『南沙諸島博物館が伝える中国の非道な仕打ち 渦巻く恨み、ベトナム人が中国に見せる笑顔の裏側』(11/19JBプレス 川島博之)について

11/19希望之声<历史论断?习近平APEC上的一句话 遭遇网友劲吐槽=歴史は論断する?習近平のAPECでの話はネチズンのツッコミに遭う>先週末パブアでのAPECサミットは、今月末のアルゼンチンでのトランプ・習会談の前に行われた。北京とワシントンの交流の重要な機会であったが、結果は習とペンスの強硬な遣り取りで終わった。習の話したことは、やはりネチズンのからかいに遭っている。

①“ShalakoW ”氏は鋭く、「歴史が表明しているのは、冷戦、ホット・ウオー、貿易戦であれ、対抗者に勝者はいない。意味するところは”社会主義の社会は資本主義に勝って、最終的に全世界が共産主義化する“というのは空論である。挑戦者としての社会主義社会は資本主義社会に対抗するのを主動的に諦めたのでは?」と。

②“Replying”氏は「冷戦でソ連はもうない。米国が勝った。ホット・ウオーでヒットラーもいない。米国が勝った。貿易戦で大清帝国はなくなった。八ケ国連合軍が勝った」と。

③“ちょっとした見方”氏は歴史を振り返るだけでなく、最近の貿易戦の動向も踏まえて、「ホット・ウオーに勝者はいる。全体主義を埋葬した。冷戦にも勝利者はいる。共産主義を埋葬した。貿易戦にも勝者はいる。なるほど、未だ交渉していないが、譲歩リストを既に出しているではないか」と。

APEC参加時の習の顔色は良くなかった。暗殺の恐怖に怯えていたのでは。

https://www.soundofhope.org/gb/2018/11/19/n2399125.html

11/19希望之声<美国公布极严厉技术出口管制 全面限制《中国制造2025》=米国は技術輸出を厳しく管理 全面的に「中国製造2025」を制限>米国商務省産業安全局は11/19に14の技術領域について輸出制限する案を出し、30日までにパブリック・コメントを募集することとした。この案はまさしく「中国製造2025」を標的としたもので、中国が米国から技術を得るのに最大限の制約となるだろうと思われている。

https://www.soundofhope.org/gb/2018/11/19/n2398081.html

11/20看中国<曹长青:美国对中共政策大翻盘(图)=曹長青(筆者):米国は中共に政策の大転換をする>戦後、米国はソ連に対抗するため、キッシンジャーが中国を中華民国の代わりに国連に入れた(1971年10月25日)。ソ連が解体したので中共と手を結んでいる理由は無くなった。しかし、鄧小平は毛沢東の極左路線を放棄し、改革開放に向けて動き出した。米中関係を強化し、中国の経済改革を助ければ発展し、中産階級が増え、民主的な要求が増えていき、最後には制度改革まで行き、政治的自由が実現するだろうと考えていた。

しかし、現実は残酷で、中国は既に世界2位の経済になり、中産階級も増え、殆どの中国人がブランド物を欲しがっているが、29年前の天安門事件のような民主運動は起きないし、中産階級も民主と自由を渇望している訳でもないし、行動もない。金持ちはドンドン増えてきているが、役人と手を結び、政商となり、民主的な立憲政治もなければ市場経済でもない。下層の人々は権利主張の戦いに忙しいけれども、別に全面的に共産制度に反対している訳ではない。また知識人の力も及んでいない。米国のエリート層の支持も得られていない。米国の学界や政治家は中共の権力闘争に目が行くだけ。

トランプは中共に対し“虎を飼って患いと為す”ことは二度としないと。

https://www.secretchina.com/news/gb/2018/11/20/876964.html

川島氏の記事を読めば、如何に中国人が自己中かが分かろうと言うもの。それは「騙す方が賢い」と言う価値観(米国、日本、インドは騙されて来た。今や世界の国々に債務の罠を仕掛けようとしている)と、でっち上げによるプロパガンダ(南京虐殺や慰安婦、九段線、尖閣の領有権)、拡張主義(南モンゴル、東トルキスタン、チベットの侵略、一帯一路、AIIB)によるもので、悪の限りを尽くしています。こんなことは民主国家では許されないでしょう。やはり共産主義という構造的な問題が大きいのではと思います。共産主義を打倒し、民主主義国家に生まれ変わらせないと世界は戦争の危機に直面します。

勿論、中国人の価値観の問題もありますが、それは民主化されて真実をキチンと教えて行って初めて変えることができるのでは。汪兆銘は再評価されるようになるでしょうし、少数民族の独立もできるようになるのでは。

記事

ベトナムの南沙諸島博物館周辺の公園にある記念モニュメント

ベトナムのニャチャン市郊外にある南沙諸島博物館を訪ねる機会に恵まれた。南沙諸島や西沙諸島を巡る紛争は尖閣諸島問題よりもずっと深刻と言えよう。それは、この問題を巡ってベトナムと中国は何度も戦火を交え、多くの戦死者を出しているからだ。

最初の戦いは、まだベトナム戦争が行われていた1974年にまで遡る。

当時ベトナムは南北に分断されており、北ベトナムは中国やソ連、南ベトナムは米国に支援されていた。ベトナムがまさに混乱していた時期に中国は本格的に南沙諸島への進出を開始した。それを阻止しようと、当時の南ベトナム海軍が出動して海戦が勃発した。

この海戦でベトナム軍兵士70人以上が死亡し、中国側にも若干の戦死者があったとされる。文化大革命の下でも着実に海軍力を増強していた中国はこの海戦に勝利した。その結果、南沙諸島を実効支配するとともに、その領有を主張するようになった。

