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『改憲論議で無視してはならない日本国憲法の「出自」 憲法を書いた実務責任者が語った驚くべき舞台裏とは』(7/18JBプレス 古森義久)について

ケーデイスと元子爵鳥尾敬光氏の夫人鳥尾多江の不倫話を何かで読みました。占領軍の男に魅せられる女性の気持ちは分かりません。小生が男性だからかもしれませんが。クレオパトラもカエサルやアントニウスを手玉に取ったくらいですから。でも戦後、体は別にして魂を売った男性は沢山いまして、今でもその流れは変わらず、戦後利得者が跋扈している時代が続いています。鳥尾夫人だけが責められることはありません。

Tae Torio

三島由紀夫の『豊饒の海・第三巻・暁の寺』には息子を戦争で亡くし、悲しみに打ちひしがれた夫人と若いドイツ文学者との不倫が出てきます。人間の性でしょうか。もっと言えば、岡倉天心も上司である九鬼隆一の夫人星崎波津子と不倫の話が出てきますから、男女の仲は洋の東西を問わず、時代を超えて、道徳だけでは縛れないという事でしょう。

そのケーデイスが日本に押し付けた憲法の作成過程が本記事に書かれています。ローマ帝国が第二次ポエニ戦争でカルタゴに押し付けたものと同じ発想です。日本には戦争させない、白人には逆らわせないということでしょう。ケーデイスが自衛権に相当する部分を入れたというのは鳥尾夫人への思いが日本への同情になったのかどうか。

今や白人に挑戦する黄色人種の中国人が出てきました。日本人のように叩き潰されるのかどうかですが。ただ、中国人は白人と同じく悪辣で金を崇拝する民族です。ただ遅れて来た帝国です。核を持ち、賄賂をスマートに送り、人口の多さを武器に入植させて領土を広げて行くやり方をします。日本を抑えるため中国を支援してきた米国は臍を噛んでいるでしょう。キッシンジャーがアメリカの道を誤らせた訳です。

反米政党・知識人が憲法擁護の論陣を張るのは憲法の出自から言っておかしいのでは。少なくとも改憲して彼らの理想とする案を出さなければ。その時に国民は判断するでしょう。彼らは中国共産党の手先で、日本を売り渡す先兵だという事を。平和主義の念仏の先には一党独裁の人権抑圧が待っているという事です。

改憲について与党も拙速になる必要もありませんが、放置することもありません。折角参院で2/3の議席を改憲勢力が頂戴したのだから整斉と進めるべきです。憲法審査会と同時に、公聴会を開いて国民に意見を聞いてはどうか。どうせ野党は審議拒否するでしょうから。岡田代表は憲法審査会の議論に参加するとかいっていますが分からないです。何せ「改憲勢力に2/3を取らせない」のが反日民進党の参院選の目標だったのに、彼は責任を取って辞めることもしませんので。中・日共産党と同じで平気で嘘が言えるタイプです。

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GHQ office

かつてGHQが入っていた東京・有楽町の旧第一生命館(出所:Wikimedia Commons)

 今回の参議院選挙で、憲法改正を目指す勢力が全議席の3分の2以上を獲得し、改憲の発議の権利を得たことで、改めて憲法改正の是非が国政の場における主要な議題として浮かび上がってきた。

 この憲法論議にあたっては、日本国憲法のそもそもの生い立ちを知ることが欠かせない。一体、誰が日本国憲法を作ったのかという正しい認識がこれからの議論には不可欠である。

 だが、これまでの憲法論議では不思議なほどその出自が語られてこなかった。まるで故意にその点の議論を避けていると思わせるほどである。

日本側の草案を一蹴したGHQ

 日本国憲法は、日本が連合国の占領下にあった1942(昭和21)年2月2日から10日ほどの間に、米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。

 この米軍の将校団の統括責任者は連合国軍総司令部(GHQ)のコートニー・ホイットニー民政局長であり、実務の責任者はホイットニーの部下のチャールズ・ケーディス民政局次長だった。連合国軍といっても主体は米軍だったのだ。

実務責任者のケーディス氏は当時39歳。コーネル大学やハーバード大学で法律を学び、戦前からすでに弁護士として活動していた。1941年12月に米国が日本やドイツとの戦争に入ると、同氏は陸軍に入り、参謀本部で勤務した後、フランス戦線に赴いた。日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。

 GHQは当初、日本側に新憲法の起草を命じた。命を受けた時の幣原喜重郎内閣は国務大臣の松本烝治にその起草を任せた。まもなく草案ができたが、GHQはそれを一蹴した。米国から見て内容が民主主義的とは言えないというのがその理由だった。

 その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽決定した。そして、1946年2月、実務責任者にケーディス大佐が任じられたのである。

ケーディス氏の一存で9条を修正

 私はそのケーディス氏に面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞いたことがある。1981年4月のことだ。面会の場所は、当時ケーディス氏が勤務していたニューヨーク・ウォール街の大手法律事務所だった。

 当時75歳のケーディス氏は、私の質問に、時には用意した資料をみながら、なんでもためらわずに答えてくれた。インタビューは結局4時間近くに及んだ。

 ケーディス氏の話を聞いて私が最も衝撃を受けたのは、日本国憲法が作られた過程の“異様さ”だった。なにしろ手続きがあまりに大ざっぱなのだ。また、日本側の事情や要望はまったく考慮されず、内容はまさに“押しつけ”そのものであった。

 戦勝国が被占領国に受け入れさせた憲法なのだから仕方がないといえばそれまでである。だが、それにしてもなんと粗雑に作られた憲法なのかと驚かざるをえなかった。

ケーディス氏によれば、起草は、都内のいくつかの大学図書館から諸外国の憲法の内容を集めることから始まった。その時点で新憲法の内容について決まっていたのは、後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる黄色の用紙に殴り書きされた「天皇を保持する」「戦争を放棄する」「封建制度を廃止する」という3つの原則だけだった。

「私が書くことになった第9条の目的は、日本を永久に非武装にしておくことでした。上司からのノートでは、日本は自国の安全保障のためであっても戦争を放棄することとなっていました。しかし、その部分は私の一存で削りました。どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」

 ケーディス氏は後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、同氏の判断だけでOKを与えたという。この修正案は9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。

 憲法草案のこうした重要な部分は、事後に上司のホイットニー民政局長やマッカーサー元帥の承認を得てはいるが、事実上、ケーディス氏の判断だけで作り上げられたと言っても過言ではない。

日本が受け入れを拒否することはできなかった

 私が聞いたケーディス氏の述懐の主要点をまとめると、以下のようになる。

・憲法草案の最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことだった。

・元々の草案では日本の自国防衛の権利も否定していたが、ケーディス氏の一存でその部分を削った。

・「天皇は日本国の象徴」という表現も米国政府の事前の指示にはなかった。ケーディス氏ら実務担当者が思いついた表現である。

・第9条の発案者はマッカーサー元帥か、幣原喜重郎首相か、天皇か、あるいは他の誰かなのか、ケーディス氏は知らない。

・米国は、日本政府が新憲法を受け入れない場合は憲法草案を国民投票にかけると告げた。だが、実際には日本側に受け入れを拒否する選択肢はないとみていた。

 以上の点からも、日本国憲法が実質的に米軍によって書かれ押しつけられたことは明らかである。しかも日本を永久に非武装にして自国の防衛の能力や意思をも奪おうという意図が明確にあったのだ。

 この歴史の真実は、これからの憲法論議でも当然言及され考慮に入れられるべきだろう。だが、護憲派は憲法の起源や由来を語ろうとしない。それは明らかに均衡を欠いた姿勢である。

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『英国がEUに戻る日 2代目「鉄の女」、メイ首相に立ちはだかる難題』(7/15日経ビジネスオンライン 岡部直明)について

