屠呦呦が中国で本記事のように評価されているというのは知りませんでした。でも彼女は典型的な中国人です。だって、「他人のものは自分のもの」「自分のものは他人のもの」と思うのが中国人ですから。それで領土・領海・領空を拡大しようとしている訳です。長城以北、新疆、チベット、ブータン、南シナ海、東シナ海まで。人口の多さを利用して拡大路線を突っ走ってきました。
人だけではありません。中国は過剰債務・過剰設備・過剰在庫のツケを世界に撒き散らしています。10/17日経記事です。
『アジアにあふれ出す中国鋼材 インドなど淘汰の波』について
中国製鋼材がアジアにあふれ出ている。中国は2014年だけで国内需要を1億トン上回る8億2千万トンの粗鋼を生産。このうちタイ、インドネシアなど東南アジア諸国連合(ASEAN)主要5カ国とインドに2500万トン弱が流れ出た。5年前の5倍の規模だ。安価な鋼材の浸透でタイの鉄鋼大手が破綻。インドのタタ製鉄も人員削減に追い込まれた。アジア鉄鋼産業の生き残り競争が激しさを増す。
ベトナム南部の商業都市ホーチミン市。「あの工場は原料鉄くずの受け入れを停止したらしい」。郊外の鉄鋼メーカーが集積するフーミー工業団地では今夏、生産調整の噂が飛び交っていた。
■09年から5倍に
同工業団地ではベトナムでのインフラ投資の加速をにらみ、現地メーカーや日本の共英製鋼、韓国ポスコが増産投資を進めていた。だが建材用の棒鋼や線材で安い中国製品が流入。多くの工場が稼働率低下に悩む。国際鉄鋼統計事務局(ISSB)によると、中国からベトナムへの鋼材輸出量は14年で660万トン。09年と比べると5倍近い。
フィリピンにはベトナムを上回るスピードで中国製鋼材が流入する。14年は477万トンと09年の実に11倍だ。ここでは台湾勢が割を食った。台湾からの輸入量はこの5年で4割も減少。安価な中国製鋼材に台湾製が追い出された形だ。
1日にはJFEスチールや伊藤忠丸紅鉄鋼が出資するタイ鉄鋼大手サハウィリア・スチール・インダストリーズ(SSI)が経営破綻した。鋼材の中間材料を手掛ける英子会社が中国発の「鋼材デフレ」による市況悪化で9月19日に操業を停止、経営に行き詰まった。
インド最大の民間鉄鋼メーカー、タタ製鉄も希望退職を募る。同国では労働法で従業員解雇を厳しく制限しているが、「今後、数年間で早期退職制度を通して労働コストを引き下げる」(人事担当副社長のトリパティ氏)覚悟だ。
自国メーカーを守ろうと政府も動く。タイやマレーシアは今年に入り中国製品を主な対象として反ダンピング(AD)措置に向けた調査を始めた。年末にはASEAN経済共同体(AEC)が発足し、域内では多くの製品で関税率が低下する見込みだが、鉄鋼製品は別。各国は過度な輸入を防ぐ保護策を継続するとみられる。
自由貿易の枠組みすら揺さぶる中国製鋼材を前に日本や韓国の鉄鋼大手は現地生産を意識せざるを得ない。韓国ポスコが13年からインドネシアで年産300万トンの高炉を稼働したのに続き、ベトナムでは台湾塑膠工業(台湾プラスチック)と中国鋼鉄の台湾勢に日本のJFEスチールが加わった3社連合で年産700万トンの高炉建設が進む。
■高級品で差異化
もっとも、現地生産しても、中国勢が国内需要を大きく上回る量を作り続ける限り、市況回復は見込めない。9月中旬には宝鋼集団(上海市)が広東省南部の湛江で年産1千万トン級の大型製鉄所を稼働した。当面は電機や自動車の工場が集積する広東省向けに供給するが、湛江はベトナムにも近い。「いずれASEANへの輸出拠点になる」。日本の鉄鋼業界関係者は警戒する。
タイでは新日鉄住金と豪鉄鋼大手ブルースコープ・スチールの合弁建材用鋼板工場が9月から新日鉄住金ブランドの高級鋼板を作り始めた。「トタン屋根からさび止めを施しためっき鋼板へとタイの建材分野は高級材シフトが進む」。合弁会社のソムキアット・ピンタサム社長は高級品で中国製品との競合を避ける戦略を明かす。
採算悪化で淘汰の波にのまれる前にどう差異化を進めるか。アジア市場の成長を実感できないまま、鉄鋼各社の終わりの見えない戦いが続く。
(東京=林さや香、ムンバイ=ローズマリー・マランディ)
