1/19看中国<外媒:中国数据造假无法反映经济复苏(图)>1/18中国国家統計局の発表した数字は地方政府の改竄数字を基にしているので経済が良くなっているとは言えないと外国メデイア(FTのこと)が報じた。2012~16年北部3地区では数字を水増しした実績がある。経済好転かどうかは石油・石炭・鉄鋼価格に基づいたCO2排出量の数年間のトレンドを見れば良い。BBCは中国経済の原動力は貿易と報道。まあ、嘘で塗り固められた社会ですから、何が真実かを見抜く目を持ちませんと。中共の発する言葉は総てプロパガンダと思えば間違いないです。お人好しの日本人は騙されないように。慰安婦や南京、正定事件等歴史を改竄するのも得意です。
https://www.secretchina.com/news/gb/2018/01/19/847502.html
1/19看中国<美国两党同批中国贪婪的贸易政策>NY州選出の民主党上院議員の チャック・シューマーは1/17上院で「広州汽車集団がデトロイトで発表した計画は中国の貿易規則が明らかに不公平なことを示している。貪欲な貿易政策の典型でもある」と述べた。中国車の米国輸入関税は2.5%に対し、逆は25%である。トランプは「我々は中国の経済建設を助けて来た。両国の貿易で中国を利した面が大きい。中国やその他の国では我が国の製品に50%関税を課しているが我々は何も取っていない。これは不公平だ」と。
https://www.secretchina.com/news/gb/2018/01/19/847499.html
雲南省は「四季如春」と言われて首府の昆明市で世界花博も開かれ、高山地帯(1892m)なので日本のマラソン選手も昆明市でトレーニングに励んだこともありました。また、雲南省にある玉龍雪山は5596mもありますので寒冷な地方もあると思います。山田氏や北村氏の写真の子供は雲南省魯甸県に住むとあります。地図で調べますと麗江と貴陽市(貴州の首府)の中間ぐらいです。上の地図では昭通の所。中国駐在時代、小生はちょくちょく雲南には旅行で行きました。玉龍雪山も見ましたけれど、主には南の方で、昆明、石林、虎跳峡、怒江、瀾滄江、大理、麗江、迪慶(英国人作家ジェームスヒルトンから桃源郷と称された香格里拉)、西双版納等です。西双版納ではタクシーと交渉して一日借切り回りました。少数民族が沢山いて、傣族もいましたから元々民族的にはタイの人ではないかと思われます。
本両記事の感想は、北村氏の「国営通信社の「新華社通信」が1月12日付で配信した記事の表題は、『中国の霧氷少年を見て、外国人はついに中国がどうして強大かを知った』であった。これを見て、筆者はあっけにとられ、中国がどうして脆弱なのかを知ったのだった。」という言葉に表わされています。中共の価値判断のおかしさをいみじくも象徴しています。結果の平等を追求する共産主義で格差がこのように広がり(北京大学の調査ではジニ係数は0.73)、貧しい人々に対する思いやりもなく、富は賄賂と軍拡に使われるだけ。こんなおかしなことが罷り通るのは一党独裁、為政者の勝手が許されるからです。今こそ農民工は共産党打倒の動きを見せないと。でも、習近平は弾圧で臨むでしょう。中国の歴史で徳のある政治家は神話時代の尭舜禹くらいしかいないのでは。後は私腹を肥やし、人民を苦しめるだけの政治が続いてきたような気がします。ですから中国人の性格が悪くなる訳です。「騙す方が賢く、騙される方が馬鹿」と。だから善意で寄付した金もくすねる輩が出る訳です。日本でも注意しないと。
山田記事
ネットで拡散した髪と眉が霜で覆われた中国雲南の小学生の写真(写真:Imaginechina/アフロ)