トルコのクーデター騒ぎ、中国のハーグ判決無視、フランスのトラックテロ、米国大統領候補の共和党全国大会開催と英国のBREXIT問題が霞んで見えます。トルコのギュレン師が直接クーデターに加担したとは思えません。ただ、生活の中でイスラムの教え通り、助け合い精神を活かすという運動の影響を受けた軍の人間が起こしたものと思われます。エルドアン大統領も世俗主義から少しずつイスラム重視に切り替えてきました。ギュレンが1999年米国訪問中に、捏造報道のためトルコに帰れなくなり、其の儘米国に亡命しましたので直接クーデターを指示することは考えにくいのでは。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%B3%E9%81%8B%E5%8B%95

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%B3

http://www.tiu.ac.jp/org/iiet/kaken-a-islam/ronbun/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%92%E3%82%BA%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E9%81%8B%E5%8B%95%E2%80%95%E2%80%95%E2%80%95%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E5%9B%9E%E5%B8%B0%E9%81%8B%E5%8B%95.pdf

中国のハーグ判決無視は既定路線で、米国を始めとする国際社会の団結が問われています。国際法を無視する中国のやり方を黙認すれば、南シナ海に止まらないでしょう。東シナ海も支那と名前がついているので必ずや中国のものと言って来る筈です。尖閣が何故中国のもの主張しているかと言うと琉球は日本だけでなく中国にも朝貢していたから、中国の冊封体制にあったというのを根拠にしています。日本が琉球処分したのが1872年~1879年で140年前の話、中国はどこまで歴史を遡るというのでしょう。その当時は漢民族統治ではなく、「大清帝国」で満州族統治でした。今の中国は56の民族からなるというのは事実としても、「大清帝国」が日本の琉球処分について黙認してきた事実を尊重すれば自分のものと言うのは歴史を大事にしないことではないか?中国はいつでも二重基準を多用します。南シナ海内に3000m級の滑走路を3つの島に作られたら制空権が奪われます。アホなことにずっと中国を支援してきた米国には製造物責任があります。すぐにでも「航行の自由」作戦を展開すべき。

英国のEU離脱の国民投票も法的拘束力がないので、本記事にありますように下院を解散して、離脱派・残留派の議員を選び直す形で再度国民の意思を問えば良いのでは。キャメロンの拙劣な政策が齎したものなので。ただEU残留であっても、移民問題は受け入れることはできないでしょう。EU側がそれをどう判断するかですが。

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あの「鉄の女」をほうふつさせるメイ首相

 英国の欧州連合(EU)からの離脱は世界に衝撃を与えた。責任を取って辞任したキャメロン首相の後任に、サッチャー首相に次ぐ2人目の女性宰相としてテリーザ・メイ首相が就いた。2代目「鉄の女」には、秩序ある離脱をどう実現するか期待が寄せられるが、あまりに難題が多い。EUとの離脱交渉をうまく進められるか、スコットランドなど国内の独立機運を封じられるか。そして、外資依存の英国経済の失速を防げるかである。この複雑な多元方程式を解き切れるかどうか、なお不透明である。

 「EU離脱により世界で新しく前向きな役割を果たす」。こう言い切るメイ首相は、サッチャー首相にどこか似ているところがある。その髪形からクイーンズ・イングリッシュまで、あの「鉄の女」をほうふつさせる。

Theresa Mary May

髪形、クイーンズ・イングリッシュ…「鉄の女」サッチャー元首相をほうふつさせる、テリーザ・メイ英首相 (写真:ロイター/アフロ)

仏独主導のEC、EU運営に対峙してきたサッチャー

 しかし元祖「鉄の女」の迫力は、こんなものではなかった。1980年代半ば、日本経済新聞のブリュッセル特派員時代、何度もサッチャー首相の記者会見に臨んだことがある。EC(欧州共同体)首脳会議は農業補助金などめぐっていつものように難航した。会議は深夜に及んでようやく終わった。外相を伴って現れたサッチャーは席に着くやいきなり、外相を面罵した。その怒りに記者団は一瞬、氷ついた。EC内での交渉の不手際をさらされた外相は翌日辞任する。

 サッチャー旋風にはジスカーデスタン・シュミット、ミッテラン・コールという仏独連合もたじたじだった。それだけサッチャーは国益をかけて仏独主導のEC、EU運営に対峙してきた。

英国はEC加盟まで12年間も待たされた

 ブリュッセルのユーロクラート(EU官僚)嫌いは有名だし、ユーロの創設や政治統合の動きには徹底して反対した。しかし、その「鉄の女」でさえ、EUの離脱など考えもしなかった。国民投票で離脱を決めた英国政治の大失態を見たら、元祖「鉄の女」は憤っていたはずだ。

 なにしろ、英国はEC加盟まで12年間も待たされた。加盟はいつしか悲願になっていた。盟主であるドゴール仏大統領に2度にわたって加盟を拒否される。加盟できたのはドゴールが亡くなったあとの1973年である。初めから原加盟国(仏、西独、伊、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)とは差がつけられていた。

 その後もユーロには加わらず、移動の自由を認めるシェンゲン協定にも参加しなかったのだから、EUメンバーとして胸を張れないところがあった。

 第2次大戦後、欧州にはもう2度と惨禍を繰り返したくないという思いから、欧州統合論が高まった。英国のチャーチル首相も「欧州合衆国」構想を唱えたが、それは欧州大陸中心で英国抜きの構想だった。

ドゴールは、英国の離脱を予測していた?

 いまにして思えば、英国のEEC(欧州経済共同体)加盟を拒んだドゴールは慧眼だったといえる。かつてのような覇権国家「大英帝国」ではなくても英国に根付いている大国意識は抜きがたいものがあるとみていたのだろう。いずれ離脱する日がくると読んでいたかもしれない。

 当のドゴールは筋金入りの国家主義者であり、かならずしも積極的な欧州統合論者とはいえなかった。欧州統合の父であるフランスの実業家ジャン・モネとは敵対関係にあったといえる。ジャン・モネが超国家をめざしたのに対して、ドゴールは国家連合にとどめるべきだという立場だった。いまのEUにもジャン・モネ(超国家)流とドゴール(国家連合)流との思想的対立が残されている。骨の髄まで国家主義者だったからこそ、ドゴールは英国の国家主義の展開を読めたのだろう。

EU離脱に12年かかるとの説も

 いまEUにドゴールほどの強面はいないが、メイ政権のEU離脱交渉は容易ではない。加盟にかかった12年間が離脱でもかかるという説まである。メイ首相は離脱交渉で「最良の条件を引き出す」というが、メルケル独首相は「いいとこ取りは許さない」とくぎをさしている。

 メイ首相が6年間の内相時代に力を入れたのは、移民流入の抑制だった。国民投票で示された移民流入抑制という民意を優先しつつ、EUの市場アクセスはこれまで通りにしたいというのがメイ首相のいう「最良の条件」なのだろう。しかし、それこそがメルケル首相の指摘した「いいとこ取り」である。

 EU離脱交渉では「鉄の女」どうしの対決が予想されるが、それだけではない。反EU勢力が台頭するフランスでは、2017年の大統領選を前に、英国に厳しい態度を取らざるをえない。EUの姿勢は厳しく、離脱交渉の難航は必至である。

国民投票で鮮明になった「英国の分裂」

 メイ首相にとって、頭が痛いのは国民投票で鮮明になった「英国の分裂」である。メイ首相は「グレート・ブリテン」としての国民の結束を呼び掛けたが、この国民投票は「グレート・ブリテン」を「リトル・イングランド」にする選択だったといえる。

 EU残留が大勢だったスコットランドは、英国から独立し、EUへの加盟をめざしている。独立のための住民投票を求めることになるだろう。スコットランドの動きには、独立に動くカタルーニャを抱えるスペインが警戒するなど、EU内には反対論がある。しかし、英国のEU離脱はスコットランドの独立とEU加盟の動きに拍車をかけ、英国の分裂につながるのは避けられない。

ロンドンは、シンガポールのような都市国家をめざす?

