岡倉天心『日本の覚醒』を読む-3

「攘夷」というか悪にまみれた世界から隔絶した社会の中で暮らせたらという思いはあります。幕末から明治に生きた人はそう思っていたのでは。鎖国は北朝鮮やキューバのように経済的困窮を齎しますが魅力はあります。現実的には無理ですが。ペリー来航以来の百年を米国との「百年戦争」と林房雄は捉え『大東亜戦争肯定論』に書いております。外国人が入ってくるのを嫌うわけでなく、彼らの価値観をゴリ押しされるのが堪らないためです。Cultural imperialism です。「入郷随俗」できなければ来てもらう必要はありません。

大東亜戦争も昨日のルトワックのいうように勝ち目はありませんでした。ここにあるようにそうそう神風が吹くことはありません。猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』に陸軍は識者に戦争になった場合の結果を調査させ、「敗戦」となったのを握りつぶしました。国力が余りに違いすぎるからです。日本は戦争途中で講和をと考えていたようですが、日露戦争の時のアメリカの役割を演じてくれる国はありませんでした。あまつさえ参戦してくるロシアに仲介を頼もうと考えていました。国際情勢に疎いままで戦争に入ることほど愚かなことはありません。ABCD包囲網を敷かれた段階でアウトです。大戦略で同盟関係を作って戦う方が有利でした。せめて昭和天皇の「開戦の詔勅」

http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm を主要な外国語に翻訳して世界に流していれば、戦後アメリカ、GHQの検閲での日本国民への洗脳工作や侵略戦争の汚名をきせられることもなかったのではと思います。

内容

To Japan the armed embassy of the United States of America in 1853 seemed a dread image of that White Disaster whose advent had proved so fatal to other Eastern countries. Eleven years before that event the Opium War in China had exposed the unscrupulous nature of Western aggression. The Dutch, who kept us informed of the European encroachment on Asia, did not hesitate to enhance the value of their friendship by painting the deeds of other Western nations in the darkest colors. In fact, unfortunately, we had already had some experience of foreign rapacity in the Russian advance from the north.

It is a curious coincidence that the first European nation—and let us hope it may be the last—whom we have met in battle array is the power whose acts first warned us of the possibility of foreign complications. Russia, sweeping down from Siberia and Kamchatka, long ago laid her hands upon our territory of Sakhalin and the Kurile Islands. In the end of the eighteenth century the Russians committed ravages in Yezo itself, and in 1806 the Tokugawas had to place a military governor in Hakodate to guard against their further depredations. Alarming stories of Northern encroachments were poured into our excited ears, and many daimios offered by themselves to chase back the intruders. In 1830 Nariaki of Mito, a powerful prince of the Tokugawa family, proposed to settle in Yezo with all his retainers and the entire population of his daimiate. He melted all the bronze bells of the temples in his territory, casting a number of immense cannon, and drilled his samurai in preparation for an emergency. His zeal was, however, misconstrued by the Tokugawa government and he was obliged to abdicate in favor of his son and remain in retirement. Russophobes were imprisoned for spreading false alarms, and many died in confinement. It is interesting to find among some of their memoirs prophecies of Russian aggrandizement in Asia which have been but too truly fulfilled.

The appearance of American warships in the bay of Yedo was a mighty shock. Hitherto the alarms of foreign attack had meant but little to the country at large, for it was a long cry to Hakodate or Nagasaki; but now within a day’s march of the city of Yedo lay the black hulks of a formidable fleet whose admiral refused to retire until a treaty was signed. Recollection of the Tartar armada flashed through the minds of our grandfathers. Was the samurai to be intimidated in his own waters? Was not the divine land always prepared to repel an invasion? What right had a foreign nation to impose a commerce which we did not want, a friendship which we did not ask? To arms! Jhoi! Jhoi! Away with the barbarians! The alarm-bells clanged throughout the country. Foam-covered riders rushed through every castle gate, spreading the momentous news. Spears were torn from their racks and ancient armor was eagerly dragged from dust- covered caskets. Night and day could be heard the clanging of steel on anvils forging the accoutrements of war. The old prince of Mito was summoned from his hermitage to take command, and his cannon lined the principal points of defence. Buddhists wore away their rosaries invoking Kartikiya, the war-god, and Shinto priests fasted while they called on the sea and the tempest to destroy the invader.

The historic spirit that had been smoldering in our national consciousness only waited for this moment to burst forth in a fiery expression of unity. Custom and formalism were alike forgotten in this hour of common danger, and for the first time in two hundred years the daimios were asked by the Tokugawa government to deliberate over a matter of state. For the first time in seven centuries the Shogun sent a special envoy to the Mikado to consult about the policy of the empire, and for the first time in the history of our nation, the high and the low alike were invited to offer suggestions as to what steps should be taken for the protection of the ancestral land. We became one, and the Night of Asia fled forever before the rays of the Rising Sun.

日本にとっては、一八五三年のアメリカ合衆国の武装使節は、東方諸国にすでにかずかずの災厄をもたらしていた白禍のおそるべき姿と映った。それより十一年前には、中国の阿片戦争が、西洋の侵略の傍若無人ぶりを暴露していた。ヨーロツバのアジア侵食を日本に知らせていたオランダは、ただちに他の西洋諸国の行動についての情報を日本につたえ、その友情のほどを強調したのであった。不幸にして日本は、すでにロシアの北辺進出によって、外国の侵略性について多少の経験をもっていた。

奇妙な一致であるが、われわれが最初に—そしてこれが最後であってもらいたいのだが—戦場にまみえたヨーロツバの国は、その行動によって対外紛争の可能性をわれわれに最初に予告した国であった。シベリアとカムチヤツカから南下したロシアは、かなりまえから、わが領土である樺太、千島列島に手をつけていた。十八世紀末には、ロシア人は、蝦夷地にまできて乱暴をはたらき、徳川幕府は一八〇六年、函館に奉行をおいて彼らの略奪の警戒にあたらせねばならなかった。北方侵略の警報は、日本人を興奮させ、多くの大名が進んで外敵撃退の任にあたることを申し出た。

一八三○年には、徳川一門の有力な大名、水戸の斉昭が、全部の家臣と領民をつれて、蝦夷地へ移り住むことを申し出た。彼は、領内の寺院の鐘をとかして大砲をつくり、一朝事ある場合にそなえて家臣の練兵をおこなった。しかしながら、彼の熱心さは徳川幕府の誤解をまねき、斉昭は、領主の地位を息子にゆずって隠居せねばならなくなった。恐露主義者たちは、虚報をひろめたかどで投獄され、獄死したものも少なくなかった。彼らの手記のうちには、アジアにおけるロシアの拡張を予見したものも見いだされるが、それがあまりにも的確に的中したことは興味深い。

アメリカの軍艦が江戸湾にあらわれたことは、大きな衝撃であった。これまでは、外敵来襲の警報があげられたといっても、遠い函館や長崎のことであり、一般国民にとっては直接的なひびきをもたなかった。ところが今は、江戸からわずか一日でゆけるところに、おそるべき黒船の艦隊があらわれて、条約をむすぶまでは帰らないとがんばっているのだ。モンゴルの艦隊の記憶が、祖父たちの心にひらめいた。サムライが自国の水域でおどかされて、引きさがっておれるであろうか?神州はつねに外敵の侵入を擎退する用意をととのえていたのではなかったか?いったい外国に何の権利があって、望みもしない通商、たのみもしない友好をおしつけるのか?武器をとれ!攘夷!攘夷!夷狄をおいはらえ!

