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11/11 ダイヤモンドオンライン 北野幸伯『米国超大物スパイが明かす、中国「世界制覇」の野望』について

何故アメリカは中国に甘く、ロシアに厳しいのだろうか?単なるオリエンタリズムとも思えません。中国は賄賂社会ですが、ロシアだって陸上競技のドーピング問題では組織的に関与していた疑いが濃厚です。両国とも似た者同士に見えるのですが。ロシアはキリスト教(正教)、中国は拝金教(道教、仏教とか言われますが、「中国冥民銀行」発行の「紙銭」という偽札を燃やしたり、紙のダッチワイフを燃やしたり、物欲一辺倒です)で違いますが。勿論、キッシンジャーを筆頭に中国は合法的かどうかは知りませんが要人に金を配って歩いていると思います。周永康の収賄額1兆6000億円を考えると、米要人にも、法外な金が流れていると見るのが正しいでしょう。結局、人間は「金」に転びやすいということです。中国を豊かにすれば、軍拡だけでなく、世界に悪徳を蔓延らせるから、一旦崩壊させ、もっと透明度の上がる仕組みに移行させないと。

アメリカの世界戦略は往々にして間違えます。日本と太平洋を挟んで戦争したのがその最たるもの。結局、中国大陸を赤化してしまって、「中国の門戸開放」を要求していたのにパーになってしまったわけです。馬渕睦夫氏によればそれも英国のユダヤ人の陰謀でそうしたのだという解釈ですが。

百年マラソン(中華人民共和国創立の1949年~2049年)とピルズベリーは捉えていますが、アメリカに対する復讐と言うか、西洋に対する復讐はもっと前から考えていたでしょう。1840年からのアヘン戦争でイギリスに敗れた辺りからではないか。ただ当時の大清帝国は満州族による統治ですが、漢民族の文化に取り込まれていました。今のアメリカもイギリスに取って代わった西洋の代表選手と思っているに違いありません。

中国は世界制覇の野望を隠そうとはしなくなっています。米国の外交・軍事頼みだけでは限界があります。多国間の同盟と、日本の核武装化(憲法問題にはならない)、軍事予算の拡大が求められます。

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米中の対立が激化している。現在起こっている米中の対立は、一過性のものなのだろうか?それとも、「米ソ冷戦」のように長期的なものなのだろうか?この疑問に答えを与えてくれる「衝撃の書」がある。

米中関係改善に貢献した米国の超大物スパイが暴露本を出版!

 米国は9月、訪米した習近平国家主席を「冷遇」し、両国関係の悪化が全世界に知れわたった。翌10月末、米海軍は、「航行の自由」作戦を実施。米中の軍事衝突を懸念する声が、聞かれるようになった。

米国はいよいよ、本格的に中国を倒す決意を固めた。米中対立は一過性のものではなく、戦いは長期化するだろう 

 現在起こっている米中の対立は、一過性のものなのか、それとも「米ソ冷戦」のように長期的なものなのか?この疑問に答えを与えてくれる「衝撃の書」がある。米国を代表する超大物「パンダ・ハガー」(パンダを抱く人=親中派)だったマイケル・ピルズベリーの最新作「China2049 秘密裏に遂行される『世界覇権100年戦略』だ。今回は、この本から、米中関係の変遷を読み解いて行く。

 ピルズベリーは現在、ハドソン研究所中国戦略センターの所長であり、米国防総省の顧問も務めている。また、米国の政策に大きな影響力を持つ、「外交問題評議会」「国際戦略研究所」のメンバーでもある。

 そうした「表の顔」の他に「裏の顔」も存在する。本に書いてしまっているので、「裏の顔」ともいえないが、ピルズベリーは24歳の時から、米国のスパイとして働いてきたのだ(40p)。米国の「対中政策」に40年以上深く関わってきたピルズベリーは、この本の中で、「米中関係」の驚くべき「裏話」をたくさん披露してくれている。

 よく知られていることだが、米中関係が劇的に改善されたのは、1970年代はじめだった。米国は、冷戦のライバル・ソ連に対抗するために、「中国と組む」ことにした。主導したのは、ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官といわれる。特にキッシンジャーは、「米中関係を劇的に改善させた功績」により、「リアリズム外交の神様」と評価されている。

 ピルズベリーは当時20代半ばだったが、「米中和解」に大きく貢献した。ニクソンとキッシンジャーは1969年、「中国と和解した時、ソ連との関係が過度に悪化するのではないか」と恐れていた。ピルズベリーは、ソ連人から情報を入手し、「米中が和解しても、ソ連は米ソ緊張緩和の動きを止めない」ことを伝えた人物だったのだ。

 <ほかならぬわたしがソビエト人から得ていた情報に後押しされて、ニクソンとキッシンジャーはついにその気になったのだ。

 わたしが得た情報とは、「米中が接近しても、モスクワは緊張緩和への動きを中断しないだろうし、中国のあてにならない申し入れをアメリカが受け入れることを大方予測している」というものだ。

 アルカディ・シェフチェンコとクトボイは、まさにその通りのことをわたしに語っていた。>(88p)

「キッシンジャーは毛沢東の計略にはまった」  鄧小平時代には米中「蜜月」に

 しかし、この本にはもっと重要なことが書かれている。「米中和解」を「真」に主導したのは、ニクソンでもキッシンジャーでもなく、中国だったのだ。

 <この交渉を始めたのは、ニクソンでもなければキッシンジャーでもなかった。(中略)

 ニクソンが中国を訪れたのではなく、中国がニクソンのところへやってきたのだ。>(82p)(太線筆者。以下同じ)

 キッシンジャーは71年7月、極秘で中国を訪問。そして、72年2月、ニクソンは歴史的訪中を実現させた。キッシンジャーはすっかり毛沢東に魅了され、中国に取り込まれてしまう。

 <キッシンジャーは毛の計略にまんまとはまり、ニクソンに、「中国は英国に次いで、世界観がアメリカに近い国かもしれない」と告げた。

 中国の戦略を疑う気持ちはみじんもなかったようだ。>(96p)

 当時49歳だったキッシンジャーの「中国愛」は、以後40年以上つづくことになる。こうして、米中関係は劇的に改善された。

「ソ連と対抗するために、中国と組む」−−。これは、論理的に非常にわかりやすいし、米国の立場からすれば「戦略的に間違っていた」とはいえないだろう。両国関係は、毛沢東が76年に亡くなり、鄧小平がリーダーになった後、さらに深まっていく。

 <西洋人にとって鄧は、理想的な中国の指導者だった。

 物腰が穏やかなおじいさんのようでありながら、改革精神に富むバランスのとれた指導者。

 要するに、西洋人が会いたいと思う人物だったのだ。>(101~102p)

 そして、米国は、この「理想的な指導者」を、惜しみなく支援することにした。

 <カーター(註、大統領)と鄧は、領事館、貿易、科学、技術についての協定にも署名したが、それは、アメリカが中国の科学者にあらゆる種類の科学的・技術的知識を提供することを約束するもので、結果的にアメリカの科学的・技術的専門知識の史上最大の流出を招いた。>(111p)

 こうして「理想的な指導者」鄧小平は、米国(と日本)から、ほとんど無料で、奪えるものを奪いつくし、中国に「奇跡の成長」ともたらすことに成功する。まさに、中国にとって「偉大な指導者だった」といえるだろう。

天安門事件と冷戦終結で関係にヒビ 驚きの「クリントン・クーデター」が勃発

 80年代末から90年代初めにかけて、米中関係に大きな危機が訪れる。理由は2つあった。1つは、89年6月の「天安門事件」。人民解放軍は、「民主化」を求める天安門のデモを武力で鎮圧し、数千人の死者が出た。もう1つは、「冷戦の終結」である。

 「ソ連に対抗するために中国と組む」というのが米国側の論理だった。では、「ソ連が崩壊した後、中国と組みつづける理由は何か?」という疑問が当然出てくる。そして、この2つの大事件は、確かに米中関係を悪化させた。時の大統領は、クリントンだった。私たちが抱くイメージとは違い、「クリントンはどの大統領より強硬な対中路線を敷いた」と、ピルズベリーは断言する。

 <大統領選のさなかには、「ブッシュ大統領は、北京の肉屋を甘やかしている」と攻撃した。

 クリントンが大統領に就任するとすぐ、国務長官のウォーレン・クリストファーは、上院外交関係委員会でこう宣言した。

 「わたしたちの政策は、経済力の強化と政治の自由化を後押しして、中国における共産主義から民主主義への広範で平和的な移行を手助けすることだ」>(140~141p)

 米国が反中に転じることを恐れた中国は、なんと米国政府内に「強力な親中派グループ」を組織し、クリントンの「反中政策」を転換させることにした。ピルズベリーによると、「親中派グループ」には、国家安全保障担当補佐官トニー・レイク、副補佐官サンディ・バーガー、国家経済会議議長ロバート・ルービン、財務次官ローレンス・サマーズなどが含まれていた。

 ルービンは、元ゴールドマンサックスの会長で、後に財務長官になっている。サマーズは、ハーバード大学の経済学者で、ルービンの後に財務長官になった。確かに「強力」だ。「親中派グループ」は、政治家の味方を増やしていった。そして、何が起こったのか?

