1/3日経 『国際通貨と資本主義の未来 国際基督教大学客員教授 岩井克人氏 中国・人民元に野望と誤解』について

基軸通貨について中国は勘違いしているのではと言う記事です。小生は基軸通貨国になるには「たとえ経済が大きくなったとしても、長い時間と戦争での勝利が必要」と考えます。ブレトンウッズで基軸通貨が£から$に移ったのは、英国が二回の世界大戦で経済的に疲弊し、米国からの借金返済も迫られていた事情があります(レンドリース法)し、当時金の70%以上は米国に集中していたこともあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%B3%95

米国が軍事的に世界制覇出来たのも英国が7つの海を制した遺産を其の儘引き継いだためです。また基軸通貨国には外国の銀行の支店があり、決済情報が筒抜けになるというメリットもあります。米国が座して中国に移るのを待つことはないでしょう。

でも、中国は戦争を起こして米国から覇権を奪還する気があるのかもしれません。この度の軍制改革(7軍区→5大戦区に変更は見送り、陸軍、サイバー、ロケットの三つの部隊を新設。新空母建造を公表。)で仮想敵国は米国でしょう。今すぐではなく米国の力が落ちるのを見てとの思いでしょうが、多分その前に中国経済が崩壊します。

本文中の「農村の過剰労働力の枯渇」はチョット違う気がします。大卒新卒での失業者は多く、また農民では建設現場くらいでしか働けないミスマッチが起きているという事ではないかという気がします。或は農民が不動産開発で土地を強制収用されなくなったのか?温家宝が人気取りのため最低賃金を上げたりしたので労働費用が上がり、国際競争力を低下させたのでは。

記事

米ドルを基軸通貨としてきた資本主義の体制は盤石なのだろうか。中国をはじめとする新興国の台頭は世界経済の勢力図を塗り替え、欧州で広がった債務危機や有力企業で頻発した不祥事は市場の基礎である信用に暗い影を落とす。国際通貨と資本主義の未来について、理論研究の第一人者である岩井克人・国際基督教大学客員教授に聞いた。

Katsuhito Iwai

 ――中国の人民元が10月、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨に加わります。米ドルが中心の国際通貨制度は変わりますか。

 「国際通貨の議論が混乱しているのは、基軸通貨と強い通貨とが混同されてきたからだ。円も人民元もユーロも強い通貨である。強い通貨とは、一国の経済力を背景として、その国との貿易や資本取引で使われる通貨のことだ」

 「全くカテゴリーが異なるのが基軸通貨だ。ドルが基軸通貨であるとは、韓国がチリと貿易するときにドルを使い、チリがインドと資本取引をするときにドルを使うように、米国以外の国同士の決済にドルが使われるということだ」

 「一国内で商品と商品との交換の媒介となるのが貨幣だが、世界経済で国と国との交換の媒介になるのが基軸通貨である。私の『貨幣論』が示したのは、貨幣とは自己循環論法の産物でしかないことだ。それ自体は何の使い道がなくても、多くの人が貨幣として使うと多くの人が予想するから多くの人が貨幣として使う。基軸通貨もそれと同じ自己循環論法の産物だ」

 「2008年のリーマン・ショックの時、中国はドルの覇権に異議を唱え、人民元の基軸通貨化を目指してきた。だが、強い通貨と基軸通貨とを混同している。いくら一国の経済規模が大きくなっても、その通貨がそのまま基軸通貨になるわけではない」

 ――米ドルが基軸通貨になったのはなぜですか。

 「基軸通貨は何らかのビッグバンがなければ生まれない。米経済は19世紀後半から最強だったが、基軸通貨国は長らく英国だった。第2次大戦という大きなショックが、ようやくドルを基軸通貨に押し上げたのだ。その後、米経済のシェアは落ち、ベトナム戦争のとき、米政府は基軸通貨の座から降りようとしたこともある。ところが貨幣の自己循環論法が働き、米以外の国はドルを基軸通貨として使い続けた。ドル危機が繰り返し叫ばれても、いまだに基軸通貨のままだ」

 ――ドルが基軸通貨の地位を維持できなくなる可能性はありますか。

 「基軸通貨国には大きな利益がある。発行したドルの6割が米国に戻らない。その分だけ外国製品がタダで手に入る。しかも国際問題が発生したとき、米国は主導権を取れる。基軸通貨国の権益をやすやすとは手放さないはずだ」

 「半面、責任も発生する。米連邦準備理事会(FRB)は自らの政策が与える影響によって、世界中央銀行的な役割を果たさざるを得なくなっている。米国が内向きになって対外的な責任を放棄したときが、基軸通貨の危機の始まりだ」

 ――南欧など政府の債務危機が表面化したユーロの先行きをどうみますか。

 「欧州連合(EU)は米国の覇権に対抗するという政治的な狙いから生まれた。だが、落とし子のユーロは経済的な矛盾を抱え込んでいる。共通通貨とは労働の移動を前提としているからだ。ギリシャが不景気になった時、ユーロ以前ならドラクマの切り下げによって国内雇用を維持できた。共通通貨の下では、失業した労働者が労働不足のドイツなどに移住しないと不均衡は調整できない」

 「文化の多様性を誇る欧州では、EUを推進した知識人以外は、出身地から動こうとしない。ギリシャ政府は国内の雇用のために財政を大盤振る舞いし、危機を招いた。ユーロの矛盾の解消には時間がかかる」