警鐘が、国中に鳴りひびいた。汗にまみれた騎馬のサムライが、城門という城門から駆け出してきて、一大事をつたえた。槍は槍かけから引きおろされ、先祖伝来の鎧が鎧櫃からとり出された。昼夜を分かたず、鉄敷の上で武具をきたえる音が聞こえた。水戸の老侯が隠居の身から呼びもどされて、指揮をとり、彼のつくらせた大砲が国防の要所にならべられ た。僧侶は、軍神カーテイキヤ〔インドの戦いの神。仏教では大元帥〕の加護を祈って数珠をすりへらし、神官は、海と暴風が侵略者を滅ぼすことを祈って断食した。

わが民族意識のうちにくすぶっていた歴史的精神は、今やその時をえて、焔のように燃えあがった。慣習や形式主義は、共通の危機のまえに忘れられ、幕府は二百年来はじめて諸大名に国事をはかった。七百年来はじめて将軍は、国の政策を相談するために特使をミカドに送り、有史以来はじめて一般人民は、先祖伝来のこの国をまもるための意見を問われた。日本人は一体となり、アジアの夜は、さしのぼる朝日のまえに、永遠に消えうせたのであった。

 

エドワード・ルトワック『戦略論』について

エドワード・ルトワック(Edward Nicolae Luttwak、1942年11月4日-)は、ウイキによると「アメリカ合衆国の歴史学者。専門は、軍事史、軍事戦略研究、安全保障論。ルーマニアで生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で博士号取得。現在、戦略国際問題研究所シニアアドバイザー。」とあります。

この本は400ページもあり、固い文章なので読みやすいとはとても言えませんが、小生の感想をコンパクトに述べます。経営戦略論ではない戦争の戦略論です。あくまでも小生の解釈が入りますのでお含みおきください。

  1. 戦略の逆説的論理・・・攻撃でも防御でも、大勝するのはダメ。成功の復讐を受ける。成功は失敗の母。戦線が拡大すれば、兵站線が伸びきって、脆弱となる。攻撃ではヒットラーのポーランド、フランス、ソ連への電撃的侵攻、日本の真珠湾攻撃。防御の例では第一次大戦のフランス軍のドイツ軍に対するヴェルダン要塞の戦い。ベトナム戦での仏軍のデイエンビエンフーの戦い。逆説の論理で言えば古代ローマの諺に有名な「汝、平和を欲するなら、戦争に備えよ」というのがある。「すべてを守ろうとする者は、何も守れない。或いは、勝利は過剰となりうる」と言うこと。
  2. 技術の成功・・・武道で免許皆伝は口伝にするのと同じ。新しい技術が開発されるとそれに対抗する技術が開発される。第二次大戦で、英国のレーダー開発の成功に対してドイツは準備不足。ドイツの警戒レーダーが英の対抗措置「ウインドウ」で無能力化。「ウインドウ」とは航空機編隊を偽装して気流に束で放出される反射金属片のこと。これに対しドイツ空軍は効果的な対抗措置として、ジャミング(敵対的信号妨害)に殆ど影響されない夜間戦闘向けの高周波レーダー、昼間戦闘機の搭乗員による地上の炎の環境光を利用した新戦術、改良された警戒追跡レーダー、大幅に改善した地上からの「実況的な」迎撃機の完成などを採って対抗した。
  3. 人道支援が紛争を長引かせる・・・国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が典型例。最大・最長で今も継続している人道介入。難民キャンプでは自活の道を閉ざされ、年長者の管理下で復讐と再征服の義務を教え込まれるだけ。「難民状態を恒久化させ、人工的に怒りを温存させて終わりなき紛争の火に油を注ぐことは、十分に悪い、しかし、物質的援助を戦闘状況に投入することはもっと悪い。高潔さを漂わせて活動する多くのNGOは、日常的に戦争の兵站を供給する。無防備な彼らは、配給所、クリニック、シェルターから現役兵士を排除することはできない。難民はおそらく敗者であり、その中には退却した兵士もいるだろう。彼らを助けることによって、NGOは戦争を終わらせることができる決定的な勝利への敵の前進を体系的に妨げている。また極端な不偏的立場から、NGOは時に敵味方双方を助け、相互に消耗することで戦争が平和に転換するのを妨害することもある。」
  4. 人口動態の影響・・・「犠牲を恐れて(これこそ例外的であるが)戦争を思いとどまらせる社会的変化は、繁栄が齎す副次的効果であり、繁栄自体が平和の副次効果である」(人命重視の時代)。欧州一の少子化のイタリアのマンミズモ(母親の息子への溺愛の意味)の例。小生はその意味では中国の小皇帝もその例と思いますが、極端な男女比で男子が多すぎるので損耗を恐れないかも。兵士の損耗を考えればロボット化、無人化へ行くでしょう。
  5. 消耗と機動・・・「消耗は産業的手段によって行われる戦争であり、敵は目標の集合体以上のものとしては扱われず、その目的は優れた火力と全般的な物量の力による累積的な破壊を通じて勝利すること。機動は、その目標として敵の物理的存在そのものを破壊することではなく、システムに対する様々な形態の妨害を通じて相手を無力化すること。消耗を指向する側は目標を探すため敵の能力に着目するので相手の能力を過大評価するのに対し、機動を指向する側は敵の弱点に着目するので相手の実力を過小評価しやすい。機動は①物量で劣る側にも勝利の可能性②誤った情報によって予期せぬ力に遭遇する状況では完全に失敗する可能性がある。」
  6. 弾力的防衛・・・「敵の主攻撃を回避し、自在に機動して最大の力を結集した結果として得られる行動の自由によって防御側も攻撃側が持つあらゆる利点を得る。そのうえ、防御側は土地勘があり、友好的と考えられる環境で戦うという本来の優位を保持したままである。純粋に軍事的観点からは理想的に見えることがあるが、統治者の観点からは富・繁栄・支配面から好ましくない。」小生思いますに蒋介石、毛沢東の採った作戦ですが、単に命惜しさに逃げ回っただけと思います。
  7. 弾力的防衛<浅めの縦深防衛<排除的防衛<積極防衛(まったく防衛せず、直ちに反撃。例は第四次中東戦争のイスラエル)
  8. 過剰な兵器・・・「過剰な破壊力によって引き起こされた軍事的有用性の低下は、核兵器も完全に戦略の逆説的論理に左右されていることを、あからさまに示している。多数の大型核融合弾頭によって戦われる紛争は、確実にこれまでのあらゆる戦争と異なる特殊な状況となったであろう。結果として起こる破壊においては、戦時体制、戦争文学、戦時プロパガンダ、戦時法制など、あらゆる戦争に関するものが存在する余地はなかっただろう。しかし、そこで適用される独特な論理はない。これまで、技術、戦術、作戦、戦域レベルを通じて分析してきたのと同じ戦略の論理によって核戦争の自己否定が説明される。この点については大戦略のレベルに到達した際にも論じることになろう。」相互確証破壊の論理で、核保有国同士は核戦争によって得られる国益はないため戦争にはならない。
  9. 真珠湾攻撃の評価・・・そもそも米国との開戦を決意した時点で日本に勝ち目はなく、むしろ真珠湾攻撃で大敗していた方が米国の余計な怒りを招かず、戦後の寛大な条件を引き出せたかもしれないとのこと。これは、戦争が大戦略のレベル(同盟、国力等で)で決することを強調し、戦術や作戦レベルで勝てたとしても持続できないことを理解する必要がある。
  10. 結論・・・勝ちは負けに繋がり、負けは勝ちに繋がる。糾える縄の如し。

 

1/17日経『日本の対中直接投資、14年は38.8%減 最大の落ち込み』、産経『2013年度末の家計資産は2686兆円 株価上昇で2年連続増加』の記事について

中国の末期症状が進んでいます。いい傾向です。共産党の指導の下に反日デモ(あの国にはデモをする自由はないのですから)をやられ、略奪・放火何でもありのことまでやられてまだ投資する企業がある事自体不思議ですが。やがて自業自得の場面が出てくるでしょう。記事にあるように英韓以外は中国の投資を増やしていません。また中国の独禁法を使って用済みの外資or賄賂を取った企業のライバルの外資を追い出そうとしています。ルトワックが言っていますように、「韜光養晦」を止め、「有所作為」になって驕り高ぶれば、弱者連合が出来、中国の封じ込めに行くだろうと。でも、尖閣を取るために中国は着々と準備を進めています。浙江省の南キ列島に基地を造り、レーザー兵器を配備する可能性もあるとのこと。http://news.livedoor.com/article/detail/9663058/ このような国を富ませるために、投資・技術の提供をするのは愚かです。

産経の記事の基になりました内閣府の発表では「13年末の国民総資産は7.2%増(前年比)の9294.6兆円、負債は9.9%増の6245.9兆円、国民総資産―負債=国富2.1%増の3048.7兆円。国富は企業の純資産に相当する。(日経)」とのこと。財務省が国・地方の債務が1000兆円を超えたと騒ぎ、消費税増税しようとしていましたが、ストックで3000兆円もあるというのですから何をかいわんやです。産経の記事は株価上昇効果が家計に及んだことを強調しようとしたもので、マクロで見るときには日経の記事の方が分かり易いです。でも1/18日経に伊奈久喜が「(風見鶏)日経平均が選挙を決める」記事を書いていました。庶民にはマクロより自分の手元が増えるかどうかが景気がよくなっているかどうか実感できます。株価が上がればトリクルダウン効果はやがて現れます。(下のグラフは日経より)

japan national asset

『日本の対中直接投資、14年は38.8%減 最大の落ち込み』記事

【北京=阿部哲也】日本企業の中国離れが加速している。中国商務省によると、日本の対中直接投資額(実行ベース)は2014年に前年比38.8%減の43億3千万ドル(約5040億円)となり、統計が比較可能な1985年以降で最大の落ち込みを記録した。日中関係の悪化に人件費の高騰などが重なり、製造業を中心に投資を絞り込む動きが広がった。

