『中国の名門大学を騒がせたセクハラ告発運動 「加害者」は国家が認定したトップレベルの学者2人』(4/20日経ビジネスオンライン 北村豊)について

4/20看中国<中国女子伪造日本护照 冒充日本人赴英被逮捕(图)=中国女性は日本の偽造パスポートを使い、(スペイン・グラナダ空港から)英国に向おうとしていたが逮捕>①逮捕の理由・・・日本のパスポートの偽造防止の仕組みに適合せず。また日本語を聞き取れないし、話せない②何故日本のパスポートか・・・英米に渡るのに日本のパスポートの方が便利。特に航空券を買う場面で。中国のパスポートではこうはいかない。③どこで偽パスポートが作られているかは記載なし。④スペインは非合法移民の集積地。蛇頭(中国マフィア)が4、5万ユーロを取って英国とか米国に送り込み、労働或は売春をさせる

https://www.secretchina.com/news/gb/2018/04/19/856188.html

北村氏記事は洋の東西を問わず男は権力を利用して、女を手籠め(古いかな?今の若い人には死語かも)する輩はいるという事です。中にはウエンデイデンや陳香梅のような女性もいますが。セクハラはパワハラの一種でしょう。役を与えるからとかポストを与えるから、試験の点数を上げてやるとかを餌に女性の体を食い物にする卑劣なやり方です。精神が退化しています。

日本でも、福田財務次官のケースが挙げられていますが、普通に考えれば何故うら若き女性を一人で男性と酒席を共にさせるのかが分かりません。会社が枕営業を陰で支援していると思われても仕方がないのでは。一対一でなく、ほかの記者も交えて会わせるべきでしょう。「それでは特ダネが取れない」というのであれば、「特ダネ」とは何ぞやとなります。他社が知り得ない秘密を洩らしたとなれば、公務員の機密漏洩罪に該当するでしょう。出世をかけて争っているキャリア組がそんな危ない橋を渡るとは到底思えません。男性役人にいいように利用されて捨てられるのがオチでは。

米山新潟県知事の辞任はセクハラとは関係なく買春問題だそうで。まあ、典型的な左翼で小生は嫌いだったので辞任しても何とも思いませんが。ただ、セクハラよりはこちらの方が権力を利用していないという点でまだいいかと思っています。実定法上の問題とは切り離して。

セクハラで言えば都知事選に出た鳥越俊太郎を思い出します。被害女性が泣き寝入りさせられてしまった感じでしたね。左翼メデイアは大きく取り上げなく、週刊誌だけの報道だけだったと思います。セクハラではなく、買春での前川喜平の時も大きく報道せず、あまつさえ講師としていろんなところから声がかかるというのですから日本社会の狂い度と言うのが分かろうと言うもの。

北村氏の記事は北京大学と北京航空航天大学の2校の例が挙がっていますが、もっと多いでしょう。中国では学界に限らず、いろんなところで権銭(色)交易が行われているので。日本の場合は、賄賂を取る習慣はないので、中国よりははるかにマシでしょうが、日本の学界は左翼が多いので乱れているのでは。70年安保の全学連の闘争時には男女関係は乱れていたという話は聞いたことがあります。

記事

セクハラ告発が教授の辞任に発展した中国の名門・南京大学
(写真:Imaginechina/アフロ)

2017年10月に米国女優のアリッサ・ミラノ(Alyssa Milano)がSNSの“Twitter(ツイッター)”を通じて、性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント、略称:セクハラ)や性的暴行を受けたことのある女性たちに向けて“#Me Too(私も)”と声を上げようと呼びかけたのに端を発した“Me Too Movement”(以下「セクハラ告発運動」)は、今なお世界中で波紋を広げている。

欧米諸国ではセクハラ告発運動が社会から認知される形で大きなうねりとなって男女格差の是正を加速しており、日本でも財務次官がセクハラ発言疑惑で辞任した。また、韓国でも女性による政治家や映画監督、俳優などに対するセクハラ告発が相次ぎ、俳優が自殺したり、知事や国会議員が辞任したりして、日本よりもさらに激しくセクハラ告発運動が盛り上がりを見せている。世界経済フォーラムが発表した2017年版ジェンダー・ギャップ指数では、144カ国中日本は114位、韓国118位とどちらも低く、両国ともに男尊女卑の空気がいまだに色濃い社会であることが伝わってくる。

それでは、ジェンダー・ギャップ指数100位ながら、日本や韓国に比べて女性の社会進出が著しい印象のある中国におけるセクハラ告発運動はどうなのか。中国語で「セクハラ」を“性騒擾”、「セクハラ告発運動」を“反性騒擾運動”あるいは“我也是(Me Too)”と言う。セクハラ告発運動に触発されて行われた中国のセクハラ告発は、2018年1月1日に米国カリフォルニア州シリコンバレー在住の“羅茜茜”が行ったものだった。

