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8/19日経ビジネスオンライン 福島香織『プロの消防士がいない中国 天津化学薬品倉庫爆発事故、悲劇の必然』について
8/18に「防人と歩む会」理事会があり、今回の天津の爆発について聞かれましたので、「江派が習近平を困らせるためにわざと仕組んだのでは。被害も4~5000人という話もある。中国は都合が悪い話の時は1/10の数字にして公表する」と答えました。小生の考えと同じような記事が載っていました。8/18法輪功のメデイアである「大紀元」によると、習は江沢民と息子の江綿恒、曽慶紅を取り押さえたとのこと。習の暗殺の証拠隠滅のための爆発とのことですが、真相は藪の中です。謀略の好きな国ですから、江派の張高麗を犯人に仕立てるためにやったのかも知れません。http://www.epochtimes.jp/2015/08/24376.html
また、8/19宮崎正弘氏のメルマガ「米国に逃亡した令完成は中国政界を震撼させる機密情報の爆弾を保持 中国は百名ちかい秘密工作員を派遣し、米国内で「無許可捜査」をしていた」によれば(http://melma.com/backnumber_45206_6250009/)習近平の焦りが分かろうというもの。多分FBIは全貌を掴んでいると思います。令計画も馬鹿でないから安全対策には気を使っているでしょう。2700件の機密情報をアメリカに渡せば報復・殺害されるのは分かっているので、警護はしっかりしていると思います。『毛沢東の私生活』を書いた李志綏(毛沢東の侍医)は3ケ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見、中国のヒットマンが殺したとの噂がありました。またトロッキーは政敵のスターリンの手先によってメキシコで暗殺されました。共産主義政体=全体主義、専制政治で、人を殺すのを何とも思わない連中が国のトップを占めています。習にしてみたら内憂外患の心持ちでしょう。敵を作り過ぎ、殲滅しないと安心できないのです。
張作霖爆破事件、盧溝橋事件も中国側の謀略だったという説もあります。政府を監視・批判できる組織は共産主義には存在しません。為政者にとって人民の命は虫けら同様に安いです。中国駐在の8年間でそれは実感してきました。国民あっての政府ではないのです。福島女史が言うようにこの手の大惨事はまだまだ起きるでしょう。在留邦人は巻き添えを食らわないように。何でも隠蔽する国ですから。
記事
天津で8月12日に起きた化学薬品倉庫爆発事故(あるいは事件)はすでに死者・不明者が200人を超えている。現地は建設現場従事者や港湾労働者も必要とされる地区なので、地元当局すら、事故発生当時、そこにどれだけの人がいたかを把握していなかったかもしれない。しかし、100人単位の死者を出す人災事故・事件は中国では非常にまれなことではなく、例えば今年、長江クルーズ船の沈没事故も430人以上の死者・不明者を出している。
ただ、今回の件で特徴的だったのは犠牲者・不明者の約半数が消防士であったことだ。建国以来、一度にこれほど多くの消防士が殉職する火災は初めてである。そして、この爆発自体、消火にあたった消防士の放水が引き起こしたという。本来、火災発生時に市民の生命を守る消防士たちが、最大の加害者であり犠牲者であったこの大惨事の背後にどういった問題があったのだろう。
なぜ化学薬品に放水?
事件はすでに詳報されていると思うが、簡単に事実関係をおさらいしておこう。
8月12日午後10時55分ごろ、保税区の瑞海国際物流有限公司の危険薬品倉庫前のコンテナヤードに集積されていた化学薬品コンテナで火災が起きた。港湾警察の連絡を受けて、まず23の消防中隊および93輛の消防車両、総勢600人が出動し消火作業にあたったという。10分ぐらいの放水のあと、ぱちぱちと音がして、燃えていたコンテナが発光し、危険を感じた消防隊は撤退を指示。だがその直後に大爆発が起き、逃げ遅れた消防士たちが多数巻き込まれた。
爆発の原因は、おそらく消火用放水の水が、コンテナ内の硝酸カリウムや水酸化ナトリウムに反応したことだといわれている。爆発後の現場には水をかけると発火する白い粉があちこちに散らばっていることが確認されている。
最初の爆発はトリニトロトルエン(TNT)換算で3トン分の爆発に相当し、その30秒後に起きた爆発はTNT21トン分に相当するほどの威力であった。爆発は2分の間に4回起きたという。日本の気象衛星ひまわりからも確認できるほどの威力だった。
最悪なことに、倉庫内に保管されていた危険薬品の中には水に反応すると青酸ガスが発生するシアン化ナトリウム700トンが含まれ、それらが大気や地下水に流出した。 爆発後も天津消防総隊から1000人以上の消防士が投入されたが、彼らの多くが、その毒ガスの存在を知らされていなかった。爆発現場の倉庫に保管されていた7種の化学薬品にシアン化ナトリウムなどが含まれている可能性が正式に発表されたのは爆発後59時間経ってからであった。
まず、多くの人たちが、消防隊が化学薬品倉庫の火災を水で消そうとしたことに驚いたかもしれない。素人でも、化学薬品倉庫の火災を放水で消そうとするのは無理があるのではないか、と思うだろう。実は中国の消防士は素人同然だと言われている。
中国には独立した消防署が存在しない。中国で一般に消防隊と呼ばれるのは、公安(警察)所属する消防隊、石油化学企業などが独自に雇用する臨時消防員、そして居民や企業職員が自主的に組織する消防組織の三つくらいだ。一部省では地元政府が公務員として消防官を募集し公安消防隊と協力する「合同制」が導入されているが、主力の公安消防隊は、解放軍傘下の武警消防隊を通じて徴用される「消防新兵」と呼ばれる兵士たちである。
研修3か月、殉職率は米国の倍
彼らは2年の任期でほとんど義務兵役のような形で配属される。このため、ベテラン消防士というのはほとんど存在せず、その多くが20~28歳で、その経験不足から死傷率が高い。例えば2011年、米国の消防士は10万回の出動の中での殉職率は2.51人。同じ年の中国公安当局の資料では、消防隊の殉職率は4.8人でおよそ倍だという。2006年から2012年までの中国の殉職消防隊員の平均年齢は24歳で、最年少は18歳という。
学歴も低く、たとえば2010年、上海市で消防新兵になった1213人のうち高卒水準が32.31%、高専水準が40.49%、中卒水準が15.41%(香港フェニックステレビ調べ)という。専門の消防技術を教える教育機関は南京士官学院など中国に三つしかない。彼らはわずか3か月の研修の後、現場に入る。2015年、消防新兵の月給は1700元(研修期間中は1500元)、危険手当300元。広東省の工場労働者よりも待遇が悪い。危険できつく、待遇も悪いために誰もなりたがらない。一般に先進国では人口1万人に対し消防士10人が水準だと言われているが、中国は1万人に対して2人に満たず、慢性的な消防士不足である。