 日本の対中投資が前年実績を下回るのは4.3%減った13年に続いて、2年連続だ。日中経済協会によると、下落率は天安門事件の影響で投資が急減した89年(35%減)を上回り「過去最大級」という。中国に進出する日本企業の間で、3つの悪材料が重なったためだ。

 第1が日中関係の悪化だ。12年秋に沖縄県尖閣諸島の領有権を巡る対立が激しくなると、中国全土で大規模な反日デモや日本製品の不買運動が広がった。昨年11月に日中首脳会談が実現するまで「中国リスク」への警戒感は強く、現地での事業拡大や新規進出を見送る日本企業が急増した。

 一般的に実行ベースの直接投資額は、企業が取締役会などで投資の可否を決めてから6カ月~1年かかって統計数字に表れる。12年秋以降に対中投資の縮小を決めた日本企業は多く、14年になって日中間の対立の悪影響が投資額の急減という形で表れた。

 第2が中国事業を取り巻く環境の激変だ。「世界の工場」として世界中の製造業の進出が相次いだ中国では、北京や上海など主要都市だけでも最低賃金が10年比で1.5倍以上に上昇した。土地の使用料など工場新設にかかるコストも上昇傾向にある。

 安価な労働力に引かれて進出した日本企業の間でも戦略の見直しが相次ぐ。すでに東芝が遼寧省大連市で手がけていた薄型テレビ生産から撤退し、機能をインドネシアに集約した。製造業を中心に中国の拠点を東南アジアなどに振り向ける「チャイナ・プラス・ワン」の動きが広がる。

 第3が中国政府の産業政策の変化だ。経済成長を優先した胡錦濤前政権時代までは、国内総生産(GDP)の押し上げ効果が大きい製造業の進出が歓迎され、地方政府などの外資優遇策も充実していた。

 しかし習近平指導部は「産業の高度化」を旗印に掲げ、優遇分野を先端技術業種に絞り始めている。「単純なモノ作りだけでは対中投資を増やしづらくなった」(電機大手)との声は多い。

 逆風は欧米やアジアの企業も同様だ。14年は全世界からの対中投資も1.7%増にとどまった。韓国や英国は2ケタ増となったが、米国からは20.6%減り、東南アジア諸国連合(ASEAN)からも23.8%減少した。

 外資を対象に独占禁止法違反を相次いで摘発する動きなどもあり「公正な競争環境を整備してほしい」(欧州連合の在中国商工会議所)との懸念は強い。

 日本企業による対中投資は契約件数ベースでも減少傾向にあり、投資実行額は15年も低迷するとの見方は多い。ただ足元では対中事業の強化に動く企業も増えつつある。

 日東電工は15日、山東省青島で中国初となる研究開発センターを開所した。環境や農業など中国が産業振興に力を入れる最先端分野を開拓するためだ。「中国は売上高の3割を占める最重要市場だ。経済の構造変化で商機は広がる」(高崎秀雄社長)という。イオンが昨年12月、湖北省武漢に内陸初の大型店を開くなど、消費関連企業の進出も活発になっている。

decrease of investment for china

『2013年度末の家計資産は2686兆円 株価上昇で2年連続増加』記事

内閣府が16日発表した2013年度の国民経済計算によると、13年末時点の家計資産残高は前年比4・0%増の2686兆9千億円となり、2年連続で増加した。資産から負債を差し引いた正味資産も4・4%増の2328兆3千億円と、2年連続の増加だった。

 株価上昇により、金融資産が6・5%増の高い伸びとなったことを反映した。土地などの非金融資産は、ほぼ横ばいの0・2%増だった。

 国全体の資産から負債を差し引いた国富は2・1%増の3048兆7千億円となり、6年ぶりに増加した。円安で海外資産の保有価値が上昇したことも後押しした。

 対外純資産の残高は9・7%増の325兆円と、比較可能な1980年以降で最高だった。3年連続の増加となった。

 国や地方自治体などを合わせた一般政府は、正味資産が4千億円のプラスとなり、3年ぶりに債務超過から脱した。

 

 

 

 

 

スマホ投稿テストです。

昨日はセカンドライフファクトリーのスマホサークルの集まりがありました。
ガラケーの電話帳をスマホに移管する事もできました。
スマホから小生のブログにデータを飛ばすこともやっとの事でできました。画像が難しかったです。
下の写真は1/11に開催しました林成蔚先生の講演会の写真です。

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1/15産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】『「韓国はなぜ日本だけを標的にする?」歴史問題で欧米から疑いの目を向けられるようになった韓国妄執“自業自得” 』について

「韓国はなぜ日本だけを標的にする?」とありますが、何も反論しないで来たからです。いじめられっ子でずっと来たからです。戦後GHQに擦り寄り、その後中華・小中華の賄賂工作・ハニートラップにかかっている政治家・官僚・経済人は多いと思います。そうでなければ、日本人の名誉が傷つけられていて平気でいられるはずがありません。そんな人間はリーダーの名に値しません。今年は戦後70年、中華・小中華は日本を貶める宣伝戦をしてくるでしょう。アメリカは外形上は中立を保つはずです。日本と中華・小中華の問題ですから。でもペンタゴンは韓国に相当イラついていると思います。

今“マッサン”が人気です。竹鶴政孝が「いいものを作れば売れる」と言うのは一つの見識ですが、それは必要条件で「いいものを手に取って戴くための説明」が必要になります。国際政治でも同じで「正しいことをやってきたのだから分かって貰える」と言うのではダメで、国際世論に対し日本の正しさを主張しなければなりません。敵は改竄・捏造が得意な連中ですから今や武力行使の戦争の形態ではなく、如何に外交的に相手のイメージを下げ、国力を弱めようかという戦争の時代に入っていることを国民一人ひとりが自覚することが大切です。

1/14産経ニュースは「自民党は14日、国際情報検討委員会(原田義昭委員長)などの合同会議を党本部で開き、慰安婦問題や南京事件などで史実と異なる情報が海外で広まっている現状を踏まえ、日本の立場を正確に発信する新型「国際放送」の創設を検討する方針を確認した。中国や韓国などの情報戦略を分析、在外公館による情報発信の拡充についても議論し、今年の通常国会会期内に結論を出すことにしている。 会議で原田氏は「どういう形で相手国に情報が伝わるかにも目配りしながら、正しいことをきちんと発信していくことが大事だ」と述べ、「攻めの情報発信」の意義を訴えた。 英語による海外への国際放送は現在、「NHKワールドTV」がある。しかし、検討委は「従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため、今日の事態に十分対応できない」として、新型「国際放送」の創設を挙げた。 昨年11月に北京で開かれた日中首脳会談直前の日中両政府の合意文書に関し、中国側が「意訳」した英訳文を日本側より早く公表し、外国メディアに引用されたケースもあった。検討委は、外交文書や論文を外国語で迅速に発信するよう政府に求める方針だ」と報道しました。左翼に乗っ取られたNHKを当てにするのは馬鹿馬鹿しく、方向的には正しいと思います。

英・独・仏・露・中・スペイン・ポルトガル・アラビア語で報道するようにした方が良いと思います。しかし、宮崎正弘氏は「敵国に通じる第五列(=内通者)や代理人がまだいます。実現にはおおいなる距離があるのではと思います。」とのこと。こんな政治家を選んでいるのは国民です。多分旧田中派(野中に通じる)と古賀の子分や二階のことを言っているのでしょう。選ぶ責任或は選ばない(棄権)責任を感じなければ、民主主義は衆愚政治になります。

記事

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は12日の年頭記者会見で、日韓首脳会談について「日本側の姿勢の変化が重要だ」と曖昧な注文をつけ、慰安婦問題を早期に解決しなければ「韓日関係だけでなく、日本の歴史にも重荷になる」と言い募った。一方的でかたくなな態度には、ため息が出るばかりだ。

冷めた日本政府

 「ムービング(動く)・ゴールポストだ」

 韓国について政府関係者らと話すとき、何度この言葉を聞いたことか。慰安婦問題などで着地点を求めてそこを目指すと、いつの間にか韓国側がゴールをさらに先の方に動かしているという意味だ。

 それでいて韓国側は日本に対し、具体案を示さずに「誠意を見せろ」と要求し続けているのである。

 日本政府は現在、こうした韓国側の十年一日のようなあり方に冷めた視線を向けている。小紙の加藤達也前ソウル支局長の出国禁止のような現在進行形の人権侵害を除き、韓国に対しては「放置でいい」(政府高官)との基本姿勢だ。