こういう国がIMFで国際通貨として信認を受け、AIIBで人民元をバラマキ、需要に見合わない設備投資を繰り返したら世界はどうなると思いますか?実際中国国内では不動産に投資しても一部の富裕層(党幹部、賄賂で富を得た人達)しか購入できず、実際使用していない“鬼城”ができているではないですか。これを世界レベルで展開すると、世界は混乱の極みになるのでは。現在の国際金融の仕組みは確実にガタガタとなります。牧野雅彦著『精読アレント「全体主義の起源」』を読みましたが、ハンナ・アレントは「全体主義」を「革命に次ぐ革命で決まった形を持たない。組織はスクラップ&ビルドされる。秘密警察はその手段。世界統一まで」と言うように捉えていたと小生は読み取りました。汎ゲンマン主義、汎スラブ主義がナチズム(ヒットラー)、ボルシェビキズム(スターリン)とどう結びついたのかはよく理解できませんでした。しかし、全体主義と社会主義・共産主義とは親和性があるというか目指すのはアナキーなのではという気がします。中国が目指すのはそういう世界を目指すのでは。戦争を引き起こして世界を滅亡させる意図があるのかどうか?2014年夏のダボス会議で軍事専門家が尖閣攻撃で世界戦争に言及しています。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140217/frn1402171603006-n1.htm
まあ、プロパガンダの意味もあるでしょうけど。
本記事に戻りますが、日本人が目指すべきは自己中心の中国人でもなければ強欲なアメリカ人でもありません。「人類の進歩と発展」に貢献してきた世界の先人たちです。かつ「謙虚で礼儀正しく、但し国際関係に於いては主張すべきは主張する」姿勢が大切と思います。なお、戸塚洋二先生は空手部のOBです。
昨日のユネスコに対する意見は「首相官邸」HPに意見として送付しました。馳大臣がユネスコで説明するときに、何かの役に立てばとの思いからです。
記事
今年もノーベル賞の季節が終わった。今年は医学・生理学賞に大村智氏、物理学賞に梶田隆章氏と二日続けて日本人受賞者が出たので、日本中が祝賀ムードで沸いた。彼らの業績を一般庶民の私たちがものすごく深く理解しているわけではないのだが、純粋に同じ日本人の受賞がうれしい。これは当然の人間心理だと思っている。
なので屠呦呦氏が中華人民共和国民として初の自然科学分野のノーベル賞、ノーベル医学・生理学賞を受賞したことに、中国人はさぞ大喜びをしていると思っていた。確かに最初の第一声は、歓声であった。だが、それに続く報道や世論がどうも微妙だ。純粋に喜び、祝福する声だけでないのである。それどころか、疑惑とか議論とネガティブな報道も多い。これはどうしたわけだろうか。
切望かなった自然科学分野の受賞
屠氏は、ノーベル平和賞の劉暁波、ノーベル文学賞の莫言両氏に続く中華人民共和国3人目の受賞者。中国人民が切望していた自然科学分野のノーベル賞を初めてもたらした大功績者だ。しかも女性。女性科学者の受賞なんて、屠氏を含めてわずか13人、アジアでは初めてだ。さらに屠氏は中医学が専門であり、中国の伝統医学・中医分野がノーベル賞を受けるようなグローバルヘルスに貢献したことを、中国ならばさぞ鼻高々に喧伝するであろうと私は予測していた。だが、少し違うのである。
まず屠氏の功績について紹介しておこう。
1930年、浙江省寧波市生まれ。1951年に北京大学に入学し、医学院薬学部で生薬を専攻した。1955年、北京医学院(現北京大学医学部)を卒業後、衛生部傘下の中国中医研究院(2005年に中国中医科学院に名称を変更)に配属され、以降同院に所属。彼女は幼少期、故郷でマラリアが流行した際、中医薬の効果を目の当たりにしており、その時の衝撃が後に生薬研究の世界に進んだ動機であったらしい。彼女の研究テーマは中薬(生薬)と中西薬(中国製化学薬)の結合であり、伝統的な生薬の成分を科学的に解明することであったという。
1967年5月、毛沢東の指示で、中国人民解放軍総後勤部と国家科学委員会は北京で薬剤耐性マラリア予防治療全国協作会議を招集、約60の機関から大勢の科学者・医学者が招集された。ときしもベトナム戦争時代、北ベトナム支援で現地に送り込まれる解放軍兵士たちのマラリア蔓延が問題視されたことが背景にあった。
この研究プロジェクトは会議の日付から523任務と呼ばれる。各機関の討論研究の末、1969年、屠氏を組長とする研究チームが組まれた。彼女は幼少期に見た生薬の効果を思いだし、大量の文献を読み漁り、古代の生薬の効果の記録を参考に、190以上の生薬に対して、380以上の実験をこなし、1971年、黄花蒿(オウカコウ=和名・クソニンジン)に有効成分を発見。その成分抽出を試みる。彼女とチームは72年に化学式C15H22O5の無色の結晶体を抽出することに成功。それを青蒿素(アーテミシニン)と命名した。翌年、これを二水素と結合させたアーテミシニン誘導体・アーテニモルの合成にも成功した。
