8/26日経ビジネスオンライン 福島香織『北戴河で何が話し合われたのか 江沢民排除、習近平の「下剋上」は成ったか?』について

習近平のやり方は確かに能力のない会社の会長・社長が部下の責任を追及するようなものです。“能上能下”(上に上がるか下に下がるか)で一番の責任は会長・社長が負うべきところ、自分を棚に上げて部下の責任にしてしまう。東芝がその最たるものでしょう。そんなことをして自分の能力は高いと思えるのかなあ。ま、日本は一企業の問題ですが、中国は共産独裁の国で、国全体に影響を与えます。いくら権力闘争とはいえ、元主席を槍玉に上げるとなると、やがてそれが自分の運命になるということに気付かないのでしょう。

“能上能下”の人事評価は政敵打倒の道具として使われます。日本の企業の人事評価だってそれほど公正ではありませんから。覚え目出度い人間が出世できるように数値化して合理性の装いを施しただけです。数字ですから付ける上司の主観で何とでもなります。

江沢民を好きな日本人は二階俊博くらいのものでしょう。今は宗旨替えしたそうですが。そりゃそうでしょう。風前の灯になった男にくっついていれば累が及びかねません。流石変わり身の早い男。写真は大紀元の記事にあった微博(weibo:ミニブログサイト)のものです。福島女史の言うようにこれはコラージュされたものでしょう。流石に逮捕の場面を写真で撮って流すことはしないでしょう。薄熙来、周永康だって裁判の場面だけ。ましてや元主席です。多分逮捕すると言っても国家機関の逮捕でなく、党の機関による双規違反での逮捕と思います。まあ、江が逮捕されたかどうかは今の所分かりません。

しかし、北戴河の性格を変えてしまった習近平の実力たるや凄いものがあります。文革時、下放されてまともな教育も受けなかった(一応名門清華大学出ですが胡錦濤と違い多分裏口でしょう)下積みが長く、権力闘争を真近に見てきた男の凄さでしょう。日本はこの強かな男に油断してはなりません。高杉良の『金融腐蝕列島 呪縛』を読みますと社長に指名した最高顧問が一番偉く、会長・社長も逆らえないケースが描かれていました。中国も鄧小平が生きていた時は党総書記だった胡耀邦・趙紫陽も失脚させられましたが。鄧と習を戦わせてみたいものです。どうなるでしょう。

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記事

天津の大爆発事件や安倍晋三首相の歴史談話発表などに気を取られていたが、いつの間にか北戴河会議が終わっていた。天津大爆発事件で、李克強首相が8月16日まで現地入りできなかったのは北戴河会議に参加していたからだと見られている。これほどの大事件で、首相が事件発生からまる四日も現場入りできないのは、少なくとも温家宝首相時代なら考えられなかったことなので、よほど身動きの取れない状況であったと言える。政治局常務委員7人の動静が同時に不明になった6日から16日午前までの間が北戴河会議開催期間(正式には3日からという説も)のようだが、一体何が話し合われたのだろう。

江沢民不在、異例づくめの開催

 蛇足ながら北戴河会議とは、中国共産党の現役指導部と引退した長老たちが8月に、バカンスをかねて河北省の避暑地・北戴河に集まり開く非公式の密室会議のことである。中国では秋の中央委員会全体会議で主要政策および主要人事が裁決されるが、その正式の党中央員会全会を前にした、根回しを行う。翌年3月の全人代(国会のようなもの)は、党中央委員会が決定したことを改めて討議し裁決するのだが、実のところほとんど影響力がなく、全国人民代表によって政治が運営されているという議会政治のふりをするためだけの政治パフォーマンスである。言い換えれば、中国政治において本当に重要な決定や方針、人事が決められるのはこの北戴河会議である。

 ところで、今年の北戴河会議は例年とは違う、ありえないことが多かった。まず、長老の代表格で元国家主席の江沢民が出席した様子がない。元国家副主席で太子党の筆頭の曾慶紅も出席していないようだ。北戴河会議は現役指導部と長老(引退指導部)が意見をすり合わせる会議である。そこにこの二人がいないということは何を意味するのか。また中央宣伝部長の劉奇葆も出席していない。健康問題を理由に欠席したというが、彼は北戴河会議前後は普通に元気に公務に出ている。劉奇葆は共産主義青年団出身という点で団派、つまり胡錦濤派に属する政治家だが、周永康とも親密な関係で、徐才厚や令計画や張春賢らとともに周永康の誕生日を祝った際に、お返しにドイツ製の拳銃をプレゼントにもらったという香港ゴシップ報道がある。