何ともやるせない現状だが、予期せぬ効果もあった。韓国が日本だけを標的に歴史問題にこだわればこだわるほど、欧米で「なぜなのか」という疑問が高まり、客観的な事実関係を知ろうという新しい動きが出てきているのだ。

 今年に入り、韓国メディアは相次いで次のような米国の元政府高官の「妄言」を伝えている。

 「日本は過去、恐ろしいことをしたが、韓国もベトナム戦争の際は非常に冷酷だった。ベトナムではそれが非難を浴びている」(デニス・ブレア元国家情報長官・太平洋軍司令官)

 「日本は韓国人戦争犠牲者に8億ドルを支払ったが、当時の朴正煕政権が慰安婦と呼ばれる被害者たちに伝えていなかった。古傷が治癒しない理由がここにある。韓国は、ベトナムで韓国軍が民間人に犯した行為を脇へ置いて、韓国と国交を結んだことを考えるべきだ」(ロバート・シャピロ元商務省次官)

欧米も疑問視

 欧米メディアも昨年来、韓国側の負の歴史に注目するようになり、日本を執(しつ)拗(よう)に非難する韓国の外交姿勢に疑問の目を向け始めた。次のような報道がだんだん目立つようになってきた。

 「慰安婦問題は、政争の具として利用されるべきではない。結局、日本から支払われた何億ドルもの賠償金を、犠牲者のためにではなく、莫大(ばくだい)な公共事業のために使ったのは朴大統領の父親だ」(米フォックス・ニュース)

 「ライダイハンはベトナム戦争中、ベトナム人の母親と韓国人の父親の間にもうけられた子供を指す。多くは韓国人兵士によるベトナム人慰安婦への虐待から生まれた」(米CNN)

 「韓国には、米軍基地周辺に基地村と呼ばれる売春街が存在した。ここで働いていた元米軍慰安婦120人以上が、『韓国政府が米軍のために組織した』として、1人1千万ウォンの賠償を求めて韓国政府を提訴した」(英BBCニュース)

 元米軍慰安婦の訴訟に関しては昨年末、米軍準機関紙「星条旗新聞」も取り上げている。朴大統領が慰安婦問題を提起し続けた結果、韓国が触れてほしくない問題もまた、白日の下にさらされることになった。

日本は過去の経験から、韓国にいくら譲っても結局、ゴールポストを動かされるだけだと見切った。韓国側も、そろそろ歴史カードの乱用は控えないと「重荷」になるばかりではないか。(政治部編集委員)

岡倉天心『日本の覚醒』を読む-2

昨日は上橋柏市会議員と一緒に靖国に行き、初めて昇殿参拝しました。荘厳な中にも心が洗われるような静謐な時の流れを感じることができました。また梨本宮隆夫殿下と会い挨拶させて戴きました。3/8の上橋議員の新春パーテイで講演して戴くためです。

さて、本日は岡倉天心の『日本の覚醒』第二弾です。天心は書物だけで漢民族を判断していたのではと思えます。時代の制約です。それでも当時の西洋の阿漕さには比べようもないですが。また当時中国は満州族に統治されていました。アジアの民が団結して欧米列強に対抗するのは無理でした。天心の「アジアは一つ」式の考えが昭和の軍人に伝承されたとしたら、天心は大きな間違いを犯したことになります。中国人の本質を理解していなかったということです。

内容

In Japan the race of those fiery patriots who fifty years ago shouted, “Away with the Western barbarians!” with all the lusty enthusiasm of the Chinese Boxers, is entirely gone. The tremendous change which has since come over our political life, and the material advantages we have gained by foreign contact, have so completely revolutionized national sentiment in regard to the West that it has become almost impossible for us to conceive what it was that so aroused the antagonism of our grandfathers. On the contrary, we have become so eager to identify ourselves with European civilization instead of Asiatic that our continental neighbors regard us as renegades–nay, even as an embodiment of the White Disaster itself. But our mental standpoint of a few generations back was that of the conservative Chinese patriot of to-day, and we saw in Western advance but the probable encompassing of our ruin. To the down-trodden Oriental the glory of Europe is but the humiliation of Asia.

If we place ourselves in the position of a Chinese patriot shall be able to understand how the march of events appeared to our grandfathers. Their fears were not altogether without reason, for to the wounded of Orientals history will tell of the gradual advance of the White Disaster which was descending on Asia. The Italian Renaissance marks the time when, freed from its chains, the roving spirit of Western enterprise first began to seize upon any corner of the globe where was aught to be gained. When Marco Polo returned from the Chinese court, fee bore tidings of the untold treasures of the extreme Orient. America was merely an accidental discovery on the part of Spain in her attempt to reach the coveted wealth of India. We can recall those days of Portuguese cruelty and Dutch treachery, when the cow’s hide gained a colony and the concession for a factory resulted in the establishment of an empire.

The beginning of the seventeenth century shows the rise of the East India companies of the French, Dutch, Danish, and English, the gratification of whose political ambitions, however, remained as yet unsatisfied owing to the struggles of mutual rivalry, the solidity of the Mussulman power of Delhi, and their awe of that great Turkish empire which still bravely bore the brunt of Western advance and often hurled it back to the walls of Vienna. But the brightness of the Crescent was fast waning before the combined persistence of the West, and soon the disastrous treaty of Kutchuk-Kai- narji inaugurated the imposition of Russian interference in the affairs of the Porte. In 1803 the last of the Grand Moguls became a British pensioner. In 1839, Abdul Medjid ascended the throne of Osmanli under the “protection” of European powers.

With the increase in credit and capital during the latter half of the eighteenth century, the inventive energy of European industrialism is set in motion. Coal takes the place of wood in smelting, and the flying shuttle, the spinning-jenny, the mule, the power-loom, and the steam-engine all spring up in formidable array. Commercialism makes the very life of the finding markets for her goods. Her role is now to sell, and that of the East to buy. War is her factories, and the protests of her more humane statesman are drowned in the noise of thundering mills. What chance has individualized Eastern trade against the sweeping batteries of organized commerce? Cheapness and competition, like the mitrailleuse, under whose cover they advance, now sweep away the crafts. The economic life of the Orient, founded on land and labor and deprived of a protective tariff through high-handed diplomatic action, succumbs to the army of the machine and capital.

What has become of India? It is to-day a country where die names of Asoka and Vikramaditya are even forgotten. It is a country of rajas whose breasts are starry with dishonor, and of national congresses that dare not protest. Burma was in existence but yesterday: in the rubies of Thebaw cries the innocent blood of Mandalay. The Kohinoor is even as a teardrop of Golconda. What need to mention the painful comedies enacted in Persia and Siam or to call attention to the “protectorate” established by France over Tonkin? Protectorate! Against whom?

In 1842 a Christian nation forces opium on China at the mouth of the cannon and extorts Hongkong. In 1860, on a slight pretext, the joint armies of France and England invade Pekin and sack the Summer Palace, whose treasures are now the pride of European museums, while the Russians always maintain a steady encroachment upon the hereditary domains of the Celestial Empire along the borders of the Amur and Ili. The kindly intervention of the Triple Coalition after the Japanese war was but a farce,for thereby Russia gained Port Arthur, Germany Kiauchau, and France a tighter grasp on Yunnan. It is true that the defilement of their sacred shrines goaded the Boxers to a passionate outburst of fury; but what could their old-fashioned arms avail against the combined armies of the allied powers? Their ill-judged efforts only resulted in the heaping of indignities upon China and the payment by her of exorbitant indemnities. In spite of repeated promises of evacuation, Russia has endeavored to establish herself permanently in Manchuria, and the persecuted inhabitants of that province behold the graveyards of their beloved forefathers turned into railway stations,while Cossack horses find stabling in the sacred Temple of Heaven. If Asia was old-fashioned, was Europe just? If China tried to lift her head, if the worm turned in its agony, did not Europe at once raise the cry of the Yellow Peril? Verily, the glory of the West is the humiliation of Asia.

