3/1日経ビジネスオンライン 堀田佳男『大統領選とカネ:最も集金力のある候補は誰?』について

スーパーチューズデーが終わりました。共和党はトランプ、民主党はヒラリーが予想通り制しました。トランプが大統領候補ではヒラリーに勝てず、民主党からまた大統領が出ることになります。ベンガジ事件等平気で嘘をつき、中国やサウジからの金塗れの人物で、夫と一緒にホワイトウオーター疑惑に関与していたのではと思われる人物です。

http://www.eis-world.com/template/eiscolum/seiron/071204.html

http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62684177.html

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150422/frn1504221532006-n1.htm

日本人にとって民主党はFDR(日本と開戦)、トルーマン(原爆投下)、クリントン(ジャパン・パッシング)とイメージが良くありません。無能のカーターやオバマもですが。

トランプがなるにしろ、ヒラリーがなるにしろ「衆愚の極み」というイメージしか持ち得ません。多数の圧制ならぬ多数の横暴のように見えます。

『トクヴィル アメリカにおけるデモクラシーについて』(岩永健吉郎訳)を読みました。訳者が東大名誉教授で文章が硬く、非常に読みにくかったですが。トクヴィルの米国訪問・観察は1831年(『アメリカにおけるデモクラシーについて』は1835年出版、続編を1840年に刊行)、アンドリュー・ジャクソン第7代大統領の時代ですので、200年程前近くなります。ですから述べていることも当然時代の制約を受けます。①trail of tears(インデイアンの強制移住、1838年)②黒人奴隷についてこの本では触れていません。まあ、あの当時白人にとって有色人種は獣以下だったのかもしれませんが。彼が強調していたのは

Ⓐ自由であるが「多数の圧制」を恐れること。米国人は議論の末に多数意見に従うようになる。そうしないと村八分となり、命までは取られないものの精神生活・経済生活面で苦しむことになる。

P.57~59

「全能は、それ自体、悪であり、危険なものと思われる。その行使は、行使者が誰であろうと人力を超えるもののように見える。神のみが全能であって危険がない。その英知と正しさとが、常にその力に等しいからである。しかし地上では、いかなる権威も、それを何らの抑制なく行動させ何の障碍もなく支配させてよい、と私が思うほど、それ自体が尊敬に値する神聖な権利を身に帯びてはいない。万能の権力が何らかの勢力に与えられた場合、その勢力が人民と呼ばれようと、王と呼ばれようと、またデモクラシーであれ、アリストクラシーであれ、さらにそれが君主政で行使されようと共和政で行使されようと、そこに圧制の萌芽があると私は宣言し、他の法制の下に生きる場所を求める。

合衆国に組織された民主政において私が最も強く非難する点は、ヨーロッパで多くの人が主張するその弱体さではなく、反対に、それが抗いがたい力をもつからである。アメリカにおいて私に最も厭わしいのは、そこに支配する極端な自由ではなく、圧制に対する保障が少ない点である。合衆国において個人や一党派が不正をこうむったら、誰に訴えよというのか。世論にか。世論は多数(派)の形成者である。立法の府にか。これは多数を代表し、それに盲従するものである。執行権にか。これも多数によって任命され、それに奉仕する用具にすぎぬ。警察にか。警察は武器をもった多数以外の何ものでもない。陪審にか。陪審とは判決の権利をまとった多数である。いくつかの州では、判事さえ多数によって選ばれる。うけた処分が、いかに不正または不当であろうと、それに従わなければならぬのである。

反対に、多数を代表してはいるが、必ずしもその激情の奴隸にはならないよう構成されている立法部があり、固有の機能をもつ執行権、他の権力から独立した司法権があるとする。これも民主的な政府であろうが、もはや圧制に向かう機会はほとんどなかろう。

現在アメリカにおいて、しばしば圧制が行なわれている、というのではない。圧制に対する保障が全く見られず、法制によりも環境と習俗とに権力の発動が緩和される要因が求められなければ ならぬ、というのである。

Ⓑ「陪審制度」を高く評価していること。

P.93~96

「陪審は各人に、自分の行為の責任にひるむな、と教える。男らしい態度、それがなくては、政治的に立派ではありえない。それは各市民を一種の司法官の職につける。社会に対して果たすベ き義務があるとすべての人に感じさせ、また政治に参与するのだとも感じさせる。陪審は人々を その私事以外のことにかかわらせて、個人の利己主義と闘う。利己主義は社会の錆である。

