高山正之著『アジアの解放、本当は日本軍のお蔭だった!』について

高山氏の話は本で読んでも、講演を聞いても面白いです。快刀乱麻と言うのがピッタリです。いつ読んでも思うことは、白人、特にアメリカ人の残虐さは群を抜いています。そうでなければ原爆投下は絶対できないでしょう。Limited war からAll out warに変わったのも南北戦争からと言われています。要は強姦・略奪・殺人何でもありです。口ではきれいごとを唱えながら、裏では悪いことを平気でできる人達です。選民意識の強い人たちです。ヒトラーを悪く言えません。同類です。しかし、「世界は肚黒い」のは当り前です。日本はこれに中国と朝鮮半島があるのですから大変です。防衛を考えると米国と手を結ぶしかありません。100年後は分かりませんが、現時点と近未来に於いては別な選択肢は採れません。アコギな共産主義の国とは手を結べませんので。

しかし読めば読むほど白人の人種差別はヒドイ。それが表向きは「そんなことはありません」みたいなフリをする訳ですから。中国・韓国も似たり寄ったりです。中華・小中華ですので。東夷西戎南蛮北狄の考えを持っています。福建省は閩南で門の中に虫がいる意味です。倭は漢和辞典では「背が曲がって丈の低い小人の意」とあります。閩より人間扱いしているからまだ良しとしないといけないのかもしれませんが。しかし、こんな国に道徳的に劣っているとは言われたくありません。

他の章も面白いので是非買うか借りるかしてお読みください。

内容

第10章「白人はいつも肚黒い」

【残忍比べ】

毎年八月十五日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。二十世紀はまさに日本の世紀だった。白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が二十世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。

そのあとオーウェン•ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させたかった。ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第二位の経済大国に成長していた。先の戦争は何だったのか 十分に振り返って検証する意味はある。

その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。コラムでは山ロ瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。

日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。 「世界の僻地」(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。 支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。そういう検証もしない。一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。

何が嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。『ニユーヨーク・夕イムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフイリピンの作家F ・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。

日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。日本軍はフイリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、大方は米軍の侵攻前に市外に出ている。

夏が来ればこのフイリピン人作家に再びの出番はあるだろう。そのときのために一つ忠告しておきたい。バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりべトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。ピン夕よりひどいことをした。

あるいは米国が二十世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて五日目に殺した処刑記録が山とある。バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。

『ニユーヨーク•タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。白人記者も折あるごとにもっと陰湿な「侵略国家•日本」 の告発記事を書く。

【マイク.ホンダとは何者だ】

九○年代、つまり載後半世紀たったころ、米国特派員に出た。そのときに一番驚いたのが、『ニユーヨーク•タイムズ』の陰湿な書き方だった。ごく普通の社説に「朝鮮」という単語が出てくると必ず「日本の柄民地だった( where Japan once colonized))という枕詞をつけていた。別に戦前の話ではなく、今、進行形の北朝鮮の飢餓についての論評だ。 同じように「東南アジア」が出てくれば「かつて日本が残虐行為を働いた(where Japan had conducted atrocities) 」とつける。

オランダは四百年インドネシアを植民地にしながら、学校も病院も作らなかった。フランスはベトナムで学校の代わりに刑務所をつくり、薬の代わりに阿片を売り付けた。彼らはそれを植民地と呼ぶ。日本は朝鮮に学校を作り、病院を置き、鉄道を敷き、電気を通した。それを植民地という一言で日本もまた朝鮮を残忍に搾取したという印象を故意に植え付けようとしていた。

これは『ニユーョーク.・タイムズ』に限らない。『ロサンゼルス・タイムズ』も英紙『インデイペンデント』も同じだ。そしてこういう新聞が一番大きく書き立てるのが、日本軍の従軍慰安婦と南京大虐殺、そして東南アジアでの残虐行為だ。

南京では日本軍は掠奪をほしいままにして六週間にわたって市民を毎日七千人ずつ殺し続け、ニ千人の女を毎晩強姦したことになっている。それなら強姦につきものの日本人の子種を宿した妊娠騒ぎがあっていい。現に韓国兵が出たベトナムでは三万人もの混血児を残しているが、南京に日系混血児は一人もいない。三十万人分の骨も出てこない。 目撃者もなぜか「ニユーヨーク・タイムズ」の記者と米国人教授とオ-ストラリア人の 『マンチエスター・ガーデイアン』紙の記者に限られる。オ-ストラリアといえば米国におべっかを使う元囚人国家だ。

