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8/6NewSphere『「原爆が戦争を終わらせた…わけではない」米国の通説に米英豪メディアが異論』について
8/5朝日新聞デジタルには『ロシアのナルイシキン下院議長は5日、広島、長崎への原爆投下は国際法廷で裁かれるべきだという考えを明らかにした。ロシアでは70年を迎える原爆投下について、高官の発言や催しが続いている。米国の残虐行為を批判すると同時に、日本を降伏させたのは原爆ではなく旧ソ連の対日参戦だったという歴史認識を強調する狙いも込められている。
プーチン大統領の側近でもあるナルイシキン氏は5日、自身が主催した原爆問題についての専門家らによる会議で「広島、長崎への原爆投下はまだ国際法廷で裁かれていない。しかし、人道に対する罪に時効はない」と指摘した。
ナルイシキン氏は昨年来、今からでも米国の原爆投下についての責任を問うべきだという発言を繰り返している。昨年12月には「来年は(ドイツによる第2次大戦の戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判と広島・長崎への原爆投下が70年を迎える」と、原爆投下とナチスの戦争犯罪を並べて言及。「軍国主義日本に対する勝利は、ソ連軍が(中国東北部で)関東軍を粉砕したことによってもたらされた」と指摘。原爆が日本を降伏させたという見方を否定していた。』とあります。凄まじき歴史情報戦です。中韓だけでなくロシアも参戦してきました。ついでにアメリカがシベリア抑留も「人道に対する罪。時効はない」とか言ってやり合えば良いのに。ついでに、植民地政策の是非も。中国がチベット、ウイグル、内蒙古に対する侵略も俎上に載せて。歴史を振り返れば汚点だらけの国が多いのでは。アメリカも慰安婦問題で韓国に肩を持ち、やがてブーメランになることに気付かなかったのは愚か。その内、ロシアは黒人奴隷とインデイアン虐殺を言いだすでしょう。やり合ってほしい。アメリカは日本が近現代史の見直しを進めようとすると『歴史修正主義』の烙印を押し、封殺してきたのですから。
アメリカも真実の歴史(FDRが日本を嵌めて戦争に誘った、人種差別、日本へ憲法の押付け、瓶の蓋論等)について活発に議論できる国になってほしい。
記事
6日、原爆投下から70年となる「原爆の日」を迎えた。終戦直後からアメリカ国民の間では「原爆のおかげで第二次大戦が終結した」という意識が大きく広まっていた。しかし、近年の研究では、その主張が覆されてきているようだ。8月6日の広島、9日の長崎の原爆の日を迎えるにあたり、英米のメディアがそれぞれの論を伝えている。
◆「原爆が戦争を終わらせたわけではない」 ワシントン・ポスト紙は、毎週「5つの俗説」として、世間に流布されている通説に対する反論を行っている。先週の回では、アメリカによる広島・長崎への原爆投下が70年を迎えるにあたり、カリフォルニア大学名誉教授であるグレッグ・ハーケン氏による原爆投下に関する通説への異議を掲載している。
「原爆に関する5つの俗説」として以下のものが挙げられている。 1.原爆が戦争を終わらせた 2.原爆が50万人のアメリカ人の命を救った 3.原爆のほかは日本侵攻しかなかった 4.原爆投下前に日本に警告があった 5.原爆でロシアに対する外交的有利さを得るようタイミングが図られたし、実際に初期の冷戦時には切り札となった
これらに対し、ハーケン教授は以下のように反論する。 1.最新の研究では、日本政府が終戦への仲介者として期待していたソ連が8月9日に予想外の対日参戦を開始したことのほうが、日本政府には大きな衝撃であったと結論づけられている。 2.トルーマン米大統領の回顧録では、軍幹部が日本侵攻により50万人のアメリカ人の命が失われたであろうと述べた、と書かれているが、実際の数はもっと少なかった。スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授は、アメリカ統合戦争計画委員会(US Joint War Plans Committee)は日本侵攻による負傷者は19万3000人、死者は4万人と予測していたと述べている。 3.原爆投下以外にも、通常の爆撃と海上封鎖のほかに2つの選択肢が当時においても考えられていた。1つは、日本などから政府要人を招き、無人地帯か富士山で爆発させ、威力を見せつける。これは、その当時に原爆が2つしかなく、デモンストレーションが不発に終わる可能性があるため却下された。2つ目は、条件付き降伏を受け入れること。日本政府は「天皇を戦争犯罪者としない」という条件を求めていたが、アメリカ側は無条件降伏を主張したため実現しなかった。 4.7月26日にポツダム宣言が発された後、受諾しなければ「即刻の徹底した破壊」を警告するチラシが投下されたり、トルーマン大統領がラジオ演説で述べた、今までにないような空からの破壊、といったような警告はあった。しかし、広島や長崎への具体的な警告はなされていない。原爆を載せた爆撃機の撃墜を恐れたため。 5.実際には、原爆は準備ができ次第すぐに投下されたし、原爆がソ連との外交で切り札になることを望んだトルーマン大統領時の国務長官ジェームズ・バーンズ氏は戦後、「彼らは脅かされたりしない」と失望した。
◆ソ連、天皇への配慮、東京大空襲 オーストリアの公共放送局であるABCのサイトでも同じ論調の記事が掲載された。その記事によると、多くの歴史家が日本を降伏に導いたのは原爆ではなく、8月9日のソ連の参戦がより大きな衝撃を与えたと述べている。日本に好意的な交渉役というソ連に対する望みが絶たれた上に、ソ連を迎え撃つ余力は日本には残っていなかったからだ。さらに、歴史学者である田中利幸氏の「ソ連は天皇制を瓦解させただろうし、天皇や皇族を処刑しただろう」という言葉を伝え、日本政府の天皇への配慮が降伏の理由であることを示した。
また同記事は、テンプル大学ジャパンキャンパスのジェフリー・キングストン教授の、新しい爆弾はアメリカ人が望むようなインパクトを日本人に与えていない、という論も紹介。当時すでに66の都市が破壊されていたし、東京大空襲では10万人が亡くなっていた。同氏は「日本軍の視点からすれば、焼夷弾で人が亡くなろうが、爆弾で亡くなろうが、大きな違いはない」と述べている。
◆原爆の負の側面を強調 イギリスのBBCは、1945年3月に行われた東京大空襲が契機になったとしている。また続く4月から7月の間に、日本の各地で絶え間ない爆撃が行われたことも指摘している。
さらに同記事は、原爆の被害者の声を多く取り上げ、原爆による人的被害の大きさがあまり示されていないと主張する。原爆の爆発直後の悲惨な状況や、放射能による後々まで続く後遺症やいわれのない差別などを、被爆者の言葉を通して描き出し、原爆の負の側面を強調している。
また、原爆が軍事拠点の破壊でなく、最初から街の破壊を目的にしていたこと、そしてアメリカ政府が都合の良いバージョンの話を国民に伝え、被爆者がスミソニアン博物館でのエノラ・ゲイの展示に招かれた際に、「おめでとう、原爆のおかげで来られたのですよ。原爆がなければ、ハラキリをしなければならなかったかもしれませんからね」と、多数のアメリカ人に言われる状況になったことを伝えている。