陪審は、人民の判断力を形成し、知能を拡充するのに信じがたいほど貢献する。私の見解によ れば、この点にこそ最大の長所がある。無料で常時開設の学校、そこで陪審員は、おのおの自己 の権利についてみずから学び、上層階級の中でも最高の教育をうけ最も見識のある人々と日々接し、法を実際的な方法で教わり、弁護士の努力、判事の意見、当事者の熱情さえもが、法を自分に理解のできるものにしてくれる。そのように陪審を考えるべきである。アメリカ人の実学的な知性と政治的良識とは、主として、民事陪審によって長らく培われたものとしなければならない、と私は考える。

陪審は訴訟するものに役立つかどうかわからないが、その裁定にあずかるものには、たしかにきわめて有用である。私は、これを人民の教育に役立つ最も有効な方法の一つと見なす。

以上に述べたところはすべての国民に妥当する。しかし、ここにアメリカの人々に独特のもの、そしてデモクラシーの人民一般に通ずる事情がある。デモクラシーにおいては、法曹、なかでも司法官が、人民の動きを穏健にしうる唯一のアリストクラティックな集団を形成すると前(節)に述べた。この貴族(というべきもの)は何ら物的な権力をまとわず、その影響は人の精神に及ぶのみである。そして、この力の主要な源泉を民事陪審に見出している。刑事訴訟では社会が個人に対して争うが、そのさいに陪審員団は、判事とは社会のカを受け身に示すものと見るようになり、その意見を無視する。さらに、刑事訴訟は全面的に、良識があれば容易に評価されるような簡単な事実にもとづいている。この領域では、判事も陪審員も同等である。民事訴訟においては状況が異なる。判事は、当事者の激情の間に立つ公平な仲裁者として現われる。陪審員は彼の言動に信頼し、その意見を傾聴する。この場合には、判事の知見が全く、陪審員にまさっているからである。彼らの前に、記憶するのに骨の折れる多様な議論を展開するのは判事であり、また、訴訟の迂路を乗り越えていくのに手をかすのも彼である、事実の点で範囲を区切り、権利の問題で出すべき解答を教えるのも、そうである。その影響たるや、ほとんど無限といえよう。

最後に、陪審員は民事においては無能という議論、これに私があまり動かされない理由をいわなければなるまいか(そうしよう)。民事訴訟においては、事実問題に関しない場合は少なくともすベて、 陪審員団は司法機関の外見をもつにすぎない。陪審員は判事が下した判決を発表する。 彼らが代表する社会の権威を判決に付与するのであり、それは理性と法との権威である。

イギリスとアメリカとにおいて、判事が刑事訴訟の運命に及ぼす影響には、フランスの判事のかつて知らぬものがある。この差異の生ずる理由は容易に理解できる。イギリスまたはアメリカの裁判官は民事において権威を確立し、次いでそれを他の場面で行使するにすぎぬ。刑事において何かを獲得するのではない。アメリカの判事は、単独で判決できる場合がいくつかあり、それは、しばしば最も重要なものである。そのさいには、たまたまフランスの判事が通例おかれる (のと同じ)立場にある。しかし、彼の道徳的権能ははるかに大きい。陪審の思い出が彼に付随し、 陪審は社会の一機関であるから、彼の声には社会の力とほとんど等しい力がある。彼の影響は法廷の外にまでひろがる。多忙な政治活動においても、私生活の憩いにも、立法の府においても市の広場でも、アメリカの判事は絶えず人々に取り巻かれている。そして、この人々は、判事の知性には自分たちよりすぐれたものがあると見ることになれている。訴訟で影響力を行使したあとでも、その権威を事件の裁定に協力した人々の心のすべての習性、そして魂にまで感じさせるのである。

陪審は司法職の権能を縮小するかに思われるが、実は、その権威を基礎づけるのである。人民 が司法官の特権を分かちもつところほど、裁判官が強力な国はない。アメリカの司法が私のいう法曹的精神を社会の底辺にまで浸透させるのは、何よりも民事陪審によってである。また、陪審 は人民の支配を確立する最も強力な方法であるが、同時に人民に支配する術を教える最も有効な方法でもある。」

