3/19産経ニュース 石平『異例の?弁解?追い詰められる習近平主席』記事についてとチュニジア・バルドー博物館の写真

愈々習も追い込まれている感じです。上から下に至るまで賄賂を取らない中国人はいないので、虎・蠅叩きは政敵倒しの手段として使われているのは誰しも分かっている話です。叩かれている人間の数がこの政策を推し進める人間より多いのは勿論、糾弾される側も「アイツらだってやっているではないか」と思うのは必定です。

「経済」を借口(=口実)として習・王岐山の取締り強化を牽制する「指桑罵槐」のやり方です。江派と団派が手を握り出して動き出しているのかもしれません。三国志そのもので、強く出る者に対抗するために今までの敵とも手を握ります。

毛沢東も大躍進政策の失敗で失脚し、その後紅衛兵を動かして文化大革命を起こして権力奪回に成功しました。軍の経験のない習にそんな力技はできないでしょう。もうこの辺で虎・蠅叩きは手打ちになるのでは。

記事

今月6日、習近平国家主席は全国人民代表大会(全人代)において江西省代表団との座談会に臨んだ。座談会の中、代表の一人が「江西省の昨年の経済発展はすさまじい」と語ったところ、習主席は直ちに「だから反腐敗運動は経済の発展に影響することなく、むしろ経済の持続的発展を利する」と応じた。

翌日、「反腐敗は経済発展を妨げることはない」という習主席発言が新聞各紙に大きく報じられたが、座談会でのこの発言は実に異様なものであった。

反腐敗と経済発展との関連性を誰から聞かれたわけでもなく、反腐敗運動の主役である習主席が自らこう言い出したのは、いかにも自己弁護に聞こえるからである。

最高指導者の立場にある彼が地方からの代表団の前でこのような弁解をしなければならない理由は一体どこにあるのか。実は全人代が開幕した5日、関連があると思われる別の発言があった。

代表の一人で北京首都旅行 集団会長の段強氏はメディアの取材に対して、官官接待・官民接待の激減で北京市内60軒の五つ星ホテルが業績不振となったことを例に挙げ、反腐敗運動の展開は経済発展にマイナスの影響を与えた、との認識を示した。

翌日の習主席発言は、段氏の見解に対する「反論」とも捉えられる。国家主席の彼が一民間旅行会社の経営者に反論することは、まさに前代未聞の異常事態である。

その際、習主席にとってのけんか相手は決して段氏という一個人ではない。主席が強く意識しているのはやはり、段氏発言の背後にある反腐敗運動に対する 政権内の根強い反対意見と、それを政争に利用しようとする党内の反対勢力であろう。要するに、「経済の発展を妨げる」との理由で反腐敗運動への反発が党内で広がっているのである。

たとえば7日付の新京報という国内紙は別の角度から、「反腐敗運動」 の経済に対する悪影響を論じている。「官僚の不作為について」と題するこの記事は、一部の全人代代表への取材を基にして、中国の各地では今、反腐敗運動の中で身を 縮めている幹部たちが仕事へのやる気を失い、「不作為」的に日々を過ごしているありさまをリポートした。このような状況が各地方の経済発展に大きな支障を来しているとも論じている。

昨年7月10日掲載の本欄でも、反腐敗運動の中で幹部たちが仕事を集団的にボイコットする状況を報告したが、どうやら今になってもいっこうに変わって いない。共産党の幹部たちはそもそも、賄賂を取るために幹部になったようなものだ から、「腐敗」ができなくなると仕事への情熱を失うのは当然のこと。

5日の全人代で行われた李克強首相の「政府活動報告」でも幹部たちの「不作為」を取り上げて強く批判しているから、仕事をボイコットするような形で反腐敗運動に抵抗する幹部たちの動きがかなり広がっていると思われる。

そして党内の一部勢力が、顕著となった経済の減速をそれと関連づけて、経済衰退の責任を習主席の反腐敗運動になすり付けようとしていることも明らかだ。だからこそ、習主席は異例な弁解を行うこととなったのだが、一国の最高指導者が自己弁護を始めたこと自体、彼自身がかなり追いつめられていることの証拠でもあろう。

このようにして、反腐敗運動を急速に推進した結果、政権の手足となる幹部たちの「不作為」と抵抗が広がり、「経済への悪影響」を懸念する声とそれを理 由にした党内反発が強まってきているのは間違いない。

猪突(ちょとつ)猛進してきた習主席はまさに四面楚歌(そか)の状況であるが、民衆の期待が高まってきている腐敗摘発の手を緩めるわけにもいかない。主席の悩みは深まるばかりである。

【哀悼:チュニジアテロの被害者】

昨年9月に旅行した際に撮ったバルドー博物館の写真です。古い時代(カルタゴ、ローマ、アラブ)のモザイクが有名です。チュニジアは農業(オリ-ブ、棗、葡萄等)と観光で成り立っている国です。観光客が行かなくなると国の経済には大打撃です。

