『タイタニック同然の資本主義に置き換わる新しいコミュニズムとは 社会学者が語るベーシックインカム、MMT、共同所有自己申告税』(6/13JBプレス 長野 光)について

6/13希望之声<加国律师:世卫主导的滥权防疫已成世界灾难 该收场了=カナダの弁護士:WHO主導の防疫での権力濫用は世界的な大惨事になった。終わりにすべき>最近、カナダの人権派弁護士であるハーブ・ダントン(Herb Dunton)は、英語版「大紀元」に評論を発表し、1年以上続いている中共ウイルス(新型コロナウイルス)の流行で、多くの政府がWHOの誤った指導の下、権力濫用して防疫のための都市封鎖を実施し、これらの措置は民主主義、自由、人権に大きな挑戦をもたらし、世界の大惨事となっている。したがって、彼は訴えた:権力濫用の防疫は終わらせるべきである!

以下は彼の文章の翻訳である:

世界中の中共ウイルスの防疫措置は大惨事になっている。今が終わせる時である。我々の指導者は、この期間に犯したひどい間違いを説明すべきである。

民主主義、人権、自由は片隅に追いやられ、気にすることもなく、邪魔になることさえある。人々は自由に動き、生計を立てる権利を奪われている。言論の自由はなくなった。中共ウイルスの権威と絶えず変化する科学理論に異議を唱えることはできない。宗教の自由は打ち砕かれ、武装警察は牧師を投獄し、教会を閉鎖した。無数の人が飢餓に追いやられている。警察は世界警察国家の抑圧する代理人になり果てた。

この問題の根源は、国の主権が、混沌・リーダーシップ不在・無知・無責任な官僚的国際組織である世界保健機関(WHO)によって、実際に完全に掌握されているという事実にある。世界保健機関は、国家の僕から国家の主人と独裁者に変わって、正しい役割を放棄した。

これはどういうことか?世界保健機関による情報の管理は、その権力の範囲をはるかに超えている。世界保健機関は、ソーシャルメディアのGoogle、Facebook、Twitter、その他多くの組織と公然と協力し、主流メディアに「“フェイクニュース”を濾過し、WHOなどの信頼できる情報源から正確な情報を伝える」ように指示している。

この方法を通じて、WHOは世界のメディアを管理し、中共ウイルスに関する情報独占を確立し、主権国家の言論の自由を消滅させた。WHOにはそのような権力はないはず。

メディアの寡頭制は、WHOの任務に欣喜雀躍とし、懐疑論者を嘲笑し、反対する専門家のアカウントを取り消した。メディアの寡占は、WHOの政策に異議を唱えなかっただけでなく、逆に、グルになって悪事を働き、よって立つべきでない中共ウイルス対策を擁護した。

WHOはまた、世界の医学界との関係を利用して、権力濫用した。WHOは、個人の忠誠心と国際保健規則(IHR)の運用を通じて、世界の医療機関に深く結びついている。

WHOは、「感染を防ぐため、国際的な団結、政府全体と社会全体の包括的な戦略」を求めている。世界各国の保健部門はこの要求を遵守し、WHOの恐ろしい防疫措置を実行するよう政府に強制し、WHOの「世界政府」の「健康」アジェンダを国家の憲法上の義務より上に置く。しかし、これらの対策は、科学がウイルスについて何も知らなかったときに形作られた。

ただし、WHOにはそのような法的権限はない。その規約には、「各国政府の要求に従った支援」のみを授権している(第2条)。国際保健規則は、WHOが各国政府に「拘束力のない」「勧告」を提供することのみを許可し(国際保健規則の第15条、第16条)、「人間の尊厳、人権、基本的自由を充分に尊重」し、 「国家主権」の承認を受けねばならない(国際保健規則の第3条)。各国は互いに「協力」するだけでよく(国際保健規則の第44条)、主権がWHOの下で「団結」して屈服する必要はない。

当初、各国の主権政府は愕然とし、WHOの警告に続いた。WHOは世界中の怯えた人々からこの幅広い大衆基盤を獲得しており、政治指導者はWHOの政策に疑問を呈することすらできず、そうしなければメディアによって非難される。 WHOは主権政府を効果的に迂回し、公衆衛生コミュニティとメディアを通じて人々を直接管理する。