 <ついに1993年末、中国が現在、「クリントン・クーデター」と呼ぶものが起きた。

 中国に同調する面々が大統領に反中姿勢の緩和を認めさせたのだ。

 クリントンがかつて約束したダライ・ラマとの新たな会談は実現しなかった。

 対中制裁は緩和され、後に解除された。>(143p)

 驚くべき事実である。中国はなんと、米国の外交政策を180度転換させることに成功したのだ。

米国から覇権を奪い復讐する! 驚きの中国「100年マラソン」計画

 このように、米中は、「想像以上に深い関係」であることが、この本によって明らかにされている。そして、60年代末からつい最近まで、ピルズベリーは「米中関係を良好にするために」尽力してきた。

 しかし、ここからが、最も重要な話である。ピルズベリーは「中国にだまされていたことに気づいた」というのだ。きっかけは、クリントン政権時代の90年代後半までさかのぼる。ピルズベリーは、国防総省とCIAから、中国の「米国を欺く能力を調べるよう」依頼された。彼は、諜報機関の資料を含むあらゆる情報にアクセスし、研究を行った結果、驚くべきシナリオが見えてきた。

 <これらのタカ派は、毛沢東以降の指導者の耳に、ある計画を吹き込んだ。

 それは、「過去100年に及ぶ屈辱に復讐すべく、中国共産党革命100周年にあたる2049年までに、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカから奪取する」というものだ。

 この計画は「100年マラソン」と呼ばれるようになった。

 共産党の指導者は、アメリカとの関係が始まった時から、この計画を推し進めてきたのだ。

 そのゴールは復讐>(22p)

 しかし、当時はピルズベリーのこの見解を、ほとんど誰も信じてくれなかった。その後、「中国が世界制覇を狙っている」という彼の確信はゆっくりと強まっていく。

 2006年、国防総省の顧問になっていたピルズベリーは、ウォール・ストリート・ジャーナルで、「私の使命は、国防総省が『パンダ・ハガー』(=親中)にならないようにすることだ」と主張。 そして、「中国政府はアメリカを避けられない敵と見なし、相応の計画を練っている。だから、わたしたちは警戒を怠ってはならない」と警告した。

   中国は、大物パンダ・ハガーの裏切りに激怒した。以後、今まで交流のあった中国人政治家、学者、軍人などとの交流は断ち切られ、中国行きのビザも、なかなか出なくなった。しかし、ピルズベリーはその後も揺れ続けていたらしい。こんな記述もある。

 <2009年になっても、同僚とわたしは、中国人はアメリカ人と同じような考え方をすると思い込んでいた。>(316~317p)

 そして、彼が決定的に反中に「転向」したのは、13年だという。

 <2013年の秋に北京を訪れて初めて、わたしは自分たちが間違っていたこと、そして、アメリカの衰退に乗じて、中国が早々とのしあがりつつあることに気づいた。>(318p)

「China2049」が示す米中関係の未来

ここまで「China2049」の内容に触れてきた。ここで書いたことだけでもかなり驚きだが、他にも驚愕の事実が山盛りなので、是非ご一読いただきたい。

 次に、「この本の位置づけ」について考えてみよう。15年3月、親米諸国が米国を裏切り中国側についた「AIIB事件」が起こった時、筆者は「米国は必ず逆襲する」と書き、その方法についても予測した。(詳細はこちらの記事を参照)あれから半年が過ぎ、予想通り米中関係は、急速に悪化している。

 問題は、最初に触れたように両国の対立が「一過性のもの」なのか、「長期化する」のか、である。

 ところで、この本の冒頭には、「機密情報が漏えいしないよう、CIA、FBI、国防長官府、国防総省の代理によって査読を受けた」とある。つまり、この本には、CIA、FBI、国防総省もかかわっているのだ。巻末には、「謝辞」があるが、その中に、こんな一文がある。

 <ヘンリー・キッシンジャーは中国人の考えを深く理解しており、その知識に基づいて直接的にも間接的にも支援してくれた。>(360p)

 かつて米国ナンバーワン「パンダ・ハガー」だったキッシンジャーが、全面的に協力している。これは、「キッシンジャーが親中派をやめた証拠」といってよいだろう。大物親中派ピルズベリーとキッシンジャーの転向により、今後米国で「パンダ・ハガー」でいることは困難になるだろう。無理に親中派をつづければ、中国との「黒い関係」を疑われるようになる。

   そして、冒頭にある「推薦の言葉」は「決定的」だ。ウールジー元CIA長官は、中国について、こう書いている。

 <本書が明かす中国の真の姿は、孫子の教えを守って如才なく野心を隠し、アメリカのアキレス腱を射抜く最善の方法を探しつづける極めて聡明な敵だ。

 我々は早急に強い行動を取らなければならない。>

 元CIA長官が、ある国について「敵」と名指しするのは、よほどのことだ。そして、ピルズベリー自身は、「アメリカはこのマラソンの敗者になろうとしている」と警告している。さらに、「中国が覇権をとった暗黒の世界」を描き、そうならないために「米国が中国に勝利する方法」まできっちり解説している。

   これらすべての事実からわかることは、「中国の世界覇権の野心を知った米国支配層が、中国打倒の決意を固めている」ということだ。つまり、現在の「米中対立」は、「米中覇権戦争」の一環であり、戦いは「長期化」し、決着がつくまでつづく」可能性が高いのだ。私たち日本国民も、日本政府も、「今は1930年代のように、変化の激しい切実な時代なのだ」ということを、はっきり自覚しておく必要がある。

11/10日経夕刊 『新疆自治区成立60年 ウイグル 中国が抱く火種 「漢化」に反発、難民拡散』について

日経も中国の人権問題にやっと触れるようになったかと言う感じです。これも、アメリカの中国に対する態度が変わったのを見て書いたのでしょう。どうせなら、ウイグル族だけでなく、チベット族、南モンゴル族の問題をシリーズで特集を組めばよいのにと思います。

1997年小生が北京にいたときに、漢民族から聞いたのは、「ウイグル族はすぐ刀で人を傷つけるから怖い」と言っていた記憶があります。たしかにこの記事にありますカシュガルはナイフの産地でもあり、お土産屋で沢山売っていました。また、黄色いモスクとして有名なエイテイガール・イスラム寺院があります。

中国で少数民族(と言っても百万、千万単位ですが)の言葉や宗教を奪ったり、伝統をも奪うのは共産党支配だからです。それに漢民族の民族性が加わり、「人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」ということで統治してきているのだと思います。韓国は日本が創氏改名を強制したとかありえないことをすぐデッチ上げますが、宗主国を見本として捏造しているのでしょう。

東トルキスタン共和国は第二次大戦中、中華民国から独立しましたが、国共内戦終結後すぐに共産党に奪われました。チベットも時間差があるものの同じです。中国こそ侵略国家です。

「一帯一路」は中央アジアに抜けるためには新疆を通らなければなりません。戦略的な要衝の地です。でも中央アジアはイスラムですので、逆にテロリストが中国に流入することが考えられます。今でも事件が頻発しているのに、「一帯一路」で道を開けていけば、ISのメンバーが流入する可能性もあります。エジプトでのロシア機爆破も青山繁晴氏によればインサイダーテロとのこと。内部のものの手引きで手荷物にプラスチック爆弾を入れたようです。(ブログ「ぼやきくっくり」より:

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1802.html )今後こういうケースは増えていくでしょう。

中国は内憂(イスラム)外患(米国)と二正面作戦を取らざるを得なくなるでしょう。習近平の権力奪取への焦りが失敗の元です。『あぶない一神教』の中で佐藤優は、イスラムは何故死を恐れないかと言うのを次のように説明していました。「とくにイスラム過激派は死の問題を簡単に迂回できますからね。私は人間にとって宗教が必要なのは、死の問題を扱うからと、考えています。しかし彼らは死の問題と向き合っているように思えない。彼らは、生き残っても死んでも目的を果たしたと考える。テロを行って失敗したらシャヒード(殉教者)になって、天国で72人の処女と楽しく過ごせる。もし生き残って戦闘に勝利した場合は地域の支配を任されて、現実の世界で力を誇示できる。生と死、どう転んでも勝ちが約束されている(P.128~129)」とありました。宗教的確信を持ったものは、一向一揆のように、戦闘では手強いです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88

