『「アジア最大の大学合格工場」毛坦廠中学の正体 中国・安徽省の山村で地元経済を支える「予備校ビジネス」』(6/16日経ビジネスオンライン 北村豊)について

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毛坦廠という地名も毛坦廠中学(高級中学=日本の高校、初級中学=日本の中学でここでは高校の意)も聞いたことがありませんでした。観光名所でなく大学予備校として名を馳せて来たのですから当然と言えば当然かも。

中国は人口の多さのメリットもあれば、デメリットもあります。人口の多さのメリットは商売が当たれば浸透度のスピードが上がり、成功する確率が高くなること、デメリットは逆に多くの人間を養うのにコストがかかることです。特に鄧小平が白猫黒猫論で経済発展に舵を切ってから経済格差が広がりました。中国人の長い歴史で培ってきた腐敗体質を無視して進めたからです。林語堂、何清漣が語っている通りです。

中国の高齢化のスピードは凄まじく、医療保険も養老年金制度も充実していません。他国の制度を利用しようと考えるのが彼らです。日本で500万円投資して会社を起こせば、国民健保に入り、中国から家族を呼び、高額医療(例:癌手術)を受けさせることをやっています。規制緩和も考えてやらないと、専制国家・中国に利用されるだけ。民泊も中国人が日本で不動産を購入し、中国人を相手に貸し、汚く使おうが関係ないまま。悪くすれば、テロの武器の保管庫になりかねません。日本の官僚・経済人は経済のことしか見てません。軍事を知らないエリートというのは欠陥持ちです。互恵主義(reciprocity)で、中国が不動産の所有権の売買やら、株式会社の100%購入の自由やらを認めないのであれば、日本で自由に不動産売買させるのは認めないようにしないと。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170524-00129137-diamond-bus_all&p=1

中国には人権が無いと断言できるのは、制度上からも言えます。一つは戸籍制度。農村戸籍と都市戸籍の区別があり、都会で生活するときに農村戸籍では医療や教育等受給時に大きな差があります。ですから、本記事のように大学に入り、都市戸籍を取得するのに躍起になる訳です。ただ、省毎、優良大学かどうかで転籍できる人数が変わってきますが。二つ目は档案です。共産党に敵対した行動を取った家族がいないか3代まで遡って記録されている共産党の内申書です。

http://toyokeizai.net/articles/-/70555

http://www.nippon.com/ja/in-depth/a01404/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%A3%E6%A1%88

この他にも、人権侵害としては一人っ子政策の時には党による強制堕胎や少数民族の断種や漢族との強制結婚とかあります。最終的に人口過多を解決するために、共産党は海外への棄民や戦争による人口減を考えるのではと思っています。

日本人は中国人や朝鮮半島人に対する見方がかなり甘いのではと感じます。体験しないと分からないのかもしれませんが。彼らは日本の敵と考えた方が良いでしょう。日本を利用できるところは利用し、世界に日本を貶めるキャンペーンを展開しているのですから。問題なのは日本国内にそれに手を貸す連中が多くいるという事です。分かっていてやっているとすればスパイですし、分かっていないとすればempty-headedでしょう。学会、法曹界、マスメデイア、官僚がその典型です。

記事

中国・全国統一大学入試「高考」 受験に出発する毛坦廠中学の学生たちを、家族や地元民が“熱烈応援”とともに送り出す(写真:Imaginechina/アフロ)

中国における2017年の全国統一大学入試“普通高等学校招生全国統一考試(略称:“高考”)”は、6月7日、8日の両日に全国各地の試験場で行われた。2017年の志願者数は940万人だった。高考は文化大革命(1966~1976年)で停止されていたが、1977年に再開された。今年はその再開から40周年目に当たる。1977年の高考に参加した志願者は570万人(合格者数:27万人)に過ぎなかったが、その後の志願者数は年々増大を続け、2008年には1050万人(同:599万人)まで増大して頂点を極めた。そして、2009年からは減少に転じて、2013年に912万人(同:694万人)となって底を打ち、2014年:938万人(同:694万人)、2015年:945万人(同:700万人)、2016年:940万人(同:772万人)と大きな変動はなく、4年間横ばい状態になっている。

大学増加、合格率8割超に

上述したカッコ内の合格者数を見れば分かるように、1977年の高考ではわずか5%であった合格率は、2008年には57%へ上昇した。それが、2016年には82.2%まで上昇し、大学のレベルにさえこだわらなければ、志願者10人中の8人以上が大学に合格できるようになった。これは大学の数および各大学の合格者数が大幅に増大したからに他ならない<注>が、“985工程”や“211工程”と呼ばれる大学育成プロジェクトに含まれる名の有る大学(985工程は39校、211工程は112校)に合格することは依然として至難であり、厳しい受験競争を勝ち抜かねばならないのである。