もともとは、非戦時下の兵士訓練の一環として民間の消防活動に従事させられる解放軍の伝統から始まった。しかし、現代の火災の現場は高層ビルや石油化学コンビナート、はては原発火災なども想定しなければならず、もはや3か月研修を受けた消防新兵たちの手に負えるようなものではない。未熟な消防活動が被害を拡大したり、二次災害を引き起こすことはこれまでもあった。
この中国の消防隊問題については、今年1月に中国メディアがかなり特集を組んでいた。きっかけは今年1月2日の黒竜江省ハルビン市で起きた倉庫火災で18歳から22歳までの5人の若い消防兵士が焼け崩れる建物に巻き込まれ殉職した事件だ。この事件後、メディアが消防隊の実態をこぞって取材したが、消防新兵たちは、バックドラフトなど基本的な火災動力学も知らずに無知な勇気だけで現場に突っ込み、同僚を危険に陥れることも多々あることを紹介していた。
無知な勇気と無茶な命令
また、この5人の消防隊員が犠牲になったハルビン市の倉庫火災では、出火後9時間も経って、消火活動が意味をなさない状況であったにもかかわらず、市当局幹部たちが、建物の中からの消火活動を望んだために、突入させられたという背景もあった。つまり官僚たちは末端の新兵の命などよりも、倉庫や中身の損害を少しでも食い止める方が大事だったのだ。そして公安消防隊は、毎年補充できる新兵の命よりも、市政府から予算を得て最新装備をそろえることの方が重要であり、市政府の無茶な命令にも従う。もし、彼らが消防新兵でなく、十分に研修費用をかけて育てあげた一騎当千のプロフェッショナルな消防士であれば、市政府もいたずらに彼らを危険な現場に突入させるような「浪費」はしないはずである。
こうした中国の消防隊が抱える問題が、今回の天津の最悪の大爆発をもたらしたといえる。
天津の事件後、メディアや世論は再び、中国の消防士のプロ化を求める声を上げている。だが、一言で消防士のプロ化といっても、簡単ではないようだ。天津の倉庫で初期消火にあたっていた消防士の中には、天津港が雇用している「専業消防士」も含まれていたが、彼らがプロかというと、そうではなく、公安消防隊よりもさらに技術の低い「バイト消防士」である。この場合、プロと呼ばれるべきは、それなりの専門知識と技術、経験の蓄積をもつ人材であり、なおかつプロ組織として機能する体制が必要なのだ。つまり目下、最低賃金に近い徴兵式で集めている全国16万人の消防士に関して、公務員並みの給与と職位、育成機関などをともなう一つの独立したシステムを構築しなければならなくなる。
実は消防士のプロ化は、深圳市でテストケースとして1984年から取り組まれてきた。そして25年後の2009年、この試みは失敗であったと宣言された。
深圳では地方財政から年間1億元の予算をつけ、消防士を公務員として採用することにした。これは財政的に大きな負担となった。また、徴兵式の消防士と違って、彼らは公務員の地位に安住してしまい、時間が経つにつれ消防士の老齢化・官僚化問題が深刻になってきた。その矛盾がはっきりしたのが、2008年2月の南山区の大火の時で、現場に派遣された消防隊はわずか6人、隊長1人、班長3人、実際に消防活動にあたる消防士は2人だった。この年、深圳市消防局が出した報告書によれば、現役消防官および公安消防士はあわせて1123人だが、実際に消防救援活動に従事できるのは600人あまりで、消防士プロ化計画は断念せざるを得ないという結論に達した。
足りない経費とプロ意識
プロ化の最大のネックはまず経費。そして、何よりも、年齢が上がり給与が上がっても、第一線の現場に立ちたいというプロ意識を本人が持てるか、という問題があるのだ。
これには職業に対する矜持、あるいは社会全体のその職業に対する尊敬の念が重要なのだが、中国においては権力と金にまさる名誉も矜持も存在しない。ましてや命を危険にさらしてまで現場で働く人間となるより、そういう現場に他人を赴かせる権力を持つことの方が、中国人にとっては出世であり、魅力なのである。
これは別に消防士に限ったことではなく様々な職業について私が日々感じていることだが、例えば日本人の新聞記者は40歳になっても50歳になっても最前線の現場に出たがる人が多いが、中国人記者は30歳になれば、デスク業務やコラムニスト、解説員になりたがる。日本の中小企業や工場では社長になってもラインに降りてきて、製品の出来不出来を一目で見分ける人が少なくない。中国で企業や工場の管理職は、経営管理を専門に学んだエリートが多く、いわゆる生産現場にはほとんど関心がない。現場で技術や知識をもって働く人間に対する敬意というのが日本人は比較的強い。それは職人気質、プロフェッショナルという言葉に賞賛の意味が含まれることが示している。
消防士プロ化論争の中には、「消防局が、公安などから独立して一つの省庁となれば、汚職と利権の温床が一つ増えるだけ」と皮肉る声もあった。今の体制の中国には、プロ意識そのものが育つ土壌・環境がないのだ。末端の現場で働く人間は、権力を持つ官僚に利用され搾取され、使い捨てられ、死んだ後で「烈士」「英雄」と祭られるだけ。中国では権力を持たない人間の命はあまりに軽いのだ。命を軽視するから、金と時間をかけて人材を育成することができない。プロやプロ意識を育てる手間暇費用をかけるよりも、安い命を使い捨てるのだ。
命の軽視、悲劇は止められない
天津の爆発事故の背景には、消防隊の問題のほか、大物政治家・官僚の庇護を受けた企業(爆発を起こした倉庫の企業・瑞海国際は李瑞環の甥が株主という噂も)が、公共インフラ施設や居民区の1キロ以内に危険物倉庫などを設置してはいけないという法規を無視できることや、シアン化ナトリウムなどの猛毒をコンテナヤードに放置する危険物管理のずさんさなどが指摘されている。
すべての問題が、法が権力を持つ者を平等に裁くことができず、民衆・メディアが権力を監視する機能を持たない共産党独裁体制下での、権力を持たぬ者の命の軽視という一言に集約される気がする。
このままでは、こうした大惨事はまた繰り返されるはずである。
8/16JBプレス 古森義久『あの有名俳優が米国で中国のチベット弾圧を批判 熱を込めて語った不当逮捕や拷問、虐待の実態』について
「チベット本土からインドへ亡命した子供たちの絵」という絵本があります。
穢れなき子どもの願いとして「いつかは中国人と仲良くしたい」とありますが、朴大統領ではありませんが、1000年経っても無理でしょう。拝金教の中国と人生を深く考え、慈悲の心を大事にする仏教のチベットでは合う訳がありません。
