ホテルから見た海
ロイヤルコナコーヒーのコーヒー豆
溶岩からできた黒砂海岸
キラウエア火山
アカカ滝
千葉県柏市在住
キャンデイ・デボンホテル。
ギガラマ紅茶工場。
コロンボ港を臨む建物。「中国港湾」の垂れ幕が見える。
コロンボ港。
ダンブラ石窟寺院(世界遺産)の涅槃像。
涅槃像の足裏。
仏歯寺。
キャンデイの市場。
キャンデイの踊り。
シギリヤロック
シギリヤロック。中国ほどではありませんが人山人海。老人の登山には良いペース。1200段の階段とのこと。
シギリヤロック。中学生の登山多し。3年生とのこと。社会主義国で授業料・医療費がタダとのこと。
シギリヤロック。ライオンの爪。
ダンブラのエデンガーデンホテル。社会主義国(クロアチア)のホテルのようで、内部は教室を部屋に変えたような趣。
2/16~20までスリランカに旅行に行ってきました。親日国だけあって、気分の良い旅行でした。
また仏教国でもあり(但し、仏教徒が7割、ヒンズー、キリスト、回教が各1割程度)、日本人にはインドより親しみしやすいかと。日本が敗戦後、国際社会に復帰するときに、スリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後の大統領)がサンフランシスコ講和会議にて日本への応援演説をして下さいました。感謝して感謝し過ぎることはありません。当然の恩返しとして日本は経済援助をスリランカにして来ました。ただ、中国の影が今や色濃く出てきています。スマホの看板にもHuaweiやOPPOが多くありました。コロンボ港湾には中国の港湾建設がしゃしゃり出てきています。軍港として、インドを牽制するためでしょう。前大統領が中国の金に転んだせいでしょう。でも、日本の外務省はやられ放しなのが良く分かります。(その写真は明日掲載予定)。日本人は中韓という反日国家に旅行に行くのではなく、親日国家に足を運んだ方が良いでしょう。襲われることや人質になる心配もありませんし。
スリランカはインドの一部のような誤解があるかもしれませんが、れっきとした独立国です。ムガル帝国の版図でもありませんでした。南インドの人間がセイロンに移って、国を作ったという意味では台湾と似た所があるような気がします。(正確さを欠くかもしれません。あくまでも個人の見解です)
スリランカ航空(成田発)
世界遺産・シギリヤロック入口
シギリヤロック
シギリヤロック
シギリヤロック
10月20日~22日まで二泊三日で家内と茨城県北芸術祭を見てきました。展示期間は9月17日~11月20日です。9/22日経朝刊茨城版によれば2ケ月で30万人予想であったのが、一月で30万人超との記事が出ていました。テーマは科学と芸術の結びつきといったところでしょうか。人工細胞やらロボット、光とかがアートを通して表現されています。開催主体は日立市、高萩市、北茨城市、常陸太田市、常陸大宮市、大子町です。本ブログのトップページにパンフの写しを掲載していますし、HPは次の通りです。
https://kenpoku-art.jp/
写真でその一部を紹介します。作品で面白いと思ったのは天心記念五浦美術館(北茨城市)のチームラボ(猪子寿之)の作品でした。天心記念五浦美術館は、天心の英語3部作を読んでいたので親しみがあったというのもありましたが。作品以外では袋田の滝や龍神大吊橋を回ってみると良いと思います。
井上信太氏の看板による動物(常陸太田市)
ジョン・ヘリョン氏の袋田の滝のトンネルの電気の龍(大子町)
袋田の滝
龍神大吊橋(常陸太田市)
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7/28~7/30まで万座温泉に出かけました。湯質が非常に良く、何度もお風呂に入ったり、出たりしました。長期滞在して湯治する人もいて、80過ぎたお婆さんで、熱海で旅館を経営されている方も1ケ月の湯治に来ているとのことでした。建物は古いのですが、食事はバイキングで野菜が美味しく、お腹いっぱい食べられます。また行きたくなるところでした。
