『中国が尖閣攻略に向けて着々と軍事力を増強 米国議会で報告された日本の危機的状況とは』(11/30JBプレス 古森義久)、『南京事件を「30万人大虐殺」に仕立てた「愛国虚言」 日本を貶める詐欺的手法をやめない中国』(11/30JBプレス 森清勇)について

日本にとって真の脅威は中国だけではなく、本質的に『国民自身が「国難にある」という自覚を持たない』」所にあります。究極の平和ボケです。戦後の71年間、敵国から洗脳され、そう仕向けられたこともありますが。政治の責任は大きいでしょう。幕末に露、米、英、仏が日本を侵略しようと機を窺っていた時に、先人たちはそれをうまく乗り切りました。今の安倍内閣とは違い、国民全体が危機感を持っていましたから。今は反日メデイア、反日民進党、反日日共、反日学会、反日官僚と周りを反日の連中で固められています。こういう人たちは日本人を止めてほしいと願うのですが。反日は中韓を見るまでもなく、自己中心で利他精神に乏しい人達です。流行語大賞何ぞ、反日の連中が審査員を務めているので、反日を遺憾なく発揮して、ベスト10の中に「保育園落ちた日本死ね」なんかが入ります。因みに審査員は姜尚中、俵万智、鳥越俊太郎(辞退)、室井滋、やくみつる、箭内道彦、清水均と反日と思しき錚々たるメンバーが占めています。こんなものを信じるとしたら相当情弱でしょう。これをスポンサーしている“ユーキャン”も反日企業と見て良いのでは。姜のような在日(Wikiによれば国籍は韓国)総てが悪いのではないのは当り前ですが、反日活動を合法・非合法に関わらず、するのを許すことは出来ません。鄭大均氏のように、日本に帰化して、反日に反対する人もいます。

南京虐殺は嘘と言うのが少しずつ日本国民にも分かってきました。朝日新聞の「慰安婦の嘘」が捏造という事で謝罪に追い込まれた影響もあると思います。普通の思考能力を持っていれば、では今まで主張してきた「南京虐殺」もその可能性があるのでは、と調べる筈です。調べれば、東中野修道氏や中山成彬氏の主張を見れば、実証的に議論したら、虐殺はなかったとなるはずです、本記事にありますように、便衣兵の処刑はあったでしょうけど。まあ、通州事件の後だけに、日本兵が怒りにかられてと言うのはあったかもしれませんが、レイプはなかったと思います。

以前にも書きましたが、2001年頃に南京虐殺館に入って見ました。中ではおどろおどろしい白黒フィルムを使っていました。雨(というか線)がシャーシャーと降り、白骨だけしか見えませんでした。気持ちが悪くなりすぐ出ました。汚い身なりで入ったのですが、モギリのおばちゃんが「おい、そこの日本人、良く勉強していけ」と偉そうに言っていたこともあって、早々に出ました。こういう捏造をして、自国民に反日を植え付け、世界に日本は「道徳的に劣った民族」と言うのを刷り込もうとしています。日本人は言われ放しは止めなければ。況してややってもいないことで、ですよ。世界は黙っていればそれを認めたと受け取るのが標準です。左翼・リベラルが保守派を極右とか呼んで、刷込んで、日本が主張するのを止めさせようとしますが、いい加減日本人も気が付かないと。

青山繁晴氏は「虎ノ門ニュース」で中国は宇宙開発に力を入れ、宇宙から日本をミサイル攻撃し、根絶やしにしようと考えていると。防衛ミサイルでは総ての攻撃ミサイルを撃ち落とすことできないと。攻撃用武器も持たねばとのことです。日本人も惰弱のままでは生存できない所まで追い込まれているという事です。自分の目先のこと、生活のことだけでなく、子々孫々のことも考えねば。特に情弱老人。一票を持っている訳ですから。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1980.html

古森記事

liangning

中国軍の空母「遼寧」(出所:Wikipedia)