日本では、熱烈な愛国者たちが中国の義和団のように熱狂的に「攘夷」を叫んだのは、五十年前のことであったが、今はそのかげさえない。以来わが国の政治生活におこった大変革 と、外国との接触によってえた物質的利益のために、西洋にたいするわが国民感情はまったく一変し、祖父たちが何であのように西洋人に敵意をいだいたのか、理解にくるしむほどになってしまった。それどころか、アジア文明のかわりにヨーロッバ文明と提携しようとするわれわれの熱心のあまり、大陸の隣人たちは、われわれを裏切者、いや、時には白禍そのものとさえ見るにいたった。

しかしながら、数代前の日本人の見地は、今日の中国の保守的愛国者のそれとおなじであり、西洋の進出のうちに日本の破滅の危険しか見ていなかった。ふみにじられた東洋にとって、ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱にほかならない。

われわれが今日の中国の愛国者の立場に身をおいてみるならばわれわれの祖父たちにその時代の動きがどのように映じたかを、理解できるであろう。祖父たちの憂慮は、けっして理由のないものではなかった。なぜなら、東洋人の傷ついた想像にたいして歴史は、せまりくる白禍の東漸を告げていたからである。

イタリアのルネサンス以来、西洋の進取の気性は、その束縛から解放され利益をもとめて、地球上ののこされた一片の土地でもうばいとろうとしはじめた。中国の宮廷からもどったマルコ・ポーロは、極東の無限の富について語った。アメリカは、インドの富に到達しようとしたスペインが、たまたま発見したものであった。歴史は、牛の皮で植民地を獲得し、海外の一商館から帝国をきずきあげた、ポルトガルの残忍、オランダの狡滑を物語っている。

十七世紀のはじめには、フランス、オランダ、デンマーク、イギリスの東インド会社が出現する。 しかし、彼らの政治的野心は、相互の勢力争いと、デリーを都とする回教国の強固さ、そして大トルコ帝国の威力によって、一挙には達成されなかった。偉大なトルコは、西洋の進出を勇敢にくいとめ、しばしばこれをウイ-ンの城壁までおしかえした。しかしながら、新月旗の光輝は、西洋の結束した力のまえに急速にその光をうしなっていった。やがてロシアは、屈辱的なクチユク・カイナルジ条約をおしつけ、トルコにたいする内政干渉を開始した。一八〇三年には、ムガール帝国の最後の皇帝がイギリスの年金をうける身になった。 一八三九年には、アブドゥル・メジッドが、ヨーロッパ列強の「保護」のもとに、オスマン=トルコの王位にのぼった。

十八世紀後半になると、信用と資本の増加とともに、ヨーロッパ産業主義の発明エネルギ—が活動をはじめた。製錬業では、石炭が木炭にとってかわり、飛梭、紡機、ミユ一ル精紡機、動力織機、蒸気機関などが、つぎつぎにすさまじい勢いでとび出してきた。商業主義は、西洋の生活そのものを、商品販売市場の開発に依存させる。今や、西洋の役割は売ることであり、東洋の役割は買うことである。戦いは工場から宣言され、多少とも人道的な政治豕たちの抗議は、とどろきわたる工場の騒音のなかにかき消されてしまう。組織的な商業のはげしい攻勢のまえに、東洋の小さな手工業はひとたまりもない。安値と競争という機関銃の援護のもとに、彼らは同業組合を一掃する。土地と労力に基礎をおき、高圧的な外交によって保護関税をうばわれている東洋の経済生活は、機械と資本の軍隊のまえに屈服した。

インドはどうなったか?今やインドは、アソカ王やヴィクラマーディティヤ王の名前さえ忘れてしまった国である。胸に不名誉の勲章をかざった貴族の国、抗議する勇気もない国民会議派の国である。ビルマはすでに亡びた。テイボーの紅玉には、マンダレーの罪なき民の血の叫びがこもっている。コイヌールの金剛石はまさに、ゴルコンダの涙の一滴である。 ペルシアやシャムで演ぜられた、痛ましい喜劇や、フランスがトンキンを「保護国」とした一幕はあえていう必要もあるまい。「保護国」という。だがいったい、だれから保護するというのか?

一八四ニ年には、一キリスト教国が、中国に大砲をむけて阿片をおしつけ、香港を強奪した。一八六○年には、ささいな口実を設けて、英仏連合軍が北京に侵入し、「夏の宮殿」〔頤和園。西太后の避暑にもちいられた〕を略奪し、宮殿の財宝は今ではヨーロッパの博物館の誇りになっている。いっぽう、ロシアは、アムール、イリの辺境一帯の清国の領土をたえず侵食していた。日清戰争後の好意的な「三国干渉」は、まったくの茶番にすぎず、これによって、ロシアは旅順港、ドイツは膠州湾を得、フランスは雲南を確保したのであった。神聖な祖国が汚されたことをいきどおって、義和団の運動が勃発したが、彼らの旧式な武器では、列強の連合軍のまえにはひとたまりもなかった。思慮に欠けた彼らの行動は、中国にたいする侮蔑を倍加させ、法外な賠償金を支払わされる結果におわった。ロシアは、再三撤兵を約束しながら、永久に満州に腰をすえようとかかり、虐げられた満州の民は、先祖代々の墳墓が鉄道の停車場にかわり、神聖な天壇〔天子が天帝を祀った祭壇。瀋陽に遺跡がある〕 がコサックの馬小屋になるのを眺めていた。

アジアが旧式だったとしても、ヨーロッパは公明正大だったろうか?中国がその頭をもたげようとしたとき、ふみつけられた虫が苦しさのあまりのたうちまわったとき、ヨーロッパはただちに黄禍の叫びをあげたではないかまことに、東洋の栄光はアジアの屈辱にほかならなかった。

1/12産経ニュース【阿比留瑠比の視線】 「米国の傲慢な歴史修正 戦勝国は全てを正当化、敗戦国は我慢…もつわけがない」記事について

日本人が戦後アメリカから刷り込まれた侵略主義について、如何にいい加減だか分かる記事です。文芸春秋の堤堯だったと思いますが、「アメリカの3大原罪としてインデイアンの虐殺、黒人奴隷、原爆投下(1/12にローマ法王は「1945年8月6日、われわれは人類史上、最も恐ろしい惨事の一つを目撃した」と言っております)」と言っていた気がします。スペインとポルトガルによる世界2分割を目指した「トルデシャリス条約」、イギリス等による重商主義、ヨーロッパ諸国による殖民地争奪となった帝国主義等、日本を侵略者として非難するのであればまず「自らを顧みよ」と言いたい。サキ報道官が「河野談話や村山談話を引き継ぐように」なんて話すのは内政干渉も甚だしい。後で訂正しても遅すぎです。結局アメリカは過去自分たちがやってきたことを事実に基づき冷静に見られないということでしょう。歴史の見直しをしようとするとすぐ「歴史修正主義者」の烙印を押し、言論を封殺しようとします。国益が絡むからと思っているのかも知れませんが、アメリカの弁護士と同じく「勝てば官軍、正義の実現よりはどんな手段を使ってでも」という発想に近い。野心に忠実なのがアメリカ人なので。岡倉天心の『日本の覚醒』の中の『白禍』を取り上げていますのは、彼らの欺瞞を暴こうと思っているからです。しかし、日本はルメイに航空自衛隊創設のお礼として勲章まで与えるのですから何をか況やですが。戦後日本人が如何に誇りを失ったかの典型です。

記事

戦後70周年を迎える平成27年は、歴史認識をめぐる「歴史戦」の年になる。米紙ニューヨーク・タイムズなどは早速、日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらか-。

 そんなことをぼんやり思いながら昨年末の休暇中、高校書道部を舞台にした漫画「とめはねっ!」(河合克敏著)を読んでいて、思わず息をのんだ。

 作中、見開きで大きく紹介されていた昭和20年3月10日の東京大空襲を題材にした元教師の書家、井上有一氏の書「噫(ああ)横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)があまりに衝撃的だったからだ。

 「アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄」「親は愛児を庇(かば)い子は親に縋(すが)る」「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる」「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」

 書幅いっぱいに埋め尽くすように書かれた文字は、積み重なり、苦しみながら焼き殺された人々に見える。自身は一命を取り留めたものの教え子を失った井上氏が、血涙で書いたかのような印象を受けた。

約10万人が死亡した東京大空襲は、非戦闘員の殺傷を目的としており、もとより国際法違反である。米田建三・元内閣府副大臣の調査によると、東京大空襲の「作戦任務」(同年3月9日付)の目標は、軍事施設ではなく「東京市街地」と明記されている。最初から一般住民を標的にしていたことは明らかなのだ。

 また、東京大空襲・戦災資料センターが東京都から寄贈された被害者の名簿3万人分のうち、年齢が分かる人について調べた結果がこの空襲の性質を表している。

 それによると、被害者の年齢層で最も多いのは0~9歳の20%で、次いで10~19歳の18%だった。実に4割近くが未成年だったのである。これは通常の戦争遂行行為ではなく、米軍による子供の大量虐殺(ジェノサイド)にほかならない。