万座温泉日進館
対面に見える禿山、硫黄分のせいで植物は育たず
日進館の源泉、硫黄泉で近くは立ち入り禁止でした
禿山の上から見た日進館
さて、本記事ですが、福島氏は最後に「「炎黄春秋」停刊宣言は、中国の良心の断末魔であり、中国の未来が絶望の坂を転がり始める、ポイント・オブ・ノーリターンのように感じた。」と述べています。共産中国に言論の自由を求めるのは、八百屋で魚を求めるのに同じで、あり得ない話です。共産党支配をなくさない限り中国人には幸せは来ないという事ですが、果たして今の中国人でそれをどれだけ自覚している人間がいるかどうかですが。自己中が多いので。
人類の不幸が中国国内だけに留まるだけならまだしも中共は世界制覇に向けて着々と準備を進めています。ASEANも日本もチベット、ウイグル、モンゴルのように侵略されるのが嫌であれば、大同団結して中国の野心を挫かないとダメでしょう。日本政府・官邸も沖縄に中国が手を伸ばしてきているのにもっと危機感を持たないと。沖縄独立運動は裏で中国が金を出していると思います。「琉球民族独立総合研究学会」なるものも中国が作らせたのでしょう。中国国内でも「琉球・沖縄最先端問題国際学術会議」なるものを作ってPRし出しました。日本の外務省は何もせず。腐った組織です。米大統領がトランプになり、日米同盟破棄となった時に日本は中国の軍門に下るつもりでしょうか?温泉地でケント・ギルバート&ロバート・D・エルドリッジの『危険な沖縄』を読みました。日本の左翼は良く「米国の戦争に巻き込まれる」という言い方をしますが、国際関係論の中では「見捨てられるか、巻き込まれるか」のどちらかとエルドリッジ氏は言っています。ノホホンと暮らし、左翼プロパガンダ紙の言うように生きれば間違いなくなく中国の属国です。日米同盟を確固たるものにするには「自国は自国民が守る」ことを決意し、そのため国民一人ひとりができることから行動すべきです。
http://www.mag2.com/p/news/212497
記事
1991年の創刊以来、中国知識人の良心を代表するとして愛読されてきた中国の改革派雑誌『炎黄春秋』がついに停刊に追い込まれた。おそらくは文革発動50周年に関する5月号の記事が最終的なきっかけとなったのだろう。習近平政権になってから何度も停刊危機がささやかれたが今年7月17日になって、社長だった杜導正の署名で停刊声明が出された。過去25年19回にわたって当局から圧力を受け続け停刊の危機に瀕しながらも耐え続けた雑誌が、このタイミングで停刊に追いやられた背景に何があったのか。炎黄春秋停刊から見えてくる中国の未来を考える。
当局による雑誌社乗っ取り
停刊声明は、このような文面だった。
「7月12日、中国芸術研究院が一方的に炎黄春秋雑誌社との契約書「中国芸術研究院と炎黄春秋雑誌社協議書」を破毀し、わが社指導機構の総入れ替えを宣言したことは、憲法第35条が与えた“公民の出版の自由”の権利を厳重に侵犯するものである。また明確にわが社の人事、出稿、財務における主権を約定している協議書にも違反している。7月15日、中国芸術研究院が派遣した人員がわが社に強硬に侵入すると、『炎黄春秋』のオフィシャルサイトのパスワードを盗み取り変更し、我らが雑誌の基本的編集出版条件を喪失させた。
これに鑑み、炎黄春秋雑誌社委員会の討論を経て決定したことは、きょう7月17日即日停刊し、今後いかなるものも『炎黄春秋』名義で発行する出版物は、“本社”と関係ないこととする」
これはどういうことか。炎黄春秋の主管は一昨年から国務院文化部直属機関である中国芸術研究院となり、その主管機関の研究院がいきなり25年間、社長を務めていた杜導正を解任し、人員を派遣して、編集局を占拠し、雑誌社の資産800万元を差し押さえ、資料や荷物を勝手に運び出し、オフィシャルサイトのパスワードを奪い勝手に変えて、雑誌社から編集権、出版権を奪ったわけだ。そして幹部、編集者を総入れ替えして、雑誌の性質を完全に変えてしまおうと試みたということだ。ちょうど杜導正が妻を看取り、体調を崩して入院したスキをついての、当局による雑誌社乗っ取り事件である。
杜導正はこの声明発表の直前、香港有線電視のインタビューに答えて「これは“公開強盗”と変わらない」「いや文革大革命と全く一緒だ」と激しく非難した。そして、弁護士を立てて、当局のこの無法に抵抗すべく、訴訟の準備をしているという。
炎黄春秋という雑誌は創刊以来、何度も政治的に敏感なテーマを取り上げてきたアグレッシブな改革派誌だ。もともと天安門事件で失脚した趙紫陽に近い党中央老幹部たちが創刊。当初の主管は解放軍長老・蕭克上将が主導した中華炎黄文化研究会で、研究会の機関誌という体裁だった。このため共産党中央宣伝部がこの雑誌の人事や編集に直接介入できず、編集権の独立がかなり守られていた。社長の杜導正は今年93歳の老体だが、国務院新聞出版総署長などの閣僚経験者で現在の政治局常務委員・劉雲山(思想宣伝担当)の上司に当たる。
「八つのタブー」を守りつつ
創刊当初は中道左派に位置するポジションだったが2001年2月25日、習近平の父親である開明派(中国的には右派)習仲勲が「炎黄春秋、弁得不錯(炎黄春秋はすばらしい)」との賛を贈ったことから、これを「丹書鉄契」(特権を付与されたというお墨付き)として、次第に右派色を強め、政治体制改革や文化大革命などの敏感なテーマに関する切り込んだ論評や史実の掘り起こしを特色とするようになっていった。
主に中国共産党史、軍史、国史の重要な歴史事件の当事者の回顧録を通じて、近代史を見直し、中国共産党の歴史的錯誤、例えば飢饉や文革などに対する検証を行い、未来のよりよい党政にフィードバックさせることが目的だ。重大な理論問題や中国の発展方針を示唆するオピニオンも多く載せ、特に政治改革に対しては積極推進派の姿勢を示していた。
もちろん体制内雑誌としての守るべき一線は心得ていた。雑誌社と当局の間では「八つのタブー」が決められていたという。その八つのテーマとは①軍の国軍化問題②三権分立③天安門事件④党・国家指導者及び家族の批判・スキャンダル⑤多党制⑥法輪功⑦民族・宗教問題⑧劉暁波――。習近平政権以降は⑧は劉暁波から憲政に変わった。それ以外は、雑誌で取り上げてよいということになっており、炎黄春秋はこの八つのタブーを守りながらもぎりぎりのところを狙った原稿を果敢に掲載してきた。
たとえば天安門事件は八つのタブーに入っているが、天安門事件で失脚した故・趙紫陽の手記や回想録を最初に中国国内の公式メディアで取り上げたのはこの雑誌だ。天安門事件そのものに触れないが、趙紫陽をポジティブに取り上げることで天安門事件にかするようなエッジボール記事を掲載したのだ。
最近では習近平の個人崇拝傾向にもどこよりも早く警鐘を鳴らしてきた。もちろん習近平を直接批判するような記事ではないが、ロシア語から翻訳された「個人崇拝」の元の言葉について劉少奇が「個人迷信」と翻訳すべきだと主張するものの毛沢東に却下された歴史エピソードなどを載せれば、個人崇拝の危うさを伝えるには十分だろう。炎黄春秋はそういう高度な洞察ができる知的レベルの高い読者を想定した雑誌だった。
しかしこうした果敢な記事を何度も載せてきたせいで、党中央宣伝部からは何度も強い圧力を受けてオフィシャルサイトが閉鎖されたり、雑誌の印刷や配送が妨害されたりした。停刊の危機にさらされたのは、わかっているだけで19回に及ぶ。だが顧問に元毛沢東秘書の李鋭や、農村改革の父として習近平も地方幹部時代に教えを請うた杜潤生を抱え、党の老幹部らの支持も広くあり、中国国内および党内高級幹部の良識的知識人にも愛読者が多いことが幸いして、これまで何とか耐え抜いてきた。
