塩野七生『ローマ人の物語』は「ハンニバル戦記」しか読んでいません。森本哲郎の『ある通商国家の興亡』と20年以上も前に読みました。昨年9月にチュニジアへ行ったのはその影響ですし、現憲法、特に9条に違和感を覚えたのはその頃からです。伊奈久喜氏は日経にあって春原剛氏と共にまともな論説を書く人と思っています。
塩野七生は2010年『日本人へ-リーダー篇』か『日本人へ-国家と歴史篇』かは忘れましたが、憲法改正は9条からでなく、96条から修正すれば良いと提言したのを記憶しています。歴史小説を生き生きと書く筆力は当然英雄に対する共感があって初めてなしうるものです。英雄は多数の国民の支持がなければその座から下ろされますので。歴史を冷徹に眺めれば、軍事力を持たない国は存続できません。「9条を守る会」は似非平和主義者で外国侵略の手先と見るべきです。
井上文則著『軍人皇帝のローマ』によれば、ローマ帝国が滅びたのは①元老院が軍事的に無能。元老院は軍事に手を染めるのを嫌がった(senatorは金持ち・名士が多く、文人指向、後には軍人senatorも出てきましたが)。②中央の軍の弱体から。帝国の4分割統治で中央の軍が弱ければ属州の皇帝の簒奪を止めることはできません。やはり、軍事こそが国を治める基本と思います。
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欧州ではギリシャなどの債務問題が経済を揺さぶり、イスラム過激派のテロが大きな社会不安となっている。背景には国の成り立ちや文化、欧米と中東の長い歴史が複雑に絡み合っている。ローマ在住で最新作『ギリシア人の物語1』の刊行に合わせて帰国した作家の塩野七生さんに、世界が直面する問題への見方や政治リーダーの条件を聞いた。
■中産階級、民主政に不可欠
――作品歴のなかで今回の『ギリシア人の物語』の位置づけは。
「私はもともとギリシャから入ったんです。高校時代にホメロスの『オデュッセイア』や『イリアス』を読んで地中海に憧れたくらいですから。ローマ史にどうして行ったのかというと、ルネサンスものを書いていたらこっちもルネサンス人らしい考え方になって『なぜ彼らは古代復興を言い出したのだろう』と思ったのですね」
しおの・ななみ 1937年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。68年に執筆活動を始め、初の長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で70年度の毎日出版文化賞。82年に『海の都の物語』でサントリー学芸賞、83年に菊池寛賞を受賞した。 92年から長編『ローマ人の物語』の刊行を開始。99年に司馬遼太郎賞に輝き、歴史研究と歴史小説にまたがる新たな分野を切り開いた。2006年に15巻でシリーズが完結した。 その後『ローマ亡き後の地中海世界』『十字軍物語』『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を刊行。このほど最新作『ギリシア人の物語1 民主政のはじまり』(新潮社刊)を書き上げた。ローマ在住。78歳。
「まだキリスト教がなかった時代にヨーロッパ人はどうやって暮らしていたのか、どんなことを考えていたのかに興味を持ち、私も古代に復帰してしまったのです。なんだか実に自然な感じで」
――統一通貨ユーロから離脱論議が浮上したギリシャをどう見ますか。欧州連合(EU)は結局、ギリシャを排除しませんでした。
「北ヨーロッパの人たちが考えているのは文明とか文化とかのヨーロッパではなく、経済的なつながりでしょう。ならば南欧は切り離した方がよい。しかしそれではヨーロッパと言えなくなる」
「オリンピックの聖火は今もギリシャのオリンピアまで行って太陽から火をつける。ロンドンだって火はつけられる。しかしオリンピアへ行くことで何となく『オリンピック』と思えるわけです。今のギリシャは悪いけれどそんな存在。でもいいじゃないですか、古代にあれだけ様々なものを作った人間なのですから」
――古代ギリシャ人はまさに民主政の創始者です。
「結局、市民社会、市民階級がないところには民主政は成り立たない。そのことは現代でも立証されています。持てる力を可能な限り活用するために生まれたのがアテネの民主政であって、やはり中産階級が重要な役割を担ってきた」
――欧州以外はどうでしょうか。
「イスラム世界は中産階級をついに作れなかった。それが民主政が成り立たず、社会が安定しない原因でもある。商人階級は作りました。北アフリカのイスラム世界はサハラの黄金を売っていた。今ならばオイルです。原料を輸出する側はそれだけでもうかる。工業製品を輸出する側は、例えばフィレンツェやベネチアだったら繊維業で、色を付ける、織るなどの過程がある。その人たちに職を与えることになった」
「イスラム世界は人々に高学歴を与えることはできた。しかし今なお高学歴にふさわしい職場を作れていない。だから軍隊とかバース党(アラブ主義政党)のような所に貧しい秀才が流れてしまうのです」
――ペルシャ戦役があった地域は今日の過激派組織「イスラム国」(IS)の勢力圏とも近い。
「私は宗教は『個人的なこと』として、作品で常にあまり立ち入らないようにしています。古代は多神教の時代だったので良かったわけですが、中世になるとかたやイスラム世界、かたやキリスト教という一神教の時代になる」
「中世は相当に硬直性のあるキリスト教だったから、イスラムと激しくやりあっていた。現代はバチカンでさえも『他の宗教を信じる人でも良いですよ』という姿勢。『ただし我々の宗教のほうが安らかさを見つけるには良いですよ』と付け加えるわけですが、排他的にはなっていない」