リチャード・ギアは敬虔な仏教徒と聞いています。同じ仏教徒として何かを言わなければならないという強い責務が感じられます。翻って日本の仏教界でこのような動きはありません。国会周辺でドンツクやっている憲法9条派の僧侶がいますが。日蓮も政治に首を突っ込みましたが、宗教とは現世利益でなく、魂の救済がその使命ではないかと思います。政治とは離れた世界が正しいのでは。酒を飲む、女を囲う生臭坊主よりタチが悪い。だから葬式仏教とか揶揄されるのです。本業から離れたことをしているので。
中国はチベット族だけではなく、ウイグル族、モンゴル族も人権蹂躙、抑圧しています。彼らの土地を奪うため、子供を産めない体にしたり、強制移住させたりしています。18~19世紀のアメリカみたいなものです。さらに、漢民族でも法輪功信者を生きたまま臓器摘出して売買したり、貧しい人々は虫けら同然の扱いを受けます。
日本は毅然として中国の人権弾圧について批判しなければなりません。70年以上前のことを中国が何と言おうとも「今起きている人権蹂躙の問題解決の方が大事である」と突っぱねれば良い。過去には欧米とて臑に傷を持つ身。日本の方が論理的に勝てるでしょう。
記事
中国・迪慶(デチェン)チベット族自治州香格里拉(シャングリラ)で、草原を眺めるチベット人女性(資料写真)。(c)AFP/Dale de la Rey〔AFPBB News〕
「チベットで多くの人々から尊敬されていた高僧、テレジン・デレク・リンポチェ師が中国政府に13年間も投獄された末、この7月12日に獄中で亡くなりました。彼はチベット社会で市民を救い、教育を広め、信仰を深めた高潔な宗教指導者でした。中国共産党政府はそんな人物を残酷にも終身刑に処していたのです」
映画スターとして国際的な人気を誇る米国人俳優のリチャード・ギア氏が熱をこめて語った。7月14日に開かれた米国議会の公聴会での出来事である。
公聴会の課題は「チベットと中国=新しい前進の道の模索」とされていた。米国の連邦議員たちが、中国政府によるチベットの民族や宗教に対する弾圧の実態を、専門家や当事者たちから聴取して、政府や議会へ政策勧告する際の指針にするのだという。
米国でのこうした動きは、日本が対中外交の政略を立てるうえでもぜひとも知っておくべきだろう。
ラントス氏のホロコースト体験とチベット弾圧
公聴会を主催したのは下院の「トム・ラントス人権委員会」という超党派の常設機関だった。現在の米国の国政では、オバマ政権が中国の人権弾圧を正面から非難することはそれほど多くない。だが議会では、民主、共和の両党が連帯して、中国の人権状況に厳しい視線を向け、辛辣な批判を表明することが頻繁に行われている。
この委員会は、下院外交委員長として長年、人権問題などで活躍した故トム・ラントス議員の名をとった人権専門の機関である。ラントス氏はハンガリー生まれのユダヤ人で、少年時代にナチスの強制収容所に入れられ、脱出したという異色の経歴で知られる。
一方、今回、チベットでの人権弾圧についての証人となったリチャード・ギア氏は仏教を信仰し、特にチベット仏教の弾圧に抗議して、これまで長きにわたって「チベット国際キャンペーン」という国際人権擁護組織の会長を務めてきた。
そのギア氏が証言の冒頭で、個人的にも親交の深かったラントス氏の思い出を語った。
「私のよき友人でもあったラントス氏は、ホロコーストの生き残りとして、自らの体験を語ってくれました。彼が最も強く覚えているのは、母親とともに強制収容所へ向かう特別の列車に乗せられるとき、駅でその光景をじっと見ていた一般の人たちの表情だったといいます。何が起きているかを知りながら、何もしない。本当はそのことを恥(shame)と感じている意識が、その人たちの表情には明白だったそうです。私は、そのような恥を、今のアメリカ人たちが感じることがあってはならないと思います。チベットの良心的で優しい同胞たちが弾圧されていることを座視してはならないのです」
ギア氏はチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世についても語った。
「ダライ・ラマはこの7月6日に80歳の誕生日を迎えました。チベット人の誰もがその誕生日を心から祝いたいと願いました。しかし中国当局はその種の活動のすべてを禁止しました。中国政府はダライ・ラマを邪悪な存在とみなし、抑圧を続けています。しかし、ダライ・ラマを祝賀するチベット人たちの広範な動きを抑えることはできませんでした」
ギア氏は用意した文書にもほとんど視線を向けず、声量の豊かな、よどみない口調で証言を進めた。中国政府によるチベット弾圧の全体状況についても報告していく。
「中国共産党はチベット人の宗教、言論、結社の自由を奪い、少しでも服従しない人間を根拠のない刑法違反の口実で逮捕し、長期、拘束しています。拷問や虐待も頻繁に行われます。体力を失った人間は早期に解放されますが、中国当局が獄中での死を少なくすることを計算しているからです」
「チベットでは、中国の弾圧に抗議して2009年以来少なくとも合計140人の僧侶らが焼身自殺をしました。中国共産党の弾圧にはなんの正当性もありません。チベット人のすべての宗教的、文化的アイデンティティーの表明を『ダライ一派の国家分裂活動』だとして弾圧するのです。この行為は、中国政府が調印した世界人権宣言や中華人民共和国の憲法にも違反しています」
ギア氏はこうした証言を踏まえて、米国の政府と議会に中国側への抗議や制裁措置をとることを求めた。
最も迫力を感じさせたリチャード・ギア氏の証言
この「トム・ラントス人権委員会」は、ジェームズ・マクガバン議員(民主党)とジョセフ・ピッツ議員(共和党)を共同委員長とし、超党派の下院議員40人で構成される。だが、この委員会の前身を仕切っていたトム・ラントス氏が民主党だったためか、いまも民主党議員が多い。14日の公聴会には、委員である議員10数人のほか下院民主党院内総務のナンシー・ペロシ議員も顔を出していた。
証人としては、オバマ政権の国務省のチベット問題担当特使や、民間人権団体の「人権ウォッチ」代表も登場した。しかしその中でも、「チベット国際キャンペーン」会長である俳優のリチャード・ギア氏の証言が最も強い迫力を感じさせたことを、最後に報告しておきたい。
8/17 日経ビジネスオンライン 高濱賛『戦後70年談話を米国はどう受け止めているか 米政府は歓迎、米メディアはネガティブ』について
大局的に見て中国はアメリカの敵というのがやっとアメリカでも気づいてきたという所でしょう。ハドソン研究所中国戦略センターのピルズベリー所長が書いた『百年マラソン』“The Hundred-Year Marathon – China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower”にありますようにやっと騙されていたのに気付くという愚かしさです。FDR、ニクソン、キッシンジャー共に中国に騙されたアメリカ人ということで歴史に名を残すことになります。
