ケーデイスと元子爵鳥尾敬光氏の夫人鳥尾多江の不倫話を何かで読みました。占領軍の男に魅せられる女性の気持ちは分かりません。小生が男性だからかもしれませんが。クレオパトラもカエサルやアントニウスを手玉に取ったくらいですから。でも戦後、体は別にして魂を売った男性は沢山いまして、今でもその流れは変わらず、戦後利得者が跋扈している時代が続いています。鳥尾夫人だけが責められることはありません。
三島由紀夫の『豊饒の海・第三巻・暁の寺』には息子を戦争で亡くし、悲しみに打ちひしがれた夫人と若いドイツ文学者との不倫が出てきます。人間の性でしょうか。もっと言えば、岡倉天心も上司である九鬼隆一の夫人星崎波津子と不倫の話が出てきますから、男女の仲は洋の東西を問わず、時代を超えて、道徳だけでは縛れないという事でしょう。
そのケーデイスが日本に押し付けた憲法の作成過程が本記事に書かれています。ローマ帝国が第二次ポエニ戦争でカルタゴに押し付けたものと同じ発想です。日本には戦争させない、白人には逆らわせないということでしょう。ケーデイスが自衛権に相当する部分を入れたというのは鳥尾夫人への思いが日本への同情になったのかどうか。
今や白人に挑戦する黄色人種の中国人が出てきました。日本人のように叩き潰されるのかどうかですが。ただ、中国人は白人と同じく悪辣で金を崇拝する民族です。ただ遅れて来た帝国です。核を持ち、賄賂をスマートに送り、人口の多さを武器に入植させて領土を広げて行くやり方をします。日本を抑えるため中国を支援してきた米国は臍を噛んでいるでしょう。キッシンジャーがアメリカの道を誤らせた訳です。
反米政党・知識人が憲法擁護の論陣を張るのは憲法の出自から言っておかしいのでは。少なくとも改憲して彼らの理想とする案を出さなければ。その時に国民は判断するでしょう。彼らは中国共産党の手先で、日本を売り渡す先兵だという事を。平和主義の念仏の先には一党独裁の人権抑圧が待っているという事です。
改憲について与党も拙速になる必要もありませんが、放置することもありません。折角参院で2/3の議席を改憲勢力が頂戴したのだから整斉と進めるべきです。憲法審査会と同時に、公聴会を開いて国民に意見を聞いてはどうか。どうせ野党は審議拒否するでしょうから。岡田代表は憲法審査会の議論に参加するとかいっていますが分からないです。何せ「改憲勢力に2/3を取らせない」のが反日民進党の参院選の目標だったのに、彼は責任を取って辞めることもしませんので。中・日共産党と同じで平気で嘘が言えるタイプです。
記事
かつてGHQが入っていた東京・有楽町の旧第一生命館(出所:Wikimedia Commons)
今回の参議院選挙で、憲法改正を目指す勢力が全議席の3分の2以上を獲得し、改憲の発議の権利を得たことで、改めて憲法改正の是非が国政の場における主要な議題として浮かび上がってきた。
この憲法論議にあたっては、日本国憲法のそもそもの生い立ちを知ることが欠かせない。一体、誰が日本国憲法を作ったのかという正しい認識がこれからの議論には不可欠である。
だが、これまでの憲法論議では不思議なほどその出自が語られてこなかった。まるで故意にその点の議論を避けていると思わせるほどである。
日本側の草案を一蹴したGHQ
日本国憲法は、日本が連合国の占領下にあった1942(昭和21)年2月2日から10日ほどの間に、米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。
この米軍の将校団の統括責任者は連合国軍総司令部(GHQ)のコートニー・ホイットニー民政局長であり、実務の責任者はホイットニーの部下のチャールズ・ケーディス民政局次長だった。連合国軍といっても主体は米軍だったのだ。
実務責任者のケーディス氏は当時39歳。コーネル大学やハーバード大学で法律を学び、戦前からすでに弁護士として活動していた。1941年12月に米国が日本やドイツとの戦争に入ると、同氏は陸軍に入り、参謀本部で勤務した後、フランス戦線に赴いた。日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。
GHQは当初、日本側に新憲法の起草を命じた。命を受けた時の幣原喜重郎内閣は国務大臣の松本烝治にその起草を任せた。まもなく草案ができたが、GHQはそれを一蹴した。米国から見て内容が民主主義的とは言えないというのがその理由だった。
その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽決定した。そして、1946年2月、実務責任者にケーディス大佐が任じられたのである。
ケーディス氏の一存で9条を修正
私はそのケーディス氏に面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞いたことがある。1981年4月のことだ。面会の場所は、当時ケーディス氏が勤務していたニューヨーク・ウォール街の大手法律事務所だった。
当時75歳のケーディス氏は、私の質問に、時には用意した資料をみながら、なんでもためらわずに答えてくれた。インタビューは結局4時間近くに及んだ。
ケーディス氏の話を聞いて私が最も衝撃を受けたのは、日本国憲法が作られた過程の“異様さ”だった。なにしろ手続きがあまりに大ざっぱなのだ。また、日本側の事情や要望はまったく考慮されず、内容はまさに“押しつけ”そのものであった。
戦勝国が被占領国に受け入れさせた憲法なのだから仕方がないといえばそれまでである。だが、それにしてもなんと粗雑に作られた憲法なのかと驚かざるをえなかった。
ケーディス氏によれば、起草は、都内のいくつかの大学図書館から諸外国の憲法の内容を集めることから始まった。その時点で新憲法の内容について決まっていたのは、後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる黄色の用紙に殴り書きされた「天皇を保持する」「戦争を放棄する」「封建制度を廃止する」という3つの原則だけだった。
「私が書くことになった第9条の目的は、日本を永久に非武装にしておくことでした。上司からのノートでは、日本は自国の安全保障のためであっても戦争を放棄することとなっていました。しかし、その部分は私の一存で削りました。どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」
ケーディス氏は後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、同氏の判断だけでOKを与えたという。この修正案は9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。
憲法草案のこうした重要な部分は、事後に上司のホイットニー民政局長やマッカーサー元帥の承認を得てはいるが、事実上、ケーディス氏の判断だけで作り上げられたと言っても過言ではない。
日本が受け入れを拒否することはできなかった
私が聞いたケーディス氏の述懐の主要点をまとめると、以下のようになる。
・憲法草案の最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことだった。
・元々の草案では日本の自国防衛の権利も否定していたが、ケーディス氏の一存でその部分を削った。
・「天皇は日本国の象徴」という表現も米国政府の事前の指示にはなかった。ケーディス氏ら実務担当者が思いついた表現である。
・第9条の発案者はマッカーサー元帥か、幣原喜重郎首相か、天皇か、あるいは他の誰かなのか、ケーディス氏は知らない。
・米国は、日本政府が新憲法を受け入れない場合は憲法草案を国民投票にかけると告げた。だが、実際には日本側に受け入れを拒否する選択肢はないとみていた。
以上の点からも、日本国憲法が実質的に米軍によって書かれ押しつけられたことは明らかである。しかも日本を永久に非武装にして自国の防衛の能力や意思をも奪おうという意図が明確にあったのだ。
この歴史の真実は、これからの憲法論議でも当然言及され考慮に入れられるべきだろう。だが、護憲派は憲法の起源や由来を語ろうとしない。それは明らかに均衡を欠いた姿勢である。
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