そして最後に、日本の指導者らが日本軍が大戦中にアジアで行った犯罪行為を取り繕おうとしていること、そしてドイツや日本、イギリスも大規模な空襲で数々の都市を破壊したことを述べつつ、アメリカの1945年の日本への攻撃ほど市民の命を奪ったものはないとしている。
(阿津坂光子)
『「原爆投下正しかった」米国人46% 若年層は「間違い」が多数 70年経て変化する意識』
この8月、日本は太平洋戦争終結70年を迎えるとともに、広島、長崎に原爆が投下されてから70年ともなる。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、広島への原爆投下を報じた70年前の自紙の報道をブログで紹介し、英デイリー・メール紙(電子版)は、広島で原爆の災禍に見舞われた人たちの証言を伝えるなど、海外メディアで取り扱われる機会が増えている。そんな中、英調査会社ユーガブは7月、アメリカで原爆の発明の是非と、広島、長崎への原爆投下の是非についての世論調査を行った。原爆投下の是非をめぐっては、世代間で認識の開きが大きいようだ。
◆若年層では原爆投下は間違いだったとする意見が優勢 ユーガブは7月18~20日、アメリカ人1000人を対象に面接調査を行い、22日に調査結果を公開した。同社ウェブサイトのリリース記事が注目したのは、回答したアメリカ人の62%が、核兵器の発明は良くないことだったとしている点だ。良いことだったとしたのはわずか20%だった。
日本への2回の原爆投下は、正しい決定だったとした回答者は46%に上り、間違った決定だったとした回答者の29%を上回った。アメリカは、広島と長崎に原爆を投下することによって、日本に侵攻する必要を回避したが、この原爆投下によって13万人から25万人が死亡した、と記事は語る。原爆の使用は、戦争終結を早めたと広く信じられている、としている。
けれども、若い世代ではこの見方は大きく変わってくるようだ。18~29歳では、回答者の45%が、原爆投下の決定は間違いだったとした。正しい決定だったと答えたのは31%だった。ユーガブの調査結果を報じた米外交専門誌ナショナル・インタレストは、年齢層による見解の差に注目している。30~44歳では、これよりもう少し意見が割れており、36%が間違いだったとし、33%が正しかったとした、と伝えた。
それ以上の年齢層では、正しかったとする割合が優勢になる。ナショナル・インタレストはこのことを「驚くまでもない」とする。アメリカではこれが伝統的な見方だったからだろう。45~64歳では、55%が正しかったとし、間違いとしたのはわずか21%だった。65歳以上では、この傾向がさらに進み、65%が正しかったとし、間違いとしたのはわずか15%だった。同誌は「圧倒的」支持だとしている。
◆時代が下るにつれて、原爆投下への支持は低下している ナショナル・インタレストは、時代による見解の変遷にも注目している。上述の通り、回答者全体では、「正しかった」が46%、「間違いだった」が29%だった。アメリカ人の間では、原爆投下の決定への支持が長年にわたって減少しており、今回の調査結果も、この傾向を引き継ぐものだとナショナル・インタレストは語っている。
終戦直後の1945年8月に世論調査機関ギャラップが行った調査では、原爆投下の決定を支持する意見が圧倒的だった、と同誌は語る。支持が85%に及び、不支持はわずかに10%だったという。その後、支持は急激に減少してきたが、今なお、概して半数以上が支持している、としている。原爆投下から50年を迎えた時期にギャラップが行った世論調査では、アメリカ人の59%が支持しており、その10年後のギャラップの調査では、57%が支持していたという。
◆存在自体が望ましくない原爆の使用というジレンマ またナショナル・インタレストは、アメリカ人の相対的多数が、日本に対する原爆使用をいまだに支持しているにもかかわらず、圧倒的に多くのアメリカ人は、核兵器の発明は良くないことだったと答えた、と報じ、相反する見方が存在することを示唆した。
このような相反する見方は、米地方紙デトロイト・ニュースに掲載されたとあるオピニオン記事にも見られる。筆者は、原爆を投下しなくても、アメリカが戦争に勝利していたことは疑いがない、と語る。兵士の犠牲が抑えられた、という説についても検討した上で、事実をすべて考慮すると、原爆の使用はおそらく不必要だった、と筆者は結論付けている。マッカーサー元帥自らが、原爆投下は誤りだったと考えていた、と語る。
けれども、アメリカは原爆投下という過ちを犯したが、その責任はやはり大日本帝国(の指導部)にある、と筆者は語る。恐らく新型兵器の脅威が国民に迫っていることを察しつつ、ポツダム宣言を「黙殺」(記事中では「意図的に無視」)したからである。アメリカはしばしば、核兵器を使用した唯一の国だと批判されるが、罪は国民をそのような惨事にさらした大日本帝国にある、と結論付けている。
◆原爆投下、敗戦を経てきた日本が今後進むべき道とは カナダの有力全国紙グローブ・アンド・メールは、原爆投下、敗戦という歴史を経てきた日本が、今後取るべき道について提言するオピニオン記事を掲載している。筆者は米デューク大学アジア太平洋研究所のサイモン・パートナー所長。19・20世紀の日本史を専門とする歴史学教授である。
同氏は、日本の国会で安保法制が進められていることに触れ、また憲法改正によって、日本を本格的な軍事国にする案もあるとする。しかし同氏は、日本が目指すべきは再軍備ではなく、世界の調停者になることだと主張する。日本にはそのための資格が立派に備わっているとしている。
「平和憲法」のもと戦後の日本国民は、平和を希求してきた。憲法はアメリカ人の手に成るもので、意に反して日本政府に押しつけられたものであることはよく知られているけれども、憲法、特に9条は、日本国民の間で、驚くほど長く人気を享受している、と氏は語る。また、原爆によって日本国民は、核戦争の惨事をこうむる国が二度と出ないよう、世界的な平和運動をリードするのに自分たち以外に適任者はいないという意識を持つようになった、としている。
にもかかわらず、日米同盟のために、日本は侵略的な戦争への支援も含め、アメリカの外交政策に歩調を合わせねばならなかった。しかし今や、日本は、より自主的で積極的な役割を果たすべき時が来た、と氏は語る。衝突が衝突を生み、世界的に一触即発の状況で超大国が不安定な現代では、力強く、信頼できる調停国が主導する多国間交渉からのみ永続的な解決は生まれうる。日本はその役を果たすのに最も適任だと氏は断言する。
私たちは、この乱れた世界で、強力で影響力の大きな調停者を、どうしようもなく必要としている。まさに日本は、世界がより平和でより繁栄する未来のために最良の希望かもしれない、と氏は結んでいる。
(田所秀徳)
『「原爆は必要なかった」 アメリカの“原爆神話”に異を唱える米識者の主張とは』
8月6日広島、9日長崎の原爆の日を迎えるにあたり、米メディアで論客がそれぞれの主張を繰り広げている。
【正しい判断だったとする意見】 フォーブス誌は、原爆の日を「何が起きたかと同時に、それによって何が防げたかを考える意味で重要な日だ」と語るスタンフォード大学フーヴァー研究所研究員で医者でもあるヘンリー・I・ミラー氏の主張を伝えている。