従軍慰安婦は吉田清治の慰安婦強制連行の嘘を参考にして朝日新聞の植村隆記者が捏造した。「日本軍が無辜の朝鮮人女性を強制連行して戦場で将兵相手の慰安婦にした。 女子挺身隊と呼ばれた」と書いた。実際は朝鮮人女衒が置き屋に売った。

それをまたオーストラリアのジャーナリストが増幅し、米下院議員マイク・ホンダが 「日本軍はアジア女性二十万人を性の奴隸にした」ことにして非難決議案まで出した。 この男は創氏改名でホンダを名乗っているようにも見える。

「東南アジアでの掠奪と残虐行為」も新聞では日本の枕詞に使われるのに、まったく真実味に欠ける。前述したようにフイリピンで目を覆う残虐行為を働いたのは米国人だ。ベトナム人を阿片漬けにしたのはフランス人だ。インドネシア人女性を裸にして鞭打ち、 傷口に辛子を塗ったのはオランダ人だ。わずかにシンガボールで日本軍は華僑を殺した。

華僑のリー・クワンユーがそう言い立てるが、彼自身が認めるように日本軍がマレーに上陸すると、華僑は白人のご主人様英国について戦った。インド兵などと同じだ。

しかし英軍が負けると華僑の一部はタイに逃げ、残りは兵装を解いて無辜の市民を装った。いわゆる便衣隊だ。逃亡兵よりあくどい。狩り出されて処刑されるのは戦時法では当たり前だ。日本軍はしかし全員は殺さなかった。リー・クワンユーはじめ多くを見逃してやった。結果的にそれが仇になった。彼らは戦後、被害者面し、あることないこと吹聴してマレー人の海に浮かぶ島シンガポールに居座って支那人の素性を隠し、 マレー語の国歌を歌い、キリスト教とイスラム教の祭日を休日として「シンガポーリアン」を名乗る。虐殺を言い立てる彼らの言葉にはあまりにも嘘が多い。

【支那人みたいなロ本人像】

だいたい東南アジアは欧米列強が長い間、残忍な統治をしてきた現場だから、日本を非難するにはそれらしい事件を捏造しなければならない。知恵がない彼らに代わってそれをやってきたのが朝日新聞御用達の大学教授、林博史みたいな連中だ。

彼はマレーの華僑から「日本軍は赤ん坊を投げ上げ、銃剣で刺した」という話を拾ってきて日本軍の大罪に付け加えた。「赤ん坊を云々」は第一次大戦のおり、ドイツ軍がブリユツセルの産院を襲って妊婦を強姦し乳児室の赤ん坊を放りあげ銃剣で刺したという話と酷似する。

ドイツ軍はまた「将来の敵になるベルギー人の男の子を見つけると片端から手首を切り落とし、銃が持てないようにした」といわれ、それが米国参戦の口実になった。

米国の参戦でドイツは敗れたが、戦後、この残虐行為を検証したら「赤ん坊を銃剣で」も「子供の手首切り落とし」も「英国の作り話」(アーサー・ボンソンビー『戦時の嘘』)だ た。インデイアンを虐殺し、黒人奴隸を昨日まで使っていた米国が人道などちゃんちゃらおかしいが、 おかしいだけあって、参戦のロ実もインチキだったわけだ。

実は湾岸戦争の折にもこの「赤ん坊を銃剣で」話を目撃したという少女が米議会公聴会で証言した。やっぱりイラク軍は獣だと。戦後の検証で少女は在米のクウエート外交官の娘で、証言も作り話と判明した。

しかし嘘と分かっても、それがどうしたみたいに誰も何の反応も示さず、イラク軍の不名誉はそのまま放置された。

いわば定番の嘘といっていい。それを日本兵がマレーでやったという。そういう話を聞けば林博史はまず日本人の名誉のために華僑が嘘を言っていないか、該当する日本の部隊名はどこか、生存者を捜して話を聞くとか、華僑よりバイアスのかかっていないマレー人の目撃者はいなかったかとか、きっちり検証作業をするものだ。個人的な体験で言えば嘘を言わない華僑になど会ったこともない。しかし彼がそういう検証をしたという話は聞かない。