彼女の名前「呦呦」は、父親が詩経の「呦呦鹿鳴 食野之蒿」(ゆうゆうと鹿のなくあり、野のよもぎを食らう)の一節から取ったというが、その名前の由来の詩に出てくる蒿こそ、青蒿のことだった。まさに、運命の研究だったといえる。
中国伝統薬由来の20世紀最大の発明
その成果は1977年、研究チーム名義で科学通報に発表されるものの、軍のプロジェクトである523任務に帰属するものであり、また文化大革命の最中ということもあり、少なくとも海外の研究者に注目されることはほとんどなかった。
1981年、WHO(世界保健機関)主催のアーテミシニンに関する会議が北京で開かれ、屠氏が首席発表者として研究成果を発表して、ようやくその偉業を世界が知るところになった。だが、生薬の黄花蒿は、中国政府が戦略物資として管理していたこと、またその成分を抽出するために大量の有機溶剤が必要なことなどで、俗に“貴族薬”と呼ばれるほど高価な薬でもあった。治療薬を開発できたとしてもコストがかかり過ぎるとみられて、実用化に向けた研究はなお10年以上の歳月がかかった。その後、アーテメターやアーテスネートなどの半合成剤が開発され、コスト問題が克服されて実用化が加速した。
このアーテミシニンの発見および半合成剤の開発は、「中国の伝統薬から開発された医薬品としては20世紀最大の発明」と言われており、2000年以降、マラリア死亡者が世界で42%減少した最大の功績はアーテミシニンおよびその合成剤にあるといっていい。2008年にアーテミシニンに耐性のあるマラリア原虫も発見されたが、WHOはその封じ込めに力を入れており、今なおアーテミシニンはマラリアに最も有効な薬の一つである。
これだけの功績がありながら、彼女は、海外留学経験もなく、また博士号も取得しておらず、中国の科学者に与えられる院士の資格も取得していない「三無科学者」とよばれ、学会でも長らく忘れ去れた人物であった。
彼女に再度、スポットライトが当たり始めたのは、2011年に、ノーベル医学・生理学賞の前哨戦といわれているラスカー賞を受賞したあたりからだ。以降、彼女がノーベル賞を獲るのではないかという下馬評はこの数年間、中国でも取り沙汰されていた。
こう紹介すると、多くの日本人は専門家であれ素人であれ、中国にもこんなすごい人がいたのか、と素直に感嘆することだろう。ところが、意外なことに中国人の反応がポジティブなものだけではない。
科学者としての限界、人格の欠陥…
まず、専門家の反応が厳しい。北京大学生命科学院の饒毅院長のコメント。「過去十数年、屠呦呦先生は業界ではとかく話題の人。名誉欲が強く、個性的で頑固な性格。言い争う以外の方法で、屠先生と交流するのは困難。彼女は中医研究院の材料・データなどを自分の家に隠し込んで、独り占めして我々には見せてくれることがなかった」。
香港大学の金冬燕教授は「彼女のアーテミシニン発見に対する功績は、例え問題があっても、まあ納得できるのだが、彼女の科学者としての限界、その人格の欠陥については、あえて直言したい」。
さらには科学啓蒙作家である方舟子氏。「屠氏が研究報告書を発表した当時、厳格な学術規範による監修はなかった。基本事実をあまり尊重せず、自分の功績を誇張し、研究チームの協力者を蔑ろにしていた。このため、チームの同僚から評判が悪く、だから彼女は院士試験に三度も落ちたのだ」。
日本人的な発想で言えば、ノーベル賞を受賞した人物に対して、こういうネガティブ論評をメディアに向かって言う人はまずないだろう。例え、彼女の性格が相当悪くて協調性のない人でも、ここまでこっぴどくは貶すまい。
さすがにノーベル賞の審査委員たちは、彼女の論文、研究書の信ぴょう性については、専門家の目で厳密に審査しているはずであるから、全くのでたらめ、ということはないはずだ。では、これだけの功績がありながら、なぜ中国でこれまでほとんど評価されてこなかったか。今なお、彼女のノーベル賞受賞に疑問を呈したり、批判したりする人が多いのか。性格が悪いから、彼女が院士試験に合格できなかったと言われるが、そもそも、科学者の功績に性格の良さは必要なのか。
チームメンバーも学会重鎮も“不満”
彼女が批判される背景について、一般に言われているのは、屠氏一人が、アーテミシンの発見に関わったのではなく、当時からすでにアーテミシン研究の同業者の間で、彼女の研究成果、功績の独り占めに対する批判があった、というもの。さらに言えば屠氏は、行政権力を通じて、こうした批判を封じ込めた、とも言われている。