Id Kah Mosque

エイテイガールモスク

記事

中国新疆ウイグル自治区が成立から60年を迎えた。中国政府は高度な自治と経済開発の恩恵を強調するが、民族対立の火種はくすぶったままで、現地では当局に暴力で抵抗する負の連鎖が止まらない。根底にあるのは宗教や文化への締め付け、中国語の強要といった「漢化政策」への反発だ。各地に「ウイグル難民」があふれ出すなど、問題は世界に拡散し始めている。

xinjiang

 北京市の中央民族大学。9月に上京したばかりというウイグル族の那比さん(仮名、19)は予科クラスで漢語(中国語)を学ぶ日々だ。「いっぱい漢語を勉強して、将来は故郷で起業したい」。たどたどしく夢を語ってくれたが、自治区の治安悪化やタイの爆弾テロ事件に話題が及ぶと表情が一変した。「そんなこと知らない。ウイグル族はみんないい人……」

 那比さんは漢化政策の影響を最も受ける世代だ。出身地のカシュガル地区は自治区南西部に位置し、伝統的なイスラム教文化を残す地域として知られる。だが最近は国家主導の大規模開発が進み、現代風の高層マンションや大型商業施設が次々と立ち並び始めた。アニメ好きという那比さんも親が比較的裕福な公務員で、小さいときからテレビやスマートフォンなど高価な機器に囲まれて育った。

 「お祈り? 一回もしたことがない」。共産党は公務員の家庭に宗教行為を禁じている。さらに当局の統制を受け、中国の報道各社は民族問題に絡む「不都合な真実」を一切報じない。那比さんも自治区や世界でいま何が起きているか全く知らないという。「私はおかしいの?」

宗教慣習許さず

 自治区設置の1955年から60年、域内総生産(GDP)は120倍に急拡大したが、漢民族の大量入植も進み、今では自治区の人口をウイグル族と二分するまでに急増した。歴代の自治区トップは全員が漢民族で、地下に眠る石油などの豊富な天然資源も漢民族主体の国有企業が利権を独占する。自治区とは名ばかりの共産党支配が続く。

 カシュガル地区のウイグル族男性によると、昨年夏には車で赤信号を無視しようとした若者が「テロ分子」として武装警察に射殺される事件があった。礼拝のために民家に集まった主婦や老人が「テロを画策している」と連行されることも珍しくないという。

 現地では男性のひげや政府指定の民族衣装以外の着用を禁止するなど、宗教慣習への締め付けも強まる。これに反発したウイグル族による暴力事件や警官襲撃も止まらない。

 さらにいま深刻になっているのが「ウイグル難民」問題だ。ベトナムと国境を接する広西チワン族自治区の憑祥市では、警官隊が深夜の山岳地帯で象牙の密輸ルートを使って密出国を試みるウイグル族の集団を取り締まっている。今年1月にはウイグル族の1人が市内の住宅街に逃げ込み、警官隊の銃撃を受けて死亡する事件も起きた。

 新疆からは3千キロメートルも離れた場所だが、射殺される危険をも冒しながら、毎月5千人にも上るウイグル族が海外逃亡を試みているという。「新疆での弾圧から逃れるため」(関係者)で、7月にタイ政府が中国に強制送還したウイグル族も、こうした逃避行の果てに拘束された人々だった。

沈黙続ける世界

 8月にはバンコクでウイグル族組織が関与したとされる爆弾テロが起きたが、国際社会は中国の経済力になびいて見て見ぬふりを続ける。「中国政府の新疆建設に明るい先行きを持っている」。9月下旬には英国のオズボーン財務相が英閣僚として初めて新疆を訪れ、現地の発展ぶりを持ち上げてみせたが、世界が自治区の現状に対して沈黙を続ければ、漢化政策による「ウイグル問題」はさらに混迷を深めそうだ。

(北京=阿部哲也)

ウイグル族

 主に中国西部の新疆ウイグル自治区で暮らし、2200万人強いる同自治区の人口の約半数を占める。トルコ系遊牧民族を起源とし、シルクロード交易全盛期の9世紀ごろ、モンゴル高原から移住してきたとされる。イスラム教徒が多く、独自の言語を使い、中国の歴代王朝から「西域」と呼ばれる固有の文化圏を形成したが、18世紀半ばに清朝が一帯を征服して統治下に置き、1949年に中華人民共和国に統合された。

11/10ZAKZAK 加賀孝英『中台会談の裏に「海峡危機」再来の懸念 不満鬱積で不穏な中国軍』11/11日経ビジネスオンライン福島香織『分断後初の中台首脳会談、意義見えず 名を残すために台湾を売る馬英九の愚』について

「92年コンセンサス(92共識)はなかった。誰かが自分のサインを捏造したものだ」と李登輝元総統が以前の「中国時報」の中で言っていました。同じ紙面で馬総統は「92共識は間違いなく存在する」と言ってサイン入りペーパーを示していたと思います。

馬総統も本省人=中国人ですから、改竄・捏造はお手の物でしょう。そんなものに基づき、「一つの中国」を解釈するのは台湾人に失礼です。会談は、結局台湾にとって何の利益も齎さず、習近平の訪米時の扱いや南シナ海の航行の自由等、外交の失敗を救済する形となりました。馬総統は愚かとしか言いようがありません。金を習から貰ってポケットに入れるか、買収資金にするかも知れません。国民党の主流は、何せ中国人のことですからスマートに賄賂を送るやり方を知っていますので。買収を断ると付き合い上マズイと言うのであれば、受け取って、「民進党」に投票すれば良いでしょう。不法原因給付なので後で返還請求できないし、違法行為なので訴えられることもないでしょう。習VS馬は同じ中国人同士、狐と狸の化かし合いのようなものでしょう。それで台湾向けミサイルのことを「台湾には向けていない」と習が言い、馬もそれ以上突っ込まないデキレースのようなものです。

福島氏の記事にありますように、会談後の民進党候補蔡英文の支持率が5ポイント上昇して46.7%、国民党候補朱立倫の支持率は1.7ポイント下落し19%とありますので、会談は国民党にとって、来年1月の総統選には役に立たなかったというかマイナス効果しかなかったという事です。さすがKYの馬英九としか言いようがありません。習が7年間の馬の努力に感謝して会談をセットしたということはないでしょう。やはり次の蔡英文の行動を制約するためでしょう。蔡英文が言っていますように日本と産業同盟(含むTPP)を結び、中国大陸にいる台商を台湾に戻した方が良いと思います。

加賀孝英記事

 中国の習近平国家主席と、台湾の馬英九総統が先週末、シンガポールで1949年の中台分断後、初の首脳会談を行った。世界のメディアが「歴史的握手」「1つの中国を確認」などと報じたが、日米情報当局者はまったく違った分析をしている。南シナ海をめぐって「米中対立」が深刻化した習政権が、新たな台湾海峡危機を演出しかねないというのだ。衝撃的な、人民解放軍による台湾総統府制圧訓練とは。ジャーナリストの加賀孝英氏が緊急リポートする。

 「両岸(中国と台湾)のリーダーが会うことは歴史的一ページだ。いかなる力も(一家族である)、われわれを引き裂くことはできない」

 習氏は会談冒頭、笑顔でこう語った。なごやかに始まった首脳会談だが、馬氏が、中国が台湾向けに配備している約1500発もの弾道ミサイルの撤去を求めると、習氏は「あれは台湾に向けたものではない」と、笑顔でウソをつき、それ以外の台湾側の提案にも、ゼロ回答で応じた。

 ご承知の通り、シンガポールで7日、分断後初となる中台首脳会談が開かれた。会談は約1時間。世界が注目するなか、両首脳は「一つの中国」を確認したとされる「1992年コンセンサス」を確認し、平和的関係を築くことで握手を交わした。

 萩生田光一官房副長官は同日、「両岸にとって発展的な良い会談になるのだとすれば、決して否定するものではない」と記者団に語った。

 世界のメディアは「歴史的握手」などと絶賛したが、本当なのか。言うまでもなく、日本を取り巻く東アジアの安全保障にとって、中台が対峙する台湾海峡の安定は、朝鮮半島のそれと同様、最重要課題だ。「良い会談」ならば大いに評価したい。

 だが、驚かないでいただきたい。舞台裏はまったく違う。

 台湾では昨年3月、共産党独裁の中国と結んだサービス貿易協定をめぐり、数万人の学生と市民らが「中国NO!」を宣言して、立法院(国会)を約1カ月も占拠する事件(=ひまわり学生運動)が発生した。馬氏の支持率は10%前後まで低下し、同年11月の統一地方選挙では、「中台接近(統合)」に傾く馬氏率いる与党・国民党が大惨敗した。

 今後の最大の焦点は、来年1月16日に実施される台湾総統選挙と、立法委員(国会議員)選挙のダブル選挙だ。外務省関係者が語る。

 「ダブル選挙では、国民党が大敗することが確実視されている。馬氏の狙いは、習氏に泣きつき、巨額の経済支援などを引き出し、劣勢をひっくり返すことだ。歴史的握手というパフォーマンスの裏で、大バクチを打ったともいえる」