中国は尖閣諸島奪取のための軍事攻撃能力を急速に強めつつある。戦略面でも、尖閣をめぐる日本との戦闘を有事の最大焦点の1つとして位置づけている――。

米国議会の中国研究諮問機関が、2016年の年次報告書でこんな警告を発した。日本にとっては重大な国難への警告とみなさざるをえない危機時的状況である。

(参考・関連記事)「中国を軍事力で抑えにかかるトランプ氏

東シナ海で重点的に軍事能力を強化

11月中旬、米国議会の「米中経済安保調査委員会」は2016年度の年次報告書を発表し、同議会両院と政府に公式に送付した。

2001年に特別立法により新設された同委員会は、「米中経済関係が米国の国家安全保障にどう影響するかを主に調査し、立法、行政両府に政策勧告をする」ことを目的とする常設機関である。上下両院の共和、民主両党の有力議員が推薦した計12人の委員たちが主体となって、中国の経済、安保の動向を調査し、分析している。

同報告書は、米国やその同盟諸国に多大な影響を及ぼす中国のこの1年の軍事動向について、「中国人民解放軍が、本土から離れた地域、海域で軍事能力を強化している」と総括した。

さらに、中国当局は東シナ海で重点的に軍事能力を強化しようとしていると指摘し、「現在の中国の戦争計画における最大焦点は、台湾、南シナ海、東シナ海に関する海洋紛争への対応である」との判断を示す。中国はそうした紛争が起きた際の戦争遂行能力の強化に巨額の資源を投入しているという。

高まる軍事衝突の危機

中国にとっての東シナ海での海洋紛争とは、言うまでもなく尖閣諸島をめぐる日本との対立である。同報告書は、尖閣に関する日中両国の軍事衝突が高まっている現状を、以下のように述べる

・中国は最近、尖閣諸島から40キロほどの海域に初めて海軍艦艇を送り込んだ。同時に一時は海警の武装舟艇6隻と民兵組織の「漁船」230隻以上を尖閣の接続水域に侵入させるなど、日本に対する威圧的な攻勢を強めている。

・中国軍の航空機が尖閣諸島付近など日本側の領空に異常接近する頻度が高まり、日本の自衛隊機のスクランブル(緊急発進)の回数がこれまでになく増えてきた。

・その結果、中国と日本の尖閣諸島をめぐる緊張がエスカレートして、日中両国部隊の誤算による衝突、あるいは事故的な衝突の危険がきわめて高くなった。

この1年で着実に軍事力を強化

さらに同報告書は、中国側が日本との衝突を予期して、この1年の間に軍事力の強化を着実に進めてきたと指摘する。強化の内容は、主に以下の通りである。

・中国軍は、尖閣諸島のような、本土から遠距離にある島への上陸作戦を実施できる071型(玉昭型)揚陸艦タイプの艦艇の建造を続けている。同揚陸艦は兵員、武器、機材を同時に輸送して上陸させられる水陸両用の大型艦艇で、遠方の海洋作戦に欠かせない。

・中国軍はウクライナから購入した空母「遼寧」と、建造を終えつつある初の国産空母を、尖閣諸島への上陸作戦部隊や艦艇の支援のために利用することを考えている。

・中国軍は尖閣付近での作戦を念頭に置いて、052D型(旅洋Ⅲ型)ミサイル駆逐艦のような、防空、対艦、対潜のなどの多目的な作戦が可能な艦艇の開発と建造を続けている。

・中国軍は大型輸送機のY-20型(運-20型)機の製造を続けている。この種の大型輸送機は、尖閣での戦闘の際に増援の兵力を投入する有力な手段となる。

・中国軍は、南スーダンやイエメンでの平和維持活動や自国民緊急避難活動を通して、遠距離作戦のための訓練や経験を積んでいる。それらの訓練や経験は尖閣作戦でも生かされることになる。

やがては米国をアジアから駆逐?