 しかも米国は戦後、こうした自らの罪を日本人の目から隠そうとした。明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪(ゆが)めたもの」(明成社)によると、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲で、例えば米軍の東京大空襲での国際法違反行為を指摘したこんな文章を削除した。

 「無辜の一般市民に対して行へる無差別的爆撃、都市村邑(そんゆう)の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌(しんしゃく)の破壊、病院船に対する砲爆撃等、計(かぞ)へ来らば例を挙ぐるの煩に堪へぬほど多々あつた」(信夫淳平氏「我国に於(お)ける国際法の前途」)

「米国は原子爆弾と中小都市焼爆で日本全土を荒廃し数百万人の非戦闘員を殺傷せしめた」(石原莞爾氏・宋徳和氏対談「満州事変の真相」)

 米国は、自分に都合の悪い歴史は堂々と修正し、歴史から抹殺しようとしてきたのである。当時、日本に対する空襲について「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」(ボナー・フェラーズ准将)と自覚していたのは間違いない。

 焼夷(しょうい)弾を使用した夜間無差別爆撃に踏み切ったカーチス・ルメイ少将の下で、作戦計画作成に当たったロバート・マクナマラ元国防長官は記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」(2003年公開)の中でこう赤裸々に証言している。

 「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし、負けていればだ」

 だが、戦勝国は全部を正当化し、敗戦国はすべてを我慢するなどという状態が70年以上ももつわけがない。米国は傲慢になりすぎない方がいい。(政治部編集委員・あびる るい)

 

1/13奥山真司氏メルマガ【アメリカ通信】「私はシャルリー・エブドではない」より

地政学者で国際政治をリアリズムに基づいて見る奥山氏のメルマガが送られて来ましたので紹介したいと思います。今回のフランスで起きたテロ事件の論評ですが、小生が言ってきたことと同様、「表現の自由」にも節度があるということです。NYタイムズは大西哲光、田淵広子(在日と噂されていますが)両記者のようにリベラルを装って日本のデイスカウントをやる偏った記事をレポートするのが多いですが、ディヴィッド・ブルックスは違うようです。

テロを賞賛する人はいないと思います。ボコハラムのように少女を拉致誘拐し自爆テロさせる、またはレイプして性奴隷とすることは神も許さないと思います。イスラム教をわざと曲解した単なるテロリストでしょう。一般の敬虔なイスラム教徒とは区別して考えるべきです。他者の信仰する神や預言者を冒涜するのは許されません。フランスで300万人のデモがあったと言いますが本記事のようにテロのことだけでなく他者の痛みにも斟酌する人が現れてほしかったと思います。この件ではアメリカの方がバランスが取れています。小生の言ったように「ヘイトスピーチ」扱いにしますので。

記事

おくやまです。

NYタイムズ紙の保守派、ディヴィッド・ブルックスが、今回の一連のフランスのテロ事件についてかなりまともなことを書いておりましたので、その記事の要約を。

この記事は、今夜の生放送でもとりあげます。(http://live.nicovideo.jp/gate/lv205842882)

一般的な日本人の感覚として、「他の宗教の開祖を馬鹿にするのはやっぱまずいようねぇ」という感覚があるわけですから、どうも300万人以上でデモする感覚というのは理解しがたいのかと。ただし「発言の自由」というのも彼らが長年血を流して獲得してきた、ある一面では自分たちの宗教よりも大切な「世俗的な宗教」の原則(クリード)ですから、見方によれば両方とも思想・イデオロギーの対立という意味では一緒かと。

向こうの知識人は一様に否定してますが、ここではやはり「文明の衝突」という要因が大きいですね。

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「私はシャルリー・エブドではない」   by ディヴィッド・ブルックス

  • シャルリー・エブド誌のジャーナリストたちは言論の自由の「殉教者」として祝福されるべき存在であることは間違いない。だが、この事実だけは言っておくべきだ。
  • もし彼らが過去20年間においてあのような風刺的な新聞をアメリカの大学のキャンパスで出版しようとしたら、即刻出版禁止であろう。学生や教官たちも、彼らをヘイトスピーチだとして非難するはずだ。大学は彼らの予算をカットして閉鎖に追い込むことになる。
  • パリでの事件にたいする大衆の反応を見てみると、多くの人々がフランスのイスラム系テロリストたちの考えを攻撃した人々のことを不相応に特別扱いして賞賛しているが、その彼らも自分たちの考えに攻撃してくるような発言をする人々にたいしては非寛容だといえる。
  • その一例が、ごく小さな規模で行われている大学のキャンパスでの攻撃にたいする反応だ。
  • たとえばイリノイ大学はローマ・カソリックのホモセクシャルについての見解を教えた教授を解雇している。カンザス大学は全米ライフル協会にたいしてツイッターに厳しい意見を書いた教授を停職にしている。ヴァンダービルト大学は「キリスト教徒がリーダーになるべきだ」と主張したキリスト教団体を不認可にしている。
  • アメリカは預言者モハンマドを馬鹿にした漫画を掲載したシャリル・エブド誌を勇気があるとして賞賛するかもしれないが、元イスラム教徒で無神論者のアヤーン・ヒルシ・アリのスピーチを拒否することが多い。
  • よって、今回の一件は教訓を得るチャンスかもしれない。パリで殺害された漫画家や編集者たちによってわれわれはショックを受けたが、同時にわれわれは、アメリカ国内の議論を呼ぶ人物や扇動家、そして風刺家たちへの対処の仕方について、もっと非偽善的なアプローチを考えるべきであろう。
  • まず最初に言うべきことは、われわれのほとんどが「私はシャルリー・エブドだ」と主張するのは誤りであるということだ。そもそもわれわれのほとんどは、あの雑誌が得意としていたような意図的に不快感を生むような類のユーモアを楽しむような人間ではない。
  • もちろんわれわれが13歳であったら、「ブルジョアを倒せ」といいながら権威に立ち向かって、他人の宗教的信条を馬鹿にすることは「大胆不敵だ」として賞賛されるかもしれない。
  • ところが年をとると、それは幼稚なことに思えてくる。われわれのほとんどは、現実がより複雑なものであるという見方をするようになるし、他者を許せるようになってくるものだ(とくに自分自身の馬鹿さ加減に気づくようになると、人を馬鹿にすることはそれほど楽しいものではなくなる)。
  • われわれは他者が信じている信仰や考えにはささやかな尊敬をしようと努力するようになるものであるし、それを侮辱するよりも相手の言うことを聞いてみようとするものだ。
  • ところが同時にわれわれのほとんどは、扇動者や目立った風変わりな人物が、実に有益な公的な役割を果たすことも知っている。
  • 風刺家や嘲笑家たちはわれわれが誇りを感じているときにもわれわれの弱さやうぬぼれを暴き出すものだ。彼らは成功者の慢心に釘を刺すのである。彼らは最底辺を持ち込むことによって、社会の不平等の凸凹をならしてくれるのだ。
  • うまく効果を発揮すれば、笑いはわれわれの共同体的な短所の問題を解決してくれることになる。笑いというのはわれわれが連帯感を感じることができる究極の経験だからだ。
  • さらにいえば、扇動家や嘲笑家たちは、原理主義者たちのバカらしさを暴くものだ。原理主義者というのはすべてを文字通りに受け取る人々のことであるが、多面的なものごとの見方をできない。彼らは自分たちの宗教が最も崇高だと考えつつも、ほとんどの宗教が一種奇妙なものであるということを理解できないのだ。
  • 嘲笑家たちは、自分たちのことを笑えないような人々の存在を暴き、その周囲のわれわれにたいしてそれを笑うべきものであると教えるのだ。
  • 端的にいって、扇動家や嘲笑家たちのことを念頭に考えると、われわれは最低限の礼節やリスペクトというものを維持したい。ところが、同時に良いマナーや嗜好というものに左右されない、クリエイティブで挑発的な人間たちが活動する場というものものつくっておきたい。
  • このような微妙なバランスを法律や放送コード、それに出演禁止などで崩そうとすると、それは結局あからさまな検閲や、何も言えないような空気を生むことになるだけだ。スピーチを規制したり、演説の内容を規定したり、演者を拒否したりするのは、常に誤りである。
  • 幸運なことに、社会マナーというのは法律や規定などよりははるかに柔軟なものであり、ほとんどの国は礼節や尊敬についての基準をうまく維持しつつ、面白くて下品で挑発的な人間が発言できる場を与えているものだ。
  • ほとんどの国の社会では、大人のテーブルと子供のテーブルがわけられている。ル・モンドのようなエスタブリッシュメントの新聞などを読む人は大人のテーブル、道化師や芸人、それにアン・クールターやビル・マーのような人々は子供のテーブルだ。
  • 彼らは完全な尊敬を勝ち得るわけではないが、それでも彼らの無鉄砲な姿勢からその発言を聞いてもらえるのだ。彼らは時として、誰も言わないが言う必要があることを言うのだ。
  • いいかえれば、健全な社会というのは、発言を抑制せずに、様々な人に様々なことを言わせることができる社会のことだ。
  • 懸命で思いやりのある学者は高い尊敬と共にその発言を聞き入れられる。嘲笑家たちは困惑したような半分の尊敬によってその発言を聞かれる。そしてレイシストや反ユダヤ主義の人間たちは、非難や憎悪というフィルターを通して聞かれることになる。
  • このようなフィルターがいやな人間は、彼ら自身の行為をあらためる必要があるのだ。
  • シャルリー・エブド社での虐殺事件は、スピーチの規制を終わらせるチャンスとしなければならない。そしてこの事件は、われわれに法律的には攻撃的な声には寛容ながら、社会的にはそれを許さないような姿勢が大切であることを思い起こさせるべきなのだ。