そもそも、今年は北戴河会議が行われない、という観測もあった。国営新華社通信傘下の雑誌「国家財経週刊」が今年の北戴河会議は行われないので、待つな、という意味の論評記事を8月5日、ウエブサイトで流したのだ。これは奇妙なことである。まず、「北戴河会議」というのは秘密会議なので、建前上、中国中央の公式メディアでその存在について言及されることはなかった。内部通達や内部参考なら別だが、一般市民が読めるメディアで、北戴河会議なるものがあり、長老が政治に口を挟んでいることを暗に批判している。

「公式メディア」で長老政治批判

 この論評記事では、「中国政治は透明化に向かっている。もう『神秘的な』北戴河はいらない」「7月20日、30日と二回も政治局会議を連続して開いているのに、なぜまた北戴河会議を開く必要があるのか」と論じている。北戴河会議は毛沢東時代の産物で文革時代に中断して鄧小平がこの慣例を復活させたあとは、2003年の胡錦濤政権時代にSARS蔓延の非常事態を理由に指導部が「夏休みを返上」して中止した一回以外、中止されたことはない。

 さらに国内外の人々が驚いたのは8月10日付人民日報が掲載した「人走茶涼をどう見るか弁証する」(人が去れば茶は冷める)と題した顧伯冲という作家の論評だ。これは、明らかに江沢民院政を批判したものだと国内外で話題になった。「客が去れば茶は冷める」とは本来は、現役を引退するととたんに人の態度が冷淡になるという人情の移ろいやすさを示すことわざだが、政治的用語として、党中央指導者が引退したあと、影響力を失うことを暗喩している。

 論評では「一部の幹部は在職中の腹心の部下を配置して引退後も影響力を発揮し、元の職場の重要問題に口をだす。少しでも思い通りにいかないと、“人去って茶冷める”といって、他人の冷淡さを権勢に目がくらんだと批判する。この種の現象は、新指導者を困らせるだけでなく、大胆な政策を行うことに支障をきたし、一部職場を低俗凡庸なムードに染め、派閥を産み、リーダーが林立し、人心が乱れ、正常な業務が難しくなり、党組織の弱体化を招く…」と、長老政治を批判している。間違いなく江沢民批判である。

新華社系雑誌と人民日報の論評がともに発信しているメッセージは、習近平政権は長老・江沢民に、政治に口をはさむことはもう許さない、ということだ。そして、それを人目につくメディアで公表したことで、習近平はいよいよ江沢民を失脚させるのだと、あるいはすでに失脚しているのかもしれない、と人々の憶測を呼んだ。そして、それを裏付けるように北戴河会議は開かれたが、そこに江沢民は出席しなかった。8月16日、共産党中央長老の一人で7日に病で死去した尉健行の葬儀が北京市八宝山で行われたが、中央メディアは出席者として習近平、李克強らを含む7人の政治局常務委と胡錦濤らの名前を上げたのち、わざわざ江沢民は遠方より花輪を送り哀悼を示した、と出席していないことを強調した。

 こうした目に見える現象から、今年の北戴河会議では、江沢民派(上海閥)が関与することなく習近平中心に話し合いが運ばれたのではないかと推測されている。

 今年の北戴河会議で話し合わねばならないのは、第13次五か年計画という2016年からの経済政策の骨子、軍制改革、今年秋から来年にかけての反腐敗キャンペーン計画、そして第19回党大会に向けた人事案の四テーマである。この中でも、政治ウォッチャーとして興味があるのは反腐敗キャンペーン計画と習近平人事だ。

汚職以外の左遷人事を可能に

 RFI(フランス国際放送)の華字ニュースサイトや香港雑誌「動向」など独立系華字メディアを総合すると、反腐敗計画については、まず、周永康、令計画、徐才厚、郭伯雄の党と政治と軍内に残る影響力を完全に排除することで出席者の合意が得られたという。それをもって軍、政、党の純潔性とおよび党中央の絶対的指導権を確立する。習近平は、徐才厚と郭伯雄の残党が騒乱を企てることを警戒するよう訴えたともいう。また関連省庁部局の主要人事について、習近平がそのリストを示し、それを元に議論が進められたという。

 習近平政権は「指導幹部の“能上能下(昇格降格)”推進に関する若干の規定(試行)」を7月28日に中央弁公庁発で各省庁部局に通達している。規定では、【1】退職年齢に達した者【2】任期を満了した者【3】責任問題に問われた者【4】現職に適任でない者【5】健康により職務がまっとうできない者【6】規律法規を違反した者に関して、退職、免職、異動を行うというもので、建前上は、官僚の問責制を確立し、組織を活性化させるために、能力のない者、凡庸な者を淘汰し、有能なものを出世させるという内容だ。