東テイモールは中立国ポルトガルの植民地で住民と日本軍とのトラブルは皆無だったが、ここで日本軍が島民を掠奪し五万人を殺したと早大教授後藤乾一が朝日新聞に書いた。朝日は日本の悪口ならどんな噓でも歓迎した。この話は米タイム誌の年鑑『Time Almanac 2006』に「日本軍の占領期間に五万人の島民が死んだ」と転載された。日本はやっぱり残虐だったと。

しかし島民はポルトガルの圧政下でふんどし一丁の暮らしをしていた。鋸も鎌も反抗の武器になるからと所持も禁止されていた。日本軍が彼らから掠奪するとしていったい何を奪ったというのか。この話は後藤乾一がオーストラリア人外交官ジエームス・ダンに「戦後、島民の人口が減っている」といわれ、それで創作したことがやがて判明する。

しかし宗主国のポルトガルですら人口調査をやっていない。いい加減な豪外交官の言葉に何の根もない。むしろ日本人と島民は友好的で侵入してくる豪軍間課を日本軍と島民が「協力して捕え、彼らの暗号を使って偽情報を出し続けた」(兵卒として進駐していた山下信一元昭和女子大教授)という証言すらある。

日本の悪ロなら何でも大歓迎の『タイム』誌もさすがに後藤論文が全くの虚構と知って二○○七年版ではボツにしている。

『ニユーヨーク・タイムズ』は「東南アジアで日本軍は残虐な行為をした」と半世紀、日本の枕詞にしてきたと前に述べた。ただ枕詞に使うだけで具体的な実例はない。結局、朝日新聞記者や朝日のお雇い学者がそれらしい話を捏造するのを待って、それを米国側が利用してきたという構図が浮き出てくる。

なぜそこまでして「殺戮と掠奪と強姦をほしいままにする」支那人みたいな日本人像を描きたがるのか。

【米軍と支邯人の残忍さ】

日本人にしてみればそういう嘘を並べたがる彼らの感覚が不思議でならない。前述したフイリピン植民地化の折に見せた米軍の行動はまさに残忍の極みをゆく。彼らの戦術は南北戦争当時の北軍将軍ウイリアム•シャーマンのそれを範としている。戦争とは相手の軍を負かすだけでなく銃後を守る兵士の妻子までやっつけ、相手民族を滅ぼすことにあった。

これは約一千万人いたアメリカインデイアン浄化作戦で実施され、彼らの九五%が淘汰された。彼らが共棲していた数千万頭のバイソンも糧道を断つ目的でほぼ淘汰した。 フイリピン平定も同じ。米国の植民地化に抵抗したアギナルド将軍以下の独立義勇軍は一万八干人だったが、米軍が殺したのは公称二十万人、実際は数十万人に及び、その多くはアギナルド軍兵士の家族だった。

米軍の残忍さは圧倒的だ。世界が認めるその残忍な国民が、「いや日本人のほうが凄い」と嘘を並べて謙遜している。それが分からない。

支那もその点では引けを取らない。彼らの残忍さに日本人が初めて遭遇したのは日清戦争だった。牙山で敗れた支那軍は漬走を始めるが、「逃げながら朝鮮人の家々に押し入り、掠奪、強姦、虐殺をほしいままにした」と日本軍と行動していた仏フイガロ紙カレスコー記者が記録している。支那人の残虐さに日本兵は驚いていたと。

金州城では日本軍の三倍の勢力を持った支那軍が攻めてきたが、反撃され死傷者を残して逃げた。入れ替わるように支那人農民が現れ、死者の衣服をはぎ取り、息のあるものは殺して所持品を奪っていった。

土城子の戦いで日本軍斥候を捕らえた支那兵は「日本兵の耳を削ぎ、鼻を削ぎ、さらに顔の皮を剥ぎ、男根を切り落としたうえで、鈍刀で首を切り落とした」と秋山好古の副官が報告している。

その支那人がこれまた根拠なく「日本人は残酷だ」と米国と口裏を合わせる。 彼等は敵が残忍な手法を仕掛けたらもっと残忍な手法で仕返ししてきた。シャーマン将軍は騎兵隊がやられた報復にインデイアンの妻や子を残らず殺させた。蒋介石も毛沢東も残忍にはより残忍で応じたが、ただ日本だけは違った。