 「現状では、独立志向の強い蔡英文主席と、彼女が率いる野党・民主進歩党が勝利する可能性が大だ。こうした結果は、『中華民族の偉大なる復興』を掲げ、『台湾の統一(併合)』を目標とする習氏と中国共産党には絶対に看過できない。習氏は首脳会談で馬氏を取り込み、台湾統一工作を加速させるつもりだろう」

 仰天情報がある。以下、複数の日米情報当局関係者から得たものだ。

 「今年7月、中国人民解放軍が、内モンゴル自治区の軍事演習場に、台湾総統府を実物大で再現した建物を完成させ、特殊部隊による『武力制圧訓練』(斬首作戦=奇襲による台湾首脳らの排除)を行っていると、カナダの民間研究機関が明らかにした。衛星写真も公表された」

 「西側情報当局は『蔡氏と民主進歩党が勝った場合、中国が軍を動かして台湾に圧力をかける危険がある』という分析もしている。最悪の場合、1996年に勃発した『台湾海峡危機』の再来もあり得る。情報当局関係者は緊張している」

 台湾海峡危機とは、96年の台湾総統選挙直前、独立志向派である李登輝氏の当選を阻止するため、中国が演習と称して、台湾海峡に何発ものミサイルを撃ち込んだ事件だ。対岸に集結した中国軍も台湾侵攻の動きを見せた。当時のクリントン米大統領は2つの空母機動部隊を台湾近海に急派させ、中国の暴走を食い止めた。

 状況は今と驚くほど似ているではないか。情報はこう続く。

 「ダブル選挙は来年1月で、新総統の就任式は4カ月後の同年5月だ。万が一、第2の『台湾海峡危機』が起こるとすれば、この『魔の4カ月』が危ない」

 現在、南シナ海では、米国が、中国の国際法無視の暴挙を食い止めるため、「フリーダム・オブ・ナビゲーション(航行の自由)作戦」を発動している。米中衝突の危機が生じている。

 旧知の外事警察関係者は、以下のようにいう。

 「中国は南シナ海で、米イージス駆逐艦による『航行の自由作戦』に、手も足も出せなかった。習氏の権威は地に落ちた。軍に不満が鬱積しており、造反の動きもある。習氏は相当焦っている。何が起こるか、分からない」

 こんな情報も飛び込んできた。

 韓国の韓民求(ハン・ミング)国防相が4日、ASEAN(東南アジア諸国連合)拡大国防会議で突然、米国の南シナ海での作戦を支持する発言をしたため、中国が「『あの韓国に裏切られた!』と激怒している」というものだ。

 事態は急変している。日本は情報収集を急がなければならない。

 ■加賀孝英(かが・こうえい) ジャーナリスト。1957年生まれ。週刊文春、新潮社を経て独立。95年、第1回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞受賞。週刊誌、月刊誌を舞台に幅広く活躍し、数々のスクープで知られている。

福島香織記事

来年1月に台湾の総統選挙が迫るなか、馬英九総統が、いきなり今月7日、シンガポールで中国共産党中央総書記の習近平国家主席と会談した。1949年の中台分断後、初めて中台の最高指導者が会談するという歴史的事件ではあるし、メディア関係者は当然大騒ぎなのだが、台湾世論も中国国内も国際社会も何か白けた空気である。

 支持率一桁の超絶不人気の、引退間際の、しかも国民党主席でもない馬英九が、習近平と会って互角に渡り合えるはずもない。一方、習近平は国内では権力闘争の真っ最中、党内でも国際社会でも政敵に足をすくわれないよう、細心の注意を払わなければならない時期だ。CCTVは馬英九の肉声を伝えず、襟の青天白日バッジにまでモザイクをかける小心ぶり。彼らは、いったい、何のためにこんな会談を今の時期に、急に開いたのか。

馬英九、ロスタイムの個人プレー

 オンラインで、この世紀の瞬間(?)を私も見たのだが、習近平も馬英九も非常にぎこちない笑顔で、まるで機械仕掛けの人形のように80秒以上握手し続け、シャングリラホテルの会見場につめかけた約600人のメディアの要請を受けて、あっちを向いたり、こっちを向いたりして、しっかり握りしめたお互いの手を見せつけた。次に、やはり機械人形のように30秒間、手を振り続けた。会場の記者たちはそれなりに興奮して、手を振った姿に、おーっ!と歓声を上げながら、フラッシュを浴びせかけていた。

 しかしながら、個人的な印象を言えば、2005年に野党時代の国民党現役主席であった連戦が初訪中して総書記の胡錦濤と初会談したときの方が感慨は強かった。あるいは、今年5月、与党の立場で国民党主席の朱立倫が北京の人民大会堂で習近平と会談したことの方が、国民党にとっては実質的な政治的意味はあったかもしれない。

 この会談がなぜ、急遽、今のタイミングで開かれたのか。

 個人的な憶測を言えば、馬英九にとっては、負け試合終了間際のロスタイムに、少しでも見せ場をつくっておきたくて個人プレーに走った、というところではないか。蒋介石、蒋経国、李登輝、陳水扁と歴代台湾の指導者は、いずれも何かしら偉業を成し遂げ、歴史に名を刻んだ。

 蒋介石は初代中華民国総統、蒋経国は戒厳令を解除し中華民国の台湾化を進めた。李登輝は台湾の民主化の立役者であり、陳水扁は最初の国民党以外の政権を台湾に樹立した。馬英九のやったことは台湾の中国化であるが、それをポジティブに語る台湾人は少ない。

 早い話が馬英九の政治に歴史的意義のある評価はひとつもなかった。それどころか、執政のまずさを酷評され続け、学生に立法院を占拠されるという前代未聞の事件も起きた。だが習近平と会談すれば、分断後、初の中台首脳会談を実現した総統、という箔はつく。実際、それぐらいしか、この会談の意義というのが、私には見いだせないのだ。

一部中国紙の論評では、この会談によって1月の台湾総統選および立法院選挙において国民党の追い風になる、というものがあったが、それは台湾民意に対する中国人識者の無知ゆえの過ったヨミであると思う。この馬英九政権7年半の間に、中国経済は台湾を侵食し、大手メディアのほとんどのスポンサーに中国が関わるようになったため、台湾の報道は中国ほどではないにしろ、中国批判を抑えるようになった。このため、メディアを通じてでは、台湾人がいかに中台接近、あるいは習近平政権の「中国の夢」に警戒心と拒否感を持っているかを分かっていない。

「自由時報がスクープ」の意味

 そもそも、この「歴史的会談」の一報を抜いたのは、自由時報である。アンチ国民党アンチ中国を旗印にしている新聞社だ。本来なら、この種のネタは親国民党の新聞の方がスクープしやすい。安倍政権のスクープを読売や産経が抜きやすいのと同じで理屈である。

 だが、この急な中台首脳会談のニュースは、台湾人にとってネガティブな情報として、アンチ国民党の自由時報がスクープした。単純に考えれば、ネタ元は国民党幹部筋であろう。あえて自由時報にリークしてネガティブ報道させたのは、国民党にとっても、この会談を忌々しく思う派が存在するということではないか。

 2014年3月の学生らによる立法院占拠から始まったひまわり運動を振り返っても、2014年11月の台湾統一地方選の結果を見ても、今の台湾民意はアンチ馬英九であり、アンチ中国である。国民党が公認の女性候補だった洪秀柱を突然、新北市長を休職した国民党主席の朱立倫に挿げ替えたのも、親中派を公言する洪秀柱では、立法院選挙まで惨敗するのが目に見えているからだった。今の国民党が受けている逆風は、すべて馬英九政権になってからの急激な台湾の中国化に対する台湾民意の抵抗から始まったのだから、この時期の中台首脳会談など、総統選・立法院選の足を引っ張る以外の何物でもない。

 参考までに三立テレビ(アンチ国民党派)の中台首脳会談を受けての民意調査では、民進党候補・蔡英文の支持率は会談前よりも5ポイント上昇して46.7%、国民党候補朱立倫の支持率は1.7ポイント下落し19%と、もともと開いていた支持率の差がさらに開いてしまった。一応、朱立倫は国民党主席としてこの会談について、台湾の国際的地位を上昇させ、両岸(中台)の未来の平和発展に貢献したとしてポジティブな評価をしてはいるが、総統選挙への影響力という点では、10日から16日の日程で組まれている朱立倫の国民党主席としての初訪米の方がよっぽど意味があるのは当然だろう。