 合わせて北アイルランドも独立し、アイルランドへの統合に動くだろう。EU残留派が多いロンドンの独立論もある。シンガポールのような都市国家をめざすのだろうか。

 世代間の分裂も深刻だ。高齢層に離脱派が多い一方で、英国の将来を担う若者はEU残留を求めている。若者の反乱が起きれば、英国社会の亀裂は深刻化する。

 EUに依存してきた英国経済への打撃ははかりしれない。英国は老大国から抜け出しEU第2の経済大国としてよみがえったのは、サッチャー政権はじめ改革の成果もあるが、なによりEUとの結びつきが大きかった。英国経済はEUのなかで再生できたといえる。

外資なしには成り立たない英国経済

 英国経済はウィンブルドン現象といわれるほど外資依存の構造になっている。製造業、流通、金融から公共インフラまで外資なしには成り立たない。外資が英国に拠点をしているのは、EUという単一市場を視野に入れているからだ。EU離脱でその最大の利点が失われることになれば、外資は欧州大陸などに拠点を移すしかなくなる。

 ロンドン・シティーの金融センターとしての強みは揺るがないという見方もあるが、はたしてそうか。少なくとも、ユーロ決済センターとしての機能は失われる可能性がある。フランクフルト、パリなど欧州大陸の市場はシティーに取って替わろうとするし、エディンバラ、ダブリンなども金融センターもめざすだろう。金融機能が集積するシティーも決して安泰とは言えない。

 最大の問題は、こうして英国経済が失速し、停滞してしまうことだろう。イングランド銀行は金融緩和を検討しているが、不動産価格の下落が金融システム不安につながる心配もある。景気後退が長引けば、失業問題につながる。せっかくの財政健全化は頓挫し、再び財政赤字に悩まされる。ポンド安は輸出増要因だが、ポンド危機なれば、インフレ懸念が強まる。スタグフレーション(景気停滞と物価高)への道である。

“引き返す勇気”もまた英国のエリートの使命

 世界に広がっているメガFTA(自由貿易協定)の潮流に乗り遅れる恐れもある。米国とEUの自由貿易協定交渉では、オバマ米大統領が警告した通り、EUを離脱する英国は後回しにされかねない。日EUの経済連携協定交渉でも英国の扱いはむずかしくなる。

 内外の様々な難題をどう解決するかメイ首相の手腕が試されるが、その解は簡単には見当たりそうにない。EUとの交渉が難航し、スコットランド独立機運など分裂が深まり、足元の経済は悪化する。そのなかで英国は「大後悔時代」に突入するだろう。

 議会制民主主義の機能を取り戻すため、解散、総選挙で「EU離脱」の是非を問いなおす可能性がないわけではない。メイ首相は「BREXITはBREXIT」と国民投票のやり直しを否定しているが、状況しだいで「新しい判断」が求められるかもしれない。引き返す勇気もまた英国のエリートの使命であるはずだ。

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『勝ちパターンに入ったジョージ・ソロス「人民元売り崩し」の勝算は?』(7/16MONEY VOICE 東条雅彦)について

ソロスは人民元暴落の仕掛け人と呼ばれるようになるのでは。儲け話に対する嗅覚はやはり凄いものがあります。天才ユダヤ人の一人でしょう。

7/15ZAKZAK 田村秀男記事は

金融政策どん詰まりの中国 たどる道は不動産バブル崩壊か資本逃避か…

$ & Renminbi

中国の金融政策が行き詰まった。2008年9月のリーマン・ショック後の高度経済成長の原資になってきた中国人民銀行による人民元資金発行が困難になったからだ。

 習近平政権は元を刷る代わり、国有商業銀行に命じて、融資を急増させる一方で、財政難の地方政府には債券を発行させている。

 グラフはリーマン後の米中の中央銀行資金発行の増加額の推移で、人民元をその時点での対ドル相場をもとに換算して、ドルと比較している。米連邦準備制度理事会(FRB)は金融恐慌回避のために、ドル札を大量発行する量的緩和政策に踏み切った。人民銀行は14年まではドルにほぼ合わせる形で元を増発してきたことがわかる。一国の金融の量を他国に合わせる政策は他に例がないが、中国の場合は一定の条件のもとでは可能だった。

 中国は「外国為替集中制度」と称するドル本位の金融政策をとっている。人民銀行が中国に流入する外貨を商業銀行からことごとく買い上げ、商業銀行に元資金を流し込む。

 商業銀行はその資金を融資に向ける。融資の大半は不動産開発向けであり、経済は開発投資主導で急速に拡大した。構造物への投資を反映するコンクリート生産量は11、12年の2年間合計で、米国の20世紀全体のそれを上回るほどだ。

 高度成長の方程式はしかし、14年秋にFRBが量的緩和政策を打ち切った途端に変調をきたした。流入するドルは激減し、人民銀行は資金を追加発行できなくなったのだ。おまけに、15年後半には上海株価暴落や元切り下げを機に資本逃避が起き、昨年末以降、その年間額は約50兆円に上る。

資本をつなぎ止めるためには、金利引き上げしかないが、不況をさらに悪化させる。そこで、習政権は人民銀行資金の裏付けなしに、商業銀行に年間200兆円規模で融資を増やさせ、再び不動産部門に注入させている。その結果、上海など沿海部の大都市では不動産バブルが再発している。

 他方で、14年に不動産バブルが崩壊したままの地方では巨大なゴーストタウンが残され、不動産開発主体の地方政府子会社は債務返済できない。

 そこで、習政権は年間100兆円規模で地方債を発行させ、その資金で銀行に返済させている。しかし、地方経済は疲弊したままだから税収は減っている。地方債の大半は焦げ付きそうだ。

 すでに銀行の不良債権は約230兆円で融資総額の15・5%、国内総生産(GDP)の20%以上に上ると国際通貨基金(IMF)は推計している。いずれも1990年代前半の日本のバブル崩壊時の銀行不良債権水準を大きく上回っている。上海などの不動産相場が今後崩れ出すと、不良債権はさらに膨らむ。解決策は人民元の大幅切り下げだが、資本逃避は加速し、人民銀行は元を買い支えられなくなる。国際金融界は固唾をのんで中国情勢を見守っているが、なぜか、三菱東京UFJ銀行がこのほど対中大型融資を決めた。>(以上)

実需のない不動産にいくら金を注ぎこんでもバブルになるだけでしょう。不良債権の山となるのは日本のケースを考えれば分かることです。でも日本と違いスケールが大き過ぎます。人民元が大暴落すれば中国経済は破綻するでしょう。外貨建て債務は元換算すれば重くなります。

南シナ海での中国の行動は米中戦争を引き起こしかねません。お互いの面子もあるでしょうから。オバマが宥和政策に陥るかもしれませんが、ハーグ判決で後押しされた米海軍は「航行の自由」作戦を展開したいと思っているでしょう。7/16織田邦男氏の講演で「3000mの滑走路を持った島3つで三角形を作れば制空権は中国が握ってしまう。A2/ADが完成してしまう。ほぼそうなりかけている。次は防空識別圏を設定するのでは」とのことでした。やはり、人民元を暴落させ、経済的に中国に戦争させない、侵略は痛い目に遭うと分からせるようにする方法が良いのでは。講演で織田氏は「尖閣防衛のためには、警察と海保の人材・装備の拡充が喫緊の課題。自衛隊から先に手を出すことは出来ないので」とも仰っていました。

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Soros & Mao

今回は世界3大投資家の1人、ジョージ・ソロスの過去の投資行動を検証しながら、「なぜ今ソロスは中国の通貨・人民元に目をつけているのか?」について解説していきます。

イギリスのまさかのEU離脱で、市場は大混乱に陥りました。その後やや落ち着きを取り戻したものの、円高の流れはかなり強烈で1ドル100円付近で推移しています。そのような状況にも関わらずソロスはイギリスのEU離脱についてほとんどスルー状態。やはり本命は「中国経済」なのでしょう。(『ウォーレン・バフェットに学ぶ!1分でわかる株式投資~雪ダルマ式に資産が増える52の教え~』東条雅彦)