今月上旬、寒さで髪の毛と眉毛を霜で真っ白に凍らせて小学校に登校する中国人の8歳の男の子の写真が中国のネットに出回り拡散し、中国で改めて内陸部の農村に住む子供たちの貧困問題がクローズアップされた。その後、Yahoo!JAPANや英BBC、米ニューヨークタイムズ等、日本や欧米のメディアも相次いでこれを伝えたため、この少年の写真を見たという読者も少なくないことだろう。
報道をまとめると、話の概要はこうだ。この少年は雲南省魯甸県の農村に住む王福満くん。自宅から小学校まで片道4.5キロの山道を毎日歩いて通っている。写真が撮られた日の気温はマイナス9℃だったそうだが、写真に写る王くんは、ダウンジャケットどころか綿も入っていないような薄手のシャツジャケットに丸首のシャツという薄着。真冬なのに秋口のような服をまとっている王くんの出で立ちを見れば、彼が厳しい経済事情に置かれていることは容易に想像がつく。
冬になると冷え込む土地とは言え、髪の毛も眉毛も真っ白になるほど凍えることは珍しかったのだろうか、担任の先生が教室に入ってきた王くんを見るに見かねて写真を撮り、校長をはじめ何人かにこれを送って、現地の子供たちの窮状を訴えた。これがSNSやミニブログで転送やいいね!が繰り返され、これをきっかけに中国では、王くんのような厳しい暮らしを余儀なくされている子供たちの存在と、子供の貧困問題についての関心が高まりつつある。
王くんは祖母と姉の3人暮らし。父親は都会に出稼ぎに出ていて、年に数回しか王くんの住む自宅に戻ってこれない。母親は、王くんがもっと小さいころに家を出て行ったまま、帰ってこなくなったのだという。
霜少年も留守児童
中国では、王くんの父親のような農村からの出稼ぎ労働者を「農民工」、王くんのような農村の自宅で親の帰りを待つ子供たちを「留守児童」と呼ぶ。中国国家統計局が2017年4月に公表した統計によると、農民工は全国に約2億8000万人というから、中国の約5人に1人が農民工ということになる。一方、留守児童は、2010年に実施された最新の人口センサスで、全国に6102万人いるとされている。
子供を置いて働きに出ざるを得ない理由は大きく分けて2つある。1つは、出稼ぎ者たちの自宅がある農村部では現金を稼げる仕事がなく、子供を進学させることはおろか、着るもの履くものも満足に買うことができないこと。もう1つは、中国の戸籍制度により、農村で生まれた農村戸籍の子供たちは、戸籍地の高校からしか大学を受験できない、つまり親たちの働く都会で受けることができないためである。
では、都会に出れば十分な金が稼げるのかと言えばもちろんそんな保証はない。
2001年から上海に住んでいる私は、安徽省や河南省といった内陸の農村から上海に出てきて肉体労働やウェーター、物流倉庫等で働いている何人かの農民工と縁あって知り合い、友だち付き合いをしながら10年以上にわたって見てきた彼らの生活を『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』として1冊にまとめた。なので、農民工たちの暮らしぶりについてはいささか知見があるのだが、例えば上海の場合、中卒などの学歴でも働けるビルの清掃の仕事の報酬は現状、月額3000元(1元=約17円)程度。上海の中心部でワンルームのアパートを借りようと思えばこの金額ではもはや無理だ。出稼ぎ先の上海で住まいを自前で借りるのであれば、夫婦共稼ぎで6000元の月収があってようやく幾ばくかの仕送りができる程度しか手元には残らない。母親がいなくなったという王くんの場合は稼ぎ手が父親だけ。上海で働く私の農民工の知人にも、田舎に残した1人娘を家政婦をして女手一つで育てているシングルマザーのチャオさんという女性がいるが、その彼女の境遇や、王くんの出で立ちから想像しても、王くん一家の経済的環境は困窮を極めているだろうと思う。
