1/21facebook投稿記事<城管追擊 “人民警察愛人民,人民警察保衛人民的財產安全。中國是全世界最安全的國家,中國是一個把人民權益寫進憲法裡的,你們都沒有來過中國,沒有權利對中國說三道四,中國人民最有發言權。”這些話熟不熟悉?感不感動?
“人民警察は人民を愛し、人民警察は人民の財産や安全を守り、中国は世界で最も安全な国であり, 中国は人民の権益を憲法に定めている国家である。あなたたちは中国に来たことがないし、中国につべこべ言う権利はない。中国人民のみ発言権がある。知っていましたか? 感動しましたか?>ウイグル人を暴行する中国官憲です。逮捕状なしかつ冤罪の現行犯逮捕の可能性が高いです。
https://www.facebook.com/groups/235420070250956/permalink/562312607561699/
1/22facebook投稿記事<城管追擊 青岛一个强拆户,对政府的控诉!青島市が1/20夜に1コミュニテイ全棟を強制解体 政府に訴え>相変わらずの人権無視。共産主義は私有財産を認めないからです。土建国家でGDPを上げるため造っては壊し、造っては壊しするだけです。その度毎に役人に賄賂が入る訳ですから。
https://www.facebook.com/Jfartptihecas.2.0/videos/2047864372161185/
1/23ダイヤモンドオンライン 谷崎光<中国社会の深い闇、極貧から這い上がったあるエリート社員の死>自殺でなく他殺の可能性を匂わせています。何より筆者の最後の文が「現在、日本では“中国スゲー論”が勃興しているとか。事実、中国のIT関係の発展のすさまじさは、北京に17年暮らす私も認める。しかし、その“中国スゲー”は、さまざまな“中国コエー(怖えー)”に支えられていることをお忘れなく」とありますので。中国に進出している企業、これから進出しようと考えている企業は社員の安全に十分配慮すべきです。行かないのがベストですが。
http://diamond.jp/articles/-/156774?page=6
1/25日経朝刊 春秋「最初は驚き、やがて、怖くなる。最近、中国発のニュースで伝えられる人工知能(AI)やインターネットを駆使した監視システム「天網工程」のことだ。14億人の身分証などを中心としたデータベースと、全国各地の2千万台もの街頭カメラがその根幹をなしている。
▼個人を識別する機能で、信号無視といった違反の取り締まりや犯罪者の摘発に威力を発揮するそうだ。それだけならまだしも、スマートフォンの位置情報や買い物の履歴から、市民の日常もつかめるようになるらしい。北京市の公園のトイレには顔認証でぺーパーが出る仕組みまで導入されたと聞けば、空恐ろしくもなる。
▼雑踏に投網を打つような情報収集は、人々の幸福な暮らしに役立つものなのだろうか。「習近平国家主席の思想を憲法に書き込む方針」といったニュースを合わせて耳にすると、事態は正反対のようだ。政権にたてつく人物や予備軍をマークする目的が見え隠れする。ネットでの検閲対象語「敏感詞」も増加の一途という。
▼人間を労役から解放し、情報格差をなくすはずのAIやネットが、人の自由を縛りつつあるとみえる。歴代の王朝は国内の統治や思想の統制に知恵を絞ったが、今、現れ始めたのは、電脳の宝刀を手にした新たな装いの国のようだ。手法を学ぼうという指導者が出てくるかもしれない。願わくは、世界の標準にならぬよう。」(以上)
日経も中国進出の煽り記事だけでなく、少しは真面な記事も載せるようになったのかどうか。アリバイ作りの可能性もありますが。
福島氏の記事を読んで感じることは、習近平が貧困の撲滅を唱えるのであれば「軍拡」と「賄賂」を止めて、貧困家庭に金が行き渡る工夫をしなければ。農民に学を求めても無理で、工場労働者にはなかなかなれないでしょう。土地をただ同然で強制収用すれば明日からの生活に困窮することになります。共産党幹部がその上に建物を建てれば賄賂が入り、GDPが上がるので出世も叶うことになります。縮軍は益々習の暗殺の可能性を増やし、反腐敗を推し進めていけば役人のサボタージュに合い、バブルが弾ければ革命が起きる公算が高くなります。安倍首相はそれでも「一帯一路」に協力するのでしょうか?敵が自壊するのに手を差し伸べるのは愚かなことです。平昌オリンピック出席同様。