同報告書によると、尖閣諸島を行動目標とした中国軍のこうした動きは、東アジアで米国とその同盟諸国を威圧し、やがては米国をアジアから撤退させるための戦略の一環でもあるという。

尖閣諸島を守る立場にある日本にとっては、まさに国難とも呼べる深刻な挑戦と危機が突きつけられていると言えよう。

森記事

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中国の南京市にある南京大虐殺記念館の展示を見る訪問者〔AFPBB News

中国は、日本が南京攻略戦で市民30万人(今日では40万人とも言っている)を虐殺したと世界に喧伝してやまない。中国は日本を犯罪国家として断罪し、日本より優位に立って、国際社会の認知を受けたいという願望がある。

中国の歴史を見れば、地方軍閥や匪賊などが割拠して内乱が絶えず、いくつもの政権が乱立する状況が第2次世界大戦まで続いてきた。言うなれば、国内が統治されない、道徳的には地に落ちた無政府状態で、国家とも言えない社会でしかなかったからであろう。

支那事変(後に日中戦争とも呼ばれるようになる)は、そうした中で起きた日中間の抗争であった。国際法上認められていた日本軍の駐留と邦人の居住であったが、支那はワシントン条約体制の破壊を意図して、無法行動を取ることが多かった。

支那は国際連盟へ提訴せず

支那事変当時の国際連盟代表は顧維鈞であった。1919年の連盟創設当時からの代表で、米国のコロンビア大学で学び、米政界にも広く顔の利く国際人で、「支那の顔」とも言われていた。

もう1人、妖艶さと智謀で活躍したのが蒋介石夫人の宋美齢であるが、これについては項を改めて記述する。

1937年8月開かれた国際連盟18回総会に、中国は支那事変を提訴する。23か国による東亜諮問委員会に付託され、支那に対する支持とブリュッセル会議の開催を決める。

ブリュッセル会議では「日本に抗議する対日宣言文」と「南京・広東に対する日本の空爆を非難する案」が採択される。

翌1938年1月26日から第100回国際連盟理事会が開かれる。英仏ソ中の代表による「支那事変問題小委員会」も同時に開かれ、支那に対する国際的援助問題が討議され、非加盟国の米国の態度が消極的なため支那の思うようにはならなかったという。

南京事件が起きていたとされる日から約1週間後の12月20日付「ロンドン・タイムズ」が初めて、「大がかりな略奪、強姦される女性、市民の殺害、住居から追い立てられる中国人、戦争捕虜の大量処刑、連行される壮健な男たち」などと南京事件を報道するが、支那代表の顧維鈞自身はこの問題について本国からの情報などについて何一つ言及していない。

ようやく顧維鈞が事件について言及するのは2月1日で、それも1938年1月28日付「デイリー・テレグラム」紙と「モーニング・ポスト」紙の引用である。

「あまりにも多くの事件が中立国の目撃者によって報告され、外国の新聞で報道されているので、ここでいちいち証拠をあげるには及ばないでしょう。(中略) 南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は2万人と見積もられ、その一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました」という趣旨の演説である。

本国から事件の情報が直接顧維鈞にもたらされたのではなく、「中立国の目撃者による報告」が外国紙に掲載され、その報道を基に演説したのである。

「中立国の目撃者」とはカムフラージュで、実は蒋介石政府から資金援助を受けたり、国民政府の国際宣伝処に関わったりした人物たちであった。

また、ロンドン・タイムズに掲載し、デイリー・テレグラフ(英国紙)やモーニング・ポスト(香港紙)に掲載するなど、国民政府の意を受けた世界への宣伝戦の展開である。

顧維鈞の八面六臂の活躍があってか、2月3日の理事会では、2か国(ポーランドとペルー)が棄権したほかは全員一致で、「支那を支援する決議案」が可決される。支那が主張する南京虐殺が起こっていた時期の理事会であるが、「南京虐殺」を非難する決議案ではない。

5月9日からは第101回国際連盟理事会が開かれる。ここでは「南京の空爆」と「山東戦線における毒ガス使用」を非難するもので満場一致で可決されるが、2月3日の非難決議と同様に、南京虐殺非難ではなかった。

支那は1927年に南京で中国市民が日米英などの公館を襲い略奪し、居留民に暴行を働いたとき、米英両国が軍艦で艦砲射撃を行った(日本は幣原喜重郎外相の宥和政策で反撃せず)。