アメリカは日本が勝手に中国と戦争されては困るので、自国のメデイアを使って、ブレーキをかけているのでしょう。でも日本人で戦争したいと思っている人はいませんよ。そこが米中とは違います。日清・日露、大東亜戦争だって見方によっては止むにやまれずという構図です。NYTやWPのアメリカメデイアは経営難で中国から金を貰っている可能性もあります。政府要人に金を渡したのがバレると長い間関係がおかしくなるし、警戒感はハンパでなくなりますので、民間で世論形成に役立つメデイアを自分の思うように扱おうと思っても不思議ではありません。何せ中国共産党宣伝部は「党の喉と舌」と言われていますので。
アメリカ政府は日本を「世界中あらゆる国にとってのモデルである」と最大限の賛辞を送りました。中韓にいい加減歴史問題で日本を叩くのは止めろという事です。韓国は桂・タフト協定、アチソン声明に続いて第三のアメリカからの切り捨てを受けるかもしれません。THHADを受けず、9/3抗日70周年記念に参加したら、戦時作戦統帥権はすぐにでも韓国に返すことになるかもしれません。これは期限がついてませんので。見方によっては解約自由という事です。
アメリカ国務省OBも見方が甘い。日本がいくら謝罪したとしても中韓が許す訳がない。大切な金づるですから。また中国の世界制覇の野望のためには日本の存在は地政学上も、文化面、経済面においても邪魔になるので、事実を改竄してでも、日本を道徳的に劣った民族としておきたいのです。それに気付かないというのは国務省も日本の外務省と同じくらいリアリズムが欠けているという事でしょう。
記事
安倍晋三首相が8月14日、「戦後70年談話」を発表した。これに対して米国の政府とメディアは異なった反応を見せている。
談話が発表されてから数時間後、米国家安全保障会議(NSC)のネッド・プライス報道官は次の声明を発表した。最大限の「歓迎」を表わした声明だ。
「我々は、安倍首相が次の2つを表明したことを歓迎する。1つは、歴代首相が出した歴史認識に関する談話を継承するとのコミットメント。もう1つは、第二次大戦中に日本が(近隣諸国に)与えた苦しみに対する痛切な反省だ。また我々は、国際社会の平和と繁栄に対する貢献を日本が今後いっそう拡大していく意志を確認したことを評価する。戦後70年間、日本は平和、民主主義,法の秩序への変わらぬコミットメントを具現化させてきた。これは世界中あらゆる国とってのモデルである」
(”Statement by NSC Spokesperson Ned Price on Japanese Prime Minister Abe’s Statement on the 70th Anniversary of the End of World War II,” Office of Press Secretary, The White House, 8/14/2015)
一方、米メディアはまずAP通信の東京特派員が「Stop short of WWII apology 」(謝罪は思いとどまる)と速報。これを追ってニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど主要紙は「歴代首相の謝罪に共鳴したが、新たな、自らのパーソナルな謝罪(a new, personal apology of his own)はせず」など異口同音のネガティブな報道に終始した。
(”Shinzo Abe Echoes Japan’s Past WWII Apologies but Adds None of His Own,” Jonathan Soble, New York Times, 8/15/2015)
米メディアは、安倍談話に対する米政府や議会の反応についてはいっさい触れていない。その一方で、中国と韓国の政府がどう出るか、「安倍談話の内容を両政府ともに慎重に精査するだろう」と予測している。
米政府と米メディアの間にある落差
米政府と米メディアの「落差」はなぜ生じたのか。その理由は3つある。
その一つは、一般論だが、米政府はよほどのことがない限り、同盟国の言動について公の場では批判はしないことだ。批判したり、異議を申し立てたりしたい時には「ノーコメント」としてコメントを避ける。
2つ目は、安倍首相の歴史認識についての米政府の立場がはっきりしていることだ。日米政府間において歴史認識については、今年4月29日に安倍首相が米議会で行った演説で決着済みとの認識だ。
首相が明言した「痛烈な反省」と「戦没米兵への鎮魂」は米議会だけでなく、一般米市民の琴線にも触れた(「安倍首相の議会演説で米国の『歴史認識問題』は決着」参照)。このため米政府は、戦後70年談話が「この米議会演説のトーンをそのまま反映するのであれば、歓迎する基本姿勢を固めていた」――米主要シンクタンクの上級研究員の一人はこう見ている。
直前の安倍・ケネディ会談の中身
米政府関係者によると、バラク・オバマ米大統領は安倍談話発表前、キャサリン・ケネディ駐日米大使に安倍首相に会うよう訓令を出した。同大使は8月10日午後5時59分から約30分間、首相官邸で安倍首相と会っている。
話し合われた議題は2つ。1つは8月15日に首相が靖国参拝をするかどうか、いま1つは14日に発表される予定の「戦後70年談話」だったと言われる。安倍首相は前者については「ノー」、後者については談話の内容を示したという。
安倍首相は靖国参拝には苦い経験がある。第二次政権発足直後の2013年12月、ジョー・バイデン米副大統領らの説得を振り切って靖国神社に参拝した。米政府は まず駐日米大使館名で「失望」を表明。その後、これを国務省声明に格上げした。米政府が「失望感」を表明したのは、A級戦犯を祀る靖国神社に対する中韓の反発が米国の極東戦略を混乱させる要因を孕んでいるからだ。さらに、安倍首相やその周辺にある「極東裁判史観」に対する反発があった。米国にとってこれは譲歩できない一線だった。
米政府は、今年の終戦記念日に安倍首相が靖国参拝しないことがはっきりすれば、安倍談話については出来うる限りのポジティブな反応を示す――安倍首相の議会演説を受けて米政府の腹は決まっていた。村山談話や小泉談話を継承する姿勢を示せば、「謝罪」とか「植民地主義」とか「侵略」といった個々のキーワードについてとやかく言う必要もない。
「村山富市首相、河野洋平官房長官が(談話で)示した謝罪は、日本が近隣諸国との関係を改善しようと努力する中で重要な第一章を刻んだというのが我々の見解だ」(2015年1月5日、サキ米国務省報道官)
「我々は、日本が戦後、平和のために行ってきた貢献とともに、安倍首相が過去1年間に行なった、歴史認識に関するポジティブなコメントを歓迎している。我々は、『過去に関して歴代首相が表明した見解を堅持する』とした安倍首相のワシントンでの発言に留意している。また、我々は、東アジア地域の諸国間の強固で建設的な関係は同地域の平和と安定を促進すると信じている。このことは米国の国益のみならず諸国間の利益に資するものと考えている」(2015年8月6日、トーナー米国務省副報道官)