驚くべき利益相反は、WHOが公然の秘密で、世界ワクチン・免疫連盟(the Global Alliance for Vaccines and Immunization 、GAVI) と 製薬会社と協力して、中共ウイルスの科学的定義を提供すると同時に、ワクチン提供の解決案を出し、この取引で無限の利益を上げている。

その拙劣な影響力の立場で、WHOは一連の恐ろしい過ちを犯した。WHOは、ウイルスの隔離における中国の成功は「非常に印象的で、言葉にならない・・・多くの点で、中国は実際に疫病対応に新しい基準を作った」と発表した。WHOは今までずっとそのような厳格な基準に従ってきた。

WHOは、「世界中で報告されている中共ウイルスの症例の約3.4%が死亡した」と主張し、これは世界を怖がらせる可能性があった。しかし、2020年8月までで、WHOはこっそり死亡率を0.6%と見直しした。 2020年9月に、WHOは再びそれを0.2%に減らした。他の専門家は、実際の比率はさらに低いと言っている。

WHOは、「適切な対策を講じれば、中共ウイルスを制御できる」と宣言した。しかし、多くの専門家は、空気感染するコロナウイルスは制御不能であることを初めから知っていた。WHOは、中共ウイルスの危機をスペイン風邪と繰り返し比較し、後者は1億人が死亡したと。ただし、中共ウイルスはスペイン風邪とはまったく異なる。

WHOは、中共ウイルスに対する対応を地球の隅々まで監視しようとしている。WHOは、一気通貫で、検査、隔離、接触者追跡、学校閉鎖、大規模集会の取消、咳のエチケット、ソーシャルデイスタンス、隔離連絡者、軽症例も入院、隔離・拘留施設、マスク、国境閉鎖、ワクチン、都市封鎖、在宅命令など、全世界に適した解決法を規定した。WHOは次のように宣言した。「世界は元に戻ることはない。新常態になる。しかし、これはWHOが決めたのではない。WHOの言う“新常態”はずっと掛け値なしの災難である」

悲しいことに、WHOはその過ちについて決して謝罪せず、それが引き起こした恐怖を消し去ることができていない。そのリスクの言い方は決して変わっておらず、その警報は決して下げられていない。

事実、今回はWHOがミスを犯した。その腐敗行為は計り知れない害を引き起こした。しかし、誤解しないでほしいのは、我々はWHOを必要としており、姦商、スポンサー、投資慈善家と共にではなく、独自の旗幟と自己原則の下で運営する。

これは、中共ウイルスの真の影響を過小評価するものではない。 中共ウイルスは、我々が日常生活で直面している他の病気と同じように、非常に恐ろしく、時には致命的である。ただし、多くの専門家は中共ウイルスの流行は他の毎年の流行病と大きく異ならないと考えている。最近の数学的モデリングでは死亡率の大幅な増加が推定されているが、最も良い証拠は、疫病流行中の超過死亡が比較的少なかったことである。

我々は中共ウイルスの防疫における権力濫用をどのように阻止できるか?独自の憲法上の権力を使うことにより、人民は民主社会における究極の主権者になる。我々人民は立ち上がって、あらゆる機会を利用して訴えなければならない。

当初、我々が選んだ指導者たちは、WHOのアジェンダに屈するしかなかった。しかし、恥ずべきことは、多くの政治家もヒステリックであり、偉大な文明の原則の解体を齎している。一部の人は危機を利用して、新しい権威主義的権力を掌握した。他の人々は、中共ウイルスの恐れによって引き起こされた安易な選挙の勝利を楽しんでいる。今、我々の指導者は、彼らが引き起こした混乱を一掃し、保健官僚から政府の手綱を奪い返し、それを正常に機能させる必要がある。

あなたの指導者に手紙を書いてください。彼らの政策がこの時期に貧しい人々の絶望的な窮状とすべての害を引き起こしたことを彼らに思い出させてほしい。彼らの人権侵害は疫病流行によって正当化はできず、選挙投票で恩返しはできないことを指摘してほしい。彼らは国家主権の原則を再確認し、WHOを通じた企業による主権の侵害を撃退しなければならない。

中共ウイルスの防疫における権力濫用は今や終わらせ、壊れた世界を一掃する時が来た。この災害の加害者は必ず責任を負わなければならない。民主主義はそれ自体を再構築しなければならず、文明社会を襲う全体主義の異端に直面して、民主主義自体を再確認しなければならない。