 ――日本のアベノミクスをどう評価しますか。

 「アイデアはあるがお金のない人と、お金はあるがアイデアがない人を結びつけるのが金融だ。だがデフレは負債の実質額を膨らます。それはアイデアのある若者を苦しめ、イノベーションの活力を損なう。戦後、デフレがこれだけ長く続いた国はなく、失われた20年はその結果でもある」

 「2%のインフレ目標は今実行可能な唯一の短期的マクロ政策だ。名目金利がゼロのとき、財政政策は有効だが現在の財政では制約がある。予想インフレ率を上げて実質金利をマイナスにすれば、資産効果と金利効果で消費と投資が刺激される。教科書通りのケインズ政策である」

 「アベノミクスは本来ならリベラルの政策だ。それを日本では保守政党が採用したという政経のねじれがあって非難も多い。当初の期待より遅いが、インフレ率の上昇でも失業率の下落でも効果は出てきている」

 ――日銀の異次元緩和は円安をもたらしました。円の将来をどうみますか。

 「85年のプラザ合意以来、人為的な円高の下での資源配分のゆがみが累積してきた。長期的には円高に向かうはずだが、近年の円安はゆがみの調整局面とみなすべきだ」

 ――中国では管理統制色が濃い経済運営が定着してきたように見えます。

 「中国は私の『資本主義論』の中で『産業資本主義』に位置づけられる。農村に人口があふれ、仕事を求めて都会に流れてくる。機械制工場の高い生産性と、労働者の安い賃金とのギャップが利潤を生み出すという仕組みである。それは高度成長期までの日本でも、自由主義的な英米の資本主義でも、中国型の国家資本主義でも変わりはない」

 「中国では4、5年前から農村の過剰労働力が枯渇し始めた。労働費用が上がり、先進国入りする前に産業資本主義の仕組みが働かなくなり始めたことに(政府は)困惑している」

 「日本では、バブル崩壊の苦しみを経て、やっと『ポスト産業資本主義』の段階に入った。企業は新技術や新製品など、他との『差異』によって利潤を得るようになったのだ。中国の資本主義がポスト産業資本主義に移行するには、まさに一党独裁が障害となる。法の支配が不確定であると、自らイノベーションをするより政治と結託したほうが利益となるからだ」

 ――企業や金融機関の行動に目を転じると、欧米を中心に金融規制を強化する動きが加速しています。

 「危機状態におけるマクロ政策の中に倫理観を直接持ち込むのは賢明ではない。90年代、日本の住宅金融専門会社への公的資金の導入を巡って、バブルを引き起こした張本人を救済するとは何事だという議論が横行し、処理が遅れ、失われた20年を招いた」

 「米国でもリーマン・ブラザーズの救済が論じられた時、経営者の高額報酬に批判が広がり、リーマン・ショックを起こしてしまった。金融資本の暴利に対する怒りは当然だが、ポピュリズムに走ると元も子もなくなる。その後の規制の強化も、規制下の金融機関の安定性は確保したが、規制の枠外でシャドーバンキング(影の銀行)を肥大化させ、次のバブルの準備をしているかのようだ。必要なのは、社会全体のコストとベネフィット(便益)との冷静な比較なのだ」

 「それは経済から倫理を追い出すべきだというのではない。80年代から米国では不平等化が進み、今では上位1%の高額所得層が全体の20%もの所得を得ている。高額所得を得ているのは、戦前のように資本家ではなく、株主主権の名の下にストックオプションを手にした経営者だ。それは、英米において、経営者が果たすべき忠実義務という倫理義務を、経済インセンティブで置き換えてしまったことの必然的な結果だ」

 ――内外で企業の不祥事が目立ちます。

 「株主主権が強い英米に対し日本とドイツは組織を重視する資本主義である。東芝が会計不正、フォルクスワーゲン(VW)が排ガス不正を起こし、組織資本主義の欠陥といわれる」

 「その解決は社外取締役を入れ英米的なガバナンスを強化することではない。東芝は英米的な委員会設置会社にいち早く移行した会社である。しかも米国では社外取締役の導入が、業績の向上にも経営者の高額報酬の歯止めにもならないという研究結果も多い」

 「経営者が内面化すべき忠実義務を社外取締役の監視に置き換えることで、一方では経営者の自己利益の追求を促し、他方では内部統制の存在を盾に忠実義務違反に対する裁判所の介入を防ぐ二重の役割を果たしているという」

 「社外取締役の義務化といった外形的な統制制度を整備しても限界がある。会社のガバナンスは究極的に、経営者、さらには従業員の倫理性によって支えられているからである」

 ■主流派批判し理論構築  いわい・かつひと 1947年東京生まれ。69年東京大学経済学部卒、72年マサチューセッツ工科大学(MIT)Ph.D.73年米エール大学助教授、81年東京大学助教授、89年東大教授、2010年退職。現在、国際基督教大学客員教授、東京財団名誉研究員、東大名誉教授。  市場の働きを万能視する「新古典派経済学」と呼ばれる主流派経済学を批判し独自の理論を構築してきた。思想家・言論人としても影響力を持つ。『不均衡動学』で82年に日経・経済図書文化賞特賞、93年に『貨幣論』でサントリー学芸賞、『会社はこれからどうなるのか』で03年に小林秀雄賞を受賞。07年に紫綬褒章、15年12月、日本学士院会員に選出された。68歳。

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