岡倉天心『日本の覚醒』を読む-1

本日から3回に亘り岡倉天心の『日本の覚醒』の中の『白禍』をお届けします。これがアメリカで出版されたのが1904年ですので日露戦争が勃発した年です。脱稿した時点ではまだ戦争の決着はついていませんでした。大国ロシアを相手に優勢に戦う日本への警戒、黄禍論が出てきた時代背景がありました。それに対し日本の立場と文化を西洋に理解してもらおうと流暢な英語で書かれた本です。天心の3部作は全部英語で書かれ、『日本の覚醒』の他に『東洋の理想』『茶の本』とありますが、どれも難解です。鈴木大拙や新渡戸稲造の英語の方がはるかに分かり易いです。文章が長いうえに難しい単語が使われているためです。福井藩が横浜に生糸を扱う貿易商店「石川屋」を作り、父覚右衛門を赴任させました。7歳の時から英語塾に入ったため英語はペラペラでしたが、漢籍の修養も積みました。東大卒業後、文部省の役人となり、フェノロサの通訳兼日本美術の調査をし、東京美術学校(現芸大)を設立、後に校長となるも内紛で追い出され、日本美術院を谷中に作って、大観、春草、観山達と行動を共にしました。その後、茨城県北茨城市に六角堂を建て、門下生の育成に励みました。朦朧体も天心の命を受け、大観、春草らが開発したものです。大観は天心を評して「あんな大きい人はいなかった。もうああいう人は生まれてこないだろう」とまで言っているのをTVで見ました。昔のエリートと今のエリートの違いです。

英語と日本語とを載せていますので、英語の苦手な方は英語は飛ばして日本語だけ読んでください。でも英語を訳し訳し読むと天心が何を考えていたか頭に残ります。今回はその一回目。西洋の宣教師が軍事侵攻の先兵として来、西洋は東洋を餌食と考えていたことを見抜いていました。「西洋の言う進歩とは何ぞや。私利私欲のためであるなら進歩を自慢することはできない。大きいだけでは真の偉大さとは言えない。」と。

THE WHITE DISASTER

To most Eastern nations the advent of the West has been by no means an unmixed blessing. Thinking to welcome the benefits of increased commerce, they have become the victims of foreign imperialism; believing in the philanthropic aims of Christian missionaries, they have bowed before the messengers of military aggression. For them the earth is no longer filled with that peace which pillowed their contentment. If the guilty conscience of some European nations has conjured up the specter of a Yellow Peril, may not the suffering soul of Asia wail over the realities of the White Disaster.

To the mind of the average Westerner it may seem but natural to regard with feelings of unmingled triumph that world of to-day in which organization has made of society a huge machine ministering to its own necessities. It is the rapid development of mechanical invention which has created the present era of locomotion and speculation,a development which is working itself out into various expressions, as commercialism and industrialism, accompanied by a tendency toward the universal occidentalization of etiquette and language. This movement, resulting in a rapid expansion of wealth and prestige, originated in a profound realization of the glory of manhood, of comradeship, and of mutual trust. The restlessness that constantly moves its home from the steamer to the hotel, from the railway station to the bathing resort, has brought about the possibility of a cosmopolitan culture. The nineteenth century has witnessed a wonderful spread in the blessings of scientific sanitation and surgery. Knowledge as well as finance has become organized, and large communities are made capable of collective action and the development of a single personal consciousness.

To the inhabitant of the West all this may well be food for satisfaction; to him it may seem inconceivable that others should think differently. Yet to the bland irony of China the machine appears as a toy, not an ideal. The venerable East still distinguishes between means and ends. The West is for progress, but progress toward what? When material efficiency is complete, what end, asks Asia, will have been accomplished? When the passion of fraternity has culminated in universal co-operation, what purpose is it to serve? If mere self-interest, where do we find the boasted advance?

The picture of Western glory unfortunately has a reverse. Size alone does not constitute true greatness, and the enjoyment of luxury does not always result in refinement. The individuals who go to the making up of the great machine of so-called modern civilization become the slaves of mechanical habit and are ruthlessly dominated by the monster they have created. In spite of the vaunted freedom of the West, true individuality is destroyed in the competition for wealth, and happiness and contentment are sacrificed to an incessant craving for more. The West takes pride in its emancipation from medieval superstition, but what of that idolatrous worship of wealth that has taken its place? What sufferings and discontent lie hidden behind the gorgeous mask of the present? The voice of socialism is a wail over the agonies of Western economics,—the tragedy of Capital and Labor.

But with a hunger unsatisfied by its myriad victims in its own broad lands, the West also seeks to prey upon the East. The advance of Europe in Asia means not merely the imposition of social ideals which the East holds to be crude if not barbarous, but also the subversion of all existing law and authority. The Western ships which brought their civilization also brought conquests, protectorates, ex-territorial jurisdiction, spheres of influence, and what not of debasement, till the name of the Oriental has become a synonym for the degenerate, and the word “native” an epithet for slaves.

白禍

多くの東洋民族にとって、西洋の到来は、まったくの幸福とはけっしていえなかった。彼らは、通商の増大を歓迎する気でいるうちに、異国の帝国主義の餌食になってしまった。彼らは、キリスト教宣教師の博愛的な目的を信じて、この軍事侵略の先ぶれに頭を垂れてしまった。彼らにとって、この地球はもはや、枕を高くして眠っておれる平和な場所ではない。 ヨーロッパ諸国民の罪悪感が黄禍の幻影をよびおこしたとするならば、アジアの苦悩する魂が白禍の現実に泣き叫ぶのは、当然ではなかろうか。

一般の西洋人にしてみれば、社会を組織化し、みずからの必要に奉仕する巨大な機械にかえてしまった今日の世界を、勝利感をもって眺めるのは、まったく当然のことかもしれない。機械的発明の急速な発展は、現在のような交通と投機の時代をつくりだし、この発展は.風俗や言語の西洋化傾向をともないながら、商業主義、工業主義など、さまざまの表現と なってあらわれている。国富と国威の急速な伸張をもたらしたこの動きは、もとはといえば 、人間性、友愛、相互信頼の栄光の自覚に由来するものであった。汽船からホテルへ、停車場へとたえずわが家を移す落着きのない生活は、世界主義文化の可能性をもたらした。十九世紀に、科学的公衆衛生と外科医術のめざましく普及した。経済とともに知識も組織化され、国家社会が集団的行動をとり、単一の意識を発展させることを可能にした。

西洋の住民にとって、これらすベては満足の種であろう。彼らには、それとちがった考え方をするものがいようなどとは、想像もできないことかもしれない。だが、中国のおだやかな逆説ヒよれば、機械は玩具であって、理想ではない。古き東洋は、今なお手段と目的とを区別する。西洋は進歩を信じているが、いったい、何にむかっての進歩であろうか?アジ アは尋ねる——完全な物質的能率がえられたとして、そのとき、いかなる目的がはたされたというのであろうか?友愛の熱情がたかまり、世界の協力が実現されたとして、そのときそれは何を目的とするのであろうか?もしそれが、たんなる私利私欲であるならば、 西洋の誇る進歩は、はたしてどこにあるのか?