 要するに、政敵派閥の官僚の排除をこれまでは汚職摘発という方法だけでやってきたが、汚職だけでなく能力査定や健康査定による昇格降格という方法も使うということである。特に、明確にしたのが、中央の高官と地方官僚の入れ替え人事を頻繁に行うという点で、例えば中央に残る周永康・令計画・徐才厚・郭伯雄の息のかかった官僚らに対し、無能ということで左遷していくということだ。

 そして習近平はすでに左遷したい人間と出世させたい人間のリストを用意しており、北戴河ではその人事リストが提示された。これはもちろん第19回党大会、あるいは次の第20回党大会に向けた習近平の望む指導部人事の下地となるものである。

江沢民派に「能力の問題」?

 あちこちで漏れ伝えられるところを総合すると、この能力に応じた昇格降格のルールは政治局常務委も例外ではないという。習近平人事リストには現役政治局常務委の張高麗も含まれているらしい。張高麗は派閥で言えば江沢民派であり、この“能上能下”の規定を利用して、任期満了前に党中央の江沢民閥も徹底排除していきたいようだ。折しも北戴河会議開催中、天津市浜海新区で大爆発が発生。浜海新区は不合理な開発でいろいろ問題を抱えるいびつな地域だが、その開発の音頭を取って推進したのは当時天津市党委書記であった張高麗であったので、まさしく「能力の問題」で張高麗を追及することはできるかもしれない。

 このほか中央宣伝部長の劉奇葆、北京市党委書記の郭金龍、上海市党委書記の韓正も左遷リストに入っているという。劉奇葆も郭金龍も胡錦濤派の団派に属するが、彼らについては全国政治協商会議の副主席や全国人民代表の副委員長に降格したい考えのようだ。韓正は江沢民派だが、習近平と一緒に仕事をしたこともある元部下である。彼に関しては国務院で李克強の補佐にあたる部署を用意したいとか。また天津市書記代理の黄興国の配置換えもこのリストに含まれているようだ。昨年暮れに天津市党委書記だった孫春蘭(団派)が党中央統一戦線部長に左遷させられたのも、まさしく「能力の問題」として処理されたようだ。

 そして習近平が出世させたいリストの筆頭は現在、党中央弁公庁主任の栗戦書。いずれ自分の後継者に育てたい考えで北京市党委書記につけたいようだ。そして上海市党委書記には習近平政権のブレーンでもある王滬寧。天津市党委書記は中央書記処書記で国務院弁公室秘書長の楊晶の名前が挙がっている。そして栗戦書の後釜は、習近平弁公室主任の丁薛祥ではないかとみられている。この人事がすんなり通るかは別として、そういう習近平の意向は伝えられたもようである。

安定的発展に導けない指導者の能力は…

 また、これはあくまで推測でしかないが、江沢民の処分に関しても何らかの合意に至った可能性がある。というのも、北戴河会議終了後、ネットではまるで“解禁”とばかりに、江沢民のネガティブ情報がどっと流れだしたのだ。例えば、党中央校南門の江沢民揮毫の石碑が撤去された、とか、あるいは江沢民が公安当局者らしきいかめしい男たちに両腕を抱えられるように連行されている合成写真とともに「ガマガエルが逮捕された」といったコメントが流れたのだ。ネットの言論がいかに厳重に統制されているかを知っていれば、このネットの噂を装った江沢民ネガティブ情報氾濫は、一つの政治メッセージともいえる。つまり江沢民は事実上失脚したというシグナルではないか。

 香港誌「動向」の報道を信じるならば、北戴河会議では、胡錦濤、朱鎔基、宋平、李瑞環、李嵐清ら長老および41人の退職幹部による「自己批判座談会」が開かれたともいう。

 北戴河会議というのは、現役の指導者が長老たちにお伺いを立てるという「長幼の序」を建前に続いてきた慣例だが、今年は現役の習近平が長老たちに過去の過ちを自己批判させた下剋上会議であったとも言える。

 こうした漏れ伝え聞く情報を整理してくると、今年の北戴河会議は実に異常な会議であった。習近平が完全に仕切り、自分の思う通りにふるまい、言いたいことを言っただけの印象を受ける。胡錦濤や李克強ら団派は左遷リストや時代錯誤の自己批判座談会に何か物申したのだろうか。この異常事態は習近平が権力を掌握した証だという人もいる。だが、強いリーダーが権力を完全に掌握すれば、もっと政治にも経済にも社会にも安心感が出るだろう。強い権力を持ちながら国家を安定的な発展に導けない指導者こそ、“能上能下”を問われる必要があるのではないだろうか。

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