『草の根民主」勝ち取った烏坎村に、再びの乱 村長逮捕に村民が抗議デモ。政争か、新たな胎動か』(6/29日経ビジネスオンライン 福島香織 )について

無法国家中国の面目躍如といったところでしょうか。国際的・国内でもトラブル尽くしの感があります。住民自治のテストケースである烏坎村を弾圧すると言うことは、権力闘争の面だけでなく、中国共産党は「民主主義は絶対に認めない」固い決意の表れと思います。香港の民主主義も危ういでしょう。台湾も良く見ておかないと。今回の烏坎村の村長の拉致も香港の銅鑼湾書店の拉致も同じです。しかも、孫を人質にしたり、香港では愛人を楯に取ったりしました。弱い部分を責めるのが中国人のやり方です。卑怯と言えば卑怯、日本の政治家や要人でハニートラップや賄賂を与えて弱みを握るのは彼らの常套手段です。何せ「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」という国柄ですから。

藤野日共政策委員長が自衛隊の予算を「人殺し予算」と呼んで辞任させられました。彼の発言は本音でしょう。モデルとして考えているのはソ連なき後は中共でしょうから、政権を取れば(ありないと思っていますが)自衛隊(=国家の軍隊)から日共軍(人民解放軍と同じ党の軍隊)に変える積りなのでしょう。人民解放軍と同じく日共軍は天安門事件のような内乱鎮圧の名目で国民に刃を向けるでしょう。共産主義とは人権抑圧する自己中の人類を不幸にするシステムのことです。中国駐在8年間の経験から言ってそう断言できます。

今度の参院選で、共産党が伸びるような報道がされていますが、彼らの仮面の下には恐ろしい野心が隠されていることに国民は早く気付くべきです。反日民進党の岡田党首は日共との野合で「庇を貸して母屋を取られる」状況となりました。愚かなリーダーを戴くと組織は弱体化する良い例です。東大→官僚出身はアカにシンパシーを持つ人が多いので要注意です。ネットで不断の言動に注意を払っておかないと。マスメデイアは「報道しない自由」を行使するときが多いので。

記事

Wukan cun

広東省・烏坎村の村長逮捕に村民が抗議デモ。子供たちも参加した(写真:ロイター/アフロ)

 広東省汕尾市の烏坎村で今月17日、異変が起きた。村民直接選挙で選ばれた村長(村民委員会主任)・林祖恋(銮)が“汚職容疑”で突如拘束されたのだ。だが、この“汚職容疑”を村民が信じることはなく、村長釈放を求めて村では村民3000~4000人が連日抗議デモを展開中だ。当初は外国メディア、香港メディアも村で現場取材を行ったが、現在はメディアは締め出されている模様。これは、中国の農村でありがちな単なる“群衆事件”の一つにすぎないのか。

 だが、この烏坎村は、ただの農村ではない。2011年から12年にかけて“烏坎の乱”と呼ばれた村民のデモによって自治を勝ち取り、旧共産党支部書記を追い出した。その後、林祖恋は党支部書記を兼任してはいるが、村の重要政策は村民大会という民主的な方法で決める、村内民主を実現。中国唯一といってよい“草の根民主の村”として、“烏坎モデル”と呼ばれるようになった。そんな村で、今何が起きているのか、それが何を意味するのか、考えてみたい。

道路を封鎖し、汚職容疑で逮捕

 今回の事件の経緯を振りかえってみよう。

 6月17日深夜、烏坎村に突然、大量の警察官がやってきて、道路を封鎖しはじめた。そして18日未明、村長の林祖恋を“汚職容疑”で拘束した。香港紙明報に、林祖恋の妻が語ったところによると、17日夜は林祖恋の友人の前東海鎮長が林家を訪れていたのだが、その親友が帰宅した直後を見計らって警官隊が家になだれ込んだ。親友に「携帯電話を忘れた」と言わせて、林家の玄関を開けさせると、着替える猶予も与えずに、ランニングシャツ一枚の恰好のまま彼を連行していったという。このとき警官たちは連行の理由も言わなかった。林祖恋は19日に村民大会を開き、21日に2011年の“烏坎事件”の原因ともなった土地強制収容問題の解決を求めて、上層部門に陳情にいくことを決定するつもりであったという。この陳情行動のため、林祖恋は自分が捕まったときに妻や子供たちに累が及ばないように離婚の書類にもサインしていたという。

 その翌日の新聞で、地元の地方検察院が林祖恋を汚職・収賄罪で立件したことが発表された。また地元公安当局は、現在、彼を取り調べ中であり、村民全員が捜査に協力するようにと呼びかけたうえ、「不穏分子が、この事件を利用して過激な行動をとらないように。暴力沙汰が起これば、法に基づいて鎮圧する」と警告を発した。