羅茜茜は2011年に“北京航空航天大学”の博士課程を修了したが、在学中に博士課程の副指導教官であった“陳小武”から激しいセクハラを受けたとし、陳小武は十数年間にわたって少なくとも7人の女子学生にセクハラを行い、そのうちの1人を妊娠させたと実名告発したのだった。この告発を受けて調査を行った北京航空航天大学は、1月11日にセクハラの事実を認定し、陳小武に対し大学院常務副院長の職を免じ、大学院指導教官資格と教員資格を取り消した。

さて、4月に入ると羅茜茜の時と同様に米国から新たなセクハラ告発が行われたが、それは中国を代表する“北京大学”と“南京大学”に関わるものであったので、メディアはこれを大々的に報じたのだった。

4月5日、カナダに居住する北京大学の修士である“李悠悠”が中国のコミュニティサイト“豆瓣(douban)”に文章を発表して、“教育部(日本の「文科省」に相当)”が認定する“長江学者特別招聘教授”<注1>の“瀋陽”が、22年前に北京大学“中文系(中国語学部)”の女子学生“高岩”に性的暴行を働き、精神病だと中傷し、自殺に至らしめたとして実名告発したのだった。
<注1>“長江学者”とは、国内外の高等教育界から著名な人材を招致して中国の大学で教育の指導に当たってもらい、中国の大学教師の水準を早急に引き上げる“長江計画”に基づき、中国政府が選考したトップクラスの学者であり、大学の教授として特別招聘した人を指す。

李悠悠による瀋陽の告発文

4月7日に南京紙「現代快報」のインタビューを受けた李悠悠は、「高岩は瀋陽にとって最初の被害者ではないし、最後の被害者でもない。我々はすでに間接あるいは直接に多くの被害者に連絡を取っているが、その中には瀋陽が北京大学にいた時の女子学生だけでなく、南京大学に来てからの女子学生もいて、時間的な幅は比較的大きい。これらの女子学生の中の何人かはすでに彼らが瀋陽によって受けた性的暴行の過程を我々に話していて、その実態に我々は驚くと同時に憤りを覚える。今はまだ被害者の実名を明かす訳にはいかないが、時が来たら、その他の被害者も立ち上がるだろう」と述べた。それでは、4月5日付で李悠悠が瀋陽を告発した文章の内容はどのようなものだったのか。その概要は以下の通り。

【1】李悠悠は、北京大学の社会学部を卒業後、同大大学院でマスコミュニケーション学の修士号を取得した。その後は米国へ留学して法律を学び、現在はカナダに居住している。彼女と高岩は高校時代から同窓の親友であった。1995年、李悠悠と高岩は“高考(全国統一大学入試)”を経て北京大学へ一緒に入学し、同じ学生宿舎に住み、寝室もすごく近かった。
高岩の専攻は中文系であった。不幸なことに、当時北京大学大学院の中文系博士課程を卒業して3年目の瀋陽が副教授で、彼が高岩たち1995年度入学の中文系本科1年生の科目“現代漢語(現代中国語)”の担当教諭だった。

【2】この時、瀋陽は40歳、既婚で子供がいた。一方の高岩は19歳だった。1995年9月に大学の授業が始まって間もなく、瀋陽は高岩を“学習委員”に任命し、文学、言語、文献の3班合計70人前後の同級生のとりまとめを行うよう指示した。当時、文科系の大学1年生は本校から遠く離れた“昌平校区”で学び、2年生になったら本校へ戻ることになっていた。李悠悠と高岩は女子学生だったので、毎週土曜日の午後に市街地にある自宅へ帰り、日曜日の午後に大学へ戻っていた。最初のうちは李悠悠と高岩は公共バスで昌平校区から市街地へ帰り、日曜日は“徳勝門”で北京大学のスクールバスを待って昌平校区へ戻っていた。

【3】しかし、ある日、高岩が李悠悠に告げたのは、瀋陽が教員用通勤バスの管理者に話を通したので、今後、高岩は教員用通勤バスで大学に戻れるということだった。それは、月曜日の早朝に教員用通勤バスで北京大学本校を経由して昌平校区へ戻るというものだった。当時、李悠悠は学生を気遣う瀋陽を良い先生だと考え、この特別優遇の裏側に隠された瀋陽の思惑に思い到ることはなかったし、どうして瀋陽は高岩だけに特別優遇するのかを疑問に思うこともなかった。高岩の家は“長安街商場(マーケット)”付近にあり、瀋陽の家は“三里河”周辺で、歩いて10分程の距離にあった。高岩は毎週月曜日の早朝に長安街商場の入り口にある歩道橋付近で瀋陽と合流し、教員用通勤バスで一緒に本校を経由して昌平校区へ戻るのだった。