同氏は、「ダウンフォール作戦(主にアメリカで構成される同盟国連合による日本本土上陸)」が行われずに済んだのは、原爆の結果だと言う。また歴史家のビクター・デイビス・ハンソン氏は、ふたつの要因を原爆投下の正当性として挙げている。ひとつは、大勢のアジア人が日本の占領下で毎日死んでいたこと。もうひとつは、マリアナ諸島から沖縄へB29が移動してくる計画があり、そこで攻撃が実施されていたら、先のふたつの原爆よりもっと多くの被害が出たであろうことだという。
第一次大戦下で、ヨーロッパが非常に多くの若い男性を失ったその記憶は30年後も鮮明だった、とミラー氏は言う。1945年、軍司令部と政府は、その歴史を繰り返したくないという点において戦略的にも倫理的にも正しく、もしその英断がなかったら、アメリカの戦後ベビーブーマーはもっと少なかったことだろう、と述べている。
【真実の隠蔽による正義神話】 一方、『Scoop』は、「アメリカでは、広島と長崎の原爆について、真実が検閲により削除された誤った歴史教育が行われている」と主張するゲイリー・G・コールズ氏の意見を伝えている。コールズ氏は元医者で、現役時代は、退役後重度の精神疾患やトラウマに苦しんだ軍人および民間人の診療を行い、今は非暴力による平和を訴え執筆を続けている人物であるという。
マッカーサーの最初の仕事はまず「広島、長崎の原爆の恐ろしさを証拠づけるすべての写真、書類を没収もしくは処分すること」だったとコールズ氏は言う。米英が戦争で行った行為はすべて「誇りある自己犠牲に基づく誉れ高い行為」であり、その他はすべて「蛮行」であるという洗脳が、政府・軍・および戦争から莫大な利益を得る企業などにより行われ続けているのだ、と同氏は訴えている。
ここにその一例がある。1995年、スミソニアン学術協会は、原爆の動機が「真珠湾の復讐」であったことの言及を含む「被害国としての日本」を強調する展示を企画した。しかし不都合な真実の開示は、右翼退役軍人および他の軍関係からすぐに妨害が入り、結局その案はキャンセルとなった。これはそうした動きのほんの一角に過ぎないという。
【原爆は必要なかった】 ルーズベルトおよびトルーマン政権の上層部は、原爆の数ヶ月間から既に日本が戦争を終わらせる道を必至に模索していたことをよくわかっていた。日本の降伏は、1945年の春にはもう目処がついており、つまり原爆の必要はなかった、とコールズ氏は主張する。
そうであるならば、なぜ原爆は投下されたのか。同氏はその要因について、1)巨額の投資、2)真珠湾の復讐、3)科学的好奇心、4)司令が既に8月以前に決定していた、5)対日開戦を表明したソ連への対抗、などであったと分析する。事実ならば、いずれもやるせない理由である。
原爆は大勢の市民を犠牲にした。それは国際法における戦争犯罪および人権侵害の定義に抵触する行為である。アメリカは戦後、日本やドイツの戦犯を処刑したが、広島長崎の大虐殺を指示した人物は一切お咎めなしのままだ、と同氏は指摘する。
【事実に目を向けよ】 今でも多くのアメリカ人は「我々の行いは世界の平和のため」という神話を信じたがっている 今更それを変えるのはもう遅いのかもしれない。コールズ氏が呼ぶところの「フレンドリー・アメリカン・ファシズム」は、既にその目的を達成しているのかもしれない、と同氏は嘆く。
それでもまだ、望みはある、と同氏は言う。戦争の歴史に口をつぐむのではなく、真実に目を向け、事実を学ぶのだ。アメリカ人にとってそれは心理的負担の大きい現実と直面することになるが、アメリカが本当の戦犯になってしまう前に、そして膨大に積み上がった諸外国からの恨みを一気に向けられる前に、アメリカの軍事主義、核兵器について学び、よく考える時間を持ってほしい。そしてぜひ、広島、長崎の祈念行事に目を向けてほしい、と同氏は強く主張している。
8/6日経ビジネスオンライン 鈴置高史『「卑日」で日本から“独立”目指す韓国 四半世紀前には「崇日」国家だった』について
小生が後援会長を務めています「上橋泉」柏市会議員が当選しました。この1週間朝早くから夜までずっと選挙にかかりきりでした。ある人からは「今までこんなに汗をかいた後援会長はいなかった」と言われました。暑い中での選挙戦ですので、実際汗だくでした。でも努力が報われました。チームワークの勝利です。朝の駅立ちでは議員候補一人だけの候補もいましたが、当方は議員候補も入れて5、6人いましたし、裏方の女性陣は朝早くから夜遅くまで働きづくめでした。
今後は大学空手部の仕事、「防人と歩む会」の仕事、英語(三島「暁の寺」英訳)、中国語会話に重点を移します。
さて、本記事ですが、朝鮮半島の人間は下種過ぎます。甘やかしてきた日本が悪すぎです。所詮は力もないのに自分を大きく見せようという輩で、妬み・嫉みの感情しか持てない平気で嘘をつく民族です。哀れと言えば哀れですが放って置くと世界に嘘がばらまかれ、嘘が定着してしまうことになります。国家としてキチンと反論していかなければなりません。
朝鮮半島人はしつこさが売り物です。暴力団の手口そのものです。日本人は淡泊だからすぐ諦めますが、彼らのDNAは違います。国そのものが中国と同じく暴力団と同じと思って戦っていかないと。先ずは経済でダメにするしかありません。日本からの部品・材料の輸出も止め、金融支援は勿論しないことです。中国の属国になるなら先祖返りでそれはそれで良いのでは。アメリカが嫌がるというのならアメリカが自分で面倒見ることです。慰安婦像まで建てさせて。日本も原爆碑でも建てますか?
記事
韓国人は日本からの独立戦争を闘う。「卑日」はその武器だ。
東京五輪をヘイトに絡める
—韓国の「卑日」攻勢。やはり、でした。前回の「これが『卑日』だったのか――」で鈴置さんが指摘した通り、東京五輪も標的ですね。朝鮮日報の社説で読みました。
鈴置: 7月23日の日本語版に「嫌韓高まる日本、五輪ホスト国にふさわしいのか」という見出しで載った社説のことですね。
同じ日に韓国語版に載った元記事の「日本右翼の在日韓国人への人種攻撃、五輪開催国にふさわしいのか」からポイントを訳します。
- 7月8日、日本の入国管理局に「違法滞在中の在日韓国人を国外追放してほしい」との虚偽申告が殺到し、そのホームページが一時、マヒした。数年前から韓国人と在日韓国人への憎悪を煽る日本の嫌韓情緒が急速に表面化し、攻撃的な様相に変わっている。
- 反韓団体によるヘイトスピーチは人種差別にあたると大阪高裁と最高裁が判決を下したのに、日本で攻撃的言動が減る兆候は一切ない。
- ヘイトスピーチに関しては自民党が昨年、特別チームを立ち上げて実態調査に乗り出した。菅官房長官も今月初めの国会答弁で調査に乗り出すことを約束した。
- 来年はG7(主要7カ国)首脳会談のホスト国となり、2020年には東京五輪の開催を控え、日本政府は国の威信が傷つくことを懸念しているようだ。
- 重要なことは、果たして日本が一部過激勢力の人種差別的言動を根絶できるかということだ。これを黙認する社会は内側から病んでいるのであり、世界から孤立するだけなのだ。
東京都知事から言質
—韓国はヘイトスピーチを東京五輪に絡める作戦ですね。
鈴置:今のところは新聞が書いているだけです。が、状況に応じ韓国政府が「日本がヘイトスピーチを規制しないなら、五輪を開く資格はないと世界に訴えるぞ」と言い出す可能性がかなりあります。