「中近東は為政者階級の世襲など我慢ならないひどい体制が生まれている。ヨーロッパ側は『文明への反逆だ』という思いにかられ空爆をやってしまう。するとまた、イスラム世界から恨みを買ったりする」
「私にはイスラム世界とどう付き合うかという時に答えがありません。古代ローマみたいに『ここに移ってきたのなら、ローマ法は絶対に守れ』と言えないからです」
――シリア情勢や難民問題をどう見ますか。
「古代ローマ時代はどうしたかと言えば、難民は受け入れた。ただし完全に自助努力を求めた。つまり『働け』と。今のヨーロッパでは人権は尊重し、国民と同等の待遇を与えなければいけない。若い男たちが大勢収容されて何もしないと、周囲からだんだん敵視されていく」
「結局、難民問題の元は国の内乱にあるわけです。アフリカは土壌として豊かですが、内乱になれば逃げ出さざるを得なくなる。捨てられた耕地は何もかも枯れてしまう。雨も降らない。こうなるとますます人間が住めない」
■安全だけは 統治者が
――『ギリシア人の物語』にも安全保障にかかわる記述が多く登場します。
「(ペルシャ戦役後の)デロス同盟は多国間で安全保障をする目的でできた。ペルシャ帝国にそんな同盟は一切ない。アレキサンダー大王もローマ帝国もそんなことは考えなかった。同盟の考え方は超大国からは生まれないのですね」
――日本で成立した安保関連法をどうみますか。
「日本も中小の国々のひとつだから同盟による安全保障は当たり前であって、ヨーロッパでは安倍晋三首相の安保法制は全然問題になっていない。『当然』という感じで受け止められています。中国だってほとんど何も言っていないんじゃないですか」
「中国に対抗するには中小国が集まって、米国が後ろ盾になる安全保障を考えればいい。中国が脅威的存在にならなければ必要性はなかった。ソ連があった時と似た構図。同盟は強大な敵があるからなのです。中国はまだ超大国でないが、超大国になりたいと思っていることは確かです」
――政権に返り咲いてまもなく3年の安倍首相への評価は。
「前回(2013年秋)の日経インタビューで『2度もチャンスをもらい、そこで何もしなかったら政治家でないだけではない、男でもない』と言いました。そうしたら発奮されたのではないですか。批判的な人は『彼には健康上の理由がある』と言う。でも健康なんぞは奥さんとお母さんが心配すればいい話です」
「安定はすごく大きい。人間はバカではありません。安定、安全であれば適度に自分たちでやれる。しかし安全だけは統治者が実現しなければならない」
「ルネサンス時代のフィレンツェでもメディチ家が僭主(せんしゅ)になって安定を築き、そこにルネサンス文明というか、フィレンツェ文明が花開いた。ベネチア共和国は経団連が統治したような国だと思いますが、中小企業の保護をした。だからパクス・ロマーナ(ローマの平和)は大切だったのです」
――当事者全員の努力なくして安全保障はないと書いていますね。
「パクスを実現するには、やはり抑止力とか諸々の力が必要です。ただし安倍さんは説明のやり方が下手だった。安保法制も説明が十分でなかったのではなくて、はっきり言うと話し方が下手だった」
「アンチ安倍の人から『安倍晋三という男をあなたは好きですか』と聞かれたから、『まずもって私の好みじゃない』(笑)。だけどそんなことは関係ない。今やりますと言っているのが彼なんだから、やってもらいましょうよ、とただそれだけ。ダメだったら次の人にやらせたらいい」
「だけど以前のように首相が1年で交代するのは絶対にいけない。あの状態では何もできなくなりますから。英国のサッチャー首相は10年、ブレア首相だって10年続いた。10年は必要だ。10年続けば日本人でも何かやりますよ」
――国を率いる条件はなんでしょうか。
「政治のリーダーは美男である必要はない。でも明るい顔である必要はある。やっぱり辛気くさいのはダメです。安倍晋三という男は決して貧相ではない。世の中、全部辛気くさい話ばかりなのに、リーダーまで辛気くさい顔をしていたらやる気が起きますか」
――安倍政権は女性活躍を看板政策にしています。
「女の人は『男社会だ』と言って文句を言う。しかし抗議するのにもエネルギーがいる。人間には一定のエネルギーしかないから、抗議するのに使ってしまうと、創造するエネルギーがなくなってしまう」
「だから次期首相だって女だからダメだっていう訳では全然ないのだけれど、心躍らされるようなはっきりした何かを言わないといけない。いまの女性政治家はそれを言う能力が感じられません」
聞き手から 塩野さんの作品は、欧州の歴史を語りながら、そこから間接的に現代が読め、いつも時局的である。これから始まるギリシャ3部作もそうだ。 ローマ人15巻を書き上げ、今度は欧州の起源であるギリシャに挑むのだから、塩野史学の集大成である。ローマ人にもカエサルをはじめ、かっこいい男たちが何人も登場するが、ギリシャ人も同様で読者を楽しませるはずである。 プラトン、アリストテレスのような哲学者を生み、自律した市民による民主政を作りだしたギリシャが債務問題で欧州連合(EU)の厄介者扱いされている現状をみれば、「彼は昨日の彼ならず」の感慨を抱かざるを得ない。歴史はなぜそう流れたのか。ギリシャ3部作には、そのヒントもあるのだろう。 ギリシャはいまシリアから殺到する難民の欧州の玄関に当たる。新著が扱ったペルシャ戦争時代にもこの地域では複雑な動きがあった。古代ギリシャ史が現代の国際安全保障理論の教科書とされるゆえんである。(特別編集委員 伊奈久喜)