いい例が日清戟争の最中に出された第一軍司令官山縣有明の訓辞だ。

「(敵)軍人といえど降る者は殺すベからず。然れどもその詐術(降参したふり)にかかるなかれ。かつ敵国(支那)は古きより極めて残忍の性を有す。誤って生擒(生け捕り) に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受けついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるるは必然なり。決して生擒する所と成るべからず。むしろ潔くー死を遂げもって日本男児の名誉を全うすべし」

後に東條英機の戦陣訓の一節「生きて虜囚の辱めを受けず」となったとされる訓示だが、徒に死ねと言っているのではない。支那人のような常軌を逸した残忍な民族相手でも日本側は正々堂々と戦え、そういう相手だから手を上げて降伏するな、むしろ死ぬまで戦えといっている。

相手と残忍さを競わない、残虐行為はするなと訓示している。日本軍はこの精神でもっと残忍な米軍とも戦った。こんな宣言をする軍隊は他にない。日本の戦争観がよそのどの国ともまったく違うことの証左だろう。

【掠奪に加わらなかった日本軍】

戦争は自国権益保護という表向きと掠奪と強姦という裏の面があって初めて成立してきた。掠奪強姦は命をかける兵士へのインセンテイブ、当然の報酬だった。それがなければ兵士は動かないとアラビアのロレンスことトーマス・ロレンスが自伝に書いている。 彼はベドウインの兵士を率いてオスマントルコ支配のダマスカス攻略に向かうが、ベドウインはゆく先々で村を襲う。そこで掠奪と強姦を心ゆくまで堪能しない限り動かない。大きな街を襲うと「また二週間は足止めか」と嘆くセリフが繰り返し出てくる。

そのべドウインが信ずるイスラムの教えは戦争中の掠奪は当然のことと規定し、ただ掠奪品は公平に分けろとあるだけだ。

これはキリスト教徒も同じ。十三世紀、十字軍は東方正教会の都コンスタンチノープルを襲って陥落させると「恒例により兵士に三日間の掠奪を認めた」と歴史書にある。 清朝の末期、義和団の乱が起きた。日本のほか英米仏独.露など八カ国の軍隊が出て義和団と清の軍隊に包囲された北京の各国公館を解放した。籠城戦で見せた日本の柴五郎中佐の奮戦はビクトリア女王を感激させ感状をときの林薫公使に伝達している。

戦いが終わった後、八カ国連合軍の総司令官だったドイツのワルデルゼー将軍が北京に入る。国王ウイルヘルム二世に宛てた報告書には「各国軍隊に三日間の掠奪を許可した。そのあと(今度は将兵の)私物とするための掠奪を許した。この破壊と掠奪による支那の損失の詳細な数量は永久に調べがつかないだろう」とある。

支那の歴史教科書にはその掠奪のひどさについて永楽大典(明代の類書=百科事典)の消滅など文化財の喪失に加え、「財務省の金蔵、銀庫、金庫はすべて盗まれ、放火された」とある。

これが二十世紀の入口で起きた。ドイツ人も英国人も喜んで掠奪に加わった。中でもロシア軍はリネゥイツチ将軍自ら掠奪して回った。何より驚きなのは三日間の掠奪が国家のためで、そのあとに兵士の個人的な掠奪が別にあるということだ。それを白人国家は当然のようにやった。

二十一世紀に入ってのイラク戦争のおり、陥落したバグダッドの博物館が掠奪にあってシュメール文化の貴重な文化財が奪われた。盗品の多くはやがて米国の空港や港で発見された。米軍人やジャーナリストが盗んで持ち帰ったものだった。掠奪のDNAが彼らの血にしっかり組みこまれている。

日本の名誉のために言えば、日本軍は北京の掠奪には加わらず、紫禁城を守り、金蔵を押さえたが、これは清王朝の財政を保全する目的だった。日本軍が仕切った区域は治安が行き届き、多くの支那人が白人の暴虐を逃れて避難してきた。

こうした掠奪とほぼ一体なのが強姦になる。支那人と米国人が合作した南京大虐殺も虐殺と掠奪だけあって強姦がないのはおかしいから無理やり「南京の安全地帯で二千人が毎晩強姦された」ことにした。それは彼らの描く戦争の形だからだ。

