中国社会は如何に悪が蔓延っているかという記事です。法治国家を装っているだけで、その実、人治国家だというのが本記事からも窺えます。習近平が法治国家を目指すというのは「法に依り政敵を倒す」意味しかありません。それはそうです。賄賂で如何様にでもなるし、ネポテイズムの社会ですから、正義の実現には程遠い世界です。
多くの中国人には絶望しかない世界でしょう。一部の人間が権力と富を握り、恣に人民を抑圧するのですから。絶望から、自救行為に走ったとしても、相手が横暴な権力者であれば仕方がないように見えます。法が個人の権利を守ってくれない以上、「報復」ではなくて「正当防衛」になるのでは。
そもそもで言えば、生産手段の個人所有を認めない共産主義が本事件を引き起こしたと見るべきです。共産党幹部が土地を勝手に召し上げ、自分の懐を潤すことしか考えなければ、庶民の怒りに触れるでしょう。毛沢東は小作農を騙して、地主や知識階級を虐殺するよう仕向けました。今その咎めが出ているという事です。「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」という価値観で言えば毛沢東は天才としか言いようがないでしょう。偉大な「腹黒王」を天安門に掲げているのですから、中国人の本性が分かるというものです。
まあ、少しは中国社会も変わりつつあるのかと思います。以前は、死刑が確定すれば即日執行だったのですが。しかも、新聞報道やネットで助命嘆願されるというのは時代の変化を表しています。ただ、個人の権利より、共産党支配の秩序を重んじる為政者は、死刑確定判決・最高人民法院の死刑執行許可を出した以上、覆すことはしないでしょう。せいぜい、執行を無期延期するのができるくらいのことで、ほとぼりが冷めた頃、死刑執行して、家族には執行後に通知するだけで終わるのでは。
日本と言う国に生まれて良かった幸せを噛みしめないと。暴虐国家・中国が日本を侵略しようと狙っています。日本共産党や社民党、極左暴力集団の中核派や革マル派、蓮舫に代表される反日民進党の一部はその手先と見て良いのでは。日本国民がしっかりしないと中国の侵略を許すことになります。民主主義国家は中国のような独裁国家と違い、国民の代表を選挙で選ぶシステムです。選挙の時に、政党や個人の信念を吟味して選ばないと国民に不幸を齎すことになります。我々ができるのは、偏向新聞は購読しない、偏向TV番組は見ない、ネットで多面的な情報を取る、選挙で日本を愛する政治家を選ぶことです。くれぐれも「甘い言葉」に騙されないように。彼らの価値観は中国人と一緒ですので。
記事
2008年7月1日の午前9時40分頃、北京市出身の失業者“楊佳”(当時28歳)が上海市公安局の“閘北(こうほく)分局”を単独で襲撃して、警官6人を殺害、警官5人と保安係1人に重軽傷を負わせるという大事件が発生した。この後に“楊佳襲警案(楊佳警察襲撃事件)”と呼ばれた事件は、閘北分局傘下の“芷江西路(しこうせいろ)派出所”の警官が登録証の貼っていない自転車に乗っていた楊佳を職務質問したところ、楊佳が身分証の提示を拒み、自転車の出所に関する質問に答えなかったことから、芷江西路派出所へ連行したことに端を発する。
警官殺傷に喝采も
芷江西路派出所に連行された楊佳は、取り調べの警官に協力しようとせず、警官と言い争いになった。このため、警官は楊佳に対して過酷な取調べを行ったようだが、最後には楊佳の身元が判明し、自転車は借り物であることが証明されたことで、楊佳は釈放された。その後、北京市へ戻った楊佳は閘北分局へ訴状を送り、芷江西路派出所の警官に不当な取調べを受けたとして、当該警官の解雇と精神的慰謝料の支払いを要求したが、閘北分局は取調べに違法性はないとして、これを拒否した。
この対応を不満として楊佳は6月12日に上海市入りし、閘北分局近くの旅館に宿泊して下見を行い、出刃包丁や催涙ガスなどを買いそろえて準備を整え、7月1日に閘北分局襲撃を決行したのだった。午前9時40分頃、防毒マスクをかぶった楊佳は、閘北分局の正門に7本の火炎瓶を投げ込んで混乱を巻き起こした隙に、出刃包丁を手にして分局内に侵入し、警官を手あたり次第に切りつけて殺傷した後に、指導幹部を殺傷しようと分局ビルの21階まで上ったところで逮捕された。