安保法制、普天間問題で汗を流す安倍首相へのエール
米政府が安倍談話について最大限の「歓迎」を表明した3つ目の背景は、オバマ政権が直面する対日外交上の懸案がある。
安倍首相は、野党や一部世論の反対を押し切って安保法案の成立を目指している。同法案は日米新ガイドラインに直結する法案だ。普天間飛行場の移設問題をめぐって、日本政府と沖縄県の確執が続いている。米国は安倍首相に恩義を感じている。
まだある。ウイキリークスが暴露した、米政府による安倍政権への盗聴問題だ。沖縄県で起きた米軍ヘリコプターの墜落事故もある。オバマ政権にとっては安倍首相に負い目を感じる話ばかりだ。安倍談話について重箱の隅をつつくような反応は示せない。「歓迎」にはこうした直近の政治問題も絡んでいる。
米メディア報道に投影する「米国のホンネ」
中国、韓国は案の定、安倍談話に物言いをつけている。米政府は「想定内の展開」と見ている。
ある米国務省OBの一人が筆者にこう指摘した。「中国も韓国も、自分たちが望む文言や表現を安倍首相がしないことぐらい最初から分かっていたはずだ。何をどう言おうとも反発するだろう。だから安倍談話を受けて直ちに日中首脳会談や日韓首脳会が行われるような状況ではない」。
「正直言って、米政府は安倍談話によって日本と中国・韓国との間にある歴史認識問題をすべて決着し、前に進むことを願っている。歴史認識をめぐる日中、日韓の確執は、東アジアにおける米国の国益に少なからず悪影響を与える。また日米同盟にとっても好ましくない。なによりも、東アジア太平洋地域でより大きな政治的軍事的役割を演じようとしている日本にとっては喉に刺さった骨だ」
米メディアが、ネガティブな報道している背景には、前出の国務省OBのホンネ――今回の安倍談話で、中韓を満足させるストレートで踏み込んだ謝罪をすることで歴史認識を一気に決着させてほしかった――が投影されていると見るべきか。
安倍談話を受けて、日韓、日中関係は今後どうなるのか。米国の東アジア研究者による突っ込んだディスカッションが18日、米シンクタンク「ヘリテージ財団」で行われる。マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所(CSIS)副理事長、シーラ・スミス外交問題評議会級研究員、ブルース・クリンガー ヘリテージ財団上級研究員らが出席する。
8/14ZAKZAK 田村秀男『人民元の勢力拡大は日本にとって軍事的脅威そのもの』について
ラガルドやキャメロンは中国人の本質を分かっていません。AIIBに英仏とも参加するのは、世界に中国の軍事拡張を認めることになります。米国が世界の警察官を止めようとしている時に、こんなことをすれば軍事バランスが崩れ戦争になる可能性もあります。他国から集めた金で軍拡、人民解放軍が潤うことは間違いありません。英仏とも遠い世界のように思っていると痛い目に遭います。アメリカの覇権が良いとは思いませんが、少なくとも中国やロシアが世界を牛耳ることになるより良いでしょう。もし中露の世界になれば我々の生活は人権の保障されない専制時代になってしまいます。今は良きにつけ悪しきにつけアメリカが世界を牛耳っているので平和で暮らしやすい生活が送れています。それを変える必要性は全くありません。「戦争法案反対」を唱えている左翼に中国の脅威についてどう考えているのか聞いてみたいです。「徴兵制になる」とか言っていますが、世界最強の軍隊と言われるアメリカ軍であっても志願制です。その方が強い軍隊ができるという事です。
汪兆銘は孫文の秘書をしていたので軍事力を持っていませんでした。孫文が辛亥革命で中華民国の臨時大統領になりましたが、軍事力を持たなかったためすぐに袁世凱に譲位せざるをえませんでした。日本軍も汪兆銘の力量を見極められなかったという事です。傀儡にしようと思ったのかも知れませんがそんな下心ではうまく行くはずもありません。
8/13で北戴河会議は終わったとのこと。最終日の前日夜遅くに天津で大爆発があったのは習に対する他派の嫌がらせかもしれません。日本のように人命第一の国ではありませんから。被支配階級は虫けら同様の扱いです。習は団派の李源潮の右腕の元江蘇省党常任委員会秘書長だった越少麟を除名しました。令計画に次いで2人目です。団派とも事を構えるようです。江と胡がやられ放しにするかどうか。
朴槿恵が70年談話を評価したとの記事を見ました。何かがおかしい。普通であれば口汚く罵るのが常なのに。裏で日本政府と「慰安婦」で取引してないか心配です。アメリカの圧力で変わったのでしたら良いのですが。
記事
戦後70年。戦争とは何か、何も兵器を使うばかりが戦争ではない。相手国に自国通貨を浸透させると、軍事面で優位に立つ。
写真は中国内陸部、標高1200メートル、山西省の黄土高原の一コマである。何万年もの間、風雨は黄土の大峡谷を溶かし、崩し、高原の大半を平野と崖の混在した複雑な地形にしてしまう。そんな山あいの村々には今でも「窰洞(ヤオトン)」と呼ばれる横穴式洞窟の住居が点在する。
1942年5月6日、この黄土高原の一角の窰洞で日中戦争の帰趨(きすう)を左右しかけた会談が開かれた。
特命を帯びて対中和平工作に奔走した陸軍中野学校出身の井崎喜代太氏の回顧録によると、日本軍の第一軍司令官、若松義雄中将と、中国山西軍の閻錫山(えん・しゃくざん)将軍が会談。若松中将は山西軍にラッパで迎えられ、閻将軍とにこやかに握手、和平協定が成立寸前だった。
当時、閻将軍は重慶の蒋介石国民党政府に協力していたが、旧知の若松中将の誘いに乗って、日本軍の影響下にあった南京の汪兆銘政府と合作し、反蒋介石で連合することを約束していた。歴史に「もしも」はないが、実現すれば日本軍・汪兆銘政権連合は中国の黄河以北(華北)を取り込んで、戦況を一挙に有利に導き、蒋介石との和睦交渉の道を開いたかもしれない。対米戦争の局面も大きく変わっただろう。
山西軍との和平条件は、資金援助である。村の入り口では、国民党政府の通貨「法幣」4000万元の札束を積んだ駄馬隊が待機。「会談成功」という合図を確認した駄馬隊の隊長が「ホウヘイ前へ」と大きな声で号令。駄馬隊が一斉に動き出し、洞窟めざして前進する。
これをみて、閻将軍は血相を変えて裏口から逃げ出した。閻錫山の通訳が「法幣(中国語の発音ではファピー)」を「砲兵(同パオピン)」と取り違え、「砲兵(パオピン)がくるぞ」と大声で叫んだからだ。日本軍がだまし討ちしてきたと、誤解したのだ。
「ホウヘイ前へ」事件で閻錫山取り込み工作は失敗し、日本軍は中国大陸でいよいよ泥沼にはまった。