【関連】いつまで安全?「リスク回避の円買い」に走る外国人のナニワ金融道=東条雅彦

ジョージ・ソロスは、なぜ人民元を売り崩そうとしているのか

英EU離脱でポンドを売っていなかったソロス

すでにご存知の方も多いかと思いますが、ジョージ・ソロスは、英国の国民投票でEU離脱が決まった6月23日に、ポンド売りを実施していませんでした。

米著名投資家のジョージ・ソロス氏は、英国の欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票の直前に、ポンド安を見込んだ投機取引は行っていなかった。同氏のスポークスマンが明らかにした。

出典:ソロス氏、英国民投票前にポンド安見込んだ取引せず=広報担当者 – ロイター

ソロスは「イングランド銀行を潰した男」という異名を取っています。1992年にポンドを空売りして、15億ドルを儲けました。

この時の印象が強かったため、今回ポンド売りを見送ったことを、市場は意外だと受け取ったようです。

しかし、これは意外なことでも何でもありません。近年、慈善活動などに力を入れていたソロスがトレーディングの現場に戻ってきたのは、「中国の人民元を売るため」です。これはハッキリと断言しても良いと思います。

なぜなら、そもそもソロスは、「半固定相場」の通貨を売り崩して儲けるという手法で富を築いてきたからです。

今、英国のポンドは完全な「変動相場」です。そのため、今回は手を出さなかったのです。

「固定相場」はどういう方法で実現しているのか?

半固定相場制を説明する前に、まず前提となる「固定相場制」について説明します。

固定相場制とは、通貨の交換レートを一定に保っている相場のことを意味します。日本も1971年までは1ドル=360円の固定相場制を採用していました。このような交換レートを一定に保つ方法として、次の2通りがあります。

  • <方法その1>中央銀行が要求される為替取引をすべて受け入れる
  • <方法その2>資金の移動を規制し、固定相場になるようにする

<方法その1>の具体例

当時の日本は<方法その1>を採用していました。

将来的な円切り上げ(円高)を見込んだドルからの円買いに応えて、日銀が「円売りドル買い」介入をしていました。

円を買いたい人が増えると、円高になってしまいます。しかし円が買われる量と同じだけのドルを買えば、価格は動きません。

1ドル=360円という固定相場は、日銀の介入により人為的に作っていたのです。

<方法その2>の具体例

中国は2005年7月までドルに対する固定相場制を採用していました。その時、中国は資金の移動を規制していました。

「中国の元を買いたい!」という人が、「中国の元を売りたい!」という人よりも多くなってしまうと、元の価格が上がってしまいます。

そこで、中国政府は「元を買いたい!」という人が多くなった場合、単純に売らなかったのです。反対の場合でも同じです。売りたい人が多くなった場合も、売らせません。

<方法その1>では、中央銀行が反対売買を行い、売買量を均衡させます。 <方法その2>では、売買量を規制することで価格を固定化させます。

どちらの方法であっても、需要と供給を無理やり均衡状態に持っていくのがポイントです。参考までにコチラの需要供給曲線をご覧ください。

需要が増える/供給が減る → 価格が上がる 需要が減る/供給が増える → 価格が下がる

中央銀行や政府が無理やり需要と供給を調整すると、確かに価格は安定します。

しかし、これはアダム・スミスの「神の見えざる手」に反する行為のため、人為的な相場(=固定相場制)は永久には続きません

天才・ソロスはいつも「半固定相場」を売り崩して儲けてきた

半固定相場とは、固定相場制から変動相場制に移行する際に導入される一時的な仕組みです。

固定相場制の<方法その1>を採用して、通貨当局(政府や中央銀行)が市場に介入します。

ただし、価格が固定になるまで介入を行うのではなく、ある決められた範囲の変動は許すというスタンスです(例:1日2%までの変動を許す)。

1992年ポンド危機と「イングランド銀行を潰した男」の誕生

1992年、イギリスは欧州通貨制度(EMS)に加盟していました。EMSとは、加盟国間で通貨変動が年±2.25%以内に抑えることを原則として、ユーロ導入までの移行期間的システムのことです。

1992年時点ではイギリスも他の欧州諸国と足並みを揃えて、ユーロを導入する方向で進んでいました。そこでジョージ・ソロスは、EMSの「年±2.25%以内に抑える」というルールに着目したのです。

通貨の変動幅を2.25%以内に抑えるために、イギリスは為替介入を行わなければいけません。

ソロスは「相場は必ず間違っている」が持論です!この時も、ポンド相場が実勢に合わないほど高止まりしていると考えていました。

1992年9月には、ポンドへの売り浴びせは激しさを増しました。イングランド銀行はポンドの変動幅を2.25%以内に抑えようと、反対売買のために、ポンドを買い増しします。

9月15日(火)には、激しいポンド売りにより変動制限ライン(±2.25%)を超えてしまいました。

そして、翌日の9月16日(水)にソロスはポンド売りをさらに加速させました。

1992年9月16日(水)に何が起こったか?

・午前11時、イングランド銀行はポンド買いの市場介入に加えて、政策金利を10%から12%へ引き上げました。 →金利が上がれば、ポンドを売っている投資家は逆に金利を支払わなければならず、「ポンド売り」の意欲がなくす効果があります。 →金利が上がれば、単純にポンドを買う動機に繋がります。 →しかしながら、ポンド売りが止まりませんでした。

・午後2時、もう一度、政策金利を引き上げて、15%にしました。 →それでもポンド売りの流れは止まりませんでした。 →ついに、イングランド銀行は自己資金を使い果たしてしまい、ポンドの買い支えができなくなってしまいました。

・午後4時、イギリスはEMSからの脱退を発表しました。 →このような経緯でイギリスはユーロを導入できなくなり、ポンドが生き残りました(結果的にはこれで良かったという声も多い)。

後に、1992年9月16日(水)は「ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)」と呼ばれるようになりました。この日からイギリスポンドはドイツマルクに対して、たったの14営業日で約14%も下落してしまったのです。

1997年「アジア通貨危機」とジョージ・ソロスの関係は?

1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落現象を「アジア通貨危機」と呼びます。

タイ、インドネシア、韓国はその経済に大きな打撃を受け、IMF管理に入りました。マレーシア、フィリピン、香港もある程度の打撃を被りました。

当時、日本、台湾、フィリピンを除くアジアのほとんどの国家は、米ドルと自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していました。

1995年以降、アメリカ合衆国の長期景気回復による経常収支赤字下の経済政策として「強いドル政策」が採用さていました。アジア各国はこの高いドルとペッグしていたため、自国の通貨が上昇し、その結果アジア諸国の輸出は伸び悩む展開になりました。

ドルペッグ制は「固定相場制」で、中央銀行が無理やり買い支える仕組みです。

「人為的な相場」+「実体経済と通貨価値との乖離」

この2つがセットになった時、ヘッジファンドは当該通貨を売り崩す(ショートする)という投資行動を取って、利益を得ようとします。

マレーシア首相のマハティールは、ジョージ・ソロスをマレーシア通貨のリンギットを下落させたと名指しで非難しました。

ソロスはこの非難について、アジア通貨危機の最中もそれに先立つ数ヶ月間にも、自分はタイ・バーツやマレーシア・リンギットを売ったことがないと説明しました。

これらの通貨が下落しはじめたときはリンギットを買っており、この買いは早すぎたと述べています。

その後、マハティールとソロスは和解していますが、いずれにせよ、人為的な相場である固定相場制・半固定相場制はヘッジファンドに狙われやすいことは確かです。

今、ソロスが売り崩しを狙う人民元「半固定相場制」の弱点とは?

中国の通貨「人民元」は2005年6月まで固定相場でした。1ドル=8.2765元前後に維持されていました。これが2005年7月から「管理フロート制・通貨バスケット制」に移行しています。いわゆる「半固定相場制」です。

前日の変動幅を2%まで許容するというルールで運用しており、それを超える変動があった場合、中国人民銀行が為替介入を実施します。

ジョージ・ソロスは人民元の「半固定相場制」を売り崩して、中国人民銀行が買い支えを実施できないレベルに追い詰めることを狙っています

ソロスだけではなく、世界的に成功している投資家は全て、ファンダメンタルズ分析に基づいて行動しています。

ウォーレン・バフェットもジム・ロジャーズも、運否天賦(うんぷてんぷ)で判断しているわけではありません。

1992年に実施した「ポンド売り」では、イギリス経済はその3年前から停滞していました。

<イギリス 経済成長率の推移>

1986年 3.17% 1987年 5.56% 1988年 5.92% 1989年 2.25% ←ここから経済が失速していく 1990年 0.55% 1991年 -1.26% 1992年 0.45% ←ここでソロスはポンド売りを仕掛けた!

