ホテルの正月飾り ホテルのプライベートビーチ 人を怖がらないチュウサギ
浦内川マングローブ 浦内川からの海側 キッチンイナバのオリオンビール
キッチンイナバの魚カルパッチョ キッチンイナバのガサミ汁 キッチンイナバの社長の三線
千葉県柏市在住
先週土曜と今週土曜にかけて、デジタルカメラの修正やフォトムービーの作り方を教わりました。チュニジア旅行の写真でフォトムービーを作りましたのでご覧ください。
現地5日めはチュニスから15Kmのチュニジアンブルーの観光地シデイブサイド、カフェでミントテイを飲む。またお土産店では陶器を購入。シデイブサイドの傍のカルタゴを見学。今やカルタゴやガマルタは高級リゾート地でマンション等が建っている。ローマに滅ぼされたイメージはなし。下の博物館内のローマ時代の地図の丸い所はカルタゴ時代からの軍港。ローマ人はカルタゴに何も生育しないように塩をまいたのでフェニキア人のものは残っていない。カルタゴから130Km離れたドウッガの遺跡を見学。夕食はマールーフ(北アフリカ音楽とスペイン・アンダルシアから逃れたイスラム教徒の音楽の融合)の生演奏を聴きながらタジン料理をいただく。残念なことにここはアルコールは禁止で食事の楽しみが半減。
シデイブサイドの土産店 シデイブサイドの通り シデイブサイドのカフェ
シデイブサイドのカフェ(内側) シデイブサイドの通り シデイブサイドの通り
カルタゴ博物館 博物館近くの旧カソリック教会 博物館内のローマ時代の地図
ローマ人の住居 ドウッガの円形闘技場 ドウッガの神殿
夕食の場所
ISIS(イスラム国、イラク・シリアを母体)は3万人の兵士の内、1万人が外人部隊で、その中でチュニジア人が一番多いと大前研一のメルマガにありました。宗教的信念からというより、貧しさからリクルートされたのではという気がします。3日夕からケロアンに泊まりました。ホテルは“ラ・カスバ”で5つ星でしたが、外見は良いのですが、水の出が悪くトイレはごみ缶にスーパーの袋を敷いて水を貯め流しました。ケロアンはイスラム教にとって、メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第四の聖地と言われています。アグラブ朝の貯水池は、9世紀アグラブ朝時代に造られた中世世界では最高技術のもの。現在4つ残されていますが、当時は14の貯水池があり、その頃深刻であった水不足を解消していたといいます。グランドモスクは礼拝堂の中には入れず、写真だけでした。シディ・サハブ霊廟はモハメッドの同志で聖者、アブ・ザマエル・ベラウィが眠る霊廟。7世紀に建立。その後ケルクアンへ行き、フェニキア人の遺跡がそのまま残っていることで有名。カルタゴの遺跡はローマ時代に再建されたものなので。
ホテル“ラ・カスバ”外から ホテル“ラ・カスバ”の部屋 スーク(市場)
アグラブ朝の貯水池 グランドモスク中庭 グランドモスク礼拝堂
シディ・サハブ霊廟 シディ・サハブ霊廟 ケルクアン遺跡
ケルクアン遺跡
チュニジアの地図(2デイナール=120円くらい)をハンデイスキャナーで取り込みました。都市名はこれで確認ください。2日夕からドウーズに入り、ホテルからの日の入りを見たら赤くならず白かった。3日目にはサハラ(現地語で砂漠の意味)砂漠からの日の出を撮影。また太陽が赤くならず白かったのが印象的。サハラ砂漠は砂砂漠より土砂漠が多いとのこと。2日夕に、中学を出て働いている男子と会話。2人の弟も一緒であったが。家族は祖父母も入れて9人とのこと。「アメリカは嫌いだ」というので理由を尋ねると「アメリカはモスリムを殺すから」との返事。ガイドさんも「欧米人はルールを守らない野蛮人、文化財も盗んでいく泥棒」との話もありました。イスラム教徒は欧米人を嫌っているのが良く分かりました。泊まったホテルの「エルムラデイドウーズ」ではJICAの会議が開かれていました。ガイドさんもJICAの支援で日本に来て、親日家になっています。反日国に支援するならもっと支援すべき国はあるだろうと思いました。その後、エルジェムの円形闘技場を見学。ここはローマのものより保存状況が良いとのこと。(勿論ローマ治世時代のもの)
砂漠の日の出 ホテルのJICAの会議の垂れ幕 円形闘技場外側
円形闘技場内側
チュニジアの写真を多目に何日かに亘り、チュニジアの説明をします。人口1000万人、その内首都チュニスが1/10の100万人住んでいるとのこと。イスラム教でありますが、トルコと同じ世俗国家です。女性のスカーフも自由、ただ砂漠で砂が巻き上がるためスカーフをしているとのこと。1夫1婦と法律で定められています。国防予算はGDPの5%、資源のない国だから攻めてくる国もなし。日本は国会で1%を超えるかどうかで揉めますが、脅威の存在しない国ですらこの程度は負担しています。日本はおかしいと感じました。チュニジアはGDPの25%を教育に注ぎ込んでいるとのこと。授業料はただ、大学に入ればお金も貰えるとのことです。ただ、道徳教育がうまく行ってないとガイドさんが言ってました。(チュニジア時間で適当な性格らしいです。農業国でオリ-ブ、アーモンド、棗が取れますのでノンビリ生きている感じです。地中海に面し、雨がそんなに降りませんのでどこの町も埃っぽいです。車の上にも埃がいっぱい。チュニジアは石油が殆ど取れないので車はチュニジアNo(黒地に白字)が圧倒的に多かったです。
初日はチュニスに到着。チュニスの写真を並べます。
グランドモスク外側から 旧市街の病院 モスクの放送塔
ホテルでの夕景