1/25宮崎正弘氏メルマガ<トランプ、「グローバリズムの巣窟」=ダボス会議に乗り込む>の中に書評として「ジェイソン・モーガン『日本国憲法は日本人の恥である』(悟空出版)」が載っています。小生は麗澤大学の聴講生としてモーガン先生の授業”international relationships overviews”(英語)を取ってきましたが、本日で終了です。翌年度も取る予定ですが。なお、「幼少の頃より、親の押しつけるカソリックの価値観に馴染めなかったという出発があるのだが」というのは事実と違うようです。
http://melma.com/backnumber_45206_6637791/
記事
第73回ヴェネチア映画祭で王兵監督の「苦い銭」はヒューマンライツ賞と脚本賞を同時受賞した(写真:Shutterstock/アフロ)
2月3日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムなどで全国ロードショーが始まる王兵監督のドキュメンタリー映画「苦い銭」のサンプルDVDを先日見た。これは貧困農村から地方都市に出稼ぎにでてきた農民たちの「働けど働けど楽にならざりけり」という厳しい現実に密着取材したフィルムだが、その登場人物たちの言葉や表情が非常にドラマチックだとして、ヴェネチア映画祭ではドキュメンタリー映画としては異例な脚本賞をヒューマンライツ賞と同時に受賞した。改革開放40年目を迎え、世帯資産増加スピードが世界二位とも言われる中国の「貧困」のリアルを突きつける秀作だと思うので、機会があれば、ぜひみてほしい。
この映画がことのほか、私にとって印象深かったのは、ちょうど習近平政権二期目の政策の柱の一つとして“反貧困”が掲げられており、大晦日の習近平の祝辞の中でも「2020年までに農村の貧困人口の脱貧困を実現する。一諾千金」と強い調子で宣言していたことが頭に残っていたからだった。
習近平政権は、長期独裁政権を実現するために国防・軍事に軸足を置いているが、本当のところ最大の鍵は「経済」であろう。それは単純にGDPを増やすという事ではなく、中国の根深い貧困を撲滅することができるかどうか、という点にかかっている。仮に、GDP成長率が多少鈍化しても、大衆の中にある貧富の差に対する不満や、まだ各地に残る絶対的貧困を解消することができれば、大衆の政権に対する支持は高まり、共産党体制の正統性は留保されることだろう。
だが、もし、習近平政権になってさらに人々の暮らしが悪化し、貧困を切実に感じるようになれば、どれほどスローガンで「中華異民族の偉大なる復興」を掲げても、習近平政権の求心力は失われ、その足元から揺らいでいくだろう。今回は、中国の「貧困」の現実について考察したい。習近平の宣言どおり貧困は撲滅できるのか。
「大晦日の大号令」で全国的キャンペーン
2017年12月31日、中国国家主席として習近平は新年の祝賀メッセージを発表した。そこで、彼は次のように語った。
「2020年までに我が国の規定する水準以下の農村貧困人口を貧困から脱出させることを厳粛に約束する。一諾千金である。2020年までわずか3年しかないが、全社会で行動を開始し、全力で戦い、緻密に政策を行い、新たな勝利を勝ち取り続けるのだ。3年後に脱貧困を勝ち取れば、これは中華民族数千年の歴史の中で初めて完全に貧困現象が根絶されるということであり、我々がともに中華民族、いや全人類にとって重大な意義のある偉業を完遂したということである」…
これを受けて、中国全土で新年早々から具体的な貧困撲滅目標や計画が次々と打ち出されている。例えば遼寧省は、2017年に25.3万人の貧困人口の脱貧困を実現し、566の貧困農村および4つの貧困県の貧困問題を解決したので、2018年はさらに15万人の貧困人口を貧困から脱出させ、500の貧困農村と6つの貧困県から“貧困”の二文字をとると、表明した。また江西省は2018年には269の貧困農村で道路建設を重点的に行い、年末までには貧困村の孤立を無くし、脱貧困および郷村振興のために省として援助を行う、としている。このように習近平の“大号令”によって、各省、自治区では貧困対策を打ち出し、全国的に「反貧困キャンペーン」が展開されつつあるのだ。
この背景には今年が改革開放40周年という節目であること、2020年までに所得倍増を掲げた「二つの百年」計画の一つ、建党100年目の2021年までに「小康社会を実現する」という政権としての約束のリミットまで期限が迫っているということ、がある。2020年までに「脱貧困」を実現しなければ二つの百年計画の一つが失敗に終わった、ということになってしまい、習近平としてはメンツがつぶれることになる。
工場のオーナーになっても
では現状はどうなのか。王兵のドキュメンタリー映画をみれば、少なくとも、農村の貧困は今なお深刻であるばかりか、都市部の新たな貧困問題が、一層人々の社会に対する不満と絶望を生んでいることに気づかされるだろう。