しかし強姦はそんな付随的行為として描かれるべきものではなく、歴史を見ればむしろ最も有効な征服の手段とされてきた。

【マヤ族の悲劇】

例えばマヤだ。彼らの文化には高度な建築学や天文学が生きていた。しかし現在その片鱗すら生き残っていない。 マヤは今グアテマラ国境のジャングルにいて焼き畑農業を営んでいたが、最近の定住化政策で幾つかの村をつくった。チアパスに近いそんな村でほとんど日本人にしか見えない少女をインタピユーしたことがある。

十六世紀、スペイン人が侵攻し、多くのマヤ族は殺され、女は犯された。彼女の祖先はジャングルに逃げ込み、それから五百年、マヤの血を守った。純粋のマヤ族だった。

女はそんな祖先を「恨む」といった。もし逃げずに祖先がスペイン人に犯されていれば、白人の血が入ったメスチソ(混血児)になれた。「そうだったら堂々と街に降りて、 メキシコシテイのハードロックカフェにもいけたのに」なまじインデイオの純血を保ったためにこんなところで一生を終えるのだと。

黄色くてもいいじゃないかと慰めたが、彼女には慰めにもならなかったようだ。 このときの通訳はかなり白人の血が濃いメスチソだったが、このインタピユーのあとしみじみ「私たち上等なメスチソも」と言った。「赤ん坊が生まれるときはものすごく心配する」。「上等なメスチソ」にも何パーセントかのマヤの血が混じる。それがなんかの拍子に先祖返りみたいに出てくる。「インデイオの血が濃い顔つきだと、いい学校にもいけない。いい就職口もなくなる」。さっき彼女の言ったハードロックカフェは「少しでもインデイオっぽいと入れてくれない」のだと。あの輝かしい文化を持ったマヤは滅 び、その民の末裔はマヤであることに嫌悪さえ見せる。

実はこれに似た話をテへラン特派員時代に聞いたことがあった。支局に出入りしていたタクシー運転手の姉が出産した。助手のマスゥッドが「そうか。何色だった」と即座に聞いた。運転手は嬉しそうに「白だ」と答えた。助手はそこで改めて男の子か女の子を聞いた。

それを糺すと「あなたには答えにくいが、イランはアーリア系民族で国名もそこから来ている。しかしネファベントの戦いでササン朝ペルシャが敗れ、薄黒いアラブ人に支配された」。軽蔑するアラブ人の血が少し人ったという意味だ。そして十三世紀にはフピライの弟フラグが攻め込んでイル・ハン国をつくる。治世は百余年続くが、「モンゴル人はこのとき徹底的にぺルシャ人の血を汚した」。

「血を汚す」という表現が少し引っ掛かったが、要するにアーリア系民族にモンゴロイドの血が混じった。それがたまに出てくる。目の細い黄色い子供が生まれる。メスチソの通訳と同じ。だから赤ん坊が牛まれればまず色を聞くのだという。

実際、そういう例はあるのかと聞くと、頷く。彼等は家族からも差別され、まともな就職口もなければいい結婚もできない。「イランでは最低の職業がパン焼き職人だ。炭を熾した壺でパンを焼く。暑くて辛くて低賃金で知られる。その職人はほとんどが一目でフラグの末裔と分かる」と。

同じイラン人でも征服者の血を巡って嫌悪と差別が生まれる。それが少数の場合は小さな偏見で終わるが、その度合いが大きければ国家としての団結力、求心力にも問題を生むことは容易に想像できる。

ハイチがいい例だ。フランスが黒人奴隷を入れて砂糖とコーヒーのプランテーションをここにつくった。しかしナポレオンの時代に採算が取れなくなり放棄される。それが初の黒人国家として独立した。奴隸出身という虐げられた境遇をばねに強い団結力を誇るのかと思ったら、成立から現在に至るまでハイチ人同士の信じ難いほどの残忍な殺し合いが続いている。

理由は人口の三〇%ほどが白人混血、いわゆるムラートで、彼等は白人の血を誇り、祖国フランスを崇め、フランス語を国語に採用した。フランス人は彼らに教育など便宜も図ってやった。彼等は見た目は同じなのに純粋黒人を見下し、それがもとで対立している。白人の身勝手に団結して抗議し、奴隸植民地の歴史を償わせるという動きは生れようにも生まれてこない。