 その警告どおり、村のいたるところに、重装備の警察の暴動鎮圧部隊が配置され厳戒態勢が敷かれた。これに驚いた村民は19日、村長の冤罪を信じて抗議デモを行った。

 このデモは3000人規模に膨らみ、「われらの土地を返せ! 村長を返せ!」と叫びながら、重装備の警官隊と対峙した。この様子はビデオに撮影され、ネットにアップされたものだから、香港、海外メディアも続々と現地入りして取材するようになった。警官隊は記者たちを追い出そうとしたが、村民は記者たちを保護し、取材させた。5年前にこの村が自治を勝ち取ったのと同じ戦略で、村長不在のまま村民の抵抗運動が始まった。デモは連日、繰り返された。村民たちは、訪れる記者たちに口々に「村長は我々が選んだよい村長だ。汚職などするわけがない」と冤罪を主張した。

自白ビデオは孫を人質に強要

 だが、21日に汕尾市政府は、林祖恋の取り調べ中に自分の罪を認めているビデオを公開。

 ビデオの中では警察の尋問に対し、林祖恋自身が「法律知識が浅いために、建設プロジェクトの管理職務にあることを利用して、民生建設プロジェクトの発注の便宜を図るために巨額のキックバックを受け取ってしまいました。この件について検察機関に自首し、素直に処分を待つものです」と述べていた。汕尾市政府の発表によれば、村の学校の運動場工事にかかわる汚職ということだった。だが、この自白は孫を当局に人質に取られて仕方なく行ったものであるということが後に判明した。

 汕尾市政府はこの件について「国内外メディアはこの事件を法に従って客観的公正に取材し報じるように。しかし、蘋果日報(香港紙)、端傳媒(香港ネット総合メディア)など、個別の境外メディアは村内で扇動、画策、指導を行っており、我々は法に基づいて措置をとる」とコメントし、メディアをけん制した。

 村の副書記である張水金は「市政府は、土地問題については処理チームを立ち上げたので、もう村民大会は開く必要ない。この問題に対し村民委員会は何の権力もない」と村民に説明した。

 このことが村民たちの怒りにさらに油を注いだ。林祖恋の自白によって無事釈放された実孫によれば「村民の99%は爺さんを支持している」と祖父を擁護した。汚職容疑についても、“巨額”というだけで具体的な汚職額も出ておらず、また裁判も開かれないうちに、林祖恋の自白ビデオを公開して罪を確定するような印象操作のやり方からも、村民のほとんどは冤罪であると考えているようだった。

 中国の農村で、村民が土地の強制収容問題などで当局サイドと対立して抗議デモを行う、あるいは官民衝突に発展するという事件は実は中国全土で毎日、何百件という頻度で起きている。だが、なぜこの村の事件が、海外メディアまでに、ここまで注目されるのか。

 それは間違いなく、この村が烏坎村だからだ。

烏坎モデルは汪洋の遺産

 2011年9月21日から翌年3月にかけて、通称“烏坎事件”と呼ばれる、村民デモと地元警察の衝突、そして村民自らが立ち上げた自治組織による村政の奪還を実現する一連の事件が起きた。きっかけは当時の村の書記兼村長らが農地を勝手に不動産企業に7億元で譲渡したこと。村民には一人500元というわずかな補償金(全村で約400万元)を渡しただけで、残りを書記ら一部役員で着服していた。村の青年たちはこの土地汚職の真相究明を求めデモを繰り返していたが、9月21日、3000人規模に膨れ上がった抗議デモは地元警官隊と衝突、10人以上の負傷者と4人の逮捕者を出した。村民たちは自ら投票で選出した村民代表による自治組織、臨時村民代表理事会を結成して、旧来の党支部書記ら村民委員会の役員たちを追い出した。

 土地収用汚職事件については上級市である陸豊市が調査班を送りこんで調査することになったが、村民が選挙によって自ら選んだ臨時村民代表理事会は違法組織ということになり、副会長として土地収用汚職事件の追及を中心となって行っていた薛錦波が12月9日に不当に逮捕された。だが、12月11日に薛錦波は警察の拷問により死亡。村民の抗議活動はこれでますます激化した。村民暴動を恐れた当局は武装警察を派遣して村の電気水道などライフラインを断ち、兵糧攻め作戦を展開し、報道規制も行うのだが、出稼ぎにいっていた村の若者たちがインターネットやSNSを駆使して、世界にこの事件を発信。当局の報道規制の網をかいくぐって外国メディア記者たちを村内に手引きし、外国メディアにも報道させた。この時点で、すでに事件のテーマは土地汚職問題解明ではなく、村民の自治組織を違法組織とするか中国当局として村民の委託を受けた正式の組織と認めるかという“民主化”の容認問題となった。

 結局、事態の拡大を恐れた当時の広東省党委書記の汪洋は、当時の広東省副書記の朱明国を現地に派遣し、村民自治組織の正当性を認めるべきだとする朱の報告を受けて、翌年1月、旧党支部を解散、臨時村民代表理事会顧問の林祖恋を新たに党支部書記に任命し、2月に村民委員会選挙を行い、新しい村長、村民委員を選出しなおした。このとき選出された村長は、自分は一村民委員に立候補したのであって、村長の任は荷が重いと辞退。3月に再度選挙を行い、林祖恋が村長も兼任することになった。