「苦い銭」は、雲南や安徽など貧困省から浙江省湖州という、子供服の生産拠点と知られる地方都市に出稼ぎに出てきている労働者たちの姿を追ったドキュメンタリー。撮影時期は2014~16年であり、ほとんど今現在起きている話だ。
出稼ぎ労働者たちは、それぞれの事情でこの町に出稼ぎにきた。中には子供を故郷において夫婦で出稼ぎに出ている者もいる。農村に残された子供に会いに行きたくともお金がなくて帰れない。夫婦はいつも金の問題で激しい夫婦喧嘩を繰り返している。縫製工場では厳しい納品ノルマに追われる労働者たちが深夜11時までミシンを踏み続けるが、それでも得られる金は知れている。一日の稼ぎが70元(約1200円)しかノルマをこなせない男はクビになり、1日に150元(約2500円)稼げる人間を羨みつつ自分を卑下する。
では人からうらやまれる1日150元稼げる労働者は生活に余裕を持てるレベルだろうか。一カ月30日間、休みなく働いても10万円にも満たない給料ではないか。
アイロンがけの重労働が時給16元。工場長は最低でも12元はかかる一枚の子供服の製造費を9元でやれ、と迫られる。その値段で利益がでるわけがないが、渋れば他の工場に仕事の発注を奪われる。工場オーナーになっても決して経済の勝ち組には入れない。
いや、この地方都市の経済に従事しているほとんどの人たちが誰も勝ち組ではない。世界の子供服の大半がメードインチャイナである背後に、「苦い銭」に一喜一憂する中国の労働者の貧困、中国経済の限界が浮かび上がっている。こうした風景は私自身、地方都市を歩き回る中で目撃した姿であり、誇張でも過剰表現でもない。
もちろん、ドキュメンタリーに登場する労働者たちはみなスマートフォンを持ち、身ぎれいで、一見、そこそこ、暮らしに余裕があるように見えるかもしれない。わずか60年前には飢餓で数千万単位で人が死に、人肉にも手を出すこともあったほど壮絶な貧困があったことを思えば、中国はすでにある程度の「小康社会」を実現した、と言うこともできるかもしれない。
だが、この映画から見て取れるのは、飢餓で生存が危ぶまれるような農村の絶対的な貧困問題とはまた違った次元で、都市の出稼ぎ者が味わう人としての尊厳が傷つけられるような貧困もまた、絶望を深くし、そうした相対的貧困はむしろ中国経済・市場の拡大とともに深まっているということだ。皆がスマートフォンを持つ時代に、スマートフォンを持たないことは耐えがたい貧困だ。皆が飢餓に苦しんでいた時代に、わずかながらの食糧を手に入れられれば、それは至福をもたらすこともある。
農民VS都市民から地方居民VS大都市民へ
中国における現在の貧困人口定義は、2016年に定められた中国貧困標準ライン(年収3000元)以下をさすが、2017年6月当時の報道を参考にするとおよそ4335万人いるという。年初の国務院新聞弁公室の記者会見によれば、2012年から2017年の5年間で6600万人を貧困から脱出させ、その数字はおよそ貧困人口全体の三分の二にあたるとしているので、1億人いた貧困人口が今は3000万~4000万人にまで減っているということになる。
統計上の貧困人口激減は農村人口の急減とセットになっているといえる。中国の実質農村人口は2011年末の段階で史上初めて都市人口を下回り、2018年1月の国家統計局の発表では5.7億人にまで減っている。ただし、これは農村戸籍を持ったまま都市居住している人口も都市人口に含めたものである。いわゆる流動人口は2.4億人いるので8億人前後が農村戸籍かそれに類する居民戸籍ということだ。
いわゆる中国の二元社会構造・搾取構造の元凶といわれている農村戸籍・都市戸籍を区別した1958年以来の戸籍制度は農村の都市化にともなう農村戸籍者の都市戸籍への転籍や、2014年以降に一部都市で導入された都市出稼ぎ者への居住証(グリーンカード=地元都市民と同等の待遇を保証する)制度、また統一居民戸籍導入を求めるように国務院としての意見が発表されたことを受けて一部省・市・県で統一戸籍導入が段階的に始まったことなどから、その区別、対立は以前よりは緩和されたように見えている。農村戸籍者数自体は確実に減っている。
だが、農村戸籍がたとえ居民戸籍に統一されても、流動人口2.4億人の暮らしが安定するというわけではない。農村戸籍者だけでなく地方居民戸籍者の移動の自由にも大きな制限があり、農民VS都市民ではなく、地方居民VS大都市民のような形で対立の形が変わるだけだ。その証左が、北京市人口抑制政策として地方からの出稼ぎ者を「低端人口」として強制退去させる当局のやり方に表れているといえるだろう。