<注>中国における“高等学校(大学)”の総数は2879校。

さて、高考の時期になると、中国メディアが必ず取り上げて報道する“高級中学(高校)”がある。それは“亜洲最大高考工廠(アジア最大の大学合格工場)”と形容される“毛坦廠中学”である。毛坦廠中学が所在する“毛坦廠鎮”は、安徽省の西部に位置する“六安市”にある。“六安市”は、東が安徽省の省都“合肥市”に隣接し、西は湖北省“黄崗市”及び河南省“信陽市”、南は“安慶市”、北は“淮南市”及び“阜陽市”とそれぞれ境を接する位置にあり、人口は581万人の中都市である。“毛坦廠鎮”はその六安市の“金安区”に属し、湖北省、河南省、安徽省の3省にまたがる“大別山(標高1777m)の東北麓に連なる山並みに囲まれた山村である。

“毛坦廠鎮人民政府”のウェブサイトには2017年2月14日付の「“毛坦廠鎮簡介(毛坦廠鎮案内)”」が掲載されているが、その要点は以下の通り。

名を知らしめる、かけがえのない存在

1. 毛坦廠鎮は中国の歴史・文化上で名高い鎮であり、大別山の東北麓に連なる山並みに位置し、六安市に属する“舒城県”と“霍山県”、“金安区”の境目に所在し、金安区で最南端の山村である。総面積は59.6km2、常住人口は4.5万人で、その内3.2万人が3.5km2の町部に住んでいる。また、耕地面積は9979ムー(約6.7km2)に過ぎない。国道105号線と県道「六毛路」が鎮内を通っている。毛坦廠鎮の歴史は古く、文化は奥深く、自然の風景は美しい。鎮内にある“東石笋風景区(風致地区)”は国家AAAA級の風致地区であり、“大別山国家地質公園”の11カ所ある目玉の1つである。

2.毛坦廠鎮内にある“毛坦廠中学”は安徽省のモデル“高級中学(高校)”で、在校生は1.5万人、2011年の“高考本科(大学入試)”で合格ラインに達した者が6912人で、合格ライン到達率は80%以上であった。長さ1321mの明・清時代の古い町並みは保存が良好で、省政府認定の省重要文化財である。鎮内には1947年に“劉伯承”と“鄧小平”率いる“中原野戦軍”が大別山へ千里の行軍を行って勝利した“張家店戦役”の記念館があり、省の共産党軍歴史遺跡となっている。2012年、毛坦廠鎮は、域内総生産7.5億元(約120億円)、財政収入1237万元(約2億円)、農民1人当たりの平均純収入8200元(約13万1200円)を実現し、2009年以来連続4年、六安市の経済発展総合実力ランキングで20位以内を維持した。ここ数年、毛坦廠鎮は、明・清時代の古い町並み、有名高校、風致地区という特色ある優位性に立脚し、「旅行で鎮を興し、教育で鎮を強め、商売で鎮を活性化させ、工業で鎮を富ませる」方針を堅持している。

上記の毛坦廠鎮案内から分かるように、毛坦廠中学は毛坦廠鎮にとってかけがえのない存在であり、毛坦廠中学が中国全土に毛坦廠鎮の名を知らしめているのである。上述したように毛坦廠鎮の常住人口は4.5万人だが、地元民の人口は1万人程度で、残りの3.5万人は外来人口である。この3.5万人のうちの2.5万人が学生とその付き添いの家族で、残りの1万人は周辺各地からやって来た学生や付き添い家族にサービスを提供する商売人である。

毎年6月5日は毛坦廠中学が1年に1度迎える“送考節(大学入試へ受験生を送る祭典)”の日で、28台のバスが受験生を乗せて試験場のある六安市の中心部へ向かうのを多数の人々が見送るのである。毛坦廠中学は「“高圧苦読、厳苛管理(情け容赦ない厳しい管理の下で、苦しみに耐えて勉学に励む)”」で知られ、「アジア最大の大学合格工場」と呼ばれている。毎年の“高考本科(4年制大学入試)”の合格率は90%以上を超えることから、「成績の悪い学生は、毛坦廠中学へ送り込めば大学合格の夢がかなう」と言われている。