この時中国人2000人が死傷したとして、中国政府は直ちに連盟に提訴した。1931年の満州事変でも、事変発生から3日後に連盟に提訴している。

2000人の死傷や事変の勃発を提訴した支那が、2万人の市民が死んだという南京事件を提訴しないで見過ごすだろうか、否であろう。さて、この2万人とはいかなる状況のものであったのだろうか。

2万人が脚色されていく過程

報道源となったとみられるニューヨーク・タイムズは、「中国軍は自ら罠にかかり、包囲され、少なくとも3万3000人を数える兵力の殲滅を許した。この数は南京防衛軍のおよそ3分の2にあたり、このうち2万人が処刑されたものと思われる」(『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』南京事件調査研究会編訳)と記している。

また、他の報告(外交官エスビー)では、「城内の中国兵を掃討するため、まず最初に分遣隊が派遣された。市内の通りや建物は隈なく捜索され、兵士であった者および兵士の嫌疑を受けた者は悉く組織的に銃殺された。正確な数は不明だが、少なくとも2万人がこのように殺害されたものと思われる」(同上資料)となっている。

両方に共通する点は、「兵士または兵士の嫌疑を持たれた便衣兵など2万人」ということであるが、顧維鈞は「中国人市民の数は2万人」と、戦闘に関わっていた兵士ではなく、一般市民が犠牲になり、また「若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けた」と捏造した演説をしたのである。

南京攻略戦では日本の将兵10万以上、日本人記者約250人をはじめ、作家・画家など総計約300人、外国人記者や内外外交官十数名がいたが、誰一人、現場で大虐殺どころか虐殺さえ書き残していない。

ニューヨーク・タイムズなどの報道は「兵士」2万人とし、それを引用した顧維鈞は「市民」2万人として、無辜の市民を殺した虐殺の印象操作をしようとした。しかし、国際連盟は非難決議さえ出さなかったし、その後、日本が敗戦するまでの連盟総会でも特に取り上げられることはなかった。

事件があったとされる時期から8年後、東京裁判を誘導する形で始まったGHQ民間情報教育局(CIE)によるラジオ放送「眞相箱」で、初めて「南京大虐殺」が言及される。

その時の放送は「上海の中国軍から手痛い抵抗を蒙った日本軍は、その1週間後その恨みを一時的に破裂させ、怒涛の如く南京市内に殺到したのであります。この南京の大虐殺こそ、近代史上稀にみる凄惨なもので、実に婦女子2万名が惨殺されたのであります」となっている。

顧維鈞の演説では、南京で虐殺された中国人市民は2万人で、同時に「少女を含む何千人もの女性が辱め」となっていた。これが、東京裁判を前にした『眞相箱』では「婦女子2万名が惨殺」となり、どんどん脚色されてくる。事実を踏まえた数字ではなく、創作された物語でしかないことが分かろう。

大きな虚言は愛国の度合いも高い

南京市生まれの林思雲博士は、南京大学を卒業した後、九州大学で工学博士号を取得して日本企業に就職する。著書に『中国人と日本人―ホンネの会話』などがある。

北村稔・立命館大学教授との共著『日中戦争―戦争を望んだ中国・望まなかった日本』には、従来の日本人の史観と異なる興味深い記述が林博士によって展開されている。

満州事変(1931年)の後、中国の愛国市民たちは、政府に対して対日開戦と武力による満州回復を要求し、全国に運動を広げていったという。

そこで、博士がやり玉に挙げるのが、2006年8月13日の「NHKスペシャル」―日中戦争―なぜ戦争は拡大したのか、で「戦争拡大の原因を日本の主戦派の責任に帰結させている」ことである。

林博士は「(日本が)自ら進んで戦争責任を負おうとするのは好意なのかもしれない」と、日本人(いやNHKか)の心情を忖度する。しかし、実際のところ、当時の日本は不拡大方針をとっており、「決して戦争の方向をコントロールしていなかった」し、「日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう」とみる。

こうしたことから、「片方(すなわち日本)だけに戦争責任を求める論法には傲慢さが含まれている」とさえ言う。なぜならば、「自発的に進んで戦おうとした中国人の意思が軽視されている」し、また「当時の実情に符合しない」からであるというのである。