そして今、中国経済のファンダメンタルズは悪化してきています。

<中国 経済成長率の推移>

2003年 10.00% 2004年 10.10% 2005年 11.30% 2006年 11.30% 2007年 14.20% 2008年 9.60% 2009年 9.20% 2010年 10.61% 2011年 9.46% 2012年 7.70% ←ここから成長に陰りが出てきた 2013年 7.70% 2014年 7.30% 2015年 6.90% ←ついに6%台に突入! 2016年 6.49%

さらに次のような報道もなされるようになりました。中国の外貨準備の大幅減少が続いているのです。2016年6月7日のロイターのニュースを引用します。

中国人民銀行(中央銀行)が発表した5月末時点の外貨準備高は3兆1900億ドルで、2011年12月以来の低水準だった。ドル高や散発的な市場介入が影響した。

ロイター調査による予想は3兆2000億ドル、4月末時点は3兆2200億ドルだった。

5月の減少幅は279億ドルで、月間の減少としては2月以来の高水準。

ただアナリストは中国からの資本流出が再開したことを示しているとは限らないと指摘した。

出典:中国外貨準備5月末は3.19兆ドルに減少、11年12月以来の低水準 – ロイター

中国からの資本流出が激しくなってきているというニュースです。日本経済新聞でも同様の報道が行われています(グラフ付きでわかりやすく解説されています)。

2014年時点には4兆ドル弱あった中国の外貨準備は、約2年で3.2兆ドルまで減っています。(2年で2割減)

ソロスもおそらく中国の外貨準備の動向には注意を払っているはずです。なぜなら、半固定相場制では人民元を買い支えるのに「外貨準備」が必要だからです。

いわば外貨準備は人民元を買い支える体力とも言える指標です。

中国人民銀行が前日比2%に収まるように買い支えを実施できなくなった時、人民元はストーンと下落してしまいます。

ソロスがトレーディングの現場に復帰したのは、このタイミングを見極めるのに最も自分が適任だという自覚があるからでしょう。

足元の人民元下落は序章に過ぎず

現在、ドルと人民元の交換レートは1ドル=約6.67人民元です。2014年の1ドル=6.05人民元をピークにどんどん元の価値が落ちてきています。この2年で10%以上も下落しています。

半固定相場制の環境下にいるにもかかわらず、下落幅が大きいです。

しかし、もし中国人民銀行が買い支えを実施できなくなると、もっと大きく下落するはずです。

今回のまとめ

ジョージ・ソロスは「半固定相場」の通貨を売り崩して、儲けるのが得意である。

固定相場制は次の方法で実現している。いずれの方法にしても、不自然な手法である!

  • <方法その1>中央銀行が要求される為替をすべて受け入れる
  • <方法その2>資金の移動を規制し固定相場になるようにする

全ての価格は需要と供給がクロスする点(=アダム・スミスの「神の見えざる手」)で決まる。

人為的に価格を調整する固定相場制、半固定相場制を採用すると、実体経済の価値と市場価格の乖離が発生しやすくなる。

ジョージ・ソロスはこの乖離を突く天才である!

中国の人民元も半固定相場制で運用されているため、ソロスは自分の得意な手法で売り崩しを狙っている。

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『中国、ハーグでやられたら沖ノ鳥島でやり返す』(7/14日経ビジネスオンライン 森永輔)について

沖ノ鳥島について中国は直接国際仲裁裁判所に訴えることはできないでしょう。訴えれば、中国も裁判の結果を受け入れざるを得ないからです。他の国を使って訴えることはありうるかも知れませんが。TVで「沖ノ鳥島で中台接近」とか言っていましたが、意図的に事実を歪め、日台離間を図ろうとしているのでしょう。マスメデイアの厭らしい所です。国民党の馬政権だったら兎も角、民進党の蔡政権です。中国に近づくことはありません。勿論台湾が領有を主張している太平島(南シナ海の九段線内にある)について、国際仲裁裁判所が訴訟当事者でない国の島か岩かを判断はできないという主張です。これを以て中台共闘と言うのは言い過ぎでは。そもそも九段線はルトワックの「チャイナ4.0」の中で、「かつて国民党軍の高官が酔っ払って書いただけ」とあります。92共識と同じくでっち上げです。

日テレニュース 「太平島は岩」判決受け入れられない~台湾 2016年7月12日 23:38

南シナ海の領有権をめぐり、フィリピンが中国を提訴している仲裁裁判の判決で、台湾が南沙諸島で実効支配する太平島について、排他的経済水域を持たない「岩」との判断が出された。これを受けて台湾の総統府は「判決は受け入れられない」との声明を発表した。

記事全文

 南シナ海の領有権をめぐり、フィリピンが中国を提訴している仲裁裁判の判決で、台湾が南沙諸島で実効支配する太平島について、排他的経済水域を持たない「岩」との判断が出された。これを受けて台湾の総統府は、「判決は受け入れられない」との声明を発表した。

 台湾は、南シナ海の島と周辺海域の領有権を主張していて、南沙諸島の太平島を実効支配している。国際的な司法機関・仲裁裁判所は12日、中国が南シナ海で保有していると主張する権利について「法的根拠はない」とする判決を下したが、この中で太平島を含む南沙諸島を排他的経済水域を持たない「岩である」と認定した。

 これを受け、台湾の総統府は、「審理の過程で台湾には仲裁裁判への参加を求められなかった」とした上で、「仲裁案は受け入れられず、法的効力を持っていない」と主張した。

 一方、声明では南シナ海での権利を否定された中国についての言及はなく、南沙諸島については、関係各国で協力して話し合い、平和的に解決すべきとした。

 台湾は、14日から周辺海域の巡視を予定していた海軍の軍艦の出発を13日に早めるなど、関係各国をけん制する動きも見せている。

 今年5月に誕生した台湾の蔡英文政権はこれまで、中国と距離を置き、日本やアメリカを重視する姿勢を見せていた。しかし、南シナ海をめぐり、同じく仲裁案を受け入れない中国に同調する形になり、中国側も「ともに南シナ海の領土主権を守る責任がある」として共闘する姿勢を見せている。>(以上)

韓国も中国同様、沖ノ鳥島を国際仲裁裁判所に訴えないでしょう。訴えれば日本が国際司法裁判所に竹島の領有権で訴えるのは目に見えるからです。韓国にとって南シナ海の問題は関係なく、沖ノ鳥島は反日で喜ぶテーマではあっても、実効支配している竹島で自ら不利になるようなことはしないでしょう。また、米国がそうはさせないでしょう。中国の意を受けて動くことになりますので。

まあ、中国が昔アルバニアを動かし、国連の5常任理事国の一つは「中華民国」ではなく「中華人民共和国」という提案(アルバニア決議と言われます)をしたように、アフリカの弱小国で道理の分からない金塗れの国が提訴するかもしれませんが。

国連なんて腐った機関です。日本人は有難がる人が多いですが、国益を賭けた戦いの場です。理想とは大きくはずれています。中韓はここで日本を貶めようといろんな手を打ってきています。慰安婦や南京虐殺の世界記憶遺産登録とか事実でないものを、証拠をでっち上げてまでやろうとしています。日本も「通州事件とチベット人虐殺」を新しい歴史教科書をつくる会やペマ・ギャルポ氏が中心となってユネスコの世界記憶遺産に登録申請しました。こちらはキチンとした証拠を揃えてです。「やられたらやり返す」のが中国です。日本も上品ぶっているだけではやられ放しになります。「やられたらやり返す」ようにしないと。国民全体で支援していかないと。日本政府は当てにできませんので。