今まで誰も描くことのなかった中国版ヒルビリー・エレジー 『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』
この連載「中国生活「モノ」がたり~速写中国制造」が『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』として単行本になりました。 各界の著名人から好意的なレビューをいただいています。
- 中国が熱さを忘れつつある中で、中国に対する熱い思いに満ちた本と言えるだろう。さまざまな読み方、活用法がある本と思うが、私には何より著者、山田氏のその「熱さ」が魅力的だった。 (中国問題の研究家遠藤誉氏によるレビュー「執念の定点観測で切り取った、中国農民工の心?」より)
- もうひとつの違いは、ロウソクの味がするパンしか食べられない貧しい農民工たちの心の豊かさだ。外国人である山田氏と友情を築いた彼らは、自分が食べていくことさえ困難なのに、必ず「ご飯を食べに来て」と招待する。そこに、ホロリとした。 (米国在住のエッセイスト渡辺由佳里氏によるレビュー「繁栄に取り残される中国の『ヒルビリー』とは?」より)
- しかし、奇妙なことだが、同書を読後、陰鬱な印象かというと、実はそうでもない。同書には、絶望的な内容があふれてはいる。それなのに、なぜか一抹の希望を感じさせられる。おそらく、それはn=1の農民に愛情を込めて付き添ってきた著者の生き様に、読むものが感動を受けるからだ、と私は思う。 (調達・購買コンサルタント/講演家坂口孝則氏によるレビュー「年収3万の農民に未婚の母、中国貧民の向かう先」より)
あかぎれだらけの手
あかぎれで痛々しい少年の手(写真:Imaginechina/アフロ)
ネットに拡散した王くんの写真には、髪の毛と眉毛を霜で真っ白にしたカット以外のものも何枚かある。その1枚が、王くんの手をアップで撮った写真だ。
あかぎれだらけで赤黒く浮腫んだ、王くんの幼い手。
この写真を見て、私は2007年、ある若い農民工の手を写真に撮らせてもらった時のことを思い出した。10年前の彼は、王くんそっくりのあかぎれだらけの手をしていたのだ。あれから10年後のいま、彼はいったいどんな手をしているのだろうか。
彼の名前はチョウシュンという。安徽省農村出身の1991年生まれ。今年27歳になる一児の父親だ。高校受験に失敗した彼は、15歳で母親が働く上海に出てきて、親戚の紹介で花市場で働き始めた。彼の両親は1965年生まれの私とほぼ同世代だが、2人とも、小学校しか出ていない。15歳で花市場に就職したチョウシュンだったが、仕事の辛さに音を上げて2週間で辞め、父親が農業をして暮らす実家に帰った。その後、東北地方は遼寧省の瀋陽で親戚の子守、浙江省の海沿いの町・寧波の海鮮レストランでウエーター、再び上海に戻ってきて美容師と、職も住む土地も転々とした後、2012年に上海の浦東空港に近い物流倉庫で軽作業の仕事に就いた。給料は残業の度合いで変動したが、平均すると4000元にはなった。
その年、近所の電子機器組立工場で工員をしていたやはり安徽省の農村出身の17歳の少女と知り合い翌2013年に結婚、この年に娘も生まれた。妻の給料と合わせ世帯収入は当時7000元。「仕事でパソコンの操作も覚え、昇給もした。初めて仕事が面白いと思えるようになった」(チョウシュン)。ゆくゆくはマイカーも買って、娘をドライブに連れて行きたい、そのためにはまず免許だと、2015年には1万元をかけて自動車の免許も取得。一児の父親になり、仕事に手応えも感じ始めた。2015年の半ば頃までの2年あまり、すなわち22~24歳のチョウシュンは社会人になって初めて、生活に充実感を覚え、自分の将来に夢も描ける生活を送っていた。