この弁護士はトルドーの政策を改めるべきと言っているのでしょう。カナダの防疫措置がどうなっているのかは知りませんが、WHOの主導した都市封鎖をしていたのでは。WHOが明らかにしたのは、国際組織のいい加減さです。日本人は国際組織を有難がりますが、所詮白人のFDRが盟主になることを夢見て作った組織です。UN傘下のWHOだって官僚主義と腐敗が蔓延しているのは同じでしょう。中共がそこに浸透し、つけ込んでいるだけです。いい加減、主権を越えることのない国際組織の言うことを信じるのは止めることにしたら。

中共とWHOがグルになって、世界中の人を恐怖に慄かせ、それによって一儲けし、あわよくば米国の世界覇権を弱体化できると思ってのことでしょう。でも世界で1.75億の感染者と379万の死者を出し、このほか失業を苦にして自殺した人もいるはずです。この弁護士が言うように、中共とWHOは各国から責任追及されるべきです。

https://www.soundofhope.org/post/515132

6/12阿波羅新聞網<美参院两党推动外交抵制北京冬奥 将进一步施压美企=米国上院で両党は北京冬季オリンピックの外交ボイコットを推進し、米国企業にさらに圧力をかける>米国議会は、中国の新疆ウイグル自治区での人権侵害に再び焦点を合わせた。両党の議員は、中共によるウイグル人や他のイスラム教の少数民族への迫害への対応として、2022年北京冬季オリンピックの米国政府による外交ボイコットへの支持を続々表明した。また多くの超党派議員は、新疆ウイグル自治区での強制労働の問題で米国企業が果たした役割に不満を表明し、関連する米国企業に圧力をかけると述べた。

日本企業もその内、糾弾されるようになる。ESGから大きく外れることをしていて、投資家の支持は得られない。大幅な株価下落が起きるでしょう。ユニクロは売ったほうが良い。

https://www.aboluowang.com/2021/0612/1605163.html

6/12希望之声<高考后厌世?河南长葛7高中生集体跳河 4人死亡(视频)=大学入試後に厭世?河南省長葛の高校生7人が集団で川に飛び込み、4人が死亡(ビデオ)>6/12日早朝、河南省長葛市の川に複数の人が飛び込んだ事件が発生し、7人中4人が死亡した。当時、これらの人は川のほとりで酒を飲んでいて、世を儚む言葉を言っていた。地元の人によると、溺死した人はすべて大学入試を受けたばかりの学生であったが、当局の通知は意図的に故人の年齢と身元を隠した。

中共長葛市党委員会宣伝部のWeibo公式ニュースによると、2021年6月12日午前3時52分、長葛市の清潩河の趙庄橋の南側で飛込溺死事件が発生した。当初の調査では、当事者7人が川で飲んでいたことが判明した。この間、世を儚み、1人が突然柵を飛び越えて川に飛び込み、さらに5人が次々と川に飛び込んだ。関連部隊と要員が積極的に救助し、7人のうち4人が死亡し、他の3人は生命の危険はなかった。関連事項は調査処理中である。

中国メデイアの「頭条新聞」Weibo版によると、地元の人々は、溺死した者はすべて大学入試を受けたばかりの学生であると報道した。

明らかに、当局の通知は意図的に故人の年齢と身元を隠していた。

ネチズンが投稿した動画は事件発生地の様子を映し出し、早朝の川跳び事件について地元の人たちが集まって話をしていた。趙庄橋の路面は川面から約10メートルの距離にある。

中国人は飛び降り自殺が好きなようです。大学受験に失敗したくらいでもったいないと思いますが、自由のない、中共が支配する国だから?でも、コネと賄賂で何とでもなる国なのに。学歴がなくともあくどいことをすればのし上れます。

https://twitter.com/i/status/1403677868656300032

https://www.soundofhope.org/post/515072

長野氏の記事で、大澤真幸は橋爪大三郎同様、小室直樹の弟子に当たるのでは。読後感として、強欲資本主義も略奪社会主義も立ち行かなくなっているので、コモンズを基礎におくコミュニズムにして、MMTやベーシックインカム、共同所有自己申告税を実行していくと考えているようです。