この本の最後にロシア人とイギリス系アメリカ人が台頭してくると予言していました。一方は剣で、一方は鍬で、前者は総ての権力を一人に集中し、後者は個人利益に基づき、個人の力と理性を自由に活動させ東征しないとありました。確かに冷戦まではロシアとアメリカが争いましたが、米国の勝利で終わり、今は米中の熱戦になるかもしれない所です。

記事

米大統領の職はカネで買える―

 米政界で昔から語られているフレーズである。もちろん数百億円を出せば大統領の職を手に入れられるほど簡単なわけではない。ただ、多額の選挙資金なくして大統領選を戦い抜くことはできないことも確かである。

 筆者は米大統領選を「ライフワーク」と位置づけ、長年取材を続けている。最初に大統領選に接したのはロナルド・レーガン大統領が再選された1984年だ。まだ読売新聞ワシントン支局のインターンだった。実際にジャーナリストとして取材を始めたのは92年で、今回で7回目となる。

 これまで大統領選をさまざまな視点から取材してきた。候補の人物像、政策、選挙対策本部、スタッフ、有権者、選挙戦略、選挙の仕組みや歴史、さらに選挙資金などだ。特に最後の選挙資金は、集めた額によって候補の命運が決まると言えるほど重要である。

 実は戦後71年間、集金力に乏しい候補が大統領に当選したことはない。少なくも筆者が取材をしている過去25年間は、より多くの選挙資金を集めた候補が勝ってきた。正比例ではないが、当選と集金力には強い相関関係がある。

集金額トップはヒラリー氏

 連邦選挙管理員会が2月20日に発表した報告書によると、今年の大統領選の主要候補で最も集金額が多いのは民主党ヒラリー・クリントン氏だ。選挙対策本部に献金された金額と外部の政治団体(スーパーPAC)に献金された総額は1億8800万ドル(約215億円)。2位に約100億円の差をつけている。

 2位は共和党テッド・クルーズ氏(テキサス州選出の上院議員)の1億400万ドル(約118億円)。3位が民主党バーニー・サンダース氏(バーモント州選出の上院議員)で9600万ドル(約110億円)。4位が共和党マルコ・ルビオ氏(フロリダ州選出の上院議員)の8400万ドル(約96億円)である。この額は現在の数字で、11月まで勝ち残る候補は1000億円超のカネを集めることになる。

 上記の候補はいずれも選挙戦で上位に残っている人たちだ。ちなみに、報告書には20人以上の候補がリストされている。すでに選挙戦から退いた人もいるが、上位4人よりも多額の選挙資金を集めたまま撤退した候補はいない。つまり、選挙を戦い抜くためには資金が必要であり、資金があるからこそまた上位に残れると言える。

トランプ氏は自己資金で賄う

 例外は不動産王ドナルド・トランプ氏である。利益団体やロビイストなどから多額の献金を受け取っていない。それにもかかわらず、共和党では昨夏から支持率でトップを維持する。スーパーチューズデーでも圧勝する見込みだ。トランプ氏の強さの要因は1月の当欄に記したのでお読み頂ければ幸いである(関連記事:「民主党支持者の票をも奪い始めたトランプ候補」)。

 トランプ氏は選挙を「自己資金でまかなう」と宣言しているが、実は一般有権者からの資金も受け取っている。利益団体やロビイストからの「ひも付き」のカネを受け取らないだけだ。この点はサンダース氏も同じである。

 トランプ氏の選挙対策本部には一般有権者からの献金(2月20日発表)が、2730万ドル(約31億円)集まっている。自己資金をどれほど使っているかは報告義務がないため闇に包まれたままだ。本人は「たぶん3000万から4000万ドル」と述べており、献金額と合わせると少ない額ではない。

論功行賞狙いの献金も

 それではトランプ氏以外の候補は、億円単位の選挙資金をいったい誰から受け取るのか。 昨年から今年2月まで、大統領候補に最も多額の献金した人物の名はすでに明かされている。ロバート・マーサー氏。ニューヨークにあるヘッジファンド企業ルネッサンス・テクノロジーズの経営者だ。