ところが、3年あまり務めた物流倉庫が2015年に不景気で突然閉鎖になり、その後勤めた別の物流倉庫も不景気で半年でクビ、再度見つけた別の倉庫では、給料は前職の2800元から2500元に下がってしまった。過去4年、仕事は一貫して空港の物流倉庫だが、3年前の4500元をピークに下がる一方で、5年前の給料だった3000元になかなか届かないでいた。
チョウシュンは、彼に初めて出会った15歳の時からしばらくの間、いつ会っても赤黒く浮腫んだあかぎれだらけの手をしていた。実家にいたころは、上海で働いている母親の代わりに炊事洗濯など家事の一切を、蛇口からお湯の出ない自宅で15歳の彼が担っていたためであり、上海に出てきてからは、花市場、レストラン、美容師と冷たい水を扱う仕事をしていたためだろう。高校生活を謳歌しているはずの年齢の少年が頻繁に、痛む手をさすり顔をしかめる様子を目の当たりにした私は、農民工を取り巻く厳しい現実の象徴として、さらに何年か後、チョウシュンの状況が好転し「あのころはこんな手をして頑張って働いていたね」と笑って振り返ることができるようにとの願いを込めて、チョウシュンに手を撮らせてほしいと頼んだのだった。
手は白くなったけれど
2007年、上海で再び働き始めたあかぎれだらけの16歳のチョウシュンの手(上)と、26歳になった彼の手
今回、雲南の王くんの手の写真を見て、私はチョウシュンのあかぎれの手を久々に思い出した。そしていつの間にかチョウシュンの手に関心が行かなくなっていたことにも気付いた。おそらく彼の生活が軌道に乗り始めた2012年頃から手が荒れないような生活を送ることができるようになっていったのではないかと思う。ただ、先にも書いたとおり、彼の生活水準は下降線をたどっている。彼と最後に会ったのは去年の4月。チョウシュンは今、どんな手をしているのだろうか。
そう思った私は、雲南の王くんの手の写真を見た数日後の朝、チョウシュンのSNSに、「16歳だった君の手だよ。覚えているよね? できれば、今朝の君の手を写真に撮って見せてほしい」と頼んだ。するとすぐに、彼から写真が送られてきた。赤黒く浮腫んでいたあかぎれが痛々しかったのと同じ手とは思えない、細い指に結婚指輪をはめた白い手がそこにはあった。ピーク時に比べれば給料は減ったのだろうが、少なくとも、いつでも手が荒れていた10年前よりは体に優しい環境に身を置けているのだろう。
チョウシュンから送られてきた写真には、靴を履いた足が写っていた。だから私は、「出勤の途中で撮ってくれたの?」と尋ねた。
彼から帰ってきた返事は、予想だにしていないものだった。
「いま働いてないんだ。『腎積水』になって1カ月前に仕事を辞めて、いまは実家で療養してるんだ」
腎積水、腎臓疾患のネフローゼである。
突然の閉鎖で3年務めた物流倉庫の職を失ったチョウシュンは、それを機に下がり始めた収入を少しでも増やそうと、24時間3交替の倉庫ばかりを選んで働いてきたとのことだった。先週は昼勤、今週は前夜勤、来週は夜勤とすべてのシフトをこなさなければならないため体力的にはキツいが、昼勤のみよりも割がいいのだという。いったいいくら収入が増えるのかと尋ねると、「月額にして200元程度」だと、チョウシュンは答えた。日本円にして3400円である。
成人のネフローゼは、過労とストレスが原因になることが多いのだという。これから子供の教育にお金がかかり始めるというのに収入は20代半ばから減り続けているというストレスや、月額200元を余分に稼ぐために酷使した体がついに悲鳴を上げたのだろうか。収入減で食生活も切り詰めざるを得なかったのかもしれない。
