『広島演説当日、プーチン大統領が激怒した理由 米ロの相互不信の根源「NATO拡大せず」の密約はあったのか』(6/10日経ビジネスオンライン 池田元博)について

「NATOの東方拡大はせず」の密約は、米国とも口約束としてあったようです。ロシアは米国が約束を破ったと主張していますが、文書化されていない弱みがあります。しかし、「欧州が東方に攻め寄せることはないと」という約束をドイツがソ連にしなければ、ドイツは統一できなかったでしょう。西ドイツの東ドイツの統合は1990年、EUが出来たのは1993年です。ソ連が崩壊したのは1991年12月、エリツインのロシア大統領時代は1991年7月から1999年12月までです。エリツイン時代にロシア経済はガタガタになりましたから衛星国まで気を配る余裕はなかったので、NATOの東方拡大も黙認されたのでしょう。プーチンになって新興財閥征伐をし、資源企業を国営化して混乱を収束させたので、ワルシャワ条約機構はなくなったものの、地政学を復活させることができました。

https://www.foreignaffairsj.co.jp/articles/201412_shifrinson/

http://d.hatena.ne.jp/maukiti/20141129/p1

MDのルーマニア・ポーランド配備、韓国のTHHADの配備にロシアは反対するのは当然でしょう。ロシアの核戦力を無力化する可能性がありますので。オバマの言う核廃絶は現実を見ると、実現は不可能と思われます。ロシアが核兵器を削減するメリットがありませんので。中国は米ロの間隙をぬって核兵器を増やしているのではと推測しています。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016052801001218.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12118549262

日本も真剣に防衛について国民一人ひとりが考えないと。トランプが大統領になれば否応なしに考えざるを得なくなります。外圧でしか国民が考えないというのも情けないことですが。国民主権が泣きます。偏向メデイアと日教組、学者の戦後利得者のせいであります。核保有(ニュークリアシエアリングも含む)も含めた活発な議論を国民レベルでしていかないと。

記事

オバマ米大統領が被爆地の広島を訪問し、改めて「核なき世界」の実現を訴えた。しかし、米ロの核軍縮交渉は停滞したままだ。その背景には北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大をめぐるロシアの根深い対米不信がある。

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5月27日、被爆地の広島を訪れ、改めて核廃絶を訴えたオバマ米大統領(写真:代表撮影/AP/アフロ)

 「核保有国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界をめざす勇気を持たなければならない」――。5月27日、オバマ米大統領が被爆地の広島を訪れた。米国の現職大統領として初めての歴史的な訪問だった。自ら推敲(すいこう)を重ねたという17分間に及ぶ「広島演説」の肝はやはり、オバマ大統領が唱え続けてきた核廃絶への訴えだった。

広島演説の当日、怒りをぶちまけたプーチン大統領

 まさに、その当日のことだ。米国と並ぶ核大国であるロシアのプーチン大統領は、ほかならぬ米国への強い怒りをぶちまけていた。「我々の話を誰も聞こうとしないし、誰も交渉をしたがらない」。ギリシャを訪問し、チプラス首相との首脳会談後の共同記者会見の場だった。

 プーチン大統領が問題視したのは、米国が主導する欧州でのミサイル防衛(MD)計画だ。米国はそのために、米ソが1972年に締結した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に脱退し、「国際的な安全保障の基盤を弱体化させた」(大統領)。さらに、今年5月にはMD計画の一環としてついに、ルーマニア南部で地上配備型の迎撃ミサイル発射基地の運用を始めた。ポーランドでも同様の発射基地の建設を進めており、大統領は「ロシアの核戦力を脅かす」とかみついたのだ。

 米国がABM制限条約からの脱退を通告したのは、ブッシュ前政権下の2001年末のことだ。その翌年に失効した同条約まで改めて持ち出して米国を批判したのは、MD計画がいよいよ、ロシアの安全保障を揺るがす現実の脅威となったという危機感からだろう。

「核なき世界」への痛烈な皮肉

 ロシアもこの間、手をこまぬいていたわけではない。欧州のMD計画は「イラン対策」という米側の説明を受け、ロシアも構想の代案を提案したことなどもあった。ところが、米国はロシアの提案を受け入れなかった。これが「我々の話を誰も聞こうとしない」と憤るプーチン発言の背景だ。

 「(米国は)イランの核計画の脅威に備えると言ってきたが、その計画は今、どこにあるのか。イランの核合意を主導したのはまさに米国ではないか」とプーチン大統領。MDをめぐるロシアの対米不信は募る一方だ。

 もちろん、オバマ大統領の唱える「核なき世界」と、欧州のMD計画は直接には関係しない。だが、米ロは2010年に調印し、翌年に発効した新戦略兵器削減条約(新START)以降、核軍縮で全く歩み寄れていない。その最大の要因がまさに、MDをめぐる対立だ。ロシアはこの計画が「自国の核抑止力を無力化する」と反発し、米国との新たな核軍縮交渉に応じていないのだ。

 その意味で偶然とはいえ、オバマ大統領の「広島演説」の当日にぶち上げたプーチン大統領の対米批判は、「核なき世界」への痛烈な皮肉だったともいえる。

東方拡大でロシアへの国境に迫るNATO

 こうしたロシアの根深い対米不信の底流には、北大西洋条約機構(NATO)を基軸とする欧州の安全保障体制への不満がある。とりわけ、米国がNATOの枠組みで進めるMD計画と、NATOの東方への拡大を毛嫌いしている。