 では、中国サイド、習近平側はどのような思惑で、この馬英九の晴れ舞台に付き合ったのだろうか。習近平の会談冒頭のスピーチを少し見てみよう。

習近平、かく語りき

 「尊敬する馬先生、みなさん、こんにちは。きょうは非常に特別な日です。両岸の指導者が一堂に会し、歴史の一ページをめくりました。歴史は今日のことを記録するでしょう。

 かつて両岸が海を隔てて軍事的に対峙し、親族も分断され、無数の家庭に骨身に染みる痛みを刻みました。その遺憾を補う方法はありません。そうして、海峡を隔てても、兄弟の情を断ち切れることはなく、故郷の父母への思念、家族が寄り添いたいという渇望、同胞の血縁の情の力を遮ることもできませんでした。前世紀の80年代に、ついに両岸は閉じていた門戸を開いたのです。

 2008年以来、両岸関係は平和発展の道をたどってきました。過去7年、台湾海峡情勢は安定し、両岸の平和発展の成果は実りあるものでした。両岸双方の広範な同胞が大量の心血を注ぎ、まさに7年の積み重ねによって、今日の歴史的一歩を踏み出すことができたのです。ここに私はすべての両岸発展推進に貢献してきた同胞、友人たちに心よりの感謝を示したい。66年の両岸発展の道のりにおいて、多少の風雨と長年の断絶があったとしても、いかなる力も我々をわかつことはできないのです。なぜなら、我々は骨を断たれても心はつながっている同胞であり、濃い血で結ばれた家族なのだから。

 今日、両岸発展の内容は、その方向性の選択に直面しています。我々が今日ともに会したのは、歴史の悲劇を繰り返さず、両岸関係の発展成果を二度と失うことなく、同胞が継続して平和で安定した生活を送り、子孫に美しい未来を共有するためです。両岸双方がこの発展の道のりの中で啓発を得て、民族の責任、歴史的責任を担い、歴史経験に基づいた正しい選択を行わなければなりません。

 我々は世の人々に行動でもって、両岸中国人が自分たちの問題を解決する完全なる能力と智慧をもっていることを表明し、共に世界と地域の平和発展の繁栄にさらなる大きな貢献をしていくのだと表明せねばなりません。私は、両岸双方がともに努力し、両岸同胞が手を取り合って奮闘し、92年コンセンサスを堅持し、共同の政治基礎を固め、両岸の和平発展の道をしっかり定めて、両岸関係の発展の正しい方向性を維持し、両岸の協力を深め、両岸同胞の福祉を増進し、共に中華民族の偉大な復興をはかり、民族の復興の偉大なる躍進を享受してほしいと思います」

中国と台湾は濃い血で結ばれた家族である、と強調し、台湾に未来の選択を間違わぬようにと訴え、中台問題について国際社会の介入を牽制し、台湾人民に中華民族の復興の果実をともに享受しようと呼びかけている。

 また、「歴史」と言う言葉を繰り返した。台湾紙・聯合報によれば、晩餐会では抗日戦争時の話題で盛り上がったらしく、馬英九が「総統府はかつて爆撃された」というと、習近平から「あなたがたの総統府とは、日本時代の総督府のことか」との質問があったとも。7月に提案されていた、抗日史を盛り込んだ共同歴史書作りに関しても一致したという報道もある。馬英九は9月3日の中国の抗日ファシスト戦争勝利70周年記念日に、習近平が、あたかも共産党が日本に勝利したように喧伝したことについて、さすがに当時は「遺憾」の意を示していたが、そういう国民党員としてのプライドはここにきて捨てたようである。

中国の成果は「都合の良い歴史」

 馬英九は国民党内でもかなり孤立しており、引退後の政治的影響力はゼロだろう。台湾民意は今のところ中国に対する警戒感が強く、台湾海峡に向けたミサイルを配備した状況での習近平の平和メッセージなど心に響かない。このメッセージはむしろ、中国人民に向けて、そして国際社会に向けてのものと考える方がいい。

 選挙で選ばれていない共産党政権は「中国共産党は日本軍から中国を守った」という歴史が、執政党としての正統性の根拠である。現実の歴史は、国民党軍が米国の支援を受けて日本軍を破ったのだが、続く内戦で既に疲弊していた国民党軍は共産党軍に敗れるのだ。国民党軍が日本と激戦を展開している間、共産党は延安での拠点づくりに勤しんでいた。日本軍とは極力戦うなという毛沢東の意向に背いて、百団大戦を指揮した彭徳懐は、後に失脚させられた。

 毛沢東が半分冗談めかしてだが社会党委員長・佐々木更三に「皇軍(旧日本軍)のおかげで政権がとれた」と語ったというエピソードも伝えられている。共産党は国民党とともに戦い日本軍に勝利したという中国に都合のよい歴史を総統に認めさせたというのが、中国にとっての会談成果かもしれない。

 もちろん習近平にとって任期中に中台統一を実現させることは悲願であり、中国に従順な馬英九の総統任期中に、中台首脳会談を行い、少しでも有利な状況を作っておきたいという希望はあった。南シナ海の問題が先鋭化し、中国にとっては対米戦略上も、また尖閣諸島をめぐる問題を含めた対日戦略上も台湾を抱き込むことは一層重要である。

 ただ、習近平のパートナーとなるべきは、台湾民意も国民党内の支持もついていない馬英九ではお話にならない。馬英九は半年後には何の権力も持たなくなる。今の習近平にとって重要なのは、馬英九との会談よりも、次の政権との関係性である。特に民進党政権になれば、中国の対台湾戦略は大幅な調整が強いられる。この会談でたとえ、何か密約めいたものが決められても、実際意味をなすとは考えにくい。

台湾を中国に売り渡した総統

 それでも、馬英九の最後の花道に習近平も付き合ったのは、中国国家主席としてのねぎらい、感謝の気持ちからではないか。中国が台湾をここまで経済的に支配でき、メディアコントロールを強化し、中国化を進めてこられたのは、馬英九政権7年半の積極的な協力があったからこそなのだ。

 李登輝政権後期から民進党政権樹立にかけてのころ、台湾アイデンティティと言う言葉がはやり、「一つの中国」というコンセンサスから、「一辺一国(中国と台湾は別の国)」に変わりかけたことがあった。この流れを馬英九政権が完全に止めて、中台急接近に動いてくれたのだから、中国にとっては大恩人だ。

 振り返れば、馬英九政権が行った政治の歴史的意味は小さくなかった。台湾独立の最初の芽を完全に摘んだのだ。馬英九の名前は、やはり歴史に残るかもしれない。だが、それは中台分断後「初の首脳会談に臨んだ総統」ではなく「台湾を中国に売り渡した総統」という評価にはなるが。

11/6 EPOCH TIMES 『Film Exposing Forced Organ Harvesting in China Wins UK Award(=中国の臓器移植のドキュメンタリー映画が英国で受賞)』について

EPOCH TIMESは「大紀元」=「法輪功」が発行している媒体ですから、中国の上海派には厳しいです。江沢民が共産党より「法輪功」の信者数が多くなるのを恐れて「法輪功」をずっと弾圧してきました。その反作用として「法輪功」は共産党憎しとなっているのは間違いありません。それで「大紀元」記事は割り引いて見ないといけないと思っています。でも、英国で賞を受けたのは間違いないでしょうから。南シナ海の問題もあり、今後アメリカとイギリスメデイアは中国の人権状況について厳しい報道のネタをドンドン流し、中国から外資のキャピタルフライトが起きるように持って行くのではと思っています。直接戦闘すれば兵器の消耗になって経済効果はあるのでしょうけど、核を持ったスーパーパワー同士が戦争すればどこで止められるか分からないので、直接対峙するのであれば経済戦争を選ぶと思います。シエールオイルのあるアメリカと違い、中国は自前で石油を総ては賄えないので経済封鎖されれば音を上げます。内乱になるでしょう。それこそ欧州とは桁違いの難民が出るでしょう。

英語版では、「法輪功」信者だけでなく、ウイグル人、チベット人、キリスト教信者から臓器を取って移植したとあります。2003年~2008年までに40万~60万の人が犠牲になったと。別の資料では200万と言うデータもあるという事です。それでも氷山の一角と言うのですから。中国は何でも桁違いです。彼らの感覚では嘘の南京虐殺も30万人くらいいないと虐殺とは言わないのかもしれません。何せ20万しか南京市民がいないのに10万人がわざわざ虐殺されに来たと中国は主張するのですから。

本記事は中国の拝金主義の毒が良く分かるでしょう。解放軍の外科医が担当してことを窺わせる記事です。日本の軍医と精神構造が違います。彼らの言うことは如何に嘘が多いかという事がこの記事でも分かるでしょう。日本人は中韓の嘘には毅然と反論すべきですし、主張する政府を応援すべきです。

同日付の「大紀元日本版」では次のようにありますので紹介します。

「ドキュメンタリー映画「人狩り」 英国際放送協会最優秀賞 2015/11/06 17:22

 中国での受刑者に対する組織的臓器収奪疑惑の調査を収録したドキュメンタリー映画「人狩り(Human Harvest)」が、4日夜にロンドンで開かれたAIB(国際放送協会)国際メディア コンクールで、国際調査ドキュメンタリー部門の最優秀賞を受賞した。