抱き込み工作失敗の遠因は、日本軍の軍票の信用がないために使えず、敵の法幣に頼らざるをえなかった点にある。法幣こそは英国が蒋介石政権に全面協力して発行させ、米国が印刷面で協調した。
今、英国は中国主導で年内設立へ準備が進んでいるアジアインフラ投資銀行(AIIB)に率先して参加し、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)構成通貨への人民元の組み込みに賛同している。
SDR通貨への認定は元をドル、ユーロ、円、ポンドと同列の国際通貨の座に押し上げる。すると、AIIB融資に元を使える。ロシアなどからの兵器購入も元で済む。
元の勢力拡大は日本にとっての軍事的脅威そのものだ。日中は戦後70年を経て第2次「通貨戦争」の局面にあるだろう。歴史は繰り返すのだろうか。
8/15日経『4つのキーワード、英語版でも「踏襲」 70年談話』、『「おわび当然」中国が声明 70年談話の論評避ける』、『毒ガス被害者支援へ基金設立 旧日本軍、中国で遺棄 』について
英語版で8/14総理の戦後70年談話を検証してみます。外務省は信じられませんので。一読して非常によくできています。事実に裏打ちされていますので、欧米、中韓とも文句のつけようがないはずです。でも中韓にとって日本は金づるなので何かは言ってくるでしょうけど。これで村山、小泉の為した談話は意味をなさなくなりました。騙し討ちでなされた出自がいかがわしい村山談話の中味を相当変えて上書きしたものです。4つのキーワードの「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」は引用と言う形で紹介されました。首相は「両談話を全体として引き継ぐ」と言ってきたこともあり、歴史の事実としての両談話を否定はできない(中韓だったら簡単に否定できるでしょうけど)ので盛り込みましたが、そこにウエイトがある訳でないのは明瞭です。
西洋のアジアの植民地化、アジア初の立憲政治、日露戦の勝利でアジア、アフリカの人々を勇気づけた事が正しく盛り込まれています。また、原爆投下・東京大空襲・沖縄戦を情け容赦なく・無慈悲にもと言うニュアンスに英語ではなっています。大東亜戦争は大恐慌後の経済ブロック化が原因と言うのも触れられています。憲法9条を逆手にとって「我々は国際紛争の解決手段として力の行使を決してしない」とか植民地統治は放棄するとかの主語の「我々」と言うのは世界の人々を指し、中国を牽制したと読めなくもありません。迷惑をかけたアジアの近隣諸国民としてインドネシア~中国まで(順序効果あり)の中に台湾が明記されています。国として扱ったわけです。中華民国と言う表記でもありません。
人口の8割を戦後世代が占め、彼らに戦争の責任を負わせることはできないと明言、また和解に努力してくれた国々に感謝して中韓を牽制したのも良くできた内容です。
日経の記事にあるように毒ガスの医療支援について、また左翼弁護士が利権を求めて中国人に焚き付けたのではと思われます。そもそも戦後すぐ武装解除されたので日本に毒ガスの管理責任はありません。親中派の代議士や商社がキックバックを狙って始めたことです。今度は医療問題という事で、関係ない中国人が偽の証明書を持って雲霞の如く現れるでしょう。弁護士を儲けさすだけです。日本の税金が詐取されるという事です。日本国民はもっと怒って良い。
『4つのキーワード、英語版でも「踏襲」 70年談話』記事
政府が公表した戦後70年談話の英語版は、歴史認識に関わる4つのキーワードで過去の村山談話、小泉談話と同じ表現を使った。英語版でも歴史認識について歴代内閣の立場を踏襲する姿勢を鮮明にし、国際社会に訴えた形だ。
キーワードの「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」は英語版で、それぞれ「colonial rule」「aggression」「deep remorse」「heartfelt apology」と表現された。いずれも村山談話、小泉談話での英語訳と同じだ。
今回の談話では新たに先の大戦への「深い悔悟」を盛り込んだ。これは英語訳で「deep repentance」と訳した。立命館大の東照二教授(政治言語学)によると、「repentance」は宗教的な意味合いが強く、ざんげで悔い改めるといった場面などで使われる。
首相が掲げる「積極的平和主義」は「”Proactive Contribution to Peace”」と英訳した。引用符を用い、構成する3つの主要な単語を大文字から書き始めることで、安倍政権がスローガンとして掲げる言葉だとの位置づけを明確にした形だ。
『「おわび当然」中国が声明 70年談話の論評避ける』記事
【北京=永井央紀、ソウル=峯岸博】中国外務省の華春瑩副報道局長は14日、安倍晋三首相の戦後70年談話に関して「日本は侵略戦争の性質と戦争責任について明確に説明し、被害国人民に真摯におわびし、軍国主義の歴史と決別すべきだ。重要な問題をごまかすべきでない」との声明を発表した。談話の具体的な表現への論評は避けた。張業遂外務次官は同日、木寺昌人駐中国大使を呼んで同じ趣旨を伝えた。
韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は同日夜の岸田文雄外相との電話で「日本の誠意ある行動が何よりも重要だ」と強調した。談話内容を綿密に検討し、韓国政府の立場を近く明らかにすることも伝えた。
『毒ガス被害者支援へ基金設立 旧日本軍、中国で遺棄 』記事
旧日本軍が中国に遺棄した毒ガス兵器による被害者らの医療支援などを継続的に行う初の民間基金が14日設立され、日本での損害賠償訴訟に取り組んできた弁護士グループ「遺棄毒ガス被害事件弁護団連絡会議」と中国の民間団体「中国人権発展基金会」の代表が東京都内で合意文書に調印した。
調印した人権発展基金会の慈愛民秘書長は「戦後70年を経ても被害は終わらない。若い人たちに新たな被害者も出ている」と現状を訴え、基金設立の意義を強調した。
新基金は「化学兵器および細菌兵器被害者支援 日中未来平和基金」。日本側を代表して調印した弁護士連絡会議の南典男弁護士は「日中共同で被害者検診を支援する活動をしてきたが、治療支援を進めるため基金設立となった」と語った。〔共同〕
(朝日新聞デジタルより英語版)
On the 70th anniversary of the end of the war, we must calmly reflect upon the road to war, the path we have taken since it ended, and the era of the 20th century. We must learn from the lessons of history the wisdom for our future.