“故意殺人罪”で立件された楊佳に対する裁判は、9月1日に“上海市第二中級人民法院(地方裁判所)”で開廷された一審で死刑判決が下されたが、これを不服とする楊佳は控訴した。9月12日に“上海市高級人民法院(高等裁判所)”で開廷された二審は、10月20日に控訴棄却の判決が下されて、楊佳の死刑が確定した。その後、“最高人民法院(最高裁判所)”から上海市高級人民法院の死刑判決に対する承認が下り、11月26日午前中に楊佳に対し薬物注射による死刑が執行された。
日頃から警察官の横暴さに憤りを感じている庶民たちの中には、楊佳による警察襲撃事件の発生に喝采を叫ぶ者も多数いた。彼らは楊佳をあたかも英雄であるかの如く祭り上げ、北京市“石景山区”に所在する“福田公墓(共同墓地)”にある楊佳の墓には密かに花を手向ける人が後を絶たないと言われている。
さて、前書きが長くなったが、本題に入る。第二の楊佳と呼ばれる“賈敬龍”という人物がいる。その賈敬龍に対して、2016年8月31日に二審の“河北省高級人民法院”は死刑判決を下し、10月18日に最高人民法院が死刑判決を承認したが、多数の知識人がこれに異議を唱え、最高人民法院に対して死刑の撤回を求めて署名活動を展開している。その詳細は以下の通り。
新婚新居を襲撃、取り壊し
【1】賈敬龍は河北省“石家荘市”の“長安区”に属する“北高営村”の農家の若者である。2013年の年初に相思相愛で4年間付き合った恋人が賈敬龍の求婚を受け入れてくれ、2人は5月25日に結婚することを決めた。喜び勇んだ賈敬龍は、自宅を新婚住宅に改装しようと、自力で工事を始め、あちこちに建築材料を買いに走り、連日のように夜遅くまで働いた。そうして新婚住宅への改装が完成すると、賈敬龍はコツコツ貯め込んだ1元硬貨を使って「“我愛我家(私は我が家を愛する)”」という文字を書き、それを額に入れて部屋の壁に掲げた。賈敬龍はそれほどに新婚住宅の出来栄えに満足し、恋人との結婚の日を待ち望んでいた。
【2】1979年、賈敬龍の父親は北高営村から宅地の配分を受けて自宅を建設したが、2007年に自宅を3階建てに改築した。ところが、それから5年後の2012年1月に父親は村の集合住宅の中にある3DKの部屋を購入し、そこへ賈敬龍の両親と姉が移り住んだ。その後、祖母がその部屋に同居することになり、両親、姉、祖母が各々1部屋を使うことになった。一方、賈敬龍は3階建ての家に残留していたから、彼が新婚住宅に改装したのは3階建ての家だった。
【3】2013年2月27日、中国共産党北高営村支部書記で村民委員会主任の“何建華”が組織した取り壊し部隊が賈敬龍の住む3階建ての家に突然押しかけ、家を取り壊そうとした。これに驚いた賈敬龍は警察に通報し、取り壊しには断固応じない姿勢を示したので、彼らは諦めて帰って行った。ところが、5月6日の早朝、何台のも黒色の乗用車に分乗した一団が賈敬龍の家を取り囲むと、家に向けて一斉にレンガを投げつけて去っていた。何かが起こりそうな気配に賈敬龍が家の周辺を監視していると、翌7日の午後5時頃に、何建華の指示を受けた取り壊し部隊20人以上が敬龍の家に再び押しかけて来た。この日は結婚式まで18日、賈敬龍の27歳の誕生日まで6日に迫っていた。
【4】彼らは家の前にクローラー式油圧ショベル1台を持ち込むと、問答無用とばかりに賈敬龍が改装した新婚住宅を強引に取り壊しにかかった。賈敬龍が制止しようとしても、彼らは一切聞く耳を持たず、手あたり次第に破壊するだけで、それは正に暴徒による乱暴狼藉としか言いようがなかった。賈敬龍は2階で暴徒が上ってくるのを懸命に阻止していたが、父親が彼らに取り押さえられ、親戚の人々が殴打されるのを見ると、2階から下りざるを得なかった。すると、暴徒たちは賈敬龍を地面に押し倒して殴る蹴るの暴行を加えたから、賈敬龍は頭部に打撃を受けて流血した。そうこうするうちに、賈敬龍の姉が警察に通報し、警官が現場へ急行したが、なぜか賈敬龍は“高営派出所”へ連行され、8日の午前3時過ぎまで取調べを受けて調書を取られた。ようやく帰宅を許された時には、家はすでに全て取り壊さて廃墟と化し、汗水たらして改装した新婚住宅も、準備した新婚の調度品も全て廃墟の下に埋もれていた。