まあ、性善説に立った上で社会システムを考えているようで、現実の米中の為政者たちを見ていれば、そんな善人ばかりでないことが分かるでしょう。いくら日本人が性善説で人を見ていたとしても、うまく機能するとは思えない。勤労の価値を考慮し、働けない人にはセーフテイネットを被せる仕組みのほうが分かりやすいのでは。

MMTはハイパーインフレを起こすとしか思えませんが。起こすことはないと断言できる論拠があるのかどうか。大澤氏もそれについて説明していません。実験するにはリスクが大きすぎるのでは。

小生は、原丈人の公益資本主義の方に魅力を感じます。株主重視の経営でなくステークホルダー重視、イノベーション重視の経営をする。①世界の成長エンジンとなる新しい産業を起こす仕組みを作る②リスクをとって新産業に取り組むところに潤沢な資金が回る仕組みを作る③民間による途上国への支援

記事

ソ連崩壊後、揺るぎない経済・市場システムであるかのように考えられてきた資本主義だが、近年、先進国は伸び悩み、中国の台頭によって、その信頼は揺らぎ始めている。米国では固定化され始めた格差が人々の不満を煽り、社会民主主義を唱える大統領選の候補者が大きな注目を集めた。また、ベーシックインカムや現代貨幣理論(MMT)など、貨幣と経済法則に対する挑戦のような概念も次々と脚光を浴びている。GDPの向上を追い求めても幸せになれない現代において、資本主義はどこへ向かうのか。

 コミュニズムの可能性、限界を迎えている資本主義、MMTとベーシックインカム、共同所有自己申告税(COST=Common Ownership Self-assessed Tax)、この世界で生きる価値について──。『新世紀のコミュニズムへ:資本主義の内からの脱出』を上梓した社会学者の大澤真幸氏に話を聞いた。(聞き手:長野光 シード・プランニング研究員)

──「これまで資本主義というシステムでやってきたが、新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、今後も類似の災害が気候変動を通して発生していく可能性を考えると、弱肉強食的な資本主義では社会がもたない。そこで、コミュニズムが見直される」と本書で述べています。

大澤真幸氏(以下、大澤):私たちは今も、新型コロナウイルスのパンデミックの渦中にいます。コロナの前から、資本主義は「地獄に向かっている船」みたいなもので、何らかの形のオルタナティブが必要だと考えていました。

パンデミックに関しては、最初は欧州の報道を見ていて、これは「ただならない事態だ」と思うようになりました。

2020年4月、ベネチアのカーニバルについての報道がありました(「そして街から人が消えた~封鎖都市・ベネチア~」NHK BS1)。3週間続いたカーニバルが、あと数日で終わるというタイミングで、コロナによって突然中止になったんです。

当初、イタリア人はみんな、これは「中国の問題で自分たちには関係のないことだ」と思って、誰も関心を持っていなかったんですね。でも、そのうちに感染者がどんどん増えていって、あっという間に都市をロックダウンしなければいけない状況になった。

番組の中である若い女性が、「自分はこの一瞬で何か根本的に変わってしまった、もう元に戻らないような気がする」というようなことを言っていました。わずかな時間で、全く予想もしてなかったことが起きたということをよく言い表していて、とても印象的でした。

今までは地球の別々の場所で、別々の形の事件や災難が起こっていました。大きな出来事には震源地や中心地があって、そこから離れれば離れるほど関係がなくなっていく構造だった。ところが、今回のように中国で起きた出来事が、あっという間に欧州の問題になってしまうのは、人類の歴史上初めてのことだと思います。僕自身も、日本の住民としてだけでなく、地球全体の住民として、途轍もない大きな出来事だと感じています。

資本主義が「沈没直前のタイタニック号」だと思う理由

大澤:ただ、冷静に考えてみると、人新世(人間の活動が、生態系の状態を決定する最も重要な要因となった時代)という文脈の中で起きていることなので、「全く予想できなかったことではありつつも、なるべくしてなったことである」という二重性があります。大きな事件が起こると、それは驚くような偶発事であると同時に、偶発ながらもそういう運命がいずれ来ることは分かっていた、というような気持ちにもなります。

コロナウイルスによる大規模な集団感染だけでさえも、21世紀になってから、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)に続いて既に3度目なんですよね。7年に一度の率で、起こっていると考えると、実はかなり高い頻度です。一生に一度か、100年に一度だと思うからみんな我慢していますが。