More than one hundred years ago, vast colonies possessed mainly by the Western powers stretched out across the world. With their overwhelming supremacy in technology, waves of colonial rule surged toward Asia in the 19th century. There is no doubt that the resultant sense of crisis drove Japan forward to achieve modernization. Japan built a constitutional government earlier than any other nation in Asia. The country preserved its independence throughout. The Japan-Russia War gave encouragement to many people under colonial rule from Asia to Africa.
After World War I, which embroiled the world, the movement for self-determination gained momentum and put brakes on colonization that had been underway. It was a horrible war that claimed as many as ten million lives. With a strong desire for peace stirred in them, people founded the League of Nations and brought forth the General Treaty for Renunciation of War. There emerged in the international community a new tide of outlawing war itself.
At the beginning, Japan, too, kept steps with other nations. However, with the Great Depression setting in and the Western countries launching economic blocs by involving colonial economies, Japan’s economy suffered a major blow. In such circumstances, Japan’s sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force. Its domestic political system could not serve as a brake to stop such attempts. In this way, Japan lost sight of the overall trends in the world.
With the Manchurian Incident, followed by the withdrawal from the League of Nations, Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war.
And, seventy years ago, Japan was defeated.
On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls of all those who perished both at home and abroad. I express my feelings of profound grief and my eternal, sincere condolences.
More than three million of our compatriots lost their lives during the war: on the battlefields worrying about the future of their homeland and wishing for the happiness of their families; in remote foreign countries after the war, in extreme cold or heat, suffering from starvation and disease. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, the air raids on Tokyo and other cities, and the ground battles in Okinawa, among others, took a heavy toll among ordinary citizens without mercy.
Also in countries that fought against Japan, countless lives were lost among young people with promising futures. In China, Southeast Asia, the Pacific islands and elsewhere that became the battlefields, numerous innocent citizens suffered and fell victim to battles as well as hardships such as severe deprivation of food. We must never forget that there were women behind the battlefields whose honour and dignity were severely injured.
Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief.
The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan.
We must never again repeat the devastation of war.