韓国政府はちゃんと伏線を敷いています。ソウル市が2014年7月に東京都の舛添要一知事を招いた際、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領も青瓦台(大統領官邸)に知事を呼び、ヘイトスピーチを非難しました。
すると、舛添知事は以下のように約束したと聯合ニュースの「舛添知事が朴大統領と会談 安倍首相のメッセージを伝達」(2014年7月25日、日本語版)が報じています。
- ヘイトスピーチが続けば2020年の東京五輪・パラリンピックは開催できないという覚悟で、東京に居住する韓国人など外国人の安全を守って行く。
韓国は五輪開催都市である東京都知事から「ヘイトスピーチが根絶できない限り、五輪は開かない」との言質をとったつもりでしょう。
“慰安婦大使”任命
これに限らず、韓国の「卑日」は“地道な努力”によって支えられています。安倍晋三首相の米議会演説に対してもそうでした。
大統領以下、政府も議会もメディアも、そして在米韓国人も力を合わせ「日本は悪い国だ。米議会での演説を許してはならない」と叫び続けました(「『安倍演説阻止』に向けた韓国の動き」参照)。
| 「安倍演説阻止」に向けた韓国の動き(2015年) | |
| 2月14日 | 聯合ニュース「在米韓国人、安倍首相の議会演説阻止に動く」と報道 |
| 3月4日 | 訪米した韓国国会の鄭義和議長、安倍首相の米議会演説に関し米下院議長に「日本の真の謝罪と行動が必要」 |
| 3月19日 | 聯合ニュース「米議会、安倍総理の上下院合同演説を許可する方向」と報道 |
| 3月20日 | 韓国外務省「安倍首相は米議会演説で歴史への省察を示すべきだ」 |
| 3月29日 | 韓国の尹炳世外相「安倍首相の米議会演説と70年談話が日本の歴史認識の試金石になる」 |
| 4月2日 | 鄭議長、訪韓した民主党のナンシー・ペロシ下院院内総務に「日本の首相は米議会演説で過去を認め謝罪すべきだ」 |
| 4月2日 | 尹外相、ペロシ総務に「安倍演説は侵略、植民地支配、慰安婦に関しすでに認めた立場を具体的な表現で触れねばならない」 |
| 4月2日 | 朴槿恵大統領、ペロシ総務に「慰安婦問題の解決は急務」 |
| 4月16日 | 日米韓外務次官協議で韓国の趙太庸第1次官「安倍演説は正しい歴史認識を基に」と注文 |
| 4月21日 | 韓国国会の羅卿瑗・外交統一委員長、リッパート駐韓米大使に安倍首相の歴史認識について懸念表明 |
| 4月21日 | WSJ「韓国政府が安倍首相の米議会演説に韓国の主張を反映させるべく米広報会社と契約」 |
| 4月22日 | 韓国の柳興洙駐日大使、戦後70年談話で「(侵略、植民地支配、反省の)3つの言葉を使うよう期待」 |
| 4月22日 | 韓国外務省、バンドン会議での安倍演説に関し「植民地支配と侵略への謝罪と反省がなかったことが遺憾」 |
| 4月23日 | 米下院議員25人「安倍首相が訪米中に歴史問題に言及し、村山・河野両談話を再確認する」ことを促す書簡送る |
| 4月23日 | 韓国系と中国系の団体、元慰安婦とともに米議会内で会見し「安倍首相は演説で謝罪を」と要求 |
| 4月24日 | 韓国外交部「尹外相とケリー米国務長官が電話、歴史対立を癒す努力で一致」と発表 |
| 4月24日 | ブラジル訪問中の朴大統領「日本に、正しい歴史認識を基にした誠意ある行動を期待」 |
| 4月24日 | ローズ米大統領副補佐官「安倍首相に対し、過去の談話と合致し、地域の緊張を和らげるよう働きかけている」 |
| 4月24日 | メディロス米NSCアジア部長「歴史問題は最終解決に達するよう取り組むことが重要」 |
| 4月28日 | 安倍首相、ワシントンでオバマ首相と会談 |
| 4月29日 | 安倍首相、米上下両院で議会演説。日米同盟の強化を訴え万雷の拍手受ける |
—まさに国を挙げての運動でした。
鈴置:安倍演説阻止には失敗しましたが、韓国人はめげません。「卑日」を目指す官民一体の協力体制をさらに強化しています。聯合ニュースの「日本軍慰安婦問題を広める『女性人権大使』が誕生」(7月21日、韓国語版)は以下のように報じています。
- 日本軍慰安婦問題を全世界の国際機関、政府、教育機関、外国人に対し思う存分に知らしめる「グローバル女性人権大使」が間もなく誕生する。
- サイバー外交使節団のVANKと女性家族部は独立70周年、国連創設70年を迎え、慰安婦問題を広報する青少年と大学生200人を選抜した。
なお、VANKは韓国で「外交使節団」と呼ばれますが、民間団体です。「慰安婦」以外にも「竹島」など各方面に渡り、世界で「卑日」を展開しています。
「天皇もひざまずけ」
—元慰安婦は米国で、天皇まで訴えましたが。
鈴置:天皇や安倍首相を訴えた、この裁判を企画した弁護士のインタビューが中央日報に載りました。「米国内の慰安婦訴訟を主導するキム・ヒョンジン弁護士」(7月22日、日本語版)です。同弁護士は以下のように語っています。
- (「なぜ、韓国や日本で訴えなかったのか」)との記者の問いに)日本で訴えても100%勝てない。韓国で勝っても日本側が応じなければ意味がない。
- (「米国で勝てるのか」との問いに)18歳以下の未成年者との性関係は米国の方では強姦だ。(ボクシング)ヘビー級チャンピオンだったマイク・タイソンもそのケースで負けている。
- (「米国に裁判管轄権はない、と日本は主張するはずだ」との質問に対し)人道主義に反する反倫理犯罪は時効も管轄権も関係ない。
- (「訴訟で重要なことは何か」との問いに)ポーランドを訪れた西独のブラント首相は戦争犠牲者の碑の前でひざまずいて祈った。なぜ天皇はそうできないのか。そうなるまで戦わなくてはならない。
相当に無理筋の訴訟です。でも、どんなことをしてでも「世界の人々の前で天皇をひざまずかせよう」との韓国人の強い意志が伝わってきます。
残った植民地意識
—韓国人の日本相手の「外交戦」。彼らが総力で取り組んでいることがようやく分かりました。
鈴置:総力戦かつ、全面戦争です。ありとあらゆる機会をとらえ日本を貶めようとしています(「韓国の主な『卑日』」参照)。
| 韓国の主な「卑日」 |
| 「従軍慰安婦」像設置 |
| 2011年12月14日、韓国挺身隊問題対策協議会がソウルの日本大使館前に「従軍慰安婦」像を設置。日本政府が抗議したが、ソウル市と韓国政府は無視。その後、韓国と米国の各地に相次ぎ設置された。「像」以外に「碑」も世界中で立てられている。2014年1月には仏アングレームの国際漫画祭で、韓国政府主導の慰安婦をテーマにした企画展が開催。 |
| 大統領の竹島上陸 |
| 2012年8月10日、李明博大統領が竹島に上陸。日本政府は抗議し駐韓日本大使を一時帰国させた。同月13日これに関連、李大統領は「日本の影響力も昔ほどではない」と発言。同月17日、野田佳彦首相がこの問題に関し親書を李大統領に送るが、同月23日に韓国政府は郵便で送り返した。 |
| 天皇謝罪要求 |
| 2012年8月14日、李大統領が天皇訪韓について「独立運動をした人に心から謝罪をするのならともかく(昭和天皇が使った)『痛惜の念』だとか、こんな言葉1つなら、来る必要はない」と発言。 |
| 対馬の仏像窃盗 |
| 2012年10月8日、韓国人が対馬の仏像と教典を盗んだ。2013年1月に韓国の警察が犯人の一部を逮捕、仏像2体を回収。しかし韓国・大田地裁は「韓国から盗まれた可能性がある」と日本に返さず。2015年7月18日に1体だけ日本に返還。 |