 NATOは東西冷戦下の1949年にソ連に対抗する軍事機構として発足した。かつて東側ブロックの軍事機構だったワルシャワ条約機構は東西冷戦の終結で消滅したのに、NATOは加盟国を増やして東方拡大に動き、ロシアの国境へとどんどん近づいている。MD計画などを通じて防衛体制も着々と強めている。NATOは冷戦時代さながらの「対ロ包囲網」を構築するための軍事機構ではないかと、ロシアは疑心を強めているわけだ。

 実は、米欧とロシアの対立を決定的にしたウクライナ危機も、ロシアのNATO不信が一因だったともいえる。

 ウクライナ危機は政権運営をロシア寄りに軌道修正したヤヌコビッチ政権(当時)が14年春に親米欧派の市民らによって倒され、その動乱のさなかにロシアがウクライナ領のクリミア半島を併合したのが発端だ。プーチン大統領は当時から同国の政変を「米国の陰謀」と糾弾し、ウクライナのNATO加盟を阻止するためにクリミアを併合したことを示唆している。実際、大統領はクリミア併合を宣言した時の演説で、「(西側は)何度も我々を裏切った」と表明。NATOの東方拡大と国境付近での軍事施設の配備を批判している。

 「米国の陰謀」説に関しても、ロシアが好んで引用する〝証拠〟がある。15年1月末、米CNNによるオバマ大統領のインタビューだ。米大統領はウクライナ危機を招いたプーチン政権を批判するなかで、「我々がウクライナの政権移行を仲介した」と発言したのだ。ロシアのラブロフ外相は即座に反応し、「オバマ氏は政権移行という中立的な表現で、米国がウクライナ反政府勢力による政権転覆に関与したことを認めた」と指摘。ヤヌコビッチ政権の追い落としに米国が加担した〝事実〟が裏付けられたとした。

「約束違反」であり「西側の裏切り」

 ウクライナ問題でも明らかなように、ロシアにとって「NATOの旧ソ連圏への拡大阻止」は安保政策上の最重要課題になっている。旧ソ連のバルト3国はすでにNATOに加盟しているので、西側寄りとされるウクライナ、ジョージア(グルジア)、モルドバの加盟阻止が喫緊の命題となる。

 ただ、仮にNATOの影響力がこの3カ国に及ばなくても、ロシアのNATO不信が消えることはない。そもそもロシアは、NATOの東方拡大そのものを「約束違反」であり「西側の裏切り」とみなしているからだ。

 では、「NATOは拡大せず」という〝密約〟はあったのだろうか。

 プーチン大統領は今年1月、独ビルト紙のインタビューで、1990年当時のソ連側と西独の政治家エゴン・バール氏らとの「一度も公表されていない」会談記録を明かした。バール氏は旧西独のブラント政権下で東方外交を主導した人物として知られる。そのバール氏は「少なくとも軍事機構としてのNATOは中欧に拡大してはならない」と言明したという。同氏はさらに東西ドイツの統一に当たってNATO拡大ではなく、欧州の中心に新たな連合を作る必要性も強調したというのだ。

 NATOの拡大問題については、独シュピーゲル誌もドイツ側の記録として、ゲンシャー西独外相が90年2月10日、シェワルナゼ・ソ連外相(いずれも当時)に「我々は統一ドイツのNATO加盟が複雑な問題を提起していることを熟知している。しかし明らかなことは、NATOは決して東方に拡大しないということだ」と述べたと報じている。

 ソ連は結局、「NATOは東方に拡大しない」との約束を前提に、東西統一後のドイツのNATO残留を容認したとされている。ただし、「NATO拡大せず」との明文化された条文があったのかどうかは、明らかではない。当時はソ連の崩壊はもちろん、NATOの拡大も想定外だったのだろう。

核戦力をめぐる米ロの攻防は激化の一途

 そのNATOの東方拡大は99年、チェコ、ハンガリー、ポーランドの3カ国の加盟で始まった。米ロ間で事実上の手打ちがあったのは、97年のヘルシンキ首脳会談だった。米側はクリントン大統領、ロシア側はエリツィン大統領だった。米国がこの首脳会談で3カ国加盟の見返りに約束したのが、ロシアのG8(主要8カ国)入りだった。

 NATOの東方拡大はその後も続き、2004年には旧ソ連の構成共和国だったバルト3国も加盟した。一方でロシアは、14年春のクリミア併合を機にG8の枠組みから排除された。ウクライナ危機をきっかけにバルト・東欧諸国はロシアの脅威をことさら訴えるようになり、米国はNATOの対ロ防衛能力の強化に動き始めた。ロシアはそんな米国への対抗意識をむき出しにし、核兵器の近代化や再配備に努めているのが現実である。

 米ロは世界の核弾頭の9割以上を保有する。核廃絶に向けては米ロが率先して核軍縮に取り組む必要があるが、現状ではその機運は全くみられない。英エコノミスト誌は今年1月、米国の現政権が30年間で1兆ドルを投じ、核兵器の更新を計画していると報じた。オバマ大統領の唱える「核なき世界」の理想と、核戦力をめぐる米ロの激しい攻防が続く現実。その落差はあまりに大きい。

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