西洋の栄光には、不幸にしてこの裏面がある。大きいだけでは、真の偉大ではない。贅をつくした生活が、すなわち文化であるとはいえない。いわゆる近代文明を構成する個人は、機械的慣習の奴隸となり、みずからがつくりだした怪物に容赦なく追いつかわれている。西洋は自由を誇っているが、しかし、富をえようと競って、真の個性はそこなわれ、幸福と満 足はたえずつのってゆく渴望の犠牲にされている。西洋はまた、中世の迷信から解放されたことを誇っているが、富の偶像崇拝にかわっただけのことではないのか?現代のきらびやかな装いのかげにかくされている、苦悩と不満はどうなのか?社会主義の声は、西洋経済の苦悶—資本と労働の悲劇——の声にほかならない。

ところが、その広大な地域で無数の犠牲者を出してもなお満足せず、西洋は、東洋までも餌食にしようとしている。ヨー ロッバのアジア進出は、東洋にとって、野蛮でないにしても粗雑としか思えない社会思想のおしつけであるばかりか、現存のあらゆる法と秩序の破壊を意味する。西洋文明をもたらした彼らの船は、それとともに、征服、保護領、治外法権、勢力圏、その他さまざまの悪しきものをはこんできた。そしてついには、東洋といえば退化の同義語になり、土着民といえば奴隸を意味するにいたった。

1/11日経『欧州に反移民の火種 反イスラム感情、極右が利用』『EU、域外から年100万人超 貴重な労働力に』記事について

1/11TV「報道2001」でフランスのテロ事件で、フランス人が解説し、週刊紙シャルリエブドの編集長兼風刺漫画家ステファン・シャルボニエのことを「日本で言えば宮崎駿のようなもの」と言っていましたが、違うと思います。宮崎駿は人の感情を害するようなアニメは作っていません。風刺漫画と言えども節度はあるべきで、彼は超えてはならない一線を越えていると思います。だからと言って殺戮されることはありませんし、犯人及びテロは許されません。本来風刺とは他人を傷つけるのではなく、見た人が「クス」と笑えるものであったはずです。江戸時代の判じ絵のようなものです。機智に富んだものこそが歓迎されるべきです。言論の暴力は許されません。人間の欲情に訴えれば猥褻物・売春と同じく需要があるので売れるでしょう。キリスト教もイスラム教も一神教で「絶対者への帰依」では同じであって、預言者が違うだけではないかと一神教でない人間は思うのですが。キリスト教のネストリウス派は「キリストは神性と人性において2つの位格を持つ」と言って異端扱いになりましから、キリストは預言者ではなく神と思って信仰している人が多いのかもしれませんが。

移民には反対です。日本を愛せない反日を刷り込まれた人たちがたくさん入ってくれば、日本が日本でなくなってしまうからです。記事中に「移民は人口減を解決し、税や社会保障の担い手となる。移民の受け入れの是非を問う時代はとっくの昔に終わり、欧州は移民とともに生きる選択を下したはずだ。」とあるのは典型的な左翼リベラルの発想です。グローバリズムが正しいと思っているようですが、それは経済的観点からのみ見ているのであって安全保障について考えていません。ドイツはトルコ人を労働力として受け入れ、アメリカのリンカーンの黒人奴隷解放も北部の工業化で南部黒人の労働力が必要だったからという面もありました。単純に人が足りない、人口こそ経済力という発想では国を危うくします。現実に日本では「税や社会保障の担い手」になるのでなく、「生活保護」を受ける目的で入ってくる人もおります。法の不整備と運用のまずさが原因ですが。その国の文化・伝統・習俗(=生活様式)を尊重=「入郷随俗」できないのであれば、帰国して貰うべきです。マスメデイアは「人類愛」を常に謳い上げますが、自分で体を動かす、自分で金を出すようなことをしません。常に「他人の褌」を利用しようとします。極右という表現は彼らが極左だからそう見えるだけで、フランスの「国民戦線」は「移民反対」を主張しているだけです。勿論、金美齢女史や石平氏のように日本人以上に日本を愛してくれる人であれば帰化は大歓迎です。反日に徹する共産党、社民党、民主党に投票する日本人も多様な価値観の尊重と言う面では「仕方がない」と思いますが、良く彼らの言動を調べてからにしてほしい。中国共産党、北朝鮮(朝鮮総連)、韓国から支援を受けていますから。

フランスの国民戦線はEU議会選でフランス国内の25%の支持を集めました。フランス人の25%は極右と言うのでしょうか?メデイアの都合が悪いことは報道しないだけです。良く斟酌しませんと。小生宛送られて来ました阪急交通社の「トラピクス新春号」には中韓観光は入っていませんでした。国民が受け入れなくなってきていることを会社も実利で判断し出したということでしょう。

『欧州に反移民の火種 反イスラム感情、極右が利用』

【ベルリン=赤川省吾、パリ=竹内康雄】パリの連続テロは9日、発生から50時間あまりで実行犯3人が当局に射殺される形で幕を閉じた。だが、移民出身のイスラム過激派が多くの死傷者を出す事件を引き起こしたことで、欧州社会には深い爪痕が残った。急増する移民は経済成長をもたらす半面、文化摩擦の火ダネとなりかねないもろ刃の剣。事件の再発防止のためにも社会との融合をどう探るかが改めて課題となる。

 週刊紙シャルリエブドの銃撃事件が起きると、仏野党で極右・国民戦線のルペン党首は水を得た魚のように動き始めた。

 「イスラム過激派との戦争に入る」。8日、仏テレビの取材に「戦争」という言葉を使ってまで過激派を徹底的に取り締まるべきだと主張。翌9日にはオランド大統領と面談し、「こうした議論を取り上げるのが我が党だけなのは嘆かわしい」と毒づいた。

 フランスでは2017年に大統領選が控える。増える移民に不安を持つ保守層や、現状への不満を外国人にぶつける低所得者の票が目当てなのは明らかだ。

 社会にくすぶる反イスラム感情をあおる動きは欧州各地に広がる。

 ドイツで外国人の排斥を訴える組織「ペギーダ」は12日に大規模デモを計画。2月には運動をウィーンに広げるという。

 メディアがテロの標的となり、欧州の基本的な価値観である「報道・表現の自由」が危機にさらされたと欧州社会は受け止める。イスラム系住民は欧州の価値観を尊重していないのではないか――。そんな不安の高まりに乗じて極右が支持を広げようとしている。

 だが反移民の動きが燎原(りょうげん)の火のごとく燃え広がり、「欧州社会と移民の対立」に発展するのを止めようとする動きもある。

 独紙フランクフルター・アルゲマイネは10日、1面でイスラム教自体を敵視するのはやめるべきだと主張。独ハンブルクのイスラム教の宗教指導者は地元テレビにテロを非難する声明を出した。

 一部のイスラム系の若者が過激派に走るのは、経済格差とともに、欧州社会から疎外されているとの受け止めが底流にある。反移民感情の火ダネを完全に消すためには、移民が職を得るチャンスを高めること。幼年期からの教育を充実させ、採用段階での差別をなくし、相互理解を促すことも必要だ。

 黄禍論や反ユダヤ主義、あるいはロマへの差別など欧州には「文化への脅威」あるいは「異分子」という口実で少数派を排斥した苦い経験がある。第2次大戦前、ポルトガルからフランスに渡った移民は差別に苦しみ、ドイツでは戦後、イタリアの労働者が色眼鏡で見られた時期もあった。文化の違いが大きい域外からの移民の融合には時間がかかる。

 移民は人口減を解決し、税や社会保障の担い手となる。移民の受け入れの是非を問う時代はとっくの昔に終わり、欧州は移民とともに生きる選択を下したはずだ。

 オランド仏大統領は「(今回の犯行は)イスラム教とは無関係」と語った。メルケル独首相も反イスラム運動を批判する。移民を取り込んだ新しい社会を作れるかどうかに欧州の未来がかかる。

『EU、域外から年100万人超 貴重な労働力に』記事

【パリ=御調昌邦】欧州連合(EU)は近年、域外から年間110万~140万人台の移民を受け入れている。EUは移民が無ければ人口が減少し始める見通しとなっており、長期的には貴重な労働力としても期待される。

 EUの執行機関である欧州委員会が昨春にまとめた資料によると、EUから出て行った人を差し引いた移民の純増数は年間50万~70万人台。EU内に居住する域外の国籍を持つ人は2千万人強で、人口の約4%を占める。

 出身国別ではトルコが最も多く、2位はモロッコ。10位以内にはパキスタンも入っている。仏紙襲撃事件が起こったフランスでは、旧植民地であったアルジェリアやモロッコなどからの移民が多数を占める。

 近隣国に比べて裕福なEUへの移住希望は強く、2012年には約70万人がEUの市民権を得たほか、移民や難民の2世なども増えている。

 EUでは将来、高齢化に伴ってサービス業や運輸などを中心に労働力不足が深刻になるとみられ、労働力を確保するために移民を受け入れてきた。EUの共通移民政策の下で、合法的な移民に対しては社会に適応できるような政策を進める一方、違法移民については取り締まりを強化している。

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