測量を行っていた非戦闘員を攻撃

ベトナムは1975年に統一されたが、それ以降もベトナムと中国の間では南沙諸島を巡って対立が続き、その争いはエスカレートしている。なぜなら、中国は1974年以降も南沙諸島への関与を強めて、その実効支配をより強固なものにしようとしているからだ。

1988年に入ると、中国海軍はその実効支配地域をマラッカ海峡付近にまで拡大しようと蠢動し始めた。そして1988年3月14日に多くのベトナム人にとって忘れることができない出来事が起きた

ベトナム海軍は測量を目的にDa Gac Ma島(ジョセフ環礁とも呼ばれる)に兵士を派遣していたが、それに対して中国は測量を阻止する目的で軍艦を派遣し、ベトナム軍兵士を銃撃した。多くのベトナム兵が死亡し、一部は捕虜になった。

ベトナムは「同島にいた兵士は戦闘員ではない。兵士であっても測量を行っていただけであり、武器は携帯していない」と主張している。中国はそんな兵士に対して攻撃を加えた。この攻撃でベトナム兵64名が死亡した。その後、遺体の回収に向かった艦船が島に近づくことを中国側が拒否したために、ベトナム側は遺体を収容することができなかった。ベトナムはこれを人道上きわめて重大な問題であるとしている。

ベトナム人はこの事件をよく知っている。しかし、この事件が広く世界に知られることはなかった。わが国でもその詳細を知る人は少ないであろう。

ベトナム政府も、そしてベトナムの人々も、この事件にひどく憤慨している。もちろん、発生当初、ベトナム政府は中国に強く抗議している。しかし、それ以降、強い抗議の声を上げることをためらってきた。その理由は、端的に言えば、中国が怖いからである。1990年代に入って中国は急速に経済成長した。中国の力はベトナムを圧倒している。そして経済力が巨大になったために、軍事面だけでなく経済の面でもベトナムは中国と対立することが難しくなった。

事件を風化させないために

しかし、そのような状況に変化が生じ始めた。

2016年に中国とフィリピンの南シナ海の島の領有に関する紛争で、フィリピンが国際司法裁判所における裁判に勝利した。国際司法裁判所は“九断線”などという中国のあまりにも自分勝手な主張を却下した。それだけではない。海外での強引な投資を巡って、中国のあまりに独善的な態度に多くの国が不満を口にするようになった。国際情勢が少しずつ変わり始めた。

そのような変化の中で、昨年(2017年)、ベトナム南部の町ニャチャン市郊外に南沙諸島博物館が開設された。それは事件で死亡した人々を鎮魂するともに、事件を風化させないためものである。博物館はニャチャンの市街から車で30分ほどの距離にある。それは兵士たちが出航したカムラン港の近くである。

ベトナムのニャチャン市の場所(Googleマップ)

博物館の周辺は公園になっており(写真1)、その中心に事件を記念するモニュメントがある(1ページ目の冒頭の写真)。モニュメントの兵士は武器を持っていない。それは武器を持たない人々を中国軍が殺害したことに対する無言の抗議である。館内には事件の概要を示す図(写真2)や、中国側が写したとされる島を射撃している図(写真3)などが展示されている。

(写真1)ベトナム・ニャチャン市にある博物館とその周辺

(写真2)事件の概要を説明する展示写真

(写真3)中国軍が島を銃撃する様子(中国側撮影)

写真4は展示物ではないが、ベトナムの艦船が最近、これ以上近づいたら中国に追い返されるギリギリの線まで近づいて島を撮影した貴重な映像である。島が基地化されている様子がよく分かる。

(写真4)中国軍の基地化が進むDa Gac Ma島(ベトナムの艦船が、中国側に追い返されるギリギリの線まで近づいて撮影)

この博物館は全国民から寄付を募って建設された。それは政府が直接関与することによって中国を刺激することを避けたためでもあるが、このような巨大な施設を建設できる資金が集まったことは、30年が経過してもベトナム人がこの事件を深く記憶していることの証左であろう。

自国の侵略行為は覆い隠す中国

この施設を見学して、日本人として思うことがあった。それは南京事件である。中国は博物館を作るなどして、中国が被害者であることを強調している。しかし、その中国は20世紀後半になっても、周辺諸国に暴力的な態度で接している。

ベトナムの歴史は中国との戦争の歴史と言い換えてもよい。中国はその歴史のなかで、何度もベトナムを侵略してきた。中国は常々日本に対して歴史を忘れないようにと釘を刺すが、当の中国はベトナムを侵略し続けてきたことをすっかり忘れている。中国の教育に詳しいわけではないが、留学生の話を聞く限りでは、歴史の教科書に中国がベトナムを侵略し続けてきたことは書かれていないようだ。

ニャチャンはタイのプーケットなどと並んで東南アジア有数の観光地になった。現在、その美しい海岸は多くの中国人観光客でにぎわっている。ニャチャン経済は中国人観光客なしでは成り立たない。大きな声でところ構わず喋り、部屋やトイレを汚すなど、中国人観光客の評判は決して芳しいものではない。しかし、ベトナム人はそんな中国人に対して微笑みをもって接している。ただ、その微笑みの裏には、今回訪れた博物館に象徴される中国への憤りが隠されている。

博物館を案内してくれた女性(中学校の教師であるが、ボランテイアとして説明に来てくれた)によると、中国人観光客は海水浴場にはたくさん来るが、この博物館には来ないそうだ。

来年には関西国際空港からニャチャンに直行便が飛ぶようになると聞いた。気軽に訪れることが可能になる。ニャチャンに来る機会があったら、一度、南沙諸島博物館訪を訪れてみてはいかがであろうか。ベトナム人の心をより深く知ることにつながると思う。

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