業、金融、不動産市場に対する改革について深く分析すれば、“新常態”と“旧制度”の本質的違いがはっきりするだろう」
「1992年の鄧小平の南巡講話は、社会主義市場経済体制に一連の改革をもたらし、中国を大きく変えた。“下海(個人企業)ブーム”“出稼ぎブーム”“創業ブーム”などの改変により無数の人々の運命が変えられた。しかし、新常態が国家と個人に与える影響力は、当時の南巡講話をはるかに超えることだろう」
建設者になれば中国的価値観が世界に受け入れられる
郎咸平が指摘するその具体的影響力とは、こうだ。
【1】公務員や国有企業幹部による創業ブームが起きる。“簡政放権”と反腐敗キャンペーンによって、市場と権力の癒着が断ち切られると、そこにぶら下がっていた官僚・国有企業幹部は頭を切り替えねばならない。おそらくは、彼らの間で、それまで地方行政が握っていた権利業務を代行するような新ビジネスが生まれるのではないか。
【2】権力と市場の切り離しに成功すれば、正常な市場経済国家に変わっていく。
【3】市場経済化が国家の体制改革の先鞭をつけるかもしれない。市場経済の本質は、自由、平等、公開の原則にのっとった競争メカニズム。国家は公権力と私権利のメカニズムをどのように処理していかねばならないか問われることになる。この公権力と私権利の関係調整こそ、政治体制改革といえないか。“新常態”は経済改革にみえて、その本質は政治体制改革である。
【4】国際経済の枠組みにおける中国の役割が参与者から新たな国際経済秩序の建設者に転換する。鄧小平の改革開放は、中国をグローバル経済に参加させ、WTO(世界貿易機関)加盟を実現させた。だが、それはあくまで、グローバル経済の一員になったというだけ。“新常態”に基づく外交・経済政策の骨子として打ち出されている“一帯一路”(中央アジアからロシアに向かうシルクロード経済帯と南シナ海からインド洋に向かう21世紀海のシルクロード経済帯を中国が中心となって開発していく構想)によって、中国は国際経済の枠組み秩序を主導的に建設する役割を担う可能性がある。
【5】新常態は中国的文化的価値観を国際社会の価値観に融合させることができる。中国が国際社会において経済包囲網、軍事包囲網、エネルギー包囲網などの脅威にさらされ、特に米国がアジアリバランス政策を打ち出してから中国はほとんど友達がいない。これは中国的価値観が国際価値観基準と大きく違うためである。だが(国際経済秩序の参与者から建設者に転向できれば)中国的価値観が国際社会に受け入れられるようになる。
郎咸平の解説は、習近平政権の期待している効果をわかりやすくまとめているという意味で、非常に参考になった。現地の消息筋から聞く話では、習近平が目指しているのは鄧小平を超えること、G2という米中二大国家による国際秩序の形成(あるいは米国もしのぐ影響力を発揮する国家になること)という。「中国の夢・中華民族の復興」を掲げる習近平の野望シナリオの具体策が「新常態」にあると言えそうだ。
もっとも、以上のことは言うが易し、為すが難しであることは言うまでもない。問題はこの新常態宣言によって生じる中国の負の面である。
「世界の工場」の終焉、厳しい生活が常態に
まず予想されるのはエネルギー料金の高騰。これは中国石油を含めた石油産業や石炭業界の整理再編が進められるに伴って、低く抑えられた国内のエネルギー料金が値上がりするだろうし、実際、タクシーや地下鉄料金の値上がりは始まっている。エネルギー料金の値上げは物価上昇を加速させるだろう。バブル崩壊、一部金融機関の破たんもやむなし、という声は中国の元官僚や専門家からも聞こえる。江沢民、胡錦濤政権時代に銀行の破産は絶対ありえなかったが、これからは、それが新常態になる。
今年早々、中国広東省で松下、東芝、シチズン系の日系資本の入った工場が相次いで撤退し、中国の労働市場に動揺を与えていることが報道されているが、この傾向は日系資本だけでなく、マイクロソフトやノキア、ネスレといった外資の労働集約型工場全体に言えることであり、これが中国の実質失業率に大きく影響している。改革開放以来続いていた「世界の工場」という常態もいよいよ終わりを告げる。庶民の暮らしぶりについて言えば、間違いなく厳しいものに変わっていき、それが「ニューノーマルなのだ、文句言うな」と強制的に受け入れさせられる、ということでもある。
ニューヨーク在住の華人コラムニスト北風は「ボイスオブアメリカ」の取材で「“新常態”なんていうのは庶民の目をくらませる共産党の政治用語にすぎない」と批判している。「中国の直面する負の局面を婉曲に表現して、表面上だけ大衆からの批判・反発を避けようとしているのだ。典型的な共産党言語のニセ文法」と。
「おぼれかけている」中国にどう対するか
過去にも「失業」という言葉を使うと反発が強いので「下崗」(一時休職)という言葉を造ったりしてきたが、それと同じというわけだ。そう考えると「新常態宣言」とは、中国の経済衰退宣言、社会不安定期突入宣言ともいえる。
鄧小平は改革開放推進の際に、『石をなでながら河を渡る』と言う表現で、市場経済と計画経済、社会主義と資本主義の矛盾に関わる先鋭的論争を回避したが、今の中国の状態は、川底の石を確かめながら前に進むどころか、とうに川底に足がつかない河の深みにはまっておぼれかけている。その現状について、「新常態」(おぼれかけている)だと追認した。
この深みにはまった中国は独自の泳法でもって自力で河を泳ぎ切ってこちらの岸につくのか、それとも引き返して元の岸に戻るのか。もちろん途中でぶくぶくと沈む可能性だってある。それを周辺国として、どう眺めるかが、問われるかもしれない。手助けしたほうがいいか。手助けしても感謝されるどころか、岸にたどりついた相手に、いきなり殴り倒されることもあるわけだが。