もし5年に一度、このような非常事態が起き、そのたびに「みんなで経済活動を停止しましょう」と言ったら社会がもちません。1カ月、2カ月でも、生きるか死ぬかの問題になっているのですから。ということは、我々のシステム自体が新しいウイルスや気象変動に対して極めて脆弱にできているのではないか。新型コロナがすべての問題なのではなく、問題の一部に過ぎず、「この問題は終わらない」と思いました。

だから、基本的なあり方を変えなければしょうがないと考えるようになりました。今後、我々は「一時避難」で今のシステムを守るのではなく、システム自体を別の形に変えていかなければやっていけない。それを「コミュニズム」という言い方で、アイデアを出したということです。

──どこかで新しい形のコミュニズムへ移行するというビジョンをずっと持っていたということでしょうか。

大澤:資本主義は「沈没直前のタイタニック号」なんです。氷山にぶつかり、浸水が始まってから沈むまでの間のタイタニック号。

タイタニック号が沈むことはみんな分かっている。沈むまでには少し時間がある。それなのに、人は船から脱出しようとしない。船から逃げて、冷たい海に飛び込めば即死だと思っているからです。だから、沈むタイタニック号にしがみつかざるを得ない。このように人は、確実に沈没すると分かっている船に執着することがあります。

資本主義も、このまま永続的に100年や200年も乗り続けられる安全な船だとみんな思っていない。既にいろいろな弊害が出ているので、現在のシステムの根本的な部分に穴がある、ということは分かっている。破綻するなら脱出すればいいんだけど、脱出もできない。脱出しても即死だし、船に乗ったままでも死ぬ、と。

そういう時には、「外には出られるんだ」という想像力が必要になります。

大西洋に沈んだタイタニック号。資本主義はどうだろうか(写真:akg-images/アフロ)

「悪い社会主義」が必要なのはなぜか?

大澤:かつての冷戦時代に、資本主義の外に出られるような積極的な選択肢が見えていたわけではありませんが、とにもかくにも社会主義という体制がありました。

社会主義体制は、西側の資本主義体制よりずっと悪いもので、ボジティブな選択肢にはなり得ないことは西側の人たちは、皆知っていました。ただ、今から振り返ってみると、たとえ悪い社会主義でも、ないよりはマシだった。悪い社会主義があれば、「それ」を否定し、克服すればあるべき良い社会主義に至る可能性があるという想像力が働くんです。悪い社会主義が現存しないと、良い社会主義があり得るという想像力も働かなくなってしまう。

21世紀になって、資本主義の危機はより深刻に見えてきているのに、その「外」への想像力は全く働かなくなってきている。今とは別の船が存在できて、大丈夫な方向があり得るんだということを示して、「外に出られる」という想像力を活性化する必要があると考えています。

──「リーマンショックの教訓」では、リーマンショック時に、政府が銀行や大企業に多額の公的資金を投入して救済するという社会主義の手法を採ったと述べています。でも、リーマンショック後は米国も日本もそれまでのシステムに戻りました。資本主義のシステムは、有事には必要に応じて非資本主義的な政策に大きく舵を切り、嵐が過ぎ去った後には資本主義に回帰するものなのでしょうか。それともこういったことを繰り返す過程で、次第に資本主義から脱出していくということなのでしょうか。

大澤:資本主義は巨大な妄想、幻想の上に立っている部分があります。例えば、お金は信用創造で作られているので、ほとんど借金なんですよね。全額返済される日なんて永遠に来ない。そうしたら終わってしまう。だから、返されないことは分かっているが、「返される予定になっている」という形で僕らはお金を回しています。

2010年ごろ、ギリシャの債務危機問題がありました。問題は、ギリシャが多額の借金をしていることではなく、「私たちはもう借金を返しません」と言ったことだったんです。みんな王様は裸だと知っているけれど、王様は服を着ているという想定で動いていた。しかし、一人が王様は裸じゃないですか、と言ってしまった。資本主義というお約束は、みんな知っている嘘のもとに成り立っています。だから「返せない」「返さない」と明言してはいけなかった。