強姦は掠奪のついでに行うものではない。強姦はその民族の純血性を奪い、それによってマヤのように滅びるかハイチのように永遠の混乱をもたらす破壊力も秘めている。

先の大戦でスラブ人や夕タール人で構成されるソ連軍はエルべ川を渡ってドイツ領に入ると率先して強姦を兵士にやらせた。

アントニー・ビーヴァー『ベルリン終戦日記』にその辺は詳しいが、ドイツ全土で約 二百万人の女性がソ連軍に凌辱された。

よく引用されるが、産院を兼ねた修道院ダーレムハウスでは修道女、妊婦から付き添いの女性まですべてが犯された。第一次大戦のときに英国がデマで流した産院の凌辱そのものをソ連軍は実際にやった。

統計がしっかりしているのはべルリンで、ここでは十三万人が犯され、うち九万ニ千人が市内のニつの病院で手当てを受けた。うちニ万人が不法妊娠していて、多くが中絶手術を受けたが、約ニ千人が出産している。

【日本の純粋さ】

日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。

ビルマ、シンガボールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。

しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。一般の民家に押し入って女を漁った。蒋介石軍の兵士と同じだった。押し入った米兵を論そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。米軍の占領期間に殺された日本人は二千五百三十六人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。

この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッボン日記』の 中で「日本人は女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しょうとした」といったくだりがある。これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。 これが彼らの戦争の本当の姿になる。

しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。前述したように残忍な報復はしなかったし、日本人は彼らが常とする掠奪も強姦も戦争から排除していた。上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州城のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。

南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。彼等は九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。

日本軍がここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。防疫と堤防の修理は日本軍がやった。

彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。南京にある例の三十万人虐殺記念館にこれが長らく「日軍兵士が鶏を掠奪した図」として展示されていた。

彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかつた。写真を提供した朝日新聞もずっとそれを黙っていた。だが、それが違うと分かってきて、南京事件七十周年に当たる○七年十ニ月にこの写真をこっそり外した。

それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。

日本は十九世紀末に世界に見参した。そしてハワイ王朝を乗っ取った米国に軍艦を出して抗議し、その翌年には支那と戦ってこれを倒した。そしてその十年後には白人国ロシアを倒し、さらにその十年後の第一次大戦では白人の叡智の象徴である航空機を持つドイツに彼らの三倍の航空兵力で戦いを挑んでやっつけてしまった。 しかも日本が戦う戦争は彼らの常識にない純粋さがあった。さらに衝撃だったのが日本の経営する「植民地」の姿だった。

とくに満洲だ。リットン調査団は英国の元インド総督ビク夕―・リットン、フランスからはアルジエリア統治に関わったアンリ•クローデル植民地軍総監、ドイツからは独領東アフリカ総督ハインリッヒ・シュネーら「搾取する植民地」のベテランが満洲を見た。そして驚いた。国際連盟規約ニ十条に「遅れた地域の民の福利厚生を図るのは(先進国の)神聖な使命だ」とある。しかし現実は後進地域の民の愚民化を進め、米英は支那、マレーシアに、フランスはベトナムに阿片を売り付け、ひたすら搾取してきた。

しかし満洲では肥沃な大地の実りと地下資源を背景に学校が作られ、ユダヤ人スラブ人も含めた多くの民族が日本の指導のもとで自由と豊かさを満喫していた。

植民地搾取のベテランたちは満洲自体が彼ら白人の植民地帝国主義への告発に見えたのだろう。国際連盟への報告書は日本を放り出し、満洲は白人経営でいただきましょうという趣旨で貫かれている。

奴隸をもち、残忍な戦争をし、掠奪と強姦を喜びにしてきた国々にとって掠奪も強姦もしない、奴隸も植民地ももたない日本は煙たいどころか、存在してもらっては困る国に見えた。その伏流を見落とすと、近代史は見えてこない。

日本対白人国家プラス支那という対立構造ができ、先の戦争が起きた。日本を制したのが中でも最も邪悪な米国であり、その米国がいま丸腰日本の保護者となっているのは 歴史の皮肉というより、もはやたちの悪い冗談でしかない。

 

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