4/30阿波羅新聞網<严厉警告!美国:不容忍盟友与华为的任何5G合作=厳重警告! 米国:同盟国がファーウェイと5Gで協力するのは許さない>米国国務省・サイバー国際情報通信政策副部長のRobert Strayerは、4/29(月)に「ワシントンは5Gネットワークのコア部分と非コア部分の区別はないと思っている。華為の製造機器を使用する同盟国と米国が情報共用するのは見直しする」と声明を発表した。
これはファイブアイズの英国向けでしょう。メイ首相が非核心部分の設備には華為を使うと言ったのを牽制したものと思われます。
https://www.aboluowang.com/2019/0430/1282325.html
4/30阿波羅新聞網<“牌都在我们手上” 贸易谈判川普让北京抓狂 亏损创双高 中国股市步入回调?=”手札は全部我々の手にある“ 貿易交渉でトランプは北京をキレさせる 株式は数量ともに損失の記録を創る 中国の株式市場は調整局面に入ったのか?>目下、米中貿易交渉は決定的な段階に入っている。先日トランプは政治集会で、”手札は全部我々の手にある。北京と合意には至らないだろう。我々には良いことだ“と語った。 米学者謝田は「トランプの貿易交渉団は巧妙に中共をキレさせ、中共の先天的な自信のなさは米国人の頭一つ及ばない」と分析した。4/29(月)に、中国のA株は最悪の年次報告書開示シーズンを迎えた。年次報告書はまだ開示されていないが、損失を出している株数と損失の金額は過去最高を記録した。 バンクオブアメリカ・メリルリンチの分析レポートは、A株が短期の調整期に入ったと。
“我々は合意を急がない。急いでいるのは中国だ。米国有利でなければ合意しない”とトランプは言っています。このままずっと引き延ばした方が良い。
https://www.aboluowang.com/2019/0430/1282600.html
4/30阿波羅新聞網<双管齐下!三四线城市的房价这下要猛踩急刹车了=二つが同時に襲ってくる! 三、四線クラスの都市の不動産価格は下がり続け急ブレーキとなる>最近、財政部が文書を発表した。各地の2019年の家屋改造の見込みが正式に発表された。2019年の家屋改造目標は約285万戸で、以前の予想の450万戸よりはるかに低く、2018年の626万と比べ今年は341万戸も減っている。全体的に腰折れは紛れもない事実となっている。
不動産バブルが弾け出している傍証でしょう。
https://www.aboluowang.com/2019/0430/1282515.html
姫田氏の記事で感じたのは、環境保護に熱心と言っても心からではありません。役人が習の反腐敗で環境法違反のお目こぼしの賄賂をとりにくくなったためでしょう。3/5全人代で李克強が環境保護について企業の責任を強調し、4/29花博で習近平が同じように環境保護を重視していく姿勢を見せた演説をしたのも影響していると思います。共産主義社会では上の言ったことを忖度して動かないと粛清される可能性もありますので。
中国が日本を再度モデルとし出したと言って喜んではいられません。「失われた20年」は経済だけでなく日本人のモラルも奪ってしまいました。官財に起きた不祥事は目も当てられません。リーダーになるべき人間がリーダーにならず、そう言った人物が自分に似た人物を選んでリーダーとする訳ですから縮小再生産がずっと続きます。令和と言う新しい時代を迎えるのに、上の方の改善意欲と言うのが見えないのが残念です。
中国人には共産主義者の奴隷になるのを止めた方が良いと言いたい。少しは自分の頭で考えたら。上の言っていることを鸚鵡返しに唱えるのではなく。まあ、日本人もマスメデイアの言うことを鸚鵡返しに言うだけの人が沢山いますので、余り言えないかもしれませんが。
記事
中国の企業経営者たちの日本を見る目が変わった。筆者は最近そんな変化を強く感じている。
昨年(2018年)末から今年にかけて、中国のネット上では「日本の経験から学ぼう」といった記事や書き込みを目にすることが増えた。また、複数の経営者からも「日本を真剣に研究したい」と聞いた。
こんな話もある。先日、中国の友人が筆者に電話をかけてきて、ある質問をした。その内容はこれまで受けたことがない珍しいものだった。友人は、日本の省エネ法(「エネルギーの使用の合理化等に関する法律」)の一部について「これをどう中国語に訳したらいいか」と尋ねてきたのである。具体的には、<工場等であってもっぱら事務所その他これらに類する用途に供する工場等における判断の基準>という文章の中国語訳を知りたいとのことだった。
その文章は日本人の筆者からしても難解である。残念ながら私には分からないと答え、お詫びした。
それにしても、なぜ彼はこんな難解な法律用語の翻訳に取り組んでいるのだろう。尋ねてみるとこう答えた。
「中国では近年、工場の環境対策が進んでおり、管理の徹底が求められるようになりました。それに伴い『日本を手本にしたい』という工場が増えています。私の顧客からもそういう要望が寄せられたので、日本の法律を翻訳することになったのです」
そしてその友人は、「中国の経営者は、今までとは違う眼差しで日本を見るようになっています」と付け加えた。
空白期間ができた「日本に学べ」