 中国系カナダ人である李雲翔・監督は2006年から中国の臓器問題を追跡してきたという。同作品は、中国で臓器移植を受けた外国からの患者、元受刑者や元警察官などの証言のほか、カナダの元アジア太平洋地区担当大臣デービット・キルガー氏と人権弁護士デービット・マタス氏が率いるカナダ独立調査団の一部調査を収録している。

 受賞後、大紀元の取材に応じた李・監督は「作品を通して、臓器をめぐる中国の国家犯罪の真実を国際社会にもっと知ってもらいたい」と心情を語った。

 AIB国際メディアコンクールは世界的権威のある賞で、NHKの複数の番組も受賞したことがある。今年度は「人狩り」のほか、BBC、アルジャジーラテレビ局、英スカイ・ニュースなどの5作品が各部門の最優秀賞を獲得した。

 中国の臓器問題の闇は非常に深いとみられる。

 これまでの国内の医療関係者や警察官など各方面の情報によると、1970年代ごろから死刑囚や、政治犯などの「良心の囚人」の臓器を移植用に使うことが「日常的に行われている」。中国政府は一貫して完全否認していたが、2005年ごろから死刑囚の臓器利用を渋々認めた。

 一方、1999年7月から中国で禁止され集団弾圧を受けている伝統気功・法輪功は、「迫害開始直後から臓器移植件数が急激に増えている理由は、強制収容された大勢の愛好者が臓器狩りの対象にされたからだ。刑務所、病院、司法の関係者は暴利を貪るため組織ぐるみで愛好者を殺してきた」と主張している。前出のカナダ人独立調査員2人は、法輪功の迫害実態を調べる米人権団体「追査国際」の要請を受けて、2006年から関連の調査に着手し、「紛れもない事実である」との結論の報告書を発表した。

 「人狩り」は今年4月、米国放送界の最高栄誉賞であるピーボディ賞を受賞したばかり。(翻訳編集・叶子)」とあります。

記事

By Diane Palframan, Epoch Times | November 5, 2015 Last Updated: November 6, 2015 11:42 am

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‘Human Harvest’ director Leon Lee receiving the AIB Award with CNN International’s anchor and correspondent Hala Gorani (Courtesy of AIB)

LONDON—A documentary about the killing of tens of thousands of Chinese prisoners of conscience for their organs has won the 2015 Association for International Broadcasting (AIB) award for best international investigative documentary. It follows the film’s receipt of a prestigious Peabody award earlier this year.

On winning the most recent award, director Leon Lee said: “This is a huge honor for me and the team who stood by me for eight years while we made the film. I hope more people will now be prompted to watch the film and, most importantly, that it will make a difference and end organ harvesting.”

Judges who chose the film, which was competing against productions from the BBC, Sky News and others, said that it “captures the horror of the story through credible testimony and proactive research”, adding that the story “definitely needs to be more widely known.”

The film’s producer, Flying Cloud, is a small independent company based in Vancouver, Canada.

Simon Spanswick, chief executive of UK-based AIB, agreed with the judges: “Although I was not a judge for this category, as a former programme-maker, I could see this film was clearly up there. Small production companies that do really good work do win AIB awards – it’s not unusual – and the award will have an impact and enable the programme to be sold more widely.”

“Human Harvest: China’s Illegal Organ Trade” tells the story of how in a few years, China created a large-scale, highly profitable organ transplant business without an organ donor system.

It questions the source of the organs and how Chinese hospitals can offer transplants within weeks when patients in the West typically wait years.

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“Human Harvest” director Leon Lee stands outside the UK Parliament in London, where his documentary exposing forced organ harvest in China was screened on Nov. 4. (David Sun/Epoch Times)

The truth unfolds: The organs are being forcibly taken from prisoners of conscience including people who practice Falun Gong, an ancient spiritual practice, Uyghurs, Tibetans, and House Christians. The film reveals that it is Falun Gong practitioners who are targeted most.

“When I came across this in 2006, I could not believe it at all. I thought it was nonsense,” said Lee. Nevertheless, he decided to look into the subject and became convinced that organ harvesting is taking place on a large scale in China.

It is estimated that 40,000 to 60,000 people were killed for their organs between 2003 and 2008, although Lee spoke off the record to a military surgeon from China who said the figure was over 600,000. “Other information suggests it could be 2 million,” Lee said. “We were conservative in the film. What we showed was the tip of the iceberg.”

The film was screened in British Parliament prior to the AIB award ceremony.

Lee admits that many times he felt a sense of hopelessness but, after winning the Peabody award, the film captured the interest of mainstream media. “Media executives told me that they had heard about organ harvesting in China but never took it seriously,” he said.

That has now changed. The film has been broadcast in 20 countries and is also available, unofficially, in China. “As a filmmaker, I’m against piracy but you can buy it in China for 10 yuan [$1.60],” he admitted.

Lee is increasingly convinced of the power of film. While he acknowledges that more work is needed to stop the atrocities taking place in China, he believes change is coming and that raising awareness will help the process.

“When people ask me what anyone can do when China is so big and powerful, I tell them to pass the word to family, friends, and colleagues, because the more people know about this, the sooner it will end,” he said.

平塚柾緒『写真で見るペリリューの戦い』を読んで

今年の7/31のブログ記事『井上和彦著『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』について』でパラオを紹介しました。その続編です。

今回は、太平洋戦争(大東亜戦争)後でも、ペリリュー島に残って戦い続けていた人達のことを紹介したいと思います。戦後の日本人はGHQによるアメリカの価値観を植え付けられ、刹那主義・快楽主義・拝金主義が跋扈するようになりました。先人たちの生き方を見て、如何に生きたら良いか考えるキッカケになればと思います。是非本を手に取ってお読みいただきたく。

内容

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第4章奇跡の生還

洞窟に潜んでいた三十四人の日本兵

昭和二十二年の日米銃撃戦

昭和二十年(一九四五)九月ニ日、東京湾に錨を降ろした米戦艦「ミズーリ」艦上で、連合国と日本国との降伏調印式が行われ、三年八力月に及んだ「太平洋戦争」 (大東亜戦争)は正式に幕を下ろした。ところが一年半後の昭和二十ニ年(一九四七)三月の末、あの激戦の地ペリリユー島で突然、激しい銃撃戦が起こった。米軍と複数の日本兵による銃撃戦である。

パラオ本島(バベルダオブ島)や、コロール島で敗戦を 迎えパラオ地区集団の陸海軍将兵の大半は、前記したように昭和.二十年十月から翌二十一年三月にかけて日本本土に復員している。ところが集団司令部が引き揚げ船 に乗る直前になって、「ペリリュー島に敗残兵がニ、三 人いる」と、米軍から連絡を受けた。そこで集団司令部付の日系二世の通訳浜野充理泰少尉が二回にわたってペリリユー島に派遣され、米軍とともに捜索にあたったが 発見できず、捜査は打ち切られた。

このとき、実際は山口永少尉ら歩兵第ニ連隊と海軍の将兵三十数名がジャングルや洞窟内に潜んでいたのだが、 日本側による捜索はこれが最後で、パラオの日本軍将兵は日本本土に引き揚げていった。米軍もその後の捜索は行わず、再開したのは統撃戦後の昭和二十二年三月末だ ったのである。

その日——夜になるのを待って海軍の千葉千吉兵長と塚本忠義上等兵は、パパイアを採るため洞窟を出ていった。そのとき浜田茂上等兵は自分たちの壕からニ、三十メートル離れた「エ兵隊グループ」の壕を訪れ、斎藤平之助上等兵たちと談笑していた。そして千葉兵長と塚本上等兵が歩いてくるのを目撃した。

浜田上等兵は二人に小声で声をかけた。 「おい、拳銃でも手榴弾でもいいから持っていけよ」「いや、すぐ帰るから   」

そう言い残して二人は消えていった。だが、浜田上等兵の危惧は当たってしまった。まもなくニ人は米軍のパトロール隊に発見されてしまった。

そのときの模様を塚本上等兵はこう説明する。 「待ち伏せを食ってしまったんです。逃げたのだが、前を走っている千葉兵長が二人の米兵に捕まってしまった。 工兵隊の壕までは百メートルもないところだった」

塚本上等兵は救いを求めるために、無我夢中で壕に向かって走った。二人の米兵に両脇からベルトを摑まれて.いる千葉兵長は、逃げる塚本上等兵の姿を見やった。そして〈塚本が逃げたから、時問を稼げば必ず助けに来て くれる〉と考えた。

しかし、米兵たちも興奮していた。米兵たちと鉢合わせになったとき、二人はなんとか逃れようとしてジャングル内を走ったのだが、千葉兵長は壕の跡に足をとられ、倒れたところを捕まえられている。そのとき〈もうだめだ〉と思った千葉兵長は帯剣を抜き、米兵に突っ込んだのだ。傷を負った米兵は千葉兵長の顔を殴り飛ばし、強引に連行しょうとしたのだった。