| 中国人放火犯の本国送還 |
| 2013年1月3日、ソウル高裁が靖国神社放火犯の中国人を政治犯と認定、日本に引き渡さない決定を下した。日本政府は日韓犯罪人引渡条約をたてに抗議。犯人は2011年12月26日の靖国放火の後、2012年1月8日にソウルの日本大使館に火炎瓶4本を投げ、逮捕されていた。 |
| 朴大統領の「告げ口外交」 |
| 2013年2月の就任似来、朴槿恵大統領は世界の首脳やメディアに会うたびに、安倍晋三首相の「歴史認識」など日本を批判。 |
| 産経元支局長起訴 |
| 2014年10月8日、ソウル中央地検が産経新聞の加藤達也元ソウル支局長を在宅起訴。容疑は「大統領に関し虚偽の事実を報じ、名誉を棄損した」。報道の元となった朝鮮日報の記事に関してはおとがめなし。同年8月7日からの加藤元支局長への出国禁止措置は2015年4月14日に解除。 |
—でもなぜ、そこまでやるのか、いま一つピンと来ないのです。
鈴置:韓国の外交戦は日本からの「独立戦争」なのだ、と考えると納得できるかもしれません。韓国は1945年に日本から独立した――と日本人は思っている。でも韓国人の心情には長い間、植民地意識が残ったままでした。
今から四半世紀も前のことですが、1987年から1992年までの5年間、私は特派員としてソウルに住みました。
韓国が「反日」国家であることは有名でしたから気を引き締めて赴任したのですが、日本や日本人への接し方が想像とは180度異なったので、大いに面食らったものです。
私が驚いたのは、日本が異様に尊敬されていたことです。政府も企業もすべて「日本がお手本」なのです。
役所は日本政府の政策を実によく研究していて、いいと思ったら可能な限り取り入れます。韓国で私が記事にした産業政策の多くは、日本が実施済みのものでした。
企業経営者も日本の同業者のやることを忠実に真似ました。「日本企業のやったことをそのままやれば間違いない」と公言する経営者もいました――というか、それが常識でした。
真似する対象は、事業分野の選定から新製品のラインアップ、果ては終身雇用、年功序列といった人事管理までに及びました。
韓国にもあった「日経」
韓国のある経済新聞の題字は日経とそっくり。紙面構成も同じで前から「総合」「政治」「経済」「国際」「産業」……と続き、最終面は文化面。
もちろん経済教室面もありましたし、文化面には「私の経歴書」という連載コラムもありました。外部の識者が書く「今日の話題」という欄もありました。日経夕刊の「あすへの話題」をヒントにしたものと思われます。レイアウトがそっくりでしたから。
1987年に韓国は民主化し、労働組合が一斉に結成されました。あちこちの会社で激しい労使紛争が起きました。
そんな中「日本経済新聞社の労使関係は健全だ」という噂が立ったためでしょう、韓国の新聞社の幹部から「正しい労使関係を学びたいので、日経の労務担当役員と労組幹部を紹介してくれ」と頼まれました。
政治体制もそうです。1987年の民主化当時、アジアの国で民主国家と呼べるものはほとんどありませんでした。
その中で韓国人の多くが「民主化するのは当然」と考えたのも、お手本の国の人々が自由と人権を保障され、民主主義を謳歌していたことが大きかったのです。
しばしば韓国人から、こう言われたものです。「米国が民主主義かどうかは関係ない。彼らは社会構造も歴史も韓国とは異なるから模範にはならない。でも、似たような国である日本が民主主義を実現している以上、我々もそれを目指さねばならない」。
民主化後には「国会議員は中選挙区制で選ぼう」「議院内閣制の導入を検討しよう」との声も起きました。もちろん日本がモデルでした。
強い国作るお手本
—現在の「卑日」の韓国からは想像もつきませんね。
鈴置:全くです。当時の話に戻りますと、私は次第に「大丈夫かなあ」と思い始めました。「お手本」とされれば悪い気はしないのですが、こちらは日本人ですから日本の弱点もよく分かっている。「そのまま真似」したら、まずいことも多いのです。
でも、そう言っても聞いてもらえませんでした。それどころか逆に韓国人から「自分の国に問題が多いと言うなんて、やはり日本人は謙虚だ。これだから日本は発展したのだ」と褒められたりしました。
「反日」どころか「崇日」です。「崇日」という言葉は今、私が作ったのですが。
—なぜ、そんなに日本が「崇拝」されていたのですか?
鈴置:1980年代の日本は日の出の勢いだったからです。米国人でさえ追い越されるかもしれない、と不安な眼差しで日本を見ていました。強い国を作るのが国家目標であった韓国人にとって、格好の「お手本」に見えたのです。
その頃は「ルックイースト政策」を掲げたマレーシアのように、日本をお手本とする途上国がけっこうありました。ただ、韓国の「崇日」ぶりは度を超していました。
「反日」を抑えた「崇日」
—なぜでしょうか。
鈴置:日本の植民地だった経験を持つからでしょう。韓国の近代化は植民地の時代に始まりました。近代化とはすなわち、西洋の文明を導入することでしたが、それはほぼ日本経由でした。
韓国にとって日本が「先生」だったのは、日本が明治維新を成功して以来のことで、100年もの年季が入っていたのです。そこで日本人が気味悪くなるほど「模範」として崇められたのです。
見落としてはならないのは、この「崇日」が「反日」の爆発を抑えていたことです。
(次回に続く)
8/4産経ニュース 『「落城」1年 最後の抵抗試みる 拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏』について
小生がブログを書き始めましたのは昨年の8/4からです。書いて1年が過ぎました。日本の山に行ったとき以外は毎日ブログを書き込んでいます。台湾に行ったときもwifiを利用して送信できました。少しずつ読者の数も増えてきております。誠に有難く、書く励みとなっております。この場を借りてお礼申し上げます。
http://dwellerinkashiwa.net/?m=20140804
昨年5月に東大柏の葉キャンパス・高齢社会総合研究機構傘下のわいわいサロン(HP=ホームページサークル)に参加してHP作成のノウハウを取得、今年1月から同じくわいわいサロン(スマホサークル)に参加してガラケーからスマホに切り替え、コンピューターの便利さを実感しております。
さて本記事ですが、昨年8/4の記事で朝日新聞と東大を批判したところ、8/5朝日新聞で「慰安婦記事の取り消し」の報道があり、余りにもタイミングが合っていたという記憶があります。今、柏市では市会議員の選挙があり、小生は後援会長をしています関係上、今週は朝早くから駅頭での挨拶、昼は住宅街での歩きながらの訴え、夜は演説立会等忙しいです。8/7は海上自衛隊上総基地正面での演説立会をしました。本日が投票日です。結果は明日掲載します。共産党候補は政党のチラシを配っていました。(個人のチラシは告示期間は違反)。学生運動華やかなりし時代のご老人が殆ど。学生と思しき人が一人。民青と思われます。彼らは中国の脅威をどう思っているのでしょうか?聞いてみたいと思いましたが、選挙期間中に喧嘩してはマズイと思い止めました。チラシには「戦争法案反対」と朝日新聞と同じというか朝日新聞が共産党のマネをしているのでしょうけど。国民も共産党やメデイアの欺瞞性に早く気付かないと。戦争を避けるには抑止力が一番大切です。一国だけでは平和は守れません。欧米や中韓が日本の名誉を貶めますが、総てを敵に回すことはできませんので、ここは我慢のしどころです。70年談話では「侵略」や「お詫び」は必要がないと思います。確かに迷惑をかけた部分はあるので「反省」だけで充分と思います。