【4】大学1年の1学期(9月~翌年1月)、高岩の学業成績は優秀な学生がひしめく北京大学1995年度の中文系“文学班(文学グループ)”の中で第1位だった。2学期(2月~6月)のある日、高岩は李悠悠に突然次のように言った。すなわち、瀋陽が高岩に学生の課題を彼の家に運ぶのを手伝って欲しい、そのついでに高岩が興味を持っている言語学について学術的な話をしようと持ち掛けて、高岩に瀋陽の家の住居番号を告げた。高岩は約束の時間に瀋陽の家のドアをノックした。家に招き入れた瀋陽は、高岩に1杯の水を用意して奥の部屋へ姿を消した。1人になった高岩が勉強机の上に置かれた家族写真などを見ていると、突然瀋陽に抱きつかれた。「何をするんですか。学術的な話をするんじゃないんですか」と詰問する高岩に対して、瀋陽は厚顔にも「何もしてないよ。しばらくしたら話をしよう」と答え、高岩の顔に頬ずりをして来た。耳には瀋陽の激しい息遣いが聞こえ、高岩は身がすくむ程の恐怖を覚えたという。

【5】この事件を境として彼ら2人が2年生になって本校へ戻るまでの間、何の憂いもなく天真爛漫だった高岩は日に日に苦悩を抱えた表情を浮かべるようになったが、高岩の成績は2学期も文学班で依然として第1位であった。1996年の9月、彼らは昌平校区から本校へ引っ越した。大学2年の最初の日、高岩は李悠悠に涙ながらに「瀋陽は“餓狼(飢えた狼)”同様に私に襲い掛かって来た」と口ごもりつつ告白した。知り合って4年以上になるが、李悠悠は初めて高岩の涙を見て、その心に潜む恐怖と焦慮を読み取った。“学術的な話”から“餓狼の襲撃”まではわずか数カ月しか経っていなかったが、事態は想像以上に深刻なものとなっていた。

女子学生が追い詰められた経緯

【6】当時、彼ら2人は学生宿舎31号棟の同じ階に住んでいたので、頻繁に話をしたが、高岩の話の半分以上は瀋陽の話であり、高岩は度々涙を流し、たまに笑ってもいつも決まって苦笑いに変わった。高岩が李悠悠に断続的に話したことをまとめると以下の通り。

(1)瀋陽は高岩の服を脱がせて裸にすると、彼女を犯した。彼女は非常に驚き、大きな苦痛を味わった。彼女が瀋陽に「こんなことは嫌い」と言うと、瀋陽は愛するが故にこうするのだと言ったが、彼女は愛がこんなものであるはずがないと思ったという。さらに、高岩が考えたこともなかったことが起こったのであった。瀋陽は高岩に対して「彼女が好きでないこと」をしながら、同じ文学班の女子学生と頻繁に会い、会うだけでなく性的な関係を持っていたのだった。

(2)そればかりか、瀋陽はその女子学生に「私は少しも高岩なんて好きじゃない。彼女が自分から私にまとわりついて来てベッドに誘ったのだ。君の方が高岩よりよっぽど綺麗なのに、どうして私が高岩なんか好きになれようか。きっと彼女は精神病なんだ」と言ったらしい。その女子学生はどういうつもりか、瀋陽が話したままを高岩と同じ宿舎の女子学生や同じ文学班や他の班の女子学生に言いふらしたのだった。

(3)この話は瞬く間に大学中に広まり、一部の人々は高岩に後ろ指を指さし、高岩が瀋陽に片思いしているとか、高岩が精神病だとかをささやきあった。このため、ただでさえも瀋陽の毒牙にかかって肉体的・精神的に打撃を受けていた高岩は、さらなる打撃を受けて休学を届け出た。

【7】1997年の夏、大学2年が終わった夏休み中に、瀋陽は高岩を呼び出して食事をした。高岩はもう二度と瀋陽と会いたくないので、これが最後だと言って、瀋陽の仕打ちを非難すると同時に、瀋陽に自分を尊重し、他人も尊重するようにと希望を述べた。しかし、瀋陽はいささかも悪びれたところなく、逆に高岩を嘲笑する始末であった。怒った高岩は料理に手も付けずに、席を立って帰宅した。後に家族が話したところによれば、自宅に帰って来た高岩の顔色は真っ青で、何かあったことは明白だったという。1997年の秋と冬は、高岩にとって21年の人生でもっとも悲惨で切ない数カ月だった。そして、1998年3月11日、高岩は自殺という方式でこの世を去った。