一方で、私にはなかなか理解できない農民工の行動が、このチョウシュンのケースでも起きた。それは、実家で療養する夫に付き添うため、チョウシュンの妻も上海の仕事を辞めてしまったことである。実家にはチョウシュンの両親もいるのだし、妻1人だけでも働いて現金を稼ぐべきではないかと思うのだが、こういう時、彼ら農民工はあっさりと仕事を辞めてしまうことが多いのだ。その背景には、農村の実家には田畑があるため、食べるものは何かしらあるから飢えはしないし、ボロ屋だが住む家もある、という現実がある。ただそれをいいことに働かないと、子供に教育を受けさせるだけのお金は稼げない。結果、子供は進学をあきらめ、親と同じ道をたどる。すなわち貧困の連鎖が続いてしまう。ここに、中国の農村とその貧困を解決する問題の難しさがある。
ただチョウシュンが、手があかぎれてしまう生活を脱して、白い手になろうと懸命に働いてきたのは事実だ。雲南の王くんが大人になるころ、農村の貧困の負の連鎖を断ち切る道筋は見えているだろうか。
北村記事
頭髪が霧氷で真っ白になった王福満君の写真をきっかけに、“留守児童”問題への関心も高まることに(写真:Imaginechina/アフロ)
1月8日、雲南省東北部に位置する”昭通市”に属する“魯甸県”の“新街鎮”に住む小学3年生の“王福満”(8歳)は、同鎮内にある“転山包小学(転山包小学校)”で行われる期末試験に遅れないよう、朝7時50分に家を出た。当時の外気温は零下9℃、家から学校まで山道は4.5km。王福満は舗装されていない泥道を懸命に歩いた。普通なら42分で学校に到着するのだが、この日は非常に寒く、山道は凍って滑りやすく、転ばないように注意して歩いたので、王福満が学校に到着した時には家を出てから1時間が経過していた。
少年の頭髪には“氷花”が
まだ期末試験は始まっていないはずだがと、王福満が心配しながら教室の後ろのドアを開けて中に入ると、すでに着席していた級友たちが一斉に後ろを振り返り、彼を指さして笑い声を上げた。それもそのはずで、薄手の服を着た王福満の頭髪には“氷花(霧氷)”が付着して真っ白くなっていたのだ。頭髪のみならず、眉毛とまつ毛にも霧氷が付着して真っ白だったので、級友たちにはあたかも白髪の老人が突然教室へ入って来たように見えた。一方の王福満は、どうして級友たちが彼を見て笑うのか理由が分からなかった。王福満は学校への道を急いで必死に歩いたから、薄着であっても汗をかいた。頭から出た汗は水蒸気となって蒸発し、外気に当たった水蒸気が瞬時に氷結して頭髪に付着し、霧氷を形成した。少しでも早く学校に到着して期末試験の準備をしようとひたすら先を急いだ王福満には、頭が冷たいという感覚はあったものの、一度も頭に触れなかったため、頭髪に霧氷が付着しているとは思いもしなかった。
当時、教室は期末試験が始まる直前で、級友たちだけでなく、“班級老師(クラス担任の教師)”(以下「クラス担任」)もいた。霧氷を頭髪に付着させて白髪となった王福満を見たクラス担任は、極寒の中を必死で歩いて来たのだと感動を覚え、8時50分に持っていたスマートフォンで王福満の姿を撮影した。そして、クラス担任はその写真を校長の“付恒”に転送すると同時に、感動を分かち合いたいとして同写真に“氷花男孩(霧氷少年)”という題名を付けて、中国最大のSNSである“微信(Wecha)”に投稿したのだった。当該写真は微信ユーザーたちから注目を受け、盛んに転送されて中国全土に知られることとなった。この結果、霧氷少年の写真は中国メディアによって報じられることになり、さらには全世界で知られることになったのである。
“希望小学”に通う“留守児童”
中国メディアが報じた霧氷少年に関する記事の要点を取りまとめると、以下の通り。