アーテミシンの活性単体を分離し結合を測定したのは、彼女の同僚(鐘裕容という名前らしい)であり、このことについての彼女自身の実質的貢献はなかった、とも言われている。ただ、研究チームの組長であったので、その功績を自分のものとしたのだ、という。523任務は、当時のエース級研究者をまとめた研究チームであり、メンバーに上下はなく、対等な同僚関係であった。そして、お互いをライバル視して、比較的独立した形で競うように実験を行った結果、アーテミシニンの発見がもたらされた、らしい。
当時は、誰が分離に成功したのか、ということについて、上層部も真剣に審査したそうだが、何せ文革後期のもっとも人の心が荒れていた時代でもあり、チーム名義で報告書が出されたのち、讒言や誹謗中傷、足の引っ張り合いが研究チームの中で起きた。結局のところ、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと、上層部が決定したのだという。
だが、研究チームのメンバーのほとんどが納得していなかった、という。以来、彼女に対する密告や讒言の手紙は山のように研究院や当局に届き、彼女の院士試験落第の原因になったとか。中国の院士試験というのは、科学者としての功績だけでなく「政治的正しさ」も審査される。こうした恨み妬みが長らく続き、彼女は学会では半分「干されていた」状態にあった。
だが、アーテミシニンのグローバルヘルスへの劇的な貢献度に、世界の方が彼女の名前を思い出した。彼女がラスカー賞を受賞し、国際社会でもてはやされるほど、中国医科学界の重鎮たちは何となく面白くなく、中国の公式メディアの科学記者たちも、その不満を知っているだけに、あまり派手な報道もできない、といった様子である。中国当局としても、今までさんざん、院士試験に落としてきたわけで、あまり彼女を持ち上げすぎると、中国の科学アカデミズムの最高学位に瑕疵があることを露呈してしまう。また、えげつない中国のネット上ではニセの屠氏の「書」や「手紙」が法外な値段で取引されていたことも発覚し、なんとなく、ネットユーザーの間には冷めた感覚がある。
なので、一部の事情の分かっている知的レベルの高いネットユーザーたちの間では、あえて中国人ノーベル医学・生理学賞受賞者の屠氏ではなく、日本のノーベル賞受賞者を賞賛するのだという。
例えば日本の医学・物理学賞受賞者の大村氏は、アイルランド出身のキャンベル氏との共同受賞。物理学賞受賞者の梶田氏は受賞のコメントのとき「戸塚先生のお力があったので(スーパーカミオカンデを)建設できた」とまず、自分の師匠について語った。つまり、日本の受賞者は「自分の一人の功績」と自慢していない。そこが、中国人的には、イイ!ということらしい。
ノーベル賞を受賞するような偉大な科学的成果が、たった一人の人間の頭脳から突然生まれることはあまりない。それまでの研究の先達の積み重ねがあり、同僚との切磋琢磨があり、たまたま時代と環境のめぐりあわせで、一人が大きな賞を受賞できる。その時、共同研究者や先輩たちがその受賞者を妬むのか、あるいはわがことのように祝うのかは、政治体制や社会の状況が大きく関係していると思う。
誇るべきは、世界への貢献
文革期、他人を一切信用することのできなかった厳しい時代で、優れた頭脳が競うように、時に足を引っ張り合いながらも実験を行って、それでも世紀の大発見がなされた中国という国は、やはり人材の宝庫だというしかない。だが、チームワークで協調できる環境にあったなら、もっと早くに実用化がかなったかもしれない。何より、ともに研究に励んだ仲間たちが素直に喜べないのはなんと不幸なことか。屠氏が受賞時のコメントで、チームの研究者の名前すらあげなかったのも、さんざん誹謗の密告をされたからとはいえ、寂しいことだったろう。
本当に偉大な研究というのは、そのプロセスにおいても、成果においても、より多くの人が情報を共有し、参与することで、現実の人々の暮らしに役立つようになるのだと思う。アーテミシニンだって、薬となってアフリカの子供たちを救うまでには、ノーベル賞を受賞しないような大勢の研究者の努力があったはずだろう。その研究成果が誰のものであるかは実は些細なことで、大切なのは情報も成果も分かち合うことなのかもしれない。
だから、ノーベル賞受賞のニュースが、日本人を沸かせるのは、「日本人は優秀」という自慢の気持ちからではないと思っている。(そう思っている人もいるかもしれないが)。日本から、世界の科学に貢献した人物を輩出できたことが素直に誇らしいのだと思う。研究成果や功績を独占するでもなく、多くの研究者たちが協調して研究を積み重ね、足を引っ張り合うこともなく、世界中の人たちと、その利益を分かち合うことを喜べる政治体制や社会を形成しているのが、私たち日本人の一人一人である。これからも、そういう社会であり続けなければならないと思うのである。