記事
朝日新聞は昨年8月、吉田清治の虚言に始まる昭和57年以来の慰安婦報道のうち多数の記事を取り消した。この「朝日落城」から5日で一周年。その後の朝日はどうなったか。
8月以降、当然ながらマスコミでは激しい朝日批判が起こり、さすがの朝日も低姿勢を取った。社長が交代し、12月には第三者委員会の報告書が出て、社内改革が提言された。
これを「反省期」と呼んでおこう。この時期には、報道面では若干の路線修正の痕跡が見られた。系統的ではないが、時折自衛隊についての肯定的な報道が現れた。キャンペーン報道は姿を消した。
ところが一方、朝日は慰安婦問題に系統的に取り組むチームをつくった。しかも、朝日の援軍が外からやってきた。アメリカの学者187人が、5月5日、慰安婦問題をテーマにして(戦後70年の)安倍談話に圧力をかける声明を発表したのだ。
アメリカの学者たちは本当は、ある全国紙に独占的に掲載させようとしたのだが断られたといわれている。朝日はこの声明に飛びつき、数度にわたって特集でとりあげた。この時期を「自信回復期」と呼んでおこう。
その次に来るのが「全面復活期」である。これは安保法制の国会審議が本格化するころから始まった。与党の不手際につけ込み、居丈高に政権をこき下ろし、やりたい放題のキャンペーン報道を展開している。いつの間にか、落城前の朝日が全面復活していたのである。
だが、大局を見誤ってはならない。これだけの偏向報道の嵐の中でも内閣支持率が約40%もある。自民党支持率も高い。朝日新聞は最後の抵抗を試みて、なりふり構わない醜態をさらしていると見るべきだ。いずれにせよ、朝日が特権的な権威を誇った時代は永久に去ったことだけは間違いない。
8/5日経ビジネスオンライン 福島香織『王岐山イチオシの日本人歴史学者 「世界史の始まりはモンゴル帝国」の真意』について
小生もだいぶ前に岡田英弘の本を読みました。極論すれば、世界の歴史は「白人が作った」のではなく「モンゴル人が作った」という結論だったような気がします。チンギス・ハンの末裔が東は日本、西はポーランド・ハンガリー侵攻、南はインド(ムガール帝国=モンゴル帝国)、北はロシア(タタールの頸城)と世界の版図を塗り替えました。多くの日本人の頭には西洋の歴史と中国の歴史(と言っても漢民族が中国大陸を支配できた時代は漢・後漢・宋・明・中華民国・中華人民共和国しかありません。万里の長城以北は漢族の土地ではありませんでした。70年談話の有識懇の侵略明記は歴史を知らないものの戯言です。でも白人、中韓全部を敵に回せないので漸進的に進むしかありません。今回は「お詫び」をカットするところまででしょう)しかないでしょうが、岡田史学はモンゴル人を中心とした世界史でした。勿論ルネッサンス、産業革命を経て白人の火力の前に世界は植民地化されていくわけですが。
王歧(正しくは岐ではありません)山は公の場にずっと姿を見せていないとのことです。①JPモルガンに知人の子弟の就職斡旋の問題の発覚により左遷されたか②江派(特に曽慶紅辺り)の重点調査をしているかです。王にしろ習にしろ暗殺の噂がかなり流れていますので、身辺に注意しているのかもしれませんが。今北戴河会議が行われています。そこに出ているかどうかですが、動静が掴めません。
人民銀行総裁経験者の戴相竜、周小川も拘束されているようです。経済官僚は賄賂の額も半端ではないのでしょう。睨まれるとテクノクラートであることが仇になります。中国ではやはり理科系の方が無難です。江、胡、習とも軍未経験者は皆理科系です。まあ、戴、周も江派だからかもしれませんが(事実関係は不明です)。
中国は易姓革命の国、また専制国家の歴史しかありません。「歴史」は「history」を訳した日本から輸入された言葉です。中国人の考える歴史とは政治の一部ですので、日本人のような実証史学とは趣を異にします。多様な歴史研究等はあり得ないと思います。日本に捏造した歴史を押し付けるくらいですから。
記事
先週の日曜、東洋史学の大家の岡田英弘・宮脇淳子夫妻のお宅でランチをごちそうになった。そこで話題に上ったのが「王岐山氏が岡田英弘先生の本を中国で絶賛したのはどういう意図だろうか」ということだった。王岐山はいわずと知れた中国共産党中央政法委書記で反腐敗闘争の陣頭指揮をとっている習近平の右腕。4月に中南海で米政治経済学者のフランシス・フクヤマ、在米の比較経済学者の青木昌彦、中信証券国際董事長の徳地立人の三氏との座談会で、王岐山は岡田英弘をいきなり絶賛しはじめた。王岐山は中国社会科学院近代史研究所に在籍経験もある歴史好きの本好きであることは有名で、気に入った本をやたら人に勧める性格である。が、中国の一流の政治家が公式の場で何の(政治的)意味もなく日本の史学家の名をあげて推奨するだろうか。
この催しは外国専家局が主催する改革建言座談会と題され、2015年4月23日に政治の中枢である中南海で行われた。こうした催しにはいくつかランクがあるが、人民大会堂ではなく釣魚台迎賓館でもなく、中南海に招待されるのは国賓待遇といっていい。この会談の内容は「共識網」という中国の思想サイトと中国系香港紙「大公報」に発表され、まもなく削除されたので、発言のどこの部分がまずかったのか、習近平政権として否定している普遍的価値観を認めているととれる発言箇所があったからではないか、といろいろと憶測を呼んだ。
日本の伝統史学に懐疑を示す“蔑視派”
座談会が始まってすぐに王岐山はこう語りはじめた。
「…去年、岡田英弘の歴史書を読みました。そのあとで、私はこの人物の傾向と立ち位置を理解しました。彼は日本の伝統的な史学に対し懐疑を示し、日本史学界から“蔑視派”と呼ばれています。彼は第三世代(白鳥庫吉、和田清につぐ?)の“掌門人(学派のトップ)”です。モンゴル史、ヨーロッパと中国の間の地域に対するミクロ的な調査が素晴らしく、民族言語学に対しても非常に深い技術と知識をもっており、とくに語根学に長けています。彼は1931年生まれで、91年に発表した本で、史学界で名を成しました。これは彼が初めてマクロな視点で書いた本で、それまではミクロ視点の研究をやっていたのです。私はまずミクロ視点で研究してこそ、ミクロからマクロ視点に昇華できるのだと思います。大量のミクロ研究が基礎にあってまさにマクロ的にできるのです」…
岡田は1957年26歳のとき、「満老文檔」(清朝初期の満州語記録)共同研究で史上最年少で日本学士院賞を受賞するも、既存の中国正史に追従する中国史学に異を唱えたことで、日本の史学界では異端児扱いされ続けた。それを今、中国一の歴史通の政治家が高い関心を持っているのは面白い。