【8】高岩の追悼式には多くの人々が参加したが、最も関係が深かった瀋陽は姿を見せなかった。1995年度中文系の学生70人余りは、瀋陽が最も関係が良かったのは高岩であり、瀋陽にとって高岩は最も優秀な門下生であり、自ら学習委員に任命し、教員用通勤バスにも乗る許可を与えるなどしたことを知っていた。それにもかかわらず、“恩師”という身でありながら、高岩の追悼式に顔も出さないとは、瀋陽は「礼儀」をわきまえていないのかと人々は憤りを覚えたのだった。

【9】高岩の死去から20年間、瀋陽は教授という立場で、神聖な講義の場で学生たちに、「かつて自分のせいで1人の女子学生が死んだという噂があるようだが、それはデマであり、本当の原因は彼女が精神病だったからだ」と述べていた。また、2016年に出版された『甲子学者治学談』という書物の中に掲載された瀋陽の回顧録『“一直在路上―六十年人生風景一瞥(ずっと歩いて来た六十年の人生風景を一瞥する)”』の中で、1998年に1人の女子学生が自殺したことに触れ、「その後多くの人が彼女の死が自分と関係があると言い、男女関係まで疑われたが、どうして彼女を救えなかったのか悔やまれる」と書いて、同情する振りをして、高岩の死と無関係であることを強調した。

【10】しかし、当時、北京大学中文系で教え・学んだ人たちは、高岩が死去した後に、瀋陽が大学当局から行政処分を受け、突然北京を離れ、一時的に香港の某大学で教鞭を執り、その後改めて北京大学へ戻ったことを知っている。高岩の死から20年後に、瀋陽が60歳となって過去の栄光をひけらかす厚顔無恥な文章を書いたことで、李悠悠は堪忍袋の緒が切れた。母校である北京大学に瀋陽のような教授がいたことは恥辱であり、名門の南京大学にこのような“系(学部)”主任教授がいることは悲哀である。瀋陽は彼を恨んで死んだ高岩に謝罪せよ。瀋陽は高岩の年老いて病弱な両親に謝罪せよ。瀋陽は北京大学の1995年中文系の学友たちに謝罪せよ。瀋陽は北京大学の同窓生に謝罪せよ。瀋陽は過去に毒牙にかけた女子学生に謝罪せよ。

長江学者の称号取り消しに

李悠悠の告発文を受けて、南京大学は4月7日付で公式ウェブサイトに『北京大学卒業生がネット上に発表した文章に関する南京大学”文学院(文学部)”の声明』を発表し、瀋陽に南京大学文学院の教授を辞職するよう要請すると同時に、瀋陽の教授としての職務を停止した旨を発表した。一方、人事登録は依然として南京大学にあるが、瀋陽は2017年2月に“上海師範大学”への移籍を南京大学へ申請して、7月から上海師範大学“人文学院(人文学部)”の教授になっていた。南京大学が上記の声明を発表すると、上海師範大学もこれに続いて、2017年7月に瀋陽との間で締結した教員契約を打ち切ると発表した。

また、翌4月8日には、北京大学が瀋陽に関する特別会議を招集すると同時に、1998年に瀋陽を行政処分した際の関係書類を公開した。同書類には、瀋陽が高岩を抱擁して接吻したことは認めたけれども、その責任は高岩にあり、高岩が瀋陽に恋愛関係となることを求めたもので、瀋陽はガールフレンドで良いじゃないかと答えたが、その理由は高岩の精神状態に問題があったからと明記されていた。北京大学は李悠悠の告発を踏まえて、瀋陽の虚言が明らかになったとして、さらなる学内管理の強化を呼びかけた。要するに、「死人に口なし」で、瀋陽は虚言を弄して大学当局を騙して、処罰を軽い行政処分に止めさせたのだった。

ところで、上述した北京航空航天大学の陳小武も瀋陽と同じく教育部認定の長江学者特別招聘教授であった。セクハラ行為が確認された後、教育部は陳小武(1月14日付)、瀋陽(4月7日付)に対してそれぞれ“長江学者”の称号を取り消すと同時にすでに給付した奨励金の返却を命じた。それにしても、国家がトップクラスの学者として認定した“長江学者”である2人がそろってセクハラでその職を失うとは。色欲は「七つの大罪」の一つだが、トップクラスの学者でさえも色欲を抑制するのは難事であることを示している。

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