Incident, aggression, war — we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes. We shall abandon colonial rule forever and respect the right of self-determination of all peoples throughout the world.
With deep repentance for the war, Japan made that pledge. Upon it, we have created a free and democratic country, abided by the rule of law, and consistently upheld that pledge never to wage a war again. While taking silent pride in the path we have walked as a peace-loving nation for as long as seventy years, we remain determined never to deviate from this steadfast course.
Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. In order to manifest such feelings through concrete actions, we have engraved in our hearts the histories of suffering of the people in Asia as our neighbours: those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others; and we have consistently devoted ourselves to the peace and prosperity of the region since the end of the war.
Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.
However, no matter what kind of efforts we may make, the sorrows of those who lost their family members and the painful memories of those who underwent immense sufferings by the destruction of war will never be healed.
Thus, we must take to heart the following.
The fact that more than six million Japanese repatriates managed to come home safely after the war from various parts of the Asia-Pacific and became the driving force behind Japan’s postwar reconstruction; the fact that nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again; and the fact that former POWs of the United States, the United Kingdom, the Netherlands, Australia and other nations have visited Japan for many years to continue praying for the souls of the war dead on both sides.
How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?
That is what we must turn our thoughts to reflect upon.
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.
In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.
Our parents’ and grandparents’ generations were able to survive in a devastated land in sheer poverty after the war. The future they brought about is the one our current generation inherited and the one we will hand down to the next generation. Together with the tireless efforts of our predecessors, this has only been possible through the goodwill and assistance extended to us that transcended hatred by a truly large number of countries, such as the United States, Australia, and European nations, which Japan had fiercely fought against as enemies.
We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same.
As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.
We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.
We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.
Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.
August 14, 2015
Shinzo Abe
Prime Minister of Japan
注・英訳は日本政府の発表による