資本主義を乗り越えて行くかどうかは、僕らの最終的な選択次第です。リーマンショックの時のように非常時の対応をしたら、また元に戻って。もしベーシックインカムのようなことをやったら、また元に戻って。そういうことを繰り返していくうちに、どちらが元のやり方で、どちらが一時的な対策なのか分からなくなるかもしれません。船に乗り続けることを選ぶのか、別の船に進む確信を持って新しい一歩を踏み出すのか、我々が選んでいくんです。

不可欠なMMTとベーシックインカムの組み合わせ

──資本主義がある時点で終わり、次がそこから急に始まるのではなく、片方が緩やかに沈みながら、もう片方が静かに始まっていく移行ということですか。

大澤:その通りです。資本主義も、ある日みんなで「じゃあ今日から資本主義でいこう!」と決めて始まったわけではありません。本格的な資本主義に移行するまで200年くらいかかっていますよね。何百年間の試行錯誤の末、気がついたらこうなっていた。

ここからの脱出も同じです。ゴールがはっきり見えていて、そこに向かって進むのではなく、危機を乗り越えるにはどうしたらいいか、一つずつ試行錯誤しているうちに気がついたら原理的な考え方ややり方が変わっている。システムの変化はそういう形で進むものです。

いや、そうすべきなんです。なぜなら、今生きている人たちの基本的な生活を守ることが最も重要だからです。いくらゴール地点が素晴らしく見えても、その過程で多くの人が破産し、自殺するような移行はいけません。赤に少しずつ青を混ぜていったら紫色になっていて、気がついたら青になりました、というような移行です。

──コロナ禍において、政府は緊急事態宣言によって経済活動の自粛を要請し、国民の命を守るために、国民の感染リスクを減らす必要がある。そこで、どれだけ給付金を支給できるかが問題となり、継続的な給付金の支給はベーシックインカムに相当する。これを財源の面から支える理論としてMMT(現代貨幣理論、Modern Monetary Theory)の導入を提案されています。

大澤:MMTは「政府の財政には予算の制約がないので、政府はいくら借金をしても大丈夫だ」と説く異端の学説です。ただ、僕は「MMTは素晴らしく正しいことを言ってるからそれでやってみよう」と言っているわけではない。ただ、何百年後に到達する場所だとしても、まずはその方向に一歩を踏み出さなければならない、と思ってMMTを取り上げています。

撮影:尾崎誠

「嘘も方便」のようなものです。幸いなことに、MMTは、仮に基本的な前提に誤りがあるとしても、主流派よりも経済の実態に合っているところもあります。

例えば、日本政府の多額の借金があっても、日本経済が破綻していないことからも分かるように、いくらMMTをバカにしているつもりでいても、私たちの行動の実態は既にMMT的になっている。だから、MMTを信じているかのように行動することには何の抵抗もない。そして、時に嘘から真理が生まれることもある。その「真理」が、コモンズを基礎におくコミュニズムです。

ベーシックインカムで勤労意欲は失われるか?

大澤:コミュニズムというのは、「人はそれぞれ能力に応じて貢献し、必要に応じて取ることができる」というシステムです。例えば、僕は本を書いています。でも、アイデアをゼロから考えているわけではなくて、ほとんどが人類の英知の積み重ねを前提にしてアイデアは作られている。もちろん、本もいろいろな人の力で作られて、売られている。そう考えると、僕が貢献したことなんてほとんどなくて、みんなでやってるだけなんです。

知的所有権は、しばしば過度に設定され過ぎています。究極的には、貢献は、人類全体に帰せられるしかない。だとすれば、そこからそれぞれの人が必要に応じて取れるようにすればいい。原理的にはとても簡単で、実現可能なはずです。

でも、現在の僕らの所有の権利を前提にして考えると、「何かとんでもないことなのではないか」という気分になる。何もしてないやつや迷惑かけるやつも受け取るのか、俺はこんなに社会に貢献しているのに俺の分が取られてしまうのかなど、疑問や不安はたくさんあると思います。

だから、所有という概念自体を変えていくことが一番重要です。新しいことをしようとすると、現状を否定するために、一見矛盾していると思われるような方法になる。でも、あえて使ってみて、繰り返しやっているうちに変わっていくことなのですから。

──ベーシックインカムとMMTを大胆に導入すると、資本主義が回らなくなるという批判があります。ハイパーインフレが起こり、人々は労働意欲を失い、国債の信用が失われて金融システムが崩壊するといった話です。