一方、塚本上等兵の知らせを受けた日本兵たちは、それぞれMlラィフルの安全装置をはずして夜のジャングルを突っ走った。十二、三名はいた。山口少尉も工兵隊壕の近くに居たため、千葉救出に加わった。つい半年ほど前にも仲間の一人が待ち伏せに遭って死んでいる。なんとしても救出しなければならない。山ロ少尉は発砲を許した。洞窟生活に入ってからは部下の発砲を禁じていたのである。

「月夜だったので、目を透かしてみると百メートルばかり先の道路に二人のアメリカ兵に捕まっている千葉さんの姿が見えた」

と浜田上等兵は言う。救出隊は道路の両側からできるだけ近づくことにし、真っ暗なジャングル内を進んだ。

そのとき、千葉兵長がいきなり道路にパタッと倒れた。 これが合図となって、道路の両側から一斉に銃が乱射された。

しかし、米兵を射殺した場合の後難は誰もが知っていた。日本兵たちは米兵らの頭上すれすれのところを狙ってラィフルや自動小銃を放った。驚いた二人の米兵は、 千葉兵長を放置して逃げだした。

この日米の銃撃戦がきっかけとなって、日米合同の大投降作戦が開始され、三十四名の日本兵が戦後1年八カ月目に救出されるのである

米軍の帰順工作開始

千葉千吉兵長の救出が成功した夜、工兵隊壕周辺の日本兵たちは山ロ少尉の判断で別の壕に移動した。救出に参加した兵たちの大半は、弾倉を空にするまで撃ち尽くしている。おそらく現場には真新しい米国製の空薬莢が山になっているに違いない。その数から推して米軍がこちらの人員を割り出すことは、そう難しくはあるまい。必ず掃討戦を繰り広げてくるに違いない、そう考えたからであった。

一方、米軍は緊急対策を立てていた。 グアム島の海兵隊司令部に「ペリリュー島に武装した大勢の日本兵が潜んでいる」と報告、応援部隊の派遣を要請した。 そして翌朝、約一個大隊の海兵隊が二機の輸送機で送られてきた。

当時のペリリュー島には米軍の戦闘部隊はいない。基地の保安要員とその家族だけであった。そこで米軍は島に戒厳令を布き、婦女子は舟艇に乗せて沖合に避難させ、本格的な掃討戦を展開することにした。米軍側は、この千葉兵長事件の起こる前から島の住民の情報や、たび重なる食糧盗難などから日本兵の存在は知っていた。それが乱射事件によって決定的になったため、この際ー挙に解决をしなければ島の住民と米軍家族の安全ははかれないとの結論を出したのである。

しかし、いかに武装集団とはいえ、戦 争はとっくに終わっている。できることなら無事に救出してやりたい。いや、あの三年八力月に及んだ太平洋戦を生き抜いてきた兵士たちに、いま死を与えるのはあまりにも悲しいことである。それに掃討戦を決行すれば、米軍側の損害も相当数覚悟しければならない——軍司令部は平和的解決を求めた。日本兵の帰順工作の実施である。それが失敗したら、 そのときに武力掃討を検討すればいい、そう結論したのである。

米軍は帰順工作の有力手段として、二人の旧日本軍将官を起用することにした。

米軍が白羽の矢を立てたのは、日本の第四艦隊参謀長であった澄川道男海軍少将であった。

当時、澄川少将はグアム島で行われていた戦犯裁判の証人としてウィッドネス・キャンプ(証人キャンプ)に抑留された形になっていた。そこを米軍に呼び出され、こう告げられた。

「ぺリリユー島にホールド・アウトが五十人ばかりいて、米軍や島民とトラブルを起こしておる。ついてはペリリユー島に行って、彼ら日本兵に降伏を勧告してくれまいか」

ホールド・アウトとは、殺してもかまわない無法者の兵隊という意味である。 米軍は「貴方はアドミラル(将官)だから、行けば皆が言うことを聞くだろう」という。そこで澄川少将は条件を出した。

「ホールド・アウトの兵隊たちを救出したら、命の保障と戦犯にはかけないと約束をしてくれますか」

米軍は両方とも承知し、ただちに澄川少将を米軍機でペリリユー島に運んだ。 澄川少将は昭和五十四年(一九七九)に亡くなったが、生前、太平洋戦争研究会の取材に語ってている。 「私には島にどういう人たちが残っているのかわからないし、一応、戦争は終わったことを伝えようということで、メガホンでふれ歩いた。渓谷部にいるらしいということはわかっていたが、いくらやっても反応がない。そこで自分で文章を書いて、島民から聞いた『日本兵の通り道だ』という場所の木にぶら下げておいたです。

この一回目の捜索は五、六日間続けたが手掛かりは得られず、米軍の要請でいったんグアム島に帰ったわけです」

澄川少将が書いた文書は「ペリリュー日本人諸君へ」という平易な文体のものだった。日付は昭和二十ニ年三月二十三日となっている„

投降勧告に揺れ動く洞窟内の日本兵たち

グアム島に帰った澄川少将の不安は募るばかりだった。少将はペリリュ—島で硬軟二通の呼びかけ文と一緒に、米マリアナマ地区司令官であるC・A •ポーネル海軍少将の『日本人へ』という文書の邦訳の手紙も同封して、木にぶら下げてきた。その邦訳文には、次のようなことが書いてある。 「若シ降伏ヲ拒絶スルニ於テハ、不法行為及犯罪者卜認メ、法ノ定ムル所ニヨリ捕縛シ、其ノ取扱ヲ受クべシ」とあり、さらに「パラオ島指揮官ニハ、諸君ガ降伏セザルカ捕縛ニ抵抗スルニ於テハ、捕縛及射殺ニ於ケル必要ナル兵力ヲ使用スルコトヲ命ジアリ。必要ニ応ジ増援隊ヲ送ル用意アリ」とも書かれてある。

澄川少将は米軍側に申し出、再びペリリユー島に飛んだ。〈彼等は日本が負けたことを信じていないからこそ出てこないのに違いない。それなら日本軍の上官としての「命令」なら聞き入れるかもし れない> そう思った澄川少将は、今度は旧海軍スタイルの命令調で投降勧告文を書いた。

「去ル三月二十三日余ハ諸子ニ対シ降伏勧告ノ為、当島ニ来リ。四日間滞在、諸子ト連絡ノ機会得ント努力セシモ遂ニ成功セズ一旦ガム島ニ帰投シ、写真及印鑑 (職印ハトラック島ニ於テ焼却セリ)ヲ携行再度来島セリ。茲ニ書面ヲ以テ改メテ諸子ノ誤謬ヲ解キ速ニ米軍ニ降伏センコトヲ望ム」

と始まる長文の『再度ペリリユー島残存日本軍将兵ニ告グ』と題された呼びかけ文である。しかし反応はない。

だが、日本兵たちは澄川少将の呼びかけや行動は逐一知っていた。そして 、一人一人に微妙な心境の変化を与えつつあったのだ。〈日本が負けることなどあり得ない〉と思いつつも、一抹の不安は誰もが抱いていたからだった。やがて単独でグループから“脱走”し、三十四人生還のきっかけを作る土田喜代一上等兵などは、「私は九分九厘まで日本が負けたと考えるようになっていた」と断言する。 しかし、単独で行動するには相当の覚悟がいる。澄川少将が最初に呼びかけを始めたときから、三十四人の日本兵たちは全員が実弾を込め、完全武装で洞窟内に潜んでいた。もし単独で洞窟を出た場合、背後から戦友の実弾が飛んでくる恐れは充分にあったからである。

“脱走”を決行した 土田上等兵

再びペリリュー島の土を踏んだ澄川道男海軍少将は、オブクルソン村長とともに投降作戦に協力してくれている島の男に、「もし日本の兵隊を見たら、この袋を渡してくれ」と一個の布袋を手渡した。中には澄川少将が旧軍スタイルで書いた、前記の『再度ペリリュ—島残存日本軍将兵ニ告グ』という昭和ニ十ニ年三月三十一日付の投降勧告文と煙草が入っていた。そしてチャンスはすぐに訪れた。 翌四月一日、斎藤平之助上等兵は缶詰の空き缶を捨てに米軍のゴミ捨て場に向かった。そこで、島の男にいきなり声をかけられた。 「ニツボンのへイタイサン?」

男はそう言うなり、何か物を投げて寄こした。澄川少将から預かった布袋だった。仰天した斎藤上等兵は工兵隊グループの壕に走り込み、「敵に発見された!」 と告げる。伝令が各グループのもとに走り、協議が行われた。そして島の男が投げてきた袋を取りに行くことになった。 武装した四、五名の者が現場に急行し、 袋を回収してきた。