 広東省党委員会が村民の自治組織の正当性を認め、村の旧党組織を解散させたということは、“草の根民主”の勝利だと当時は外国メディアも盛んに報道した。広東省書記であった汪洋の決断が大きかったので“汪洋の遺産”という人もあった。また“烏坎モデル”が周辺の農村にも広がり、広東省で草の根民主が広がるのではないかという期待も出てきた。

 私は2012年秋に烏坎村を訪れ、事件当時、ネットの微博で事件の実況をアップして、海外メディアに事件を報じさせることで勝利を導いた若者グループの代表格である呉吉金青年を取材したことがある。彼は事件当時15歳であったが、18歳になったら村民委員に立候補して村の自治のために尽くしたい、という夢を熱く語っていた。彼らは中国共産党中央に対して深い反感はなく、党の指導を受けつつ村内民主を進めていきたいとしており、必ずしも党中央の脅威となるような思想はなかったと思う。

 だが、状況は朱明国の失脚によって変化してくる。2014年11月に広東省政治協商委員会主席の朱明国は1.4億元以上の賄賂を受け取ったとして汚職で失脚。朱明国は長らく汪洋の側近でもあったので、この事件は元政治局員の汪洋につながりかねないと噂された。

 その前のことになるが、2014年3月の村民委員選挙を前に、副主任(副村長)らが次々と汚職容疑で逮捕され実刑判決を受けた事件もあった。家族らはこれを冤罪と主張し、村民も不当逮捕であるとして昨年秋ごろから、抗議集会が行われていた。

習近平が仕掛けたのか、仕掛けられたのか

 こういった状況から推測すると、林祖恋逮捕事件は、単に烏坎村の“草の根民主”を共産党体制の脅威としてつぶそうという狙いだけでなく、来年の党大会を控えた党中央人事をめぐる権力闘争の材料ではないか、という気がする。少なくとも、林祖恋の汚職など、習近平政権の反腐敗キャンペーン“虎も蠅もたたく”においては“蠅の汚職”であり、彼を捕まえるまえに捕まえなければならない巨額汚職者が党中央にもたくさんいるわけだ。それでも、あえてその“蠅”をたたくのは、この小さな蠅が、その背後の虎の致命傷になる、と考えたからではないだろうか。

 では、この事件は誰が仕掛けて、どの“虎”をたたくつもりであったのか。二つ説がある。

 一つは、林祖恋逮捕事件が、習近平の外遊中であったことから、習近平不在の間に、習近平を困らせるために、反習近平派勢力、たとえば政治局常務委員の劉雲山らが仕掛けたのではないか、という見方である。これは大紀元などのネットメディアが報じている。

 もう一つは、前広東省書記であり政治局員の汪洋の足元をすくうために、習近平派が仕掛けた事件という見方である。烏坎村の問題を暴発させずに丸く収めた対応は、汪洋の功績として評価されていたが、その後の村の“草の根民主”が汚職と腐敗にまみれていたとなれば、その評価も地に落ちる。さらに、村民がこれに抵抗して抗議デモを繰り返えすことになれば、現広東省党委書記である胡春華が大きな政治リスクに直面することになる。汪洋も胡春華も共産主義青年団派(団派=胡錦濤派)に属する。つまり、来年の党大会を前に、ポスト習近平と噂される胡春華をつぶし、次期政治局常務委員の座が通常ならば確実視される汪洋を失脚させようとする策略ではないか、という。烏坎村の村長汚職が事実であってもなくても、村民抗議を拡大させても、武力で鎮圧しても、汪洋や胡春華はなにがしかの打撃をこうむることになるだろう。

 こうした権力闘争と結び付けた見方以外に、広東省では多くの人たちが思っている以上に、草の根民主の素地が広がっているのではないかという予測もある。以前、農村の出稼ぎ労働者問題に詳しい中国の研究者に非公式な場で質問したことがある。中国で政治改革、民主化が行われるとすれば、党中央の指導者の英断によって進められる可能性と、草の根民主による底辺からの圧力によって進められる可能性と、どちらが大きいか、と。

底辺からの圧力は高まっている

 その時の彼の答えは、迷いなく底辺からの圧力だ、というものだった。特に、若い世代の出稼ぎ農民、俗に新生代農民工とよばれる若者たちの間に急激に政治権利を求める要求が高まっている、とのことであった。

 中国のメディアコントロールが以前にもまして厳しくなっているため、南部の地方都市の工場地帯などで起こっているストライキ、労働争議の実態はほとんど報道されなくなっているが、昨年暮れから広東省の四つの労働NGO幹部が次々と拘束された背景には、労働争議が、共産党と無関係な労働者自身による労働組合の設立要求など、徐々に政治運動化しつつある実態があったという。

 その学者は、数年後には、農民や労働者の若者の間で、政治権利要求運動が目に見える形で台頭してくるのではないか、という予測を持っていた。

 そう考えると、何かの拍子で、自治を求める抗議運動などに火が付くような状況は、広東省の地方都市、農村では予想以上にくすぶっているのかもしれない。

 そういう視点でみると、烏坎村の乱の再燃は、単なる汚職摘発事件でも一過性の農村集団事件でもなく、もっと長期的な視野で考える必要があるといえそうだ。

良ければ下にあります

を応援クリックよろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください