12/25童倩 BBC中文网驻东京特约记者『日本学者:中共与日军共谋对抗国军』について(BBC東京特派員 『日本の学者:「中共と日本軍が共謀して国民党軍に対抗』について」)

中国語で書かれた記事ですので、日本語に訳してみました。正確性については保証の限りにあらずですが。でも久しぶりに訳しましたので面白かったです。日本も日本語だけでなく、英語・中国語で発信していく必要があると思います。日本語は外国からの進出のバリアになりますが、出ていくときも同じようにバリアになります。グローバル時代には、日本の伝統文化を大切にしながら、他の言語で日本の立場を主張することが大事と思います。その国の人達に媚びずに淡々と事実に基づき論理的に説明するのが良いと思います。

この本は読んでいませんが、いろいろ気づかせられることがありました。日本は中国に工作資金をたくさん出したにも拘わらず、実を結ぶことはなかったという事。戦後も中国に支援しても反日を強化させ、一番の敵国になったことを考えますと、日本人と言うのは本当に歴史から学んでいないという事。

この本を、中文だけでなく英文で出版すれば良いのでは。日本は共産党に利用されていたのが分かるでしょう。天安門の「毛」の肖像画を崇拝する中国人はこれを読んでなんと感じるか?国民党と日本軍を騙して最終勝利を得た「毛」はやはり最高の将軍と思うのかも知れませんが。しかし、「南京虐殺」のようにありもしないことを中国が世界遺産に載せるのであれば、世界の法輪功信者を動かし、江沢民のやってきた信者の臓器移植を世界遺産に載せるように動けばよい。昔の日本人だったらやれたでしょうけど。今の日本人はエリートが金に転ぶだけ。寂しい限りです。

記事

Homare Endo

今年抗日战争结束七十周年之际,中台双方围绕国共两党当时谁才真正抗日发生争论。

虽然在中国9月3日“纪念抗战胜利七十周年”大阅兵时,日本各大传媒均指出,在抗战胜利时,中华人民共和国还没诞生,当时中国的中央政府是国民党领导的中华民国政府,抗战的主流不是中共,但日媒也没有提出证据来说明共军在抗战中的表现。

今年11月,日本筑波大学名誉教授远藤誉撰写的《毛泽东 与日军共谋的男人》一书在日本出版。作者远藤根据她收集的中国、台湾、日本三方面资料,来论证中国国民党军队抗日时,前中共领导人毛泽东率领的中共与日本驻上海的特务机关-岩井公馆合作打击国民党的史实。

远藤的这本书在出版后立即引起不少日本国民的关注,一个月内增印了5次。

日本《每日新闻》、《富士晚报》等媒体也就此书发表了书评,富士电视台、朝日电视台等更邀请远藤介绍其这本历史书。

「今年は抗日戦後70年、中台双方が国民党、共産党いずれが日本軍と正当に戦ったのかを巡り論争した。

9/3中国で抗日戦勝利70周年記念の閲兵式があったにも拘わらず、日本のメデイアは「戦争に勝利した時には中華人民共和国はなかった。当時の中国の中央政府は国民党に指揮された中華民国で抗日の主流は中共ではない」と大々的に宣伝した。しかし、抗戦中に共産軍の存在を説明する証拠も出さなかった。今年の11月、筑波大学の遠藤誉名誉教授の書いた「毛沢東 日本軍と共謀した男」が日本で出版された。遠藤は中国、台湾、日本で資料を集め、国民党が抗日していた時に、毛に率いられた共産党と日本の上海特務機関の岩井公館が協力して国民党を打倒しようとした史実を論証した。この本は出版後、多くの日本人の注目を浴びる所となり、一ケ月で5回増刷した。毎日新聞、夕刊フジは書評を発表し、フジテレビやTV朝日は本の紹介のため、本人を番組に呼んだりした。」

Endo's book

Image copyrightBBC ChineseImage caption远藤誉的书《毛泽东 与日军共谋的男人》正以一个月增印5次的速度在日本畅销。

BBC中文网则成为了专访远藤誉的全球首家中文媒体。

远藤对BBC中文网记者说,她是读了《潘汉年传》等中国书籍后,开始怀疑中共的解释,然后着手准备写书的。她希望通过日本方面的资料来解开有关疑问,而结果则令她自己也震惊了。

中共特务与日本特务

《毛泽东 与日军共谋的男人》叙述说,“1937年日中全面战争开始后不久,毛泽东就向上海和香港派遣中共特务,与日本外务省旗下的特务机构‘岩井公馆’的岩井英一、设置日本陆军参谋部特务机构‘梅机关’的影佐祯昭等接触”。

远藤收集的中方资料对此解释说,这一切的目的都是为了取得抗战胜利,收集日本秘密情报,为八路军和新四军勇敢地与日军作战发挥了作用。

但远藤收集的岩井回忆录《回想的上海》中则明确说,“事实完全相反,是中共特务把通过国共合作得到的蒋介石为首的国民党军队的情报提供给日方,目的存在弱化国民党的意图”。

远藤的书详细记述了1932年作为日本驻上海领事馆情报部副领事的岩井赴任后,因汉语流畅,负责接待记者中日双方20多名记者,包括后来被称作“五重间谍”的新声通讯社中国记者袁殊(袁学易)。当时中共报章上不时有岩井和影佐的名字,在延安的毛泽东也获悉。岩井还建议在上海加强收集情报工作、并获准设置了“公使馆情报部”。

1935年6月岩井解救了被国民党逮捕的袁殊,更增添了两人交情。岩井虽知袁殊多重间谍身份,但不介意并援助袁殊再次留学日本,直至西安事变后才回到中国。岩井本人也在1937年回国,1938年2月重返上海,目的是“早期结束军方挑起的战争”。

「著作権:BBC中文のキャプション 遠藤誉の「毛沢東 日本軍と共謀した男」は一ケ月で5回増刷したくらい良く売れている。

BBC中文ネットは遠藤の最初の世界向けインタビューの中文メデイアとなった。彼女が記者に言ったのは「中国の『藩漢年伝』等中国の書籍を読んでから、写本の準備をした。日本の資料を通して疑問を解明しようとしたところ、自分をも驚かせる結果となった。

中共特務と日本特務

「毛沢東 日本軍と共謀した男」の中で「1937年日中全面開戦後、間を置かず、毛は上海と香港に特務を派遣、日本外務省傘下の特務機関である「岩井公館」の岩井英一と陸軍参謀本部の「梅機関」の影佐偵昭と接触させたとあった。遠藤が集めた中方の資料では戦争勝利のため日本の秘密情報を収集し、八路軍や新四軍に日本軍との作戦で勇敢に戦えるようにしたと説明があった。しかし、遠藤が集めた岩井の回想録「追憶上海」の中では「事実は逆である。中共は国共合作を通じ、国民党の情報を日本軍に流して国民党の弱体化を図ろうとした」と明らかにした。更に「1932年岩井が上海の情報部副領事として赴任してから、中国語が流暢のため、20名強の日中記者の相手をした。中には後に5重スパイと言われた新声通信社の袁殊(袁学易)記者も含んでいた。当時の中共の新聞には度々岩井と影佐の名があり、延安にいた毛も知るところとなった。岩井は情報収集の強化のため、上海の公館内に情報部設置の意見を提案した。35年6月に袁殊が国民党に捕まったのを岩井が救い、両人の付き合いは深まった。岩井は袁殊がダブル・トリプルエージェントであるのを知っていても意に介さず再度日本に留学させた。彼は西安事変後に中国に帰って来た。岩井は37年に日本に帰国、38年2月に軍が起こした戦争を早期に終わらせる目的で上海に戻った。」

共产党人与岩井公馆

Xia's book

Image copyrightBBC ChineseImage caption2002年旅美中国学者谢幼田的《中共壮大之谜》也根据中文资料叙述中共向岩井出卖国民党情报得以壮大的史实。

岩井在上海领事馆设置了特别调查班,搜集蒋介石政府内部情报,寻求“讲和”的机会。岩井全权委托袁殊组织新党,并说:“为了达成全面和平的共存共荣日中新关系理念,不光是党名,还要以真正理解这一理念的民众、知识分子为对象,前身是蓝衣社、中统团、以及其它党派相关者,共产党员都不要紧”。

结果袁殊招募了大批中共地下党员,而所有经费由岩井取得公使馆情报部长河相达夫同意,由日方支付。不过最终新党运动演变成“兴亚建国运动”,并在袁殊建议下,兴亚建国运动总部起名“岩井公馆”。

这个时期,袁殊还把匿名为胡越明,直接在毛泽东指挥下从事特务活动的前中共特工头子潘汉年介绍给岩井,袁殊形容潘汉年地位相当于周恩来(中国前总理)。

岩井在《回想的上海》中描写首次见潘汉年的印象是“非常稳重的知识人,却又是潇洒的都市人而令人好感”。并回忆说,此后每次都是潘汉年求见、提供国民党政府和国军情报,且以岩井公馆作据点,扩大中共在香港的间谍活动。

「共産党人と岩井公館

著作権:BBC中文のキャプション 米国駐在の中国人学者謝幼田の『中共の強くなった謎』にも中共は岩井に国民党の情報を売った壮大な史実があるとの叙述がある。

岩井は上海領事館に特別捜査班を置き、蒋介石政府内部の情報を集め、講和の機会を窺った。岩井は袁殊に全面的に新党を作るのを任せ、全面的な平和かつ共存共栄のための日中新関係の理念に達するために、党名だけでなく、この理念を正しく、民衆や知識階級にも理解させる。前に、藍衣社や中統団、その他の党の関係者、共産党であっても関係なし。結果、袁殊は地下共産党員を大量に入れ、経費は情報部長の河合達夫の同意の下、岩井が払った。しかし、新党は結局「興亜建国運動」に変わり、袁殊の意見で「興亜建国運動本部」を「岩井公館」と呼ぶようにした。この時期、袁殊は胡越明と言う名で毛の指揮の下、前中共の特務のボスの潘漢年を岩井に紹介した。袁殊は潘漢年の地位は周恩来に相当すると。岩井は「追憶上海」の中で潘漢年の第一印象を「非常に穏やかな知識人かつ、洗練された都会人でもあり、好感が持てる」と。その後潘漢年は岩井公館を拠点として、香港でのスパイ活動を拡大し、国民党と国民軍の情報を提供した。また、岩井公館を拠点とし、中共の香港でのスパイ活動を拡大させた。」

日本情报费资助中共

岩井委托日本驻香港领事馆的小泉清一每月向潘汉年支付2000港元作为收购情报费,加上由潘汉年筹办多种定期出版的刊物费等,每次另支付潘汉年1万港元。

当时,2000港元相当于一名香港华人警员5年的薪水,而日本每年向潘汉年支付的费用相当于一名香港华人警员60年薪水,而且尚不包括刊物费,最终这笔可观的收入落入中共手中。

远藤在书中指出“这就是谢幼田(美国斯坦福大学胡佛研究中心前客座研究员)著书《中共壮大之谜》的中共壮大理由”,而日本支付的费用大部分源自外务省机密费,岩井回忆说,支付的总额达30多亿日元(超过2500万美元)。

1937年,面对入侵的日军,中共八路军和新四军希望抗战,但毛泽东则坚持只拿出10%兵力用于抗战。岩井《回想的上海》还披露,潘汉年通过袁殊向岩井提议,商谈共军与日军在华北战场上“停战”的事宜,岩井因不懂军事,把该建议转手影佐,潘汉年从此开始直接与日军接触。

「日本の情報費が中共を助ける

岩井は香港領事館の小泉清一に毎月2000香港$を情報収集費として潘漢年に払うのを任せた。更に、多くの定期出版物刊行代として年10000香港$を払った。当時の2000香港$は警備員の5年の年収であり、日本が毎年潘漢年に払う分は警備員の60年の年収である。その中には刊行物は含まず、結局この収入は全部中共の手に落ちた。遠藤が本の中で「これこそ謝幼田(スタンフォード大学フーバー研究所、前客員研究員)の「中共の強くなった謎」で書いた中共が強くなった理由である。日本の払った費用の大部分は外務省の機密費で、岩井の記憶では総額は30億円(米2500万$)強である。37年日本軍の侵入に対し八路軍と新四軍は戦いたかったが毛は10%の戦力しか出さなかった。岩井の「追憶上海」の中で、潘漢年は袁殊を通して岩井に提案した「共産軍と日本軍との華北の戦場で停戦」について、岩井は軍事について分からず、影佐に意見を伝えたことにより、潘漢年と日本軍がこのときから直接接触するようになった。