記事

 オランダ・ハーグの仲裁裁判所が7月12日、中国が南シナ海で主張する権利について国際法上の根拠がないとの判断を下した。提訴していたフィリピンの主張をほぼ全面的に認めるもの。ただし、中国の軍事に詳しい小原凡司・東京財団研究員・政策プロデューサーは「短期的には緊張を高めるもの」と見る。(聞き手は森 永輔)

destroyer Lassen

航行の自由作戦に向かう米海軍の駆逐艦「ラッセン」(写真:U.S. Navy/The New York Times/アフロ)

—仲裁裁判所が、中国が南シナ海で取っている行動についてついに司法判断を下しました。小原さんは、どこに注目していますか。

小原:フィリピンの主張をほぼ全面的に認めた、中国にとって非常に厳しいものであったことです。ここまで厳しいものになるとは予想していませんでした。

Bonji Ohara

小原凡司(おはら・ぼんじ)

東京財団 研究員兼政策プロデューサー

専門は外交・安全保障と中国。1985年、防衛大学校 卒。1998年、筑波大学大学院修士課程修了。1998年、海上自衛隊 第101飛行隊長(回転翼)。2003~2006年、駐中国防衛駐在官(海軍武官)。2008年、海上自衛隊 第21航空隊副長~司令(回転翼)。2010年、防衛研究所 研究部。軍事情報に関する雑誌などを発行するIHS Jane’sでアナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャーを務めた後、2013年1月から現職。

 最も大きいのは、中国が南シナ海に九段線を示し、その全域に管轄権を持つとしているのを、国連海洋法条約に照らして「全て認められない」としたことです。さらに、中国が主張する歴史的な権利 についても証拠がないとしました。歴史的権利については触れないものと考えていました。

 南シナ海で中国がしている行為が違法であることが、法の支配の観点から明らかにされたわけです。この司法判断は法的な拘束力を持ちます。

—今回の判断は、九段線内の管轄権を否定してはいます。けれども、中国が埋め立てや軍事拠点化を進める個別の礁について、どの国が主権を有しているかは判断していません。岩*1と認められた礁について、中国が主権を主張し軍事拠点化を続けることはあり得るのではないでしょうか。

*1:国連海洋法条約は次のように定めている。島:領海も排他的経済水域(EEZ)も設定できる。岩:領海は設定できるが、EEZは設定できない。低潮高地:どちらも設定できない。低潮高地は、満潮時には水面下に没してしまうものを指す。 

小原:それは言えます。しかし、いくつかの岩で中国が軍事拠点化を続けても、南シナ海全域に影響が及ぶわけではありません。主権が及ぶのはその島の周囲12カイリだけですから。国際社会に影響を及ぼす大きな問題にはならないでしょう。中国が九段線の内側全体、つまり南シナ海のほぼ全域を対象に管轄権を主張していたことが問題だったのです。

中国は決して妥協しない

—中国外交部が出した声明をどう評価しますか。「この司法判断に効力はない。中国は受け入れないし、認めない」「国際海洋法条約の権威を損ない、中国の主権国家としての権利を侵すもので、不公正だ」としています。

小原:「受け入れない」というのは非常に強い態度だと言えるでしょう。

—ということは、中国が妥協することはない?

小原:できないでしょう。具体的な理由は3つあります。まず南シナ海の海底にある資源を放棄することができない。ブルネイやベトナムの周辺に油田があります。このほかにも開発される可能性があります。

 第2に、海上輸送路を保護できなくなる可能性があるからです。

第3は、南シナ海が持つ軍事的な意味です。中国は米国に対する核抑止の最終的な保証は、核兵器を搭載する原子力潜水艦であると考えています。しかし、搭載する弾道ミサイルが米国の東海岸を射程に収めるためには、常にこれを隠密理に太平洋で活動させる必要がある。そのためには南シナ海から米海軍の活動を排除する必要があるのです。

 南シナ海をコントロールできれば、米海軍が中国大陸に近づくことも困難になります。中国は東に向かうと米国と衝突する可能性があるため、西に活動を展開しています。一帯一路政策はその表れですね。中国は、西での経済活動にも軍事的支援が必要だと考え、中国海軍の強化を図っていますが、それでも米国には適わない。米海軍との軍事プレゼンスを均衡させるべく、米艦隊が南シナ海を自由に通過できないようにして力を削ぐことが考えられます。

 具体的な理由とは別に、そもそも中国は今回の司法判断を、「中国の発展を欧米諸国が妨害するもの」と位置づけています。中国は、南シナ海でしていることを正当な権利の行使と考えており、悪いことだとは思っていません。ゆえに、この判断を受け入れません。

 ただし、中国はこの司法判断を無視して、国際社会で孤立するわけにはいきません。欧米諸国が築いた国際秩序を変えると宣言しているからです。実現するためには他の国からの支持が欠かせません。

–孤立できない中国はどのような行動に出るのでしょう。

小原:3つのことを進めると思います。第1は、フィリピンとの和解です。これが成れば、司法判断を問題にする必要がなくなります。

—具体的には、どのような和解条件が考えられますか。

小原:フィリピンに有利な条件での援助や投資を提示するでしょう。新たに就任したドゥテルテ大統領は地方の市長として犯罪を撲滅することで力をつけてきました。次は国政の場で基盤を固めるために、経済を浮揚させること重視すると思います。ここを突くわけです。

 2つめは、「今回の判断は欧米諸国が勝手に言っているだけで、中国の行為は正当である」という主張を支持する国を増やす外交努力です。小さな国ばかりですが、既に60カ国が支持していると中国は言っています。

 特にASEAN諸国には強く働きかけることでしょう。フィリピンにあやかろうとする国が現れかねないからです。今回の司法判断は、フィリピンの主張通りになりました。さらに、中国から多くの援助と投資がやってくるかもしれない。他のASEAN諸国も「提訴されたくなかったら…」と中国に仕掛けることでしょう。

 今回と同様の司法判断が連続することになれば、中国の立場は苦しいものになります。なんとかこれを避けようとするにちがいありません。

 もう一つ注目すべきはロシアとの関係ですね。中ロ関係は相互不信に満ちていますが、中国はロシアを味方に引き込むべく動くでしょう。プーチン大統領は今頃ほくそ笑んでいるに違いありません。もちろん、ロシアは大人ですから表に出てくることはないでしょうが。

—3つ目は何でしょう。

小原:既成事実の積み上げです。フィリピンが中国に対し今回の司法判断に従うよう求めたにもかかわらず、中国が従わない場合、中国を非難する国際世論が高まることでしょう。そうなり中国包囲網が強まる前に、人工島のさらなる造成や軍事拠点化を進めると思います。短期的には緊張が高まる可能性があります。

習近平の意向を恐れる外交部

—日本の岸田文雄外相が「仲裁判断は紛争当事国を法的に拘束する。当時国は今回の判断に従う必要がある」と談話を出しています。「従う」とは具体的に何をすることを指すのでしょう。

小原:「中国は退け」ということです。既に出来上がっている人工島や滑走路を撤去しろとは言わないでしょうが、現状のまま立ち退くことを求めていくことになるでしょう。声明で明らかにしているように、中国が従うことはないでしょうが 。

—中国は、外交辞令として「仲裁裁判所の判断に従う」と言っておき、フィリピンと妥協することで現状を実質的に維持するという手もあったのではないでしょうか。

小原:それはできなかったと思います。王毅外相もスポークスマンも、今回の件に関わった人々はみな習近平国家主席の意向を恐れていますから。

 司法判断を巡って中国の世論は二分されるでしょう。一方は、ナショナリズムを背景に司法判断に反発するもの。もう一方は、中国政府もしくは外交部の失敗を非難するものです。彼らは、「そもそもフィリピンを提訴に至らせたことが失敗だ」と2012年までさかのぼって非難するかもしれないですね。あまり表には出ないでしょうが、中国政府が恐れているのは、この後者のグループです。