【5】家が取り壊された2か月後、恋人は彼女の両親から諭されて賈敬龍と別れた。家を取り壊された上に、恋人との結婚もダメになり、賈敬龍は失意のどん底に陥った。絶望の中で、賈敬龍は北高営村を管轄する長安区の“検察院”と“信報局(陳情局)”に告発状を何度も送付したが、なしのつぶてだった。家取り壊しの黒幕である何建華を訪ねて立ち退き補償を要求したが、無視された。家を破壊され、補償もなく、恋人も失い、結婚の夢も消失した。全ての夢と希望を打ち壊された賈敬龍に考えられるのは、北高営村で思いのままに権力を振るう何建華に対する報復しかなかった。
くぎ打ち機で報復
【6】賈敬龍の家が取り壊されたのは、2009年11月に北高営村の村民委員会で決議された「旧村改造計画」によるものだった。賈敬龍の父親は2010年11月に祖母が受けている社会保険を停止すると脅されて、家の立ち退き協議書に署名させられていた。この協議書は村民委員会の意向に沿って書かれた違法な内容で、立ち退き側である父親を利するところが何もない代物であったが、そこには村の共同住宅の1室を売り渡す代わりに、2013年2月20日までに旧宅(3階建ての家)を引き渡す旨の項目が含まれていた。賈敬龍がこの協議書の存在を知っていたかどうかは定かではないが、たとえ知っていたとしても彼は協議書を無視したと思われる。一方、村党支部書記で村民委員会主任として北高営村を牛耳る何建華は、賈敬龍の父親からサインを取り付けた協議書を盾に、合法と称して賈敬龍の家を強制的に取り壊したのであり、引き渡し期限を過ぎた2013年2月27日に旧宅の取り壊し作業を行おうとしたのだった。
【7】賈敬龍は何建華に報復する機会を探った。家が取り壊されてから1年半以上の月日が経過した2015年の“春節(旧正月)”に機会は巡って来た。北高営村では春節には毎年恒例の春節祝賀会を開催するが、何建華は北高営村の最高権力者として必ず出席する。2015年の春節祝賀会の当日、賈敬龍は村民たちに紛れて祝賀会の会場に入った。彼は密かに何建華の後ろに近付くと、隠し持っていた改造したくぎ打ち機で何建華の後頭部を撃って死亡させた。報復を果たした賈敬龍は自首しようと、自分の車で会場に近い“長豊派出所”への道を急いだが、追い掛けて来た何建華の親族に捕まり、殴る蹴るの暴行を受けた後に、長豊派出所の警官に引き渡されて逮捕された。
【8】賈敬龍は“故意殺人罪”で起訴された。賈敬龍の裁判は、2015年11月24日に“石家荘市中級人民法院”で一審判決が下され、賈敬龍に対し故意殺人罪により死刑、政治的権利の終身剥奪が言い渡された。これを不服とした賈敬龍は“河北省高級人民法院”へ控訴したが、2016年5月17日に河北省高級人民法院が下した二審判決は、「控訴棄却、原判決維持」であった。こうして、賈敬龍の死刑判決は確定した。河北省高級人民法院は8月31日付で最高人民法院宛てに賈敬龍に対する死刑判決の承認を求める文書を提出した。これを受けた最高人民法院は、10月18日付で賈敬龍に対する死刑判決を承認した。この結果、賈敬龍の死刑執行はいつでも可能となった。死刑は最高人民法院の承認が出てから数日中に執行されるのが通例である。
死刑執行の停止を求める
【9】一審、二審を通じて賈敬龍の弁護団は、種々の論点から刑の軽減を求めたが、石家荘中級人民法院も河北省高級人民法院も弁護団が提起した意見を一顧だにせず、検察側の意見を全面的に採用して死刑判決を下したのだった。論点の概要は以下の通り。
(1)殺害された何建華は2度の刑罰を受けた前科者であり、服役後に北高営村党支部書記、村民委員会主任になった人物である。権力を笠に着て、男を騙し、女に手を出すなどして村民たちを苦しめており、かつて人妻にちょっかいを出して、その夫に十数カ所も切られたこともあった。そんな人物だから、ならず者を組織して賈敬龍の家の違法な取り壊しを命じたのは何建華と考えられる。
(2)賈敬龍の父親が脅迫されて署名した「家の立ち退き協議書」は内容から判断して違法であり、それを根拠に家を強制的に取り壊したことは犯罪行為である。その結果として、家を失い、恋人を失い、結婚を逃した賈敬龍は、精神的に追い詰められて犯行に及んだものである。その境遇には同情すべきものがあると判断するので、情状を酌量し、法の公平の観点から刑の軽減を要請する。
(3)何建華の襲撃後、賈敬龍は自首するために車で長豊派出所へ向かっていた。ところが、何建華の親族に捕まったため、自首することができなかった。彼が逃亡する積りだったならば、別の方向へ車を走らせたはずで、自首する意向であったことは明白である。
【10】10月21日、賈敬龍の姉の“賈敬媛”は、最高人民法院ならびに河北省高級人民法院に宛てて「賈敬龍故意殺人事件死刑執行停止申請書」を提出し、改めて賈敬龍の弁護団が裁判で述べた意見を提起して賈敬龍に対する死刑執行の停止を求めたのだった。
事件の経緯が長くなったが、10月18日に最高人民法院が賈敬龍に対する死刑判決を承認したことは、賈敬龍の弁護団からメディアに伝えられた。賈敬龍に同情的なメディアが賈敬龍の死刑執行が近いことを報じると、世論は賈敬龍に対する死刑判決の是非を巡って大きな盛り上がりを見せ、多数の法学者や弁護士がネット上で賈敬龍の死刑執行停止を求める嘆願書の署名運動を展開した。嘆願書の内容は以下の通り。
賈敬龍は罪がないのに大きく傷つけられたことにより殺人に及んだものであり、自首する積りであったし、罪のない者を傷つけてはいません。社会の矛盾がますます激しくなっている今日、賈敬龍の一命を留め、怒れる者たちに罪のない者を傷つけないことを覚えさせ、我慢できない者たちには自首する道を残すべきです。 我々は最高人民法院に賈敬龍に対する死刑判決の承認を撤回するよう強く要求します。 添付は友人ならびにネットで賛同した人々の署名です。
「殺すべきではない」89%
本稿を執筆している10月24日の時点では、賈敬龍の死刑が執行された形跡はないが、最高人民法院が一度は承認した死刑判決を覆すことはあるのだろうか。中国のニュースサイトが実施した「賈敬龍の死刑執行」に関する三択アンケート調査の結果は、(A)の「殺せ。さもないと、さらに多くの役人の殺害が誘発されるし、誰も立ち退きの仕事をやらなくなる」を選択したのはわずか3%に過ぎなかった。(B)の「殺すべきでない。さもないと、さらに多くの法律を信じず、武器を信じる人々が類似の犯行に走る可能性がある」を選択したのは89%、(C)の「判断が難しく、分からない」は6%で、圧倒的多数が(B)を選択した。
以上から分かるように、賈敬龍を第二の楊佳と呼ぶのは、賈敬龍に対して気の毒だと思うが、両者に共通するのは職権を笠に着て横暴を極める権力者に報復したことだろう。楊佳は警官6人を殺害したから死刑は当然だと思うが、賈敬龍は前科2犯の悪質な村役人を1人殺害したに過ぎない。内蒙古自治区“公安庁長(警察庁長官)”の“趙黎平”は、2015年3月に37歳も歳下の情婦を拳銃で射殺した故意殺人罪、銃器不法所持罪などで起訴されたが、2016年6月に行われた秘密裁判で下された判決は“死緩(死刑執行猶予)”であったと言われている。中国ではこの類の「官僚に甘く、庶民に厳しい」判決が下される例は枚挙にいとまがないが、中国共産党中央委員会総書記の“習近平”が標榜する法治国家を目指すのであれば、少なくとも法は万民に平等かつ公平でなければならないはずである。
殺害された何建華のように村党委員会書記兼村民委員会主任として村を私物化し、私腹を肥やす村役人は、全国各地にはびこっている。それにしても前科2犯の人間がどうやって村役人のトップになれたのだろうか。それはともかく、賈敬龍の死刑執行が停止され、死刑判決が見直されることを期待するものである。
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