曾著书谈在华经历

远藤1941年出生在中国长春,父亲在长春经营自己研制的戒毒药品“吉福德禄”的制药厂,父母都是日本人,本来还有哥哥和弟弟。但在1948年八路军围困长春之战中,远藤的哥哥和弟弟都饿死,而她也几近饿死并遭遇流弹受伤,导致两臂残疾。

1953年,12岁的远藤回到日本,又受到日本本地人的欺凌。她取得物理学博士以后,从1983年起从事指导中国留学生的工作至今,并从那时起还兼任中国社科院社会研究所客座研究员、教授,上海交大客座教授。

1983年远藤在日本出版《不合理的彼方》,自述其当年在长春的生活经历,获得《读卖新闻》女性人类记录优秀奖。

后来,远藤应《读卖新闻》邀请,在1984年再著书《卡子-没有出口的大地》,描述她在中国12年的苦难经历。90年代,她希望此书译成中文版,可是中国出版社一直以“过于敏感”的理由拒绝和拖延此事,去年她觉得年事已高,不能再等下去,于是选择在台湾出版中译本。

「著作と中国での経歴

遠藤は1941年長春の生まれ。父親は長春で、自分で開発した麻薬を止める薬「ジフドル」を工場で作って経営した。両親とも日本人で、兄と弟がいたが、48年の八路軍の長春包囲戦で、兄弟は餓死、彼女も流れ弾に当たり、ほぼ餓死寸前だった。今でも両腕に弾の跡がある。53年、遠藤が12歳の時に日本に戻ったが、日本人からイジメを受けた。物理学博士を取ってから、1983年より今まで中国からの留学生の受け入れの仕事に従事し、その間中国社会科学院社会研究所の客員研究員、教授、上海交通大学の客員教授を歴任。83年に「不合理な彼方」と言う本を日本で出版し、自身の長春での生活体験を描いて読売新聞の女性人類記録優秀賞を受けた。後に遠藤は読売新聞の勧めにより、「卡子 出口のない大地」を著し、12年の苦労を描いた。彼女はこれを中国語にする希望があったが、中国の出版社は「微妙な問題がある」ということで断るか、引き延ばしした。去年、彼女の年もあり、待てないので、台湾で、中国語版で出版した」

“只想追求历史真相”

远藤对BBC中文网记者说,“我对中国爱恨交集,但到了这个年龄,我只想追求历史真相”。

远藤说,《毛泽东 与日军共谋的男人》“最大的难题是找日本有关岩井的记载,我去了外务省和防卫省研究所都找不到,后来在网络上偶然看到岩井出版过回忆录《回想的上海》,于是开始找,并终于在网络上买到,我如获至宝!现在觉得我小时候没饿死、活到现在,就是为了找到这本书”。

当记者问到,日本是否也刻意抹去当年岩井与中共合作的记录,远藤则说“不是,岩井对中国来说重要,但日本当时对他重视不够”。

对于台海两岸官方有关谁是真正抗日力量的争论,远藤表示“日本不知道也不关心,我在防卫研究所里看战史资料,厚厚的一本防卫研究所编写的战史资料,居然是引用中共党史来编写,简直令人大失所望,所以我才要挖掘真相,来填补真实的历史空白”。

(责编:李文)

「ただ歴史の真相を追い求めたいだけ

遠藤がBBCの記者に言ったのは、「中国には愛憎入り混じっているが、この年になれば、歴史の真実を知りたいだけ。」「毛沢東 日本軍と共謀した男」を書くときに一番問題だったのは、日本の記録に岩井の件がないこと。外務省や防衛研究所にも見当たらなかった。後にたまたまネットで岩井の書いた回想録「追憶上海」が出版されたという記事を見つけ、探して求め得た。私の宝です。私が小さいときに餓死せず、今に至るのはこの本と出合うためでした。記者が問いて、「日本は当時の岩井と共産党の協力を無かったものとしようとしたのか」と。遠藤は「違う。岩井は中国にとって重要人物であったが、日本は岩井を重視しなかった」。中台の抗日の正統性の争いは、遠藤が言うに「日本は知らないし、関心もない。防衛研究所の厚い戦史資料を見れば、意外にも中国共産党史から写したものがあり、ずっとガッカリしてきた。それで私は真相を深掘りしようと思った。真の歴史の空白を埋めようと。」

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