原稿の中では、書名は出ていないが、岡田の著書の中で華字翻訳されているのは今のところ台湾で出版されている『世界史の誕生』(ちくま文庫)だけであり、また実際、この対談のあとに十数社の中国の出版社から同書の中国出版オファーが殺到したらしいので、王岐山が読んだのが同書であることは間違いない。“蔑視派”というのは王岐山の造語だろう。日本でそんな呼ばれ方はされていない。意味は推測するしかないのだが、この座談会後にネットに書き込まれた解説では、おそらくは、日本の伝統的史観、神話色彩の強い古代史を実証主義的な手法で批判した研究をさすようだ。日本では使われることのない言葉をわざわざ使って、岡田を論評しているのも不思議だ。
「優秀なDNAが中国文化の中にある」
さらに王岐山は、フランシス・フクヤマに対してはこんな発言をしている。
「あなたの言う、国家、法治、政府の説明責任、全部の中国の歴史の中にそのDNAがあります。中国文化の中にそのDNAがあるのです」
「政治は西側ではどのような解釈ですか? 中国では“大衆を管理する”ことが政治です」
「米国の友人は、米国はたかだか200年の歴史しかない、と言っていますが、私は違うと思いますね。米国は欧州地中海文化を伝承しているのです。岡田英弘は言ってますよ。文明があるということは必ずしも歴史があると言うことではない。歴史と文明がともにあるのは世界上、地中海のギリシャとローマ、そして中国だけだと。彼はこうも言っています。中国の歴史は一般に司馬遷から語られているが、孔子から語られるべきだ。史記にも孔子は記載されている、と。中国の現代化のプロセスはまだまだ長い道のりがあります。我々がまずはっきりさせておかなければならないのは自己の歴史と文明、優秀なDNAが現代化の実践の中で発揮されなければならない、ということです。優秀なDNAは中国文化の中にあるのです。中国は多民族の遺伝の中で変異しているのです。中華民族はさらに西側文化のよいものを吸収し、世界上各民族の優秀なものを吸収しなければなりません」
「(中国の憲法は法治を実現できますか、というフクヤマの質問に対して)不可能です。司法は必ず党の指導のもとに進行されねばなりません。これは中国の特色です」
これは、習近平政権の従来の立ち位置を踏襲している。欧米の民主主義や法治を中国は受け入れられない、政治も法も共産党が大衆を管理するためにある。中国には中華文明にはぐくまれた秩序、手法がある、外国に手伝ってもらわなくて結構、と米国学者に主張するために、岡田著作中の都合のいい文言を捻じ曲げて引用している、と読めなくもない。
だが、王岐山も岡田の「傾向と立ち位置」を理解しているとわざわざ言及している。
本来の岡田史観は「中華復興」と対立
岡田中国史観は習近平政権の「中華民族の偉大なる復興」路線と、むしろまっこうから対立する考え方である。その特徴は漢字で書かれた中国正史資料だけではなく中央ユーラシアの遊牧民族史料からのアプローチで、漢字の中国正史が描く「正統な皇帝を中心とする中国世界」」という中国4000年の歴史観の実態とかけ離れていて、その主役というのは常に入れ替わり激しく変化し、いわゆる「中国人」はむしろ被支配層であった時間の方が長かったという見方だ。
『世界史の誕生』は歴史の新しいとらえ方を考察、提示することがテーマだが、元も清も中国を支配した王朝であって、中国の王朝ではないと書いているし、支配階層で文化も高い「夷狄」を野蛮人とさげすむ中華思想は、被支配層の中国人の病的劣等意識の産物ともいう。また「共産党中国のチベット統治の正統性を元清朝時代の関係を引き合いに出すならば、現在のモンゴル国こそ中国領有の権利を主張できる立場にある」などとも言っている。中華民族の優秀なDNA論を補強するためならば、もっと引用しやすい中国史家が日本にも海外にも山ほどいるはずだ。
ではなぜ岡田英弘を持ち上げたのだろうか。背景には、この2年ほど盛り上がっている「新清史」論争があるかもしれない。「新清史」とは1990年代の米国で台頭した清朝研究の一学派で、「満州、モンゴルなど少数民族史料を重視した反“漢族中心論”清朝史学」(百度百科)という。岡田史学にアイデンティティ研究を足したもの、という表現もある。新清史の中心研究者の一人、マーク・エリオットは岡田の弟子である。
聞くところによると、中国では江沢民政権時代、現代中国の領土と民族的基礎となる清朝の歴史を国家の正史と位置付けるため、大予算を投じた「大清史」編纂プロジェクトが立ち上がった。この頃、北米で台頭した新清史学派が話題となり、英語のできる院生たちが夢中になり、新清史の成果を参照して論文を書くこともかなり多かったという。
一方、これを敵視する教授たちも多く、論争になった。こうした論争は今にいたるまで史学界で続いており、特に去年の秋ぐらいから、「清朝は中国王朝ではないのか」「清朝の雍正帝は華夷一家と言っており、このころは民族と言う言葉はまだなかったのではないか」「新清史は満州族の漢化の事実を否定しているのではないか」といった論争や反論が登場している。最近も7月7日の中国社会科学報では「“新清史”背後の学風問題」と題した徹底反論が掲載されている。
研究業績と研究スタイルに感銘か
岡田に師事した清朝史研究者・楠木賢道が現在、吉林師範大学に招聘されているのも、こうした新清史論争をめぐる研究者たちの関心の高まりがあるかもしれない。楠木は同学で「江戸時代の清朝研究」という講義を受け持っているが、「江戸時代の知識人は国民国家史観と無縁であり、清朝の持つ権力分散的で多元的、多文化的、多民族的な体制がうまく機能していたことを理解していた、この理解は岡田先生やその影響を受けたマーク・エリオットの“新清史”に近い」という。院生向けだが修士から副教授までが集まる人気講義だという。
楠木に王岐山発言をどう理解するかと尋ねるとこう答えた。
「『大清史』編纂がそろそろ最終局面にきています。ですが中国の史学界は一次史料読解の訓練、史料に基づく微視的研究が充実しているとはいえず、微視的な研究に基づく着実な巨視的構想も少なく成果も玉石混淆。(近代史研究所にいた)王岐山は歴史研究とは何かを理解している人でしょう。また、それらの報告書に目を通す立場にあり、感じるところがあったのではないでしょうか。そして最近華字翻訳が出た『世界史の誕生』を読んで、説得力のある壮大な構想に驚愕した。さらに岡田先生について調査し、長い時間をかけた地道な史料研究と、結構現代中国に対して批判的な発言をしてきたことを知った。中国について批判的な態度はとっているけど、研究業績と研究スタイルに感銘を受け、中国の研究者も見習ってほしいと、思わず話題に出してしまったのでは? 王岐山がチベット問題、ウイグル問題について、現状とは違う解決方法を模索していて、岡田先生の名前を出したと考えるのはうがちすぎでしょう」
私も自分なりに憶測をめぐらしてみよう。王岐山は『世界史の誕生』については、本の副題でもある「世界史はモンゴル帝国から始まった」というフレーズに惹かれたのではないだろうか。現在の世界の大部分が西洋の秩序に支配されているなかで、世界史の起源は西洋ではなくてモンゴルであり、元の文明は清へと受け継がれて現代中国に至るという風に考えれば、中華秩序が世界の半分ぐらいを占めてもいい、と言う根拠になると考えたとか。問題は清朝の国家アイデンティティだが、その部分は「新清史」を論破して、間もなく完成する「大清史」で、現代中国が大清国の正統な継承者と結論づければいい。中国で出版される歴史本は厳しいセンサーシップがあるので、岡田著作を翻訳出版することになっても、都合の悪い部分は削り、むしろ中国の公式の歴史観を補強することに使えるかもしれない。
「歴史を持つ強さ」その本気度は?