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台湾経験について

(1)バニラエアに成田で乗るときに言われてビックリしたことは「ポシエット」も荷物の一つとカウントされること。荷物二つしか許容されない格安

  航空とはいえそこまでとは思いませんでした。機内持ち込みの重量制限はシビアです。

(2)飛行機に乗って持ち込んだ「アサヒスーパードライ」は機内飲食禁止(持込不可)という事で、台湾内で飲みました。

(3)並ぶのに時間がかかる。阿里山→嘉義までのバスは当日朝8時から並ばないとダメとのこと。後ろに並んだ人と話したら北京人でした。

(4)新北投で泊まったホテルは外貨交換業務がなく、紹介された「中国信託銀行」へ行ったところ、「少額両替でも手数料が300台湾$かかるから郵便局

へ行った方が良い。手数料無料です。」と言われ行って両替しました。台湾人は総じて親切です。そこが大陸人との大きな違いかと。「いつも騙され

る」のではと思う人達と付き合い方は違います。

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西表島について-4

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マリユウドの滝

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カンビレーの滝

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カンビレーの滝

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ホテルでの演武

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ホテルでの食事の前菜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西表島について-3

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ホテルの正月飾り               ホテルのプライベートビーチ          人を怖がらないチュウサギ

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浦内川マングローブ              浦内川からの海側               キッチンイナバのオリオンビール

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キッチンイナバの魚カルパッチョ       キッチンイナバのガサミ汁           キッチンイナバの社長の三線

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西表島について-2

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リゾナーレ星野の朝食          レンタカー                由布島の水牛車

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由布島のパイナップル          星砂の浜                ホテルでハブ酒

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寿司 初枝 の刺身            ふぐの唐揚げ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西表島にいます-1

昨日より西表島に家族4人で来ております。1日がかりでした。宿泊先は星野リゾート リゾナーレ西表島です。

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上原港欠航のため大原港へ。そのハイビスカス  昨日夜の「巴里のごはんや」さんの酒の肴

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星野リゾート

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チュニジア旅行について(9/22~29)-6

現地6日めで最終日。チュニスのバルドー博物館の見学。こちらはモザイクの博物館。ローマ人、アラブ人のモザイクが展示。フェニキア人のモザイクはケルクアン遺跡にあり割と単純な模様。日本への帰りは行きと同じドーハ経由で戻りました。

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ケルクアン遺跡のモザイク                ローマ人のモザイク(キリスト教以前、悪魔祓い)              ローマ人(キリスト教以後、十字架あり)

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アラブ人のモザイク

 

 

 

 

 

 

チュニジア旅行について(9/22~29)-5

現地5日めはチュニスから15Kmのチュニジアンブルーの観光地シデイブサイド、カフェでミントテイを飲む。またお土産店では陶器を購入。シデイブサイドの傍のカルタゴを見学。今やカルタゴやガマルタは高級リゾート地でマンション等が建っている。ローマに滅ぼされたイメージはなし。下の博物館内のローマ時代の地図の丸い所はカルタゴ時代からの軍港。ローマ人はカルタゴに何も生育しないように塩をまいたのでフェニキア人のものは残っていない。カルタゴから130Km離れたドウッガの遺跡を見学。夕食はマールーフ(北アフリカ音楽とスペイン・アンダルシアから逃れたイスラム教徒の音楽の融合)の生演奏を聴きながらタジン料理をいただく。残念なことにここはアルコールは禁止で食事の楽しみが半減。

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シデイブサイドの土産店                シデイブサイドの通り               シデイブサイドのカフェ

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シデイブサイドのカフェ(内側)              シデイブサイドの通り               シデイブサイドの通り

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カルタゴ博物館                   博物館近くの旧カソリック教会             博物館内のローマ時代の地図

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ローマ人の住居                     ドウッガの円形闘技場             ドウッガの神殿

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夕食の場所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュニジア旅行について(9/22~29)-4

ISIS(イスラム国、イラク・シリアを母体)は3万人の兵士の内、1万人が外人部隊で、その中でチュニジア人が一番多いと大前研一のメルマガにありました。宗教的信念からというより、貧しさからリクルートされたのではという気がします。3日夕からケロアンに泊まりました。ホテルは“ラ・カスバ”で5つ星でしたが、外見は良いのですが、水の出が悪くトイレはごみ缶にスーパーの袋を敷いて水を貯め流しました。ケロアンはイスラム教にとって、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第四の聖地と言われています。アグラブ朝の貯水池は、9世紀アグラブ朝時代に造られた中世世界では最高技術のもの。現在4つ残されていますが、当時は14の貯水池があり、その頃深刻であった水不足を解消していたといいます。グランドモスクは礼拝堂の中には入れず、写真だけでした。シディ・サハブ霊廟はモハメッドの同志で聖者、アブ・ザマエル・ベラウィが眠る霊廟。7世紀に建立。その後ケルクアンへ行き、フェニキア人の遺跡がそのまま残っていることで有名。カルタゴの遺跡はローマ時代に再建されたものなので。

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ホテル“ラ・カスバ”外から            ホテル“ラ・カスバ”の部屋            スーク(市場)

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アグラブ朝の貯水池               グランドモスク中庭               グランドモスク礼拝堂

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シディ・サハブ霊廟                シディ・サハブ霊廟              ケルクアン遺跡

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ケルクアン遺跡