「南方週末」は全面降伏
共青団派の政治家もおおむね支持者だ。2008年にこの雑誌の最大の庇護者であった蕭克が死去、その年の12月に趙紫陽についてポジティブに取り上げた記事が原因で、社長の杜導正が江沢民派(党中央宣伝部)から猛攻を受けて失脚しそうになったとき、最後に彼を守ったのは胡錦濤だ。ウィキリークスが後に漏らした米大使館公電の中にその詳細があった。
こうして時の権力者や党の老幹部たちの強い庇護もあって、圧力を受けるたびにそれをはねのけ、部数を伸ばし、最近の発行部数は20万部に上っていた。南に南方週末あれば、北に炎黄春秋あり、そういわれた中国の数少ない良心的メディアだった。
習近平政権になってこうした良心的メディアに対する弾圧が激しくなり、南方週末は2013年春節特別号の「社説差し替え事件」をはじめ度重なる報道弾圧を受け続けた。また習近平政権は炎黄春秋の編集権にも介入しようとし、老齢の杜導正に引退を迫った。杜導正は2014年10月、同誌をしっかり守れる後継の社長に、開明派政治家・胡耀邦の息子であり、習近平とも話をつけられる胡徳平をつけようとしたが、習近平からの圧力を受けた胡徳平がYesと言わなかった。
2014年暮れに同誌の主管は文化部傘下の芸術研究院に変更され、いよいよ、雑誌の命である編集権が奪われようとしていた。こういったごたごたの中で、2015年7月に長年編集長を務めていた楊継縄が圧力に屈する形で辞任。彼が2015年の間に雑誌に掲載した記事のうち37本が事前の許可を受けなければならない内容であったと、当局から警告を受けたことを最後の読者への手紙で明らかにしていた。続いて、顧問の杜潤生が2015年10月9日、102歳で死亡、今の党中央指導部にも、影響力を持つような良心的知識人が次々鬼籍に入り、炎黄春秋を守れる立場の人がいなくなってしまった。
南方週末は、2015年12月3日に「習近平改革三年」と題したごますり長編記事を掲載、これをもって国内外知識人は南方週末が習近平政権に全面降伏した、とささやいた。そして、「炎黄春秋」が習近平に屈するのも時間の問題となっていた。
炎黄春秋の代理人を引き受けている弁護士・莫少平がロイターやRFI(フランス国営放送)などのメディアに語っているところを総合すると、炎黄春秋は目下、中国で唯一真実を語る雑誌であるが、今の共産党はその存続に耐えられないでいるという。弁護士として提訴する努力は続けているが、裁判所は根本的に提訴を受理する気はない。しかも弁護士にまで、警察や国内安全保衛局などから強い圧力がきているという。
今回の当局のやり方は違法性が高く、悪質であり、社会秩序擾乱に抵触する。公正な法的プロセスを経て、雑誌の復刊と救済が望ましいが、それができるかは今のところなんともいえない、としている。
また炎黄春秋雑誌社委員会内部筋の話では、「まず停刊して、条件を満たせば復刊の可能性もあるが、条件を認めてもらえねばそのまま廃刊になる」という。杜導正はかつて「玉砕瓦全」(堕落するくらいなら玉砕を選ぶ)と語り、炎黄春秋のプライドを失うくらいなら、中国当代雑誌史上に一部の栄光を残したまま、停刊する選択をする、という姿勢を示していた。今の状況ではそれが現実になりそうだ。
父が賞賛した雑誌に、息子がトドメ
顧問の李鋭が一部メディアに語ったところよれば、以前に炎黄春秋の主管部門の紛争について、党の老幹部たちが意見書を習近平に送ったところ「封鎖しないで、引導せよ」という指示を出したという。つまり、管理組織の改編によって雑誌の編集方針を当局の都合に合うように変えよ、ということだ。今行われていることは、まさしく習近平政権の方針だと言える。習近平の父親が「すばらしい」と褒めたたえた雑誌に息子の習近平がトドメを指すわけだ。