【1】王福満の家は赤貧洗うが如しで、古くてボロボロの日干しレンガの家に住んでいる。父親は少しでもカネを稼ごうと省都の“昆明市”へ出稼ぎに行っていたし、赤貧を嫌った母親は家を出て行ってしまっていた。父親は数カ月に1回帰って来るだけなので、王福満は2歳上の姉である“王福美”(10歳)と年老いた祖母の3人暮らしである。“留守児童”<注1>である2人の姉弟は身体の悪い祖母を助けながら明るく日々を送っている。霧氷少年の写真の中の王福満は薄着であったが、それは3着しかないコートを王福満がずっと洗っていなくて汚かったからで、当日は薄い服2着を重ね着して学校へ行ったのだった。
<注1>“留守児童”とは、両親あるいは一方の親が出稼ぎに行き、家に残された学齢期の子供を意味する。
【2】王福満が通う「転山包小学校」は、元の名を“転山包力輝苗圃希望小学”と言い、山間部に建設された“希望小学(希望小学校)”<注2>の一つである。転山包小学校の“付恒”校長は次のように紹介した。すなわち、全校生徒は167人で、彼らの大部分が“留守児童”である。同校には宿舎はなく、全員が通学しており、最も近い生徒で徒歩10分、最も遠い生徒は徒歩で2時間近くかかる。王福満の家から学校までは4.5kmだが、学校まで彼より遠い生徒は30人以上いる。2013年から現在までに、転山包小学校は教室棟、運動場、食堂、実験室などを順次整備し、生徒1人当たり年間800元(約1万4000円)の給食を提供しているが、現状のところ、学校には暖房施設はない。但し、遠距離通学の生徒のための無料宿舎を建設するための寄付をずっと募って来ており、新校舎の建設が完成したので、2月の“春節(旧正月)”以降は学生に宿舎を無償で提供できる予定である。
<注2>“希望小学”は、“中国青年基金会”が貧困地区にいる学校に行けない子供たちを復学させることを目的に、社会大衆から集めた寄付を原資に小学校の新設や老朽校舎の改築を行った小学校。
【3】王福満は算数が得意で、期末試験の算数は99点だった。1月9日付の中国メディアは、付恒校長から提供を受けた、「霜焼けでひび割れ、赤黒く膨れ上がった王福満の両手が、99点を取った算数の答案用紙の上に置かれている写真」を報じたが、そこには日々の暮らしの過酷さや、寒さをしのぐ防寒服や手袋、帽子を持たない貧困児童の悲しい現実が明確に示されていた。一躍有名人となった王福満であるが、彼にはそんな自覚は全くなく、冬休みになったら昆明市へ行って遊ぶのが希望であり、もっと勉強して将来は全国大学統一試験を受けて北京にある大学へ行きたいと夢を語るのだった。
さて、1月9日の夜9時、“昭通市党委員会”副書記で、“昭通市長”でもある“郭大進”が「全市の市民に冬季の生産と生活の安全を保障するためのテレビ会議」を急きょ開催した。地元メディアが報じたその概要は以下の通り。
(1)会議の冒頭で郭大進が「霧氷少年」に関する状況報告を行い、次のように述べた。すなわち、1月7日の夜から強い寒冷気流に襲われた影響で、昭通市は今冬最高の気温低下を来し、多数の県がある高海抜地区では普遍的に“小雪(1日の積雪量が2.5mm以下)”や“中雪(同2.5~5mm)”が降った。調査によれば、霧氷少年は魯甸県新街鎮にある転山包小学校の3年生で、自宅は学校から4.5km離れている。1月8日当日の気温は比較的低く、徒歩で通学した少年が教室に到着した時には、頭髪や眉毛が全て霧氷に覆われていた。その時の写真は8時50分にクラス担任が撮影したもので、学校長に転送された後にネット上に投稿された。当該写真はネットユーザーたちの注目を集め、各メディアによって報じられた。霧氷少年に関心を寄せてくれたメディアと社会各層に対し感謝を表明する。
(2)副市長の“呉静”は、8日当日に現場となった転山包小学校へ出向き、その後に霧氷少年の家を訪問したことを報告し、転山包小学校の在校生全員と留守児童が冬を安全に暖かく過ごせるよう必要な措置を講じるよう指示を出したと述べた。また、魯甸県県長の“馬洪旗”は、副県長の“梁浩波”と共に迅速に転山包小学校と霧氷少年の家に赴き実情を把握したと述べ、市政府から受けた指示を着実に実行中である旨を表明した。