学生と家族の消費がGDPに貢献

毎年の繰り返しによって、毛坦廠鎮の経済は藤のつるの様に、毛坦廠中学にすがりついて大きく発展した。毛坦廠鎮政府は毛坦廠中学の学生たちが心静かに学習できるように、鎮内のネットカフェ、ゲームセンターやビリヤード場などの遊戯施設の営業を禁止し、露天の飲食店や洋服店などの営業は存続させた。ある毛坦廠鎮の指導者が計算してみたところでは、毛坦廠中学の学生や付き添い家族の2.5万人が、少なめに見積もって毎日1人当たり10元(約160円)を鎮内で消費したとすれば、毛坦廠鎮の第三次産業が稼ぐ1日の営業額は少なくとも25万元(約400万円)になり、年間では9000万元(約14億4000万円)になり、鎮のGDPに大きく貢献する。

毛坦廠鎮の主要道路である“元亨路”沿いには鎮政府の役所が立ち並ぶが、毛坦廠中学の正門付近の路地には間口3m程の露店が軒を連ねている。それらは外地から来た人々が開いた“小吃店(軽食屋)”、洋服屋、電器屋などである。メディアに対し毛坦廠鎮政府の役人は、「もし毛坦廠中学が大学合格率を上げて有名にならなかったら、我々の鎮は今なお山間部にある貧困な小さな鎮に過ぎなかった」と述べ、地元の住民はメディアに対して「毛坦廠鎮は金安区の中で唯一財政が赤字ではない」と誇らしげに語っている。

それというのも、毛坦廠鎮住民1人当たりの平均可処分所得は、2008年に6300元(約11万3400円)だったものが、2010年には1万7000元(約27万2000円)まで上昇した。毛坦廠鎮住民1人当たり平均可処分所得が2016年にいくらだったかを示すデータは公表されていないが、毛坦廠鎮が所在する金安区の住民1人当たりの平均可処分所得が2016年にようやく1万9000元(約34万2000円)になったことを考えれば、山間の小さな鎮に過ぎない毛坦廠鎮がいかに健闘しているかが分かる。

私立学校を合併、補習センターを合体

【1】1999年の高考で毛坦廠中学から大学に合格した学生は98人しかいなかった。こうした状況が変化したのは2005年からだった。2005年当時、毛坦廠中学の校長だった“朱志明”(現金安区教育局長)が主導する形で、毛坦廠中学と地元の私立学校を合併して株式制の“金安中学”を設立し、同一校区内にある両校で共同して外部から受け入れる卒業年次の3年生と“復読生(浪人生)”とを教育することにした。要するに、表面上は毛坦廠中学と呼ばれているが、実態は毛坦廠中学と外部から来た卒業年次の3年生と浪人生に高考受験のための補習授業を行う“補習中心(補習センター)”を合体させたものと言うことができる。この結果、2005年の毛坦廠中学の大学合格者は1000人を突破し、その後は毎年約1000人ずつ増え続け、大学合格者は2016年には3年連続で1万人を超えて、合格率は90%以上になった。

【2】2014年を例に取ると、毛坦廠中学の卒業年次である3年生は5000人以上、“補習中心”の浪人生は8000人以上で、その総数は1.3万人以上であった。補習中心の授業料は一律ではなく、高考の文科系で500点以上の点数を取った浪人生の場合は、1学期(半年)の学費は4500元(約8万1000円)だが、点数が低ければ低いほど学費は高くなり、その最高は1学期で4万8000元(約76万8000円)になる。従い、補習中心の浪人生が1人当たり平均で年間に1万元(約16万円)の学費を支払うとすれば、その収入は8000万元(約12億8000万円)になる。

【3】毛坦廠中学では卒業年次の3年生は、早朝5時30分に起床し、1日の学習は、6時20分からの自習に始まり、夜10時50分までの自習で終わる。この間に昼食と夕食の時間が40分ずつあるだけである。但し、自らに厳しさを課す学生たちの多くが、実際に休息を取るのは深夜になることもしばしばであり、学生たちの学習時間は毎日16時間以上になる。このため、教師向け週刊紙「中国教師報」は、「ここでは、学習と点数以外の要素は最大限取り除かれ、試験の点数を上げるのに不利な娯楽からは最大限隔離され、趣味や個性的な物は最大限抑制される」と報じた。また、米国のニューヨークタイムズ紙は「最寄りの都市から2時間以上の距離があり、現代生活の妨害から遮蔽され、学生たちは携帯電話やノートパソコンも使用を禁止されている。学生たちの半数は宿舎に住み、部屋には電源すらもない。また、残りの半数は鎮内に借りた小さな部屋で母親と生活している」と報じている。