また、中国(人)は虚言を弄し事実を誇大に言うが、これは家族のためであり、また国家のためであるという。

儒教思想の核心には日本で知られている「忠孝礼仁」に加え、中国人にはもう1つ重要な「避諱(ひき)」という徳目があり、それは他人の芳しくない出来事を隠すことであるという。

「偉人や賢人の過ちを隠せば彼らの威信が保全できるのであれば、彼らの功績を誇大に称えてその威信を高めるのも、国家の安定を保障する1つのやり方」で、中国の伝統的な道徳観には「他人のために嘘をつくことに反対せず、むしろ励まし、誉め讃える」ことがあるという。

しかも、そうした嘘が大きければ大きいほど、愛国の情が大きいことを示しているというのだ。

林博士は、東京裁判に関する2人を例示する。1946年に「中国政府が南京大虐殺の調査をした時、南京市民は愛国の情熱を一気に高ぶらせ、競って誇大な数字を述べ立てた」と言う。

その中の1人、魯甦が「国軍および難民の老若男女の合計5万7418人が、幕府山付近の4つか5つの村落に閉じ込められ、多くの人が餓死したり凍死した。残りはすべて下関の草鞋峡で銃殺された」と語ったことを取り上げ、「一の位まで正確に述べられており、常識で考えれば嘘だと判断できる」という。

ところが、東京裁判で中国代表の梅汝ごう(王へんに敖)は「日本軍は南京から逃げてきて幕府山で捕えられた老若男女5万7418人のうち、既に餓死したり殺されていた者を除く全員を、針金で縛って下関の草鞋峡に追い立てた。そして機関銃を掃射して全員を殺害しようとし、血の海に臥して喘ぎもがいている者を手当たり次第に斬殺し、最後には死体に石油をかけて燃やし証拠を隠滅しようとした」と述べたのである。

梅代表は魯の証言を一段と誇張したことになる。

おわりに

北京に近い通州は冀東防共自治政府の本拠地で、1万人からなる保安隊という武装部隊を有し、治安に当てていた。

ところが日本の駐屯軍が不在の間に、中国の暴民と示し合わせて寝返った保安隊によって、日本人居留民385人のうち婦女子を含む223人が、頭を叩き割られ、斬首され、刺殺されるなどして惨殺された。多くの婦女子が凌辱・強姦されて惨殺されたことは言うまでもない。

日本人の住居は中国人と混在していたので、保安隊は事前に日本人家庭を調べ、それと分かるように家の前に目印をつけていたのである。通州事件こそが、日本人皆殺しの計画的「虐殺」である。

中国は通州事件をなかったことにするために、建物などを撤去し、市街自体を新しい都市に改造しつつあるそうである。

他方で、なかったはずの南京事件を大虐殺にするために、写真のキャプションを変えて展示し、当初は兵士や便衣兵など戦闘に関わった2万人と報道された犠牲者を、国家挙げて市民30万人に拡大し、「南京大虐殺記念館」に仰々しく掲げている。愛国虚言そのものではないだろうか。

しかし、林博士は「中国人が日本人の言う『科学的検証』を受け入れる可能性はないであろうし、日本人も中国人の言う『愛国避諱』を受け入れる可能性はないであろう」と述べ、「戦争責任と南京大虐殺をめぐる中国と日本の論争は、双方の使用する理念と道徳の価値観が異なるので、一致した見方に到達するのは不可能である」と断言する。

中国は愛国虚言が許される国であり、白髪三千丈の国である。

毛沢東が人民公社制を敷いた時、人民は隣の公社に負けないように大風呂敷で収穫報告を競った。その報告に基づき、国への納入を強いられる羽目になる。供出を強いられた人民は自分が食するのにも困る事態に追い込まれ、人民同士、公社同士で盗みが横行し、国は乱れていった。

愛国虚言は、このようにいずれブーメランとなって、中国に向かって帰ってくるかもしれない。しかし、それまで待てない日本である。いかなる方策が効果的か、次回に考えてみたい。

 

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