(3)“習近平”総書記の「“以人民為中心的(人民を中心とする)”発展思想」を貫徹し、必要な措置を採り、市民の冬季における生産と生活の安全を保障し、とりわけ、優秀な学生や留守児童が暖かく安全に冬を過ごせるようにする。市の各部門は寒冷地区の学校に対し暖房設備や校舎の整備、医療班による霜焼け治療、道路の安全通行措置などを行うことを決議した。
「寄付横取り」「貧困放置」に抗議の声
一方、霧氷少年の写真を見たネットユーザーが霧氷少年に対する寄付を呼びかけたところ、1月8日だけで20万元(約340万円)を突破する勢いで寄付金が集まった。ところが、このニュースを知った地元の昭通市政府は、「寄付金の受け取りは“中国青年基金会”の傘下にある雲南省および昭通市の“青年基金会”が統一的に行い、当地にいる多数の貧困学生の援助に当てる」との通達を出し、ネット上の寄付呼びかけに歯止めをかけた。
この通達が出されるや、これに反発する抗議の声がネットユーザーのみならず多数の知識人から巻き起こった。知識人2人の発言を例に挙げると以下の通り。
【A】この種の組織は一般的には“清水衛門(甘い汁を吸えない組織)”と言われるが、そこで働く多くの職員は凶悪で、他人の寄付を見れば願ってもないことだと思って私腹を肥やす。君たちは彼らが寄付金の全てを貧困学生に供与すると思いますか。たとえ供与するとしても、それは大幅に減額されるだろう。
【B】地元の政府は霧氷少年を利用して外部から寄付を集めようとし、しかも寄付は青年基金会という組織を通じて行うよう要請した。このニュースを知って、私は真から悪態をつきたいと思った。子供が凍傷になった時、これら政府機関は一体何をしていたのか。王福満の状況は国外では基本的に発生せず、もし発生したなら一大スキャンダルで、地元の県長は引責辞任し、当該県政府は瓦解する。霧氷少年の事件が発生したことについて、政府は長年にわたる人々の生活に対する政策の誤りを反省しなければならない。メディアも今回の事件について貧困という問題の根本原因を追究せず、王福満が将来大学に行きたいと希望しているという美談に方向を転じようとしているが、彼が大学に進学できる可能性があるというのか。
中国農村に留守児童2300万人
ニュースサイト“網易新聞”の“数読(Data Blog)”欄は2017年8月1日付で「中国に留守児童は2300万人」という記事を掲載した。その概要は以下の通り。
(1)最近、公益組織“上学路上(勉学途上)”は『2017年中国留守児童精神状況白書』を発表した。同白書によれば、中国の義務教育段階にある農村の小中学生総数を4000万人と推定して、父母の一方あるいは父母双方が出稼ぎに出ている農村学生の数を計算すると、中国の農村には合計2300万人の留守児童がいることになる。
(2)中国における留守児童の具体的な数は推計方式によって相違が大きい。2013年に“全国婦女聯合会”が、2010年に実施された“第六次人口普査(第6回国勢調査)”のデータに基づき推計した結果は、農村留守児童の総数は6103万人であった。2016年に政府の多部門が連合して展開した「農村留守児童徹底調査」による統計では、全国の16歳未満で、父母双方が出稼ぎにでている農村留守児童の数は902万人であった。
(3)同白書は全国17の省・直轄市・自治区の一部学生に対してアンケート調査を行ったもので、有効回答1万4868部中の82.8%が農村の学校から提出されたものだった。農村学生の中で父母双方が出稼ぎにでている“完全留守状態”にある学生の比率は26.1%を占め、これに父母の一方が出稼ぎに出ている学生を加えると、留守児童の比率は58.1%に達している。