大澤:MMTについては既に話したので、ベーシックインカムについて述べましょう。

ベーシックインカムについてよく心配されるのは、何もしない人も同じようにもらえるのであれば労働意欲がなくなるのではないか、ということです。しかし、結論から言うと、そうはならないと思います。人は何もせず、誰にも貢献しないように生きることを幸せだと感じていないからです。問題は、他者のために、あるいは世界のためになしたことが、どのように評価され承認されるかです。

共同所有自己申告税(COST)とは何か

大澤:今は、ある人がどれだけ世界に、他者に求められたかということは、その人の労働や仕事への報酬の量で分かるようになっている。その報酬は、金銭としての値を持つようになっています。たくさん収入があって大金持ちになったということは、多くを人々から求められているようなことをなしたと感じることができる。逆に、仕事も収入もないとなると、世界で必要とされていないのではないかという不安が出てくる。

しかし、このような評価や承認のやり方は適切なのでしょうか。例えば、「僕の本がどれだけ売れたか」ということが僕のやったことの価値なのでしょうか。でも、先ほど述べたように必ずしもそうではない。

本が売れる、売れないということとは独立に、書いたことの意味の大きさはあると思います。そこに書いてあることが、誰かにとって、日本人にとって、あるいは人類にとって真に意味があって有意義だということと、その本がベストセラーになるかどうかとは別のことです。こう考えれば、やったことすべてがお金によって報われなくても十分だし、やりがいを感じることがある。

みんな基本的に、「世界に対して何かをしたい」と思っています。この世界で、自分が何かをやって、それは意味のあることだと認められて、自分が必要なものはきちんと受け取ることができれば、労働意欲はなくなりません。逆に無意味で、本当はやりたくないようなことをさせようとするから、金銭的なインセンティブが必要になるわけです。

──すべてのモノを共同所有していると考える、共同所有自己申告税(COST:Common Ownership Self-assessed Tax)という概念を紹介されています。資源のシェアという意味ばかりではなく、異常な格差を是正していくためにも効果的なアイデアだという印象を受けました。ただ、税金をどのように徴収するかという議論は生活に直結する極めてセンシティブなテーマです。コミュニズムの可能性を検討するためには避けては通れないテーマですが、現時点でこのアイデアを受け入れることができる人はたくさんいるとお考えになりますか。

大澤:確かに、最終的に誰が税金を取るのかという問題は残ります。この問題は経済システムだけではなくて、政治的なプロセスを含んでいます。もしこれを実現しようとすると、地球的なレベルで「普遍的連帯」が必要になります。国民国家を超えた協調関係を築き、人類全体を視野に入れた効率的、公平的な配分や平等な社会保障システムなどのことです。税の徴収には、国際的な国境を越えた連帯がないといけない。

現在は税率や徴収方法は異なりますが、税を取ること自体は人間のシステムとして確立しています。それぞれの国が今の「県」に過ぎないものになって、世界政府のような組織に税を徴収させることができるようになるかどうか。今回のコロナでも、一国だけでは解決できないということを実際に経験してますよね。22世紀に人類が元気に生きているかどうか、人類がまだ繁栄しているかどうかは、僕らが国民国家という枠組みを超えて、どれだけ人類という「類」として政治や権力を実現できるかにかかっています。

中国の政治体制が経済的に成功している理由

──米国ではグローバリゼーションに対する不信感を背景にトランプ政権が出現しました。英国でもBrexitがあり、欧州でも保護主義や移民を敵視するナショナリズム運動が各地で巻き起こっています。先ほどのお話では、世界が一体となることで資源が効果的に回るということですが、むしろ世界はそのビジョンから遠ざかっているように見えます。

大澤:資本主義というのは基本的に利潤が出なくては成り立ちません。利潤が出るというのは、どこかで労働が搾取されているということです。利潤の存在と労働の搾取とは、同じことです。

19世紀のマルクスの時代には、市場を一国で考えていて、一国の中に資本家と労働者がいました。その後グローバル化していくと、遠くの海外の労働者から搾取するようになった。そうしたら先進国にいる人は、みんな搾取なしで豊かになっていった。