 習近平国家主席は第1のグループの側につく確率が高いでしょう。そのほうが国内をまとめ、権力を維持しやすいですから。

—今回の司法判断が中国の内政に影響を及ぼすことはありますか。

小原:あり得るでしょう。来年には人事のからむ中国共産党大会が控えています。中国には習近平国家主席を支持する勢力と、そうでない勢力があります。後者は、習政権を揺さぶる材料があるなら、何でも利用しようと考えるかもしれません。

 権力闘争とは別に、「外交を見直すべき」という意見が出てくることもあると思います。中国は最近、内政に集中する姿勢を示してきましたが、方向転換を促す動きが力を得ることは考えられます。

ハーグでやられたら沖ノ鳥島でやり返す

—仲裁裁判所が「南沙諸島に島は存在しない」と判断したのを受けて、中国が「日本の沖ノ鳥島も岩にすぎない」と主張する可能性が指摘されています。国連海洋法条約は、岩には領海は設定できるものの排他的経済水域(EEZ)は設定できないと定めています。沖ノ鳥島周辺の地下資源に期待する日本とっては憂慮すべき事態です。

小原:その可能性は高いですね。中国はやられたらやり返す国です。

—「やられた」という意味では、日本を非難していますね。今回の判断を下した仲裁裁判所の裁判官は、当時、国際海洋法裁判所長を務めていた柳井俊二氏が任命したものです 。これを「公正でない」として中国は非難しています。

小原:はい。なので、中国が「柳井氏にやられた分を、沖ノ鳥島でやり返す」と考えることは十分にありえる話です。ただし、南シナ海の問題を落ち着かせることが最優先でしょう。中国は、日本はアジアの国であるにもかかわらず欧米諸国のお先棒を担ぐ、と考えて不満に思っています。

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『「良心的知識人」の相次ぐ自殺が示す中国の混沌 もはや「うつ病による自殺」では覆い隠せない』(7/13 日経ビジネスオンライン 福島香織)について

習近平による第二次文化大革命orその前に起きた百花斉放・百家争鳴後の反右派闘争が行われているということでしょうか?文革時に入水自殺した老舎を思い出させます。毛沢東時代より悪くなっているのは、権銭交易で格差が極端に開いたことです。少なくとも毛時代は平等に貧しかった時代です。造反有理の紅衛兵の狂気の時代ではありましたが。

「双規」で追い込まれるというのは、人民解放軍と同じく党の機関が上という事です。中国大陸は中国共産党に乗っ取られたという事です。共産主義は人類を不幸にするシステムです。基本的人権である自由が認められません。知識人が自由に発言することが許されません。権力者に阿ることが要請されます。日本のリベラル知識人はどこまで分かっているのでしょう。以前柏で池内紀の講演を聞きましたが、開口一番「自分は反体制派」と言って一発で興ざめになりました。東大の教授は権力者に阿るのではなく、時流に阿ているのではと感じました。我が身を常に安全地帯に置いて、政府を批判するだけ。こういうタイプは戦前戦中に生きれば軍部に対して何も発言しなかったでしょう。自由を守るための戦いなんてしないと思います。所詮は処世術のうまい輩でしょう。他国を侵略する中国非難の声を上げているなんていうことは聞きません。

http://kinbricksnow.com/archives/51862787.html

今回の参院選で共産党の議席が伸びたのも深く考えずに投票しているのではという気がします。「人殺し予算」発言で当初予測された議席ほどには伸びませんでしたが。先進国で暴力革命を容認している共産党が議席を持つことはありません。容共GHQの洗脳の呪縛がまだ続いているという事でしょう。

記事

 顔見知りの人の不審な死というのは、心をざわつかせる。それも立て続けとなると、気になってしかたない。

 共産党理論誌「求是」の朱鉄志・副編集長が6月25日に自殺した。求是編集部の地下にある駐車場で首をつったという。会合の場でお会いしたことがある。私が新聞社をやめた翌年の春節、フリーランスになった旨を知らせる言葉をそえて春節カードを送ったら、「どこでお会いしましたか。覚えていないのだが」と、返事を添えたカードが返ってきた。律儀な人であった。うつ病の気があったと言われていた。

 その前の6月18日、元外交官の呉建民氏が湖北省武漢で午前4時、交通事故で死亡したのも衝撃を受けた。武漢大学での講義のための移動中、中央分離帯に衝突、同乗の教授も死亡し、運転手は負傷した。原因は運転手の睡眠不足、疲労による運転ミスだといわれている。

 お二方とも特に親しいわけではないが、北京駐在記者時代には一度となくお会いし、名刺を交わした。比較的、外国人記者に受けのよい、開明派の知識人である。そういう改革派、開明派の知識人の死というのが、結構最近多いような気がする。そう思いはじめると、本当に自殺なのか事故死なのか、気になってくる。

開明派の渾身のヨイショ原稿

 朱鉄志について、簡単に紹介したい。

 1960年吉林省通化生まれ。北京大学哲学科を卒業し、随筆家・雑文家として、また「紅旗」や「求是」など共産党中央誌で編集者として、活躍した。その筆致はユーモアと思索に富み、魯迅文学賞も受賞したことがある。もちろん優秀な党員である。

 思想的には開明派、改革派であるが、習近平政権になってからは2014年8月12日に「習近平総書記に文風(文学スタイル)を学ぶ」と題した、渾身の習近平ヨイショ原稿なども寄稿している。私が記者として駐在していた当時の原稿と比べると“らしくない”ものが多かった気がする。彼は、「紅旗」記者時代、左傾思想、毛沢東主義を批判してきた雑文の大家、牧恵の薫陶を受け、少なくとも習近平政権前は、党の封建主義的な部分を批判していたし、改革開放と自由を重視していた。

 自殺の約10日前の6月16日、北京市雑文学会と検察日報が北京で主催したネット時代の雑文創作についてのシンポジウムの席で、朱鉄志は「雑文にいかに“党性”を表現させるか」というテーマについて、次のように語っていたそうだ。

 「党刊(党の刊行物)に身を置くからと言って真理の化身を代表するわけではない。…やはり民衆の中に深く入っていき、民衆の視点からの観点で、党性と人民性を有機的に統一させねばならない」

「注意しなければ転げ落ちてしまう」

 この言葉の真意についてはいろいろ考えられるが、党の世論に対するコントロールの厳格化に対しての不満を漏らした発言ともとられる。今の党は人民性を持っておらず、人民を上から押さえつける存在でしかない、と。このとき「雑文を書くのは高層ビルの建築現場で作業するようなもの。安全に注意しなければ、足場から転げ落ちてしまう」といった意味深な発言をしていた、と一部メディアは伝える。またいくつかの会合で「知識分子として最も恐ろしいことは独立した人格、独立した見解、独立した表現の欠如だ」といった発言も繰り返していたそうだ。

 自殺した日時は錯綜しているが、25日らしい。「求是」編集部のあるビルの地下駐車場で首つり自殺をした。日中、彼は編集部に姿を見せず夜9時ぐらいにやってきた。日付を超えてから、地下の駐車場で首をつっているのが発見された。

 この件を最初に報じたのは、友人で作家の劉緒義によるSNS(微博)上での発信だが、すぐにこの発言は削除された。つぎに財経ネットが「朱鉄志が自殺」と報じ原因を「うつ病」「理念と現実のギャップ」などとする友人の証言を紹介したが、すぐに削除された。

 人民日報ネットは26日、「6月25日未明、不幸にもこの世を去った」と報じた。自殺とは書いてなかったが、「全国各界の雑文学会、雑文家たちが次々と驚きと沈痛を表明している」と書き、不正常なものであることをほのめかしていた。

 朱鉄志の死の原因についてはさまざまな憶測も呼んだ。

 一般にはうつ病による自殺説が主流だが、その背景として朱鉄志に精神的抑圧を与えた政治事件が疑われている。根拠は先にあげた生前の彼の発言や、習近平政権以降に増えた習近平におもねる文章の多さ。書きたいことを書けず、自分の心に染まぬものを書かねばならないことに苦しんでいたのではないか。4年前に人民日報副刊の編集長である徐懐謙がうつ病で自殺したとき、朱鉄志は自分もうつ病であり、最近、すこし症状が改善した、と語っていたといった知人の証言も報じられている。習近平政権になって、個人の理念と、現実の乖離が彼を苦しめたのだ、という説が有力である。