みんなの前で袋が開けられ、勧告文が読まれた。「これはニセ物だ、だまされるな」

「これはスパイのだ」 次々否定する言葉が飛んだ。しかし、 土田喜代一上等兵は〈これは本物だ〉と思った。海軍上等水兵である土田さんは「澄川少将」なる提督の名前は知らなかったが、文の書式が海軍様式で書かれてあるからだった。だが話し合いの結論は、情況が悪いから一カ月ぐらい壕の中にいて様子を見ようということになった。土田上等兵は決意した。 〈このままでは全員が自滅してしまう。 日本は間違いなく負けたのだ。残る道は脱走以外にない〉

昭和二十ニ年四月ニ日の夜、土田上等兵は書き置きを記すために見張役を申し出て、ランプの明かりで短い鉛筆を走らせた。

隊長以下其の外の者に告ぐ

私の行動を御許し下さひ、私は飛行場に突込もうと思ひました、而し他の持久作戦部隊に迷惑をかけると思ひ、私はガダブス(注.ガドブス島)進撃をやり、敵と逢ひ次第交戰、華々しく散る積もりです。そして無事ガダブスを通り越した場合、本島へ渡り、そして其の畤は其の時で散る積りです。

おそらく本島へ渡れるのは、九分九厘まで不可能と思ひます。又気が向いたら本島より帰り、ニユースを持つて再び帰ります。其の時は後弾丸を喰うのは覚悟して帰る積りです。今後、持久作戦部隊の武運長久を御祈り致します。私の行動をヒキョウと思ふのが全部と思ひます。 而し、私のやることが其の本人の幸福なら心から許して下さい。五、六中隊、又通信、本部、とよろしく御伝え下さい。 又特に、千やん、横田、小林、斎藤さんは直接御世話になりました。厚つく御礼申し上げます。又相川兵曹は再び海軍へ帰えってはどうですか、心配致します。 隊長殿、以上の私しの行動を御許し下さい。(原文のまま)

土田上等兵は書き置きを置くと、さりげなく洞窟を出た。月の位置からみて午後の十時半ごろと思えた。

日本の敗戦を確認した土田上等兵

土田上等兵は、住民が住んでいる島の北部に向かって一目散に走り続けた。その途中、パトロール中の米軍に遭遇、保護されて飛行場に隣接した米軍のカマボコ兵舎で澄川少将と対面させられた。そこで土田上等兵は驚かされる。米軍側は確実な情報をつかんでいたのである。 「三十何名いるんだね」 澄川少将がズバリと言ってきたのだ。 「百名くらいいるのかと思ったら、三十何名なのか?」

少将はたたみかけてきた。 「はあ、そうです」 土田上等兵は思わず答えてしまってか ら、しまったと思った。日本軍の勢力を洩らしてしまったからだ。それに「澄川少将」と名乗っている男の頭は白髪で、 アメリカ人に見えなくもない。土田上等兵は質問した。 「あなたは、失礼ですが本当に日本軍の澄川少将ですか?」

「そうだ、私は澄川だ」 言葉は立派な日本語だった。しかし、まだ信用はできない。土田上等兵が「日本が負けた証拠を見せろ」と言うと、澄川少将は日本の現況を載せたアメリカの雑誌を見せて説明したが、「そんなもんはゴミ捨て場で何回も見たし、信用できん」と突っぱねた。

そのころ、隣のアンガウル島に燐鉱石の採掘作業に六百人近い日本人が来ていた。澄川少将は米軍と相談をして土田上等兵をアンガウルに連れて行き、日本人に会わせることにした。米軍はさっそく複座の戦闘機を用意し、士田上等兵をアンガウルに運んだ。ペリリユー島とアンガウル島は十キロ足らず、時間にしたら十分とかからない。

アンガウル島に着いた土田上等兵は、 日本人作業員たちに引き合わされた。 「日本は本当に戦争に負けたのか?」

と土田さんは聞き、続けて「戦友たちはあのペリリユー島でまだ戦っている」

と言うと、日本人たちは驚き、「日本はとっくに負けていますよ。戦争は終わって、こうしてわれわれは燐鉱石を掘りに来ている」と言う。

こうして土田上等兵が日本の敗戦を確認し、洞窟に潜む日本兵たちの氏名と階級が知らされた。何人かの兵の出身県もわかった。

その後、土田上等兵は澄川少将や米軍捜索隊とともに、仲問の投降呼びかけに参加した。ところが土田上等兵の呼びかけは、洞窟の□本兵たちに逆効果を与えてしまった。

「あのバカ、ただじゃすまさねえ、ぶっ殺してやる」

と息巻く親しい戦友もいた。残された兵たちにすれば、まさか米軍に投降などするはずはないという信頼と確信があったからであろう。ジャングルの日本兵たちは厳戒態勢に入った。

兵士たちの心を動かした肉親の手紙

澄川少将は出身県の判明した兵士たちの対策について、米軍に一つの提案をした。「日本政府に連絡して兵士らの肉親の手紙や新聞、雑誌などを届けてもらい、それを洞窟内の兵隊たちに見せてはどうか」というものである。米軍は即座にOKし、計画はグアム島の米軍司令部に報告され、東京のG HQ司令部(連合国軍総司令部)に打電された。そして電文は日本の復員局を通じて、四月十二日、それぞれの兵隊たちの出生地に飛んだ。山口少尉の自宅にも、森島通一等兵の自宅にも茨城県庁の世話部を通じて“朗報”がもたらされた。

肉親や友人、知人は、生存の報に涙を流しながら、ジャングルに潜む息子や兄弟に戰争が終わったことを信じさせようと必死の想いで書き綴った。農夫の父親は、何年ぶりかで筆をとり、幼い弟妹たちは、拙い文字で「あんちゃん、日本は 戦争に負けたが、みんな生き残っている。早く帰ってきて」と訴えた。そして父親や母親は、息子が信じるようにと、最後には実印まで押した。

情報は旧十四師団関係者にも伝えられた。多田督知参謀長もその一人で、多田大佐はかつての部下のために二百字詰原稿用紙十七枚に、日本が敗れ、パラオ集団が内地に引き揚げるまでのいきさつを事細かに書いた。

肉親や友人、知人、それにかつての上官たちが必死で綴った手紙は、日本の新聞や雑誌類とともに米軍機で急送され、ペリリューの澄川少将の手に渡された。

効果はただちに現れた。土田上等兵の案内で、日本兵たちの潜む洞窟に近づいた澄川少将は、大声で叫んだ。 「私は日本からお前たちを迎えに来た澄川だ。日本は戦争に負けたんだ。降伏し たのだから話し合いをしよう。山ロ少尉、 出てこい!」

シーンとして声はない。 「それでは、お前たちの家族からの手紙が今朝内地から着いた。土田上等兵が君たちの名前を教えてくれたので連絡を出し、米軍の飛行機で運んでもらったのだ。 私信の封を切って悪いが、いまから読むから聞いておれ。山ロ少尉のお父さん、 源一郎さんの手紙から始める」

澄川少将は、静かに、ゆっくりと読み始めた。(手紙は原文のまま) 「拝啓時下桜花開き多忙の季節となりました。御前には元気との事家内一同よろこび居ります。日本は昭和二十年八月十五日、天皇陛下の命によって終戦となり、今は平和なる農業国となって居り、 御前と友人の根本裕治君や山ロ六郎君は 復員して職務に従事して居るのであります。君は米軍に抵抗して居るとの事でありますが、其のような事は寸時も早く止めて米軍の光栄により一日も早く帰国せられ、楽しき生活をせられんことを家内一同待ち受けて居る次第であります。 先は健康を祈る早々不一

父より(実印) 昭和弐十弍年四月十六日 永へ 」 「兄さん、お元気ですか、おばあさんも元気で兄さんの帰りを待ってをります。 戦争は昭和二十年の八月十五日に天皇陛下の命により降伏してしまいました。 兄さんも降伏をして一日も早く家へ帰って来ておばあさんを喜ばせて下さい。と なりの六郎さんも元気でふくいんをしてをります。兄さんも一日も早くおばあさん、家中の人を喜ばせて下さい。兄さんお身をたいせつにさようなら。

昭和二十ニ年四月二十一日月曜 初五山ロ信子(認印) 山ロ永樣

洞窟内からはなんの反応もなかったが、兵隊たちは聞いていた。澄川少将は次から次へと読み進んでいった。四人目の兵隊の分が終わると、五人目の兵隊のものへと移っていった。

どのくらい時間が経ったであろうか、 洞窟の中から初めて反応があった。 「わかった、話はわかったから連絡員が出る」

という声がし、梶房一上等兵と浜田茂上等兵が這い出てきた。

かくして三十四人の日本兵は全員が姿を現し、米軍の施設に収容された。昭和二十二年四月二十二日のことであった。