「歴史と文明をともにもつのは地中海国家と中国だけ」「世界史の始まりはモンゴル帝国」と言いたくて、岡田英弘の名前を「民主主義と自由主義経済の最終的勝利で歴史終焉」と書いたフクヤマにぶつけてみたのだが、そのあとネットで「王岐山が言った岡田英弘って誰?」という反応が広がって、実はかなり中国にとって都合の悪いことも言っていると知られてしまい、そういう人物を持ち上げてしまった王岐山が、後になってバツが悪くなって、座談会原稿を削除した?とか。
あるいは、王岐山は本気で清朝末期と様相が似てきたという指摘を内外で受ける現代中国の直面する問題の打開策のヒントとするために、あらゆるタブーを破ってでも清朝研究を発展させたいと思って、こんな発言をしたと考えるのはどうだろうか。そうだとすると、王岐山は、根は習近平と考え方を異にする「改革派」ということになるが。
岡田著作でもたびたび言及されているが、歴史を持つ国は歴史を持たない国よりも強いのだ。中国が本気で強くなるために、いままで史料や情報や思想上制限してきた箍(たが)をはずし、本気で岡田史学・新清史学を含めた多様な歴史研究の方向性を模索しているとしたら、これはこれで侮れない。
8/3ZAKZAK 矢板明夫『中国共産党にカモならぬ“北京ダック”にされた日本 「100年で3度も美味しく味わった…」そのココロは?』について
いつも言ってますように中国では「騙す人が賢く、騙される方が馬鹿」と言うのが基本的価値観です。8年の中国駐在を終えて2005年に帰国し、会社の中でこの話をしたら、「国粋主義者」「人種差別主義者」と言われました。10年後の今でしたら、「そのとおりだ」と頷かれる方が多いのではと思います。人間はやはり自分で体験しないと分からないのでしょう。日本人の持つ善良さが世界の悪を視る眼を曇らせている部分があります。敵はそれを利用してくるという事です。
小生が良く言っていますのは「日本人同士で話したり、アクションするときには謙譲の美徳を発揮し、日本人と外国人の場合には主張すべきは主張する。主張するスイッチをオンにしたりオフにするようにする」。そうしないと世界に食い物にされてしまうという事です。「南京事件」「従軍慰安婦」について外務省の無能と売国政治家or利権政治家(選んだのは国民です)、売国メデイアにより、「なかった」ことを「あった」ことにされてしまいました。キチンと反撃してこなかったからです。グローバルな人材と言うのは語学ができることではなく、キチンと主張すべきことを主張できる人材を言います。相手に阿たり、媚びたりすることではありません。
朝日新聞の富永格特別編集委員のようにでっち上げするのは左翼の十八番です。「不注意」とか言っているようですが、「慰安婦」と同じく言ったもの勝ちです。ジャーナリストとは記事捏造者の訳かと富永氏に聞いてみたい。語学ができると言っても所詮こんなレベルの人間がジャーナリストを気取っているのでは朝日のレベルが知れようというもの。白人か会社の経営者に阿る愚かな日本人の典型です。

記事
名物料理、北京ダックにはいろいろな楽しみ方がある。専門店に行けば、「アヒルの三つの食べ方」という意味の「鴨三吃」というコース料理を注文できる。一匹のアヒルを分解して、その皮、肉、骨をそれぞれ三つの調理法で料理にしてくれる。
第一の食べ方は北京ダックの定番、焼き上がった皮を削ぎ切りにし、小麦粉を焼いてつくった「薄餅」(バオビン)で包んで食べる。第二の食べ方は肉の部分をモヤシなどと炒めて肉料理にする。第3の食べ方は、骨のガラを使って白濁したスープをつくる。アヒルのすべての部位を無駄なく使い、同じアヒルから三つの違う味わいを引出すのがこのコース料理の売りだ。
先日、数人の中国の改革派知識人と北京市内のレストランで「鴨三吃」を注文した。杯を重ねているうちに、日中関係の話となった。執拗に日本批判を繰り返す習近平政権の本音はどこにあるかについて、いろいろな意見が出たが、「権力基盤が弱く、国内をまとめられないから、日本を叩くことに通じて政権の求心力を高めようとしている」という結論で一致した。
ある知識人は「最近百年、日本は実に中国共産党に都合よく利用されてきた。まるでこのテーブルにあるアヒルのように、“鴨三吃”にされている」と指摘した。アルコール度数の強い白酒一杯を飲み干してからこの知識人は、共産党がいかに日本を「三吃」してきたのかを説明しはじめた。
まず、日中戦争を利用して共産党軍の勢力を拡大させ、中華人民共和国の建国につながったことだ。1930年代までの共産党軍は弱く、国民党軍との内戦で圧倒的不利な立場にあった。しかし、日中戦争が勃発すると、共産党軍は口で「抗日」といいながらも、ほとんど戦争に参加せず、後方の延安にこもって英気を養い、軍勢を拡大させた。最後に、日本軍との戦いで困窮した国民党軍の背中を刺すようにして、中国全土を占領した。このことを中国建国の父、毛沢東本人も認めている。1964年に訪中した当時の日本社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し戦争の謝罪をしたが、毛は「何も申し訳なく思うことはないよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。中国国民に権利を奪取させてくれたではないか、皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったろう」と話した。毛沢東のこの発言は中国側の資料にも残っている。
そして、日本を二度目に利用したのは、鄧小平だった。1970年末に最高実力者となった鄧小平は、自らが推進した改革開放路線を支えるための資金と技術を手に入れるために日本を訪問した。松下電器の創業者、松下幸之助を訪ねたときは実に低姿勢だった。鄧小平は「これから私たちは近代化しなければならない。外国の技術や資金を導入することにしている。電子工業がなければ、近代化は実現できないので、あなた方の電子工業を私たちの方に持っていきたいと思っている。協力していただけないか」と頭をさげた。
その率直さに感動した松下幸之助は即座に「何であれ、全力で支援するつもりです」と答えた。鄧小平は満面笑みを浮かべ、松下電器の記念冊子に「中日友好前程似錦(中日友好の前途は洋々たり)」と揮毫した。
その後、松下電器は中国進出の先兵となり、中国各地で工場を次々とつくった。松下幸之助は自身の財界への影響力を行使し、ほかの企業に対しも中国進出を積極的に勧めた。1980から90年代までの約20年、日本から投資と技術協力が中国の高度経済成長に大きく貢献をしたことは言うまでもない。
しかし、中国が世界貿易機構WTOに加盟した 2001年ごろ、経済面で日本を必要とする部分が減少した。中国共産党は歴史問題で日本を執拗に批判するようになり、政権固めのため道具として、日本を三度目に利用した。その傾向は2012年秋に発足した習近平政権以降、さらに顕著となった。各国の指導者を招いて9月に北京に行われる“抗日戦争勝利70周年を祝う軍事パレードは、その典型の一例といえる。
因みに、中国当局が黙認された各地の反日デモなどで、日本企業が狙われ、山東省と江蘇省のパナソニックの工場も襲撃対象となり、焼き討ちされた。北京ダックを口にしながら、「日本が中国共産党に“鴨”になっていることを、どれだけの日本人は知っているのか」と考えた。