炎黄春秋の停刊は、一つの雑誌の終焉というだけではなく、おそらくは中国共産党内右派の敗北、そして排除につながる、中国の行方の左右を決する歴史的な事件といえるだろう。
この半年、何度か私的に匿名を条件に中国のメディア関係者や知識人との意見交換を行っているが、共通して訴えているのは、文革以来の厳しい知識人弾圧、メディア弾圧が起きているということである。江沢民政権時代、胡錦濤政権時代に許されていた「エッジボール」といわれる、共産党メディアとしてのタブー報道ラインにぎりぎりかするような記事は今ではすべてアウト判定になる。それどころか、明白にコートに入っているボールですら審判は、打ち手が気に入らなければアウトの判定を下して失脚させる状況であり、それはまるで文革時代の右派狩りに似ている。
なぜそうなっているのか。
それは習近平政権の目指す方向に少なくとも、従来の中国、胡錦濤政権時代に可能性が検討されていた政治改革の目がないからだと思われる。習近平政権樹立後、炎黄春秋内部の改革派知識人たちの仲には、習近平は「隠れ改革派である」という根強い希望的観測があった。実際、習近平は胡徳平とも昵懇であった。
メディア統制の先は、破たん
だが、その後3年の知識人に対する迫害の事実をみると、その可能性はゼロだということが誰の目にも明らかになった。最近、習近平の内部講話集というものを読み返しているのだが、その中で習近平はこんなことをいっている。
「私はゴルバチョフのようにはならない。…皆、旧ソ連共産党の失政を歴史上の教訓として学ばねばならない」「政治体制改革はいったん始めればもう、後戻りはできず、またコントロールも不可能になる。その時、私が総書記でおられるか、党の指導的地位を維持できるかわからない。簡単に改革に手を付けて、誰が責任をとるのだ」(2013年2月27日 中南海)。
中国を旧ソ連のようにしない、政治改革を行わない、という方針は実は習近平は幾度となく主張しており、そのために、軍権を掌握すること、ありていにいえば軍事と政治を一元化することが必要だと何度となく訴えている。胡錦濤政権時代まで党内の隠れたテーマであった解放軍の国軍化問題は完全に封印され、むしろ党と軍の一体化を習近平は目指している。
今、習近平にとって目障りなのは、改革を期待する勢力、つまり右派知識人であり、右派知識人が集まるメディアである。彼らを弾圧して排除し、世論をコントロールするためのメディア統制を強化しつつ、軍制改革や南シナ海などでの対外強硬姿勢を利用して党と軍の一体化を進め、共産党の執政と指導的地位を維持していく、それが習近平のシナリオではないか。
だが、そういうやり方では、中国経済が回復に必要な条件である法治の徹底や市場の自由化は遅れ、あるいは逆進し、経済失速に歯止めがかかることは習近平政権が続く限りないだろう。共産党体制は力技で維持できても、息詰まるような言論弾圧の中で、経済も悪化すれば、人々の不満が募る。その不満を対外戦争の興奮に誘導にするにしても、強力な治安維持力によって抑え込むにしても、そういうやり方では、必ずどこかで国家は破たんする。
「炎黄春秋」停刊宣言は、中国の良心の断末魔であり、中国の未来が絶望の坂を転がり始める、ポイント・オブ・ノーリターンのように感じた。
良ければ下にあります
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国立博物館。中に入らず、お土産だけ買いました。
国立博物館の外の建物。
パラオでの最後の夕食。隣は中国・山東人家族でした。英語・中国語で会話しました。
JIVEの看板メニュー。裏は英語で。
地元のルースタービール
パラオ名産のシャコ貝の刺身あり。美味しいです。
早朝のパラオ空港。デルタ便は搭乗率5割程度か?