【4】毎年1万人を超える学生と付き添い家族が毛坦廠中学で学ぶために毛坦廠鎮へ流入してくるが、上述にように彼らの半数は鎮内に部屋を借りて付き添いの母親と生活する。毛坦廠鎮の借家は、最も安い部屋で年間の家賃は4000~5000元(約6万4000~8万円)であり、最も高いものは2万元(約32万円)である。このため、毛坦廠中学の学生に母親が付き添って毛坦廠鎮内に部屋を借りて生活するとなれば、学費と家賃に生活費を加えれば、年間に少なくとも4~5万元(約64万~80万円)程度が必要になる。2016年における中国の都市部住民1人当たりの平均可処分所得は2万3821元(約38万1000円)であるから、4~5万元は大金である。なお、家賃は毎年500~1000元(約8000~1万6000円)の幅で上昇を続けている。

【5】毛坦廠中学の学生は、農村から来ている者が大部分である。彼ら農村出身者にとって、高考で大学に合格することは、個人や家庭の運命を変え、彼らが属する“農民”という階級から脱却して“城市居民(都市住民)”に転身する機会を得ることを意味する。2016年6月時点で、毛坦廠中学には間も無く卒業する3年生のクラスが55組、浪人生のクラスが61組あり、高考の受験生は約1.3万人であった。これは安徽省全体の高考志願者数50.99万人の約2.5%に相当した。これに1年生と2年生を加えた毛坦廠中学の在校生は約2万人であった。

【6】毛坦廠中学の敷地面積は400ムー(約26万6667m2)で、東京ドームの5.7個分に相当する広さを持つが、そこには、毛坦廠中学、金安中学、“金安補習中心(補習センター)”の3校が存在する。毛坦廠中学の北の校門には「毛坦廠中学」の扁額が、東と西の校門には「金安中学」の扁額が掲げられている。2004年に中国政府は公立学校が有償で補習授業を行うことを禁じたことから、上述したように、毛坦廠中学は2005年に地元の私立学校を合併して株式制の金安中学を設立し、外部から来た高校3年生と浪人生に有償で高考受験のための補習授業を行うことにしたのである。従い、3校で異なるのは卒業証書だけで、校舎、教員、食道などは全て共通で、3校まとめて毛坦廠中学なのである。

中国には毛坦廠中学と並んで高考受験で有名な高校に河北省“衡水市”の“桃城区”に所在する“衡水第二中学”がある。同校は河北省のモデル“高級中学(高校)”に認定されているが、「地獄」とあだ名される程の厳しい教育方針で知られている。同校のウェブサイトには、“一本”と呼ばれる高考において高得点が必要な“清華大学”や“北京大学”などの有名大学に合格した学生の名簿が掲載されているが、2016年の合格者名簿には約3500人の名前とクラス番号、合格した大学名が記載されている。同校では地獄の教育方針に耐えられず、校舎から飛び降り自殺する学生が後を絶たない。このため、同校では校舎の通路に鉄柵を設置して自殺防止を図ったこともあったが、後に消防の観点から鉄柵は撤去された。

大学は出たけれど…の現実の中で

衡水第二中学は“一本”レベル大学への合格者が多く、その合格率が70~80%と高いことで知られている。これに対して、毛坦廠中学は“一本”レベル大学への合格率が20~30%に過ぎず、大多数の学生が合格しているのは“三本”レベルの、いわゆる「三流大学」である。しかし、毛坦廠中学の学生たちの大多数は教育環境が低劣な農村から来た学生であることを考えれば、本来なら大学合格が難しい学力しかない学生を合格レベルまで引き上げ、多数の合格者を出していることは、毛坦廠中学の輝かしい業績と言えるのである。

文化大革命によって中断されていた高考が1977年に再開されてから、2017年の今年は40周年となる。かつて大学卒業生の数が少なかった時代には、大学卒業生は金の卵で庶民から尊敬されていた。しかし、今では700万人以上の人々が大学へ入学する時代となり、大学卒業生の価値は大きく低下している。大学卒業にさらに箔を付けようとして海外の大学へ留学する人も増大したが、これも海外留学からの帰国者が増えすぎて価値は低下しているのが中国の実情である。

そうした状況を知ってか知らずか、毛坦廠中学では農村出身の高校生たちが高考受験で大学合格を勝ち取ろうと眠る時間を削って猛勉強に励んでいる。そして、毛坦廠中学は多数の大学合格者を産み出すことで全国にその名を轟かせると同時に、大学予備校ビジネスで収益を上げて毛坦廠鎮のGDPに貢献し、鎮財政を潤しているのである。今後も高考が実施される6月初旬には、メディアによる毛坦廠中学の高考受験に関する報道は続けられることだろう。

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