 コンピューター・サイエンスで博士号を持つ同氏はIBMの元社員で、初期の頃の音声認識プログラムを開発した人物だ。93年に同社を起ち上げた。

 資産約1億2000万ドル(約136億円)。死刑復活や経済システムの金本位制を説く保守派の大物だ。マーサー氏は昨年、クルーズ氏に1000万ドル(約11億円)を献金した。

 献金は簡単なことだが、自己資産の約10%を政治献金として捧げることは億万長者でも簡単にできることではない。政治信条が重なる保守派のクルーズ氏が大統領になることを見込んでの献金である。

 マーサー氏はクルーズ氏が大統領になった後、なにがしかの見返りを期待していると考えるのが普通だろう。いわゆる論功行賞だ。たとえば、ジョージ・ブッシュ前大統領が大統領に当選した2000年、同氏に対して最も多額の政治献金をしたのはマーサー・レイノルズ氏だった。レイノルズ氏は石油採掘会社の経営者であり、大リーグ・テキサス・レンジャーズのオーナーだった人物。

 当時は、今のように無制限の政治献金をすることはできなかったため、多数の富裕層に働きかけて、個人献金を集める方法をとる。レイノルズ氏は計約6500万円をブッシュ氏のために集金してきたのだ。当選後、同氏はスイス大使に任命された。スイスとは何の関係もないにもかかわらずだ。ワシントンではよく見られる人事である。

クリントン氏のバックにジョージ・ソロス氏

 現在、民主党のクリントン氏に最も多額の献金をしているのは投資家のジョージ・ソロス氏だ。700万ドル(約8億円)を出している。資産約3兆1500億円を保有する伝説的な投資家である。ハンガリー生まれのユダヤ系米国人で、クリントン家と知己で、オバマ政権につづいて民主党政権が継続することを望んでいる。

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ヒラリー氏に最も多額の献金をしているのは、この人物だ(写真:Imaginechina/アフロ)

 さらにクリントン氏のところには、エンターテインメント業界のチェリル・セイバン氏、金融業界のハーバート・サンドラー氏、IT企業パロマ・パートナーズ社のドナルド・サスマン氏がそれぞれ250万ドル(約2億8500万円)を献金している。

 前述したように、サンダース氏はスーパーPACからの献金を一切受け取っていない。それでも110億円もの選挙資金を集めているのは、1人平均27ドル(約3000円)と言われる小口献金を多数の有権者から集めている証拠だ。

莫大なカネが非難広告に流れる

 それでは、候補たちは何に多額のカネを使うのか。

 米国には「選挙業界」と言われる産業が存在する。大統領選だけでなく、連邦上下両院議員選挙、州知事選、さらには州議会や市議会の選挙など機会が多いため、選挙請負人が職業としてなりたつのだ。

 その業務は多岐にわたる。政策立案、立法サービス、データベース管理、DM発送、選挙区対策、献金コンサルティング、広告、演説訓練、世論調査、オンライン情報サービス、ウェブサイト構築、メディア対策、対抗馬のリサーチ、人工衛星サービス、ビデオ制作などだ。

 さらに全米50州に置かれる選挙事務所の運営費も必要だ。プロのスタッフを何人も雇う必要がある。電話勧誘のための通信費や郵便料金などもかさむ。

 それ以上にもっとも予算を割くのが、テレビとラジオに流す政治CMである。連邦選挙管理委員会はCMの本数や予算、さらに内容に制限を加えていないため、ライバル候補への非難広告を1つのテレビ局で1日100本流しても構わない。

 多数のネガティブ広告がテレビやラジオから流れると、サブリミナル効果によって相手候補のイメージが落ちる。非難された候補はCMを打ち返さないと、支持率が確実に下がる。打たれたら必ず非難広告を打ち返さなくてはいけない。

 例えばサンダース氏がニューハンプシャー州でクリントン氏に圧勝した理由の1つに、クリントン陣営の約3倍に上る金額をテレビCMに費やしたことが挙げられる。インターネット時代でありながら、テレビは依然としてメディア戦略の主軸なのだ。

 トランプ氏が実際にポケットマネーをどれほど使用しているかはわからない。けれども、昨年から勢いが継続していることと支持率の高さを考慮すると、驚くほどの金額を自己資金でまなかっていても不思議ではない。

 たぶん、大統領というポジションが手に入るのであれば、トランプ氏は数百億円の金額でも何の迷いもなく捻出するだろう。

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