11/1「北斎展」と「古典の日」に参加

昨日、「北斎展」と「古典の日」に参加しました。「北斎展」は上野の森美術館で開催、混むのを読んで10時開館のところを9時40分に着くようにしたら、其の儘入れました。ボストン美術館所蔵のものです。モースやフェノロッサがボストン美術館を造ったとのこと。フェノロッサの通訳として岡倉天心が起用されることにより、天心がフェノロッサの影響を受けて日本美術に造詣が深くなります。しかし、天心は浮世絵には重きを置かず、俵屋、本阿弥、尾形、狩野派を重視していました。武士の子の制約でしょうか?「侘び」「寂び」を重視しました。禅や能の影響でしょう。「侘び」「寂び」を外国人に説明するのには鈴木大拙の『禅と日本文化』の説明より、文化勲章受章者の中西進の『情に生きる日本人』の方がfitすると感じます。Wabi means the aesthetics to perish, commit suicide by disembowelment. Sabi means cut off the extra,elimination of unnecessariness.天心は伝統を重視しながらも、西洋画風の大気描写ができるように菱田春草や横山大観に命じて朦朧体を編み出させました。「北斎展」で良かったのは勿論『神奈川沖浪裏』、他に『穏田の水車』『芙蓉と雀』『下野黒髪山きりふりの滝』『滝と鯉』『百物語 さらやしき』『百人一首 参議篁』でした。それと富嶽36景は後に10枚追加されたのも初めて知りました。

「古典の日」はイイノホールで開催されました。小川剛生氏による「兼好とは誰か-徒然草の新解釈」で実証的に兼好を特定しようとする野心的な試みの話でした。「詠み人知らず」と言うのは「六位」以下はそう言われるとのこと。林望氏の「紫上をめぐって」の話も面白かったです。以前聞いた長谷川三千子氏の「日本の文化は弱いものに寄り添う」と言うのが納得させられました。禍福は糾える縄の如しと言うか、他に女を作られ一見不幸に見えるが、別の視点で見ると紫上は如何に光源氏に愛されていたか分かって亡くなっていく幸せがあるということが分かりました。

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