貧困標準線以下の人口ゼロを実現するために、たとえば貧困村の村民全員を都市部に移住させたとしても、実のところ、彼らの暮らしが豊かになったといえるかは、微妙であろう。物価の高い都市部での地方居民、出稼ぎ農民が増えれば、今定められている貧困標準線は事実上もっと上に設定されなければならない。数字がゼロになったかどうかでは、貧困が撲滅されたと簡単には言えないだろう。
偉業と讃えられるデータの陰で
クレディ・スイスが2017年11月に発表した2017年度版グローバル・ウェルス・リポートによれば、中国の世帯資産額の伸びが前年比6.3%で米国に次ぐ世界二位。2000年から計算すると世帯資産増加はこの17年で6倍という。同リポートは資産(不動産、車を含む)1万~10万ドルを中産階級と定義しているが中国の中産階級は2017年段階で世界11億人の中産階級人口の実に35%、およそ3.85億人。さらに所有資産100万ドル以上の富裕層もすでに200万人で世界の富裕層の5%を占める。
こういうデータをもって、中国が経済発展した、中国は豊かになったという人がいるのは不思議ではない。日本の4倍にあたる巨大市場こそ、世界経済のけん引力であると期待する声も当然あるだろう。だが、同時に気づいてほしいのは、中国の世帯資産急増の原動力は、実は不動産(土地)の高騰であり、その不動産高騰の背後には農地を奪われた失地農民(もちろん、潤沢な保証金をもらった農民がいなかったとは言えないが)と、土地を失って都市に出稼ぎに出ざるを得ない流動人口が存在する。そして、その出稼ぎ者たちが超低価格で都市インフラ・サービスを底辺で支えるからこそ、中国4億人の中産階級は、さまざまな圧力に押しつぶされそうになりながらも、なんとか中産階級らしいややゆとりある暮らしを享受できる。
だが、実はそのバランスは非常にあやうい。バブル崩壊、金融のシステミックリスクで根こそぎ崩れる可能性もある。その一方で、留守児童問題に象徴されるように、農村社会は事実上の崩壊の危機に直面している。単純に貧困人口が統計上減少した、中産階級が増加した、ということをポジティブに受け取めきれない、中国社会構造のいびつさがそこに垣間見えている。経済成長が農村の伝統的な貧困を破壊する代わりに、都市部の新たな貧困と搾取構造を生んでいる。
中国の貧困を2020年までに根絶するという目標については、昨年から米クリスチャンサイエンスモニター紙はじめ欧米メディアが好意的に報じ、中国から本当に貧困がなくなるかも、という楽観的な見方をする学者もいる。世界銀行も中国のこれまでの8億人に上る脱貧困を偉業だとして讃えている。絶対的貧困が中国からなくなる、ということ自体を批判するつもりは私にも毛頭ない。
ヒリヒリするような不安の中で
だが、私はここにきて「貧困撲滅」のスローガンが繰り返されることに、むしろ不穏なものを感じる。2020年の所得倍増を達成するために出したGDP目標を実現するために、必要のない都市開発や鉄道インフラに資金を投じ経済統計数字を引き上げた結果、農村にゴーストタウンや赤字を垂れ流す高速鉄道網が建設され、農村社会を崩壊寸前に追い込んだ。
こうしたメンツを重視して目標を設定して、それに向かって指導者が大号令をかけて邁進するやり方は、かつての大躍進のときと同じく、そのやり方が誤っていても誰もブレーキを掛けられない。共産党の徹底したヒエラルキー構造のなかでは、現場が上部組織に問題を提起したり、大衆の不満を政府機関がくみ上げて政策に反映させる器用さがない。年末に北京を揺るがした「低端人口強制排除」問題と同様、手段を択ばない貧困撲滅運動はむしろ、深刻な人権問題を引き起こしたり、搾取するものと搾取されるものの対立を先鋭化させたりするのではないか。それは実際に年末に中国の北京や地方都市を訪れたときに、そこで出会う人々の不満やヒリヒリするような不安を体感した私の直感にすぎないのだが。
本当の「貧困を脱した」と「小康社会」と言える状況は、おそらく、どのような貧困な状況にあっても希望が持てる社会のことを言うのではないか。たとえ、何かの理由で働けなくとも、最低限の生活保障と教育の機会を奪われない。人としての尊厳を踏みにじられない社会。実はそれはトップ指導者の大号令に従うだけでは叶えられない、社会全体のもっと有機的な作用が必要なのだと思う。今の習近平政権のやり方では、それが叶えられるとは私には思えない。
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