(4)農村地区における完全留守児童の多くは年老いた祖父母の世話を受けたり、親戚に預けられたりして、家庭の温かみを感じることが難しい。10%以上の農村留守児童が1年に1度も父母に会えておらず、3.9%の父親、8.5%の母親がそれぞれ1年に1度も子供と連絡を取っていない。
霧氷少年として一躍有名になった王福満とその姉の王福美には、昆明市へ出稼ぎに行っている父親しかいないが、母親は家を出たので、彼らは完全留守児童である。但し、彼らは決して特別な存在ではなく、上述した白書に基づけば、全国の農村地区には父母双方不在の完全留守児童が1000万人、父母の一方不在の留守児童が1300万人いる計算になる。こうした実情を勘案すれば、昭通市政府が王福満に対する寄付の受け入れ窓口を青年基金会に一本化し、集まった寄付金を王福満だけに限定せず、昭通市内の貧困学生のために使おうとするのは決して間違ったことではない。しかし、人々は感動を与えてくれた王福満のために寄付をするのであり、それは彼を含めた転山包小学校の全校生徒のために使われるべきである。そればかりか、人々は寄付に青年基金会のような公的組織が介在すると、寄付金額が大幅に目減りし、実際の受贈者には微々たる金額しか届かないことを過去の経験から知っている。だからこそ、人々は昭通市政府が出した通達に激しく反発したのだが、この決定が覆ることはないだろう。
“国家級貧困県”にはびこる不正
ところで、王福満が暮らす昭通市の魯甸県は、全国に564カ所ある“国家級貧困県”の1つである。“国家級貧困県”は“国家扶貧工作重点県”とも言い、「国家が資金を供与して貧困人口の救済と自立支援を行う重点県」を意味する。魯甸県は2014年8月3日にマグニチュード6.5の地震により大きな被害を受け、死者617人を出した。当時の統計によれば、魯甸県の人口は41万人で、その中の15万人以上が貧困人口であったが、地震の被害により貧困人口は増大したものと思われる。当然ながら、王福満の家族はこの貧困人口の中に含まれる。
中国政府が国家級貧困県に提供する資金を“扶貧資金”と言うが、この扶貧資金にも不正が確認されている。“国家審計署(日本の会計監査院に相当)”が発表した2018年の第1号公告には、監査結果で問題が発見された34件の状況報告が記載されているが、その中に2012年から2015年の間に雲南省の“硯山県”、“麻栗坡県”など11県の“扶貧辦公室(事務所)”が680万元(約1億1600万円)の扶貧資金を騙し取っていたことが判明し、29人の責任者が処罰されるとあった。
しかし、これは氷山の一角に過ぎない。1月9日付の中国メディアは次のように報じた。すなわち、国家審計署が2016年と2017年の2年間に374カ所の国家級貧困県を抽出して監査を行い、1万8200戸の貧困家庭を訪問して調査を行った結果、これら貧困県に供与された総額738億元(約1兆3310億円)の扶貧資金の中、70億元(約1190億円)以上の資金に問題のあることが判明し、各地に命じて回収などの方式で改善を促している。昨年10月末までに32億元(約544億円)を改善し、970人が責任を追及されている。
国家級貧困県の改善を支援するための扶貧資金が、資金の受け入れ窓口として実務を行う扶貧事務所の人々によって騙し取られていては、貧困人口が削減できるはずがない。本来なら中国メディアは霧氷少年を報じると同時に、留守児童と貧困人口に関する問題を論じるべきだが、国営通信社の「新華社通信」が1月12日付で配信した記事の表題は、『中国の霧氷少年を見て、外国人はついに中国がどうして強大かを知った』であった。これを見て、筆者はあっけにとられ、中国がどうして脆弱なのかを知ったのだった。
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