 また、最近、無期懲役の一審判決を受けた胡錦濤の側近の官僚政治家、元中央統一戦線部長の令計画の事件と関係あるのではないか、という説もある。

 令計画は2014年、汚職容疑で失脚して取り調べを受けていたが、その直前、「求是」誌上に令計画の寄稿文が掲載されていた。「党の喉舌」とされる中央誌で失脚寸前の令計画の寄稿が掲載された背景がいろいろと疑われ、2015年に「求是」は中央規律検査委巡視隊の立ち入り検査を受けている。

 このとき、「個別の文章の掲載が政治的にコントロールできておらず、漏れがある。同時に原稿の掲載において“人間関係問題”がある」と指摘されていた。当時の求是総編集長の李宝善は令計画と同郷の山西省出身者であり、朱鉄志と李宝善の関係も深かったので、令計画の原稿掲載に朱鉄志もかかわっていると疑われていた。党の意向ではなく、人間関係からくる義理人情を優先して、令計画の寄稿を掲載したことで、中央規律検査委から責められ心理的圧力を受けていたことが、“うつ病”を悪化させたのではないか、とも言われている。

いずれも「うつ病による自殺」

 ただ、こうした事件を、うつ病による自殺の一言で片づけてよいのだろうか。

 というのも、近年、知識人の不正常な死はあまりに多いのだ。朱鉄志の死とも関係あるのでは、と噂されている2012年8月22日の徐懐謙の自殺。彼は人民日報副刊「大地」の編集長で、北京大学卒、社会科学研究院文学修士をおさめ、文人エリート街道を順調に進んできた。44歳の彼が午後2時、自宅から飛び降り、死亡した。これも当時、原因はうつ病と報じられた。2014年8月28日、ジョージ・オーウェルの「1984」やサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」などの訳書がある広州の翻訳家の孫仲旭は41歳の若さで自殺した。中国翻訳界の大損失と嘆かれたが、彼の死因も「うつ病」の一言で片づけられた。

 今年2月19日、上海華東師範大学政治学部講師の江緒林が首つり自殺した。彼は天安門事件のとき、北京大学研究生(哲学)であり、天安門事件を紀念したことで逮捕された過去もある。死ぬ前に手書きの遺書の写真を微博にアップしていた。内容は財産を姉に譲渡することなど自分の死後の処理に対する願いと、キリスト教徒である自分が自殺することの後悔、そして「(死ぬのが)怖いので白酒を飲もう」という一文で締めくくられていた。思想的に現在の政治環境に耐えられず、また過去の逮捕歴などがあり、学内の仕事においても抑圧を受けていたのではないか、と噂されていた。

「史学の奇才」の呼び名も高かった天才高校生・林嘉文は今年2月23日に自殺した。1998年生まれ、陝西省西安高校の現役高校生でありながら、数十万字の学術著作の執筆を続け、「当道家統治中国」「憂楽為天下」といった漢時代や北宋時代の政治思想に関する著書を立て続けに出版し、学会からは新中国建国以来、最年少学者の登場、と期待を寄せられていた。だが彼は18歳の若さで飛び降り自殺した。うつ病が原因とされている。

悲しみと絶望から抜け出せない

 開明派知識人の論文寄稿ネットメディア・共識網では、朱氏の友人でもある梁河東がこんな文章を寄稿している。

 「…年初、上海華東師範大学の江緒林が亡くなった。林嘉文も逝った。他にも学界文化界のエリートが自殺している。…このように多くの中国の知識分子が不帰路の選択をしていることを私は深く認識している。朱鉄志が死んだことは、彼の職務と役割を考えれば、驚くべきことだろう。彼には才能と名誉があり、まったく惜しまれる。しかし、あまたの文化人の自殺の中で、彼もその一人に過ぎない。

 現在、我々は朱鉄志がなぜ自死したのかを問わねばならない。うつ病だったというのが最も都合のよい解釈だろうが、しかし理由は別にある。

 我々の伝統文化のDNAには一種の悲しみと絶望があるのだ。この種の悲しみと絶望に知識人たちは体も魂も浸りきり、自力で抜け出すことができない。

 最も有名な(知識人の)自殺者は戦国末期のロマン主義詩人・屈原だろう。愛国においても、自殺においても彼はリーダーであった。屈原は楚国が秦国に滅ぼされることを予測し、その結果を受け入れがたく、汨羅江に身を投げた。彼は王朝のために死に、究極の理想とともに心中したのだ」

 サウスチャイナモーニングポストなど香港メディアが報じたところによると、習近平政権時代に自殺など不審死を遂げた官僚が120人以上という。官僚とは、大学を出て、体制内で公務員として働く体制内知識人の総称とすれば、これも知識人の自殺増加の根拠といえるだろう。

 官僚の“不正常死”は2003年から2012年の胡錦濤政権時代は68件あったが、これと比べると実に倍近くということになる。

 理由は習近平政権の反腐敗キャンペーンとみられている。苛烈な取り調べを受けている過程で、精神的に追い詰められため、あるいは同僚や家族を守るために“自殺”を選択せざるを得ない場合があるのだという。ちなみに中国の官僚システムにおいて、まったく汚職をせずに済む官僚、党員はいないといって過言ではない。そして、彼らの汚職が暴かれ、追及されるのは、公平な法の裁きによるものではなく、習近平政権にどのくらい疎まれているか否か、という物差しで行われる。

 2015年8月に中国人民最高検察院名義で「八項目の禁令」(贅沢禁止など、共産党員の綱紀粛正命令)を発布した。このあと官僚、党員の自殺者が急増している。だが、綱紀粛正と官僚・党員の自殺者の急増には因果関係は証明されていない。なぜなら、公式には原因は「うつ病」だからだ。

 「ボイスオブアメリカ(VOA)」が、この件について、米国に拠点をおく華字メディア・米明鏡集団総裁の何蘋の興味深いコメントをとっている。

 「法医調査も何もないので、彼らが一体どのように亡くなったかは、我々にはわからない。一般に中国の官僚の死はみな、うつ病と処理される。うつ病で死ねば、死後に調査されず、メンツも失わないで済む。家に汚職で築いた財産があっても、うつ病では追及されない。…真相を隠蔽するのは中国共産党の一貫したやり方で、彼らの本当の死因を知る方法はない。いろいろな噂が流れるだけだ」

 多くの自殺者、あるいは交通事故など不審な死の中には、自殺もあるだろうし、ひょっとすれば謀殺もあるかもしれない。だが、その原因は「うつ病」「不幸な事故」の一言で済ませていいものではない。

知識人の死は、中国の死だ

 過去、知識人や官僚の間で大量自殺があったのは、文化大革命の迫害時代であった。習近平政権下では、文化大革命時代ほどあからさまではないにしろ、同じような“迫害”がひたひたと彼らに押し寄せているということではないだろうか。

 一党独裁体制の中国共産党が体制外の知識分子を国家扇動罪、国家分裂分罪のレッテルを張って迫害することは今に始まったことではないが、体制内の良心的知識人への迫害がここにきて急加速していると、私は感じている。これはゆゆしきことだ。体制外にも体制内にも、今の中国の行方を真剣に考え、道を過たぬよう世論を喚起する良心も知性も失われてしまうということだ。

 迫害に抵抗するものは失脚させられ、あるいは謀殺され、命を惜しむものは良心を失い惨状を見ないふりをして、物言わず、サボタージュを決め込む。抵抗するほど強くもなく、サボタージュするには責任感の強すぎる、善良な知性をもつ官僚や党員が死に追いやられる。

 肉体の死にしても、口と目を閉ざす魂の死にしても、知識人の死は、中国の死だ。彼らが死の急増に、中国は再び混乱と停滞の時代に突入するという予感がしてならない。

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