ところが、だんだん途上国や新興国の賃金も上がってきて、海外で搾取するのも難しくなっています。エレファントカーブは、先進国の高所得者層と、新興国の中間層の所得は大きく伸びている一方で、先進国の中所得者層は所得が伸びていないということを示しています。

例えば、中国で儲けられなくなった分は、米国で儲けなければならなくなった。つまり、米国の労働者を搾取しなければ、資本は利潤を上げられなくなった。だからその分、米国の中産階級の給料が上がらなくなったわけです。彼らが、トランプ政権を支持する米国の労働者でもある。これは資本主義の搾取をどこでやるかという問題なんです。

資本主義の原理的な問題として、必ず労働の搾取が起きます。結局、トランプ政権を生み出したような現状を、対症療法ではなく根本的に解決しようと思えば、資本主義をどこまで相対化してオルタナティブに近づくことができるかという問題に向かっていくしかないんです。

──共産主義や社会主義は、時の権力者たちが自分の元へ権力と富を集中させるための都合のいい方便に使われるという理由から、否定的な人は少なくありません。結局は誰か管理者が上にいて、その人が理想を謳いながら全体を支配するのではないかという疑念です。本書の中で紹介されている「モニタリング民主主義」が抑止的な効果を持つのかもしれませんが、時代の転換期における危険な権力者の登場や、支配的なシステムの発生についてはどのようにお考えでしょうか。

大澤:今回の新型コロナウイルスは、中国が発生源でしたが、その後は中国が一番上手に対応したように見えます。非常事態への対応には、非民主的な権威主義的体制の方が強いのではないか。コロナ以前から中国経済は好調だし、民主主義より共産党が独裁するシステムの方がうまくいっているのかもしれないという不安はありました。それが、今回のパンデミックを通じて一層加速して、独特の非民主的な全体主義や権威主義のようなシステムが優位であるような世界に傾いていってしまうのではないかという懸念は当然あります。

『新世紀のコミュニズムへ:資本主義の内からの脱出』

しかし、我々もまた一部の経済的、政治的特権を持った人が有利になるようなシステムの中に生きています。米国から見れば中国は非民主的な体制ですが、米国の経済も極端な格差がまかり通るようなシステムになっています。米国の上位20人が富を圧倒的に独占しており、明らかに歪んでいます。だから、システムが権威主義的にできているのは中国だけではないんです。経済的な権威主義と、政治的な権威主義が戦っているだけなんですよね。どちらも破局に向かっている。

だから、一部の人に権力が集まっても成功しないシステムにするしかない。権力が集中するような権威主義的な体制は、これまで資本主義ではうまくいかないと思われていました。ところが今は、資本主義自体が、一部の人に権力や権限を過剰に集中させて運営するシステムになっているので、中国方式がとてもうまくいっている。資本主義そのものを乗り越えることと、中国のような権威主義的体制を乗り越えることは車の両輪なんです。

資本主義を乗り越えるために必要な仕組み

──新型コロナウイルスのまん延が、リーマンショックを超える規模で経済に打撃を与えているにも関わらず、株価が上昇している例を引き合いに、社会が資本主義を手放すことができずにいる、資本主義に執着していると説明されています。我々はなぜ資本主義に執着するのでしょうか。

大澤:圧倒的自由、それが資本主義の成功した理由であり、良いところです。これから目指すシステムがあるとすれば、それが自由を抑圧するようなやり方では困ります。資本主義や現在の産業社会、気候変動の問題を考える時、どこかみんなとても禁欲的で、今ほど楽しくなさそうな世界を思い描いてしまいます。自由と新しいシステムをどのように両立させるか。自由という資本主義を持っている魅力を手放さないような、新しいシステムを示さなければなりません。

資本主義のシステムでは、あなたが意味のあることをやったという証拠は、与えられる収入やお金で示されます。生きる理由やアイデンティティの承認が、資本主義の世界で競争に勝って結果を出すということになっている。それしか生きる意味を感じるルートがない。

でも、報酬としてお金を与えられるというやり方のほかにも、自分が認められたい、存在した意味があるんだという、誰もが持つ欲求を叶えられる方法があるはずです。

もっと別の形で、あなたは世界で生きる価値がある、必要されていると、自分が生きている証やアイデンティティを感じられる仕組みがあれば、そのような仕組みを働かせることができれば、資本主義の乗り越えは十分に可能なはずです。(構成:添田愛沙)

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