「借鑑」(jiejian)という言葉がある。「手本にする」という意味の中国語だ。改革開放路線以降の中国は、政府や研究機関を中心に外国の先進事例を熱心に「借鑑」し、実践するための試行錯誤を繰り返してきた。民営企業も外国企業を手本に発展の道を模索した。
2000年代前半には日本企業が脚光を浴び、日本モデルに学ぼうという機運が高まった。だがその後、空白期間が到来する。2000年代後半から中国経済は右肩上がりで成長し、2010年に中国のGDPは日本を抜いて世界2位の経済大国となった。多くの中国人は長引く日本経済の低迷を見て、「日本はバブル崩壊後、衰退の道を歩んでいる」「中国はもはや日本を超えた」と自信を強めるようになったのだ。また各国が競うように中国に投資したことで、日本は数あるパートナーの1つになってしまった。
学術研究の世界でもそうした傾向が強まった。2012年に起こった反日デモをきっかけに、学者や研究者の間で「日本をテーマにした論文は書きづらい」「書いたところで珍重されない」といったムードが強まった。事例研究の対象は米欧や台湾、シンガポールなどが中心であり、日本研究はマイナーとされる時期もあった。メディアの論調も対日強硬論が幅を利かせ、「日本を手本に」などとはとても言い出せる雰囲気ではなかった。
中国で読み継がれる訪日視察報告書
そんな空気が、昨年来の日中間の関係改善で氷解したようだ。
中国では今年1月、国務院研究室綜合局の劉応杰局長が執筆した訪日視察報告書の文章がチャットアプリ「微信」(ウィーチャット)で拡散され、注目を集めた。
原文のタイトルは「深刻認識中国与日本発展的差距――赴日考察報告」(中国と日本の発展の差を深く認識する――訪日視察報告)。いつ書かれたのか正確には不明だが、2013年に書かれたとする説が有力だ。6年前の報告が今なお読み継がれていることに驚きを覚えるが、中国が逆境に立たされている今だからこそ反響を呼んでいるのだろう。
報告書は「中国はGDPで日本を抜き、世界第2位の経済大国になったという表象だけでは評価できない」という一文で始まる。内容の一部を要約してみよう。
「バブル崩壊後、失われた20年を経験したとはいえ、現在の日本は文明の高度な発展段階に入っている。日本経済は工業、金融、技術の3つで突出しており、日本ブランドは品質をクリアするどころか、安心安全の代名詞にもなっている。当然ニセモノもない。
日本は自動車工業が発達し、世帯当たりの所有台数も多い。都市部では鉄道網が発達しており、政府高官でさえ地下鉄で出勤する。そのインフラ設備は規格、建設、運営、管理のどれをとっても輸出競争力を持っている。
国民は環境意識が高く、自然環境を重視する。都会の繁華街にすら緑があり、衛生面ではゴミの分別が大変厳しく行われる。個人は節約志向で、国家全体が省エネ国家になっているといえる。
人も車も交通ルールを守り、社会は秩序が保たれている。都市部の路上でも警察官は少ない。犯罪が少ない国家として知られ、各家庭には(中国では普通に設置されている)防犯扉がない。給与格差も大きいものではなく、正規の給与以外の『灰色収入』もない。日本国民は個人所得税と相続税の納付を厳格に実行している・・・」
この文章がよく読まれている背景には、中国の多くの人々が日本を旅行し、具体的にイメージしやすくなったということもあるだろう。人々は訪日旅行で感じたことをこの文章で再確認しているのかもしれない。
経済の停滞は人を冷静にさせる
中国の人々が今この報告に関心を向ける理由は、それだけではない。中国経済が大きく落ち込んでいることも大きな理由だ。苦境から這い上がるための“モデル探し”が始まっており、再び日本に注目が集まっているのである。
しかし筆者には、中国には日本の表面的な模倣に終わってほしくないという思いがある。
冒頭で、中国の経営者が日本企業の環境対策を学びたがっているという話を紹介した。今でこそ日本は中国が手本とするような環境・省エネ立国になったが、それは企業による必死の研究努力があったからである。1960年代以降、公害に対する市民運動が盛り上がり、環境規制が強まった。その中で日本の企業が行ったのは、不可能に挑戦する技術革新だった。
中国人は、日本は社会システムが安定しており格差も少ないと考えているが、それも日本が長い年月と紆余曲折を経て課税制度や社会保障制度を整えてきたからである。
決して「日本モデルが優れている」と自惚れるつもりはないが、もしも日本が「高度な発展段階」に入ったとするなら、それは、国民が“痛み”を分かち合って富を再分配する、バランスのとれた社会を、政府や自治体が作り上げてきたからであろう(もちろん、完全な理想形とはいえないが)。
市民が権利意識に目覚めた中国は、環境規制強化の只中にある。それはかつての日本の姿と重なる。経済成長が鈍化した状況も、バブル崩壊後の日本のようだ。もちろん富の再分配も喫緊の課題である。
日本の過去を思い起こせば、経済の停滞は、人々を冷静にさせ、自らを振り返させ、再度奮起するモチベーションを与えることになった。社会全体で痛みを分かち合う、そんな新時代の中国を期待したいものだ。
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